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10月11日(木)晴れ
▼昨日の続き、みたいなもの。
 たとえばクラスの中で誰と誰が付き合っている、などという情報があったとして、巡りめぐって辿り着く順序からすると、わたくしめはクラスの男子で最後の方になる人間でしょう。(片っ方で、「内緒だからね」なんつって堂々と恋ばなを語られたりする一面もある。これは前にも言ったような)知ることによって自分に災難が降りかかる可能性だってなくはないんだから、わざわざ追い求めて自分に何の益もないことはやんない、という主義は、子どもの頃から持っていた。
 ネットがなくたって東スポ(関東以外の人は大スポや九スポだっけ)や噂の真相を買い求める人は存在して、一定の読者層が支えとなっていたはずだ。あれを社会的に見て「益なし」とは思わない。ただ自分がその仲間にはいないだろうということ。
 もっとも「自分の会社や融資を受けている銀行が危ない」なんていう、無関心ではすまされないことも多いから、否が応でも耳を傾けなければ身の危険となることも、大人になってから増えたんだけどね。色恋沙汰だけが噂の範疇だったあの平和な日々よ。
▼市井紗耶香が11月29日アルバム発売ってのは、もう決定なんですね。中澤裕子と元シャ乱Qたいせーのサポートってのがいまいちよくわからない組み合わせではありますが。
『なごり雪』以外の15曲に何が入っているのか予想でも書いておきましょう。荒井由実『あの日に帰りたい』中島みゆき『時代』竹内まりや『元気を出して』というベタなやつでも。
ヘミングウェイの息子グレゴリー・ヘミングウェイの死Beltorchicca

 年賀状に自分の子どもの写真を添付するという行為は、よくよく考えるとその子ども当人の意志を無視しているもので、自分がそうやって他人に顔を知られているという事実を後から知ったらどうなるかはまるで斟酌されていない。あくまで親の意志だけでね。
 親が小説家だったりすれば、なまじ文章力あるがゆえに小説・エッセイの中に当人が登場したりする。Beltorchiccaさんはそのことを指摘している。椎名誠『岳物語』の愛蔵版の後書きで、岳氏は自分がモデルにされたのがいかに嫌だったか面々と告白してたし。
 氷室冴子・群よう子などは母親をネタにしているが、両者とも「書かれたところで不都合なんかこのおばちゃんにありゃしないだろ」という位置付け。だからこそ乾いたままで読めるし。
 親戚縁者をネタにしている作品に共通しているのが、「血縁だから」という緩さ。いくらかフィクションが混じっているとはいえ、ゼロから発想した内容でなく、著者が覚悟を決めてこれを書いている感触がない。
 これに比べると、配偶者や不倫の相手をモデルにしている場合は、著者の覚悟のほとばしりは激しい。「他人じゃない」とは言っても、結婚という名の契約によって結ばれた間柄、あるいは契約に至らないまでの未熟な関係でしかなく、ある時期まで他人だったし、これから再び他人になってしまうかもしれない。そこに結ばれる緊張感は血縁の比でなく。

10月12日(金)晴れ
▼今号のsabraで、表紙の吉岡美穂の写真はめくると一枚のピンナップになっているのだが、身体を横たえつつ水着が見えるように正面を向いて構え(ってこれだけ書いてみると、実際に写真を撮っている姿って珍妙なものですね、よく見る態勢なのに)ているのに加えて、ページをめくると、右足は垂直に反り上げて、側の白い壁に、足の甲だけ平面上にぴったりとくっつけている。
 なんか不思議な姿勢。足攣りません?
▼夜から銀座へ。(84) 閉店まで飲んで、電車に乗ったら途中までしか行かない各駅停車のやつだった。タクシー使うほどでもないので秋の夜長の真ん中を歩く。見上げてもまたたく星を眺めてもオリオン座しか判別できない俺の理科知識。こないだ大阪で歩いたばかりなのに、一時間ちょいの徒歩で俺の足も攣りそう。

10月13日(土)晴れ
▼一昨日に書いた市井紗耶香のアルバムは中澤以外にも『恋のダンスサイト』時代のモーメンバーがいろいろ参加するようですね。『あの日に帰りたい』がほんとに入るとは。『翼をください』――これも入っているかと思ったんだけどベタなので一昨日言わなかったが……ほんとに入ってた。『サルビアの花』ってのはぜひ聴いてみたい。
▼池袋タワーレコードでシャーベッツ『Black Jenny』買う。
小谷野敦『片思いの発見』(新潮社)
 正統派論壇の位置から大衆週刊誌的視点で文学研究を行うこのお方。他の何を読んでも実は『もてない男』流の裁断方式が出現するんじゃないかと、ぼんやり思っていたけど本当にそうなんだからなあ。複数の風呂敷を広げて、畳まずに終わっているところも相変わらずのような。
 本書のメインは「三田文学」に連載された『恋、倫理、文学』。
 最初は片思いの話をしているのになぜか途中から「美人論」の話になって、恋に関係する美人の条件や、川端康成などの文学者における「男の女に対する視線」などなど……って、これ、どっちかと言えば『もてない男』のテキストだって言っても不思議じゃないような。らしいと言えばらしいんで、こういうところばかりリキ入れて読んでしまうんだけど。途中、有島武郎『或る女』と国木田独歩に関するテキストでかなり紙面を割いている部分は(僕にとって)霞んでしまった。
 最後に「優男的な近代日本文学は、やがて中上健次や村上龍などの肉体性優位な文学へ移る」って……強引な。このふたりは別に恋愛文学の代表でもないんだけど。村上春樹はどうなるんだ、この場合。

10月14日(日)晴れ
▼ハロモニ。観てからほとんど寝てました。先週、先々週と出かけていたのでずっと何もない土日でした。近所のガキンチョがうちのアパートの階段まで駆け上がってくるのでうぜえ。
橋本治『つばめの来る日』(角川文庫)
 短編集。前半まで読み進めて「何でこの人のエッセイはあんなにラディカルなのに、短編小説はいつもしみじみしているんだろう」と思っていると、後半になって違ってきた。
 ノートの貸し借りを通じて巡り会った大学の女友だち美由紀と、勉強することになってその子の部屋に単身入って、「男と女の予感」を感じつつも、持ってきてもらったコーヒーの薄さから「もしかしたら結婚とはこういうものかもしれない」と思いつつ、その場では勉強する以外に何事も起こらないままの直司。(水仙)親戚の縁故で建築会社に就職するが、とにかく女にもてない。地元のヘルスやフィリピーナの店に出入りしても自分の存在を女に覚えてもらえないと悩み、東京の出張で必ずデリバリーヘルスを頼み、女が出ていく時に違和感を感じる喜久雄。「なんで喜久雄がもてないのかというと、(中略)ただひたすらに目つきが悪いからだ。女を見ると緊張して、その緊張がすべて目に凝縮して表われる。それがいつの間にか、普段のものになってしまった。自分にしか関心がないから、女相手に冗談も言えない。喜久雄と向かい合った女は、緊張で脂汗をかいているような男に、すごい目つきで胸元を凝視されている結果になる。そんな男のことは一刻も早く忘れたいから、喜久雄のことは「いやな記憶」として処理され、忘れられてしまう。だから喜久雄は、女に顔を覚えてもらえない。記憶を取り戻すまでの女の空白が、矜り高い喜久雄には我慢出来ない。」歯ブラシ)身勝手な女に一方的に別れを切り出され、女遊びを続けるうちに他者との向かい方を見定め、独身寮を出てガーデニングを始めた貴雄。(カーテン)浮気の経験があり、それ以来妻とは気まずくなりつつも穏やかに暮らし続け、定年後の楽しみは自分よりずっと若いアイドルの水着写真集しかない耕三。(甘酒)料理学校で「コックの適性がない」として山のペンションに追いやられ、以後人間関係から遠い世界で長年暮らしていたが、ある青年が自分の職場にやってきたことで希望が見いだされた忠繁。(寒山拾得[かんざんじっとく]
 解説によると、「孤独なことに気づいていない男たちの、孤独についての小説」ということだ。
 青春期の孤独に対する容赦のなさは、『桃尻娘』(←関係ないけど、今、語尾に「。」つけそうになった)シリーズ時代から相変わらず。
「一人の人間を主人公にした短編小説を最低百本は書きたい」と語っている作者は同時に「今の女を書くのは難しい」とも語っている。そういえば九十年代以降になって、橋本治が女の子を主人公にした小説を書いているのをあまり目にしたことありませんでしたね。この方も五十代ですし、現代女子にシンクロできなくなったのか。村上龍のお家芸だけにしないで、ぜひ書いていただきたい、一読者のわがままですが。
▼ええと、初めて橋本治の小説を読む人に、蛇足ながら加えておきますが、ホモセクシャルのカップルが当たり前のようにいる空間は、橋本治小説の世界では普通ですから。この作品集だと『あじフライ』『寒山拾得』などがそれ。(なぜからレズピアンはいない)

10月15日(月)晴れ
薄井ゆうじ『透明な方舟』(光文社文庫)
 第五十一回小説現代新人賞受賞作『残像少年』を含む四篇。三十九歳でデビューという時期からして「追憶の季節」なのか、高度経済成長期の日本や少年の日の面影を懐かしむトーンで各短編が包まれている、というより、その後の薄井ゆうじの作風を決定づける要素が多い。自家撞着に陥らないで少女性に憧れを抱き、そして外へ出て働く大人の女性に敬意を払うことも忘れない――。

10月16日(火)晴れ
▼水道の水の冷たさだけでなく、洗濯物を取り込んだとき、冷気を含んだ風を吸い込んだ肌着の冷たさにも、忍び寄る冬の足音を感じる。
 僕はいつも眠気覚ましに、朝起きてからシャワーを浴びたり風呂につかったりしているのですが――電車の冷暖房、この季節はあったかいのとすずしいのと、どちら寄りにするか、混雑の状況や外の空気によって、触れ幅は大きいみたいで、今日はあったかめに設定されていました。
 んで、決して低血圧ではない僕にとっては、二日酔いでもないのに頭のてっぺんからつま先まで、スポンジ状になったような不快感があるのですね。
▼んで夜、銀座行った。飲んだ。(85) 明日もスポンジか。

10月17日(水)雨がち
▼会社が終わって銀座へ。(86) その後タワーレコード。
村上龍『イン・ザ・ミソスープ』(読売新聞社)
(小谷野敦によると)現代を代表する恋愛小説の書き手による、恋愛とまったく関係のない小説。
 つうか、自身の談話やこの本の書評などで有名になっている話ですが、この作品は読売夕刊で1997年1月〜7月まで連載されると同時期、神戸市須磨区の事件が発生し、当時十四歳の中学生が容疑者として逮捕された。
 ただ、著者が「あの事件の現実により、想像力世界が負けそうになった」と告白してはいても、直接あの事件の物語とこの物語の接点はかなり薄いとみていいと思う。
 非合法ながら、外人観光客を風俗に引率する稼業をしている二十歳のケンジ。彼は地元の母親に予備校に言っていると偽っているが、裏ではその稼業に手を染めつつ、女子高生ジュンとつきあっている。
 フランクと名乗る男からの依頼で、十二月二十九日から三日間のガイドを請け負った。しかし実際に会ったフランクは何か尋ねるごとに嘘をついているとわかるような素振り。そして笑ったときの顔が得体の知れないくらいに人工的である(この本の表紙にある装画みたいなやつなんでしょ)ことに、ケンジも、ケンジの知り合いである風俗の子も戦慄する――ケンジはフランクの正体を知ろうと企んでいるうちに――。
 この小説は一貫して「わからない」というフレーズが頻出する。ケンジがフランクに日本の文化、がんじがらめになった悪習、日本の女子のプライドのなさなど、元々の英語力が劣っている上に、こう説明するより仕方がないという説明をするが、フランクは「わからない」と言う。そう返されると、ケンジ自身も不安になってくる。今度はケンジ自身が「わかならい」と自問自答してしまう。  このフランクという登場人物は、本当にアメリカ人なのか、著者が作ったアメリカ人像で実際のアメリカ人とは乖離があるかもしれない。ひょっとすると日本国外の人間ならアメリカ人ではなく、どんな国の人間でも舞台装置として十分条件に達していたかもしれない。「日本人対異邦人」の図式に則っていれば。
 風俗で働く女の子、という村上龍による典型的な舞台装置を崩さずに、ある種の感傷を携えてラストまで引っ張ったのは立派。

10月18日(木)台風の雨
佐藤正午『ビコーズ』(光文社文庫)

■because
…という理由で[は], なぜかと言うと…だから; だからと言って.

 主人公が小説家、というところでメタフィクションの性格が強い小説――なのか? つうかいいのか? 女の子に向かって「北方謙三と立松和平は実物を知っているけど村上春樹は全然知らない」などと言う台詞なんて書いて。
 平易な言葉と、ところどころ改行を多様した文章で畳みかける青春の鬱。「どうしようもねえ奴」と、この主人公(重ねて、作者)を罵ってやろうと身構えて最後まで読んでしまうような小説。1986年初出なのにバブル期の描写がまったくないのがいい。
「ビコーズ」とは主人公の叔母が経営しているバーの名前だが、このタイトルの本当の意味はエンディングになって初めてわかる。

10月19日(金)晴れ
▼会社を出て銀座へ。(87)
 金曜日で、やっぱりそこそこ団体客が入る日なんだな、と周りを眺めつつ飲んでいたら、「やっぱり給料日前の金曜日ってこんなもんね(客の入りが)」という、従業員様の回答。おそらく来週の金曜は、この街の繁華街も、終電の車輌内もこんな閑散とした人の数じゃない、ということだけは、手に取るようにわかる。
 日本では経済の波と各個人の懐具合だけが、人の流れを左右している。引き潮と満ち潮のように。

10月20日(土)晴れ
「美少女ゲームにハマる」構図からオタクの精神性を慮る (sawadaspecial.com)

 女子高生ブームはいつから起きたのか、そして幾多のギャルゲーの中から「ときめきメモリアル」はなぜ大ヒットしたのか、そう決定的な論なんて誰も出していないのに、こうやって決めつけるのはいかがなものか。
「分離する人格」なんて便利なものは、少なくとも俺は持ち合わせていませんぜ。「夢の中まで現実的」だからですが。
▼『文藝』で新人賞を獲った綿矢りさの小説を読もうと思って近所の図書館に行ったんですが、書架の整理でしばらくお休み。結局買ってしまいました。なんかみんながすでに書評を上げてるんで、自分も書きたくてうずうずしてたんですが、早めに買っておけばよかったよ。
▼『文藝』買ってから銀座へ。(88)

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