1/15 [INDEX] [NEXT]

宇治拾遺物語 巻1


(『宇治拾遺物語・水鏡・大鏡・今鏡・増鏡』 國史大系17 經濟雜誌社 1901.12.24
※ 原文は句点のみ。句読点を区別し、鈎括弧を加えた。各話に通し番号を施し、段落を分けた。
※ 注記にあたっては、山崎麓校註『宇治拾遺物語・古今著聞集』を参照した。
(校註日本文学大系10 国民図書株式会社 1926.9.28)
〔原注〕(原注)【原本頭注】(*入力者注記)

 (序)  巻1  巻2  巻3  巻4  巻5  巻6  巻7  巻8  巻9  巻10  巻11  巻12  巻13  巻14  巻15

 1 道命阿闍梨と五条道祖神  2 平茸の暇乞い  3 こぶ取り爺  4 伴大納言の夢占  5 隨求陁羅尼の僧  6 師時玉茎検知  7 龍門聖と猟夫  8 易占千両を出す  9 心誉僧正の霊験  10 秦兼久の通俊批判  11 一生不犯と皮つるみ  12 稚児のそら寝  13 落花を惜しむ稚児  14 小藤太、聟を見舞う  15 鮭盗人の弁明  16 老尼、地蔵を見る  17 龍泉寺の百鬼夜行  18 芋粥
[TOP]

(序)

世に宇治大納言物語(*散逸物語〔説話集〕。今昔物語集とは異なると云う。)といふ物あり。此大納言はといふ人なり。西宮殿〔高明也。〕の孫俊賢大納言の第二の男なり。年たかうなりては、あつさをわびていとまを申て、五月より八月までは平等院一切經藏の南の山ぎはに南泉房といふ所にこもりゐられけり。さて宇治大納言とは聞えけり。もとゞりをゆひわけてをかしげなる(*原文「おかしげなる」)姿にて、むしろをいたにしきてすゞみゐはべりて、大なるうちは(*原文「うちわ」)をもてあふがせなどして、往來の者たかきいやしきをいはずよびあつめむかし物語をせさせて、我はうちにそひふして、かたるにしたがひておほきなる双紙にかゝれけり。天ぢくの事もあり、大唐のこともあり、日本の事もあり。それがうちにたふとき(*原文「たうとき」)こともあり、あはれなる事もあり、きたなき事もあり、少々はそら物語もあり、利口なることもあり、さま\〃/樣\/なり。世の人これをけうじみる。十五帖なり。その正本はつたはりて、侍從俊貞(*隆国六世の孫)といひし人のもとにぞありける。いかになりにけるにか、後にさかしき人々かきいれたるあひだ物語おほくなれり。大納言よりのちの事かき入たる本もあるにこそ。さるほどにいまの世に又物がたりかきいれたるいできたれり。大納言の物語にもれたるをひろひあつめ、またその後の事などかきあつめたるなるべし。名を宇治拾遺の物語といふ。宇治にのこれるをひろふとつけたるにや、又侍從を拾遺といへば宇治拾遺物がたりといへるにや、差別(*「しゃべつ・さべつ」)しりがたし、おぼつかなし。


[TOP]

宇治拾遺物語卷第一

[TOP]

1 道命阿闍梨於2和泉式部之許1讀經五條道祖神聽聞事

【此條、宜參東齋隨筆好色部】(*《参考》古事談〔巻3〕・今昔物語集〔巻12〕)今はむかし、道命(*どうめい)阿闍梨とて傅殿(道綱)の子にいろにふけりたる僧ありけり。和泉式部にかよひけり。經をめでたくよみけり。それがいづみしきぶがりゆきてふしたりけるに、目さめて經を心をすましてよみける程に、八卷よみはてゝあかつきにまどろまんとするほどに、人のけはひのしければ、「あれはたれぞ。」ととひければ、「おのれ(*原文「をのれ」)は五條西洞院の邊に候おきなに候。」とこたへければ、「こはなにごとぞ。」と道命いひければ、「この御經をこよひうけたまはりぬることの生々世々(*「しやうじやうせぜ」)わすれがたく候。」といひければ、道命「法花經をよみたてまつることはつねのことなり。などこよひしもいはるゝぞ。」といひければ、五條の齋(*道祖神を「塞(さへ・さい)の神」と呼ぶ。)いはく、「清くてよみまゐらせ(*原文「まいらせ」)給ときは、梵天・帝尺をはじめたてまつりて聽聞せさせ給へば、おきななどはちかづきまゐりて(*原文「まいりて」)うけたまはるにおよび(*原文「をよび」)候はず。こよひは御行水も候はでよみたてまつらせ給へば、梵天・帝尺も御聽聞候はぬひまにて、おきなまゐりよりて(*原文「まいりよりて」)うけたまはりてさぶらひぬることの、わすれがたく候なり。」とのたまひけり。
さればはかなくさい【さい、一本旡、當衍】(*「一本に旡し。當に衍なるべし。」の意。「さは」とも云う。)よみ奉るとも、きよくてよみたてまつるべきことなり。「念佛讀經、經(*衍字か。「四威儀」=行住坐臥、の誤植か。)威儀をやぶることなかれ。」と、恵心の御房【惠心僧都、姓卜部、父正親、和州葛城人、寛仁元年(*1017年)遷化】もいましめ給にこそ。


[TOP]

2 丹波國篠村平茸事

これも今はむかし、丹波國篠村(*桑田郡)といふところに、年比平茸【平茸、庖厨食鑑木曾義仲入京携之鎔應官容、自是成本邦珍味云々】やるかたもなくおほかりけり。里村のものこれをとりて人にもこゝろざし(*贈り)、またわれもくひなどしてとしごろすぐるほどに、その里にとりてむねとあるものゝゆめに、かしらおつかみ(*頭髪の五六分伸びたもの)なる法師どもの二三十人ばかりいできて、「申べきこと。」ゝいひければ、「いかなるひとぞ。」ととふに、「この法師ばらはこのとし比も宮づかへ(*原文「宮づかひ」)よくして候つるが、このさとの縁つきていまはよそへまかり候なんずることの、かつはあはれに、もしまたことのよしを申さではとおもひて、このよしを申なり。」といふとみて、うちおどろきて、「こはなにごとぞ。」と妻や子やなどにかたるほどに、またその里の人の夢にもこの定(*この通り)に見えたりとて、あまた同樣にかたれば、心もえでとしもくれぬ。
さて次のとしの九・十月にもなりぬるに、さき\〃/いでくるほどなれば、山に入て茸をもとむるに、すべて蔬(*原文「蔬」の疋を石に作る。くさびら〔草片〕=茸の類。)おほかたみえず。「いかなる事にか。」と里國の者思ひてすぐるほどに、故仲胤僧都とて説法ならびなき人いましけり。この事をきゝて、「こはいかに。『不淨説法する法師平茸にむまる。』といふことのある物を。」との給ひてけり。
さればいかにも\/平茸はくはざらんにことかくまじき物とぞ。


[TOP]

3 鬼にこぶとらるゝ事

これもいまはむかし、右のかほに大なるこぶあるおきなありけり。大よそ【よそ、原作かう、今從一本】(*「一本」は『宇治拾遺物語私註』の本文を指すと原本「凡例」にいう。あるいは「大かた」かと云う。この段に「大かた」の用例は多い。)山へ行ぬ。雨風はしたなくて(*激しくて)歸におよばで(*原文「をよばで」)、山の中に心にもあらずとまりぬ。又木こりもなかりけり。おそろしさすべきかたなし。木のうつぼの有けるにはひ入て、目もあはずかがまりてゐたるほどに、はるかより人の聲おほくしてどゞめき(*原文「とゞめき」)くるおと(*原文「をと」)す。いかにも山の中にたゞひとりゐたるに人のけはひのしければ、すこしいき出る心ちしてみいだしければ、大かたやう\/さま\〃/なる物どもあかき色には青き物をき、くろき色にはあかきものをき、たふさぎ(*原文「たうさき」、犢鼻褌〔ふんどし〕)にかき、大かた目一あるものあり、口なき物など大かたいかにもいふべきにあらぬ物ども百人ばかりひしめきあつまりて、火をてんのめ(*「天の目」で星の意かと云う。)のごとくにともして、我ゐたるうつぼ木のまへにゐまはりぬ。大かたいとゞ物おぼえず。
むねとあるとみゆる鬼よこ座(*正座)にゐたり。うらうへ(*左右)に二ならびに居なみたる鬼かずをしらず。そのすがたおの\/いひつくしがたし。酒まゐらせ(*原文「まいらせ」)あそぶありさま、この世の人のする定なり。たび\〃/かはらけはじまりて、むねとの鬼ことの外にゑひたるさまなり。すゑよりわかき鬼一人立て、折敷をかざしてなにといふにかくどき〔口説〕ぐせざること【ざ、原作せ、今從一本】をいひて、よこ座の鬼のまへにねりいでゝくどくめり。横座の鬼盃を左の手にもちてゑみこだれ(*笑い興ずる)たるさま、たゞこの世の人のごとし。舞て入ぬ。次第に下よりまふ。あしくよくまふもあり。
「あさまし。」とみるほどに、このよこ座にゐたる鬼のいふやう、「こよひの御あそびこそいつにもすぐれたれ。たゞしさもめづらしからん、かなで〔弄〕(*演奏・舞)をみばや。」などいふに、この翁ものゝつきたりけるにや、また神佛の思はせ給けるにや、「あはれはしりいでゝまはゞや。」とおもふを、一どはおもひかへしつ。それに(*しかるに)なにとなく鬼どもがうちあげたる拍子のよげにきこえければ、「さもあれたゞはしりいでゝまひてん。死なばさてありなん。」と思とりて、木のうつぼよりゑぼしははなにたれかけたる翁の、こしによき(*手斧)といふ木きるものさして、よこ座の鬼のゐたるまへにをどり(*原文「おどり」)出たり。この鬼どもをどりあがり(*原文「おどりあがり」)て、「こはなにぞ。」とさわぎ(*原文「さはぎ」)あへり。おきなのびあがりかゞまりてまふべきかぎり、すぢりもぢり(*身をくねらせて)えいごゑ(*原文「ゑいごゑ」。気合いを入れた掛け声の意。)をいだして一庭をはしりまはりまふ。よこ座の鬼よりはじめてあつまりゐたる鬼どもあざみ興ず。
よこ座の鬼のいはく、「おほくのとしごろこのあそびをしつれども、いまだかゝるものにこそあはざりつれ。いまよりこのおきなかやうの御あそびにかならずまゐれ(*原文「まいれ」)。」といふ。おきな申やう、「さたにおよび(*原文「をよび」)候はずまゐり(*原文「まいり」)候べし。このたびにはかにてをさめ(*原文「おさめ」)の手〔秘曲〕もわすれ候にたり。かやうに御らむにかなひ候はゞ、しづかに(*〔改めて〕落ち着いて)つかうまつり候はん。」といふ。よこ座の鬼、「いみじう申たり。かならずまゐる(*原文「まいる」)べきなり。」といふ。奧の座の三番にゐたる鬼、「この翁はかくは申候へども、まゐらぬ(*原文「まいらぬ」)ことも候はんずらん。おぼしゝ(*「『…。』とおぼえ候〔に〕」であるとも云う。)しちをやとらるべく候らん。」といふ。よこ座の鬼「しかるべし\〃/。」といひて、「なにをかとるべき。」とおの\/いひさたするに、よこ座の鬼のいふやう、「かのおきながつらにあるこぶをやとるべき。こぶはふくのものなればそれをやをしみ(*原文「おしみ」)おもふらん。」といふに、おきながいふやう、「たゞ目はなをばめすともこのこぶはゆるし給候はん。とし比もちて候ものを、ゆゑ(*原文「ゆへ」)なくめされすぢなきことに候なん。」といへば、よこ座の鬼、「かうをしみ(*原文「おしみ」)申物なり。たゞそれを取べし。」といへば、鬼よりて「さはとるぞ。」とて、ねぢてひくに大かたいたきことなし。「さてかならずこのたびの御あそびにまゐる(*原文「まいる」)べし。」とて、曉に鳥などもなきぬれば鬼どもかへりぬ。おきなかほをさぐるに年來ありしこぶあとかたなくかいのごひ(*原文「かひのごひ」)たるやうにつや\/なかりければ、木こらんこともわすれていへ(*原文「いゑ」)にかへりぬ。
妻のうば「こはいかなりつることぞ。」とゝへば、しか\〃/とかたる。「あさましき事かな。」といふ。となりにあるおきな左のかほに大なるこぶありけるが、このおきなこぶのうせたるをみて、「こはいかにしてこぶはうせ給たるぞ。いづこなる醫師のとり申たるぞ。我につたへ給へ。このこぶとらん。」といひければ、「これはくすしのとりたるにもあらず。しか\〃/の事ありて鬼のとりたるなり。」といひければ、「我その定にしてとらん。」とてことの次第をこまかにとひければをしへつ。このおきないふまゝにしてその木のうつぼに入てまちければ、まことにきくやうにして鬼どもいできたり。ゐまはりて酒のみあそびて、「いづらおきなは。まゐり(*原文「まいり」)たるか。」といひければ、このおきなおそろしと思ひながらゆるぎ出たれば(*慄えながら出ると)、鬼ども「こゝにおきなまゐり(*原文「まいり」)て候。」と申せば、よこ座の鬼「こちまゐれ(*原文「まいれ」)。とくまへ。」といへば、さきのおきなよりは天骨もなくおろ\/かなでたりければ、よこ座の鬼「このたびはわろく舞たり。かへす\〃/わろし。そのとりたりししちのこぶ返したべ。」といひければ、すゑつかたより鬼いできて、「しちのこぶかへしたぶぞ。」とて、いまかた\/(*原文「かた\〃/」。片方の意。)のかほになげつけたりければ、うらうへにこぶつきたるおきなにこそなりたりけれ。
ものうらやみはせまじき(*すまじき)ことなりとか。


[TOP]

4 伴大納言事

これもいまはむかし、伴大納言善男伴善男、事見三代實録江談抄古事談等】(*藤原種継暗殺事件に縁坐して佐渡に流罪になった伴国道の子。佐渡で生まれたという。国道は恩赦の後、参議に至る。応天門の変により伊豆に流され、謫所で没した。)は佐渡國郡司が從者なり。彼國にて善男夢にみるやう、西大寺と東大寺とをまたげてたちたりと見て、妻の女にこのよしをかたる。めのいはく、「そこのまたこそさかれんずらめ。」とあはするに、善男おどろきて「よしなきことをかたりてけるかな。」とおそれおもひて、しうの郡司が家へ行むかふ所に、郡司きはめたる相人也けるが、日來はさもせぬにことのほかに饗應(*「きやうよう・きやうおう」)して、わらふだ〔円座〕とりいでむかひてめしのぼせければ、善男あやしみをなして、「我をすかしのぼせて妻のいひつるやうにまたなどさかんずるやらむ。」とおそれ思ほどに、郡司がいはく、「汝やんごとなき高相の夢みてけり。それによしなき人にかたりてけり。かならず大位にはいたるとも、こといできてつみをかうぶらんぞ。」といふ。しかるあひだ善男縁につきて上京して大納言にいたる。されども犯罪【犯罪、即應天門事也】をかうぶる。郡司が詞にたがはず。


[TOP]

5 隨(*原文「随」)求陁(*■(阜偏+施の旁:だ:〈=陀〉:大漢和41601))羅尼籠額法師事

これもいまはむかし、人のもとにゆゝしくこと\〃/しく負斧ほら貝腰につけ錫杖つきなどし、たゞ山伏のこと\〃/しげなる入來て、侍の立蔀の内の小庭にたちけるを、侍「あれはいかなる御房ぞ。」ととひければ、「これは日比白山に侍つるが、みたけ(*金峰山)へまゐり(*原文「まいり」)ていま二千日候はんと仕候つるがときれう〔齋料〕(*米銭)つきて侍り。『まかりあづからん。』と申あげ給へ。」といひてたてり。
みれば額・まゆのあひだのほどにかうぎは〔髪際〕によりて二すんばかりきずあり。いまだなまいえ(*原文「なまいゑ」)にてあかみたり。侍とうて(*原文「とふて」)いふやう、「そのひたひ(*原文「ひたい」)のきずはいかなる事ぞ。」ととふ。山臥いとたふとしく(*原文「たうとしく」。但し「たふとし」はク活用。「たふと\/しく」であるとも云う。)こゑをなしていふやう、「これは隨(*原文「随」)求陀羅尼をこめたるぞ。」とこたふ。侍のものども「ゆゝしきことにこそ侍れ。足手の指などきりたるはあまたみゆれども額やぶれて陁羅尼こめたるこそみるともおぼえね。」といひあひたるほどに、十七八ばかりなる小侍(*「こさぶらひ・こざむらひ」)のふとはしり出てうちみて、「あなかたはらいたの(*笑止な)法師や。なんでう随求陀羅尼をこめんずるぞ。あれは七條町に江冠者が家の、おほひんがしにあるいもじ〔鑄物師〕が妻を、みそか\/にいりふし\/せしほどに、去年の夏いりふしたりけるに、男のいもじかへりあひたりければ、とる物もとりあへずにげて西へはしる。冠者が家のまへほどにて追つめられてさいづへ〔鏄〕して額をうちわられたりしぞかし。冠者もみしは。」といふを、あさましと人どもきゝてやまぶしがかほをみれば、すこしもことと思たる氣色もせず、すこしまのし(*目を見張る、または真面目くさった顔つきをする意という。)たるやうにて、「そのついでにこめたるぞ。」とつれなういひたるときに、あつまれる人ども一度にはとわらひたるまぎれににげていにけり。


[TOP]

6 中納言師時法師の玉莖撿(*■(手偏+僉:れん・けん:巡察する:大漢和12779))知事

これもいまはむかし、中納言師時といふ人おはしけり。其御もとにことのほかに色くろき墨ぞめの衣のみじかきに不動袈裟(*修験者の着る結い袈裟。)といふけさをかけて、木練子(*「もくれんじ・むくろじ」)の念珠(*「ねんじゆ・ねんず」)の大なるくりさげたる聖法師入きてたてり。中納言「あれはなにする僧ぞ。」とたづねらるゝに、ことの外にこゑをあはれげになして、「かりの世にはかなく候をしのびがたくて、無始よりこのかた生死に流轉するは、せんずる所煩惱にひかへられて、いまにかくてうき世を出やらぬにこそ。これを無益なりと思とりて、ぼんのふをきりすてゝ、ひとへにこのたび生死のさかひをいでなんとおもひとりたる聖人に候。」といふ。
中納言「さて煩のふをきりすつとはいかに。」ととひ給へば、「くは(*さあ)これを御らんぜよ。」といひて、衣のまへをかきあけてみすれば、まことにまめやかのはなくてひげばかりあり。「こはふしぎのことかな。」と見給ほどに、しもにさがりたるふくろのことのほかにおぼえて、「人やある。」とよび給へば、侍二三人いできたり。中納言「その法師ひきはれ。」との給へば、ひじりまのしをして、あみだ佛申て「とく\/いかにもし給へ。」といひて、あはれげなるかほけしきをして、あしをうちひろげておろねぶり(*原文「をろねぶり」)たるを、中納言「あしをひきひろげよ。」とのたまへば、二三人よりて引ひろげつ。さて小侍の十二三ばかりなるがあるをめしいでゝ、「あの法しのまたのうへを手をひろげてあげおろし(*原文「をろし」)さすれ。」との給へば、そのまゝにふくらかなる手してあげおろしさする。とばかりあるほどに、この聖まのしをして「いまはさておはせ。」といひけるを、中納言「よげになりにたり。たゞさすれ。それ\/。」とありければ、聖「さまあしく候。いまはさて。」といふを、あやにくぞさすりふせけるほどに、毛の中より松だけのおほきやかなるものゝ、ふら\/といできてはらにすは\/とうちつけたり。中納言をはじめてそこらつどひたる物どももろごゑにわらふ。聖も手をうちてふしまろびわらひけり。
はやうまめやか物をしたのふくろへひねりいれて、そくひ(*続飯)にて毛をとりつけて、さりげなくして人をはかりて、物をこはんとしたりけるなり。狂惑(*誑惑・ぺてん師。「枉惑〔わうわく〕」とも云う。)の法師にてありける。


[TOP]

7 龍門聖鹿にかはらんとする事

(*古事談〔巻3〕にも有り。)大和國に龍門(*「りようもん」。大和国吉野郡の寺名。僧義淵の創立。)といふ所に聖ありけり。すみける所を名にて龍門の聖とぞいひける。そのひじりのしたしくしりたりけるさと人(*「男」とするテキストもある。)の、あけくれしゝをころしけるに、ともし(*照射。夏山の猟で火串に松明を灯し、鹿をおびき寄せて射る猟法。)といふことをしける比、いみじうくらかりける夜照射に出にけり。鹿をもとめありく程に目をあはせたりければ、「しゝありけり。」とておしまはし(*原文「をしまはし」)\/するに、たしかに目をあはせたり。矢比にまはしよりてほぐし(*火串)に引かけて、矢をはげていんとて弓ふりたてみるに、この鹿の目のあひのれいの鹿の目のあはひよりも近くて、目の色もかはりたりければ、「あやし。」とおもひて弓を引さしてよくみけるに、なほ(*原文「なを」)あやしかりければ、矢をはづして火をとりてみるに、「鹿の目にはあらぬなりけり。」とみて、「おきばおきよ。」とおもひてちかくまはしよせてみれば、身は一ちやう(*一張)の革にてあり。「なほ(*原文「なを」)鹿なり。」とて又いんとするに、なほ(*原文「なを」)目のあらざりければたゞうちにうちよせてみるに、法師の頭にみなしつ。「こはいかに。」とみており走て火うちふきてしひを〔椎折〕りとり【り、據一本補】(*「しひをとりて」「火をとりて」とするテキストもあると云う。「しひ」は灯心の「心」の訛音とも云う。あるいは「『強ひ(て)居り。』とて」か。)みれば、このの目うちたゝきてしゝの皮を引かづきてそひふし給へり。
「こはいかにかくてはおはしますぞ。」といへば、ほろ\/となきて「わぬしがせいすることをきかず、いたくこの鹿をころす。『われ鹿にかはりてころされなば、さりともすこしはとゞまりなん。』と思へば、かくていられんとしてをる(*原文「おる」)なり。くちをしう(*原文「くちおしう」)いざりつ。」との給ふに、この男ふしまろびなきて、「かくまでおぼしけることをあながちにし侍ける事。」とて、そこにて刀をぬきて弓うちきり、やなぐひみなをりくだき(*原文「おりくだき」)て、もとどりきりてやがて聖にぐして法師になりて、のおはしけるがかぎりひじりにつかはれて、ひじりうせ給ければ、又そこにぞおこなひてゐたりけるとなん。


[TOP]

8 易のうらなひして金とり出したる事

旅人のやどもとめけるに、大きやかなる家のあばれたるがありけるによりて、「こゝにやどし給てんや。」といへば、女ごゑにて「よきこと。やどり給へ。」といへば、みなおりゐにけり。屋おほきなれども人のありげもなし。たゞ女一人ぞあるけはひしける。かくて夜あけにければ、物くひしたゝめていでゝゆくを、此家にある女いできて、「えいでおはせじ。とゞまり給へ。」といふ。「こはいかに。」とゝへば、「おのれ(*原文「をのれ」)が金千兩おひ(*原文「をひ」)給へり。そのわきまへ(*弁済)してこそ出給はめ。」といへば、この旅人ずんざ〔從者〕どもわらひて、「あらじや。ざん(*讒か。)なめり。(*原文「あらしや。さんなめり。」)」といへば、このたび人「しばし。」といひて又おりゐて、皮子(*皮籠)をこひよせて、幕引めぐらしてしばしばかりありて、此女をよびければ出きにけり。
旅人とふやうは、「この親はもし易の占といふことやせられし。」とゝへば、「いさ(*原文「いざ」)さや侍けん。そのし給ふやうなる事はし給き。」といへば、「さりなむ。【さりなむ、原作さるなる、今從】(*一本に従う意か。「さならむ。」か。「さるなり。」とするテキストもあると云う。)」といひて、「さてもなに事にて『千兩金おひ(*原文「をひ」)たる、そのわきまへせよ。』とはいふぞ。」ととへば、「おのれ(*原文「をのれ」)がおやのうせ侍しをり(*原文「おり」)に世中にあるべきほどの物などえさせおきて(*原文「をきて」)申しやう、『いまなん十年ありてその月に、こゝに旅人來てやどらんとす。その人は我金を千兩おひ(*原文「をひ」)たる人なり。それにその金をこひてたへがたからんをり(*原文「おり」)はうりてすぎよ。』と申しかば、晋史云隗炤(*■(火偏+召:しょう:照る・照らす・光る・明らか:大漢和18939)。隗焔か。)善易臨死書板云々、事與本條相似、宜參考之】(*《参考》晋書藝術伝・捜神記〔巻3〕)今までは親のえさせて侍し物をすこしづゝもうりつかひて、ことしとなりてはうるべき物も侍らぬまゝに、『いつしか我親のいひし月日のとくこかし。』と待侍つるに、けふにあたりておはしてやどり給へれば、『金おひ(*原文「をひ」)給へる人なり。』と思て申なり。」といへば、「金の事はまことなり。さることあるらん。」とて、女をかたすみに引てゆきて、人にもしらせではしらをたゝかすれば、うつぼなるこゑのする所を、「くはこれが中にのたまふ金はあるぞ。あけてすこしづゝとりいでゝつかひ給へ。」とをしへて出ていにけり。
この女のおやのえき(*原文「ゑき」)の占の上手にて、此女のありさまをかんがへけるに、「いま十年ありてまづしくならんとす。その月日易の占する男きてやどらんずる。」とかんがへて、「かゝる金ある。」とつげてはまだしきにとりいでゝつかひうしなひてはまづしくならんほどに、つかふ(*原文「つかう」)物なくてまどひなん。」と思てしかいひをしへ死ける後にもこの家をもうりうしなはずして、けふをまちつけてこの人をかくせめければ、これもえき(*原文「ゑき」)の占する物にて、こゝろをえてうらなひいだしてをしへいでゝいにけるなりけり。えき(*原文「ゑき」)の卜(*占)は行すゑを掌のやうにさしてしる事にてありける也。


[TOP]

9 宇治殿倒れさせ給て實相房(*心誉の僧坊か。)僧正驗者にめさるゝ事

(*《参照》古事談これもいまはむかし、高陽院(*中御門南堀河東)造らるゝ間宇治殿(頼通)御騎馬にてわたらせ給あひだたふれ(*原文「たうれ」)させ給て、心ちたがはせ給ふ。心譽僧正心譽僧正、三井長吏、左馬頭重頼(*藤原重輔とも云う。)男】に祈られんとてめしにつかはすほどに、いまだまゐら(*原文「まいら」)ざるさきに女房の局(*原文「■(戸垂/句::古字:大漢和77190)」)なるに女(*「に女」を「小女」とも、「に」を欠くテキストもあると云う。)に物つきて申ていはく、「別のことにあらず。きと目みいれ(*「目見入る」で魅入る意。)たてまつるによりてかくおはしますなり。僧正まゐら(*原文「まいら」)れざるさきに護法(*護法童子)さきだちてまゐり(*原文「まいり」)て、おひはらひ(*原文「をひはらひ」)さぶらへばにげをはりぬ。」とこそ申けれ。則よくならせ給にけり。心譽僧正いみじかりぬる事。


[TOP]

10 秦兼久向2通俊卿許1惡口事

(*《参照》袋草子今物語いまはむかし、治部卿通俊卿後拾遺をえらばれけるとき、秦兼久(*後出の歌は兼久の父兼方の作。)行向て「おのづから(*原文「をのづから」)哥などやいる。」と思てうかゞひけるに、治部卿いでゐて物がたりして、「いかなるうたかよみたる。」といはれければ、「はか\〃/しき候はず。後三條院かくれさせ給てのち、圓宗寺【圓宗寺、後三 (*原文頭注1字欠)御願、本名圓明寺】(*山城国葛野郡)にまゐり(*原文「まいり」)て候しに、花のにほひはむかしにもかはらず侍しかばつかうまつりて候しなり。」とて、
こぞみしに 色もかはらず さきにけり 花こそものは おもはざりけれ (*金葉集・雑上、兼方
とこそ仕りて候しか。」といひければ、通俊卿「よろしくよみたり。たゞし、けれ・けり・けるなどいふ事はいとしもなきこと葉なり。それはさることにて「花こそ」(*「こそ」は接尾語で愛称を表す。)という文字こそめのわらはなどの名にしつべけれ。」とていともほめられざりければ、ことばずくなにてたちて、侍どもありける所に(*「所によりて」とするテキストもあると云う)、「この殿は大かた哥のありさましり給はぬにこそ。かゝる人の撰集うけたまはりておはするはあさましきことかな。四條大納言(公任)(*「の」を入れるテキストもあると云う。)哥に、
春きてぞ 人もとひける やまざとは はなこそやどの あるじなりけれ (*拾遺集
とよみ給へるは、『めでたき哥』とて世の人ぐちにのりて申めるは。その哥に『人もとひける』とあり、また『やどのあるじなりけれ』とあめるは。『はなこそ』といひたるはそれにはおなじさまなるに、いかなれば四條大納言のはめでたく、兼久はわろかるべきぞ。かゝる人の撰集うけたまはりてえらび給あさましきことなり。」といひて出にけり。さぶらひ通俊のもとへ行て「兼久こそかう\/申て出ぬれ。」とかたりければ、治部卿(通俊)うちうなづきて「さりけり、\/。ものないひそ。」とぞいはれける。


[TOP]

11 源大納言雅俊一生不犯僧に金うたせたる事

これも今はむかし、京極の源大納言雅俊雅俊、右大臣顯房公男、母美濃守良住女】(*具平親王孫。)といふ人おはしけり。佛事をせられけるに佛前にて僧に鐘をうたせて一生不犯なるをえらびて講を行なはれけるに、ある僧の禮盤(*「らいばん・らいはん」。仏前の高座。)にのぼりてすこしかほけしきたがひたるやうに成て、鐘木(*撞木)をとりてふりまはしてうちもやらでしばしばかりありければ、大納言「いかに。」と思はれけるほどに、やゝひさしく物もいはでありければ、人どもおぼつかなく思けるほどに、この僧わなゝきたるこゑにて「かはつるみはいかゞ候べき。」といひたるに、諸人おとがひをはなちてわらひたるに、一人の侍ありて、「かはつるみはいくつ【く、一本旡】ばかりにてさぶらひしぞ。」と問たるに、この僧くびをひねりて「きと夜べもしてさぶらひき。」といふに、大かたどよみあへり。そのまぎれにはやうにげにけりとぞ。


[TOP]

12 兒のかい餅(*仮名書きのテキストは「かいもち」とする。)するにそらねいりしたる事

これも今はむかし、比叡の山にちごありけり。僧だちよひのつれ\〃/に「いざかいもちひ(*原文「かひもちい」)(*「掻き餅」の意。ぼた餅・おはぎ)せん。」といひけるを、このちご心よせにきゝけり。さりとて「しいださんをまちてねざらんもわろかりなん。」と思て、かた\/(*原文「かた\〃/」)によりてねたるよしにて出くるを待けるに、すでにしいだしたるさまにてひしめきあひたり。このちご「さだめておどろかさんずらん。」とまちゐたるに、僧の「物申さぶらはん。おどろかせ給へ。」といふを、「うれし。」とはおもへども、「たゞ一どにいらへんも、『待けるか。』ともぞおもふ。」とて、「いま一こゑよばれていらへん。」と念じてねたるほどに、「や、なおこしたてまつりそ。をさなき(*原文「おさなき」)人はね入給にけり。」といふこゑのしければ、「あなわびし。」と思て、「いま一どおこせかし。」とおもひねにきけば、ひし\/とたゞくひにくふおと(*原文「をと」)のしければ、すべなくて(*「すち〔ずち〕なくて」とするテキストもあると云う。)むごの後に「えい。」といらへたりければ、僧達わらふことかぎりなし。


[TOP]

13 田舍のちご櫻のちるを見てなく事

これも今はむかし、ゐ中のちごのひえの山へのぼり(*原文「の(1字脱)り」)たりけるが、櫻のめでたくさきたりけるに、風のはげしくふきけるをみて、このちごさめ\〃/となきけるをみて、僧のやはらよりて「などかうはなかせ給ふぞ。この花のちるををしう(*原文「おしう」)おぼえさせ給か。櫻ははかなき物にてかくほどなくうつろひ候なり。されどもさのみぞさぶらふ。」となぐさめければ、「櫻のちらんはあながちにいかゞせん、くるしからず。我てゝの作たる麥の花ちりて實のいらざらんおもふがわびしき。」といひて、さくりあげてよゝとなきける【る、原作れ、據一本改】(*「なきけるは」「なきければ」とするテキストもあると云う)、うたてしやな。


[TOP]

14 小藤太聟におどされたる事

これも今はむかし、源大納言定房定房、右大臣雅定公男、文治四年六月十九日出家】(*源顕房の孫久我太政大臣雅実の子とも云う。)といひける人の許に、小藤太といふ侍ありけり。やがて女にあひぐしてぞありける。むすめもめな【或當作女房、下同】(*「めな」は「女房」の草体を誤読したものかと云う。)にてつかはれけり。この小藤太は殿の沙汰をしければ、三とほり(*原文「とをり」)四とほり(*原文「とをり」)(*三重四重に)居ひろげてぞ有ける。
この女のめなになまりやうけし〔生寮家司〕(*生良家子ともいうが、未詳。)のかよひけるありけり。よひにしのびて局(*原文「■(戸垂/句::古字:大漢和77190)」、以下同じ。)へ入にけり。あかつきより雨ふりてえかへらで局にしのびてふしたりけり。この女のめなはうへゝのぼりにけり。此聟の君屏風を立まはしてねたりける。春雨いつとなくふりて歸べきやうもなく(*「て」を補うテキストもあると云う。)ふしたりけるに、このしうとの小藤太「此聟の君つれ\〃/にておはすらん。」(*「とて」を補うテキストもあると云う。)さかな折敷にすゑ(*原文「すへ」)てもちて、いまかた手に提(*「ひさげ」)に酒を入て、「えん(*原文「ゑん」)よりいらんは人みつべし。」と思て、おくの方よりさりげなくてもて行に、このむこの君はきぬをひきかづき(*原文「ひきかつぎ」)てのけざまにふしたりけり。この女房のとくおりよかしとつれ\〃/におもひてふしたりけるほどに、おくの方よりやり戸をあけられば(*「あけたれば」「あけければ」とするテキストもあると云う)、うたがひなくこの女房のうへよりおるゝぞとおもひて、きぬをば顔にかづき(*原文「かつぎ」)ながら、あの物【あ、イ本作前】をかきいだしてはらをそらしてけし\/とおこしければ、小藤太おびえてのけざれかへり【の、原作な、今從一本】(*「のけされかへり」「なけされかへり」とするテキストもあると云う。仰向けに倒れる意と云う。)けるほどに、さかなもうちちらし酒もさながらうちこぼして、大ひげをさゝげてのけざまにふしてたふれ(*原文「たをれ」)たり。かしらをあらう打て、まぐれ(*「まくれ」とも。「眩る」は目を回す意。)入てふせりけりとか。


[TOP]

15 大童子鮭ぬすみたる事

これもいまはむかし、越後國より鮭を馬におほせて廿駄ばかり粟田口より京へおひ(*原文「をひ」)(*「負ひ入る」か、「追ひ入る」か。)けり。それにあはたぐちの鍛冶が居たるほどに、いたゞきはげたる大童子(*「だいどうじ」。年長の童子。)のまみしぐれて物むつかしう(*原文「物むづかしう」)おもらかに(*原文「をもらかに」。「うらゝかに」とするテキストもあると云う。「うらゝかに」か。)もみえぬがこの鮭の馬の中に走入にけり。道はせばくて馬なにかとひしめきけるあひだ、この大童子走そひて鮭を二つひきぬきてふところへ引入てんげり(*原文「てんけり」)
さてさりげなくて走さきだちけるを、此鮭にぐしたる男見てけり。走先立て童のたてくび(*項)をとりて引とゞめていふやう、「わせんじやう(*我先生・和先生。お前さん。)はいかでこの鮭をぬすむぞ。」といひければ、大童子「さることなし。なにをしようこ(*原文「せうこ」)にてかうはの給ぞ。わぬしがとりてこのわらはにおほするなり。」といふ。かくひしめくほどにのぼりくだるもの市をなしてゆきもやらでみあひたり。さるほどにこの鮭のかうちやう〔口長〕(*綱丁。調庸を運ぶ一行の長。)「まさしくわせんじやう〔和先生〕とりてふところに引入つ。」といふ。大童子はまた「わぬしこそぬすみつれ。」といふ時に、(*原文「といふ。時に」)この鮭につきたる男「せんずる所我も人もふところをみん。」といふ。大童子「さまでやはあるべき。」などいふほどに、この男はかまをぬぎてふところをひろげて「くはみ給へ。」といひてひし\/とす。
さてこのをとこ(*原文「おとこ」)大童子につかみつきて、「わせんじやうはや物ぬぎ給へ。」といへば、わらは「さまあしとよ。さまであるべきことか。」といふを、この男たゞぬがせにぬがせてまへを引あけたるに、こしにさけを二つはらにそへてさしたり。男「くは、\/。」といひて出し(*「いひて引き出し」とするテキストもある。)たるときに、この大童子うちみて「あはれ勿躰なき(*とんでもない)主かな。かうやうに(*原文「こうやうに」)はだかになしてあさらんには、いかなる女御・后なりともこしにさけの一二尺(*「尺」は「隻〔しやく〕」で魚鳥を数える単位。)なきやうはありなんや。」といひければ、そこら立とまりて見けるものども一どにはつとわらひけるとか。


[TOP]

16 尼地藏見たてまつる事

(*《参照》今昔物語集〔巻17〕・地蔵霊験記〔巻上〕)今はむかし、丹後國に老尼ありけり。地藏■(艸冠/廾:ぼう:菩薩:大漢和30687)はあかつきごとにありき給ふこと(*延命地蔵経「菩薩毎日晨朝諸定に入り、六道を遊化す。」云々。)をほのかにきゝて、「曉ごとに地藏みたてまつらん。」とてひとよかい(*「一世界」で界隈の意と云う。)まどひありくに、博打のうちほうけてゐたるがみて、「尼公はさむきに何わざし給ぞ。」といへば、「地藏■(艸冠/廾:ぼう:菩薩:大漢和30687)のあかつきにありき給ふなるにあひまゐら(*原文「まいら」)せんとてかくありくなり。」といへば、「ぢざうのありかせ給ふみちは我こそしりたりければ、いざ給へ、あはせまゐら(*原文「まいら」)せん。」といへば、「あはれうれしきことかな。ぢざうのありかせ給はん所へ我をゐておはせよ。」といへば、「われにものをえさせ給へ。やがてゐて奉らん。」といひければ、「此きたるきぬたてまつらん。」といへば、「いざたまへ。」とてとなりなる所へゐてゆく。
あまよろこびていそぎ行に、そこのこにぢざうといふ童ありけるを、それが親をしりたりけるによりて、「ぢざうは。」ととひければ、おや「あそびにいぬ。いまきなん。」といへば、「くはこゝなり、地藏のおはしますところは。」といへば、あまうれしくてつむぎのきぬをぬぎてとらすれば、ばくちうちはいそぎてとりていぬ。あまは「ぢざうみまゐら(*原文「まいら」)せん。」とてゐたれば、おやどもはこゝろえず「などこのわらはをみんとおもふらん。」とおもふほどに、十計なるわらはのきたるを、「くはぢざう。」といへば、あまみるまゝにぜひもしらずふしまろびて、をがみ(*原文「おがみ」)いりてつちにうつぶしたり。童すはえ(*原文「すばへ」。「楚・楉」〔すはえ・ずはえ〕=木の若枝、笞)をもちてあそびけるまゝにきたりけるが、そのすはえ(*原文「すばえ」)して手すさびのやうに額をかけば、額よりかほのうへまでさけぬ。さけたる中よりえもいはずめでたきぢざうの御かほみえ給ふ。あまをがみ(*原文「おがみ」)入てうちみあげたれば、かくてたちたまへれば、なみだをながしてをがみ(*原文「おがみ」)入まゐら(*原文「まいら」)せてやがて(*そのまま)ごくらくへまゐり(*原文「まいり」)けり。
さればこゝろにだにもふかくねんじつれば、佛もみえ給ふなりけりとしんずべし。


[TOP]

17 修行者逢2百鬼夜行1

いまはむかし、修行者のありけるが、津の國までいきたりけるに、日くれてりうせん〔龍泉〕(*河内国河内郡か。)とて大なる寺のふりたるが人もなきありけり。これは人やどらぬ所といへども、そのあたりにまたやどるべき所なかりければ、「いかゞせん。」と思て負(*笈)うちおろして内に入てけり。
不動の咒をとなへてゐたるに、「夜中ばかりにや成ぬらん。」とおもふほどに、人々のこゑあまたしてくるおと(*原文「をと」)すなり。みれば手ごとに火をともして人百人ばかり、この堂のうちにきつどひたり。ちかくてみれば、目一つきたりなどさま\〃/なり。人にもあらずあさましき物どもなりけり。あるひは角おひたり。頭もえもいはずおそろしげなる物どもなり。「おそろし。」と思へどもすべきやうもなくてゐたれば、おの\/みなゐぬ。ひとりぞまだ(*「又」とするテキストもある。)所もなくてえゐずして、火をうちふりてわれをつらつらとみていふやう、「我ゐるべき座にあたらしき不動尊こそゐ給たれ。こよひばかりは外におはせ。」とて、片手してわれを引さげて堂のえん(*「軒」とするテキストもあると云う。)の下にすゑ(*原文「すへ」)つ。
さるほどに「あかつきに成ぬ。」とてこの人\〃/のゝしりてかへりぬ。「まことにあさましくおそろしかりける所かな。とく夜のあけよかし。いなん。」とおもふに、からうじて夜あけたり。うちみまはしたれば、ありし寺もなし、はる\〃/とある野の來しかたもみえず、人のふみ分たる道もみえず、行べきかたもなければ「あさまし。」と思てゐたるほどに、まれまれ馬にのりたる人どもの人あまたぐして出來たり。いとうれしくて「こゝはいづくとか申候。」とゝへば(*原文「とゝへは」)、「などかくはとひ給ぞ。肥前國ぞかし。」といへば、「あさましきわざかな。」とおもひて事のやうくはしくいへば、この馬なる人も「いとけうの事かな。肥前の國にとりてもこれはおくの郡なり。これはみたちへまゐる(*原文「まいる」)なり。」といへば、修行者よろこびて「路もしり候はぬに、さらば道までもまゐら(*原文「まいら」)ん。」といひていきければ、これより京へ行べきみちなどをしへければ舟たづねて京へのぼりにけり。
さて人どもに「かゝるあさましきことこそありしか。つの國のりうせんじといふ寺にやどりたりしを、鬼どものきて【て、據一本補】『所せばし。』とて、『あたらしき不動尊しばし雨だりにおはしませ。』といひて、かきいだきて雨だりについすゆとおもひしに、ひぜんの國のおく(*原文「をく」)の郡にこそゐたりしか。かゝるあさましき事にこそあひたりしか。」とぞ、京にきて語けるとぞ。


[TOP]

18 利仁將軍暑預粥事

(*《参照》今昔物語集〔巻26〕)今はむかし、利仁の將軍(*藤原魚名六世の孫。鎮守府将軍時長の子。越前国敦賀の豪族有仁の女婿となる。延喜年間、上野介・上総介を経て鎮守府将軍となる。)のわかゝりけるとき、そのときの一の人(*藤原時平か。10世紀初め頃。「一の人」は摂政・関白の意だが、時平は左大臣。)の御もとに格勤(*「かくごん・かくご」。恪勤。禁中・皇族・摂関・大臣等に仕えること。)して候けるに、正月に大饗せられけるに、そのかみは大饗はてゝとりばみ〔鳥喰〕(*鳥食・取食)といふものをはらひていれずして、大饗のおろし米とて給仕したる格勤のものどもの食けるなり。その所にとし比になりてきうじしたる者の中には所えたる五位ありけり。そのおろし米の座にて芋粥すゝりて舌うちをして、「あはれいかでいも粥にあかん。」といひければ、とし仁これをきゝて「太夫殿いまだいもがゆにあかせ給はずや。」とゝふ。五位「いまだあき侍らず。」といへば、「あかせたてまつりてんかし。」といへば、「かしこく侍らん。」とてやみぬ。
さて四五日ばかりありて、ざうしずみ(*原文「さうじずみ」)〔曹司住〕にてありける所へ、利仁きていふやう、「いざゝせ給へ、湯あみに、太夫殿。」といへば、「いとかしこき事かな。こよひ身のかゆく侍つるに乘物こそは侍らね。」といへば、「こゝにあやしの馬ぐして侍り。」といへば、「あなうれし\/(*原文「あなうれしく」。「く」は誤植か)。」といひて、うすわたのきぬ二計に、あをにびのさしぬきのすそやれたるに、おなじ色のかり衣のかたすこしおちたるに、したの袴もきず。はなだかなるもののさきはあかみて穴のあたりぬればみたるは、「すゝばなをのごはぬなめり。」とみゆ。狩衣のうしろは帶にひきゆがめられたるまゝに引もつくろはねば、いみじうみぐるし。をかしけれ(*原文「おかしけれ」)どもさきにたてゝ、われも人も馬にのりて河原ざまに(*鴨河の河原の方へ)うち出ぬ。五位のともにはあやしの童だになし。利仁がともには調度がけ(*弓矢を持った供人)・とねり・ざうしきひとりぞありける。河原うち過てあはだぐちにかゝるに、「いづくへぞ。」ととへば(*原文「とへは」)、たゞ「こゝぞ\/(*原文「ここぞ」。行頭により踊り字を起こす)。」とて山科もすぎぬ。「こはいかに。『こゝぞ\/。』とて山しなも過しつるは。」といへば、「あしこ\/。」とて關山も過ぬ。「こゝぞ\/。」とて三井寺にしりたる僧のもとにいきたれば、「こゝに湯わかすか。」とおもふだにも「物ぐるほしう(*原文「物ぐるおしう」)遠かりけり。」と思に、こゝにも湯ありげもなし。「いづらゆは。」といへば、「まことはつるがへゐてたてまつるなり。」といへば、「物ぐるほしう(*原文「物ぐるおしう」)おはしける。京にてさとの給はましかば、下人などもぐすべかりけるを。」といへば、利仁あざわらひて「とし仁ひとり侍らば千人とおぼせ。」といふ。
かくて物など食ていそぎ出ぬ。そこにて利仁やなぐひとりておひ(*原文「をひ」)ける。かくてゆくほどにみつの濱(*近江国下坂本)にきつねの一はしり出たるをみて、「よき使出きたり。」とて、利仁狐をおしかくれ(*原文「ゝしかくれ」)(*襲い掛かると)、きつね身をなげて迯(*「にぐ」)れどもおひせめられ(*原文「をひせめられ」)てえにげず。おちかゝりて狐の尻足を取て引あげつ。乘たる馬いとかしこしともみえざりつれども、いみじき逸物にてありければ、いくばくものばさずしてとらへたるところに、この五位はしらせていきつきたれば、狐を引あげていふやうは、「わ狐こよひのうちに利仁が家のつるがにまかりていはんやうは、『にはかに客人をぐし奉りてくだるなり。明日の巳の時に高島邊(*近江国高島郡の辺)にをのこ共むかへに馬にくらおきて(*原文「をきて」)二疋ぐしてまうでこ。』といへ。もしいはぬ物ならば。わ狐たゞ心みよ。狐は變化あるものなればけふのうちに行つきていへ。」とてはなてば、「荒凉(*「くわうりやう」。頼りない)の使哉。」といふ。「よし御覽ぜよ。まからではよも【も、原作に、據一本改】あらじ。」といふに、はやく狐見返し\/て前に走ゆく。「よくまかるめり。」といふにあはせて(*原文「いふに、あはせて」)はしりさきだちてうせぬ。
かくてその夜は道にとゞまりて、つとめてとく出て行ほどに、誠に巳時ばかりに卅騎ばかりよりて(*「こりて」「とりて」とするテキストもあると云う。)くるあり。「なにゝかあらん。」とみるに、「をのこどもまうできたり。」といへば、「不定(*「ふぢやう」。意外な)のことかな。」といふほどに、たゞちかにちかくなりてはら\/と(*原文「ばら\〃/と」)おるゝほどに、「これ見よ。まことにおはしたるは。」といへば、利仁うちほゝゑみて(*原文「うちほゝえみて」)「何ごとぞ。」とゝふ。おとなしき郎等すゝみきて、「希有の事の候つるなり。」といふ。「まづ馬はありや。」といへば、「二疋さぶらふ。」といふ。食物などして來ければ、そのほどにおりゐてくふついで(*原文「つゐで」)に、おとなしき郎等のいふやう、「夜べけうのことのさぶらひしなり。戌の時ばかりに大ばん所(*台盤所)の、むねをきりにきりてやませ給しかば、『いかなることにか。』とて、にはかに『僧めさん。』など(*有仁等が)さはがせ給しほどに、(*台盤所〔夫人〕が)てづから仰さぶらふやう、『なにかさはがせ給。おのれはきつねなり。別のことなし。この五日みつの濱にて殿の下らせ給つるにあひたてまつりたりつるに、にげつれどえにげで(*原文「えにけで」)とらへられたてまつりたりつるに、「けふのうちにわが家にいきつきて『客人ぐし奉りてなんくだる。あす巳時に馬二にくらおき(*原文「をき」)てぐしてをのこども高島の津にまゐり(*原文「まいり」)あへ。』といへ。もしけふのうちにいきつきていはずば、からきめみせんずるぞ。」とおほせられつるなり。をのこどもとくとく出立てまゐれ(*原文「まいれ」)。おそく(*原文「をそく」)まゐら(*原文「まいら」)ば、我は勘當かうぶりなん。』とおぢさはがせ給つれば、をのこどもにめしおほせさぶらひつれば例ざまにならせ給にき。その後鳥とともに(*鶏鳴と同時に)參さぶらひつるなり。」といへば、利仁うちゑみて(*原文「うちえみて」)五位に見あはすれば、五位「あさまし。」と思たり。
物などくひはてゝいそぎたちてくら\〃/に行つきぬ。(*家人等は)「これ見よ。まことなりけり。」とあさみ(*原文「あざみ」)あひたり。五位は馬よりおりて家のさまをみるに、にぎはしくめでたきこと物にもにず。もときたるきぬ二がうへに利仁が宿衣(*宿直衣)をきせたれども、身の中しすきたるべければ、いみじうさむげにおもひたるに、ながすびつに火をおほう(*原文「おほふ」)おこしたり。たゝみあつらかにしきて、くだ物・くひ物しまうけてたのしく(*満ち足りて)おぼゆるに、「道の程さむくおはしつらん。」とて、ねり色のきぬのわたあつらかなるみつひきかさねてもてきてうちおほひたるに、たのしとはおろかなり。物くひなどしてことしづまりたるに、しうとの有仁いできていふやう、「こはいかでかくはわたらせ給へるに(*「に」は「ぞ」の誤記かと云う)、これにあはせて御使のさま物ぐるほしう(*原文「物ぐるおしう」)てうへにはかにやませたてまつり給ふ。けうの事なり。」といへば、利仁うちわらひて、「物の心みんとおもひてしたりつる事をまことにまうできてつげて侍にこそあんなれ。」といへば、しうともわらひて「希有のことなり。」といふ。「ぐし奉らせ給つらん人は、このおはします殿の御事ぞ(*「ぞ」を「か」とするテキストもあると云う)。」といへば、「さに侍り。『いもがゆにいまだあかず。』とおほせらるれば、『あかせ奉らん。』とてゐて(*原文「いて」)たてまつり(*「に」を補うテキストもある。)たる。」といへば、「やすき物にもえあかせ給はざりけるかな。」とてたはぶるれば、五位「『東山に湯わかしたり。』とて人をはかりて(*「ゐて」「いでて」等を補うテキストもあると云う。)かくの給なり。」などいひたはぶれて、夜すこしふけぬればしうとも入ぬ。
ね所とおぼしきところに五位入てねんとするに、綿四五寸ばかりあるひたゝれあり。我もとのうすわたはむつかしう(*原文「むづかしう」)【づ、據イ本補】なに(*難)のあるにか、ゝゆき(*原文「に、かくゆき」)所もいでくるきぬなれば、ぬぎおき(*原文「ぬぎをき」)てねり色のきぬ三がうへにこのひたゝれひきゝて(*原文「ひきくて」)は、ふしたる心いまだならはぬに氣もあげつべし。あせ水にてふしたるに、またかたはらに人のはたらけば「たぞ。」とゝへば、「『御あしたまへ。』と候へばまゐり(*原文「まいり」)つる也。」といふ。けはひにくからねば、かきふせて風のすく(*原文「むく」)所にふせたり。かゝるほどに物たかくいふこゑす。「何事ぞ。」ときけば、をのこのさけびていふやう、「このへんの下人うけたまはれ。あすのうの時に切口三寸ながさ五尺のいも、おの\/一すぢづゝもてまゐれ(*原文「まいれ」)。」といふ也けり。「あさましうおほのかにも(*大げさに)いふものかな。」ときゝてねいりぬ。
あかつき方にきけば庭に莚しくおと(*原文「をと」)のするを「なにわざするにかあらん。」ときくに、こやたうばんよりはじめておきたちてゐたるほどに、蔀あげ(*原文「あけ」)たるにみればながむしろをぞ四五枚しきたる。「なにのれうにかあらん。」とみるほどに、げす男の木のやうなる物をかたにうちかけて來て一すぢおきて(*原文「をきて」)いぬ。其のちうちつゞきもてきつゝおく(*原文「をく」)をみれば、まことに口三寸ばかりのいもの五六尺ばかりなるを、一すぢづゝもてきておく(*原文「をく」)とすれど、巳時までおき(*原文「をき」)ければ、ゐたるやとひとしくおき(*原文「をき」)なしつ。夜べさけびしははやう(*果たして)そのへんにある下人のかぎりに物いひきかすとて、「人よびの岡」とて、あるつかのうへにていふなりけり。たゞそのこゑのおよぶ(*原文「をよぶ」)かぎりのめぐりの下人のかぎりもてくるにだにさばかりおほかり。ましてたち(*「館」か、「立ち」か。)のきたるずさどものおほさをおもひやるべし。「あさまし。」とみたるほどに、五石なは(*五石入の意。「なは」は納の転という。)のかまを五六舁(*「かき」。「舁く」は両手で担ぐ意。)もてきて、庭にくひ(*原文「くゐ」)どもうちてすゑ(*原文「すへ」)わたしたり。「何のれうぞ。」とみるほどに、しぼぎぬ〔縮衣〕(*未詳。今昔物語集には「白き布」とあると云う。)のあを〔襖〕といふ物きて帶して、わかやかにきたなげなき女どものしろくあたらしき桶に水を入て、此釜どもにさくさくといる。「何ぞ。ゆわかすか。」とみれば、この水とみるはみせん〔御粲〕(*味煎・蜜煎。甘葛〔あまづら〕)なりけり。わかきをのこどもの袂より手出したる、うすらかなる刀のながやかなるもたるが十餘人ばかりいできて、このいもをむきつゝすきゞりにきれば、「はやく芋粥にる也けり。」とみるに、くふべき心ちもせずかへりてはうとましく成にけり。さら\/とかへらかして(*煮立たせて)「いもがゆいでまうできにたり。」といふ。「まゐら(*原文「まいら」)せよ。」とて先大なるかはらけぐしてかねの提の一斗ばかり入ぬべきに三四に入て、「且一(*「かつ一つ」)。」とてもてきたるに、あきて一もりをだにえくはず。「あきにたり。」といへば、いみじうわらひてあつまりてゐて、「客人殿の御とくにいもがゆくひつ。」といひあへり。かやうにする程に、向のながやの軒に狐のさしのぞきてゐたるを利仁見付て、「かれ御らんぜよ。候し狐のげさん(*見参)するを。」とて、「かれに物くはせよ。」といひければ、くはするにうちくひてけり。かくてよろづのことたのもしといへばおろかなり(*原文「をろかなり」)
一月ばかりありてのぼりけるに、け・をさめ(*原文「けおさめ」。「褻」は普段着、「納」は晴着。)のさうぞくどもあまた具たり。(*「くだり〔領〕、」かと云う。)又たゞの八丈わたぎぬなど皮子どもに入てとらせ、はじめの夜の直垂はたさらなり、馬にくらおき(*原文「をき」)ながらとらせてこそおくり(*原文「をくり」)けれ。
きう者(*給者とも窮者とも云う。)なれども所につけて年比になりてゆるされたる物は、さるものゝおのづから(*原文「をのづから」)あるなりけり。

(*巻1<了>)

 1 道命阿闍梨と五条道祖神  2 平茸の暇乞い  3 こぶ取り爺  4 伴大納言の夢占  5 隨求陁羅尼の僧  6 師時玉茎検知  7 龍門聖と猟夫  8 易占千両を出す  9 心誉僧正の霊験  10 秦兼久の通俊批判  11 一生不犯と皮つるみ  12 稚児のそら寝  13 落花を惜しむ稚児  14 小藤太、聟を見舞う  15 鮭盗人の弁明  16 老尼、地蔵を見る  17 龍泉寺の百鬼夜行  18 芋粥
 (序)  巻1  巻2  巻3  巻4  巻5  巻6  巻7  巻8  巻9  巻10  巻11  巻12  巻13  巻14  巻15

[INDEX] [NEXT]