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「http://www2s.biglobe.ne.jp/~NITE_DAY/200105nikki_3.htm#2001/05/XX」
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5月21日(月)晴れ
▼今週の週刊朝日の表紙が国分佐知子だったんだけど、あの写真の構図が好き。こないだの内山理名といい、おしゃれでいい。昔の芸能人志願の女の子ばかりの表紙より、やっぱり撮られ慣れている人の方がいいような。
▼会社を出て銀座へ。(53) ひさびさに閉店まで。

5月22日(火)曇りのち雨
鬼束ちひろ「インソムニア」
「七十年代ウェストコースト」だの「新型の癒し系」だの、彼女に関する批評が出尽くした観のある昨今にやっと買いました。
 コーラが大好きで、ジャケットにもコーラの缶がデザインされている。
 彼女に対する比喩といったら、まさにその清涼飲料水だと思うんですよ。気が抜けない内に聴かなければいけないような。詞が何かのメッセージを体現しているようでいるけど、あの声で歌われているので灰汁が強くないし、声やスタイルに性的な意味づけも感じさせないし(でも巷の雑誌に出てくるTシャツジーンズはフェロモン全開だと個人的には思うが)その上にあの音楽が寄り添ってくるから。
 四枚目ぐらい出し続けていると、「鬼束ちひろっていつもおんなじね」って言われてしまいそうな気がするんですが。よけいなお世話だけど。つうかたった一枚だけで判断はできないよね。

5月23日(水)ほとんど雨
▼「○○先生に励ましのお便りを出そう」「○○先生の漫画が読めるのは本誌だけ」などと雑誌の柱に書かれている。
この「先生」という尊称は、一般的には何かを教え願い、師事してもらっている人間に対して付ける。
 例外は政治家らしいが「あの人はセンセイと呼ばないといけないから」などと揶揄の対象になっている、らしいのだが、実際にそのような境遇に(旅人が)いないので、どこまでの慣習なのかはっきりしない。
 今、「センセイ」と書いたが、この呼び方は揶揄として使われることが多くなってきた。揶揄のときはカタカナ表記が似合う。
 そして、もうひとつの呼び方が、漫画家に対する「先生」という呼び方だ。
▼かつての漫画は年少の、それも小学生ぐらいまでを対象として、作品も雑誌も作られてきた。藤子不二雄Aの「まんが道」を読むと、投稿している作品が明らかに小学生ぐらいを対象としているし、あの時代は電車に乗っている大人が漫画雑誌を読む、なんてこともない時代でしょう。
 そんな中では、漫画を描く人は絶対と言っていいほど読者より年長となるのだから、年長に敬意を表して「先生」と呼ぶようになったのではないかと。
 今は青年誌やもっと上の年齢の読者を対象とした漫画雑誌が増えてきた。作家が必ず読者より年上だとは言い難い。その中で「○○先生に励ましのお便りを〜」の言い回しだけが残ってしまったのではないかと……どうしようもない説を挙げる前に辞書を引こう。

せんせい 【先生】

〔(5)が原義〕
(1)学問・技芸などを教える人。また、自分が教えを受けている人。師。師匠。また、特に、学校の教員。「お花の―」「書道の―」
(2)学芸に長じた人。「駿台―(=室鳩巣)」
(3)師匠・教師・医師・弁護士・国会議員などを敬って呼ぶ語。代名詞的にも用いる。また、人名のあとに付けて敬称としても用いる。「―、いろいろお世話になりました」「中村―」
(4)親しみやからかいの気持ちを込めて、他人をさす語。「大将」「やっこさん」に似た意で用いる。「―ご執心のようだな」
(5)自分より先に生まれた人。年長者。⇔後生(こうせい)
(大辞林第二版)


 漫画家を「芸術家」と定義すれば(2)や(3)という意味合いはあるし、(4)の場合もあるということだ。
▼ここまでなぜつらつらと考えてみたのかというと、Webの漫画関連の掲示板で「○○先生」と呼称することがしばしば話題になるからである。
 たいていは、「○○先生」と呼んだ人間を他の者が糾弾する、という図式がある。先に述べたように、揶揄の対象としても聞こえるのだから。
 たいていは水かけ議論となる。両者とも「自分が正しい」と思っているし、決め手なし。

5月24日(木)やっぱり雨
▼小泉総理の高支持率に関して各雑誌がいろいろと特集を組んでいるが、何でまたことごとく芸能人の魅力研究みたいになるのだろう。前総理のように「何をやってきたのか国民にはさっぱりわからない人物」というわけでもあるまいに。もっと本人の政治的な実績や功罪について突っ込めないんだろうか。別れた奥さんがインタビューに答えたり、その内容をさらに実弟が「事実と違う」と反論したり。まるっきり芸能スクープ的扱い。
 X JAPANをカラオケで歌うことばかりが有名になってもしょうがないでしょ。キャラで支持されたらキャラで嫌われかねない。

5月25日(金)晴れ
▼給料日にして金曜日なので、終業時もそのままどこかへ一杯というコースは取らず。
 池袋リブロで井川遥写真集「Smiley Smile」買う――というのは嘘で、ボリス・ヴィアン「心臓抜き」(ハヤカワepi文庫)買う。早川書房はボリス・ヴィアンの全集も出していたし、ダニエル・キイス文庫みたいに出し惜しみせずにどんどん文庫化してほしいものです。
 ただこれはダニエル・キイス文庫にも言えるけど、通常のハヤカワ文庫のフォントサイズより大きめにしたせいで判型も大きくなり、書店のレジのお姉さんは新書用のカバーをかけてくれたので、明らかに大きめのカバーの半分くらいが余ってしまってます。
 池袋タワーレコードでthee michelle gun elephant「ロデオ・タンデム・ビート・スペクター」買う。正確には全部貯まったポイントカードと引き替え。
 タワレコはパルコの中にあって、給料日狙いなのか、あちこちに買い物カード申し込みのブースがあってうざったかったです。邦楽売場の両方の出入り口にブース作るなよ。

5月26日(土)曇りのち雨
▼掲示板にも書いたけど、plasticの広告に浮かび上がったのが、「the虎舞竜の『ロード』完結」の文字。それを見て思ったのが、ヴォーカル嫁はまだ十代なんだから水着写真集は出し惜しみなく出してくれ、ということ。(調べたらこの人はまだ写真集を一冊しか出してなかったのね)
▼青柳祐美子「バオバブの記憶」(文藝春秋)/鈴木清剛「ハーイ! デイズナイト」(河出書房新社)/シーナ・ヴィンチ「おとなは知らない」(泉典子訳/早川書房)/「荀子」(澤田多喜男・小野四平訳/中公クラシックス)
▼吉行淳之介「わが文学生活」(講談社)/開高健「ALL MY TOMORROWS II」(角川文庫)

5月27日(日)雨っぽい
▼午後からやっと洗濯をして、夕方から銀座へ。(54)
▼ペアルック。
 普通に思い浮かぶのは、男と女がまったく同じものを着るパターン。
 男と女ではそれぞれ、本来の体型に特有の相違が多いため、トレーナーやTシャツのようなありきたりなものに限られる。男にブラウスを着ろと言っても無理がある。
 そこで、服の種類は別ながら、全く同じ色の服をそれぞれ選んで(買うときに示し合わせたのでしょうね)着こなす。
 今日、丸の内線の改札ですれちがったカップルは、明るい紫を身にまとっていた。こういう人たちに遭遇するところが銀座だ。

5月28日(月)晴れ
▼一昨日に書いた三船”ヴォーカル嫁は十八歳”美佳の最近の写真を見て、ヤンキーかギャルに見えても(言い過ぎ)人妻には見えない。安室も単体で歌っている姿は息子の姿を連想させないし。先頃まで懐妊で世を騒がせた女性たちも、復帰したら、子どもなんていないみたいに仕事をし始めるのだろう。
 電車で乗り合わせるギャルママを見ても、体型はほとんど変化していない。顔つきもまだまだ若々しいのを通り越して幼かったりするし。周囲を圧倒させるほどの派手派手しさは、おそらく子どもを産む前から変わっていないのだろう。
 マスコミでは、「子どもを産んでも自分の価値観は変えないように」などとギャルママ礼賛を謳っているけど、そんな単純でいいのかね。確かに従来の母親像にいきなり擦り寄れというのも無理があるのだろうが。
「らしさ」から頑なに退こうという姿勢は、包括しようとする主体性まで放棄してしまうのではないかと。
 最近、雑誌を賑わしている「実の母親とは思えない行為に及んだ人々」の写真を見るにつけ、そんなことを考えてみた。
 既婚の女性や母親になった女性を敵に回しそうな発言だけど。

5月29日(火)晴れと夕立
▼おそらくは「egg」の読者でも動向を注目していないであろう、ブリテリが今週の「FLASH」に載ってました。ガングロメイクを取ってVシネマに出たんだということで。ちなみに知らない人に説明すれば、「ブリテリ」は人名です一応。カリスマギャルだかカリスマ読者だかで。(「FLASH」に掲載されている肩書きは「ファッションリーダー」だった)
 美白になったから改めて惚れた、などということでは決してなくて、「ブリテリって、ブリの照り焼きみたいな顔だから、ブリテリって名乗ったんだろぉっっっっ、それを、それを、ギャルメイクをやめたら、ブリテリじゃないじゃないか! …………まるで河童の絵が描いてないかっぱえびせんみたいじゃないか!」と大槻ケンヂばりのシャウトで訴えかけたかっただけです。

5月30日(水)曇り、夜になって雨
▼会社を七時前に出て新宿へ。(22)
▼自分の年齢を当ててみろと言ってみた。「26か27ぐらいね。少なくとも25以下じゃない」との返答。その理由を聞いてみたら「声に張りがないから」だと。
 確かに十代や二十代前半ぐらいの、あのはしゃぐような声は自分には出せなくなってきた。顔は若そうに見えてもしっかり歳をとっていたようで。
 別の人に「ハスキーな声」というありがたいお言葉もいだたいたが、これは単に、仕事の疲れと酒でつぶれてきているのだと思います。

5月31日(木)雨のち曇り
オフコース「君住む街へ」
 まあ小田和正の「君住む街へ」と言ってもいいのかもしれないけど。再びこの曲のレビュー。今月のウィンドウタイトルにもしたし。
 出だしが「そんなに自分を責めないで/過去はいつでも鮮やかなもの/死にたいくらい辛くても/都会の闇へ消えそうな時でも」とくる。「死にたいくらい」という重たい言葉まで使って、堕ちるまで堕ちこんでいた聞き手をぐっと引っ張る役割を果たす。
 実のところ、鈴木康博脱退のオフコースというのは「華やかな都会」だの「大人の恋愛」だの、モチーフがどうもフォークソングのような直接的なメッセージからかけ離れていたように思う。当時の年齢がそうさせていたのか、当時のバンドブーム全盛の中、稚拙に聞こえてしまうようなわかりやすい言い回しをあえて避けていこうとしていたのか。
 結果的には発売当時の1988年の翌年に解散してしまったのだけど。
「君住む街まで/飛んでゆくよ/ひとりと/思わないで/いつでも」という部分は、ミュージシャンがライブツアーをする決意表明にも聞こえるし、異性だか友だちだか曖昧な立場の「同胞」の呼びかけにも聞こえる。こうやって、どのようにも想像できるのが小田和正の歌詞の良さなのですが。

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