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◆このページの各日付の内容に直接リンクするときは
「http://www2s.biglobe.ne.jp/~NITE_DAY/200107nikki_2.htm#2001/07/XX」
と記述してください。

7月11日(水)晴れ
▼思いつきで手を出してしまいました。iモードバージョンのwebページに。
 ひとつは、いつも日記内に書いている書評の一日分の量なら、携帯電話のブラウザ上でも十分に表示できるのではないかと考えたので。
 もうひとつは、パソコンを持っていないけど携帯電話なら持っている人にも見せられることが可能だと考えたので。
 あともうひとつ。このサイトは諸事情により98年以前の日記を削除してしまいましたが、書評だけなら古いものも復活させられることができると考えたので。
 勢い余って一時間ちょい。今年に入って書いた分を(読んだ本すべてではないですが。たとえばネタばれ注意のようなミステリ系の本は載せません)iMode用のコンテンツに貼りつけて突貫工事のように作ってみました。URLは「http://www2s.biglobe.ne.jp/~NITE_DAY/i/tobira.htm」です。ぜひ皆さまの携帯上から見てみて感想などいただければ嬉しいです。ゆくゆくは書店で本を探すときにでも役立てていただけるようなものに――ってのは手前味噌な発言ですが。

7月12日(木)晴れ
▼昨日はあんなにも萌えて燃えてiModeサイトを作ったので、今日は朝から暑さのために頭痛、そして肩も痛い……。
 もうちょいとゆっくり更新しようかと思っていても、今日もまたせっせと昔の書評をWeb化しています。今月は回想モードに入ろうと思っていたのにいつのまにiModeサイト作りに励んでいるような月になりそうです。そもそも昨日の日記のお題は「テキスト系のiModeサイトを語る」ということで考えていたはずなのに……。こうなったらNight&DayiMode書評を読書好きの女子に広めてモテ系を目指すか。(絶対無理)

7月13日(金)晴れ 暑いのにわざわざ人が密集しているところに行くか>俺
▼会社を出て赤坂見附から新宿へ。(30) その後新宿タワーレコードへ。ルミネの他の階が全部閉まっているのにタワーだけ空いているとは太っ腹。一冊だけ残っていたロキッングオンジャパン買う。
▼今日もげしげしと((c)りゃんさん)iMode書評の更新してますわ。しっかし改めて四年前の文章を読むと……冷や汗が出て涼しいぜ。
 削除した部分の書評を復活させたい、と偉そうなこと行ってた割に、使い物にならない文章の多いこと……あの11冊(「天上の青」は上下巻だけど)は比較的「使えそう」なやつだったと思って下さい。
「インターネットはからっぽの洞窟」なんて本があるのが時代を感じさせます……そんな本あったこと俺も忘れてた。まるでたまごっち並。「薔薇の鬼ごっこ」の章なんて書評じゃねえよ。つうかもともと日記内で「なぜに私は野球が嫌いか」延々と述べた文章の一部でだってことだし。ロバート・J・ウォラーつうか「マディソン郡の橋」の今の文学史的な位置づけってどうなっているのでしょう。「スキップ」の章、実は「美也子さんはエヴァのアスカみたいなキャラ」なんて文もあったんですが、今の時代にそぐわないんで削りました。

7月14日(土)晴れ
▼昼間はiMode書評のために1998〜2000年の日記を斜め読み――って、自分の文章の濃さと、外の気温の暑さにげんなり。自分の文章に食あたりしてどうする。1999年から日記が方向転換して、そのへんからより濃くなっているような。
▼夕方から新宿へ行って(31)銀座へ行って(63)、それから池袋に着いたときにマサトクさん宅へ電話したら、宴たけなわのところだったのでお邪魔した。さっきまで公園で花火をしていたそうだ。書庫で一休みしていたら後方の押入から、眠っていた甲斐さんが、蒸し暑さに我慢できなくて出てきて、マサトクさんの二段ベッドの上に移動した。
 その後一時間ぐらいして僕がそこに寝ることにした。――なるほど、確かに暑い。

7月15日(日)晴れ
▼本日でサイト開設四周年。実は過去の日記を読み返して、日記の上では7月1日から始まっているので、とっくに五年目突入していたと言えなくもないですが。
 四年というと大学に入学した人が留年もせずに修学して卒業するまでの間。これ以上続けたら、「大学院進学」なのかそれとも「万年留年」なのか。少なくとも大学生並に方向性も決めずにだらだらと続けたサイトであることは間違いなく。
 過去の日記まで遡ると、今では交流のなくなった人の名前が出てくる。リンク先にもいつのまにやら閉鎖していたり休止していたりする人が数多い。(ちなみにこちらへのリンクがいつのまにか外されているケースもある。「リンクフリー」ってのは、剥がすのもフリーだから)みんなどこで何をしている? 僕はとりあえずネットから離れていない。文章も書き続けている。酒も飲み続けている。呆れるほど四年前と変わり映えしてない。アンゴルモアの大王や西暦二千年問題など、いくつかのオカルト的な不安をやり過ごした。だけど移ろいやすいこの世の中、不安をかき消してもまた別の不安に襲われる。現実的な問題はまるで喉笛にナイフを突きつけられてたちすくむように、じっとしている。
 君たちがどこかで無事に生きていてくれれば嬉しい。僕はあいかわらず「認められていない」ような気がする。何に認められていないのかは、これから決める。サイト開設五周年までに決められたらいいな。
▼(前日の続き)携帯の時刻表示が、午前五時を過ぎていた。始発も出ているだろうということでそろそろ帰ると皆に告げると、添田さんも帰るとのこと、一緒に池袋駅へ。
▼家に帰ってから寝直して、夕方から銀座へ。(64)

7月16日(月)晴れ ひどい砂埃
▼清野栄一「デッドエンド・スカイ」(河出書房新社)/伊藤たかみ「アンダー・マイ・サム」(青山出版社)/銀色夏生「夕方らせん」(新潮文庫)/「村上春樹とアメリカ――暴力性の由来」(吉田春生/彩流社)
辻仁成「嫉妬の香り」(小学館)
 この小説には駄目な男女が二人ずつ出てきて、だんだん駄目になっていきます。いやちがう、駄目になる課程に至れば至るほど、観念的な言葉で本の紙面が埋め尽くされてくるのに、堕ちていくリアルな感覚に引っ張られていきます。
 癒しの環境音楽や建築の設定に携わるという、こじゃれな職業と気の利いた会話、そして全編を担う、匂いについての探求。設定だけ読むとむかついてくるかもしれません。気障ったらしいかもしれません。だけど、彼らが「駄目になっていくのだろうな」というのは、章の始めからすぐに示唆されています。読者は持ち合わせたサディズムでもって、彼らの駄目さ加減。大人のふりをした子どもっぽさを観察していくこともできます。彼らの中に真の大人はいません。愛を守ろうとするより、たたき壊して再構築した方がましだという性急さがあり、それはいかにも子どもっぽくて、安っぽい未来しか信じていない考え方だから。その安っぽさでそれぞれが、その人なりの自滅をしていく……。

7月17日(火)晴れ 午後10時50分の夕立を頭からかぶる
清野栄一「デッドエンド・スカイ」(河出書房新社)
 各章の初出時期は、

ブルターニュ 14-1(1999年)
デッドエンド・スカイ(1995年12月)
140BPM(1998年6月)
パラダイス・ホテル(2000年4月)
ブルターニュ 14-2(2000年7月)

となっている。
 物語の主人公である博之は、初出時の「デッドエンド・スカイ」登場時に二十六歳で、「140BPM」のときは二十九歳、「パラダイス・ホテル」のときにはカメラマンを辞めてコンビニの店長になった三十三歳、昔ながらのブラザーである幸太郎やそのガールフレンドのカオリも、同様にして年をとっていく。そして場所も日本を越えて、異国の砂漠地帯にまで及んでいる。どこにいても、自分が自分で不在を感じているような彼ら。

「博之が何かを思い出したとするだろ? 昔のことじゃなくても、さっきおれは桃を食ってうまかったとか……でも、いくらこと細かに思い出してみたって、それは博之の世界でだけ成り立ってる話で、ほんとにあった現実とは違っちゃってるんだよ」
「それは、そうかもな」と博之はうなずいた。
「それがいっぱい積み重なって博之やおれがいるわけだろ?」(p67〜68)


 著者のあまたなる経験が織りなす万華鏡が開花する世界。ただし異国への旅が絡むからといって、決して読者を置いてきぼりにしないし、登場人物たちの成長と無関係にも無情にも過ぎて行く歳月に、読者がそれぞれの閉塞感を解放していってもらえる水先案内人を見るだろう。

7月18日(水)晴れ……の後また夕立か
▼午後七時半頃に会社を出て、赤坂見附まで行ってそれから新宿へ。(32)
 なんだかいつのまにやらまた夕立らしいのでビニール傘を借りて出る。西武新宿線方面に向かって、雨を顔に受けないように俯いて歩く白ベアトップの女の子が、大きめの傘をさした男に声をかけられている。こちらの傘はひとり分のスペースしかないので、それを横目で眺めつつJR新宿駅へ。

7月19日(木)晴れ 間にちょっと雨
銀色夏生「夕方らせん」(新潮文庫)
 小説の作風には、大なり小なり自分という存在を滲ませるかたちと、自分自身からまったくかけ離れたかたちを作り出す、大ざっぱに分ければそんな二分化がある。
 銀色夏生という人は厭世的なように見える。そのペンネームに、文庫の著者紹介に写真を入れたがらない姿勢、そして幻想的な詩や小説。
 それは一方的な見方だということもよくわかっている。刷数を重ねて十冊ぐらいにもなる『つれづれノート』(角川文庫)には、愛児や自らの写真、育児や離婚のことを潔く明かして、なおそれが自己憐憫につながらない清廉な文章になっている。
 この清廉さが、詩はまだしも小説になると、味の薄い夏の洋菓子のように、訴えかけるものが少ないのではないかと、身勝手な想像をしていたが、いざ実際に読んでみると、何作かははっきりとセクシャルなものを喚起させる文章であった。いやエロ語り、ってこととはまたちがうんだけどさ。

7月20日(祝)晴れ 夜半にかけて蒸してきた
▼今週末から来週にかけて忙しくなりそうなので、今日は一日中休息とします。書評作りも中断。しかし日中より夜の方が暑い。
 ところで海の日はたいてい休みじゃないという変なジンクスがあったのだが、今年は珍しくちゃんと休めているな。

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