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源氏物語忍草

北村湖春
(野村順孝校訂『堤中納言物語・源氏物語忍草』 雄山閣文庫第一部 55
〔「古典研究」5-11 別册附録) 雄山閣 1940.10.1
※ 「東屋」巻以降は雄山閣文庫に欠けていたため、尾上八郎解題、沼波守校訂『源氏物語』上巻〔(普及版)
校註日本文學大系6 誠文堂 1931.12.20〕所収の「源氏物語忍草」に依った。こちらは全巻揃っている。(入力者)

  01 桐壺   02 帚木   03 空蝉   04 夕顔   05 若紫   06 末摘花   07 紅葉賀   08 花宴   09 葵   10 賢木   11 花散里   12 須磨   13 明石   14 澪標   15 蓬生   16 関屋   17 絵合   18 松風   19 薄雲   20 朝顔   21 少女   22 玉鬘   23 初音   24 胡蝶   25 螢   26 常夏   27 篝火   28 野分   29 行幸   30 藤袴   31 真木柱   32 梅枝   33 藤裏葉   34 若菜上   35 若菜下   36 柏木   37 横笛   38 鈴虫   39 夕霧   40 御法   41 幻   42 匂宮   43 紅梅   44 竹河   45 橋姫   46 椎本   47 総角   48 早蕨   49 宿木   50 東屋   51 浮舟   52 蜻蛉   53 手習   54 夢浮橋   (跋)

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桐壺 いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、やんごとなききはにはあらぬが、勝れてときめき給ふと卷に書きしは、桐壺の更衣なり。此の人は大納言の女なり。父大納言は、とくうせ給へり。此の更衣かたちすぐれ、心ざま優におはしければ、帝に奉りなば、幸ひをも、ひき出で給はむ。我なくなりたりとも、いかにもして御宮づかへに出せと、父大納言遺言なれば、母君とかくして御宮づかへに出し給ふに、帝御心ざしたぐひなく御寵愛なゝめならず。さるによつて弘徽殿の女御を始め、あまたの女御、更衣をそねみ給ひて、くね/\しき事ども數しらず。此の弘徽殿といふは右大臣の御女なり。人よりさきに參り給ひて、殊に此の御腹に一の宮(朱雀)出で來させ給へば、餘情(*ママ。「寄せ」)重き人なり。此の弘徽殿をば帝さへ憚らせ給へば、まして更衣は心ぐるしう、明暮もののみ思ひて、自ら病氣になり給ふを、帝いとゞ哀れに思す。此の御腹に、玉のをのこみこ、生まれ給ふと書きしは源氏なり。此の君三つになり給ふ夏、御母更衣の日頃の病氣重くなり限りの樣に見え給へば、御いとま申して里へ出でむとし給ふ。帝名殘惜しませ給ひて、樣々の事ども宣はせければ更衣、
かぎりとて 別るゝ道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり
とよみ給ふ。手ぐるまの宣旨を下さる。此の車は手にてひく、座敷の内をのるなり、馳走(*世話するべき者の意か。)に思さるゝものならではゆるさせ給はず、源氏をば内裏に置き奉りて、更衣ばかり出で給ふ。いかに/\と御使行きかふに、夜半過ぐる程に、「はかなくなり給ふ。」と御使歸り來て奏す。聞召す御心地何事も思し分かず、御涙にくれさせ給へり。源氏も御忌なれば、さとへ出し給ひて、更衣の母君に預けたまふ。贈り號に更衣に三位の位を遣はさる。帝御なげきはるゝかたなくて明し暮させ給ふ。風あら/\しく吹く夕暮に、靫負の命婦といふ女を更衣の母君の方へ御使につかはさる。御製、
宮城のの 露吹きむすぶ 風の音に 小萩がもとを 思ひこそやれ
命婦母君といろ/\物語して、源氏の御樣體よく見て歸るに、更衣の手なれ給ひし櫛箱などを、かたみ心に母君命婦にやり給へり。みかどは長恨歌の繪雙紙を御覽じて、貴妃の別れを悲しみ給ひし玄宗の歎きに引比べ、いとゞ御涙はれがたき折しも、命婦、母君の御返し奉る。御覽ずれば、
あらき風 ふせぎしかげの かれしより 小萩がもとぞ(*原文「と」ナシ) しづ心なき
命婦、母君にもらひし手道具など、御覽ぜさすれば、方士がなき(楊貴妃)人のありか尋ねて、取り歸りししるしのかんざしならば、いかに嬉しからむと覺させ給ひて、みかど、
尋ねゆく まぼろしもがな つてにても (*魂)のありかを そことしるべく
と口ずさませ給へり。御忌あきて、源氏内裏へ歸り給ふ。年月重なるまゝに、此の世の人ともみえず、美しく生ひ立ち給ふ。七つになり給へば、文はじめさせ給ふに、何事にも慧くおはして、琴笛のねにも雲ゐを響かし給へり。其の頃唐土より相人渡れり。すなはち源氏の相を見せさせ給へば、唯人にておほやけの御後見をさせ給はば、天下ものどかならむと奏しければ、さやうにせむとおぼす。相人源氏の御かたちをめでて、光る君と號しけり。年月ふれど更衣の事忘れさせ給はで、似たる者もやと尋ねさせ給ふ。先帝の四の宮似させたまふと、内侍の典侍といふ女房奏しければ、御兄の兵部卿の宮に仰せて、入内せさせ給ひて、藤壺の女御といふ。あやしきまで更衣に似させ給へば、御心を慰むやうにおぼす。此の女御を、稚きより源氏御心にかけ給へり。源氏十二にて御元服あり、源氏の姓を賜はり、只人に成り給ひ中將になさせ給ふ。御元服のとき、御烏帽子親に、左大臣を召す。この大臣の北の方は、帝の御妹なり。此の御はらに藏人少將といふ男子ひとり、姫君ひとりあり、其の姫君を源氏の北の方にと、かねてより御定めにて、元服の夜左大臣の御許へ源氏わたりそめ給へり。此の姫君を葵の上といふ。源とは従弟(*ママ)なり、年十六に源に四つ御姉なり。源氏の里の御家をば二條の院といふ。内裏にては桐壺におはします。此の卷に源氏誕生より十四五までの事見えたり。
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帚木 五月雨のリ間なきころ、内の御物忌打續きて、源中將つめてさぶらひ給ふ。源御番どころへ左大臣の公達頭中將まゐりたまふ、桐壺に藏人の少將といひし人なり、葵の上の御兄なり、右大臣の御壻にて弘徽殿の妹壻なり。源の御ためには従弟又小舅なり。殊の外間よくて、何事もかくさずいひかはし給ふ。四書七書ども見給ふついでに、好色の文ども取り出でて、これは、かれはと宣ふ所へ、左の馬頭藤式部の丞もまゐりて、女の品形を上中下に分ちて工の作る器物繪師のかける繪などになぞらへて樣々爭ひ定めしを雨夜の品さだめといふ。それにつきて馬頭わがみし女のことを語る。若き時あはれと思ふ女侍りき、形などはよくもあらざりしかど、たちぬふわざ上手にて、何事につけても、物まめやかに、うしろめたからねば、本妻とたのみながら、妬み深くて、ゆるしなく常に疑ひ侍るもうるさくて、かかる心ならば、長くそひはてむ事はえせじ、此の心のどやかに思ひなりなば、哀れとおもはむなど、いけんせしに、いとゞ腹だたしく成りて、馬頭が手を引きよせ、指にくひ付きければよし/\今はかかる疵さへ付きぬ、けふこそ限りの別れとおどして、馬頭、
手を折りて 逢ひみし事を かぞふれば これひとつやは 君がうきふし
とよみて歸り、こりさせむと思ひて、久しく音信ざりし程に、いたく思ひわびてはかなくなりぬ。又其の後に通ひし女は、形もよく、歌よみ、琴ひき、優しき方は侍りけれど、心ゆるさむ心ばへとは見えず。ある夜まかりたりしに、ある殿上人、此の女の家へはひり、笛を吹きければ、内より女和琴をあはせて、歌などよみかはす。さればこそと思ひ、うとまれてそれより絶え侍りきと語る。此のつぎに頭の中將かたり給ふ。しのびて見出でし人あり、親もなく心細げにて、いとゞ中將をョめる心ばへなど、あはれなりし、久しく訪はざりしに、幼き者も侍りければ、なでしこの花を折りて、かくいひおこせり。
山賤の 垣ねありとも をり/\に 哀れをかけよ なでしこの露
其の後中將おはしければ、いと物思ひがほなれど、はか/〃\しく恨む事も侍らざりし程に、心安くて、また打絶えし程に、跡もなくうせて、今に在所をえ聞きいでず、娘不便なれば、いかで尋ねむと思ふと語り給ふ。此の女を夕顔といふ、御娘を玉かづらといふ。此の次に式部の丞かたる。博士のかたへ物習ひにまかり侍りしに、あるじの娘あまた侍りしかば、兎角いひよりてかよひける。よくものしれる女にて、其の人を師として詩なども作り習ひ侍る。無才の男は恥かしき女にて侍りき。或時まかり侍るに、蒜を服して、いとくさし、此の匂ひ失せむ程に、立寄り給へ、けふは逢はじと物越に申し侍りしと語れば、いぶせき女とて皆笑ひ給ふ。語り明し給ひて、けふは空もリれぬれば、御舅の左大臣へ渡り給ふ、葵の上の御かたなり。今宵節分なれば、内裏より塞がりの方にて、方角あしく、御方違へ有るべしと人々申す。歳越に限らず、上臈は四季に御方違へ給ふなり。二條院も同じ筋なれば、いづくにか、違へむと思し廻らすに、伊豫介といふ御家人の子、紀伊守なりける人の家、中川にあり、それへおはせむとて紀伊守を召し、仰せ付けければ畏まりながら、伊豫介が家に謹む事侍りて、妻子共私方へ引きこし狹く侍れば、いかゞと下にて詫ぶるを聞召し、只一枚の事なれば、苦しからずとて、おはしぬ。紀伊守樣々にもてなし奉る。風凉しう螢しげく飛び違ひていと面白し。源のおはします座鋪に近き西の方に人の忍びたるていあり。若し見ゆる所ありやと覗き給へど見えず、いふことを聞き給へば源の事なり。「實なる體にもてなし給へど、あるまじき御忍び歩行は、よくせさせ給ふ。式部卿の姫宮にも朝顔に付けて歌など遣はし給ひし。」などと語る。あるじ御前へ出でければ、立退きて聞かぬ體にておはす。色々もてなし御酒を進め奉る。御給仕に十二三許りの子共、數多出でければ、これはいづれぞと尋ね給へば、これは私が弟、かれは右衞門督の末の子と申す。此の伊豫介が女房は、右衞門督にて中納言かけたる人の娘なり。宮仕にも出さむと思ひしかど、二親ともはかなくなりしかば、みやづかふ親子もなくて、かく思ひの外なる伊豫介に、まうけられて居るなり。姉を便りに弟も伊豫介が方にあるなり。伊豫介が後連の女ばうにて紀伊守が爲には繼母なり、此の女を空蝉といふ。夜更けぬればふし給へど、たち聞き御心にかゝりて寐られ給はねば、そと起き出で兎角して物がたりせし所へ忍び入りて、空蝉をつれておはし、樣々にかたらひ給へど、いとつれなくて明方近うなればかへし給ひつ。それよりひたすら御心にかゝりて、空蝉が弟の童を呼びよせ、朝夕御傍にてつかひ、よく/\宣ひふくめて、これを御使にて文などかよはし給ふ。紀伊守が庭の遣水の體おもしろしとかこつけ、其の後もわたり給へば、あるじは、遣水の面目と悦ぶ。其の夜は空蝉、ふし所をかへて逢ひ奉らず。源はさま/〃\恨み給ひて、かく宣ひつかはす。
はゝき木の 心もしらで そのはらの 道にあやなく まどひぬるかな
御かへし、うつせみ、
數ならぬ ふせやに生ふる 名のうさに あるにもあらで 消ゆる帚木
とよみしなり。
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空蝉 寐られ給はぬまゝにと書き出しけるは、はゝき木の歌をよみ給ひし夜の事なり。空しく歸り給ひて、御傍につかひ給ふ空蝉が弟をば小君といふ。かれに、「何とぞたばかりて引合はせよ。」とかたらひ給へば、さるべきひまもあらばとおもふに、紀伊守も國にくだり女ばかりなれば、よきひまと思ひ、ある夕暮に、わが車に源をのせ奉り、小君も打乘りて空蝉がかたへ行き、源をば其のまゝ車に置き奉り、小君ばかり内へ入りてみれば、姉のうつせみは西の御かたといふ繼娘〔これを軒端の萩(*原文「荻」。以下同じ。)といふ〕と棊を打ちて居る。源車よりおり、格子のもとによりてのぞき給へば、空蝉が顔、よき所もなく、手などもやせ/\として、いづくもうつくしからず、いひたつれば惡しきによれる形なれど、もてなしよくて御目留る心地し給ふ。繼娘は顔かたち繼母(空蝉)よりましたれど、もてなしあしく、棊打ちはてて親子一所にふしぬ。小君媒して源を引入れ奉る。娘は若く何心もなければ、よく寐入りぬ。空蝉はさまざまおもひ亂れば、寐覺めがちにて、ふと聞き付けて、そとおき出で、隱れぬ。源はひとりふしたるをおぼし寄り給へば、あらぬ人なり。娘は思ひかけねば、あきれまどふ。人たがへとのたまはむは郤つて(*ママ。「却つて」)あしければ、唯御心ざしのやうに語らひ給ひて、蝉のもぬけたるやうに空蝉がぬぎ置きたりし薄衣を取りて歸り給ひて、其のあしたよみてつかはさる。源、
空蝉の 身をかへてける このもとに 猶人がらの なつかしきかな
御かへしうつせみ、
うつせみの はに置く露の こがくれて しのび/\に ぬるゝ袖かな
と伊勢が家の集にある歌を書きて奉る。新しくよみ出づるより、似つかはしき古歌を思ひ出すを上手のわざにするなり。
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夕顔 桐壺の帝の御弟、春宮にてかくれさせ給ひしを、前坊と申し奉る。其の御息所姫宮ひとりもち給ひて、やもめにて六條に住み給へり。それへ源通ひ給ふ、六條わたりの御忍びありきのついでにと卷に書けり。源の御めのとを大貳の乳母といふ、此の乳母の子を惟光といふ。源の御心しりにて、心おかず召しつかふ。此のめのと、重く煩ひて尼に成りしを、六條への序に源とぶらひに立寄り給へり。御車入る門を明くる程、大路に車立てて見給ふに、めのとが家の隣に檜垣など新しく渡したるに、しろき花さきたり。面白き程なるに若きすき影ども、簾よりほの/〃\見ゆ、いかなるものぞと御心にかゝる。隨身をめして、「あれは何の花ぞ。一ふさ折りて參れ。」と宣へば、「夕顔と申す花なり。」と答へて、折りに行きしに、簾の内より、童白き扇子を持ち出でて、「これにのせて奉り給へ。」とて隨身にとらせければ、花をのせて歸る。源は乳母と物語りなどして還り給ふとて立出で給ふところへ惟光扇に夕がほをのせてもて參る。人がらなつかしくもちたる扇なれば、怪しと見給ふに、端のかたに物を書きたる樣に見ゆれば、惟光に脂燭取りよせて御覽ずれば、若やかなる女の手にて、
心あてに それかとぞみる 白露の 光そへぬる 夕がほの花
と書けり。思ひの外に珍らしうおぼして、源、
よりてこそ それかともみめ 黄昏に ほの/〃\見えし 花の夕顔
と書きて遣はし給ひて、それより六條へおはす、そののち惟光に、鄰の家は誰人ぞとたづね給へば、例の御心とうるさくて、「此の頃爰に侍れど病人あつかひに隙なくて、いかなる者のすむとも承らず。」と申す。「知れる者もあらむ。尋ねよ。」と宣へば、宿守の男に問ふに、「揚名の介の家に侍る。をとこは國に下り、女許り住み侍る。」と申す。此の揚名の介といふ事、源氏壹部の中の三箇の大事(*秘伝。古今伝授の「三木三鳥」等の類。)の一つなり。揚名の介とは、國の名と其の守護の名の違ひたるをいふ。たとへば播磨の守護を、讃岐の守といふが如し。此の扇に歌書きし女は、帚木の卷に、頭中將の跡もなく失せしと語り給ひし女なり。此の歌より女を、夕がほといふ。源を頭中將かと思ひ、心あてにそれかとぞみるなどと書きて出せしなり。其の後惟光に才覺させて通ひそめ給へり。忍び給へば源氏とも名のり給はず、女も深くつゝめば誰ともしらせ給はず、唯御志のみ深くなるまゝに再々わたり給ふ。八月十五夜にも此の家にとまり給ふ。隈なき月影、板屋の透々よりもりくるも見馴れ給はぬ御心には珍らしくおぼす。御枕のもとに、ごぼ/\と鳴神よりもかしましき、からうすの音も聞ゆ。曉方に車よせさせ給ひて、夕顔とめしつかふ右近といふ女とをかきのせ、源氏もあひのり給ひて、其のあたり近き河原の院へおはしまして、留守居を召し出でて明け(*ママ。「開け」)させて入り給ふ。人もなくて心易く、十六日一日はおきふし閑かに語らひ暮し給へり。其の夜源の御夢に、いとをかしげなる女きて、「おのがめでたしと思ふをば尋ね給はで、此の人をつれありき給ふこそ妬けれ(*原文「{女偏+戸}。以下同じ。)。」とて、御傍に臥したる夕顔をかき起さむとすると見給ふに、おびえ給ひて、驚き給へば灯も消えぬ。夢に見えし女は、御息所の怨靈なり。右近を起し、「火を燈せ。」と宣へば、おぢわなゝきて動かず。屏風の後こゝかしこのかげにひし/\と物の足音聞えてすさまじ。人召すとて御手をたゝき給へば、山びこのみ答へて、參るものなし。太刀をぬきて枕がみに置き、源立出で給ひて、宿守などを起し、火ともさせて見給へば、夢に見えし女の面影ふと見えてうせぬ。夕顔を引きうごかし給へど、なよ/\として身もひえ息も絶えはてたり。今はすべきかたなければ(*原文「なれば」)、惟光、夕顔の死骸をうは筵におし包み、車にのせ、我が近づきの尼東山にありければ、其所へつれて行く。源は御馬にて、明けぬ程にと急ぎ二條院へ歸り給ふ。若し生きかへるかと、十七日一日は其の儘にて置き、十八日の日夕顔の葬禮しけり。源は咳氣といつはり歎きふし給へり。右近を召し寄せて使ひ給ふ。「いかなる人にて有りしぞ。」と尋ね給へば、「三位の中將の御娘にて侍り。親達ははかなく成り給ひて、かすかなるていにておはせしを、頭中將淺からずおぼしけるを、北の方惡み給ひて、人づてに色々恐ろしげなる事をいはせ給へば、恐れ給ひて西の京の乳母の方に隱れておはせしを、それにも住み佗び給ひて、山ざとに移ろはむとせさせ給ふに、乳母が家よりは方角ふたがりたる方なれば、方たがへの爲に、惟光が母の鄰の家に住み給ひし。」と語る。扠は帚木の卷の雨夜の物語に中將の語りし人にこそと、いとゞあはれに思して、「幼き人はなきか。」と尋ね給へば、「三つになり給ふ姫君ひとり侍る。」と語る。此の御歎きに空蝉をも音信給はで秋になりぬ。伊豫介も、夏伊豫より登りぬ。空蝉の卷に、人たがへして、唯一度逢ひ給ひし西の御方(軒端の荻)といふ伊豫介が娘に、少將といふ殿上人を壻に取りたるを源聞召し、少將が怪しと思はむ心の内を、女のため笑止におぼして我なりとしらせむため、西の御かたへ御文つかはさる。
ほのかにも 軒ばの荻を むすばずは 露のかごとを 何にかけまし
此の御歌により此の女を軒ばの荻といふ。源引籠りておはすれば、夕がほの事はしらねど、いかにとおぼつかで、空蝉よりも御訪らひに歌などよみておこせり。九月つごもりに伊豫介國へ下る。此の度は空蝉をも引きぐして行く。源は夕顔の別れにそへ、空蝉さへ下るをわびしう思して、はなむけに櫛扇などつかはせし(*原文「つかはさし」)なり。彼の空蝉の卷に、ぬぎ置きたるを取りて歸り給ひしもぬけの小袖も、今かへし給ふとて、源、
あふまでの 形見ばかりと みしほどに ひたすら袖の くちにけるかな
とよみてつかはされしなり。
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若紫 源瘧を煩ひて、色々療治せさせ給へどおちず。「北山に尊き聖侍り、それに呪詛はさせ給へ。」と或人聞えしかば、召しつかはすに、「老いかゞまりて、室の外へも出でず。」とて參らず。さらば北山へおはせむとて、御供の人もたゞ四五人召しつれ、忍びて、曉おはして、聖に對面してまじなはさせ給ふ。御心ちを紛らはさむとて人々いろ/\の噺どもする。明石の入道が娘かしづく事も語り申せしなり。立出でてこゝかしこ見たまふ。小柴垣など面白くして、Cげなる家作りは此の聖の弟子僧キの所なり。童べなど出で入りあそぶ女も見ゆるなど、とり/〃\申せば、夕暮の程に惟光ばかり御供にて、柴垣より覗き給へば、四十ばかりなる尼、脇息の上に經を(*原文「き」)置きて、惱ましげに讀み居たる、Cげなる女二人ばかり、扠は童ぞ出で入り遊ぶ。其の中に十ばかりの程にやあらむ、いと美しき童べあり、髪はゆら/\と扇を廣げたらむ樣にして、顔を赤くすりなして立ちて居給ふ。乳母めきたる人、「何事を腹立ち給ふ。」と問へば、「いぬきといふわらは雀の子を迯したり。」と宣ふ。此の子の顔、明暮忘られぬ藤壺によく似たり。誰ならむと聞かまほしくて、其の夜聖の弟子の僧キ、源をわが坊へ申し入れ、御物語などし給ふついでに、「こゝに住み給ふは誰人ぞ。」と僧キに尋ね給へば、「爰に侍る尼は、私が妹、按察大納言の御家(*ママ)に侍り、娘一人もち侍りしに、兵部卿の宮かよひ給ひて、娘など出でき侍りしが、程なく姪ははかなく成り侍りしかば、此の孫を育てて明暮歎き侍るほどに、心地も惱ましう成りて、祈りのためにこゝに住み侍る。」と語る。此の孫紫の上なり。御父兵部卿の宮と藤壺ははらからなり、藤つぼのために紫の上は姪なり。さればこそ似たるも理なれ。いかにもしてもらひ取りて(*原文「もら取りて」。この頁、次の和歌まで誤植極めて多し。)、心のまゝに生ひたてむとおぼして、尼君にも對面などして、預らむと宣へど、いかゞとためらひ合點し給はず。女の事を紫と歌によむ、又物のゆかりを紫のゆかりといふ。古今の歌の、
紫の 一もとゆゑに むさしのの 草はみながら(*原文「ら」ナシ) あはれとぞ思ふ
とあり。此の人藤つぼのゆかりなれば、なつかしくて(*原文「なかかしくて」)、源、
手に摘みて いつしかもみむ 紫の ねにかよひける 野べの若草
とよみ給ひしより、紫の上といふ。其の頃藤壺少しやみ給ひてさとへ出で給ふ。かやうの(*原文「やうの」)折にと常に媒する王命婦といふ女をせめ給へば、いかゞたばかりけむ、近付き給ひしなり。卷のおもてには、爰にて逢ひ給ふが始めなれど、はや戀々のやうに心をふくみて書けり。此の御心地は懷妊の御心地なり。紫の上の祖母はなやましさ重く成りて終に失せ給へり。紫の上は、乳母ばかりを後見にして、京の家に歸りて居給ふを、御父兵部卿の宮呼びとらむと宣ふを聞き給ひて、源氏、父母へ呼び給はば何かといとゞむつかしからむ、唯行きてぬすまむと思して、明日父宮へ渡り給ふといふ前の夜の曉、源おはして、車に打乘せて歸り給ふ。乳母をば少納言といふ。こはいかにとわぶれど聞き入れ給はず。少納言もあきれ惑ひながら供して行く。源の御家二條院へつれておはして、西の對に住ませ、御娘のやうにいとほしみ傅(*原文「傳」)き給へり。手本書き手習など教へ給ふ。源、
ねはみねど あはれとぞ思ふ むさしのの 露分けわぶる 草のゆかりを
と書き給ひて、「君もかき給へ。」と聞え給へば、「よくはえかかず。」と恥じ給ふを、強ひて宣へば、紫の上、
かこつべき ゆゑをしらねば おぼつかな いかなる草の ゆかりなるらむ
と書き給ふ。此の卷には、色々めづらしき事多し。
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末摘花 源の本臺(*本妻)葵の上は、御心も形も氣高く、すこしも亂れず、恥かしげにをりつめたる(*堅苦しい意か。「行儀をりつめたる人」という例が見える。)かたぎなり。六條の御息所、是れも恥かしげに氣だかく、容はよろしけれども、思ふ事を心の内にこめて、妬しく少しの事にも恨み、猛き心ばへなり。二方ともに打ちとけがたきもてなしなれば、源心やすくも思されぬに、夕顔は深き心ばへもなく、物和らかなりしかば、心易くて、語らひよく思したるに、あかぬほどにてあへなく別れ給ひしかば、忘れ難くて、又夕顔のやうなる人もやと、人の咄をも御耳とめて聞き給ふに、源の今ひとりの御乳母を、左衞門の乳母といふ。其の娘に命婦といひて、内に宮仕して居る女、「故常陸の宮の娘君、心ぼそき御住居にておはします。をり/\行きかよひ侍るが、琴のことを、ひかせ給ふ。」とかたる。宮の姫君にて琴などを彈くときこゆれば、奧ゆかしうおぼし成りて、此の命婦に媒せよとせめ給ふ。「時々參り侍れど、打ちとけては見え給はねば、御形など、さだかにも知り侍らず。」と申せど、しひてたのみ文遣はさる。されど御返しなど、せうせうにて(*も、か。)なし。歌もはやくよみ給ふ事ならねば、御乳母ごの侍從といふもの、代りてよみける。ひたすら御心とまりて、樣々御心をつくし、終にいひよりて見給ふに、御かたちよからず、殊にかたはとみゆるは鼻なり。さき殊の外長く赤くて、普賢菩薩の乘物の如し、普賢の乘物は象なり。何にかかる人に逢ひそめつらむと悔しさ數々なれど、此の御かたちを我ならでは誰か見しのばむ。心ぼそく不自由なる住居もあはれにいとほしければ、絹綾など多くつかはされ、折々はかよひ、懇にはぐゝみ給へり。源逢ひ給ひて思ひの外なる御かたちなれば、悔しさを手習に書き給へり。
なつかしき 色ともなしに 何に此の 末摘花を 袖にふれけむ
末つむ花とは紅の花のことなり。此の歌より此の姫君を末摘花といふ。或時源この末摘より歸り給ひて、紫の上とひいなあそびなどし給ふとて、源の御鼻のさきに、紅粉を赤く付けて見せ給へば、紫の上いみじく笑ひ給ひて、染みつかむと危がり寄りて拭ひ給へば、「平中(平貞文)がやうに彩りそへ給ふな、赤からむはよし。」とたはぶれて笑ひ給ふ。此の平中といふ人、女房に哀れみ泣く體をして見するとて、硯の水を目に塗りてたらしけるを、女房心得て其の水入の中へ墨を摺り入れて置きしを、平中夢にもしらで目に付けければ、顔うち墨になる。其の時女、平中に鏡を見せて、
我にこそ つらき心を みすなれど 人にすみつく 顔のけしきよ
とよみしとなり。紫の上は、其の女とはうらおもてにて拭ひ給ひしとなり。
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紅葉賀 源の御父桐壺の帝五十にならせ給へば、朱雀院といふ所にて、十月紅葉の盛りに御賀あるべしとて、皇子たち公卿、伶人の舞を習ひ給へり。うへ/\は四十より滿つとしごとに、御賀とて寺々にて祈りどもありて、樂人めして舞などまはせ御遊びあるなり。其の試樂を内裏に仰せ付けられ、藤つぼに御覽ぜさせ給ふ。源氏は紅葉をかざして海波を舞ひ給ふに、しくものはなし。かざしの紅葉ちりしかば、左大將菊を折りてさしかへ給ふ。相手には頭中將立ちならび給へど、花の側のみ山木の樣に見えしとかや。其の夜舞の御褒美に、源を宰相の中將になさせ給ふ。源我が舞ひしを御覽じつらむ、いかにと思しなりて(*原文「思しかりて」)、藤壺へよみて遣はさる。
物思ふに 立ちまふべくも あらぬ身の 袖打ちふりし 心しりきや
御かへし、藤つぼ、
から人の 袖ふることは 遠けれど たちゐにつけて あはれとぞ見し
から人の袖とは、楊貴妃の舞の事なり。年かへりて、三月には藤壺若君を産み奉り給ふ。實は源の御子なれど…(*原文伏字)もしらせ給はで、御年もよらせ給ふに、一しほ珍らしくて御寵愛かぎりなし。源の御かほにすこしもたがひ給はねば、御母藤壺は、人や怪しと思はむと、くるしがり給ひしとなり。又此の卷に源の内侍といひて、其の頃年五十七八の宮仕の人あり。年ふりけれど、すきものにて、いひかよふ人多し。源も戲れて、或時近付き給ふを、頭中將聞き給ひて、人の事を、もどき給ふ源のかかる御心もをかし、源内侍が頭中將の何かと宣ふは聞きも入れずして、源に心ひくもにくし、おどして見顯はさむと思して、ふし給へるべう風のもとへ、怒れる氣色にて中將おはしたれば、内侍が常にいひかはすものに修理大夫といふ人あり。源はそれかとおぼして、そと起きて屏風の陰に隱れ給ふ。中將は腹のたつ體にもてなし、太刀をぬけば、内侍は手を擦りて拜む。周章てたる體のをかしさに、中將ねんじかねて笑ひ給ふ聲に、源は中將のたばかりてかくするぞとしり給へば、屏風の後より出でて、太刀持ちし手を押へて太刀をとり、笑ひに成りしなり。是れより中將、ともすれば、此の事宣ひて源をせゝり(*ひやかし)給ひしなり。桐壺の帝、近き程に御位を春宮に讓り、おりさせ給はむと思す。春宮とは、桐壺の卷に一の宮とありし弘徽殿の御はらの御子なり。春宮帝にならせ給はば、御跡繼の春宮には、藤つぼの御はらの若君を据ゑむと思召す。弘徽殿は、御父右大臣にて一門歴々なれば、よせおもし。藤壺は先帝の姫宮にて、もとよりの御位は高けれど、御うしろみし給ふべき御一門なし、さるによりて中宮になさせ給ふ。中宮后になれば知行多し、弘徽殿こそまづ先になり給ふべきに、後に參り給ふ藤つぼに超され給ふゆゑ、弘徽殿いとゞ藤つぼをにくみ給へり。
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花宴 二月二十日あまり、南殿の櫻盛りなれば、花見の御あそびあり、題を下されて、親王達公卿詩をつくり給へり。去年の十月紅葉の御賀の時、源の海波舞ひ給ひしおもしろさを、春宮わすれさせ給はで、せめさせ給へば源も舞ひ給ふ。頭中將柳花苑といふ舞をいと面白く舞ひたまへば、帝御衣をぬぎて賜はる。其の夜源さりぬべき隙もやあると藤壺あたりを窺ひ給へど、常に語らひ給ふ所の戸もさされければ、打歎きて立出で給ふとて、弘徽殿の廊といふ所を通り給ふに若き女の聲にて、「朧月夜にしく物はなし。」と口ずさみて、端のかたへ出づる。源つとよりて、ふと袖をとらへて引きすゑ給へば、女驚きて「誰そ。」といふ。「我なり。」と宣ふ聲を源と聞きしりて、少し心をのどめ給ふ。源、女に、「誰人ぞ名のり給へ。今ばかりにて絶えむとは思はず。」としひて尋ね給へり、
うき身よに やがて消えなば 尋ねても 草の原をば とはじとや思ふ
此の歌の意は、源御心ざし深くば、はかなかりし(*原文「はかなりし」)塚をも尋ね給はむ、まして名のらずとも尋ね給はばとの心なり。御かへし、源、
いづれぞと 露のやどりを わけむまに 小笹が原に 風もこそふけ
とよみて、曉近うなれば、かたみに扇を取りかはして別れ給ふ。此の女君は春宮の御母弘徽殿の女御の御妹六の君といふ、それを春宮の女御に參らせむと定め給ふ。此の花の宴の舞を見物のため、さとより御姉の弘徽殿へおはせしなり。「朧月夜にしく物はなし。」と口ずさび給ひしは、躬恆が歌に、照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものはなしとよみし歌を、口ずさび給ひしなり。後に春宮に參り給ひ内侍に成り給へば、朧月夜の尚侍といふ。かくて源は此の女の行方おぼつかなくて、惟光、良Cといふ御家人を内裏のきたの陣につけて、「今日弘徽殿よりさとへ出づる車あれば、いづくへかへるぞ、つけて見よ。」と宣ふ。ふたりのものかしこまり、人をつけて見せしに、弘徽殿よりの車、右大臣へ參りしといへば、源へ其のよし申す。扠は弘徽殿の御妹なるべし、御母の更衣をにくみ給ひしなごりにて、源をも弘徽殿方にはよくも思はぬに、此の事、顯はれなばいとゞ安からじと思しながら、いかで又もあひみむと御心にかゝる。三月末に右大臣の庭の藤の花盛りなれば、弘徽殿も姫君達つれ奉りて、花見(*原文「若見」)にさとへ出で給ふ、源をも呼び給へば參り給へり。かの朧月夜も、姫宮達の御傍にこそあらめ、いかにしてしらむと思して、「石川のこまうどに扇とられてからきめを見る。」と催馬樂に諷ひ給へば、物はいはで御簾の内に、うちなげくけしきあり。其所へさしよりて、源、
梓弓 いるさの山に まよふかな ほのみし月の 影や見ゆると
(*「と」脱)よみ給へば、御簾のうちより、
心いる かたならませば 弓張の 月なき空に まよはましやは
といふ聲只それなり、うれしう思す。此の催馬樂といふは神代のうたひものなり。今の世の諷ひ(*謡)のやうに、其の頃人々うたひしなり。たかさごといふもあり、(*内容は)今の世のうたひにてはなし。
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 桐壺の帝、御位を春宮に讓り給ふ。御即位の儀式は卷には見えねど、世の中かはりて、よろづ物うくと、これに書き出したれば、これより春宮を帝と申し奉る。桐壺の帝をば此の卷よりは院と申すなり。春宮には藤壺の御腹の若宮(…(*伏字。後の冷泉帝))をすゑさせ給ひて、御後見に源をなさせ給へり。源此の卷には大將なり。帝の御母弘徽殿、后になり給ふ。御代がはりには伊勢の齋宮おりさせ給ひて又新しきをすゑ給ふ作法なれば、此の御代には前坊の御娘六條の御所の御はらの姫君を齋宮に定め給ふ。賀茂の齋院もおり給へば、弘徽殿の御はらの女三の宮を齋院に定め給ふ、源の御はらからなり。伊勢の齋宮は代がはり/\にかはる。賀茂のは其の身に忌のある時かはる。四月に賀茂の祭あり、其の時齋院たたせ給ふを、源も敕諚にて御供なり。それにつき今年は祭の儀式見どころ多くよき見物なればキの貴賤はいふに及ばず、鄰の國々より女子を引きつれ羣集す。源の本臺葵の上は、かやうの御ありきも輕々しくし給はず、殊に只ならぬ御身にて惱ましうし給へば、思しもよらねど、女房達見たきまゝに色々勸め奉る。御母をば大宮といふ。大宮も、「御心地の慰めによろしからむ見物し給へ。」と強ひて聞え給ひて、俄に立出で給へば、日たけて御車たつべき所もなけれど、源の北の方なれば、人々退きて通し奉る。物見車多き中に、網代の少し古びたる二つあり、脇へおしやらむとすれど、「これは竝々の御車にあらず。」と情強くて動かず。これは六條の御息所の車なり、物思はしき慰めに立出で給へり。葵の上こそ御息所とも知らせ給はね、御供の侍共は能く知りたれど、源と密通ある憎さにしらず貌(*原文「しらせ貌」)にもてなしかかる折ふしにだに恥をあてむと思ひて、是非をいはせず後のかたへ押しやり、車のながえも、榻といひて車をのするものも、おしひらきければ、恥がましき見ぐるしさのみならずつや/\物も見えず何に立出でて、かかる憂きめをみるらむと、くやしう、人めはづかしく侘しき事を思ひ集め給ひて、御息所、
かげをのみ みたらし川の 早き瀬に 身をうき程ぞ いとゞ知らるゝ
とひとりごとし給へり。齋院のわたらせ給ふ日をば賀茂御祓の日といふ。其の翌日を祭といふなり。みそぎの日、源は齋院の御供し給へり。祭には二條院へおはして、紫の上とひとつ車にて見物に出でむとし給ふ。紫の上此の卷には十四五なり。稚きうちはふり分髪にておはす、おとなになりては鬢を出し、髪をかゝりにゆふなり。今日よき日なりとて、紫の上髪を源はさみて、鬢を出し給ひて、よみ給へり。源、
はてしなき 千尋の底の 海松ふさの 生ひ行く末は 我のみぞみむ
御かへし、むらさきのうへ、
千ひろとも いかでたのまむ 定めなき 滿ち干る汐の のどけからぬを
さて車にあひのりて、祭に出で給ひしに、多く乘りこぼれたる女車より扇を出して、源の御供の人を招きて、(*原文ここで改行)
「こゝがよき所なり、ところを去らむ、源の御車を立て給へ。」といへば、其の車のそばに、源の御車を立てたれば、歌書きたる扇を奉るを、御らんずれば、
はかなしや 人のかざせる あふひゆゑ 神のゆるしの けふを待ちけり
と書きしを御覽ずれば、紅葉賀の卷に逢ひ給ひし源の内侍が手なり。古り難く、若やぐかなとにくくて、源、
かざしける 心ぞあだに 思ほゆる 八十氏人に なべてあふひを
とよみて返し給へり。御息所は御車の取爭ひの後、いとゞ物おもはしさまさり、つらきふしに思ひ沈(*原文{三水+冗}。以下同じ。)みたまふ怨靈にて、葵の上は御もののけに惱み給ふ。御いのりどもさま/〃\なり。護摩をたき給へば、其の匂ひ御息所の小袖に留る。御息所もつらしとは思へど、かくまではおもはぬに、我ながら恨めしう、人のいはむほども恥かしう思す。八月にも成りぬ。産の御けしき付きて、葵の上の御もののけ、以ての外なれば、加持の僧ども、力を合はせて祈るに、葵の上少ししづかに成り給ひて、源を近く呼び奉りて、「實に物思ふ人の魂はあくがるゝものにありけり。」と恨み泣き給ひて、
なげきわび 空に亂るゝ わが魂を むすびとゞめよ 下がへのつま
とよみ給ふ、けしき聲づかひ其の儘御息所なれば、源もふしぎに思す。かくてのち、いだきおこし奉れば、程なく若君生まれ給へり。後産ひかへたれど、願など立て給へば、平らかにおりぬ。二人の御親、源氏を始め御歡び限りなく、殊に若君なれば、御うぶやの儀式も賑はしくめでたし。御祈りの僧達も汗おし拭ひて、今はさりともと心やすく思ふ。御息所は平産を聞き給ひて、心よからず思す。御心ちは猶むすぼほれけれど、殊の外にもあらねば、秋の除目あるべき定めに、源も御父左大臣も内裏へ參り給ふ。御留守の程に、俄に御胸をせき上げて、苦しがり給へば、御使を走らかさせ給ふ間に絶え入り給ひぬ。源左大臣殿御足を空にて歸り給ふに俄の事なれば山の座主もえ呼び給はず、御物のけの業にてあらむ。さりともいき出で給ふ事もやと、樣々の事どもせさせ給へどやう/\御形もかはり行けば、誰々もあへなしと思しまどふ。院を始め奉り、内、春宮、こゝかしこよりの御使立込みて、忝きに付けても、御親等は、いとゞをしう(*いとほしう、か。)悲しと類なく泣きしづみ給ふ。なく/\亡き骸を鳥邊野に出し奉る。左大臣殿も源氏もおくりに出で給へり。はかなき御かばねをかたみにて、曉歸り給ふ。源もふぢごろもを著せ奉れば、われさきに立たば、葵の上は色こきを著給はむに、作法なれば色のうすきを著給ふも悲しうおぼして、源、
限りあれば 薄墨衣 淺けれど 涙ぞ袖を 淵となしける
と念誦して經しのびやかによみ、「法界三昧普賢大士。」と宣ふ。行ひ馴れたる法師よりもましなり。二條院へもわたり給はず引籠り居給ふ。御徒然をいとほしがりて、葵の上の御兄の頭中將參りて、物がたりなどして慰め給へり。四十九日も過ぎぬれば、今は葵の上居給ふべきならば、源は内、院などへ參り、それより二條院へ歸らむと聞え給へば、左大臣殿は源をよそ人になす口をしさに、又悲しさ改まりて御袖も引きはなたず、せむ方なきほどなり。頃さへ神無月なれば時雨ひまなくて空のけしきさへ侘し。漸々にして出で給ひ、院へ參り給へば、久しく精進にて源痩せ給ふと御心ぐるしう御覽じて、御前にて物など聞召させ給へり。二條院へわたり給へば、几帳など冬の衣がへして、きよげにつくろひ、男女集ひて待ち侍る。紫の上を久しう見給はざりし程に、おとなしう成りて、うつくしう生ひ立ち給ふ御顔かたち、御叔母の藤壺の中宮に其の儘なれば、思ひしことかなふと、うれしうおぼす。方々の御忍びあるきも、便なき頃なれば、唯二條院にのみおはしまして、紫の上と棊打ち、篇つきをして遊び給ふ。或夜紫の上と新枕し給ひて、源、惟光を召して、「あすの夜斯樣に數々にはあらで、餅を參らせよ。」と、ほゝゑみて宣ふを、惟光心はやきをのこにて、祝言ありしと、ふと思ひより、「子(*ね)のこは、いか樣にか、つかまつらむ。」と申せば、「三つが一つにてあらむかし(*三日夜の餅を暗示する。亥の子餅の三分の一程度の大きさでよい、という意)。」と宣へば心得て立ちぬ。此の三つが一つは、源氏壹部の中の三箇の大事のひとつなり。へんつきは、塞韻(*韵塞。偏つきと同じものではない。)のあそびなり。榊の卷にしるす。おびたゞしき御祝ひあるべきを、葵の上かくれ給ひしみぎりなれば、しのびて、かく宣へり。今までは紫の上を兵部卿の宮の姫君と、世の人しらず、御裳著のついでに父兵部卿にも顯はさむと思して、其の用意どもせさせ給ふ。みもぎとは、女の本裝束を著給ふ事なり。此の卷に、式部卿の宮も祭をさじきより見給ふとあるは、桐壺の帝の御弟源の御叔父なり、はゝき木の卷の式部卿と同人なり。此の御娘を、朝顔の齋院といふなり。此の卷には源氏二十一、葵の上は二十六にてかくれ給へり。
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 葵の卷に、六條の御息所の御腹の姫君、伊勢の齋宮に定まり給ひて、Cめのため嵯峨の野の宮に移ろひておはします。明くる年の九月に、伊勢へ下り給ふはずなり。御母御息所は、車爭ひよりいとゞ物のみ思ひ亂れて、怨靈とさへ成りて、葵の上はかなく成り給へば、源もうとみ思して、かれ/〃\に成り給ふ。此の御息所へ源のかよひ給ふ事は、みかども聞召し、世にもかくれなきに、かく御心ばし(*心ばせ)のうすく成るも、人目かたはらいたければ、齋宮の稚きを見放ちがたきにかこつけて、伊勢へ下らむと思しなりて、齋宮と同じく野の宮に住み給ふを、源もさすがにつらき人にも思しはてねば、(九)月(*原文に括弧を付す。欠字を〔後人の・校訂者の〕補ったものか。)の夕ぐれに、御とぶらひに野の宮へわたり給ふ。秋の花みな衰へて、淺茅が原もかれ/〃\に松風すごく吹きあはせて、あはれに面白し。おはしつきて御息所に對面し給ふに、久しくおとづれ給はで逢ひ給へば、ことのはもなくて、御前なる榊を少し折り給ひて、「かはらぬ色をしるべにてこそ、いがき越え侍れ。」と聞え給へば、みやす所、
神垣は しるしの杉も なきものを いかにまがへて 折れる榊ぞ
御かへし、源、
少女子が あたりと思へば 榊ばの 香をなつかしみ とめてこそをれ
夜一夜語り給ひて、曉に源歸り給ふ。齋宮は九月十六日に桂川に御祓し給ひて、申の時に内裏へ參り給へば、(…)(*闕字または伏字。朱雀帝)帝別れの櫛奉らせ給ふ。「京の方へおもむき給ふな。」と宣ひて、みかど御手づから櫛を齋宮の御髪にさし給ふなり。それより伊勢へ下り給ふ。齋宮は御代がはりに歸り給ふゆゑ、かへり給ふをばいむなり。扠、「京の方へおもむき給ふな。」と宣ふなり。齋宮は御歳十四に成り給ふ、御息所は三十、源は二十二なり。源の御父院(桐壺)の帝、少しづゝなやませ給ひしが、十月に成りては、重くならせ給へば、帝も行幸あり。「御位をさらせ給はば、御弟の春宮(…)(*伏字。後の冷泉帝)を必ず御位につけ給へ。源に世の中の大小の事隔てず宣ひ付けよ。」などと、さま/〃\御遺言ども多かり。春宮もわたらせ給ふ。源にも春宮の御うしろみ給ふべき事を、かへす/〃\宣はせおく。御代を讓らせ給へど、よろづの事聞しめし、政をしづめさせ給へばこそ、世の中も穩しかりけれ、今よりは大后と御父大臣の御心まゝに取り行ひ給はば、くるしき事ども多からむと、源氏の御方はいふに及ばず、さもなき公卿殿上人も、いとゞ惜しみなげけど、かひなくてかくれさせ給ふ。藤壺の中宮、源の御歎き、いとゞ深し。御四十九日までは女御更衣一つ所におはしけるが、過ぎぬれば面々の御栖々にうつろひ給ふ。藤壺の中宮は三條の宮へ渡り給へり。源も二條院へ引きこもりおはす。門の前に、所もなくたちこみし出仕の人々の馬車うすらぎて、番所にはとのゐ物の袋もみえず。此のとのゐ物の袋、三箇の大事の一つなり。とのゐ物の袋とは、番をする人の夜の物入れてもてありく袋なり。此の故にや、今も大きなる袋をば、番ぶくろといふ。花の宴の卷に、源の逢ひ給ひし六の君、帝へ參り給ひて、内侍のかみに成り給ふ。葵の卷に、賀茂の齋院に立ち給ひし大后の御はらの女三の宮、院の御服にており給ふ、かはりに源の御伯父式部卿の宮の槿の姫君すわり給ふ。此の姫君をも源絶えずほのめかし聞え給ふに、かく齋院に成り給へば、口惜しう思す。朧月夜は、尚侍に成りて内裏に侍り給へど、源にのみ御心ひかれて、物思はしげなり(*原文「物思はしげなし」)。源は春宮の御後見なれば、御母藤つぼの中宮よろづにたのみ給ふに、例の御心はなれず、ともすれば恨み給ふにより、心ぐるしうわびしと思して、兎角もてはなれ給ふにいかなる折にか、近づき給ふ。院の帝の終にしらせ給はで、かくれ給ひしを、せめて嬉しう思すに、今更この事世に洩れなば、いかゞせむと樣々わびしくて、はてには胸をせきあげ惱み給へば、人々驚き、僧など呼び、御祈りとて騷げば、源氏漸々にしてしのび歸り給ふ。物思はしく徒然なれば、秋の野も見給ひがてら雲林院へ詣で給へり。御母桐壺の御息所の御兄の律師の籠り居給へる坊にて、才ある法師ばら集めて、論議せさせて聞召すに、此の世の徒然も慰み、後の世もョもしければ、此の儘かくてもあらまほしう思し成るに、まづ紫の上の事、心にかゝりて歸り給へり。内裏へ參り給へば、帝珍らしう思して、何かと御物語聞えかはさせ給ふ。朧月夜と、絶えぬ御契りも知召しけれど、心かはさむにげに/\しきあひだなれば、理と思して咎めさせ給はず。それより春宮へ參り給ふに、道にて大后の御弟の大納言の頭の辨といふ人、「白虹日を貫けり、太子おぢたり。」と口ずさむ。是れは燕の太子丹が始皇に逆ける事をいひて、源逆心ある樣にいひなせり。源は怪しと思せど、知らぬ顔にもてなし給へり。藤壺の中宮は、源の不義の絶えぬをわびしう思して、かかる御心をもてはなれむため、御ぐしおろし給ふ。髪おろすといへど、すきとは剃らず、壹尺ばかり殘して切るなり、是れをさげ尼(*尼剃ぎ)といふなり。源うはべには大かたの御訪ひなれど、心の内はかきくらし惜しう口惜しとおぼす。源、
月のすむ 雲ゐをかけて したふとも 此のよの闇に 猶やまよはむ
と聞え給へば、御かへし、中宮、
大方の 憂きにつけては いとへども いつか此の世を そむきはつべき
此の御代には大后と御父の右大臣二人にて政を執り行ひ給ふ。源氏方にはしたしみ給はず、桐壺の更衣を大后憎み給ひし其のはらに出でき給ひし源なれば、心よからず思すに、御父の帝此の源を類なく御寵愛ありしゆゑ、ひとしほ后にくみ給へど、帝御存生の程ははゞかり給ひしが、崩御の後は我がはらの一の宮の御代なれば、何事も思ふ儘に執り行ひて、日來のあたどもを、作り出で給ふ。源の御舅左大臣も、寵愛の葵の上を御兄の一の宮へは奉らで、二男なれど帝の御寵愛にめでて源を御婿に取り給ひし意趣にて、后方に心よからず。源の小舅頭中將は、大后の妹壻なれど、是れも源氏のかたとて隔て心おき給ふ。頭中將はもとより源と中よければ、舅がたをば非に見て仕へもおこたり、源へ再々行きて遊びわざしてくらし給ふ。韵ふたぎといふ遊びは、文字の篇をかくし、つくりばかりにて何の字と、いひあてて、多くあてしを上手とする、其の遊びを源氏と中將ふるまひがけにして、中將負け、源をふるまひ給へり。此の時中將の若君高砂諷ひしとあるは、さきにもしるすごとく今の謠にてはなし、催馬樂といふものなり。朧月夜の内侍(*尚侍)、此の頃瘧を煩ひ給ひ、養生のため、さとへ出で御父右大臣の許にさぶらひ給ひ、世の聞えは恐ろしけれど、互にかよふ御心なれば、とかくして夜な夜な源と對面し給ふ。度重なるまゝに、けしき見知る人も多かり。夏の事なれば、俄に夕立してかみなりきつく鳴れば、人々立ちさわぐ。人目しげくて源歸り給ふべき樣なくて、几帳の内にかくれて居給ひしを、朧月夜の御父右大臣見廻におはしけるが、源のすきかげをちらと見給ひ、ものしうおぼして、大后にかたり立腹し給へば、后はいとゞにくみ給ひて、此のあたをせむと思しめぐらす。
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花散里 此の卷の書き出しに、人しれぬ御心づからの物思はしさとは、源の好色ゆゑに、明暮物思ひ絶えねば、かく書けり。麗景殿の女御といふは、桐壺の帝の女御にて、是れも源の御繼母ともいふべし。其の女御の御妹三の君と聞えしを、源いひよりて折々通ひ給へり。是れも此の卷にはじめて此の人の事は見えたれど、はや往年よりのやうなる意をふくみて書けり。此の三の君へ五月の時分源わたり給ひて、
橘の 香をなつかしみ 郭公 花ちる里を たづねてぞとふ
とよみ給ひしより、此の女君を花散里といふ。
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須磨 大后、右大臣御心よからねば、源の御爲に世の中わづらはしく、はしたなき事まさる。しらずがほにてあらば遠き國へも流し遣はされむ、唯我が方より身を退かむと思ひなり給ひて、キも近ければ須磨へおはせむと、其の用意どもし給ふ。御暇乞にむかしの御舅左大臣殿へ、忍びて夜おはしければ、大臣對面し給ひて、「天が下を逆さまになしても、源も左遷の事はあるべうも思はざりしに、ながらへて、かく思はずなる事を見聞く命のつらさ、葵の上のおはせぬ悲しさを歎き侍りしが、今まであらましかば、いかになげき侍らむに、よくぞ短く侍りける。」など宣へば、源、「よろづの事皆前の世の報いに侍れば、驚くべきにも侍らず、遠くはなちつかはさるべき定めなどあるに、濁りなき心にまかせて、かくて侍らむも憚り多く侍れば、心と世を遁れむと思ひ立ち侍る。」など、昔今の御物語ども聞えかはし給ふ。頭中將も參りあひ給ひて、大酒(*大御酒)などまゐりて夜更けぬれば、左大臣にとまり給ふ。中納言の君といふは、故葵の上の召使ひし女房達なり。故葵の上の存生の時よりしのびて御覽じければ、此の人故にこよひも大臣にとまり給へり。曉に二條院へ歸り給ひて見給へば、侍所にはしたしく仕へる人々は、御供のはずなれど、其の拵へに宿々に下る。大かたの人々は世をはゞかりてまゐらねば、見るほどだに、かく引きかへし寂しう成る。まして荒れ行かむ程をおぼしやるに、よろづにつけてあぢきなく、うきものは世なりけりと思す。紫の上限りなくなげき給ふ。源も此の御別れを堪へがたくおぼす。源の御弟帥の宮、頭中將此の卷には三位中將なり、御とぶらひに參り給へば對面し給はむとて、御裝束著給ひ、鬢なで付け給ふとて、鏡臺にむかひ給へるに、かゞみのかげおもやせ給へば、「殊の外に衰へはべる、あはれなるわざかな。」と宣へば、紫の上涙を一目に浮けて見おこせ給へば、源、
身をかくて さすらへぬとも 君があたり さらぬ鏡の 影は離れじ
と。御かへし、むらさきの上、
別れても かげさへとまる ものならば 鏡をみても 慰めてまし
帥の宮、中將、御對面ありて歸り給ふ。こよひは源、花散里へ暇乞におはして明方にかへり給ふ。今日は荷物かたづけさせ給ふ。旅の御すまひのために、なくて叶はぬ御道具、其の外には文集入りたる箱、琴のことばかり持たせ給ふ。知行の證文どもは紫の上に預け給ふ。今宵は御父院の御陵へ御暇乞に詣で給ふとて、宵のほどは藤壺へおはしまして、春宮の御事ども宣ひかはし給ふ。藤壺も、あらぬ御心にて恨み宣へば、春宮の御後見に故院宣ひ置かせ給へば、よろづにョみ思すに、かく成り給へばなげき給ふ事おろかならず、「御はかへ參り侍る、御言傳聞えさせ給はぬか。」と宣へば、藤つぼ、
みしはなく あるははかなき 世のはてを そむきしかひも なく/\ぞふる
御かへし、源、
別れ路に 悲しき事は つきにしを まだも此の世の うさは殘れり
それより御陵へ詣で給ひて、さま/〃\の事どもを、生ける人にいふごとくに宣ひつゞけて拜み給ふに、なき御かげさやかに見えさせ給へば、
なきかげや いかゞ見るらむ よそへつゝ ながむる月は 雲がくれぬる
明けはつる程に還り給ひて、其の日は紫の上とのどかに御物語などし給ひて夜深く立ち給ふ。旅の裝束し給ひて、「月出でけりや、猶少し出でて見だに送り給へ、一日二日の隔てさへいぶせかりしに、年月積らむことよ。」とて、はしの方へいざなひ給ふ。紫の上は泣き沈み給ふを、ためらひて、なく/\ゐざり出で給ふ御形、月影にいみじう美し。源、
いける世の 別れをしらで 契りつゝ 命を人に かぎりけるかな
御かへし、紫のうへ、
をしからぬ 命にかへて 目の前の 別れをしばし とゞめてしがな
いと見すて難けれど明けはてぬさきにと急ぎ出で給ふ。御舟に乘り給ふに日長き頃追風さへふけば、其の日の申の時ばかりに須磨におはしつきけり。住み給ふべき所は行平の中納言の、「もしほたれつゝ。」とよみてわびける家の近きわたりなり。萱や蘆にてふきし家ども、面白くしなしたり。近き所の知行の百姓召し寄せて、水深うやり流し、植木ども植ゑさせ、少しの間に見所ありてしなさせ給へり。キ出で給ふは三月二十日頃とみえたり。長雨の頃に成りて、キの事數々思し出でて人を上せ給ふ。紫の上藤壺朧月夜などへ文遣はし給ひて、御返しども見給ふにも、戀しさのみまさる。紫の上よりは小袖夜の物など、したてて下し給へり。榊の卷に伊勢へくだり給ひし六條の御息所よりも、御訪らひに御使まゐる。源御使を近く召しよせて、伊勢の事ども聞召したり。花ちる里よりも御文あり。朧月夜とも忍びて取りかはし給へり。此の人も里に引籠りて居給ひしが、御許しありて、七月に内裏へ參り給ふ。帝珍らしう思して、御前にのみさぶらはせ給ふ。源の居給はねば御遊びも榮えなくて徒然なり、まして人々嘸忍ぶらむ、故院の御遺言をたがへ、かくなしつるかな、罪にもならむとて涙ぐませ給へば、朧月夜はいと忍びあへずおぼす。須磨には心づくしの秋かぜにいとゞわびしさまさり、つれ/〃\なれば、色々の紙を繼ぎて手習をし、唐の綾などに樣々の繪どもを書きすさび給ふ。見所多くて、其の頃の上手千枝常則よりもまさらむと、人々譽め奉る。明けくれ御艶iにて行ひをのみせさせ給ふ。海よく見ゆる廊下に出でて、「釋迦牟尼佛の弟子。」と名のりて、ゆるらかに經よみ給ふさま、いはむ方なく美し。鴈のつらねて、鳴く聲、舟の梶の音にまがへるを打ちながめて、涙のこぼるるを打ちはらひ給へる御手つき、Kき御數珠によくはえて、いと美し。
初鴈は 戀しき人の つらなれや 旅の空とぶ 聲の悲しさ
良Cといふも源の御家人なり。民部の大夫とあるは惟光なり。右近のじようとあるは、帚木の卷にある伊豫介が子息紀伊守が弟なり。其の頃筑紫より大貳に登る。源かくておはする驚き、子の筑前守を御見舞に寄せたり。此の大貳の娘五節の君といひしにも、源むかし京にて逢ひ給ひしが、五節の歌などよみて、忍びて源へ奉りしなり。キの公卿殿上人などより須磨へとぶらひに文つかはし、あはれなる詩歌などつくりかはし給ふを、人々譽め奉るを、大后傳へ聞き給ひて、面白き住居して世の中を非に見るに、彼の鹿を馬といひしやうに、キの殿上人共が追從すると宣ふゆゑ、はゞかりて文ども絶えけり。明石の浦はいと近ければ、良C入道(明石)の娘へ文つかはしけれど、返り事もせず。此の入道は大臣の子なり。入道俗の時は左近の中將なりしが、かく次第に劣り行きては男たてて詮なしとて、官位を辭して、かしらおろして、明石に引籠りしなり。唯ひとりよき娘をもちけり。似合はしき方より人々數多もらはむと有りしかど、思ふ心ありとて合點せず、源の須磨におはしますを聞きて、いかで源へ奉らむと女房にいへば、「歴々の御方々多く持ち給ひ、其の上、帝の御目をさへぬすみ、それ故に左遷し給ふ人の、此の田舎にすむ山賤を、いかで御心に入れ給はむ、かつうは流人を壻に取らむも、いま/\しき事。」といへば、入道腹だちて、「源の御母桐壺の更衣は入道が伯父按察大納言の娘なり、心高く身をもてなし、宮仕へ出しければ、國王の御寵愛ありしなり。罪にあたりて流さるゝ人は、唐土にも我が朝にも例多し、何事にもぬけ出でたる人にある事なり、只女は心高くもてなしたるが幸ひをひくなり、神の御惠みをョむ。」とて、歳に二度づゝ住吉へ詣でさせけり。年もかへりぬ。須磨には去年植ゑ給ひし若木の櫻ほのかに咲きしをながめて、こぞの此の頃をおぼし出づ。葵の上の御兄頭中將、今は宰相なり、世のとがめありて同じ罪にあふとも是非なしとて、御とぶらひに須磨へおはしたり。見るより珍らしく嬉しきにも、先づ互に涙ぞこぼれける。家の體唐めきたり。竹の垣し渡して、石の橋松おろそかに面白し。泉カ(*白水郎。あま)どもあさりして貝ども持て參るを、御前へ召し出でて浦に年ふる樣ども尋ね聞き給ふに、色々の身の憂へをさへづる。哀れがりて小袖など給はる。よもすがらまどろまず、詩をつくりあかし給ひて、朝(*朝ぼらけ)の程に歸り給ふ。三月一日初の巳の日なり。「思ふ事ある人は、此の日はらへすれば思ふ事叶ふ。」と或人申せば、海づらも見まくほしくて、軟障引きめぐらしたる舟に乘りて出で給ふ。ぜじやうとは幕の事なり。陰陽師召してはらへし給ひて、源、
八百萬 神もあはれと 思ふらむ 犯せる罪の それとなければ
と宣ふに、うら/\となぎて長閑なりける海の面、俄に風吹き出でて大雨なり。海づらは、ふすまをはりたるやうに光みちて、かみなり落ちかゝる心地す、漸々にして歸り給ふ。御内の人々、所の泉カどもあきれ惑ふ。源のどやかに經打吟じておはす。聊まどろみ給へば、其のさまとも見えぬもの來て、「など宮より召すには參り給はぬ。」といふ夢に見給ふ。龍宮の見入れたるにやと思すに、此の住居もうるさくおぼし成りぬ。
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明石 なほ雨風やまず、かみなりしづまらで日頃になれば、いとゞ人目も絶えて、尋ね來る人もなきに、紫の上よりぞ、いかにとおぼつかなう思して、人を下し給ふ。御文には、
浦風や いかにふくらむ 思ひやる 袖打ちぬらし 波間なき頃
御使さへなつかしく思して、近く召し寄せて、京の事共問ひ給ふ。京にも此の雨風たゞ事にあらずとて、御祈りども侍るなど申す。わびしきまゝに、御供の人々住吉(*原文「住君」)の神を始めよろづの神々に願をたて祈るに、いよ/\雷鳴り轟きて、源の御座の間に續きたる廊におち、炎もえあがりて樓はやけぬ。上下もいはずたちこみて、あきれさわぐ。空はなほ墨摺りたらむやうにて日も暮れぬ。少しまどろみ給ふに、夢に御父故院源の御傍にたたせ給ひて、「などかく怪しき所に居るぞ、住吉の神の導き給ふに、はや舟出して此の浦をされ。我は位にありし時あやまつ事はなかりしかど、少しおかしありて其の罪をうる程、いとまなし。此の序に内裏に奏すべき事あれば、いそぐ。」と宣ひて夢は覺めぬ。其の曉に明石の入道よりとて人參れり。「いかゞ思さむと憚りながら夢の告げに任せ御迎ひを奉る。此の由源へ披露し給へ。」とて、小舟に人二三人乘せておこせり。御父帝も此の浦を去れと告げ給ひしに、かく夢の告げとて迎ひに參れば、とりあへず此の舟にめして明石へ渡り給ふ。入道源を見奉りて、老を忘れ齡も延ぶる心地して笑み榮え、先づ住吉の神を拜み奉る。心の限りもて傅(*原文「傳」)く。序もがな、娘の事いひ出でむと、それのみ急がるゝ。或夜源琴のことを彈き給へば、入道行ひも怠りて御前に參り愛で居たり。娘をば、岡部といふ所に家を作り別に住ませける。岡部より琴琵琶取りよせ、入道びはを彈く、人々唱歌諷はせ、かりそめながら中々面白き御遊びなり。源箏のことを引きよせて、「是れは女のしどけなうひきたるこそおもしろき物なれ。」と宣ふ詞に取りより、娘の琴びはをひく事を語り、是れを源へ奉りたき願ひを住吉の神あはれみ給ひて、かく須磨へおはしけるとおぼえ侍るなど、さま/〃\かたり申して、入道、
獨寢は 君もしりぬや つれ/〃\と 思ひあかしの 浦さびしさを
と申せば、御かへし、源、
旅衣 うらさびしさに あかしかね 草の枕は 夢も結ばず
と宣へば、入道思ふ事かず/\叶ふ心地して、心のうちすゞしう思ふに、又の日娘の方へ御文遣はし給へり。入道も人知れず御文や來ると待ち居たれば、岡部へ行きて見るに、なべてならぬ書きざまなれば、娘はいとゞ恥かしうて、御返り事せず、云ひわびて入道ぞ御かへし書きて奉りければ、又の日宣旨書(*原文「宣言書」)はみなれぬとて、また文遣はし給へば、其の時は娘御かへし書きしなり。せんじがきとは、おほせ書きのことなり。これよりは折折文を取りかはし給ふ。キには、三月十三日風雨強かりし夜、御父故院を御夢に御覽じ、御目を見合はせ給ひしと御覽じけるより、みかど眼病をわづらはせ給ひて、たへがたう思す。御母后も惱ましうし給ふ。是れは源をながし置く故ならむ、今は召しかへさばやと、たび/\御母宮に仰せあはさるれど、せめて三年を過して召しかへさせ給はめ、輕々しき事とて、后用ひ給はず。秋にも成りぬ。あかしには旅寢もいとゞ物うき折ふしなれば、「娘を御伽に參らせよ。」と入道に語らひ給ひて、源岡部へおはせむとはおぼしもかけず、女は數ならぬ身に、いかで御心ざしあらむや、參りそめて恥がましき事もあらば、中々なる物思ひなるべし。女の取りかはしばかりにてやみなむと思へば、心こはくして參らず。心競べにまけ給ひて、八月十五夜に源岡部へおはし初めたり。かねて思しけるよりさまかたちあらまほしく、キの人々にも劣らねば、御心ざし淺からず、折々通ひ給ふ。かくて其の歳もかへりぬ。内裏には御心地さわやかならねば、御藥のあつかひにて、世のなかもさわがし。右大臣の御娘承香殿の女御の御腹に男宮生まれ給へど、二つに成り給へば、心もとなし、猶春宮にこそ世を讓らめ、執政を源に仰せ付けむと思して、后の御諫めをも聞き入れ給はず、源を召し還さむに定まり、七月二十日餘りに明石へ御使下りて、赦し給ふ宣旨下さる。源は嬉しきにつけても又明石の御方に別れむ事を思す。入道は聞くより胸潰れて、別れ奉らむ事を悲しめり。娘は六月より懷胎にて惱む。さるべきやうにして京へ迎へむと語らひ給ふ。御門出の前の夜は早く岡部へ渡り給ひて、琴のことを少しひかせ給ひて、「是れを形見に殘す。此のしらべかはらぬ内に對面せむ。」と宣ひて、琴をば明石に置き給へば、あかしの御かた、
等閑に ョみ置くめる ひとことを 盡きせぬ音にや かけてしのばむ
御かへし、源、
あふまでの 形見に契る 中の緒の しらべはことに かはらざらなむ
入道御門出の御まうけ、樣々に營み、御供の人々に旅の裝束珍らしき樣に拵へて遣はせり。入道御名殘を惜しみ、かひつくりて(*「貝作る」=泣きべそをかく)泣く顔、笑止ながら若き人々は笑ふ。程なく京へ歸り著き給ひて、二條院へ入らせ給へば、キの人も御供の人も、夢の心ちして悦泣きをせり。もとの御位に改まり、數の外の權大納言に成り給ふ。
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澪標 須磨にて、故院源の御夢にさやかに見え給ひ、御罪も深き由聞え給ひし後、源ふかく悲しみ給ひて、御弔ひの爲に八講といふ御法事を執り行ひ給ひしなり。帝は源を召し返させ給へば、御心ちも爽やぎ、御目もよくならせ給へど、猶物心細く、世に久しかるまじきこゝちせさせ給へば、御位をさらむと思召す。二月に春宮十一にて御元服あり、御年より大きにおとなしく、いとゞ源によく似させ給へり。同二月二十日遂に御即位あり。帝はおりさせ給ひて、朱雀院と申し奉る。源内大臣にあがり給ひて、執政し給ふべき定めなれど、さやうの事しげき職成しがたからむとて、昔の御舅葵の上の御父左大臣に讓り、左大臣を太政大臣になし、攝政をさせ奉り給ふ。頭中將は明石の卷に宰相なりしが、權中納言に成り給ふ。葵の上の御はらの源の若君昇殿し給へり。三月にもなりぬ。明石の御方の産月なれば、御心にかゝりて人を遣はし給ふに、御使かへりて、十六日に平らかに姫君生まれ給ふ由申せば、思召のまゝと嬉しう思して、宮内卿の女近き頃、子産みしが、「御乳母に參らむ。」と人をたのみ申しければ、忍びて源めのとの家へおはして、萬の事宣ひふくみて、明石へ下し給ふ。御文には、
いつしかも 袖打ちかけむ 少女子が 世をへて撫づる 岩のおひさき
御かへし、あかし、
獨して 撫づるは袖の ほどなきに おほふばかりの かげをしぞまつ
入道かしづき、もてさわぐらむ體思しやるも、ほゝゑまれ給ふ。明石の卷に二歳に成りたまひし朱雀院の若宮を、此の卷よりは春宮と申し奉る。今の帝の御母は藤壺の中宮なり、榊の卷に御ぐしおろし給へば、今は入道の宮といふ、太上天皇になぞらへ知行證文ども奉り給ふ。權中納言の御娘十二に成り給ふを、御即位の年の八月に女御にまゐらせ給ひて、弘徽殿といふ。源須磨にて雨風騷がしかりし時住吉へ立願ありし其の願ほどきに、若君をも引具して住吉へ詣で給ふ。公卿殿上人多く御供して、Cらかなる事よき見物なり。彼の明石の御方、年に二たびづゝ住吉へ詣でければ、折しも舟にて詣でけり。岸に舟さしよせてみれば、勢ひいかめしう罵りて詣で給ふ人あり。誰人ぞと問はすれば、源内大臣の參り給ふといふ、かかる御ひゞきも知らで今日しも參りあひ、數ならぬ身のほどを、見ゆるも中々知らぬ人よりも恥かしくて、舟を難波へ漕ぎ戻させけり。源はかくとも知らせ給はざりしに、惟光委しく申して御用の事もやと、惟光は小さき硯を常に用意して懷に持ちければ、取り出して御車に奉れば、「よくしたる。」と宣ひて、御はな紙に、源、
身をつくし 戀ふるしるしに こゝまでも 廻りあひぬる 縁は深しな
と書きてつかはされければ、御かへし、明石、
數ならぬ なにはの事も かひなきに 何みをつくし 思ひ初めけむ
京へ歸り給ひて、あかしへ人つかはし、「此の頃のほどにキへのぼり給へ。」と宣ひつかはせど、年經たる栖をあくがれ、今さらキの住居もいかゞあらむ、たゞ今までは源の御心ざしかはらねど、行末たのむべき身にもあらず、ふと登りて又歸り來むも外聞あしければ、急ぎても登らず、入道も姫君に別れむ悲しさに、一日々々と延びたり。御代がはりなれば、榊の卷に齋宮に立ち給ひし前坊の御娘、キへ歸り給ふ。御母六條の御息所も同じくかへり給ひて、もとの栖六條京極に住み給ふ。源參り給ふ事はぜうにて(*ママ。「せちにて」「たえて」等か。)なけれど、萬の事は懇に聞え給ふ。御息所俄に重く煩ひ給ひ、心細かりければ、罪深き所に年を重ねしも恐ろしう思して、尼に成り給ふ。齋宮齋院は佛法をいむゆゑ、罪深き所といふ。御息所髪おろし給ふ。御とぶらひに源六條へ參り給ふ。几帳ごしに御息所對面し給ひて、なき後に殘り給はむ齋宮の事をョみ給ふ。たゞにあるまじき源の御心と、御息所おしはかり給へば、其の道の御心ざしなきやうにと宣へるに、源は御心の内に、齋宮のいか樣におひたち給ひけむと、みまほしがり(*原文「みはほしがり」)給ひしなり。何事も御遺言の詞に違へじと聞え給ひて歸り給ふ。七八日ありてみやす所かくれ給ふ。御跡のこと源取りもちてはからひ給へり。日數たちては、齋宮をも我が御かた二條院へ引取り、帝の今少しおとなしくならせ給はば女御に參らせむと思す。源の御兄朱雀院は、我が御代に齋宮の伊勢へ下り給ふ時、別れの櫛をささせ給ひて、稚き程の御かたちを御覽じければ、御自らの女御にせむと思してねんごろに聞えさせ給ふを、源聞き給ひて、藤壺に談合せさせ給ふ。「帝幼くおはしませば、御後見ごゝろに、おとなしき人の侍ふはよき事と思ひ侍れば、齋宮を女御に思ひよせ侍る。御心はいかゞ。」と申し給へば、藤壺、「自ら病氣にてさとがちなるに、おとなしき人常に侍らむ。」と宣ひて、入内に定め置き給へり。
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蓬生 源須磨にて藻鹽たれつゝわび給ひし頃、キの御方々歎き悲しみ給ひし中にも、末摘花の卷に逢ひ初め給ひし故常陸の宮の御娘は、かすかに心ぼそき御有樣なれば、源あはれに思し、折々は音づれ給へども、もとより深き御心ざしあらざりしかば、おのづから忘れ給ひぬ。不思議なる御契りにて、あはれみとぶらひ給へば、御内の人々も嬉しうかひあるこゝちせしに、須磨の騷ぎよりは絶えて事問ひ給はねば、外の人聞よりも素より×しき(*ママ。「貧しき」か。)宮なれば、内々の苦しさ堪へ難くて、女房も行きちり、いとゞ寂しさまさる。築地もこぼれかたぶき、庭には淺茅蓬生ひしげり、葎は軒をあらそふ、狐も形を顯はし、梟のこゑ朝夕に耳馴れて、侘しきこと數しらず。末摘の御兄禪師の君ばかりぞ、京に出で給ふ折ふしは音づれ給へど、法師といふ中にも、この世を離れたる聖心なれば、しげき蓬をさへ引き拂はせむとも思ひ寄り給はず。この末つむの御母のはらから、世におちぶれて受領の北の方になりし人は、我をば受領の妻なりと末摘かたにあなづり給ひ口惜しかりき。今末つむせむかたなき體にてゐ給ふをあはれむ體にたらし、我が娘の女房達にせむには、心ばへ律義なれば、よき後見なりと思ひて、時々行きかよひしに、夫の受領大貳に成りて、北の方引具し筑紫に下らむとする、いよ/\此の末摘をいざなはむ(*原文「いざなむ」)と思ひて、北の方末摘の御方へ來て、いろ/\にすゝめけれど、猶源にたのみをかけて動き給はねば、さらば侍從の君をいざなはむ(*原文「いざなむ」)といふ。侍從は御めのとの子なり。貧しきに堪忍しがたくて、誘ふ水あらばと思ふ折ふし、北の方かくいふにより、侍從は筑紫へ下らむといふ。はなむけにやり給ふべき小袖などもなければ、我が御髪のおちにて拵へ給ひしかつらの、長さ九尺ばかりありけるに、昔の香の匂ひかぐはしきをそへて、とらせ給ふとて、末つむはな、
絶ゆまじき すぢをたのみし 玉かづら 思ひの外に かけはなれぬる
とて泣き給ふ。御かへし、侍從、
玉かづら 絶えてもやまじ ゆく道の 手向の神を かけてちかはむ
とかく侍從は筑紫へ下りぬ。いとゞつれ/〃\と眺め給ふに、冬にも成りぬ。外には消ゆる雪も、朝日夕日をふせぐ蓬葎の陰に深く積りて、越の白山の心地して、うきながら年もかへりぬ。四月の頃、源花ちる里へおはせむとて、雨少し降りてリれたる夕暮の月影面白き程に立ち出で給ふに、松に藤の咲きかゝりて、築地も崩れたれば大路へ亂れふしたる家あり。御覽じたるやうにおぼえ給ひて思し出せば、末摘の御方なり。いとあはれにかく忘れ給ふ心を、我ながら難面し(*「おもなし」か。「なめし」ではない。)と思ひしられ給ひていとほしければ、惟光を召して、「先へはひりて(*ママ)かくと案内せよ。」と宣ひてつかはし給ふ。内には末摘晝轉寢し給へる夢に、御父常陸の宮見え給へば、覺めし名殘も戀しくて、末摘花、
なき人を 戀ふる袂の 隙なきに あれたるやどの 雫さへそふ
と口ずさみ給へり。惟光案内すれば、座敷のちりなど掃はせ、大貳の北の方が奉りし小袖を著かへなどしたまふ。惟光立ち出でてかくと申せば、源いらせ給ふ。蓬の露しげければ、御供の人の馬のむちにて拂ふ。木の下露も雨にことならねば御かさささせ給ひてあゆみ入り給ふとて、源氏、
尋ねても 我こそとはめ 道もなく ふかき蓬の もとの心を
とよみ給ふゆゑ、末つむをよもぎふの宮ともいふ。それよりねんごろに訪らひ給ひて、後には二條院近き所をつくらせて、それへ移し給ひて、育み給ふ。大貳の北のかた筑紫より上りて驚きおもふ。侍從は心みじかくて見捨て奉りしほどを恥かしう思へり。
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關屋 伊豫介といひしは、帚木の卷にある源の御家人なり。伊豫の國の守たりしが、桐壺の帝かくれさせ給ひし又の年、常陸守に成りて、空蝉を引具してひたちに下りしが、源須磨よりかへり給ふあくる年の秋、常陸より女子引連れて上京す。源は石山に御願有りければ、ほどきに石山へ詣で給ふ。京より常陸守が子の紀伊守など父が迎ひ(*ママ)に行きて、源石山に詣で給ふ事告げければ、道にて參りあはぬやうにと、夜こめて隨分急げど、女子引具し大勢なれば、日たけて源の御車に行き逢ふ。關山におり居て、女子の車どもは此處彼處にかくしてかしこまる。源は心の内に、むかし空蝉を色々に宣ひし事を思し出づ。京に歸り給ひて後、空蝉が弟むかしの小君今は衞門佐といふをめしよせて、空蝉へ文つかはさる。源、
わくらばに 行きあふみちを たのめしも 猶かひなしや 汐ならぬうみ
御かへし、うつせみ、
あふ坂の 關やいかなる せきなれば しげきなげきの 中をわくらむ
とよみて奉れり。かかるほどに、此の常陸守老のつもりにや、なやみければ、子供へ源へよく宮づかへすべき事をいひ置く。うつせみは常陸にさへおくれなば又いかなるさまにか成り行かむと歎くをみるにも、此の人の爲に殘しおく魂もがなとうしろめたけれど、心に任せぬは命にて、きえうせぬ。子供もしばしこそ相かはらざりけれ、繼子繼母の中なれば事にふれて苦しき事出でくるに、總領紀伊守戀慕の心みえければ、かくてはいかゞと空蝉恨めしがりて尼に成りければ、紀伊守、「己をいとひて尼に成りたまふが、まだ若ければ殘りの齡久し。何として世をわたり給はむ。」といひ立腹しけり。
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繪合 澪標の卷に、六條の御息所の御娘の齋宮を、帝へ奉りて女御にせむと定め給ひし其の齋宮、此の卷に入内し給ふ。朱雀院此の齋宮に御心ざしあるを、かく引きたがへ帝へ參らせ給ふ故、朱雀院の御心を憚りて、源は齋宮の御親分なれど、さのみ肝入り給はねば、帝の御母藤壺今は入道の宮といふこの宮、萬を取りもたせ給ひて齋宮内へ參りたまふ。御つぼねは梅壺なり。御入内の時朱雀院より道具薫物など贈らせ給へり。帝は此の卷には十二に成らせ給ふ。齋宮は二十二三たるべし。おとなしき人なれば帝恥かしう思して、御遊びの相手にもせさせ給はず。頭中將今は權中納言なり。この御娘の弘徽殿の女御は、帝ひとつ御姉なれば、年の程同じ頃にて御中らひよし。みかどは何事よりも繪を好ませ給ひて、御みづからもよくかかせ給ふ。殿上人の中にも繪をかくをば、重寶に思召すに、此の齋宮繪をかき給へば、御心にしみて、梅壺へ再々わたり給ふを、弘徽殿の御父權中納言聞き給ひて、面白き繪を集めて弘徽殿へ遣はし給へば、帝是れを御覽じ、齋宮へ持ちて渡らせ給はむとせ(*ママ)給へば、弘徽殿をしみ論じ給ひて、心よくも御目にかけ給はぬを、源聞き給ひて、「めざましき事なり。古き繪ども多く侍り。奉らむ。」と奏し給ひて、書棚開けさせ給ひて、紫の上とゥ共に撰み集め給ふ。長恨歌、王昭君などの繪はあはれにおもしろけれど、後の爲にいむ事なれば、是れをば奉らじとて撰り除け給ひて、かの須磨にて畫かせ給ひし繪を取り出して、このついでに紫の上にも見せ給ふ。あはれにおもしろければ、「はやく見せ給はざりし。」とうらみ給ひて、紫の上、
獨ゐて ながめしよりは あまのすむ かたをかきてぞ 見るべかりける
とよみ給へば、源、
うきめ見し 其の折よりも けふは又 過ぎにしかたに かへる涙か
源かく繪を集め給ふと聞きて、權中納言いとゞ軸表紙結構にして弘徽殿へ繪をつかはし給へり。三月十日ばかりなれば、空のけしきものどかに面白きに、内裏も節會のひまにて御かた/〃\くらし給へば、同じくは此の繪どもにて繪合して奉らむとて、齋宮と弘徽殿を左右にして繪あはせあり。齋宮の方より物がたりの出できはじめの竹とりを出し給ふ。弘徽殿よりはうつぼの物語なり。次に齋宮より伊勢物語、弘徽殿より上三位(*「正三位」という。散逸物語。)をあはせつ。此の上三位といふ物語今の世には見えず。入道(藤壺)の宮判者せさせ給ふ。源も參り給ひて、「これ程おもしろき御遊びを帝の御前にて勝負を定めむ。」と宣ふ。朱雀院よりも齋宮へ御繪ども參らせ給へり。敕諚にて源も中納言も御前へ參り給ふ。其の日帥の宮も參り給ふ。須磨の卷にある帥の宮と同人なり、源の御弟なり。此の帥の宮を判者に仰付けらる。色々の繪共合はせて、はてに齋宮方より源の須磨にてかき給ひし繪を出し給ふに、珍らしうあはれに面白き事類なくて、左の齋宮勝ち給へり。それより御遊びに成りて、中納言和琴、帥の宮箏の琴、源氏は琴の琴、琵琶は少將の命婦といふ女房彈く。いみじう面白し。此の御代よりと後に人にいひ傳へさせむと思せば、かくはかなき御遊びにも珍らしきふしを加へさせ給ひて、いみじき盛りの御代なり。さりながら、源は世を常なき物に思して、帝今少しおとなしくならせ給はば世を背かむと思せば、山里の長閑なるを見立て、御堂をつくらせ給ふ。公達をそれ/〃\に有り付けて見むと思すにぞ、はやく世を捨て給はむ事は難し。
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松風 二條院の東の對は源の御座所、西の對は紫の上の所なり。今は源も紫の一つにおはしませば、我が御座所の東の對を普請しかへて、花散里明石其の外手をかけ給ひし人々を住さむと思す。作りはてければ花ちる里を移し給へり。明石へも絶えず人つかはし登り給ふべきよし宣ふ。年久しう田舎に住みしに、ふと人中へさし出でむもいかゞなりとて思ひめぐらすに、入道(父)の北の方祖父中務の宮といひし人の住み給ひし家大堰川のわたりにあり。跡目はか/〃\しからで、今は留守居許りにてあれはててあるを思ひ出して、留守居を呼び、「しか/〃\のいはれにてキへ登るなり。大堰に住むと思ふ。よきやうに修理せよ。」といひ付けて繕はす。かく思ひより侍ると源へ申しければ、げに/\しき事とおぼす。今はのぼらむと思ふに、入道の獨とまらむを心ぐるしう思ふ。入道はかかる事を年月願ひければいとうれしけれど、朝夕袖の上の玉のやうにいだき奉りて美しみける姫君に別れむ悲しさに、涙におぼれ居たり。車を數々に引きつゞきけむもこと/〃\しければ、たゞ舟にてのぼらむとさだむ。時しも秋なれば、取りあつめ物あはれなり。入道、
行くさきを はるかに祈る 別路に 堪へぬは老の 涙なりけり
門出なればいま/\しやとて涙をおしのごひ隱す。北のかたも尼に成りて年頃一つ庵にも住まざりけれど、今はと別れて行くはかなしう思へり。尼君、
ゥともに みやこは出でき このたびは ひとり野中を 道にまどはむ
かくて舟に乘りければ、追風よく程なくキに登り著きぬ。大堰川のほとりなれば(*原文「なりば」)、明石の海面によく似て、所かへたる心ちもせず。源より人遣はされて、御設けども拵へて待ちしなり。源は靜心なく渡りたく思ひたまへど、紫の上の御心をかねて、早くもえわたり給はず。大堰にはつれ/〃\なれば、琴を少しひきならしけるに、松風吹き合はせておもしろければ、尼君、
身をかへて ひとりかへれる 古郷に 聞きしに似たる 松風ぞ吹く
とよめりしを卷の名とせり。かくて源わたり給ひて姫君を見給ふに、美しういとほしき事限りなし。三つに成り給へば片言など愛らしく聞え給ふ。あふまでのかたみとて源の殘し給ひし琴のことをさしたれば、源、
契りしに かはらぬ琴の しらべにて 絶えぬ心の ほどはしりきや
御かへし、あかし、
かはらじと 契りしことを たのみにて 松のひゞきに 音をそへしかな
二三日おはして、けふは二條院へ歸らむと思すに、殿上人など數多少鷹狩(*小鷹狩)して、其の鳥を持たせて參りたまへば、今日は桂の院にて遊び、大酒まゐり給ふ。内裏に此の中御物忌にて今日あく日なり。源參内あらむと待たせ給ふに見え給はねば、いかゞとたづねさせ給ふ。しか/\と申せば、桂の院へ御使あり。御製、
月のすむ 川の遠なる 里なれば 桂のかげは のどけかるらむ
御かへし、源、
久かたの ひかりに近き 名のみして 朝夕霧も はれぬ山ざと
源二條院へ歸り給ひて、紫の上に姫君の事を語り、劣りたる腹に出でき給へば、女御に成り給はむにいかゞなり、紫の上に養ひそだて給へと宣へば、我が御子にしてかしづかむとおぼす。源大堰にわたり給ふ事いとかたし。嵯峨の御堂の念佛にかこつけて、月に二度ばかりわたり給ふ。さがの御堂とは、繪合の卷に山里の長閑なるを見立て、御堂をつくり給ふとある御堂なり。
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薄雲 冬に成り行くまゝに、明石の御方は大堰の住居侘しう思へり。源もかく程遠くては再々わたり給ふ事ならず、二條院の東へ移れと宣へど、今源の疎きは道遠きゆゑと思へば恨みもなし、近くて疎くば人目もあしうつらからむと思へば、移らむともいはず。姫君を爰にて育つるはいかゞなり、二條院へつれてゆき紫の上の子にせむとおぼせど、明石離れがたく悲しみ給へば、さすがにさもえし給はで、此の姫君の袴著はいかにし給ふべきと、明石へ源より宣ひ遣はしける御返り事に、「數ならぬ身にそへ奉りては、姫君の御爲よき事ならず、二條院へわたし奉らむ。」と聞えたり。男ならねど姫君にも袴著あり。雪霰がちに心細さまさるに、姫君を撫でつくろひ、かきくらし降りつもれる雪の朝、汀の氷など見やりて、「二條院へ姫わたり給はば、かやうならむ日はましていかに心もとなく思はむ。」とて打泣きて、明石、
雪深み み山の道は はれずとも 猶行きかよへ 跡たえずして
と宣へば、めのと、
雪ふかき 吉野の山を 尋ねても 心のかよふ あとたえめやは
此の雪少しとけて、源大堰へわたり給へり。常には待ちつけて嬉しきに、姫君の迎ひ(*ママ)におはしたると思へば、胸つぶれてわびし。姫君いとうつくしげにて母君の前に居給ふ。これをよそのものにして明暮戀しう思はむ心を推し量り給へば笑止にて、猶よく合點せさせ給へば、いよ/\わたし奉らむといふ。姫君は何心なく御車に乘らむといそぎ給ふ。御車よせたる所へ母君懷きて出で給へば、姫君、母君の袖をとらへて、「のり給へ。」とひくもかなしうおぼえて、明石、
末遠き 二葉の松に ひきわかれ いつか木高き かげを見るべき
とて泣き給ふ。源、
生ひそめし 根も深ければ 武隈の 松に少松(*小松) ちよをならべむ
御めのと・少將といふ若き人ばかり御はかせ(*御はかし(佩刀))・あまがつ(*天児。子供の御守。)持ちて御供に行く。はかせは守刀、あまがつは伽ほうこ(*御伽婢子〔おとぎばふこ〕。魔除けの人形。)なり。源二條院へおはしまし著きぬ。姫君は道にて寐入り給ひしを、いだきおろせば泣きもし給はず、くだ物參りなどして見めぐらし、母君の見えぬをたづね給へば、乳母を召して慰め紛らはし給ふ。源御傍にて明けくれ見給ひ、思ひのまゝにもてかしづき給へば嬉しう思す。紫の上のよきはらには出でき給はでと口惜しくおぼす。しばしは人々を尋ねて泣きなどし給へど、大方おとなしき心ばへにて、紫の上にいとよくなつき(*原文「なづき」)給へば、美しきものえたりとおぼして、いとほしがりいだきあつかひもて遊び給ふ。
年かへりて、おほやけわたくし物騷がしき程を過して(*原文「過しして」)、大堰へ源渡り給ふとて出で給ふを、姫君御さしぬきの裾に取り付きて慕ひ給へば、源、「あすかへりこむ。」と宣へば、むらさきの上、
舟とむる 遠方人の なくばこそ あすかへりこむ せなと待ちみめ
御かへし、源、
行きてみて あすはさね(*必ず)こむ 中々に をちかた人は 心おくとも
紫の上は姫君のいとほしさに、明石を妬(*原文「{女+戸}」)み給ひし心もなくなりて、「いかに戀しう思ふらむ、我さへ別れなば戀しかるべきものを。」と顔を打守りて、御懷に入れ御乳を含めてたはぶれ給へり。源は大堰にて姫君の事ども語らせ給ひ、二三日逗留して歸らせ給へり。其の頃太政大臣かくれ給ふ。源のむかしの御舅葵のうへの御父なり。攝政なれば帝もおぼし歎き、世の人も惜しみ悲しめり。源はまして口をしう思す。世の政も此の大臣に讓りてこそ隙も有りしか、今よりは事繁からむとなげき給ふ。其の年は大方世の中さわがしく、内裏も物の告などあり。天つ空にも常にかはりたる月日星の光などみえて、世の人驚くこと多し。帝の御母入道(藤壺)きさいの宮なやみ給ひて、三月には重く成らせ給へば、帝も行幸あり。源も心の限り肝入らせ給へどかひなくて、三十七にてともし火などの消え入るやうにてきえはて給ふ。御心ばへのどかによくおはしければ、納め奉るにも世の中ゆすりて惜しみ悲しみ奉る。源はうはべには大方の御歎きなれど、御心の内にはさま/〃\おぼし出づる事多くて、引籠り居給ひて、一日泣きくらし給ふに、夕日の影に雲の薄くたなびきたるを御覽じて、源、
入日さす 峯にたゞよふ 薄雲は 物思ふ袖に 色ぞまがへる
とひとりごとし給へり。此の歌により薄雲の女院と系圖にはあり。
御忌なども過ぎて、帝もの心細く思す。入道の宮の御母后の時より御祈りの師にてさぶらひける僧キあり。此の頃は、「よく内裏に詰め給へ。」と源の宣ふにより伺公せられけるが、人も無く靜かなる曉に、帝の御前に參りて、「申すに付けて憚られ侍れど、斯くと知りながら隱すもいかゞにて侍れば申し奉る。」とて、誠は帝源氏の御子にておはします事を語り、「入道の宮、御事顯はれぬ樣にと、此の僧キに御祈りをたのみ給ひしにより知れり。御父におはしますを帝しらせ給はで、只人に御覽じ下すゆゑ、天咎めたまひて、かく世も騷がしく侍るなり。」と奏しければ、帝聞召して、夢の心ちせさせ給ふ。それより源を御覽ずるに、睦まじく忝くおぼえさせ給ひて、かしこまりたる御もてなしなり。桐壺の帝の御弟式部卿の宮もうせ給ふ由奏しければ、いよ/\世の騷がしきを思し歎きて、源の人がらの賢きにかこつけて、御位を讓らむとおぼしてほのめかせ給ひて、位を讓らむと宣へど、源うけひきたまはねば、牛車ゆるされ給ひて參内し給ふ。牛車は禁中へ車に乘りながら出入するとなり。源の小舅の權中納言、大納言に成りて右大將かけ給へり。繪合の卷に入内ありし齋宮(*原文これに続けて「源の卷に入内ありし齋宮」とあり。衍文。)、源の御方を御さとにして此の頃内より出で給へり。源御對面の折ふしいろ/\の話の序に、「春と秋とはいづれを面白く思す。」と齋宮に尋ね給へば、「御母御息所のかくれ給ひしも秋なれば、秋こそ殊に哀れもそひて懷かしう侍る。」と宣ひし言葉より、秋好中宮と系圖にあり。
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槿 薄雲の卷に式部卿の宮かくれたまふ。其の御姫宮なれば、加茂の齋院御服にており給ふ。源むかしより御心ざしありけれど、齋院に立ち給ひしかば、神の御心を憚りて過し給ひしに、かくおり給へば、今はひたすら恨み聞え給ふ。齋院の居給ふ所は桃園の宮といふ。女五の宮といふは、式部卿の御妹、齋院の御爲には御叔母なり。是れとひとつに桃園の宮に住み給へば、源氏女五の宮を訪らひ給ふとかこつけて、再々わたり給ふ。女五の宮は源の御爲にも御叔母なり。朝顔にそへて齋院へ、源、
見し折の 露わすられぬ 朝顔の 花の盛りは 過ぎやしぬらむ
此の歌より朝がほの齋院といふ。御かへし、齋院、
秋はてて 霧の籬に むすぼほれ あるかなきかに うつる朝顔
人の口さがはなきものなれば、齋院のかげにて、女五の宮も源に懇にせられ給ふ、源と齋院は御いとこなればよき御閧ネり、本臺に成らせ給はむなどいふを、紫の上聞き給ひて若しさもあらば心うくもあるべきかな、御かた/〃\數多あれど、我に立ち竝ぶ人はなかりしに、今更いかなるもてなしにかあらむと、心苦しうおぼせど、色にも出し給はず、心を付けて源の御有樣を見給へば、ともすればながめがちにて、文かく事に心入れ給へば、世の人のいふ事ごとは、いつはりにてはなしと、恨めしう思す。源は御裝束殊につくろひ給ひ、「女五の宮の惱ましうし給ふを訪らひに行く。」と紫の上に聞え給へど、上は見やりもせず姫君をもてあそびておはす。源は桃園の宮へわたり給ひて、まづ女五の宮の御方にて御物語し給ふ。女五の宮年寄り給へば、昔の事どもくりごとに話し給へば(*原文「とに話し給へば、昔の事どもくりご」とあり、転倒して印字する。)、源は御耳にも入らずねぶたきに、女五の宮もあくびがちにて、「年寄り侍れば夕まどひして物語もせられず。」とてふし給ふ。程なくいびきの音すれば、悦びて立ち給ふに、又古めかしうしはぶきがちにて來る者あり。誰ならむと思すに、紅葉の賀の卷に逢ひ給ひし源内侍のすけなり。尼に成りて此の宮にをるとは聞き給ひしかど、今までながらへむとも思ひ給はず、昔の事ども語り給ひて、それより齋院の御方へおはして例の樣々に聞え盡し給へどかひなし。源も偏に戀ひ侘び給ふにはあらず、昔より絶えず宣へどつれなき御もてなしなり、それに負けて止まむは口惜しと思すにぞありける。
紫の上は萬に思ひ亂れ給へば、おのづから色にも出でけるを、源、「例ならぬ御けしきこそ心得がたけれ。齋院には世のはかなし事を聞ゆるを、もしあしざまに心得給ふか。その道もてはなれたる中ぞ。心置き給ふな。」と一日語り慰め給ふに、雪降り積る松と竹との別ち面白し。「冬の夜のすめる月に雪の光り合ひたる空こそ身にしみて面白けれ、すさまじきためしにいひおく人の心あささ。」とて、御簾卷きあげさせたまふ。わらはべどもおろして雪まろばしせさせたまへば、悦びて走りおり、大きにまろかさむとす。源は一とせ入道の宮中宮と申し奉りける頃、雪の山作らせ給ひし、何事も見所多く、えんにおはせしなど、御心ばへかたちなどを語り給ふ。それより見給ひし方々の事を、心ばへ容貌より始めて、源、紫の上に語り給ひ、夜更けてふし給へるに、入道の宮夢に見え給ひて、恨み給ふと思すにおそはれ給へば、紫のうへおこし給ふに、御めさめけり。夢の名殘も戀しくて、源、
とけてねぬ 寐ざめさびしき 冬のよに むすぼほれつる(*むすぼれつる) 夢の短き
そのあくる日寺にて御弔ひなどし給へり。
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少女 年返りて、入道の宮の御一周も過ぎぬれば、帝を始め奉りて殿上人など服衣をぬがせ給へば、世の中色改まり、卯月朔日の衣がへもはえ/〃\しき事なり。加茂の祭の日は、齋院へ源より、「齋院にておはせし昔を思し出づるや。」とて、ふみなど遣はし給へり。齋院は御年もやう/\盛り過ぎぬれば、今は尼に成り行ひをせむと思せど、源の何かと聞え給ふ折ふし、かたちを替へむは却つて(*原文「卻つて」)心殘し(*ママ)、此の程を過してと思して、ためらひ給へり。葵の上の御腹の若君、異名を夕霧といふ、十二に成り給へば、御元服せさせ給ふ。四位になさむと思し、世の人もさ思へるに引きかへ、六位になし給へば、世の人も驚き思ふ。御祖母の大宮は、殊に淺ましう思して、源に御對面の時、「あまり淺き位にて口をしう侍る。」と聞え給へば、「大學の道をしばし習はさむと思ひ侍りて、かく位も六位になし侍り。みづからは帝の御傍にてのみ育ち侍りければ、世の中の有樣もしり侍らず。何事も廣き心をしらねば、琴笛の調べにさへ心の及ばぬ事のみにて侍る。はかなき親にまさる子はいとかたきわざなり。次第々々に劣りゆくは、行末心もとなき事なり。源の若君とてつかさ位高くし給はば、奢りのみにて學文に身をくるしめむとは思ひ侍らじ。さるによりて、位を低くし、世のおもりと成るべき道を習はさむと思ひ侍り。道々しきかたを習ひなば、源逝去の後も心易かるべし。」と聞え給へり。夕霧、學文の程は、大學の君、冠者の君といふ。くわざは冠者といふことなり。源の若君とし(*ママ)、少しも用捨有るべからずと宣ひて、大内記といふ學者に預け給ふ。「御祖母大宮へも、月に三度ばかり參り給へば、まして遊びわざ(*原文「遊びざ」)などし給ふな。」と源きびしく(*原文「きわびしく」)宣へば、いと苦しうて、いかで早く學文とげて、心安き身とならむと一入奄出し給ひて、史記などいふ文は、只四五月に讀みはて給へり。此の學文より、われも/\と上下の人々修學の道にたづさはれば、いよ/\世の中に才ありて、道々しき人多く成りける。
繪合の卷に入内ありし齋宮、后になり給ひて、是れよりは中宮といふ(*秋好中宮)。紫の上の御父兵部卿び宮式部卿に成り給ふ。御娘を女御に參らせ給へり。源太政大臣にあがり給ふ。頭中將は右大將なりしが、内大臣になり給ひて、執政を讓り給ふ。人がらすくやかに御文を好み給へば、執政職によく叶ひ給へり。御子供十人餘り次第々々に官位進み給へり。御娘は弘徽殿の女御と、又一人おはしける此の姫君は脇腹なり。御母は按察大納言の北の方になり給ひしなり。姫君をば内大臣の御母大宮に預け給へば、御祖母の所にて育ち給ふ。夕霧とはいとこどしなり。
夕霧は十二、姫君は十四に成り給ふ。稚き心地に互に思ひかはし給ひて、おのづから其のけしき見えけれど、大宮は制すべき事とも思されず、二人ながら御孫にて、殊に夕霧をば深くいとほしみ給へば、かかる心のありとも、愛らしく御覽じて、打ちまかせて置き給へり。内大臣内裏より歸りに大宮へおはして、御物がたりし給ひ、姫君呼び出して、御琴習はし、機嫌よくておはします所へ夕霧も參り給へば、「學文を心をつくし給ふとよ。時々はあだわざをもし給へ。是れにも深き心は傳はり侍る。」とて、笛を奉り給へば、いと面白く吹き給へり。御湯づけ菓物など參りて、内大臣歸り給ふに、人のさゝやくを聞き給へば、夕霧と姫君と心をかはし給ふ事をいふ。さればこそかくあらむとかねて思ひしかど、大宮の制し給はむと思ひしに、夕霧を馳走のあまりに、かかる事も任せて、姫君に疵付き給ふと思すに、腹だたしく成りて歸り給ひ、又二三日しておはして、大宮を恨み腹立したまへり。折しも夕霧參り給へば、大宮此の事をほのめかして、内大臣の機嫌あしき事を夕霧に知らせ給へり。夕霧はいとゞ物思はしとてふし給へど、寐られ給はず、さるべき首尾もやとそとおき出でて、姫君のふし給へる方に暫し安らひて聞き給へば姫君も思し亂るゝにや目覺めておはするに、鴈の啼き渡りければ、「雲井の雁も我がごとや。」と口ずさみ給ふ。此の本歌は、「霧深き雲井の雁も我がごとやリれせず物の悲しかるらむ。」といふ歌のことばなり。是れより此の姫君を雲井雁といふ。内大臣は御娘弘徽殿の女御をさとへ呼び奉り、その御遊び相手にとかこつけて、雲井雁を内大臣へ呼び取りたまふ。春宮へ奉りて后にせむと宣ふが、「春宮へは源の御娘參り給はむ。是れこそ中宮に成り給はめ。たゞ女御にてあらむより、夕霧の北の方にておはせむこそよからめ。唯人を壻にせむに、夕霧にます人はあるまじきに、内大臣のかくし給ふ。」とて大宮も腹立せさせ給へり。
冬にも成りぬ。源は今年五節の舞姫を内裏へ出し給ふとて、童の装束拵へさせ給ふ。源は惟光が娘十三四にて容もよきを出さむとて、舞は里にて習はし給ふ。さて源の御方へ呼び、試みに舞はせて御覽ず。舞はてて草臥れたりとてよりふして居るを、夕霧のぞきて見給ふに、年の頃も容も雲井雁に似たる樣なれば、打ちつけに懷かしくて夕霧、
あめにます とよをか姫(*豊受大神) 宮人も わが心さす しめをわするな
とよみ給へり。五節には、源も内裏へおはして見物し給ふ。源若き折ふし御目留りし五節の舞姫をおぼし出でて、今は源も御年より給ふ、五節も老いぬらむとおぼして、源、
をとめ子も 神さびぬらし 天つ袖 ふるきよのとも 齡へぬれば
御かへし、五節、
かけていへば けふの事こそ おもほゆれ 日影の霜の 袖にとけしも
是れによりて卷を少女といふ。夕霧は雲井雁に似たる故、惟光が娘に御心とまりて、此の娘の弟を語らひて文を遣はし給ふを、持て行きて兄弟して見る所へ、惟光ふと來合はせければ、逃げて行くを引きとゞめて、「何文ぞ。」と取るに、顔赤めて居る。「よからぬわざする。」と叱ればにげ行くを、呼び返して、「誰が文ぞ。」ととへば、「夕霧の御文なり。」といふ。惟光機嫌よく打笑みて、「愛らしき御事なり。汝(*原文「泣」)らは同じ年なれど、かやうに美しくはえかかじ。」とて、女房にも見せて譽め聞え、「此の公達の少し人數にも思さむは、何よりよき事なり。源の御しかたを見るに、かりそめに契り給ひしものをも、取集めて育み給ふ。其の御子なれば、行末ョもし。」とて悦べり。夕霧今までは御祖母大宮に居給ひしが、元服よりは源の御方にも居給ふ。源花散里に預け給へば、夕霧も御母分にもてなし給ふ。紫の上の御方へは疎くせさせ給ふ。我藤壺と密通ありしかば、夕霧もさる心あるべきとの用心なり。
年かへりて二月二十日あまりに、朱雀院へ帝行幸あり。源も參り給ふ。けふは其の道の文人は召さず、唯人の才賢きを召して、題を賜はせ(*ママ)詩を作らせ給ふ。夕霧のを試みさせむためなり。文作りはてて、樂人召し御覽ず。暮れぬれば御琴ども召して、兵部卿の宮は琵琶(*原文「琶琵」)、須磨繪合に帥の宮といひし帝源の御はらからなり。内大臣和琴。箏のことは朱雀院なり。琴は源彈き給へり。さる上手の勝れたる手を彈き給ふはたとへむかたなし。夜更けぬれど源は歸りざまに、大后の御方(前弘徽殿)へ寄り給ひて、ねんごろに宣へば、后はむかし源を憎み給ひし事を思し出でて、悔しう恥かしう思ひ給へり。
秋の除目に、夕霧侍從に成り給ふ。源は六條京極わたりを四町をこめて家を作り給ふ。六條の御息所の家も、此の四丁の内へ入りて、則ち御娘秋好中宮の御里にせさせたまふ。八月に六條院つくりはてて御わたまし(*移徙。転居。)あり。未申の町は中宮の御さとにし給ふ、則ちもとの御家なり。巽の町に紫の上、此處に源もおはす。艮の方は花散里、乾の方は明石なり。其の閨Xは廊下つゞきにし給ふ。紫の上は春を好み給ふによりて梅櫻をむねとして、春の木草を盡し、池など掘らせ給へり。中宮は秋を好み給ふゆゑ、色こく紅葉する木をむねと植ゑ給へり。花散里の御方をば、呉竹橘撫子など植ゑて夏のけしきに作り、五月五日の御遊びの爲、東の方に馬場を拵へ、世になき上馬共を調へてたてさせ給へり。明石の御方をば冬のけしきに作り、松その外名もしらぬ深山木ども植ゑさせ給へり。彼岸の頃紫の上と花散里一度に移り給ふ。中宮は少し延びて、後より移りたまへり。時しも秋なれば、中宮の御庭えもいはずおもしろし。散りたる花もみぢを、御筥のふたにこきまぜて入れさせ給ひて、紫の上の御方へ參らせ給ふ。中宮、
心から 春まつそのは 我がやどの もみぢを風の つてにだにみよ
御かへしは、此のはこのふたに苔をしき、岩ほのかたちをして、五葉の松に歌を付し給ふ。紫のうへ、
風にちる 紅葉はかろし 春の色を 岩根の松に かけてこそ見め
あかしの御かたは、「數ならぬ身はしづかに移らむこそよろしかるべけれ。」とて、十月に移り給へり。
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玉鬘 源は年月隔たりぬれど、夕顔の事忘れ給はで、今まで有らましかば、此の度わたましの内にせむものと口惜しう思す。夕顔のつかひし女右近は源に宮仕して、紫の上に侍ふ。夕顔の産めりし姫君の父は、源の御いとこながら、小舅の頭中將、今は内大臣なり。此の姫君三つの年夕顔は五條にて源に逢ふ、程なくうせ給ふ。源殊の外つゝみ給ひて、右近をも夕顔の乳母のかたへつかはし給はねば、西の京に居りしめのとなどは、夕顔の行方もしらず、此處彼處尋ね、神佛に祈れど聞き出さねば、「いかゞはせむ、たゞ此の姫君を御形見に育てむ。」といひてかしづく所に、乳母の夫筑紫の少貳に成りて、妻子引き具し下る。此の姫君をも具し奉りて、舟に乘り漕ぎ出づるに、面白き浦々のけしきを見ても、「夕顔に見せ奉らで。」といひて、乳母の娘二人さしよりて泣きけり。ふたりのむすめよむ、
舟人も 誰を戀ふとか おほ島の うら悲しげに 聲の聞ゆる
こしかたも 行くへもしらぬ 沖に出でて あはれいづくに 君を戀ふらむ
肥前の國に下り著きて年月を經るに、少貳の任はてぬれば、上京せむと思ふに、事たる(*「殊なる」か。)威勢もなき身に、道の程さへ遠ければ、けふよあすよといひて出でかぬるほどに、此の少貳重き病をして死なむとするに、子供を呼び、「いかにもして此の姫君を京へのぼせ奉り、内大臣殿にしらせ奉りて、公家衆の北の方になし奉れ。田舎には忝き御かたちぞ。」と三人の息子に遺言してはかなく成りぬ。あはれに悲しくて、宣ひ置きしやうに京へ上せ奉らむと心には急げども、此の少貳と中あしき國の人多くて過ぎしに、子供の世に成りては、とにかくにおぢ恐れて、心ならず年を經るまゝに、此の姫君二十ばかりになり給へり。御かたち盛りにいとうつくしきを傳へ聞きて、此處彼處よりいひわたるもうるさくて、容はうつくしけれど、いみじきかたはなれば、人にみせむ事はいかゞといつはり、主の姫君とはいはず、少貳の孫と人にはいひ聞かせける。ならびの肥後の國に、大夫の監といひて、所に付きては威勢いかめしき者あり。色好みにて、よき女を多く集めて持ちけり。此の姫君の事を聞きて、いかなるかたはなりとも我は堪忍せむと、懇にいひかゝりて、大夫肥前へこえ來て、少貳の息子どもを語らひ(*原文「語うひ」)、「此の事叶へなば、同じ樣に心をかはし威勢をさせむ。」といへば、二人は合點して、此の人を壻に取り給へと母を勸む。豐後介といふ息子・二人の娘は、「父少貳の遺言を違へて、いかでさるふるまひをせむ。只いかにもして京へのぼせ奉らむ。」といへば、乳母はもとより美しきかたちを、大夫などにみせむは惜しく思へば、兎に角にいひ遁るゝを、大夫の監腹立ちて、「いかでかく嫌ひ給ふ。某とても賤しき身にはあらず、キの人にも劣らむとは思はず、よからぬ女共を集め置くを、うるさく思ひ給ふにや。しやつばらとひとしきなみにはもてなさじ。姫君をば后の位にも劣らずもてなさむ。」とさま/〃\にいひて、其の日壻入せむといへば、「此の月は春のはてにていむなり。さらば四月に。」といひすかしてかへしぬ。後にて談合して、はや舟をかまへ姫君を乘せ奉り、めのと・豐後介・娘ひとり御供して、夜逃げ出でてのぼる。かくにぐるを聞きて、追手やかけむと思ふに、心惑ひて恐ろし。風よく吹きてあやふきまではしりのぼりて、ひゞきの灘(*播磨灘)を過ぎぬ。姫君、
うき事に 胸のみさわぐ ひゞきには 響のなだも 名のみなりけり
ほどなく京にのぼり著きて、九條にやどかりて居給ふ。姫君の御父頭中將は、只今は内大臣にて執政職なれば、夥しく重々しき體にておはすれば、ふとさし出でて、かくともいひ難し、いかゞせむと思ふ程に秋にも成りぬ。「兎角佛神の御誓ひこそョみ奉らめ。」といひて、八幡へ詣でさせ奉る。さては唐土までも聞えて驗あらたなればとて、初瀬に詣でさせ奉る。姫君を始めいづれも歩行なれば、四日めに參り著きて、ある坊に這入りて休む。主の法師見て、「只今人をやどし奉らむと思ふ所に、何人なればかくて居給ふ。」といふを聞くに、めざましういかなる人(*原文「いかな人」)ならむと思ふ所に、馬四つ五つ引かせて、男女數多くて詣でし人あり。此の人夕顔のつかひ給ひし右近といひし人なり。姫君の御行方を尋ぬれどえ聞き出さねば、觀音の御誓ひをョみて、たび/\詣でければ、此の坊を得意にしてやどるなり。主の法師はじめやどりし筑紫の人々をば、奧の方に置き、幕屏風にて?ひて、右近を入れける。
右近はくたびれて寄りふしてをるに、となりの幕の際に男來て、「是れをお前へすゑ給へ。」とて、折敷を取りて手づから賄ひする男の顔、見たるやうにおぼゆれば、不審に思ふに、又三條と呼ぶ女の顔、これも見しこゝちする。いとゞ怪しくて、此の女を呼びて、「我をば見しりたりや。」とて顔をさし出せば、女手を打ちて、「右近殿にてこそおはすれ。」と驚き悦ぶ。三條歸りて姫君の乳母にかくといへば、隔てし幕屏風殘りなく押し除けて、右近を呼びて逢ひ給ふ。乳母年月の事ども語りて、泣きみ笑ひみする。姫君佛前へ參り給ふに、右近も御供して參る。姫君いたくやつれ給へど、御容めでたくうつくしければ、源の姫君といはむにも苦しからずと、右近は嬉しう見奉る。めのと、「御父内大臣殿へしらせ奉り給へ。(*原文「しらせ奉へ。」)」といへば右近、「それはさる事なれど、源の『いかにもして御行方を聞き出せ、我が御子にせむ。』と常に宣ひしかば、只源へ申さむ。」といふ。一日御堂にて念誦し、昔今のことをいひかはす。前に流るゝをばはつせ川といふなり。右近、
二もとの 杉の立ちど(*初瀬川の二本杉を歌った古歌を踏まえる。) 尋ねずば ふる川のべに 君を見ましや
御かへし、姫君、
はつせ川 はやくの事は しらねども けふの逢瀬に 身さへながれぬ(*原文「身さへがれぬ」)
互に宿を問ひあはせて、右近歸り、源に申しければ、悦び給ひて、「人しれぬわきばらに出できし御娘なれ、今まで音もなかりしを、聞き付けて迎へしやうにしなさむ。」と宣ふ。先づ右近を御使にて、文遣はし給ふに、御返しなどもげに/\しければ、嬉しと思して、紫の上にもかたり給ひて、彼のむかしの夕顔の事も物がたりし給へり。
扠九月に右近がさと五條の家へ移し奉りて、人などかゝへ御裝束など拵へて、十一月に源の御方六條院へわたり給へり。花散里の住み給ふ艮の町にすませ給ふ。則ち花散里に、「後見して、よろづの事教へ給へ。」と源聞え給へり。かくてわたり給ひし夜、源わたらせたまひて御對面あり。いなかびたる事もなく、顔かたちもうつくしければ、めやすく思す。いみじくもてかしづきて、兵部卿の宮などの心を引かむと宣ふ。此の兵部卿は源の御弟なり。御硯引きよせ給て(*原文「引きよせて給」)手習に、源、
戀ひわたる 身はそれながら 玉かづら いかなるすぢを 尋ねきぬらむ
此の歌より姫君を玉鬘といふ。源の御子夕霧の侍從は、今は中將なり。誠のはらからと思して、懇に聞えかはし給へり。豐後介が心ざしを、源感じ給ひて、昵じき御家人になし給ふ。年の暮には、方々より我も/\と手を盡して織り出したる御裝束ども集めたるを、源紫の上とゥともに御覽じ分けて、かた/〃\へ正月の御裝束配らせ給へり。關屋の卷に尼になりし空蝉も、今は源育み給ひて、二條院の東の對に住む。これへも尼の裝束つかはし給へり。
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初音 年たち歸る(*ママ)朝の空の氣色は、數ならぬ垣根の内さへ長閑にみゆる、まして新しく作り琢き給ふ六條院の有樣いはむ方なし。中にも紫の上の御方は春のけしきなれば、一入すぐれたり。朝の程は御禮に人々參り込みて騷がしかりけるを、夕つ方靜かに成りければ、源御方々へわたり給はむとて御裝束引きつくろひ出で給ふとて紫の上をいはひ給ひて、源、
薄氷 とけぬる池の 鏡には 世にたぐひなき 影ぞならべる
御かへし、紫の上、
くもりなき 池の鏡に 萬代を すむべき影ぞ しるく見えける
けふは子の日なり、松は千年をかけて祝(*原文「程」)はむに理なる日なり。源、明石の産み給ひし姫君の御方へわたり給へば、童べども御前の山の小松を引き遊ぶ。明石の御方よりとて、髭籠など五葉の松の枝に付けて、歌よみそへて姫君へ奉り給ふ。明石、
年月を 松にひかれて ふる人に けふ鶯の 初音きかせよ
源御覽じて、「此の返しは自筆にて聞え給へ。初音を惜しみ給ふべきかたにもあらず。」とて、硯取り寄せてかかせ奉りたまふ。御かへし、姫君、
引きわかれ 年はふれども 鶯の すだちし松の ねを忘れめや
源是れより花散里へわたり給ひて、ふる年の物語聞え給ひて、同じ丑寅の町なれば、玉かづらへわたり給ふ。物Cげに住みなし給へり。「年頃おぼつかなくて過ぎしに、かく見るこそ本意なれ。何事も隔ておぼすな。」と聞え給ひて、是れより明石の御方へ渡り給ふ。硯のあたり賑はしく、雙紙ども取りちらして、姫君の御返しを、珍らしと見けるまゝに、あかし、
めづらしや 花のねぐらに 木傳ひて 谷の古巣を とへる鶯
とかき付けしを、源取りて御覽ずれば、明石恥かしう思へり。そこにとまり給ひて、曙の程に歸り給へり。騷がしき日頃過して、もとの御家二條院へおはして、東の對に住み給ふ末つむ花・空蝉などをも訪らひ給へり。
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胡蝶 二月二十日あまり、紫の上の御方の春の景色思ひやるべし。花の色鳥の聲も外の里より珍らしう見ゆるに唐めきたる舟作らせ給へるを、龍頭鷁首に飾り、御前の池に卸させ給ひて、もの愛でする若き人々を乘せさせ給ひて漕ぎめぐり、御遊びどもあり、源の御弟兵部卿の宮などもわたり給ひて終夜遊び明させ給へり。けふは秋好中宮の御讀經の始めなれば、源をはじめ中宮へまゐり給ふ。さき/〃\もしるすごとく、此の中宮は六條のみやす所の御娘、源の御子分なり。中宮などは、二季に讀經とて、夥しく大會を行はせ給ふなり。紫の上の御心ざしに、佛に花奉り給はむとて、わらはべを蝶鳥に出で立たせ、白銀の花瓶に櫻をさして、鳥の童べにもたせ、黄金の瓶に山吹をさして、蝶の童べに持せて、中宮へつかはし給ふ。むらさきのうへ、
花園の こてふをさへや 下草に 秋まつ蟲の 疎くみるらむ
中宮は、去年の秋、函の蓋に入れて遣はし給ひし紅葉の御返しなりと、ほゝ笑みて御覽ず。御返し、中宮、
胡蝶にも さそはれなまし 心ありて 八重山吹を へだてざりせば
此の歌どもにて卷を胡蝶と名づく。
玉かづらの御方へ、方々より文つかはし給ふ。かやうにしなして人の心の深さ淺さも引きみむと思しけるに、思ひしごとくなり(*原文「思ひしごとなくり」)と面白がり給ひて、ともすれば源玉鬘へわたり給ひ、方々よりの文ども御覽じ、返り事などすゝめ給ふ折もあり。内大臣の總領、頭中將異名を柏木といふ。玉鬘を我が御妹ともしらず、源の御娘とのみおもひて、文おこせ給へり。柏木、
思ふとも 君はしらじな わきかへり 岩もる水の 色しみえねば
此の歌ゆゑ、岩もる中將ともいふ。源もうはべは親めき給へど、下心はよその者になさむは口をしう思せば、人事にさし寄せて、忍びがたき心のほどを宣ひ出づるにより、玉かづらいかゞせむとわびしがり給ふ。
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 源氏今は太政大臣なれば、重々しくて、參内などもせう/\にてし給はねば、のどかに御遊びがちにて暮し給ふ。御かた/〃\もたゞよはしからず、皆思ふさまにあらまほしくて過し給ふ。玉鬘ばかり、源の何かと宣ふゆゑ、物なげかしう思す。源の御弟兵部卿はまことしう恨み給ひ、「いかでか近き程をゆるし給はば、思ふ事をも片端いはまほし。」と聞え給ふを、源御覽じて、「此の君などをば、はしたなくてもてはなれむは、有るまじき事なり。時々は返しなどし給へ。」とてすゝめてせさせ奉り給ふ。ある時よろしき御返しのあるを、兵部卿珍らしがり給ひて、忍びておはしたり。源わたり給ひ、座敷をつくろひ、何かと差圖し給ふ。几帳の帷子を引き直すに、はつと光る物脂燭をさし出したやうなり。兵部卿玉鬘のかたちをほのかに見給へり。此の光は、(*原文「此の光は」は「兵部卿玉鬘のかたちを」の前にあり。)かやうにせむとて源螢を多く集めて、几帳の帷子につゝみ置かせ給ひしを、引き直しければ、螢多く飛びちがひて、其の光に玉かづらを見給ふ樣に計らひて、源は兵部卿にしられぬやうに、我が御かたへ歸り給ふ。源の御娘と思すばかりこそかくはあるらめ、容などよきとはおぼさじ、ほのかに見せ奉りて、いよ/\兵部卿の御心をうごかさむとはからひ給ふ。ほのかなれど玉鬘を見給ひて、案のごとくいとゞ御心にしみて、兵部卿、
鳴くこゑも 聞えぬ蟲の 思ひだに 人の消つには きゆるものから
御かへし、
こゑはせで 身をのみこがす 螢こそ いふよりまさる 思ひなるらめ
是れより卷を螢と名づけ、宮をも螢兵部卿の宮といふ。
五月五日には、源花ちる里の住み給ふうしとらの町へおはす。夕霧、男ども引きつれておはして、馬場にて馬御覽じて、御遊びどもあり。五月雨に成りては、リ閧ネきつれ/〃\に、御方々繪物語をよみかきて慰め給ふ。玉鬘は筑紫にて見馴れたまはぬ繪どもなれば、まして珍らしうおもしろくて、明けくれよみかきいとなみ給ふを、源御覽じて、「此の雙紙の中にも、みづからがやうに實なる人はあらじ。又御心のやうに、そらおぼめきして、つれなきやある。いざ類なき物語にして世に傳へさせむ。」と宣ひて、源、
思ひあまり 昔の跡を 尋ぬれど 親にそむける 子ぞ類なき
御かへし、玉かづら、
ふるき跡を 尋ぬれどけに なかりけり 此の世にかかる 親の心は
内大臣は、源の玉鬘をもてかしづき給ふを、我が娘とは知り給はず、雲井鴈をかやうにもてなさむとおぼしけるに、夕霧と心をかはし物思はしく成り給へば、口惜しう思して、玉鬘の事を思し出でて、「もし我が娘と名のるものあらば告げしせよ(*ママ)。」と公達に宣ひ置きしなり。
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常夏 暑き日源東の釣殿に出でて涼み給ふ。内大臣の公達柏木中將・辨少將、夕霧をしたひて參り給へば、釣殿へよび給ひて、鮎・鮔(*原文「{魚+頤の扁}」。いしぶし、ごり。)など料理せさせ、水漬(*水飯)など聞召して、それより源は玉鬘の御方へ渡り給ふ。柏木・夕霧なども御供に參り給へり。此の前栽には撫子の外にはよの草木は植ゑ給はず。帚木の卷の雨夜の品さだめの時、内大臣此の玉鬘の事を、なでしこのかはゆく侍りしかばと宣ひしを思し出でての事なり。玉鬘は、誠の親に知られたく思ひ給へど、御母夕顔の源に逢ひ給ひし事顯はれむを、源うるさく思して、まづかくし給へり。源、
山賤の 垣ねに生ひし 撫子の もとのねざしを 誰かたづねむ
此の卷に内大臣の御娘と名のる人ありければ、柏木の中將呼び取り給ふ。御かたちより始め、身のふるまひに付けてげに/\しくもあらず、大臣の姫君とはいひ難し。ふと呼び取り悔しけれど今更すべきやうもなければ、今姫君などといひて置き給へり。或時内大臣今姫君の部屋へわたり給へば、五節の君といふ若き人と雙六を打ちておはす。さやうの御遊びの體も姫君めかねば、「かくて置かむより、御姉の弘徽殿の女御の御方へ參らせて、女房達にせむ。」と宣ひければ、弘徽殿呼び給ひて、近江の君と名づけ、女ばうたちにせさせ給へり。はしたなき事多かりし人なり。
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篝火 此の頃世の中の人の言に、内大臣殿の今姫君の事とてさたするを、源聞かせ給ひて、人にしられず籠りをらむ女子を、善惡の取りさたするやうにしなし給ふは(*表沙汰にした挙句、取り扱いの仕方を変えたこと。)、内大臣の仕かた聞えぬ事と笑止がり給ふ。かかる事を玉鬘も聞き給ひて、よくぞしられずなりにし、もしかやうにあらば恥がましからむにとおぼす。夏の夕、源玉鬘にわたり給ひて、庭に篝ともさせて、御琴教へ給ふにかこつけて、近くよりふし給ひて、源、
篝火に 立ちそふ戀の 煙こそ 身よりあまれる ほのほなりけれ
玉かづら、
ゆくへなき 空に消ちてよ 篝火の たよりにたぐふ 煙とならば
人の怪しと思ひ侍らむと侘び給へば、さらばとて歸り給ふに、笛の音聞ゆる。「誰そ。」と問はせ給へば、柏木の中將なり、夕霧の中將とは從弟どしなり、御中よくてかく遊び給ふ。源よび給へば、琴など彈き御遊びありしなり。
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野分 六條の御息所の御娘秋好中宮の御庭に、秋の花色々を盡して植ゑさせ給へば、朝夕置く露の光も尋常ならず、玉かとかゞやきておもしろければ、中宮も御里におはしてながめさせ給ふに、大風常の年よりも強く、空の色變りて吹きいでて、暮れ行くまゝに吹き増れば、格子おろし、人々立騷ぐ。紫の上も前栽つくろはせおはします折ふし、をれかへり露もとまるまじう吹きちらすを、少し端近くて見給ふ。夕霧の中將參り給ひて、廊下の少障子(*小障子)の上よりのぞき給へば、紫のうへ氣高くあたり(*原文「おたり」)(*原文「堰v)ふ心地して、春の曙の霞の間より、おもしろき樺櫻の亂れたるを見る心地して居給へり。かくたぐひなき御かたちなれば、見る人唯には思ふまじきと推し量りて、源我をも疎くし(*原文「疎しく」)給ふにこそと、猶のぞき入りておはすに、戸障子も吹きはなちて、あらはになれば立ち退きつゝ、只今おはしたる樣にもてなし給へば、源御覽じて、「いづくよりぞ。」と問はせ給へば、「御祖母大宮の御かたに侍ひけれど、風いたく吹かむと人々申し侍りければ、覺束なくて、かく參り侍る。」と宣ふ。「大宮すさまじがり給はむに、いそぎ歸り給へ。」とて言傳などして夕霧を大宮の御方三條へかへし給ふ。夕霧は終夜あらき風の音にも紫の上の面影戀しうて、常に心にかゝる雲井鴈のことはさし置かれて、いかにとおぼゆる心の付きぬるも、あるまじきことと思ひあかし、風もやみぬれば、源の御方六條院へわたり給へば、源は御方々へ風の訪らひに出で給ふ。夕霧も御供に參り給へり。御妹の姫君の御方にて、硯かりて、雲井鴈へ、夕霧の中將、
風さわぐ 村雲まよふ 夕にも わするゝまなく わすられぬ君
とよみてつかはし給へり。
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行幸 源は玉鬘をいかでよき樣に在り付けむとあつかひ給ひながら、下心には我が思ひの叶ふ樣にと思す。しはすに帝大原野へ行幸せさせ給ふ。公卿・殿上人世に殘る人なく御供につかうまつり給ふ。源は御供にてはなし。御樽・御菓子など大原へ奉り給へり。藏人の左衞門尉を御使にて、帝より雉子一えだ源氏へ下さる。御製、
雪深き 小鹽の山に たつ雉子の ふるき跡をも けふはたづねよ
御かへし、
小鹽山 みゆきつもれる 松原に けふばかりなる 跡やなからむ
源は玉鬘を尚侍になし、帝へ宮仕へに(*原文「帝へ宮へ宮仕に」)奉り、さと住みの程に我が思ひをとげむと思せば、宮仕にさだめ給ふ。内侍は親の氏次第に、源内侍、藤内侍、平内侍などいふ。玉かづらは内大臣の御子なれば藤氏なるに、源の御子と宣へば源なり。いつはりて源内侍になし給はば、藤氏の氏神春日の御たゝりあるべし。内大臣の御母大宮惱み給ふ。かくれ給はば、玉鬘も御孫なれば服あるべし、兎に角に源の御娘とは僞りがたし。内大臣にあらはさむとおぼして、源大宮の御心ち訪らひに、三條へわたり給ふ。源の御爲には御叔母又はむかしの御姑なり。内大臣も三條へおはしぬ。源と昔今の御物がたりし給ふついでに、玉鬘の事を顯はし給へば、大臣驚き嬉しがり給へり。祝言前に御裳著とて女の本裝束を著する。袴のこしを、男女に限らずめでたく重々しき人をョみて結はするなれば、此の玉鬘のこしゆひには、すなはち父大臣をョみ、其の時親子の對面をもとげさせ奉らむと思して、其のよし内大臣に約束して歸り給ふ。大宮も御孫と聞き給ふに、いつしかなつかしくて、御櫛笥などをおくらせ給ふとて、大宮、
ふたかたに いひもて行けば 玉くしげ かけご(*懸子。内箱。)離れぬ 我が身なりけり
御かた/〃\より、御裝束をはじめ何やかや、我も/\と參らせ給ふに、末つむ花よりも小袖を送り給ふとて、
我が身こそ 恨みられけれ 唐衣 君の袂に なれずとおもへば
身の卑下しては居給はで、いらざる事と、源は御顔赤く成りて見給ふ。此の末つむ花、ともすればから衣といふ事をよみ給へば、此の返しはみづからせむとて、源、
から衣 又から衣 /\ かへす/〃\ぞ からころもなる
いらざる事にさし出で給へる憎さに、かくよみ給へり。二月十六日よき日なりければ、内大臣を呼び玉鬘に御對面せさせ給ひ、御裳ぎありて、御ひき出物さま/〃\にいみじうせさせ給ふ。内大臣は、螢の兵部卿か(*原文「が」)髯Kの大將を御壻にとらばや、内へ内侍に參り給ふ事は、御姉の弘徽殿おはしませば、よきことにもあらずと思せど、落ちぶれておはしけるを、かやうにもてかしづき取り立て給へば、此の上は源の御心次第にせむと思す。髯Kとはひげ多きゆゑの異名なり。是れは源にも内大臣にもつゞかず、別の家なり。
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藤袴 玉鬘は内侍になり御宮仕あるべき事をそゝのかしたまへど、玉鬘は、いかゞあらむ、親めき給ふ源の御心さへ打解けまじき御心ばへの添ふに、まして宮づかへなれば、帝の御手もかゝりなば、御姉の弘徽殿の女御・秋好中宮など御心おき給はば、いかにくるしからむと思ひ亂れておはす。大宮かくれ給ふ事は書の上には見えねど(*原文「見えなど」)、此の卷に夕霧も玉鬘も御服なりとかけり。夕ぎり此の卷よりは宰相の中將なり。今までははらからと思ひてこそありつれ、今はいとこなり、思ふ一筋をも聞えむとおぼして、蘭の花(*藤袴)のおもしろきを持ちて、玉鬘の御かたへわたり給ひて、「人の聞かぬやうに申せとの給ひて、源の御使にまうでたり。」と宣へば、人々立ちさりて、御簾のもとへ呼び奉り、空言をげに/\しくいひつゞけて、もち給へりし蘭の花をみすの下よりさし入れて、是れも御覽ずべき故ありとて持ちて居給ふを、玉鬘何心もなく取り給へば、御袖を引き動かして、夕霧、
同じ野の 露にやつるゝ 藤袴 あはれをかけよ かごとばかりも
御かへし、玉かづら、
たづぬるに はるけき野べの 露ならば こき紫や かごとならまし
らにとは蘭の花なり。歌にはふぢばかまとよむなり。柏木の中將は、妹ともしらで、胡蝶の卷に文など遣はせし事を今は恥かしう悔しう思ひて、内大臣の御使に參り給ふ序に、柏木の中將、
いもせ山 ふかき道をば 尋ねずて 緒斷の橋に ふみ迷ひけり
いもせ山といへば夫婦の閧フやうに聞ゆれど、さにてはなし、はらからの事によみならはせり。紀伊國にある名所なり。御かへし、玉かづら、
迷ひける 道をばしらで いもせ山 たど/\しくぞ 誰もふみ見し
十月には玉鬘内裏へおはすべき定めなれば、兵部卿の宮、髯Kの大將、左兵衞督などより、さま/〃\侘びて文おこせ給ふ。此の大將は只今の御伯父なり。此の春宮は朱雀院の御子なり。左兵衞督は式部卿の宮の御子、紫の上の御兄なり。
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眞木柱 髯Kの大將は、石山の觀音へ立願などして、辨のおもとといふ玉鬘の女房に心あはせ、押して玉鬘へ通ひ給へり。源あるまじき仕方と下には立腹し給へど、始めより法度強き掟にし給はざりし故、今更咎めむもさすがなれば、其の分にて居給ふ。玉鬘は思ひの外に心うき契りと侘び給へり。御父内大臣は内々かくもあれかしと思ひし事なれば、心得て悦び給ふ。髯Kは年三十二三なり。北の方は式部卿の宮の御娘、紫の上の御姉なり。公達もあまた出で來。斯く髯K玉鬘に心を分け給ふべき閧ノもあらざりしかど、年月物怪に煩ひ給ひて現心もなくなり給ふ故、髯K玉鬘に心を移し給へり。北の方物のけの起らぬ時は、心ばへもうつくしき人なれば、大將、玉鬘の事をかたり、「やがて此の方へ呼び取らむ。中よくして暮し給へ。」など、詳しく語り給へば、腹も立て給はず、「みづからは何のかまひもなければ、かくて侍らむが、御父式部卿の宮みづからを此の儘にて置かむとは思さじ。いかゞあらむ。」など宣ふ。髯Kは、いかで出でなむと、日の暮るゝ閧ノ心もうき立ちながら、北の方憎げにのたまはば腹立ててもたち給ふべけれど、のどやかにいとほしげに居給へば、見捨て行くもさすがにて、かきくらしふる雪を詠めて(*ママ)居給ふけしきを、北の方心得給ひて、「いかで此の雪を分けたまはむ(*原文「分けたまはらむ」)。夜も更け侍るに出で給へ。」とそゝのかし給ふ。「此の雪にはいかで行かむ。」と宣ひながら、心化粧して、ちひさき火取りよせ、袖引入れてたきしめ居給ふ。北の方は、よりふしておはせしが、物怪起りて、ふと起き出で、薫籠の下に入れて奄ヘしける大きなる火とりを取り出し、大將の後によりてさつと打ちかけ給ふ。大將いかにとあきれ給ふに、細かなる灰目鼻に入り、拂ひ給へど立ちみちたる灰なれば、小袖もぬぎかへ騷ぎ給へり。現心にてかくし給はば淺ましう疎みはつべけれど、物怪のしわざなれば、御前の人々もいとほしう見奉る。北の方夜一夜泣きのゝしり苦しがり給へば、大將玉鬘へもえわたり給はで、文遣はし給へり。髯K大將、
心さへ 空に亂れし 雪もよに ひとり冱えつる かたしきの袖
玉鬘は、髯Kのわたり給はぬを何とも思さねば、返しもし給はず。其のあくる夜、大將玉鬘へ渡り給ふ。北の方は物のけ起りみておはすれば、あしくよりつき恥がましき事もやあらむと恐ろしければ、北の方のあたりへは寄り附き給はず、公達をも脇へよびて見給ふ。十二三なる姫君ひとり其のつぎつぎ若君二人おはしける。式部卿の宮聞き給ひて、髯Kさやうに引き離れ居給ひ、玉鬘あつかひし給ふに、かくて居給ふも面目なく、人笑へなるべし、只我が御方へ呼び取らむと思して、俄に御迎ひ(*ママ)遣はし給ふ。時しも北の方は現心になりて居給へば、今更親の御方へ立ち歸らむも心ぐるしう、かくてもいかゞなれば、樣々に思ひ亂れ給へり。御弟の中將侍從民部の大夫など御迎ひにおはして急ぎ給ふ。今日を限りと思へば、侍ふ人々もほろ/\と泣きあへり。姫君は髯Kいとほしみ給へば、「今かくて行くともいかでか、え渡るまじ。」とて打ちふし給ふを、母君いろ/\にすかし給へり。常に寄りかゝり給ひしひがしおもての柱のひわれに、書きて笄におし入れ給ふ。姫君、
今はとて やどかれぬとも 馴れきつる 眞木の柱よ 我をわするな
母君、
馴れきとは 思ひ出づとも 何により 立ちとまるべき 眞木の柱ぞ
此の歌より姫君を眞木柱の君といふ。かくて式部卿の宮へ歸り給へば、父の宮待ちうけて、髯Kをさん/〃\にいひ罵り、又源氏の事もあらぬ繼娘をかしづき、髯Kを壻に取りて、我にかく物思はせ給ふ事と、恨みつゞけ腹立ち給へり。かくと聞く髯K驚き給ひて、式部卿へおはしたれど、心地惱ましとて對面もし給はず、姫君に逢はむと聞え給へど出し給はねば、若君二人をつれ髯K歸り給ふ。正月に蹈歌あり。蹈歌とて正月十四日また十六日夜に入りて、若き殿上人出で立ち、左右に別れ、歌諷ひて内裏のうちを廻ることなり。それを帝を始め奉り、女御更衣見物し給ふ。玉鬘も内侍なれば、一たび内へ參り、帝に目見えなくては叶はぬことなれば、此の蹈歌を見物がてらに參り給ふ。玉鬘のかたちのよきを御覽じても、髯Kの大將の北の方に成り給ひしを、帝は妬うおぼされける。御製、
などてかく はひあひ(*灰合ひ)がたき 紫を 心にふかく 思ひそめけむ
御かへし、玉鬘、
いかならむ 色ともしらぬ 紫を 心してこそ 人はそめけれ
かくて蹈歌はてて内裏よりの歸りがけに、髯K玉鬘を我が方へ引取り給ふ。源はかやうに早くわたさむとは思ひ給はざりしに、出しぬかれたる事と口をしがり給へり。ともすればおはしてつれ/〃\をも慰め給ひしに、いかでくらさむとおきふし面影に見る心地して戀しければ、忍びて玉鬘に見せよとて、右近が方まで文つかはされける(*原文「つかはされる」)。源、
かきたれて のどけき程の 春雨に ふるさと人を いかにしのぶや
玉鬘もほどふるまゝに戀しうおぼせば打泣き給ふ。御かへし、玉鬘、
ながめする 軒の雫に 袖ぬれて うたかた人に しのばざらめや
源鴨の子の多くあるを御覽じて、たちばなにそへて、對面のかたからむ(*原文「かたらむ」)を口をしく思ふなど珍らしく文に書きて、玉かづらへ、
同じ巣に かへりしかひの 見えぬかな いかなる(原文「いなる」)人か 手に握るらむ 
とよみてつかはし給ふを、髯K見て打笑ひ、「女はまことの親にさへ、父にはうとくならふ物なるに、まして誠の親ならぬ源のかく宣ふは心得がたし。」とつぶやくを、玉鬘にくしと聞給ふ。この御かへしは我せむとて、玉かづらにかはりて、大將、
巣がくれて 數にもあらぬ かりの子を いづ方にかは とりかへすべき 
其の霜月に、玉かづら若君をよろこび給ふ。
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梅枝 朱雀院の御子の春宮、二月に御元服あるべきなれば、源の姫君女御に參らせ給はむこと、打續くべきとて、姫君の御裳著の事思しいそぐ。御用意の薫物ども合はせ給ふ。むかしいまの香どもを取揃へ、御かた/〃\へ配りたまひて、二色づゝ合はせ給へと宣ひて、源も楚王の御いましめの二つの法を、いかで聞き傳へ給ひけむ、御心にしめてあはせ給ふ。二月十日雨少しふるに、源の御弟螢兵部卿の宮、御いそぎの今日明日に成りし御訪らひにわたり給ふ。むかしより取分き御中よければ、よろづの事いひあはせ、花をめでておはしますところへ、御いとこ槿の齋院より、御あつらへの薫物を瑠璃の壺に入れ、面白く見所多くしなして、ちり過ぎたる梅のえだに御文そへておこせ給へり。槿の齋院、
花の香は ちりにし枝に とまらねど うつらむ袖に 淺くしまめや
使引出物給はり、御かへし、源、
花の枝に いとゞ心を しむるかな 人のとがめむ 香をばつゝめど
此のついで御方々のあはせ給ふ薫物ども取りよせ給ひて、御火とり數多召して、試みせさせ給ふ。兵部卿の宮に、「善惡を極めたまへ。」と宣ふ。「齋院のはK方、源のは侍從、紫の上のは梅花、花散里は荷葉、明石の御方は薫衣香いづれも面白し。」と譽め給ふを、「心きたなき判者なり。」と嫌ひ笑ひ給へり。月さし出でぬれば酒宴始め給ひ、源箏のこと、兵部卿の宮琵琶、柏木頭中將は和琴、夕霧の宰相中將は横笛、柏木の御弟辨少將は拍子取りて、梅が枝出して諷ふほどいと面白し。明方近う成りて、兵部卿歸り給ふに、手を附けぬたきもの二壺御裝束一くだりおくりものに奉り給へば、兵部卿の宮、
花の香を えならぬ袖に 移しもて ことあやまりと いもや咎めむ
御かへし、源、
めづらしと 古郷人も 待ちぞみむ 花の錦を きてかへる君
かしは木辨少將へもおくり物つかはし給へり。姫君の御裳著の御袴の腰ゆひには、秋好中宮をたのみ給へり。春宮の御元服は二月二十日あまりなり。源の姫君の入内にきほひては、いかゞとて、左の大臣の御娘も入内延べたまふを、源聞かせ給ひて、「あるまじき事なり。先づ何れものを先へ參らせ給へ。」とて、姫君の入内をのべ給へば、其の時の左大臣の三の君參り給ひて、麗景殿の女御といふ。源は姫君の書物どもを猶々書き調へさせ給ふ。紫の上にも書かせ奉り給ふ。兵部卿の宮、左衞門督、紫の上の御はらからの兵衞督、夕霧、柏木にも書かせ給へり。源も寢殿といふ座敷におはして、御心の行く限り樣々に御手の風をかへて書き盡し給へり。御誂への草紙出できぬれば、もたせて兵部卿の宮わたり給ふ。源悦ばせ給ひて御覽ずれば、すぐれてもあらぬ御手を、好ましう面白く書きなし給へば、「みづからのはなか/\これに比ぶれば見所なし。」と妬がりて取出し、兵部卿に見せ奉り給ふ。心とゞめて書き給へる、たとふべき方なし。見給ふ人の涙さへ流れそふ心地して見まほしければ、脇のには目も移らず。けふは又手のよしあしを宣ひくらして、嵯峨の帝の書かせ給へる萬葉集、延喜の帝のかかせ給へる古今和歌集を取りに遣はして、源へ奉り給へり。かやうに御急ぎども聞き給ふに付けても、内大臣は御娘雲井鴈を春宮にと心ざしつるに、夕霧の妨げたまふにより入内もならず、ねたく口をしきに、せめては源の懇に聞えてもらひ給はば、それにをれても壻に取るべきに、源のかまひ給はぬを、いとゞ恨めしう思す。源は疎き中にてもなければ、をさなきどち心をかはせしとてあながちにくむべき事にもあらぬを、内大臣こと/〃\しくのゝしり、御娘を引取り給ひて、年月夕霧をわびしめ給ふを恨み思せば、もらひ給はず。中務の宮といふ宮、夕霧を御壻にせむと宣ひて、源に其のよし宣ふなど、世の中に取沙汰すれば、内大臣は御胸つぶれて、さもあらばいかにせむと聞き給ふ。夕霧は伯父の内大臣をば恨み腹立し給へど、御娘の雲井鴈をば忘れがたく、此の姫君ならでは北の方に持ちたまふべき心地もせねば、忍びつゝ常に文遣はしたまふことは絶えず。雲井鴈も夕霧ならではと思ひかはして、御ゥ戀なり。内大臣御女のかたへおはして、「萬に思ひ亂るゝなり。中務の宮夕霧を御壻にせむと宣ふときく。誠にや(*原文「誠にふ」)。」など宣ひて立ち給ひし後に、夕霧より御文あり、
つれなさは うき世の外に 成り行くを わすれぬ人や 人にことなる
中務の宮にいひかはしながら、かく宣ふは、我をたらし給ふと、雲井鴈は恨めしう見給ひて、御かへし、
限りとて わすれがたきを 忘るゝも こや世になびく 心なるらむ
とあるを、夕ぎりはあやしと見給へり。
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藤裏葉 御妹の姫君の入内の御いそぎのほども、夕霧の宰相の中將は物思はしくて、ながめがちなり。内大臣も一たびは夕霧をあて給へど、御娘の有り付きやうなれば、まけて御壻にとらむとおぼして、ついでを待ち給ふ。三月二十日、御母大宮の御祥月なれば、寺へ參り給ふ。夕霧も御孫なれば、同じく參り給ふ。夕霧は内大臣の前にては一入うき/\ともてなし給ふを、内大臣常にかはり機嫌よくねんごろに宣ひて、つれだち歸り給ふ。卯月十日の頃内大臣の庭の藤の花さかりなるに、柏木を御使にて夕霧へ、内大臣、
わが宿の 藤の色こき たそがれを 尋ねやはこぬ 春の名殘を
とておもしろき枝に付けておこせ給へば、夕霧心ときめきして、かしこまりて、御かへし、
なか/\に 折りやまどはむ 藤の花 たそがれ時の たど/\しくは
それより夕霧は源の御前に參り給ひて、しか/〃\と申し給へば、「年頃其方をはしたなくせられしが、負けむとのことたるべし。かくありてこそ其の時の口をしきはわすれざれ(*原文「わすれずれ」)。」と宣へば、「何さにては侍らじ。藤の盛りに遊びをせむとの事に侍らむ。」と宣へば、「いづれにしても早くわたり給へ。」と宣(ば)(*ママ)我が御かたにて心ことに引きつくろひて、暮時分に參り給へば、あるじがたのきんだち柏木を始めとして、七八人迎ひに出で請じ入れ給ふ。内大臣も御裝束つくろひて出で給ふとて、北の方に、「のぞきて見給へ。かたちもよろしう、おとなしきかたは父の源よりはましたり。」など宣ひて、座敷へ出で對面し給ふ。げに/\しき御物語少し有りて、花の興に移り給ふ。「春の花ちりはてて恨めしきに、この花の立ちおくれて咲き夏にかゝる、哀れにおぼえ侍る。色もなつかしきゆかりにしつべし。」とて、打ちほゝ笑み給へり。時分よくはからひて、内大臣藤の裏葉のと吟じ給へば、柏木花のふさながきを折りて、夕顔の杯にくはゆる。ふぢのうらはのと吟じ給ひし心は、「朝日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我もョまむ。」といふ古き歌の心なり。夕霧花を取りて持ち惱むに、内大臣、
紫に かごとはかけむ 藤の花 まつより過ぎて うれたけれども
夕ぎり、
幾かへり 露けき春を 過しきて 花の紐とく 折にあふらむ
酒宴はてぬれば、柏木案内して妹雲井鴈の御方へ夕霧を入れ奉る。年月心を盡したまひしかひ有りて、かく御壻に取り給へば、御心ざしいかでおろかならむ、水ももるまじくめでたし。卯月賀茂の祭に帝より齋院へ御使に藤内侍をつかはさる。少女の卷に五節の舞姫に成りし惟光が娘なり。この年ごろ雲井鴈に年の程大きさなど似たりとて、夕霧時々逢ひ給ひて、心なぐさめ給へりしに、このごろは本意のごとく内大臣の御壻に成り給ひければ、内侍は唯にもあらず思ひけり。其の見給ひて、夕霧、
何とかや けふのかざしを かつ見つゝ おぼめくまでに 成りにけるかな
と宣へば、かへし、内侍、
かざしても かつたどらるゝ 草の名は かづらを折りし 人や知るらむ
かくて源氏の姫君の御入内には、北の方添ひ給ふはずなれど、常になが/\しくはえそひ給はじ、誠の御母明石の御かたを御後見にそへむと思して、源にさ宣へば、よくおもひ寄り給ふと思して、明石にしか/〃\と聞え給へば、いみじう嬉しうて、其の拵へし給ふ。姫君春宮へ參り給ふ儀式、人の目おどろくばかりにはせじと源卑下し給へど、なみ/\の入内には似ず、いとめでたし。三日過ぎて、紫の上歸り給ふ時、明石の御かた參りてかはり給ふ。其の折ふし、紫のうへ初めて明石に逢ひ給ひて、ねんごろに物語などし給へり。御かたちのめでたきを見て、多くの御中に、源のすぐれたる御心ざしも、ことわりと思ひしらる。てぐるま許されて歸り給へり。源は姫君の入内、夕霧の祝言、首尾よく調ひ給ひて嬉しう思す。源氏今年は三十九なり、來年は四十の御賀あるべし。賀をば公達し給ふ筈なり。帝も源の御子なれば、其の御心あてに、三十九の秋太上天皇によそへて、院號蒙り給ひて、六條院になさせ給ふ。内大臣太政大臣にあがり給ふ。夕霧の宰相、中將なりしを中納言になさせ給へり。威勢増り、かかる御住居は所せばしとて、御母大宮の住ませ給ひし三條の家へ、北の方を呼び取り給ひて、賑々しく住みなし給へば、おほきおとゞ悦び給へり。十月二十日あまりに六條院へ行幸あり。是れも來年の御賀を御心にあてての行幸なり。朱雀院も御幸なり。六條院の御馳走いはむ方なし。御膳過ぎて後、樂人召し、殿上のわらはべに舞をまはせ給ふ。おほきおとゞの若君十ばかりなるにも舞ひ給ふ、よく出來ぬれば、帝御衣をぬがせ給ひて下さる。源菊を折り給ひて、むかし紅葉賀の卷に、海波を舞ひ給ひし事を思し出でて、六條院、
色まさる 籬の菊も 折からに 袖打ちかけし 秋を戀ふらむ
おとゞ其の折相手にて舞ひ給ひし事を思ひ出でて、太政大臣、
紫の 雲にまがへる 菊の花 にごりなき世の 星かとぞ見る
朱雀院御製、
秋をへて 時雨ふりぬる さと人も かかる(*原文「かる」)もみぢの 折をこそみね
帝御製、
尋常の もみぢとや見る 古の 例にひける 庭のにしきを
と聞えさせ給ふ。御かたちいよ/\ねびとゝのはせ給ひて、六條院に少しもかはらず、唯ひとつ御顔と見えさせ給へり。
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若菜(上) 朱雀院は、藤裏葉に六條へ御幸の後、惱みがちに成らせ給ふ。常に御病氣におはします中にも、此の度は心細く思さるれば、御ぐしおろし、西山の御寺に引籠り、御行ひをせばやと思召すに付けて、姫宮達の御方付を思召しわづらふ。若君はたゞ今の春宮なり。扠は姫宮四所おはします。中にも藤つぼの中宮の御妹、源氏の宮といひし其の腹に出でき給ひし女三の宮、取りわき御寵愛なり。御年も十三四ばかりなれば、いまだ物のこゝろも辨へ給はず。御母源氏の宮おはしまさば、せめてなる御後見なれど、とくかくれ給ふ。御乳母ばかりをそへて置き奉り給はむ事、かへす/〃\うしろめたうおぼしめせば、何方へも預けて、心易く見置きて、世を背かむと思す。夕霧御心地の御訪らひに參り給ふを御覽じて、此の中納言を女三の宮の御うしろみにすべきものを、太政大臣に先をせられし事と、ねたう思す。帝へ參らせ給はむは、秋好中宮おはしますにはいかゞなり。螢の兵部卿の宮は御弟なれば、筋もよく人がらもよろしけれど、實のなき御心なればョもしげなし。院の大納言此の後見を望みたまへど、すぐれたる事もなく、竝の人なればゆるし難し。おほきおとゞの總領、柏木の中將、今は右衞門督なり、預り申したきよし、御おばの朧月夜の尚侍をョみ、内證申し給へど、位も淺く若ければ、輕々しきやうなり。兎角六條院に預けむこそよろしからめと思し定め給ひて、女三の宮の御めのとの兄弟に、左中辨といふ者あり、その人をもつて内證を語らせ置き給へり。先づ兎角女三の宮に御裳著せさせ奉らむとて、おほきおどゞを御袴の腰ゆひに呼ばせ給ひてけり。此御いそぎはてて後、朱雀院御ぐしおろさせ給ふ。六條院御訪らひに參り給へば、朱雀院悦ばせ給ひて、樣々の御物語どもありて、女三の宮預けたきよしほのめかし給へば、「心のおよぶ限りは御後見つかうまつるべけれど、行末みじかき齡なれば、いかゞ侍らむ。」と請け引き給ひて、歸り給ひぬ。紫の上もかかる御定めをかねてほの聞きたまへど、槿の齋院をも色々にいひしかど、其の分にて止みにしかば、これも誠しく思さねば、源にも問ひ給はず、何心もなくておはすを、源見給ふにも、此の事聞き給ひて、いかにおぼさむ、源の御心ざしもかはるまじけれど、紫の上より心置き給ふべしと、笑止ながら隱すべき事ならねば語り給ふに、「哀れなる御事にて、自らは何のこゝろも置き侍らむ。女三の宮の妬ましくさへ思さず。御母女御のゆかりに疎からずおぼさば、心安くて侍らむ。」と卑下し給へり。女三の御母と紫の上の御父式部卿の宮とは御はらからなれば、母方に付いては、女三と紫の上とはいとこなれば、かく宣へり。心の内には、源望みにて互に心をかはしたる事にもあらず、朱雀院遁れ難く宣はせて預り給ふ事なれば、憎げにもいはじ、ふし/〃\なくは世間の人に何かと評判せられるため卻つて外聞あしかるべし。只おとなしく引きまはしいとほしがらむと思す。年かへりぬ。ことしは六條院四十に成り給へば、御賀ある年なり。度々記す、賀をば子たるものの勤むるなり。或は帝より臣下の賀を遊ばし下さるゝ事あれど、それは格別御心入れありての事なり、定まりての義にはあらず。眞木柱の卷に、髯Kの左大將の北の方に成り給ひし玉鬘の内侍も、源の御養子なれば、正月二十三日子の日によそへて、若菜の羹を源に奉らむとて、さまざま拵へ給ふ。其の拵へといふは、座敷に飾る屏風几帳書棚を始めて、道具ども膳部夏冬の裝束などを調へて奉り、振舞ひをして樂人に舞をまはせ、引出物をとらすなり。玉鬘も右の通りに用意し、六條院へ持參し、源を振舞ひ給へり。御杯の時、玉かづら、
若葉さす 野べの小松を 引きつれて もとの岩ねを 祈るけふかな
と聞え給へば、御かへし、
小松原 末の齡に ひかれてや 野べの若菜も 年をつむべき
此の歌どもを卷の名とせり。かくて二月十日餘りに女三の宮六條院へわたり給ふ。新殿といひて源の御座所にして置き給ひし明閧り。それへ移し奉りたまふ。女三の宮は十四なり。御年よりもちひさく心ばへもをさなく、ひたすらわらはべのやうなり。三日のほどは夜を隔てず源わたり給ふ。紫のうへは心の内にはあぢきなく物あはれにながめがちなれど、もてかくして、源の小袖に奄ミをとめさせなど、よろづに肝入り給ひながら、物おもはしげなるを理と源は恥かしう笑止に御覽ず。硯引きよせて紫のうへ、
目に近く うつればかはる 世の中を 行末遠く たのみけるかな
古事などかきまぜ給ふを、源御覽じて、
命こそ たゆともたえめ(*原文「たため」) 定めなき よの常ならぬ 中のちぎりを
など宣ひて、源女三へはやくもえわたり給はねば、「かたはらいたし。いそぎわたり給へ。」とすゝめ給ひて、源出で給ふ後に、紫の上は機嫌よく女房達と物語りなどしたまふ。召使はるゝ人々も、女三の宮のわたり給ふ事をよき事と思はねば、妬ましげにいふを、聞くまじと思して、「御かた/〃\年ふり給へば(原文「ふり給りば」)珍らしげなくて源寂しさうに見え給ひしに、此の宮のわたり給ひて慰め給はむ、我もわらは心のうせぬにや、友達にして遊ばむとおもふに、人々の何といふ事よ。」などと宣ふを、中務の中將などいふ女房達目まぜをして、「餘りなる御思ひやりかな。」といふ。御かたはら寂しくふし給ふに付けても、彼の須磨の左遷の時を思し出でて、これを恨めしう思ふべき事かはと、我が心を萬になぐさめ給へど、はやくも寐入られ給はぬを、御側にふしける人のいかに思はむと身うごきもの給はぬさへくるし。かく思ひ亂れ給ふ故にや、源の御夢に見え給へば、御目覺めて曉がたにかへり給ひて格子をたゝき給ふ。久しくかかる事もなかりしに今さら又かかるもにくくて、人々そら寐入して久しく待たせ奉りて戸を明けぬれば、源身もひえはてたり。「人々物恐して早く出でこぬ故なれば、とがにもあらず。」といひ/\奧に入りてふし給へり。帝のかしづき給ふと聞きしは、殊の外うつくしさうにおぼしけれど、さもあらず。取りあつめたぐひ給ふ事は、紫の上にます人なしと心の内に思ひくらべ給ふ。祝言調ひて其の夜の曉方に里にかへりて、後朝の文とて歌をよみて女に文をおこすなり。其の文の早きを心ざしの深きにするなり。昔は壻入をさきにせしなり。又三日めにも後朝の文をつかはすにや、源女三の宮へはみつめにつかはし給ふ。筆などつくろひて、白き紙に、六條院、
中道を 隔つるほどは なけれども 心亂るゝ 今朝の淡雪
御かへし、女三の宮、
はかなくて うはの空にぞ きえぬべき 風に漂ふ 春の淡雪
御手もをさなければ、此の年頃にてはかくはなきものなりと、いひがひなきほどと御覽ずるに付けても、紫の上はよろづ器用なりし、又は我よくそだてし故なりと、源の御自慢あり。朱雀院、西山の御寺に移ろひ給ふとて、女三の宮の御ことをたのみ思召すとて、紫の上へ御文あり。朱雀院、
そむきにし 此の世に殘る 心こそ 入る山道の ほだしなりけれ
御かへしはいかゞと思したれど、こと/〃\しく斟酌し給ふべき折ふしならねば、御かへし、紫のうへ、
そむくよの 後めたくば さりがたき ほだしをしひて かけな離れそ
かくて御寺に移ろひ給へば、今はと女御・更衣達おの/\栖々へ渡り給ふ。花宴の卷に源に逢ひそめ給ひし朧月の尚侍は、二條の宮といふ御父右大臣の家へ歸り給ふ。源のあはれにあかざりし御中なれば、今一たび逢ひて須磨のさわぎの噂も語らまほしくて、むかし御使などせし中納言といふものあり、それを御使にて懇に語らひ忍びて、二條へおはして樣々に宣へば、内侍は朱雀院の御ためうしろ暗き事とは思ひ給ひながら、もとより源にひかれし御心なれば、心強くもてなし給はで逢ひ給へり。十四五年程隔ての御對面なれば、珍らしさもいやましけり。藤裏葉の卷に十二にて春宮へ參り給ひし源の姫君、此の夏よりたゞならず成り給ふ。いまだ御年もゆかねば、たれ/\も氣づかはせ給ふ。五つきよりは穢にも成る故、内裏に居給ふ事はならず。此の姫君は源の御母の住み給ひし所なればとて則ち桐壺に住み給ふゆゑ、桐壺の御息所といふ。御懷妊につき六條院に出で給ふ。女三の宮の住み給ふ新殿を二つに拵へ、一方には女三の宮、一方には御娘の御息所を住せ奉り給ふ。女御に成り給ひては、親達は主あしらひなれば、紫の上のかたへ呼び給ふ事はかたじけなければ、あなたへ逢ひに紫の上わたり給ふ。序に女三の宮にも對面せむと源に問ひ給へば、ほゝゑみて、「をさなげにのみおはするに、對面してよろづよくをしへ給へ。」と宣ふ。御息所は實の御母より紫の上をむつましうし給ふ。御物語ども細かに聞えかはし給ひて、中の戸を明けて女三に對面し給ふ。女三の御めのとを召し出でて、「朱雀院より忝き御文給はせたりし後は、いよ/\おろかに思ひ侍らねど、事繁き身なればおのづからおこたる事多からむ。左樣の時は心おかず、用の事などいひおこせ給へ。」と懇に宣ひて、女三には御心につくべき雛繪などの事を語り給へば、心よく、よき人かなと打解け給へり。かくて後は再々文を取りかはし、折ふしは出であひ御遊びなどし給ひ、御中うるはしく成り給ふ。紫の上も源の御子のやうにて生ひ立ち給ふ故、十月に源の御賀をせさせ給ふ。御遊びなどありて夕霧・柏木、海波を舞ひ給へり。十二月二十日に、秋好中宮、内より出でさせたまひて、是れも御子分なれば御賀をせさせ給ふ。帝よりも賀を遊ばさる。夕霧中納言なりしを右大將になさせ給ひて、御名代に夕霧に仰付らる。年返りぬ。御息所は御産近づきぬれば、正月一日より御修法を不斷にのべなし、社々の御祈祷數しらず、二月よりは御氣色かはりて惱み給ふ。試みに所を替へ給へと陰陽師申せば、明石の御方の住み給ふ乾の町に渡り給へば、明石の御母の尼君夢の心地してみ奉り、生まれ給ひし程、入道が袖の上の玉のやうにかしづき奉りしなど、老のくりごとに語り聞えしなり。かねて惱ましうし給ひしかど、三月十日あまりに御産平安、皇子御誕生なれば、思ふまゝに誰々も嬉しう思す。明石の住みたまふ所なれば隱家にて、御産家の儀式もいかゞなれば、寢殿へ歸り給ふ。帝中宮を始め奉り、此處彼處よりの御うぶやしなひ(原文「うぶやしなひい」)夥し。明石の入道かかる御事を傳へ聞きて、いと嬉しうおぼえければ、いまこそこの世の界を心やすく行き離れむと思ひ、家をば寺になし、田畠は寺領にし置き、播磨の國のおくの郡に深き山あるに籠るとて、娘明石の御方と尼君へ文かきおこせたり。文には、「姫君春宮へ參り給ひて、若宮生まれ給へる由を深く悦び申し侍る。其の故は、みづから拙き山伏の身にて、此の世のさかえを思ふには侍らず。明石の御方うまれ給はむとせし其の年の二月の其の夜の夢に見しやう、みづから須彌の山を右の手に捧げたり、山の左右より月日の光さやかにさし出でて世を照らす、みづからは山の下の陰に隱れて其の光にあたらず、山をば廣き海にうかべ置きて、小さき舟に乘りて西をさして漕ぎゆくと見侍りし。此の夢にたのみをかけて、住吉を始め願を立て置きし。姫君國母と成り給ひ、願ひ滿ち給はむ日に、願をほどき給へ。今はおもふ事みてぬれば、遙かに西の十萬億の國を隔てたる九品の上の望み疑ひなく成りぬれば、迎ふる蓮を待つほどは、水草Cき山の末にて勤めむとてまかり入りぬ。」と書きて、入道、
光り出でむ 曉ちかく なりにけり 今ぞ見し世の 夢語りする
「命終らむ月日をもしろし召すとも、定まりて著るふぢ衣もき給ふべからず。唯我が身をば變化のものと思して、老法師がためには功コを作り給へ。此の世の樂しみにそへても、後世を忘れ給ふな。願ひの所に至りぬれば、又對面は侍らむ。」と書きて願文ども文箱に封じこめておこせり。明石おや子此の文をみて涙せきとめ難く、かかる夢にたのみをかけて斯くはからひ給ひしを露しらねば、數ならぬ身を、高きまじらひを好みかく物思はせ給ふ事と恨めしかりしをも、今思ひ合はせ給ふ。此の文箱の願文をもたせて、明石の御方は御息所のおはします寢殿へわたり給ひて、人のなき時にしか/〃\と語りて、御息所に入道の文をみせ奉り給ふ。時しも源わたり給ひて、「何文ぞ。」とたづね給ひ、取りて御覽ず。さる法師の心に夢にかくたのみをかけけむに、おもはずに我がさすらへしも入道の願をみてむとて、神の誓ひにやありしと思すにおろかならず、願文ともに源へ取らせ給ふ。何かの御物語のついでに、源御娘に、「紫の上の心ざしをおろかに思ひ給ふな。此の月ごろは誠の御母あかし付き奉りて侍ひ給へど、少しも其の隔てなくいとほしみ深し。」など聞え給へば、明石の御方、「まことによろづ親切にあはれにせさせ給ふあまりに、みづからなどをも、かへりて恥かしき程懇に聞え給ふ。」など語り給へば、「それもそこの爲にはあらず、唯御息所を思ふ故にこそ。」など宣ふ。萬たらひたまへば、源の御心ざし(原文「御心ずし」)の年月にそへてまさるも理なり。女三の宮は、大かたの人めにはもてかしづき給ふやうなれど、御こゝろざしはふかくも見えぬを、例の世間の人の口なれば色々にいふを、柏木の右衞門督聞きて、「かたじけなくとも、ぬしを御うしろみにせさせ給はば、わきもなくかしづき奉らむに。」などと、小侍從は常に宮の御うへをかたる。女三の宮の御乳母と柏木のめのととははらからなり。此の小侍從は宮のめのとの娘なり。小侍從が爲には柏木のめのとはをばなれば、常に行き通ひ、柏木ともしたしきゆゑ、女三の御事も尋ねきき、預りたき心も出できしなり。長閑におもしろき日、御弟の兵部卿の宮・右衞門督、六條院へ參り給ひて、寢殿の東おもての庭にて人々鞠蹴させて御覽ず。暮れかゝる程風ふかず、鞠の數あがりておもしろければ、公卿なれど若き人々なれば、「おりて蹴給へ。」と源宣へば、夕霧も柏木もおりて、花の陰に休らふ。女三の宮の御方は此の寢殿の西なればしりめに見るに、物深からぬ御もてなしにて、御簾のすきかげ色々にうつろふ。内の几帳もしどけなく押しやりたるに、小さきから猫のつながれたるを、外より大きなる猫入り來てくひかゝるに恐れて、から猫は御簾の外へはひ出づる勢ひに、繋ぎたる綱にて御簾を引きあけたれば、人々も騷がしき心まどひして、御簾の明きたるに心もつかず、女三も驚きて柱に立ちそひて居給ひしを、右衞門督殘りなく見奉る。夕霧御簾の明きたるを見つけ、かたはらいたくて聲づかひし給へば、人々驚き御簾をおろしぬ。是れより柏木いとゞ思ひ深く成りて、小侍從がたへ見奉りし事をほのめかして、文をおこせ給へり。右衞門督、
よそにみて 折らぬなげきは しけれども 名殘こひしき 花の夕陰
とあれど、小侍從はのこりなく見給ひしとは思ひもよらず、いつもの事と心得て、女三にみせ奉れば、殘りなかりしみすの事を思し出でて、御顔赤みて、源の、事のついでごとに、夕霧に見えなと宣ふに、其の時大將も見られしかば、かかることありしと、源に大將の語り給はばしかり給はむと憚り給ふぞ、物ふかからずをさなげなる御心ばへなる。柏木へ御返し、小侍從、
今更に 色にな出でそ 山ざくら およばぬ枝に こゝろかけきと
かひなき事かなと聞えたり。
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若菜(下) 柏木の右衞門督は、小侍從がかへり事を見て、理とは思へども、つれなくもいふかなと恨めしう思ひ給へり。三月の末に、六條院にて小弓を人々に射させて御覽ず。例の夕霧・柏木參り給ふ。柏木は人しれぬ思ひしあれば、かかる遊びも心に入れず、ともすればながめがちなるを、夕霧少し心得給へば、わづらはしき事も出できぬべしと笑止に見給ふ。柏木は源を見奉るにも、恐ろしく恥かしくて、かかる心はあるべき事かは、あるまじき事と思ひかへせど、思ひ侘びては、せめてかの見しから猫をぬすみ取りて寂しき慰めにせむと思へど、それさへ思ふやうにはならざりけり。春宮は女三の御兄なりければ、似させ給へる所もあらむと思ひて、春宮に參りて見るに、内裏の猫のはらから共を、此の宮にも飼はせ給ふ。いとあいらしくてありくを見るに、まづ思ひ出でられて、「女三の宮の御方にかはせ給ふから猫こそ、殊の外うつくしく見え侍れ。」と奏し給へば、聞召し置き給ひて、この柏御覽じたきよしにて、御息所の御方より女三の宮へこひ給ひければ、やがて東宮へ參りたりしを、柏木の御箏教へ奉り給ひし時、かの猫の有るを見つけ、いとかはゆくて、かきなでてゐたるを御覽じて、「未だよく懷かず。もとよりの猫ども是れに劣らず。」と宣はすれば、「さらばこれは暫し預かり侍らむ。」と奏して、我が方へよび、夜もあたり近くふせ、晝は終日撫でやしなひ給へば、いとよくなつきて、ともすれば小袖の裾にまつはれよりふし、むつれるを、いとかはゆくうつくしと思ふ。いとゞながめて打ちふし給へるに、ねう/\と鳴けば、かき撫でてほゝゑまる。柏木、
戀ひ侘ぶる 人のかたみと 手ならせば なれよ何とて 鳴く音なるらむ
是れもむかしの契りにやと懷に入れてながめ居給へり。髯Kの左大將の北の方は、玉鬘の尚侍なり。始めの北の方の御腹の眞木柱の君を、おほぢ式部卿の宮の御はからひにて、源の御弟螢兵部卿の宮(原文「兵螢部卿の宮」)を壻に取りたまへり。母君は年月にそへ物のけ重りて、怪しきひがものに成りはて給へば、御祖母大宮よろづきも入り給へり。内の帝御位につかせ給ひて、今年十八年にならせ給ふ。よの中はかなくおぼゆるを、位を去りて心安くおはしまさむと宣ふに、日頃重く惱ませ給ふ。俄におりさせ給ひぬ。盛りの御齡をと世の人惜しみ奉れど、春宮おとなしくおはしませば、打ちつゞき世の政替る事なし。今までの執政は、柏木・玉鬘などの御父なりしが、世の常なき思召して、かしこき帝さへ御位を去り給ふに、年よりぬる身の、かうぶりを懸けむ何か惜しかるべきとて、籠り居給ふ。七十以後は出仕を止むるとて、冠を先祖の墓にかけ隱居するなれば、「かうぶりをかけむ、何かをしかるべき。」と宣へり。かくてこもり給ふをば、致仕の大臣といふなり。髯Kの御妹今の帝の御母なれば、髯Kの左大將右大臣にあがりて、執政し給ふ。帝の御母はかくれ給へば(薄雲)(原文「帝の御母は(薄雲)はかくれ給へば」)、かく御位につかせ給ふに付けても、いとゞ御殘り多く思召さる。源の御娘桐壺の女御の御腹の一の宮、春宮に成らせ給ふ。夕霧右大將なりしが左大將に成り給ふ。源は、思すやうにめでたき事に付けても、住吉の願ども皆ほどき盡したまへど、神の御誓ひ猶有りがたくて、十月二十日頃に、紫の上、御娘の女御、明石の御方、母の尼君など引き連れて住吉に詣で、神の悦ばせ給はむ事どもしつくさせ給へり。明石の尼君をぞさいはひ人に云ひて、世の中の人是れを手本にて、心を高くつかひ、成り出でむと思ふべし。かの柏木の御妹の近江の君は、雙六の乞目にも尼君々々とぞこひ給ひける。朱雀院は、西山の御寺に御行ひつとめて渡らせ給へど、女三の宮の御事を猶思し捨てず、帝に奏し給ひて二品の御位になし、御知行參らせ給へり。源の御娘桐壺の女御の、御子達あまた産み奉り給ふ。春宮の御さし次の姫君を、紫の上の御かたにてそだてかしづきて慰めにし給へり。花散里も是れを羨み給ひて、夕霧の御子惟光が娘の腹に出できしを呼び取りてかしづき給ふ。此の花散里を夕霧の御母分にし給へと、源宣ひし故此のかたと夕霧の親しきなり。朱雀院は御遁世の事を願はしくおぼしめせど、「女三の宮に今一度御對面ありたき。是れのみ此の世を離るゝ時も執心にならむ。」と常に宣ふよし、源傳へ聞かせ給ひて、幸ひ來年は五十に滿てさせ給へば、御賀に若菜を奉り給はむに事よせて、御對面あらせ奉らむと思して其の用意どもせさせ給ふ。孫どもに舞を習はせ御目にかけむとて、道々の上手を召して習はせ給ふ。女三の宮はもとより琴のことを少し彈き給ふ。今は源の御かたにましませば、いよ/\よく彈かせ給はむ、御對面あらば所望して聞かむと、山の帝(・・・)(原文ママ)宣ふよし源聞き給ひて、をしふるにてまを取るゆゑむづかしくて、紫の上にも御娘の女御にもをしへざりしかど、かく宣ふにはいかゞと思して、此の頃は打ちかゝりてをしへ聞え給ふ。年かへりぬ。二月には御賀をすべきなれば、それより前によろづの物の音にあはせて、試みの女樂したまへりて(*ママ)、紫の上を女三の宮の御方に參らせ奉り給ひ、御方々もつどひたまひて、御琴ども參りわたす。紫の上に和琴、桐壺の女御に箏のこと、女三の宮にきん、明石の御方に琵琶、けふの拍子あはせには童子を召さむとて、玉鬘の腹の三郎君笙の笛、夕霧の御子太郎君横笛なり。夕霧の大將を呼び給ひて、箏の緒を張りしづめさせ給へり。しらべどもとゝのひて、春のよのおもしろきにかき合はせ給ふ、いとおもしろし。夕霧は拍子取りてしやうがし給ふ。源も時々付けさせ給へり。女三の宮は人竝みより小さくうつくしげにて、唯御衣のみあるやうに見ゆ。奄ミやかなるかたはおくれたまへり。二月中の十日ばかりの柳のわづかにしだり始めたらむ心ちして、鶯の瀦翌ンだれぬべく、あえかに見え給ふ。女御の君は同じやうなる美しさに、いま少し奄ミくははり、もてなし心にくくて、よく咲きこぼれたる藤の花を見る心地す。紫の上は御ぐしのたまりし程多く、大きさ能さほどにて、樣體あらまほしく、あたりも奄ミ滿ちたる心地して花といはば櫻にたとへても猶すぐれて見え給へり。かかる御中に明石はおとるべきを、さしもあらずもてなし恥かしう心の底ゆかしき樣して何となう美し。高麗の地の錦の縁とりたる茵に、主は居りて琵琶を打置きてたをやかにつかひなしたる撥音を聞くよりも、見るはまさりて、皐月まつ花橘の心地しけり。女御は箏の琴を紫の上にゆづりてよりふし給へば、紫の上彈き給ひし。和琴は源ひき給ひていとおもしろし。「此の笛吹けどもねぶたからむに、こよひの遊びは短くせむと思ひしかど、おもしろさに夜も更けたり。」とて、御遊びやみぬ。紫の上は女三の宮に御物語り聞え給ひて、曉方に歸り給ふ。あくる日、源はかのひき物共の宣ひ出でて、紫の上の和琴出きたりと譽め給へり。宮等の御扱ひも、かかる御遊びかたも、すべてもどかしき事なく、たぐひなき御さまなれば、かやうにたらひぬるは命みじかき物をと、源はいま/\しくおぼすに、まして今年は三十七に成り給へば、「愼み給ふべき事なり。祈りどもせさせ給へ。」と宣ひて、色々のはなしの序に、源の御覽じける御方々のかたち・心ばへなどかたり給ひて、「六條の御息所こそうつくしき例には思ひ出でらるれど、人みえにくく苦しき形氣にて、ふたりの中も隔て多く成りにし。」など語り給ふ。女三の宮琴をよくひき給ひし悦びいはむとて、源は女三へわたり給ふ。其の曉より紫の上御胸を惱み苦しがり給へば、源も御娘の女御も渡り給ひて御覽じあつかふに、まことに強くくるしがり給へば、昨日も思しよりし愼み給ふべき御年なれば、いかにあらむとおどろき歎き給ひて、僧召して御祈り・加持せさせ給ふ。此の肝潰しに、朱雀院の御賀も延びぬ。同じ事にて二月も暮れぬれば、いかにせむと源思しまどふ事限りなし。此の人うせ給はば、源も世を背き給ふべしと、冷泉院・大將なども一しほ御心盡しに思す。この冷泉院は、藤壺の御はらに出でき給ひし源のしのびの御子なり。みをつくしの卷より、此の若菜の始めまでの帝なり。今は院にならせ給ひて、冷泉院と申し奉るなり。紫の上の御惱みは、こゝろみに所を替へて養生せむとて、もとの御家二條院へ移し參らせ、御祈りども數しらず。柏木の右衞門督は此の頃中納言に成りにき。今の帝の御箏の師なれば、親しく思さるゝ時の人なり。身のおぼえのよく成るに付けても、思ふ事の叶はぬ一ふしを思ひ侘びて、女三の宮の御姉の女二の宮を預り申しけれど、人めばかりにもてなして心にも入らず。常にかたらふ小侍從をよびて、いろ/\とたのみ語らひ、たゞ物ごしに思ふ事をいはせよ、それほどの事は女三の御身の疵にもならじと、唯今は紫の上の御惱みに付きて、源も二條院におはしませば、よきひまなりとひたすらせめ聞え給へば、遁れ難くて、さりぬべきひまもあらばと約束して歸りぬ。いかに/\と日々にせめられてくるしければ、加茂の祭の御祓あすといふこよひ、人々見物の用意して御前も人ずくななれば、よき折ふしと思ひ、柏木へ左右をしければ、悦びつゝやつれ忍びておはしぬ。小侍從計らひて几帳の際に置き奉る。女三の宮は近く男の音ずるを、源氏のおはしたると思すに、あらぬ人なりければ、淺ましと思して人召せど誰も參らず、只わなゝき汗は水の樣に流れて、物も覺え給はぬ體あはれにいとほし。此の年月思ひ侘ぶる心の程、猫の綱にて御簾明きたりしに、御かたちを見し事ども語りつゞけて恨むれど、露の返り事もし給はず、たゞやは/\として、引きたてたる御心ばへなければ、かくまでとは思はざりし心もうせぬ。夜はたゞ明けにあけゆけば、こゝろならず立ち出づるとて、柏木のゑもんのかみ、
おきて行く 空もしられぬ 明けぐれに いづくの露の かゝる袖なる
かへらむとするに、少しなぐさめ給ひて、女三、
明けぐれの 空にうき身は 消えななむ 夢なりけりと 見てもやむべく
柏木は、歸り給ひても、いみじきあやまちをしつるこゝちして、つく/〃\とながめがちなり。女三の宮は、只今人の見付けしやうに恥かしう恐ろしければ、明き所にだにえ出でたまはず、なやましげにし給へば、源聞かせ給ひて、紫の上の御心ちに打ちそへ、又いかならむと御心を惑はし、御訪らひにわたり給ふにも、いとゞ胸つぶれて、女三はしかとものも宣はず。柏木は中々なる心ちして、起きふしあかし暮し侘び給ふ。我が北の方〔女二の宮〕をみ給ふにも、同じはらからなれど劣り給へる御形かなと思ひて、柏木、
もろかづら おち葉を何に 拾ひけむ なは睦ましき かざしなれども 
此の歌ゆゑこの宮を落葉の宮といふ。源は女三の宮へ源訪らひにわたり給ひて、二條院へはやくもえ歸り給はぬに、紫の上絶え入り給ふとて人參りければ、御心もくれて急ぎ給ふ。道の程も心ならぬに、二條院にはほとりの大路まで人々立騷ぎ泣きのゝしる音まが/\し。源入らせ給ひて、「さりとも、物のけのしわざならむ。かくなさわぎそ。」としづめ給ひて、願共を立てそへ、驗者を召して、K煙を立て祈らせたまへば、物怪、ちひさきわらはべに移り、紫の上はいき出で給へり。物のけに取付かれたるわらはべ、源を呼び奉りて、色々の事をいひ、「中宮の御うしろみをし、位を高くなしたまふぞ嬉しけれど、やゝもすれば紫の上との御物語に、我が事をあしざまに語り給ふがいとつらきなり。此の人を憎しと思ひ取付きたるにはなし。源に恨みをいはむため、かく近付きし。」といふ。聲づかひ疑ふ所もなく六條の御息所の死靈とみゆればいとうとましう思す。紫の上少し人ごゝち出でき給ひて、御ぐしをおろさむとつよく宣へば、さやうにして戒どもたもたせ奉りなば、祈祷になりてよき事もやと思して、御いたゞきの髪鋏みて戒を授け奉り給ふ。紫の上は、惜しむべき身にはあらねど源の堪へがたく思し歎くに、思ひがひなくて見えじとおぼして、むりに御粥なども參り給ふ故にや、六月に成りてぞ時々おきあがり給ふ。女三の宮は、五月の末より物きこしめさずたゞならぬ御心地に惱み給ふと聞き給へれば、六條へわたり給はむとし給ふ。紫の上は池の蓮の心地よげなるを見出しておはするを、源御覽じて、「かくて見奉るこそ夢の心ちすれ。我が身さへいける心地はせざりし。」と聞え給へば、紫のうへ、
消えとまる ほどやはふべき たまさかに はちすの露の かゝるばかりを 
と宣へば、源、
契りおかむ 此の世ならでも 蓮葉の 玉ゐる露の 心へだつな 
さて女三の宮へ渡り給ひし折しも、柏木より文かきて小侍從方までおこし給ひしを、少しのひまに女三の宮に見せ奉るに、源おはしませば、小侍從は立ちて次の閧ヨ出る、宮は文をしとねの下におし入れて隱し給へり。宮の御心地は懷妊のつはりなれば氣づかひ成る事にもあらず、夕かげに成りなば、源六條院へ歸らむと宣へば、女三の宮、「月待ちてもといふものを。」と宣へば、「其の閧ノも見むと思すにや。」とて、其の夜は源とまらせ給ふ。此の心は古歌に「夕闇は道たど/\し月待ちてかへれわがせこ其の閧ノも見む」といふ歌の心なり。かくて源は朝かげに歸らむと思して、とくおき給ふ。扇を置き忘れさせ給ひて、こゝかしこ御覽ずるとて、しとねを引きあげ給へば、淺緑の紙にかきたる文あり。取りて見給へば柏木の手なり。年月心をくだき、たまさかに逢ひてみて、思ふ儘ならぬ心のくるしさを、細々とかきたる文なり。御鏡などもちてまゐる人は、見給ふはずの文にこそあらめと何の心も付かず、小侍從きのふの文の紙の色なれば、胸つぶれて、女三へ參り、「しかじかの事侍り。きのふの文はいかゞせさせ給ふ。」と申せば、「しとねの下へ入れしが、忘れて其の後取らざりけり。」と宣ふ。行きて見るに文なければ、淺ましといふべきかたもなく、あきれてものもいはれず。女三はただ御涙のみ先だつ。源さればよ、かかる事あらむとかねて思ひし、かど/\しくおとなしき心は少しもなく、唯やは/\と許り見え給へば、心かけむ人はいひよらむも安からむと思ひし事ぞかし。懷妊もかかる故なり。さても此の人をばいかにもてなさむ。うしろめたき事かく見ながらは、え近づかじ。少しも此の色を人に見せむも、御姪の事なれば血にて血を洗はむが如くなるべし、(*原文以下27字分「・」)その報いにこそとあきらめなど、さま/〃\思ひ亂れて歸り給へり。小侍從、かかる事こそあれと柏木へいひやりければ、驚き、程へて顯はるゝも常の事なり、かく心をさなき事あらむやと、淺ましう女三の宮の御心劣りしながら猶戀しさは思ひさまし難く、今よりは源にいかでか見え奉らむと、恐ろしう恥かしう、せむ方なき心ちしけり。源は朧月夜の内侍を忘れず。此の頃は、後めたき筋をうき物におぼし給はず、尼に成り給ふと聞かせ給ひて、尼の裝束など拵へて遣はし、ねんごろに訪ひ給へり。朱雀院の御賀、二月にと定め給ひしかど、紫の上煩ひ給ひて、六月まで延びぬ。六月よりは女三の宮惱み給ふ。彼是さし合ひて十二月に成りぬべき、さりとて來年へ延ばすべき事にもあらねば、試みの樂を六條院にてせさせ給ふ。御遊事の度に先づ柏木を呼び何角(*何くれ、か。)の事宣ひ合はするに、此のたび呼び給はぬも人も不審に思はむ、彼を見むにつけてはいと恨めしからむと思しながら御使を遣はし給ふ。柏木も參り給ふべけれど、心ちあしきとて參らぬを、又おしかへし呼び給へど、父おとゞ聞き給ひて、さのみの煩ひも見えぬに、かく懇に宣ふに參り給はぬはひがひがし、是非ともと、すゝめて遣はし給ふ。試樂の舞などはてて御杯の時、源たゞならず御覽じける。柏木我が身に過ちあるにより、いと心にしみて恥かしう侘しくて、人より先に歸りたまへり。其の儘に打ちふし、心ち苦しがり給ふ。父おとゞ・母北の方其の外歎き給ひて、我が御方に呼びとり養生せさせ給ふ。朱雀院の御賀は、年のくれにありけり。此の卷にも、朱雀院の御賀に若菜奉らむとあるゆゑ若菜といへり。
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柏木 右衞門督惱み怠り給はで、年もかへりぬ。我が心にもながらへても思ふ一筋叶はぬは世にあるかひもなし、殊に源に知られ奉りぬれば、恥かしう心うし、又女三の宮の御爲にも、我がなくならば、源の御にくみもうすかるべし、とにかくに此の儘に死なむこそよろしからめ、誰も千歳の松ならぬ身なれば、強ひて惜しむべき事かはと思ひ續けて臥し給へり。少し御心ちよしとて、親達立ち去り給ふひまに、文かきて女三の宮へ奉り給ふ。「今は限りになり侍るを、いかにと問はせ給はぬも理なれど、恨めしうも侍るかな。」と書きて、柏木右衞門督、
今はとて もえむ煙も むすぼほれ たえぬ思ひの 程や殘らむ 
小侍從女三に御覽ぜさせて、「今は限りの文にて侍れば、御返しせさせ給へ。」とて取りまかなひすゝめ奉れば、女三の宮、
立ちそひて 消えやしなまし うき事に 思ひこがるゝ 煙くらべを 
とかき給ふを、小侍從持參して柏木に見せ奉れば、この御返しこそ此の世の思ひ出なれと悦びて、又柏木、
行方なき 空の煙と 成りぬとも 思ふあたりは 立ちもはなれじ 
小侍從に、御有樣どもたづね聞き、「今更に人もあやしとや思はむ。かくかぎりに成りぬれば、我が身の事は苦しからねど、女三の御ためいかゞなれば、早く歸り給へ。」とてかへしぬ。女三は此の暮時分より産の御けしきありし。惱み給へば、源急ぎこなたへ渡り給ふ。文見付け給ひし後は、うはべはかはる事なくもてなし給へど、夜などとまり給ふ事は難し。御心の内には遙かに隔て給へり。御祈りの僧召して修法始めさせ給ふ。一夜惱み明し給ひて、日さし出づる程に、若君生まれ給へり。此の若君桙ネり。源は女は數多人に見えぬものなれば、柏木に能く似ても苦しからず、男は人にかくれぬに、柏木によく似給はば、人々不審に思はむと苦しがりたまふ。此のよき御腹に、殊に若君にて生まれ給へば、ことの意はしらず、誰も/\もてはやしめでたがれど、源はうき/\とも悦び給はず。女三は御懷妊の内さま/〃\ものを思して、惱みがちにおはしければ、御産の後も御心ちよろしからず、はか/〃\しく物をもきこしめさねば、御命も危し。此の心ちにかこつけ、いかにもして尼にならむとおぼして源にさ聞え給ふ。げに尼に成り給はば、中々もてなしよくて、わが爲にはよろしかるべし、されば(*されど、か。)若き御身をやつさせ奉らむもさすがにあはれなれば、尼にもてなし給はず、御父山の帝に御對面ありたき由奏せさせ(原文「奏しさせ」)給へば、夜忍びて渡らせたまふ。「今は限りにや侍らむに、尼になさせ給へ。」と聞え給へば、源の疎きを恨みてかく思しよるにこそ、さしもョもしう思ひて預けしかひもなくもてなし給ふと、我が娘のあやまちをば知らせ給はで、源を恨めしう思し、かくておはしますに疎々しくば人めあしく、尼に成り給ふにより疎きといふは外聞もよろしと思して、さらば望みの如くにせむ、をしみ止めて、もし空しく成り給はば悔しかるべしとて、僧召し出でて御髪を切り、さげ尼に成し給へり。「かかる體にて爰に居給ふはいかゞなれど、もとより離れぬ御中なれば見捨て給ふな。」と、帝は歸らせ給へり。事の心はしらせ給はで、我がつれなきやうに誰も/\おぼすと源は苦しがり給ふに、形かへ給へば心やすしと思す。女三の宮はそろ/\御心ちよろしう成り給ふ。柏木はかかる御事どもを聞き、いとゞかきくらす心ちして、日々に弱り給ふ。帝も驚き、俄に權大納言になさせ給ふ。御おぼえのいみじきにつけても、親達は惜しう悲しと歎き給へり。夕霧悦びに參り給へば、逢ひ給ひて、「かくけふ明日を限りに成り侍れば、この世に思ひ置く事も侍らず。たゞし六條院にて御賀の試樂の時、源たゞならず御覽じけるはいかなる事にやと心にかゝり侍る。なき後に、ついでもあらばよきやうに取りなし給へ。又一條に住み給ふ北の方、おち葉の宮を懇にうしろみ給へ。」などたのみ給ひて、「今は苦しきに還らせ給へ。」とて、夕霧をかへし給ふ。御祈りども殘りなく盡し給へど、やむ藥ならねばかひなくて、はかなく成り給ふ。やむくすりとは、「我が身こそみぬ人戀ふる病すれあふより外にやむくすりなし」といふ古歌の心なり。おやはらからの御歎きいはむ方なし。女三は恨めしうて、世に永かれとも思さざりけれど、かくと聞き給ふはさすがにあはれにて打泣き給ふ。若君の五十日の祝ひにもちひ奉るを、源わたり給ひて何かと指圖どもし給ふ。人なき間に若君を女三の御側へさしよせ給ひて、源、
誰が世にか 種をまきしと 人とはば いかゞ岩ねの 松は答へむ 
と宣へば、女三はせむ方なく平伏し給へり。いかとて五十日めを上々は祝ひ給ふなり。夕霧は柏木の遺言なれば、柏木の北の方の落葉の宮を御訪らひに、一條の宮へ渡り給へば、御母御息所對面して、おち葉の宮の歎き給ふ事ども語り給ふ。夕霧も柏木の落葉の御事をョみ給ひし事ども語り、物あはれにながめ給ふに、花は時を忘れず心ちよげに開きしを御覽じて、夕霧の大將、
時しあれば かはらぬ色に 匂ひけり かた枝枯れにし 宿の櫻も 
と吟じ給へば、御息所、
此の春は 柳の芽にぞ 玉はぬく 咲きちる花の 行方しらねば 
夕霧は是れよりすぐに柏木の父大臣の御もとへ參り給ふ。御髭もしげりて、歎きにやつれ給へり。一條宮へ訪らひし事語り給ひて、御息所の歌を取り出して見せ奉り給へば、いとゞ涙にくれ給ひて、致仕の大臣、
木の下の 雫にぬれて さかさまに 霞の衣 きたる春かな 
と悲しみ給へり。
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横笛 柏木權大納言のうせ給ひし悲しさを、戀ひ聞ゆる人多し。源は童の時より取分け懇にし給へば、あはれに思し出でて、一周忌(原文「一週忌」)にもさま/〃\思し寄り、若君のと御心の内にあてて、黄金百兩香奠の爲、致仕大臣へつかはし給へば、親達畏まり悦び給へり。山の帝は、女三の宮尼に成り給ひし後は、はかなき事に付けても再々御文つかはし給ふ。御寺のかたはらの林に生ひ出でける笋、其のあたりの山にてほりし草薢(*{艸冠/解}。野老。)に御文添へて送らせ給ふとて、朱雀院、
世をのがれ 入りにし道は おくるとも 同じところを 君は尋ねよ 
御かへし、女三の宮、
うき世には あらぬところの ゆかしくて 背く山路に 思ひこそいれ 
若君這ひよりて、此の笋を取りちらし、くひかなぐり給ふ御さまいとうつくし。この君の愛らしさに、つらきふしもわするゝやうに思して、源、
うきふしも わすれずながら 呉竹の こは捨てがたき 物にぞ有りける 
夕霧は、柏木の北の方一條の落葉の宮を常に訪らひ給ふ。秋の夕のものあはれなるに、夕霧一條の宮へおはしたれば、落葉の御母御息所對面し給ひて、昔の御物語ども聞えかはし給ふ。傍に和琴の有りけるを、柏木の常に彈き給ひし物をとなつかしく、少しひきならし、落葉の宮をもすゝめ給へば、箏のことを少しひき給ふ、いとおもしろし。これに心ひかれて秋の夜ふかし侍らむもいかゞなりとて夕霧歸り給ふに、御息所、笛を取出し給ひて、「柏木居給はねば吹く人もなし。かかる露けき蓬生の中に捨て置くも惜しく侍れば。」とて、夕霧に奉り給へば、少し吹きならし給ふに、みやす所、
露しげき 葎の宿は 古の 秋にかはらぬ 蟲のこゑかな 
御かへし、夕ぎり、
横笛の しらべはことに かはらぬを 空しくなりし 音こそつきせぬ 
我が御宿三條へ歸り給へば、格子おろさせて皆ふし給へり。此の一條の宮へ、夕霧再々おはして懇に宣ふは唯にはあらじ、下心ありての事たるべしと、北の方推量し給ひて、憎さに、歸り給ふを聞きながら知らぬふりし給ふなり。夕霧は格子手づから明け、「かかる月に心やすく夢みる人もありけり。少し出で給へ。あな心う。」と聞え給へど音もし給はず。夕霧はもらひ給ひし笛をふきて、一條の宮を思ひやりて臥し給へりけるに、柏木ありしながらの姿にて傍に居て、此の笛を取りて見て、
笛竹に 吹きよる風の 如ならば 末のよ長き 音に傳へなむ 
「これは思ふ方殊に侍る物を。」といふ。いかなることぞと問はむと思すに、乳母のもとに臥し給へる若君、寢おびれて泣き出で給ふ御聲に夢覺めぬ。若君苦しげにて、泣きのゝしり給へば、北の方も起き給ひてすかし給ふ。夕霧、「いか成るぞ。」と尋ね給へば、「月めで給ふとて夜のふけたるに格子明け給ひしゆゑ、物怪が入りきてかくあるにや。」と恨み給へば、「誠に數多の子の親に成り給へば、思ひやり深き事をのみ常に宣へり。麿が障子明けずば、みちなくて、もののけはえ入りこじ。」と宣へば、さすが物もいはず恥かしげにてゐ給ふ。夕霧は、右衞門督、夢に末のよ長き音に傳へよとありしはいか成る事にやと覺束なく、六條院へまゐり給へば、御妹、桐壺の女御の宮たち、いだかれむつれあそび給ふ。女三の宮の御腹の桙熨魔闖oで給ふを、夕霧つく/〃\と見給へば、柏木に似たるやうなれば、人しれず心の内に推し量ることもあれば、いとゞ怪しと見給ひて、柏木の親達、子だに殘したらましかば、形見にせむものをと明暮歎きたまふに、これを見せ奉らばやと思ふも、いかでさる事にやあるべき、我が邪推ゆゑかく見る成るべしと思ひ返し給ふ。源に、一條宮にて落葉の宮の箏ひき給ひし事共語り給ひて、笛の事も宣ひ出でて、夢に見えしさま語り給へば、源はその笛を桙ノ傳へよといふ事と心得させたまへど、さもいはれ給はねば、云ひ紛らはして置き給へり。
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鈴蟲 夏、蓮の花のさかりに、女三の宮の御持佛堂の供養せさせ給ふ。源氏御心ざしにてさま/〃\夥しくかざり給へり。入道女三の宮朝夕讀誦し給ふ御經をば、源氏自らかかせ給へり。導師參りてあはれにきき所多く御法を説けり。かく尼に成り給ひし後は、なか/\もてなし心安く、過ちも罪も許さるゝ心地して、源今しもしげく渡り給ふ。秋の頃、わたどののまへを野べに作らせ給ひて、色々の蟲を放たせ給へば、啼きみだるゝ聲々いと面白し。十五夜の月も源此處にて御覽じ、松蟲・鈴蟲の聲のよしあしを定め給ふ。「松蟲は人の聞かぬ所にてはこゑの限り鳴き亂るれど、人しげき所にてはさもあらず、心の隔てある蟲なり。鈴むしは何心もなく、いづくにてもこゑをしまずになきて、かはゆき蟲なり。」と宣へば、入道女三の宮、
大かたの 秋をばうしと しりにしを ふり捨てがたき 鈴むしのこゑ 
御かへし、六條院、
心もて 草のやどりを いとへども 猶鈴蟲の 聲ぞふりせぬ 
ときこえおはする程に、御弟の兵部卿の宮・夕霧の大將、その外殿上人などまゐり給へば、源そなたへ出で給ひて、御琴どもとり/〃\にかきならし、「鈴蟲のえんにて明さむ。」と宣ひて、御かはらけ二たびばかりめぐるに、冷泉院より御使あり。御製、
雲の上を かけはなれたる 栖にも 物わすれせぬ 秋のよの月 
御かへし、六條院、
月影は 同じ雲ゐに 見えながら 我がやどがらの 秋ぞかはれる 
かく驚かさせ給ふも忝しとて、御遊び止めて、兵部卿の宮・夕霧、其の座の人々打ちつれて冷泉院へ參り給へば、院は待ちうけ悦ばせ給ひて、御歌唐のも和國のもさま/〃\に面白くなむありける。あけがたに人々歸り給ふ。源は秋好中宮に御對面ありて、御物語もし給ひてかへり給へり。
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夕霧 實なる人と人にいはれ給ふ夕霧の大將、柏木の北の方一條の落葉の宮を心にかけて、人めには柏木の遺言をたがへじと訪らふ禮にて、下の心にはかくてはやむまじく、月日にそへて思ひまし給へば、よろづ懇に聞え給ふ。落葉の宮の御母御息所物怪につよく煩ひ給ふ。比叡の麓小野といふ所に家を持ち給ひければ、それへおはして、山に籠りたる律師を請じ下し、祈りさせむ(*ママ)ためなり。御車より始め、御供の士どもまで夕霧肝入り給ふ。夕霧も御訪らひに小野へわたり給ふ。八月中の十日餘りなれば、山の景色おもしろし。松が崎の小山の色なども、さる巖ならねど、秋の景色づきて、キに我おとらじとつくりたる家居よりもあはれ(*に、か。)興もまさりて見ゆ。さて御息所へ參り給へば、はかなき小柴垣もあてにをかしう住ひし給へり。西表に落葉の宮を置き奉り、みやす所に(*は、か。)東におはして、修法の壇塗らせ、祈りなどせさせ給ふ。せばき所にて客の居給ふべき座敷なければ、落葉のおはします御簾の前に夕霧を入れ奉りて、何かと御使行きちがふ。暮れ行くまゝに軒の際まで霧たちこめて、還らむ方も見えねば、「いかがし侍りなむ。」とて、夕霧、
山里の あはれをそふる 夕霧に 立出でむ空も なき心地して 
夕霧の大將とは此の歌よりの異名なり。御返し、落葉の宮、
山賤の 籬をこめて 立つ霧も 心空なる 人はとゞめず 
夕霧はとかくして御簾の内にゐざり入り、思ひわたる心の内を聞え盡し給へど、落葉の宮は思はずに淺ましと思して、北の方の障子を明けて隱れむとし給ふを、早くおよびて引きとゞめ奉り給へど、御身はとく隱れ給ひて、小袖の裾ばかり殘れり。かく思はず成る御心ばへを、理を盡し恨めしがり給へば、恥かしうて、ひたすらにもえもてなし給はず、終夜恨み明して出で給ふ。御息所の心ち少しよろしう成り給ふを律師悦びて、「大日如來空言はし給はず。何某の心を出さむに、いかで驗なからむ。」など申し給ふついでに、「此の夕霧の大將はいつよりかく懇にし給ふにや。」と問ひ給へば、御息所、「故右衞門督の遺言にて、それを違へじとて心に入れ訪らひ給ふあまりに、かかる所へもわたり給へば、いと忝く聞き侍る。」と語り給へば、律師、「何事を隱し給ふぞ。大かたの御訪らひにては侍らじ。けさ是れへ參り侍るに、おち葉のみやのおはします(原文「おします」)西のつま戸より、いとうるはしき男の出で給へるを、霧深くて何がしは誰とも見分け侍らざりしを、弟子の法師原は夕霧の大將殿とこそ侍りつれ。落葉の宮の御ためくるしき事。」と遠慮もなく語り給ふ。御息所、「大かた實なる御心とみし故、心易くて打ちとけたるぞかし。人少なにてゐ給へば、さる事なきにしもあらじ。」と驚き、律師立ちぬる後に、少將の君といふ女房を呼び、「しか/〃\聞きし、まことか。」と尋ね給へば、有りし事ども語る。打ちとけ給はぬ内證の事は人はしらじ、法師原まで大將殿とまり給ふと見て云ひちらすなれば、立ちにし御名を取りかへすべきにあらず、迚も立つべき御名にしあらば、なかなか御心ざしの深きにこそ慰まめと思ひ續け給ひて、こよひも夕霧の渡り給ふかと、心待ちし給へど、其のかひもなければ、あなづらはしき仕方と思ひ、恨みさへ添ひて、いふべき方もなく思ひ亂れておぼつかなければ、御息所より夕霧に文つかはし給ふ、
女郎花 しをるゝ野べを いづことて 一夜ばかりの 宿をかりけむ 
夕霧此の文を見給ふに、苦しき片手に書き給へば、鳥の跡のやうにて、早くも讀まれねば、燈火よせて見給ふを、北の方奪ひとり給へば、何事の有りしも知り給はず、返しせむにも文の樣子をしらねばかかれず、色々に詑び給へど北の方戻し給はで其の夜は明けぬ。御息所は、誠しき御心ざしあらば夕霧の方より渡り給ふべきに、さるけしきもなく、是れより文の返しさへし給はぬは、さりとてはつらき御心の程なり、少し人がましき人は、男二人見る事なし、まして皇女は獨住みにて暮し給ふ事こそ作法なれ、柏木に預け給ふをさへよき事とは思はざりしかど、それは御ゆるしありての事なれば苦しからず、今此の夕霧にかたらはれ給ふは有るべき事にあらず、苦しき事なれども、心ざし深くもてなしかしづき奉らば、同じ立つ名も外聞よろしからむに、たゞ一夜の後音もなきは此の儘にて捨て奉らむとの事なるべし。人のうき名を立てて、我が心に入らねばかく捨て給ふは、偏にあなづり我が儘なるふるまひと、腹立し恨み續け給ふに、御心持も殊の外惡しく、物怪も折をえて引きいり奉る程に俄に消え入りて、唯ひえにひえ給ふ。律師騷ぎて、願など立て給へどかひなし。落葉の宮は後れじと添ひふして歎き給ふを、人々理を申してとりはなち奉る。六條院よりも山の帝よりも御とぶらひいとしげし。御息所の甥の大和守、萬の事を取り賄ひ、御なきがらををさめ奉る。夕霧もわたり給ひて、懇に宣へど、落葉の宮は、此の人故に御息所の御心ち重り、かく成り給ふと思せば、恨めしうて返辭もし給はず。「只今は物もおぼえ給はねば、なき人と同じ樣にておはします。」などと人々いふ。夕霧は、御息所の遺言に此の落葉の宮の御後見をョみ置き給ふといひなして、我が思ふかたになし奉らむと思す。九月十日餘り、夕霧小野へ渡り給ふ。山風に堪へぬ木々の梢・嶺の葛葉もあわたゞしう爭ひちり、鹿はたゞ籬のもとに彳み、山田のひたにも驚かず、色濃き稻の中に交りてうちなくも憂へ貌なり。例の少將の君召し出でて、落葉の御樣體ども尋ね、かの御息所より(*の、か。)文をも宣ひ出でて、其の時の樣子なども聞き給ふ。夕霧の北の方は年月かかる御振舞なかりしに、かくあくがれ給ふはいかならむと歎き給へり。ともすれば小野へ文つかはし給へど、御返しもなし。「しばしこそ物もおぼえ給はざらめ、今は歎きもやう/\うすくならむ。花や蝶などかきやる文にてもなし、なき人の事を同じ心に訪らふ文は嬉しかるべき事を、あまりつれなく、ものの心も分け給はぬ。」とつぶやき給ふ。源も此の事を聞き給ひて、今までは此の道におとなしくて、めやすく思ひしに、かくこゝかしこ聞き苦しき事を引き出づるかな、是れ程の分別のなきにはあるまじきが、遁れぬ契りにてこそあらめ、ともかくも口入るべき事にもあらずと、かげにて歎き給ふ。夕霧は、御息所の御忌はてぬれば、先づもとの一條の宮へ渡し奉らむと、一條を掃除などせさせ其の用意をし給ふ。落葉は、御髪おろして小野に住みはてむと思せど、御心にも任せず、御車よせて人々すゝめ奉れば、泣く/\乘らせ給ふに、御息所の手馴れ給ひし御經の箱を御車に入れければ傍にあるを御覽じて、落葉、
戀しさの 慰めがたき かたみにて 涙にくもる 玉の箱かな 
一條におはしつきたれど、住みなれし古郷ともおぼされず、御息所と諸ともにおはせし程を思し出づるもいと悲し。納戸を御座所に拵へて引籠りおはす。夕霧の北の方は、一條へ落葉を移し給ふ事を聞き給ひて、今は限りにこそあらめ、實なる人の心の變るは殘りなき物ときけば、今よりはいかにうとく成り給はむと、恨めしうつらき事限りなし。夕霧は、落葉のおはします納戸に推して入り、世のうき時は淵に身を投ぐるためしもあり、ふかき心ざしを淵になずらへて、捨てたる身と思し替れと恨み給へどかひなし。北の方は思ひあまり給ひて、御父大臣の御方へ渡り給ひ、常のやうにもかへり給はねば、夕霧驚き、大臣もおとなしくのどめたる所なき心なれば、いかならむと思して、夕霧は大臣へわたり給ひて色々宣へど、歸り給はず。稚き公達の母君をこひ聞え給ふをすかし、よろづ心盡しなれば、いかなる人かかる筋を面白かるらむと物こりし給ふ心地し給へり。父の大臣は、落葉の心をかはし給へるやうに、心の内に恨み給ひて、いかゞとけしき見むため、御子の少將を使にて、致仕の大臣、
ちぎりあれや 君を心に とゞめ置きて 哀れと思ひ うらめしと聞く 
落葉は、御涙のみさき立ちて、いと侘しう思す。御かへし、おち葉の宮、
何ゆゑか 世に數ならぬ 身一つを あはれと思ひ つらしとも聞く 
此のおとゞは、落葉の御ためにはしうとなり、夕ぎりのためにもをぢながら舅なり。惟光が娘の藤内侍、年頃夕霧の妾なるを、北の方常に心よからず思すに、又此の落葉出でき給へばいかに思すらむ、我もよき心ちはせじと、藤内侍、
數ならぬ 身にしられまし 世のうさを 人の爲にも ぬらす袖かな 
御かへし、北の方、
人のよの うきをあはれと みしかども 身にかへむとは 思はざりしを 
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御法 紫の上、若菜の下の卷にいたく煩ひ給ひし後、病身になり、年頃弱り給へば、源の思し歎くこと限りなし。御願にて千部の法華經を書かせ給へるを、二條院にて供養させ(*ママ)賜ふ。布施に給はる法服を始め、物の縫ひめまできよらを盡し給ふ。明石の御方、花ちる里も、聽聞に渡り給ふ。事はてて歸り給ふも、長き別れめきてをしまる。明石の御方へ、紫の上、
惜しからぬ 此の身ながらも 限りとて 薪盡きなむ ことぞ悲しき 
御返し、明石、
薪こる 思ひはけふを 始めにて 此の世にねがふ 法ぞはるけき 
花ちる里へ、紫のうへ、
絶えぬべき 御法ながらぞ たのまるゝ 世々にと結ぶ 中の契りを 
御かへし、花ちる里、
結びおく 契りは絶えじ 大かたの 殘りすくなき 御法なりとも 
夏になりては、暑さにいとゞ消え入りぬべき折々多く、苦しがり給ふ。そこと取分けたる事はなけれど、ひたすら弱りたまへば、侍ふ人々も、いかにおはしまさむと思ふにも、先づかきくらし惜しう悲しき御有樣と見奉る。かくの(*み脱か。)おはしませば、御娘の女御、今は中宮なるが、御對面の爲に此の院へ出でさせ給ふ。紫の上は、御心の内に思すこと多けれど、なき跡のこととて宣ふべきにもあらねば、たゞなべての世の常なさを言少なに宣ふ。御けしき哀れに心細き御さまはしるければ、中宮も打泣き給ふ。宮達の中に、姫君と三の宮とを取分けて育て給へば、此の御二人を見さして死なむはいとゞ悲しう思す。三の宮を御前に置き奉りて、「おとなに成り給はば、此の院におはしまして、臺の前なる梅と櫻とを、花の折々には心留めてもてはやし給へ。さるべき折々には、佛にも奉り給へ。」と宣ふ。此の三の宮を、鴛コ部卿といふ。かく宣ひしゆゑ、奄ヘ此の二條院に住みたまひしなり。秋に成りて、世の中凉しく成りぬれば、御こゝちも聊かよろしきやうなれど、猶ともすれば亂れ給ふ。中宮、内へ參り給ふとて御暇ごひに紫の上の御方へ渡り見給へば、殊の外やせ細り給へど、かくてもあてに(原文「かくてもてあてに」)うつくし。前栽見給ふとて脇息に寄り居給ふを、源御覽じて、「此の御前にては、こゝちはればれしきにや、起きて居給ふ。」と嬉しげに聞え給ふ御けしきを見給ふもあはれなれば、紫のうへ、
置くとみる ほどぞはかなき ともすれば 風に亂るゝ 萩の上露 
と宣へば、源、
やゝもせば 消えを爭ふ 露の世に おくれ先だつ 程へずもがな 
と聞えかはし給ふ御樣なども、聞き見るかひあるにも、かくて千年を過すわざもがなと思へど、叶はぬ事なればすべきやうなし。「今は歸らせ給へ。みだり心地いと苦しう侍る。」と御几帳引寄せてふし給へるさまの、常よりョもしげなく見え給へば、中宮、御手をとらへておはしますに、消え行く露の心ちして限りに見え給へば、修法の御使立騷ぎ、物のけのわざと疑ひて、樣々の事盡させ給へどかひなくて、明けはつる程に消えはて給ひぬ。理のまへにて、類ある事ともおぼされず、誰も/\くれ惑ひ給へり。源は、中々心強くもてなし給ひて、夕霧に宣ひ合はせ、僧召し入れて御髪おろさせ給ふ。夕霧むかし野分の卷に見初めし御面影忘れ難くて、御なきがらにても今一度見むと思して、女房の泣きのゝしるをしづめ顔にもてなし、几帳の帷子を引きあげて見給へば、明け行くひかりに美しうCげにて、とかく紛らはし給ひしうつゝの御さまよりも類なく見え給へり。御葬送の御供の女房泣き惑ひて、車より落ちぬべきにもてあつかひける。源も野べまで出でさせ給ふ。昔葵の上かくれ給ひし折の曉をおぼし出づるに、其の時は猶物を覺えけるにや、月のかほの明らかなりしに、こよひはくれまどひ給へり。八月十四日に失せ給ひて、葬送は十五日の曉なりけり。源今は御心にかかるほだしもなければ、世を背き給はむに障りもなけれど、歎きに思ひほれて遁世せしなどいはむ後の譏りを思召せば、この程を過さむと思して念じ給ふぞ、胸よりあまる心ちし給ふ。夕霧も御忌にこもりて、かり初めにも外へ出で給はず、源をよろづに慰め聞え給ふ。ほのかに見し御面影さへ忘れがたし、まして理ぞかしと思す。源御身の程を思しつゞくるに、御顔かたちを始めて、人より勝れ給ひながら、又悲しき事も絶えぬ御身なり。常なき世の程を思ひしり給ふやうに佛の進め給へる身をしらず顔にくらしてかく來し方行く先類なき悲しさを見つるかな、かくをさめむ方なき心にては佛の道にもえ入りやらじ、此の心少しなのめになし給へと、佛を念じ給ふ。致仕の大臣、葵の上の隱れ給ひしも此の響(*ママ)なれば、昔を思し出して(*ママ)、致仕の大臣、
古の 秋さへ今の 心ちして ぬれにし袖に 露ぞ置きそふ 
御かへし、六條院、
露けさは むかし今とも おもほえず 大かた秋の 世こそつらけれ 
中宮なども、忘るゝ閧ネく戀ひ聞え給ふ。
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 源は、紫の上の隱れ給ひにし明くる年の春の光を見給ふにつけても、くれ惑ひたるやうにのみ、御心一つは悲しさの改まるべくもあらぬに、御禮の人々は例年のやうに參り給へど、御心ち惱ましきとて御對面もなし。御弟の兵部卿の宮わたり給へば、源、
わが宿は 花もてはやす 人もなし 何にか春の たづね來つらむ 
御かへし、兵部卿の宮、
香をとめて 來つるかひなく 大方の 花のたよりと いひやなすべき 
御遊びもなく、例に變りたる事多かり。御かた/〃\にもわたり給はず、ひたすら御聖心に成り給ふにつけても、紫の上のおはしましける世に、好色深くて、樣々の人に心を盡し、紫の上に物を思はせ奉りし中にも、女三の宮のわたり給ひし程、其の折には殊に色には出し給はざりけれど、事にふれて、あぢきなのわざやと思ひ給へりしけしきのあはれ成りし中にも、女三の宮の三めの夜、雪降りし曉、女三の宮より歸り立ち休らひて、我が身もひえ入るやうに覺え、空のけしき烈しかりしに、泣きぬらし給ひし袖を引き隱し、何もなき體にあひしらひし用意などを、終夜思し出づるに、夢にても又はいかならむ世にか又も見るべきと思ひ續け給ふ。曙におきて部屋へ行く女房の、「夥しう積りける雪かな。」といふ聲を聞き給へる、唯其の折の心地するに、御かたはらのさびしさはいふかたなく悲し。源、
うき世には ゆき消えなむと 思ひつゝ 思ひの外に 猶ぞほどふる 
御心の紛らはしに、御手水めして行ひをせさせ給ふ。御はらからの宮達にも對面し給ふ事なし。人に向はむ程は思ひしづむべけれど、此の月頃においほけ(原文「おいぼけ」)たれば、ひがごと交りて、末の世の人に色々に沙汰せられむもうたてかるべし、思ひほれて人にも逢はざりしといはれむも同じ事なれど、見ぐるしき事を、思ひやると目に見るとは、見ぬ方はまさるものなりと思せば、夕霧にさへ御簾を隔てて對面し給ふ。御孫の三の宮を御慰めにし給ふ。二月になれば、花の木ども盛りに、時を忘れず奄ミみちたるに、三の宮、「まろが櫻も咲きにけり。ひさしくちらぬやうに、木の四方に几帳を立て帷子をおろしたらば風も吹きよらじ。」と宣ふ顔のうつくしさに、打笑まれ給ひて、「おほふばかりの袖求めけむ人よりは、かしこう思しよりし。」と宣ふ。此の心は、古歌に「大空におほふばかりの袖もがな春さく花を風にちらさじ」といふ歌の心なり。袖もとめしより、木の周に几帳を立てむと宣ふ、三の宮がかしこきとなり。いとつれ/〃\なれば、女三の宮へわたり給ふ。宮は持佛堂の御方へにおはす。何の深き御心ざしにもあらざりし御道心なれど、かく紛れなく行ひて此の世をはなれ給ふ事と、うらやましく御覽ず。「春に心よせし人もなきに、紫の上の前栽の山吹、常より殊に奄ミかさねたるこそあはれに侍れ。」と宣へば、女三の宮、「谷には春も」ときこえ給ふにつけても、紫の上はかやうのことばもそれ/〃\によく答へ給ひしにと、先づ戀しう思ひ出で給ふ。古歌に「光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし」といふ歌を取りて、女三はとくより尼に成り、うき世に交り給はぬゆゑ、中々うれへもなしと、身を卑下に宣へど、源の今愁歎なるにはあて言のやうなれば、源御耳にあたりて、紫の上はかくなかりしと悲しみ給へり。それより明石の御方へわたり給ひて、御かた/〃\を見給ふにも、かくはあらざりし物をと、戀しさのみいとゞまさりてなぐさめがたし。中將の君といふ女房は、紫の上稚きよりそだて給ひて、殊にふびんに思したれば、御形見にも準へつべくて、此の人ひとりをぞ折々御覽じける。五月雨にいとゞながめ給ふより外の事もなし。十日餘りの月さし出でたる雲閧フ珍らしきに、夕霧おはして御物語きこえ給ふ。「御一めぐりも近付き侍る。御法事いかやうに思召す。」など尋ね給へば、「紫の上の心ざし置き給ふ極樂の曼荼羅をこそ供養せめ。」と宣ふにつけても、悲しさのしのびがたく成り給へば、過ぎにし方の事さのみ聞え給はぬに、またれつる時鳥のほのかになけば、源、
なき人を しのぶる宵の 村雨に ぬれてや來つる 山ほとゝぎす 
暑き頃は凉しき方にて池の蓮の盛りなるを御覽じ、つく/〃\と居給ふに、蜩の聲はなやかに、なでしこの夕映をひとり見給ふ、げにぞかひなかりける。源、
つれ/〃\と わがなきくらす 夏の日を かごとがましき 蟲の聲かな 
七月七日にも御遊びもなく、星合見る人もなし。源、
七夕の あふPは雲の よそに見て 別れの庭に つゆぞ置きそふ 
八月十四日は御一めぐりなれば、かの曼荼羅を供養し給ふ。中將の君の扇子に、
君こふる 涙はきはも なき物を けふをば何の 終といふらむ 
と書きつけしを御覽じて、源、
人戀ふる 我が身も末に 成りぬれど のこり多かる 涙なりけり 
九月九日には、綿おほひたる菊を御覽じて、
諸ともに おきゐし菊の 朝露も ひとり袂に かゝる秋かな 
と悲しみたまへり。禁中には、綿を五の色に染め、九日には菊におほふなり。十月は大かたの空も時雨がちなるに、いとゞながめ給ふ。雲ゐをわたる鴈の翅も羨ましくまもられ給ひて、
大空を かよふまぼろし 夢にても 見えこぬ魂の 行くへしらせよ 
世を背き給はむ程近く成るに、哀れなる事盡きせず。御跡に殘りて、人にみせじと思ひ給ふ反古どもを、ものの序に御覽じつけて引きさかせ給ふ。彼の須磨の御別れの時、紫の上より參らせ給ふ文ども取出し給ふに、唯今書きたるやうなる墨付など、げに千歳のかたみにもしつべき物を、見ず成りなむよと思せばかひなくて、御前にて燒かせ給ふ。大かたの中にてさへなき人の書きし文など見るは哀れなるに、ましてかきくらし、それとも見わかぬまでふりおつる涙の、水莖にながれそふを、あまり心よわしと人の見るべきもかたはらいたければ、よくも見たまはず引きさきて、源、
しでの山 越えにし人を したふとて 跡を見つゝも 猶まどふかな 
又こまかにかき給ひしかたはらに、
かきつめて 見るも悲しき 藻鹽草 同じ雲ゐに 煙ともなれ 
と書きつけて、みな燒かせ給ふ。御佛名も今年ばかりにこそと思せば、常よりもあはれに御覽ず。導師に御杯賜はるとて、源、
物思ふと 過ぐる月日も しらぬ閧ノ 年もわが世も けふや盡きぬる 
禁中がたには、佛名とて、師走に法事あるなり。元日の事常よりことなるべく掟てさせ給ひ、人々に賜はる引出物樣々おぼしまうけたりとぞ。源氏の事は是れまでなり。此の時源の御年五十二三なり。此の卷と焔{の卷の閧ヘ八九年ほどなり。此の閧ノうせさせ給ふ人々、朱雀院、致仕の大臣、髯Kの太政大臣、螢の兵部卿、紫の上の御父式部卿の宮などなり。
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焔{ 源の光かくれ給ひし後、劣らず立ちつゞき給ふべき人、末々の御一門の中になし。されども御孫の三の宮、女三の宮の御腹に出でき給ひし源の御子栫A此の二方、容もなべてならねど、源には及び給はず、たゞ世に類ひある美しさなり。御元服ありては、三の宮を兵部卿の宮といふ。卿の御家は紫の上の御遺言にまかせ、二條院におはします。紫の上の御爲にも御孫分なり。夕霧、今は右大臣なり。六條院へ、一條におはせし落葉の宮を移し給ふ。源の御方は、花散里は、始め住み給ひし二條院の東へ渡り給ふ。明石は御孫の宮々の御後見して、今迄の如く六條院に住み給ふ。桙フ事を、源冷泉院へ申し置きたまへば、院取分けて思しかしづき、元服せさせ、侍從になし、其の秋右近中將になさせ給ふ。稚き時、源の御子にてはなしなどといふ事をほの聞き、いかなる事にやと我が身にあやまちのある樣にいぶかしくて、獨言に、栫A
おぼつかな 誰にとはまし いかにして 始めもはても しらぬ我が身ぞ 
御母女三も、かくさばかりの御年をやつしておはしますはおぼつかなき事なり、とかく佛道に入りてあきらめむと思せば、元服もうるさがり給へど、心の儘にもならねば、一日々々とくらし給へり。御かたちはすぐれ給へる程にはあらず、大かたにうつくしう恥かしげに、心の奧深く見え給ふ。唯御身のかをり、あやしきまでにほひ、しのび給ふ折ふしも此の奄ミにかくれなければ、みづからうるさがり給ふ。兵部卿の宮は、此のかをりをうらやましがり給ひて、色々の香を集めたしなみ給へば、其のまゝ同じ御奄ミなり。是れにより世の人は異名に、かをる中將、にほふ兵部卿の宮と申しめでたがりしとかや。
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紅梅 其の頃按察大納言といふは、柏木のさし次の弟、辨少將といひし人なり。本妻はかくれ給ふ。髯Kの御娘眞木柱の君といひしは、源の御弟螢兵部卿の宮の北の方になり、御女ひとりまうけ給ひしが、後家に成り給ひて、姫君を引具し、この按察大納言の北の方に成り給ふ。大納言の御娘、先腹に二人あり。當腹には若君一人出でき給へり。姉君をば春宮の女御になし給ふ。北の方のつれ子の姫君は、春宮の御弟焔{へと大納言心ざして、折々そのけしきをほのめかし給ふ。此の姫君の部屋の庭の紅梅盛りなれば、おもしろき枝を折りてにほふ兵部卿の宮へ、大納言、
心ありて 風のにほはす 園の梅に まづ鶯の とはずやあるべき 
焔{は、色も香もなべてならずとめで給ひ、御かへし、
花の香に さそはれぬべき 身なりせば 風の便りを すごさましやは 
折々文はつかはし給へど、誠しう御心には入れ給はず。殊の外好色深くおはしませば、大納言もいかゞと遠慮なり。
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竹川 髯Kの太政大臣は、源の御娘分の玉鬘の内侍を北の方に持たせ給ひし、其の御腹に男三人・女二人出でき給へり。姫君達を女御に參らせむとかしづき給ひしに、髯K隱れ給へば、入内も滯りぬ。二人の姫君、とり/〃\にいとうつくしき取沙汰あれば、冷泉院よりも、帝よりも、女御に參らせよとの御けしきなり。むかし御母玉鬘冷泉院へ參り給ふべきはずなりしを、髯Kの北の方に成りて相違せし其のかはりに、此の姫君を冷泉院へ奉らむと玉鬘は思す。夕霧の大臣の御三男藏人少將といふ人、此の姉君を心がけ、さま/〃\に侘びて、文などつかはし給ふ。此の藏人の少將は、母方に付きて姫君といとこ同士なり。姫君の御弟に侍從といふをかたらひ、此の事とゝのふ樣にせめ給ふ。梺將も、此の玉かづらとは兄弟(*ママ)なれば、うとからず行きかよひつゝ、姫君達の事をも聞き、唯にはあらず思ひ給へど、心ばへ實なる君なれば、色に出でて侘び給ふ程にはならず。正月に侍從の君の部屋へ、藏人の少將・梺將おはして、琴など彈き、竹川をうたひ遊び給ふ。榊の卷にしるす如く、竹川といふは、催馬樂といひて神代のうたひものなり。是れ一つに限らず、律呂を分けて、石川・伊勢の海・葛城・櫻人などいひて數々あり。今の世のうたひなり。棔dりてあしたに侍從の許へ、
竹川の はし打出でて 一ふしに 深きこゝろの 底は知りきや 
御かへし、侍從の君、
竹川に よをふかさじと いそぎしも いかなるふしを 思ひおかまし 
此の姫君達の部屋の庭のまへに、木立うつくしき櫻あり。此の君達稚き時、はらからして此の櫻を奪ひあひ給ふ。御父髯Kは姉君の櫻とさだめ給ふ。御母玉鬘は妹の君の花と宣ひし事を思し出でて、花の盛りに此の櫻を賭物にして、姫君たち碁を打ち給ふを、藏人少將のぞきみていとゞおもひあくがれ、心をつくす。御母三條の上、御父夕霧、取分け馳走の子なれば、いかにもして嫁にもらはむと玉鬘へ色々宣へど、髯Kの、唯人には遣はすまじき御心むけなりしかば(原文「なかりしかば」)、笑止(*気の毒)ながら聞き入れ給はず。玉鬘と夕霧の北の方とははらからなり。終に四月にあね君は冷泉院へ參り給ふ。帝よりも宣はせけるに相違せしかば、御氣色よろしからず。色々に奏し直し、妹の君に御母内侍を讓りて、宮仕に出し給へり。姉君は冷泉院御心ざし深くて、はなやかに時めき給へば、秋好中宮・御をばの弘徽殿妬み給ふゆゑ、苦しがりて里がちに成り給ふ。此の姫君の御はらに若君一所・姫君一所出で來させ給へり。年月にそへて心よからぬ事のみ出でくれば、玉鬘もくるしがりて、何しに冷泉院へ奉りけむ、藏人少將が桙壻に取るべかりしものを、今其の二人の人々、官位も高く、心ばへも同じければ、なか/\めやすくておはせむものをと悔い給へり。
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橋姫 其の頃世に數まへられ給はぬ古宮おはしけり。是れは桐壺の帝の八の宮にて、源氏の御弟なり。冷泉院は實は源氏の御子なれど、うはべは御はらからなり。此の冷泉院を春宮になし奉らせ給ふ時、源氏の御兄朱雀院の御母(弘徽殿)、深く妬み給ひて、同じ御繼子なれど、八の宮を春宮に立てむと思し構へし事露顯せしかば、源氏を始め、此の八の宮を御はらからのやうにもあひしらひ給はざりしかば、おのづから(原文「おのづかり」)御威勢衰へ給ふ。北の方は、大臣の御娘なり。あはれに心細き御住居なれど、深き契りの二つなきを憂世の慰めにて、又なくョめかはして過し給ふに、美しき姫君生まれ給へり。是れを限りなくいとほしみ傅き給ふに、中一年ありて又姫君出でき給ふ。産は平らかなりしかど、後を煩ひて、北の方はうせ給へり。あるかひもなき世なれど、北の方に慰めてこそ今までも過しつれ、今は世を背かむと思せど、姫君達を預け置くべき方なければ、御心ならずかくて過し給ふ。持佛の御かざりを取り立て、明暮行ひ給ふ。御念誦のひま/\には、姫君達を翫び、成人し給へば、琴・琵琶を教へ給ふ。春の麗かなる日影に、池の水鳥共のつがひ離れぬを羨ましう眺め給ひて、琵琶・琴教へ給ふ。小さき御程にとり/〃\にかきならし給ふが哀れに面白く聞ゆれば、涙をうけ給ひて、八の宮、
打捨てて つがひさりにし 水鳥の かりの此の世に 立ちおくれけむ 
心づくしやと御目をおし拭はせ給ふ。姉君、
いかでかく すだちけるぞと 思ふにも うき水鳥の ちぎりをぞしる 
中の君、
なく/\も はね打ちきする 君なくば 我ぞ巣守に 成るべかりける 
さま/〃\美しういとほしげにておはしますを、いかであはれに思はざらむ。御父帝、御母女御にもはやくおくれ給ひて、はか/〃\しき御後見もなければ、才など深くもえならひ給はず、まして世を渡る心づかひなどもいかで知らせ給はむ。高き人といふ中にも、取分け大樣なるが、女のやうにおはしませば、御母方の祖父大臣の、御讓りの金銀珠玉盡きすまじかりけれど、行方もなくうせはてて御手の道具などばかりぞ殘りける。かかる程に、此の住み給ふ宮燒けにければ、宇治によしある山里持ち給ひしに移ろひ給ふ。川のわたりなれば、網代のけはひ近く河音かしかましくて、閑かなる御願ひにはあしけれど、いかゞはし給はむ。花紅葉水の流れにも心をやるたよりにて、ながめ給ふより外の事なし。かく山重なれる御住居なれば、いとゞ尋ね參る人もなし。此の宇治山に、尊き阿闍梨住みけり。才など賢くて、おぼえも輕からねど、おほやけにも出でつかへず籠り居たるに、この八の宮の法文を讀み習ひ給へば、尊がりて常にまゐり、深き心を説き聞かせ奉れば、御心ばかりは蓮の上にのぼり、濁りなき池にもすみぬべきを、此の姫君達を見捨てむうしろめたさにかくて在るなど、隔てなく語り給ふ。此の阿闍梨冷泉院にも御經など教へ奉る人なりければ、其のついでに八の宮の佛法にさとくおはします事語りて、いまだかたちは替り給はねば、俗聖など人は申し侍る、優婆塞の宮といふは是れなり(*と)。梺將御前に伴ひ、阿闍梨の物語をきき、もとより下心に道心あれば耳とまりて、必ずまゐりて物習ひ侍らむなど、此の阿闍梨をたのみ内通し給ふ。阿闍梨、八の宮に、桙フ御目にかゝりたきと宣ひし事語り給へば、常に御文など通ひ、其の後桙ワうで給へり。聞きしよりも哀れに住ひ給ふ樣、いとかりそめなる草の庵ことそぎて、心とまるべくも見えず。尊き聖、才ある法師は世に多けれど、僧キ・僧正といふはあまり正しくて心やすからず、それより下は、佛の御弟子といふばかりにて、萬賤しく、言葉さへなまりて聞きぐるしきに、此の八の宮は、教へ給ふ言のはも耳近き譬へによせて面白く宣へば、常にわたりて習ひ給ふ。貧しき御住居なれば、心をそへて懇に訪らひ奉り給ふ事三年ばかりに成りぬ。秋の末に、八の宮、四季にあててし給ふ念佛を、阿闍梨の寺にて七日行ひ給ふとて、八の宮は御留守なり。有明の月、夜深くさし出づる程に出でたちて、梔F治へ渡り給ふ。近くなるまゝにもののね絶え/〃\に聞ゆ(*る)よき折ふしなり。宮の琴の御こと所望して聞かむなどと思して、おはしつきたれば、留守居の男出でて、「八の宮は御るすなり。姫君達へ此の由申さむ。」といふ。「聞き給はば御遊びをやめ給はむ。先づだまりて御遊びを聞かせよ。我は尋常の人のやうに好色は好まず。見ゆる所ならば覗かせよ。」と懇に語らひ給へば、打笑ひて、竹の垣しこめたる所を教へて、覗かせ奉る。見入れたまへば、月のおもしろきを眺めて、簾高く卷きあげて人々ゐたり。大君は柱に居隱れて、琵琶をまへに置き、撥を手まさぐりにしてゐ給ふに、雲がくれける月の、俄にあかくさし出でたれば、「扇ならで此の撥にても、月は招かむものなり。」といひてさしのぞきたる顔、いとをかしううつくし。中の君は、琴の上に傾きかゝりて、「入る日をかへすばちこそあれ、月を招くは及ばぬ事を宣ふ。」と打笑ひ給ふさま、是れもいと奄ミやかに美し。大君、「月を招くをおよばぬと宣ふが、此のばちは月にはなるゝ物かは。」とはかなき事を打解けいひかはし給ふ御かたちども、あはれに懷かし。撥を是れも月にはなるゝ物かはと宣ひしは、琵琶の撥を納めて置く所を、隱月といふゆゑなり。かくわたり給ふと申す人やありけむ、御簾おろして遊びもやめ給ふ。「御留守をしらでかく參り、いたづらに歸り侍らむも殘り多し。」と聞え給へば、簾の前に御しとね敷きて置き奉る。おとなしき人のねたるを起しにやり給ふほどは、大君あひしらひ給ふ。老人起されて出でたれば、それに讓りて、大君ははひり給ふ。此の老人、かく懇に訪はせ給ふを、八の宮も姫君達も悦び給ふなどいひて、「さし過ぎたる樣にはべれど、あはれなる昔の御物語侍るを、たしかに知召させむと年頃念じけるに、嬉しき折に侍る。」とて語る。柏木權大納言と聞えし人は、紅梅の卷の按察大納言の御兄なり。其のめのとは私が母なり。みづからは其の娘、名は辨と申し侍る。柏木今はの時宣ひ置きし事はべり。聞かむと思召さば、重ねて委しく語り侍らむ。」と聞えて、いひさしつ。椏焉Xいぶかしう思す事の筋なれば、聞かまほしけれど、初めての對面、殊に人も近ければ、強ひても尋ね給はず。霧リれ行けばはしたなかるべしとて、明方に京へ歸り給ふに、姫君へ、栫A
橋姫の 心をくみて 高瀬さす 棹の雫に 袖ぞぬれぬる 
御かへし、大君、
さしかへる 宇治の川長 朝夕の 雫や袖を くたしはつらむ 
八の宮、阿闍梨にて行ひ給ふ念佛の日數はてける程をかぞへて、椁秤F治へおはしたれば、宮對面し給ひて悦び給ふ。「先の度御留守にて空しく歸り侍りし其の折ふし、珍らしき物の音を聞き侍りし。」と語り出で給へば、琵琶を取りよせて桙ノ彈かせ、八の宮は琴のことを少しかきならし、姫君達をも勸め給へば、恥ぢて彈き給はず。宮は御行ひの時分に成りければ、持佛堂へ入らせ給ふ。桙ヘ辨を召し出でて、ひと日の物語の末を尋ね聞き給ふ。此の辨は、姫君達の御母方に付き、少し離れぬ縁なれば、呼び取りて姫君の御後見にして置き給へり。年は六十に少し足らぬ程なり。柏木明暮物思ひし事、桙フ生まれ給ひし程の事、よく覺えて語る。「柏木女三の宮と取り交し給ひし文共に、又書きそへて、是れを女三へ奉れとて辨に預け給へど、さるべき便りなくてえ屆けぬ内に、辨は受領の女房に成りて筑紫へ下り、十年餘りして男に離れ、後家に成りてキへ歸り、今此の八の宮に侍ふ。」と語りて、預り物取り出して桙ノ奉る。歸りて見給へば、唐の浮線綾の切にて縫ひたる袋に、上といふ文字を上に書き、細き打緒にて口を結ひて封附けたり。明くるもそら恐ろしき心ちして、取り出し見給へば、色々の紙にて、たまさかに通ひける御文の返し、五つ六つあり。さては柏木の手にて、病は限りに成りぬるを、今一度も見奉らぬ事、御容も替りておはします悲しさを、紙五六枚につぶ/\と怪しき鳥の跡のやうにかきて、
目の前に うきよを背く 君よりも よそに別るゝ 魂ぞ悲しき 
又桙フ生まれ給ふ事を書きて、
命あらば それとも見まし 人知れぬ 岩ねにとめし 松のおひ末 
書きさしたるやうにとめて、侍從の君にと上書にあり。紙蟲(*ママ)といふ蟲のすみかに成りて、かびくさきながら、あとはきえず、たゞ今かきたらむにもおとらねば、落ちちりたらましかばいかに恥がましからむと、笑止に見給ひき。
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椎本 焔{は源氏の御孫なり。桙ヘ實は柏木の子なれど、うはべは源の御子なれば、焔{とは伯父姪なり。かをるの御母女三と、奄フ御ちゝ帝は御はらからなれば、御母かたについては從弟どしなり。殊の外御中よくて何事もつゝみ給はねば、八の宮の姫君達のことも語りたまふに、もとより焔{は色深くおはすれば、御心に入れて問ひ聞き、いかにもしていひより給へと勸め給ふ。詣も宇治へおはしましたく思せど、宮などは輕輕しく御歩行し給ふ事成りがたければ、初瀬に立願ありし事を年頃其の分にて過し給ひしを、宇治に中宿りせさせ給はむ爲、思し立ちて、二月二十日の程に初瀬に詣で(原文「奄ナ」)給ふ。公卿・殿上人あまた御供なり。御心しりの桙烽ィはします。御伯父夕霧の大臣の知行の、宇治のわたりにもあれば、そこにて御馳走どもあり。夕つ方御琴召して遊び給ふ。笛の音などは、八の宮へもよく聞えければ、八の宮より桙ヨ御文あり。
山風に 霞吹きとく こゑはあれど 隔てて見ゆる 遠の白波 
奄ヘなつかしき御あたりなれば、此の返しは我せむとて、桙ノかはりて、焔{、
をちこちの 汀に浪は 隔つとも 猶吹きかよへ 宇治の川風 
桙ヘ八の宮へまうで給へり。奄ヘ輕らかなる御身ならねば自由ならず、思し餘りて、面白き花の枝に付け給ひて、姫君へ御文つかはさる。
山櫻 奄モあたりに 尋ねきて 同じかざしを 折りてけるかな 
御かへし聞えんくくおぼしければ、「かかる折ふしの假初事を、誠の樣に取りなすは、卻りてをかしき物なり。たゞ何心なく聞え給へ。」と人々いへば、中の君にかかせ奉る。
かざしをる 花のたよりに 山賤の 垣ねを過ぎぬ 春の旅人 
もの御むかへに、藤大納言など參り給へば、心ならず歸り給ふ。八の宮には、春のつれ/〃\いとゞしくながめ給ふ。姫君達ねびとゝのひ給ふまゝに、いづれと分かず美しければ、少しかたはにも見えばかくておはしますも惜しき心は無からましものをと見えたり。大君二十五、中の君二十三に成り給へり。八の宮は、今年はおもく愼み給ふべき年なり。物心ぼそく思して、常より御行ひたゆみなくせさせ給ふ。桙ヘ其の秋中納言に成り給ふ。宇治へわたり給へば、八の宮常より殊に悦び給ひ、心細き御物語ども聞え給ひて、「なからむ(原文「なつかむ」)跡にも姫君見捨てずとぶらひ給へ。是れのみうしろめたし。」などたのみ給へば、「少しも如在せじ。」とうけあひ申し給ふを、嬉しと思して佛前に入り給ふとて、八の宮、
我なくて 草の庵は あれぬとも 此の一ことは かれじとぞ思ふ 
御かへし、梺納言、
いかならむ 世にか枯れせむ 長きよの ちぎり結べる 草の庵は 
桙ヘ姫君達のおはします方へ參り給ひて、辨を召して物語し給ふ。柏木(原文「桐木」)の事語りて、文を傳へしよりむつましう思して懇にとぶらひ給ふ。常の若き人の樣に戲れたるもてなし露見えず、たゞ實にたのもしげなれば、姫君達も疎々しくはもてなし給はず、御簾ごしの對面は常にせさせ給ふ。桙ヘ橋姫の卷に、琵琶・ことひき遊び給ひしを覗きて見給ひし後は、道心もさめて、いかで是れを我が物にせむと心にかゝれど、聖の道に心ざしありとて詣で來たりし身が、今更此の道をほのめかさむも人の思はく恥かしければ、少しも色に出さで過し給ふ。秋深く成るまゝに、八の宮はいみじう心細く覺え給へば、閑かなる所にて行はむと思して、姫君達に萬の事いひ教へ給ふ。あだ/\しき心つかひて、うき名を流し、親の顔よごし給ふな。」と色々かきくどき宣ひ置きて、阿闍梨の寺へ渡り給ふ。姫君達いとゞ心細く佗しくて、はらから起きふし語らひくらし給ふ。七日行ひ給ふ御念佛今日わたり結願成るべきに、人參りて、今朝より惱み給ふと告ぐれば、きもつぶれて、綿厚き小袖ども拵へて奉り給ふ。二三日にも成りぬ。いかに/\と使を奉り聞え給ふに、「さのみの事にもあらず。やがてよくなり歸らむ。」など詞にて宣ひおこす。姫君達(原文「姉君達」)はいかにとおぼしなげくに、曙の程に山より人きて、「此の夜中時分にかくれ給へり。」と申せば、物も覺え給はず、打臥し悲しみ給へり。桙熾キき給ひて、あへなく口をしと思して、御訪らひ懇に聞えたまふに、焔{よりもたび/\使者(原文「思使」)遣はさる。御忌(*は)てて、かをる渡り給ふ。姫君達は御ぶくなれば、廂の間に窶れて(原文「窶 て」一字脱)おはす。例の辨を召し出でて、「八の宮の隔てなくもてなす樣にとョみ給へば、うとからず聞えむ。人傳にいふ事は何事も相違あれば、今日よりは人傳ならで聞えむ。」と宣へば、年頃の御心ざしもおろかならねば、大君少しいざり出でて、御簾ごしに對面し給ふ。歎きに思ひほれ給へらむ御さま、あはれに推し量られて、栫A
色かはる 淺ぢをみても 墨染に やつるゝ袖を 思ひこそやれ 
と、ひとり言のやうに宣へば、御かへし、大君、
色かはる 袖をば露の やどりにて 我が身ぞさらに 置き所なき 
とていみじう歎き入り給ひぬ。年も暮るゝに、雪あられ降りしく時は、何處もかくあれどいとゞ心細く、人目の絶えはつるもさる事と思しながらいと悲し。梵Vしき年は早くもえ渡り給はじと思して、年の内にまた渡り給ふ。重々しき位にて、かく輕らかに見舞ひ給ふも、おろかならぬ心ざしと思ひしられ給へば、座敷など引繕はせて請じ入れ、さき/〃\よりも少し言ばもつゞけて物など聞え給ふさま、いとめやすく心恥かしげなり。梵Sの内には、かくてはえ過しはつまじ、中の君を焔{へ奉り、姉君をば我がものにと思す。「女の御身はかくても過し給ふべきにあらず。何方へいかやうにと思す。さやうの事をも隔てなく語り給はば、肝入り奉らむ。」と、御有付の事を聞え給ふに、身の上の事はいかゞとも宣ふべきならず、親めきて、中の君の事を談合せむと思せど、それさへいひにくくて、たゞ少し笑ひておはす。「焔{よりつかはさるゝ御文の返しは何方に聞え給ふぞ。大君よりつかはし給ふか。」と桙スづね給へば、大君、
雪ふかき 山の桟 君ならで またふみかよふ 跡を見ぬかな 
とかきてさし出し給へば、かをる、
つらゝとぢ 駒ふみしだく 山川を しるべしがてら まづ渡らなむ 
ときこえ給へば、思はずに思して、殊に物も宣はず。八の宮の持佛堂の閧明けて見給へば、塵のみ積りて佛ばかりぞ花のかざりかはらず見ゆる。宮の居給ひし所の床を取りおきたれば、憂世をそむかば諸ともにと契りし事を思ひ出でて、かをる、
立ちよらむ 陰とたのみし 椎がもと 空しき床に なりにけるかな 
とて歸り給ふに、奄ヘ宇治へたび/\文奉り給へど、御返しは稀々なれば、桙ノはかくあるまじきととにかくにつけて桙恨み給ふ。我行きてさへ思ふやうにならず、ましてとをかしうおもひながら、後見貌にもてなして、かく好色深くおはせむには、いかでなかだちせむと聞え給へば、奄熄ュしはたしなみ給ふべし。
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總角 宇治の姫君達は、あまたの歳聞きなれ給ひし川風も、いとゞ此の秋は物悲しくて、八の宮の御一周忌の御弔ひのいそぎをさせ(*せさせ)給ふ。山の阿闍梨、かをる、萬の事を取持ちて肝入りたまふ。御弔ひのかざりに成るあげ卷を姫君達は拵へ給ふとて、絲くり引きみだり給ふを、几帳のすきかげに見給ひて、栫A
あげまきに 長き契りを 結びこめ 同じ所に よりもあはなむ 
とかきて見せ給へば、大君、
ぬきもあへず もろき涙の 玉のをに 長き契りを いかゞむすばむ 
栫A辨(原文「辯」)を召して、「八の宮の、此の御二人の事をたのみ置き給ふほどに、よき御有付もがなと思ふ。焔{の御心ざし淺からで、我を恨み給ふもくるしければ、中の君を此の宮(焔{)へと思ふは如何おぼさむ。」と宣へば、「焔{をばあだなる御心と聞かせ給ひければ、奄ヨ(*ママ)とは假初にも覺しよらず。桙ノ中の君を參らせ、大君は中の君の親に成りて、後見しておはしましたきとの御心なり。」と語る。御はらからなれば同じ御事なれど、猶大君へ心引かさるれば(*ママ)、樣々語らひて、御對面の程に忍びたく成りゆく心を語り聞え給へば、かかる御心を此の年頃おし隱し、實にもてなし給ひしよとおぼゆる(原文「給ひしよおぼす」)に、恥かしう成りぬ。二十六になり給へば、若きといふべき程にもあらず。殊になみの人にもあらぬ、若くうつくしき桙ネれば、いかで見えむと恥かしく、かく思ふとも、親などもちてつかはし給ふはよの常の作法なれば苦しからねど、わが心にまかせていかで靡かむ。唯妹の中の君をと心ざし給ふに、檮點し給はず。御内の人々は辨を始め桙ノ大君、奄ノ中の君とおもへば、何かと宣ふ分にては合點し給はじ、唯おし入れ奉らむと心合はせて、或夜桙姫君の臥したまへる方へ入れ奉る。大君、人の心を合はせてさゞめきありくも見しりたまへば、男の音するをさなりと心得て、中の君をば殘して、そとおきてかくれ給へり。桙フ始めふと我に心ざしのある由を宣ひし、其の心をたがへじとてこそかくは聞え給はめ、我より若く美しければ、中の君に近づき給はば、やがて思ひ移り給はむと思す。桙ヘ姉君かと思しつるに妹の君なれば、思ひの外なる心地して、出しぬき給ひしを恥かしうも恨めしうも樣々に思ひたまへり。とかく此の中の君のおはします程は、我にしたがひ給はむ事有るまじければ、早く中の君をかた付けむと思して、歸り給ひて又の夕、焔{をそゝのかし、一つ御車にて宇治へおはして、焔{をば人にかくし置き、桙ホかり入り給ひて、辨を召して、さきの夜の如くみちびけと聞え給へば、大君にかくと申さるれば(*ママ)、さればこそ御心うつりにけれと、いとうれしう思す。辨みちびき奉れば、奄入れ奉り給ふ。大君は夢にも知りたまはず、椦薄ハせむと宣へば、常の樣にうるさがりもし給はず對面し給ふに、「焔{の遁れがたなく恨みたまふゆゑ、今宵同車してはべる。辨ぞしるべして中の君にあはせ奉りけむ。今は思しかはりて、我がいはむまゝになり給へ。」と宣ふに、淺ましう心づきなうなりて物もいはれ給はず、樣々にたばかり、あなづらはしうもてなし給ふと思すに、いはむ方なし。さりとても桙ノ隨ひ給はず、難面くて(*ママ)明け行けば、かをる、
しるべせし 我やかへりて まどふべき 心もゆかぬ あけぐれの道 
大君、
かた/〃\に 暮す心を 思ひやれ 人やりならぬ 道にまどはば 
奄ニ同車にて、明けはなれぬ程に歸り給ふ。大君は、中の君を焔{にあはせ給ふ事、本意にはあらねど、今はすべきやうなければ、座敷のしつらひなど御覽じ入れ、三つめには餅奉りて祝ふ事と人々聞ゆれば、親めきてさやうの事どもあつかひ給ふ。奄ヘおも/\しき御身なれば、かかる御ありき自由ならぬに、あながちに隱れ忍びて渡り給ふを、さらば御心ざしの薄きにはあらざりけりと、大君嬉しうおぼえ給ふ。奄ヘ中の君には、身の不自由に、御ありきのおもふまゝにならぬ事を語り給ひて、「心より外に打絶えむ事多かるべし。心ざしのかれがれなるにはあらねど、かろ/〃\しきありきを人々制し給ふ故なり。我が怠りとな恨み給ひそ。」といひなして、京へ呼び奉らむなど語らひて歸り給ふ。焔{を夕霧の大臣御壻にせむと機嫌を窺ひ給へど、おも/\しきあたりなれば、さなり給はむ後、かしこの御忍びありき成り難からむと思して、とかく遁れ給ふを、夕霧常に立腹して、「宮などいふ御身にて、輕々しき御ありき、世の聞えもよろしからず。」といさめ給へば、宇治へわたり給ふ事なり難くて、一日々々と程經ぬ。桙ニ談合して、わりなく忍びて渡り給へり。待遠なるに、かくわたり給へば、姉君嬉しう思すに、桙フつれだちおはしたるぞ煩はしけれど、恨み給ふもさすがにいとほしければ、物越に對面し給ふ。「奄フ疎く成り給ふは御心ざしのかれ行くにはあらず。かかる御ありきを、帝后制し給ふゆゑなり。御心のどかに思せ。」と語り給ふ。さてもかく打ちとけぬ中とは世の中にも思はじ。物ごしならで聞えむと色々侘び給へど、大君合點し給はず。かくはかなき(原文「かくはなき」)御心に隨ひて終にはいかならむと歎かしけれど、かはらぬ心の程を見しり給はば、打ちとけ給ふ事もいかでなからむと、實なる御心はのどかにおぼして、むりなるふるまひはし給はず。焔{は、ゆる/\ともえおはしまさず、程なく歸り給へば、女方には、いかならむ、終には中空に成りぬべきにやと苦しがり給ふ。奄烽「みじうもの思せど、迎へて置き給ふべき所もなし。十月一日頃、宇治の紅葉を見給ふとかこつけて遠nり給へり。夕霧の公達も御供に參り給ふ。桙ヘもとより御供なり。宇治には、此の歸路に立寄り給はむと思して、心まうけし給へり。紅葉にてかざりたる御舟に乘り給ひて宇治川を登り下り、面白う遊び給ふも見ゆるを、そなたに立ち出でて若き人々見奉る。少し事しづまりておはせむと思す程に、御母中宮の仰せにて、夕霧の總領右衞門督、こと/〃\しき隨身引きつれ御迎ひ(*ママ)に參り給へば、立寄り給ふべき方なくて、中の君に御文ばかり奉り給ひて御心にもあらず歸り給ふ。御心まうけせし人々口をしう思す。男といふものは、思はぬ人を思ふがほに、そらごとのみよくいふときくが、奄烽サの類ならむ、桙フさま/〃\に心ぶかく(原文「心ふかく」)うらみ給ふも、人の心を見むとなるべし、我も世にながらへば、かかる道に物思ふべき身なり、さもなき程に、いかでなくならむと思し沈むに、心持も誠に苦しければ、物もまゐらず、たゞなからむ後のあらましのみ思ひゞけ給ふ。奄ヘかへり給ふ後、頓ておはしまさむと思したるに、宇治にかかる事のありて、ともすればかろ/〃\しき御ありきし給ふと、夕霧の御子の右衞門督、后の宮へ御申し給へば、御心に任せる里住ひし給ふゆゑなりとて、内裏に引付けておはしまさせ給へば、宇治へわたり給はむやうなし。桙熕S盡しなるわざかな、我にと姉君の思したるに、かくはからひてかた/〃\に笑止なる事を見聞く事とて苦しがり給ふ。大君惱みたまふと聞きて、椁Kらひにおはし、祈りの事どもいひ置きて歸りたまふ。かくて月日も過ぐるに、大君の御心ちいかゞとおどろきて、梔F治へおはしたり。辨出でて、御煩ひの樣子語る。「さして強き御こゝちにはあらざりしかど、さらに物を聞召さず、はかなきくだ物をさへ御覽じ入れざりしつもりにや、今はョむべくも見え給はず。」といひもあへず泣く。「などかくとも告げ給はざりし。大やけ事しげき頃にて、おのづから心より外に怠りし。」とて、ふし給へる所へ入り給ひて、御枕近くおはしまして物聞え給へど、御聲もなきやうにて答へもはか/〃\しくもし給はず。阿闍梨を召して祈り始めさせ給ふ。世に驗ありといふ限り召し集めて、修法讀經ひまなし。桙ヘ大君の御側におはして肝入り給へり。物をいはせ奉らむとて、中の君のことを宣ひければ、「かく命短き身なれば、我が上は思はず。中の君を同じ事と思ひ給へど、さしもいひしに引きたがへ、焔{にあはせ給ふ。是れこそ恨めしきふしに思ひ置かれむ。」と聞え給へば、「かく物思ふべき身にて、御心に隨はず成りにしやと今は悔しう侍る。されど見放ち奉るべきにあらねば、心安く思せ。」と宣ふ。樣々驗ある限りして祈らせ給へど效なくて、物の枯れ行くやうに消えはて給ひぬ。中の君、後れじと思ひまどひ給ふも理なり。桙ヘかかるあへなき事あらむや、さりとも火を近くよせて見給へば、唯ねぶりたるやうにて、かはり給へる所もなし。此のまゝに蟲のからなどのやうになりとも見るわざもがなと思せど、かひなくて泣く/\煙になし奉る。かをるも御忌にこもりて、京へも出で給はねば、大方に思す事にはあらじとて、こゝかしこより御とぶらひども聞え給へり。焔{も、とかくたばかりて渡り給へど、姉君の御心地、多くは奄艪と思せば、恨めしうて、中の君逢ひ給はず。桙フかくなが/\と籠り居給ふを、御母后聞召して、さぞ焔{のおぼつかなく思さむといとほしうて、常に住み給ふ二條院へ中の君を迎へ給へとゆるし給へり。
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早蕨 中の君は、姉君のかくれ給ひし明年の春の光を見給ふにも、花鳥の色をも音をも同じ心にいひかはしてこそ慰めつれ、かくおくれてはいかで永らへむと、御父八の宮の御別れにまさりて盡きせず思しこがれ、誰も限りある命なれば、泣く/\も暮し給へり。阿闍梨のもとより蕨・土筆を籠に入れて奉れり。阿闍梨、
君にとて あまたの春を つみしかば 常に忘れぬ 初蕨なり 
御かへし、中の君、
此の春は 誰にか見せむ なき人の かた見につめる 峯の早蕨 
桙ヘ、大君を我がものにもせず、かく空しく見なし給ひし悲しさの心餘るをも誰にか語らむと思し侘びて、焔{へ參りてしめやかに聞えかはし給ふ。奄焉A近き程に中の君を二條院へ迎へむ事を語り給へば、「いと嬉しき事に侍り。たゞ我があやまちのやうに、姉君に恨みられ、苦しう侍りしに。」とて悦び給へり。中の君は宇治をあくがれ出でむもいかにと危く思ひ給へど、かくて過し給ふべきにあらねば、人々をも留めて置きなどして其の拵へどもし給へり。桙謔づに後見して、明日京へ渡り給はむとする前の日、みづからも宇治へおはして肝入り給へり。「我こそさきに姉君をかやうに迎へむと思ひしか。」と、有りし事ども思ひ出でて胸いたく思す。中の君はまして催さるゝ御涙の川に、あすのわたりも覺え給はねど、人々何かといへば少しいざり出でて桙ノ對面し給へり。「渡らせ給ふ二條院は、何某の所といと近く侍れば、夜半曉の隔てなく用の事など宣へ。」と懇に聞え給ふ。中の君のもの宣ふ聲、姉君によく似給へるを、心がらかく餘所のものに見なしつると思ふに、悔しさ増れどかひなし。辨は姉君の歎きに尼に成りければ、此の度の御供思ひかけず、宇治に住むべきなれば、梠エのやうを懇に聞え給へば、忝きにも涙は落ちけり。そゞろに旅ねせむも人口いかゞなれば歸り給ひぬ。中の君も、姉君の手道具など皆此の辨の尼にとらせ、「かく人より深く思ひ取りてなげきに沈み給ふも、殊に睦まじくあはれになむ。」と宣へば、いとど童べの慕ひて泣くやうに涙に溺れゐたり。御車よせて御供の人々、四位・五位多くかしづきて出したてまつる。はげしき山道の有樣を見給ふにぞ、奄フ宇治へうとかりしも少しはことわりと思ひしられ給ふ。七日の月さやかに出でたるを打ちながめ給ひて、中の君、
ながむれば 山より出でて 行く月も 世に住みわびて 山にこそ入れ 
かくてゆけども、終には又いかならむとうしろめたし。おはしつきぬれば、目もかゞやくばかりの家造りに引入れて、苑メちおはして、御車のもとにみづからよりておろし奉り給ふ。かくさだまり給へば、大かたにおぼすにはあらじと世の人も心にくゝ思へり。かをるもおはしまして、住みなれ給ふをうれしとおぼす。されど我が物にせざりしくやしさぞ月日にそへていやましける。
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宿木 其の頃、藤壺の女御といひしは、故左大臣殿の御娘におはしける。女宮ひとり産み奉りてうせ給へり。其の姫君十四五に成らせ給ふ。御母方とてもはか/〃\しき人もなければ、帝崩御の後をうしろめたく思して心實なる人に預けむとおぼすに、さま形より始めて、此の桙ノましたる人なければ、是れを御後見にと心あて給ひて、此の姫君の御方にて、桙召して、菊をかけ物にして御棊を打たせ給ふ。三ばんの内二ばんまけさせ給ひて、「先づ此の菊をゆるす。手折れ。」と宣はすれば、折りて奏し給ふ。栫A
世のつねの 垣ねに咲ける 花ならば 心のまゝに 折りて見ましを 
今上御製、
霜にあへず 枯れにし園の 菊なれど 殘りの色は あせずもあるかな 
下心には御壻にと思して、かゝる事につけてほのめかせ給ふ。身にとりては面目なれど、心の内にはうれしとも思されず。稚くより道心にすゝみにしを、宇治の姫君に心引かれて、かくよの常にて過すに、心に入れし姉君を空しく見なしつるに、口惜しさはよを替へても忘れ難き、其の御かたみに中の君をこそ見まく欲しけれ、當代の姫君とてもゆかしからず、されども后ばらの一品の宮なりせば嬉しからむとおぼし給ふぞ、餘りなる御心なりける。帝の御下心を夕霧聞き給ひて、「女の子は後めたしとて、帝さへ壻を求め給ふに、ましてたゞ人など油斷すべきにあらず。」と、そしらはしげに宣ひて、御妹の后宮を恨みたまへば、焔{に御意見などしたまふ。されど其の年はかへりぬ。あくる年、夕霧は急ぎて八月わたり奄壻に取らむと定め給ふ。中の君は聞き給ひて、數ならぬ身なれば人笑はれにや成りぬべきと歎かしけれど、色にも出し給はず。奄ヘ此の事につきてもいとどあはれに御心ざし深く、長き世をかけてョめ聞え給ふ。此の五月よりたゞならずなり給ひて、ものなども聞召さず、臥してのみおはす。桙焉Aいとほしき事かな、色におはする宮なれば、はな/〃\と珍らしき方に御心うつりなば必ず忘れ給ふべし、我が心よ、何しに奄ノゆづりけむと、悔しさやらむ方なく、寐られぬまゝに樣々思ひつゞけて明し給ふに、朝貌のひらきてはひまとはるゝを折りて持たせ給ひて、二條院におはしましぬ。中の君に御對面ありて、御物語の程にあかみ行くを御簾の中へさし入れて、栫A
よそへても 見るべかりけり 白露の 契りか置きし 朝貌の花 
御かへし、中の君、
消えぬまに 枯れぬる花の はかなさに おくるゝ露は 猶ぞまされる 
つゝましげにいひけち給ふ程、猶よく姉君に似給ふかなと思ふに、まづぞ悲しかりける。大君を何とも思ふまじき人なりとも、桙フわすれず歎き給ふを見ば哀れならむに、まして悲しう明暮忍びたまふ心にていとゞかきくらし、物もえ宣はず。夕霧は、八月十六日とさだめ給ふに、焔{おそく渡りたまへば、中の君を持ち給へるゆゑと恨めしけれど、さて過ぎぬべきにあらねば、御子の頭中將を御使にて、夕霧、
大空の 月だにすめる わが宿に 待つよひ過ぎて 見えぬ君かな 
奄ヘ、中の君の思ひ給はむほど笑止におぼせど、御使さへ參りたれば、引繕ひ、夕ぎり(*へ)わたり給へり。中の君は、來し方行くさき思しつゞけて、物思はしければ、
山里の 松の陰にも かくばかり 身にしむ秋の 風はなかりき 
など思ひつゞけてふし給へり。奄ゥねてはこと/〃\しきわたりとていやがり給ひしかど、珍らしき方に御心ざしまさる。かくて後は、二條院へ心やすくもえわたり給はず。中の君は、いとゞおもひ亂れ給ひて、桙ノ談合して宇治へ歸らむと思して、「御ひまあらば渡り給へ。對面に聞えたき事侍り。」とて文遣はし給へば、常は是れよりの返しさへいやがり給ふに、對面とさへ宣ふと悦びておはしましぬ。中の君、かねてはといはむかくいはむとおぼししかど、打向ひては恥かしうて何事も聞えにくけれど、八の宮の御祥月の弔ひを、檮ァにしたまふ其の悦びなどをまづ聞え給へり。桙ヘよき折ふしなれば、我がものにせざりし悔しさもせめて語らむと思して、「まことやかに申しうけたまはりたき事も侍るに、今少し近くよせ給へ。」と聞え給へば、げにと思して寄り給ふもむねつぶれて思す。「宇治にわたり給はむ事は、奄ノ申させ給ひて、さもと宣はば、送り迎へはいか程も仕うまつり侍らむ。さなくては、宮の思さむ所憚られ侍る。」とは云ひながら、過ぎにし方の悔しさを取りかへさまほしう成り行く心の内を樣々にいひつゞけ給へば、あやしう恥かしくて、いふべき方もおぼえ給はねば打歎きておはす。桙烽ネか/\なる心ちし給ふ。まだ宵と思しけれど、曉近く成りければ、人も怪しと思はむとはゞかられて歸り給ふ。いとゞ有りしより思ひ亂れて、何かは歎き給ふらむ、苑ナ捨て給はば、我が物にて見奉らむと、たゞ此の事のみにおきふしおぼし侘ぶ。中の君は奄フ外へ移ろふ御心を恨みて宇治へ歸らむと思せば、ョもし人の桙ゥゝる御心ありければ思しも立たれず、今はうきながらも奄こそ一すぢにたのみ聞えめと思しぬれば、少しも恨みたるけしきもなく、いとほしげにてゐ給ふを、奄ヘ心やすく嬉しと思して、日頃に成りし御物語など細やかにし給ひてあはれに思したるに、桙フうつり香の深くしみぬるを怪しととがめ出で給ふ。中の君もかからむと思して、其の夜の小袖共に皆ぬぎかへ給へど、あやしう心より外に身にしみける御奄ミなれば、かばかりにてはあらじと聞きにくく宣ひつゞけて奄ヘ恨み給へり。桙ヘかへす/〃\あるまじき事と思ひかへし給ふにもしたがはず、心にかゝれば、御文なども有りしよりも細やかにて、ともすれば參らせ給ふを、中の君は侘しき事そひたりと思しなげく。梹vひ侘びたまひて、しめやかなる夕暮におはしたり。惱ましきとかこつけて對面したまはねば、「御心あしき時は、しらぬ人も參りよらずや、くすしと同じ事におぼして對面し給へ。」と聞えたまへば、人々げにとて御簾の内へ入れ奉る。少將といふ女を近く呼びておき給へば、思ふ事も聞えにくけれど、とかく紛らはして、例の心の内を宣ひつゞく。「むかしの人の御像を繪にかかせて、山寺の本尊にやせましと思ふ給へ侘びにて侍る。」と語り給へば、「さ宣ふに付けて思ひ出で侍り。年頃はありともしらざりし人の、此の夏遠き所より訪ね來りしが、あやしきまで姉君に似侍り。繪にかかせて見むと思す心ならば、是れを奉らむ。」と宣ふ。桙ヘ、我がかくいふのを遁れむために宣ふと思せば恨めしけれど、姉君によく似たりときき給へば、尋ね取らむと思ふ心も付き給ひて、委しく問ひ給へど、ありのままには聞え難くて、はし/〃\を少しほのめかし給ふ。八の宮のわき腹に持ち給ひし御娘にこそと、桙ィしはかり給ふ。尋ねむと思さば其のあたりとは教へむと宣ひて、夜もいたく更け行けば几帳のうちへ入り給へり。桙ヘ理ながら、口惜しうて、歎きがちにて出で給ふ。かくのみ思ひていかゞはせむと、いかで人にしられず我が心の叶ふわざもがなとねんじ給へり。九月十日餘りに宇治へおはして、辨の尼めし出でて、例の大君の事宣ひて、涙を一目にうけておはす。「この住居見るたびになき人の御事いとゞ忘れ難きもわろき事なれば、毀ちて寺に作らむ。」と宣ひて、思すやうをかき付け給ふ。なほ座敷もうしなはず作りかへむと思して、あるべきやう宣ひつくる。暮れぬればとまり給ひて、尼君を近くふせて、聞く人もなくて心やすければ、父柏木の御うへ語らせて聞き給ふ。此の尼をさへいとほしき物に思して、懇に育み給へり。中の君の語り給ひし人の事宣ひ出でて、「是れはいづれぞ。」ととひ給へば、「八の宮の北の方の御姪、中將の君とて召使はれて侍ひしを、北の方うせ給ひて後、八の宮折々御覽じけるに、女の子生まれ給ひしを、煩はしく物うく思して、それよりひとへに聖心に成りたまひしかば、中將の君も恥かしう侍ひにくがりて、此の御家を出でて陸奧の守の女房に成りて、みちのくに年頃住み侍りしが、後は常陸にかはりて、ひたちより此の春のぼりて、中の君へも尋ね參りたるよし聞き侍りし。」と語る。「其の姫君の年は二十ばかりになり給ふべし。父宮の御墓にだに參らむと宣ふと聞き侍れば、こゝにわたり給ふべし。さやうのついでに、御心ざしのやうすを傳へむ。」といふ。明けぬれば歸り給ふとて、み山木にやどりたる蔦のもみぢを少しとらせ給ひて、中宮へみやげにと心ざしてもたせ給ふ。
やどり木と 思ひ出でずは このもとの 旅ねもいかに さびしからまし 
かくて其の年もくれぬ。正月晦日より、中の君産の御けしきありて惱み給ふ御祈りども盡して思し騷ぐ。二月一日に桙ヘ權大納言に成りて、右大將をかけ給ふ。其の悦の振舞を六條院にてし給ふ。焔{をも請じ給へど、中の君の御惱みゆゑ、えわたり給はず。其の晩に中の君若君をよろこび給へり。奄瓔桙烽、れしう思す。帝より御はかせ參らせ給ふ。御母后の宮を始めこゝかしこの御産養(原文「御養産」)いかめし。かをるは取分けて心入りのうぶやしなひ給ひ、若君の御むつきなどまで奉り給へり。其の月の二十日餘りに、藤壺の御はらの女二の宮(原文「女二つ宮」)、御もぎの事あり。さき/〃\もしるす如く、祝言前に、女の本裝束を著せ奉る事なり。御もぎありて次の日かをる參り給へり。かくて後は忍びつゝ通ひ給ふ。ならはぬ心ちに、かかるありきくるしければ、「我が方へ渡し奉らむ。夏にならば三條の宮ふたがるかたなるべし。四月の節より前に渡し奉らむ。」と聞え給ふ。あすとての今日、帝藤壺へ渡らせ給ひて、藤の花見をせさせ給ふ。公卿・殿上人召し集めて御遊びあり。其の折ふし桙フ吹き給ひし笛は、横笛の卷に夕霧の夢に柏木見えて、「此の笛はつたはる方あり。」といひし笛なり。其の夜桙フ家、三條の宮へ女二の宮渡り給へり。桙ヘ、かくてもたゞ宇治の大君あへなくうせ給へる口をしさを忘れ給はで、名殘を慕ひ、絶えず宇治へ渡り給ひし(*ママ)。八の宮のわき腹の御娘、是れを浮舟の君といふ。初瀬に詣で、歸りに宇治へより、辨の尼が方へおはしぬ。桙謔ォ折ふしと思して、のぞきて見給へば、姉君にいとよく似たり。懷かしうあはれにおぼえ、是れをよび取りてかたみに見むと思して、かく思ふ心をうき舟の母に内々かたれと辨に宣ひしなり。(未完)

(雄山閣文庫の『源氏物語忍草』はなぜかここで「未完」として終っている。
以下の本文は、『源氏物語』上巻〔(普及版)校註日本文學大系6 誠文堂 1931.12.20〕所収の「源氏物語忍草」より補った。)

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東屋 桙ヘ、浮舟を御覽じたき御心あれど、繼父は常陸のかみといふ受領なれば、それが壻などと沙汰せられむもいかゞとおぼす心もあり、さりとてはよく姉君に似たれば、思はずにはやまじと思しかへして、懇に聞え給ふ。母君は、かかる數ならぬ身にて、何しに右大將の位の桙ヨ娘をやらむ、高き人の妾にせむより、似合ひたる者を壻にして、本妻にせむこそ、娘の爲にもよろしかるべけれと思へば、桙フ宣ふをば心にも入れず、をとこ常陸のかみは弓などを上手によく射て、詩歌の道は曾てしらず、田父野人なるものなり。物のよきあしきも見しらねば、北の方蒔繪などのよろしき道具をば、みな我がむすめの浮舟にとらせける。先腹の娘二人ありしをば、少納言、讚岐守といひしものを壻に取りて片付けたり。我がはらにも娘あれど、これは十四五になればおそくもなし、先づ浮舟をありつけむと思ふに、此處彼處よりいひける中に、左近の少將といふ殿上人、かたち心ばへもよろしければ、約束して八月わたりと定めぬ。少將、浮舟なりといふ事を聞き出して、中立をよび、けしきあしうなりて、「常陸のかみ手前へよき人なれば後見にョまむと思ひてこそ壻に成らむと願ふに、ひたちが本娘にてはなく、女房のつれ子の壻に成りて、何のコか有るべき、相壻の少納言・讚岐守も、非にこそ見られむずれ、一つもよき事はあらず、女の形のよしあしにもかまはず、唯コのあらむ人こそ快けれ。」といへば、中立、「さやうのまゝ子ありとはしり侍らざりし、さらばいひかへて常陸が娘に約束せむ。」といひて、常陸が方へ來て、少將のいひし事を語り、「北の方の御つれ子はいやなり、たゞ常陸どのの御娘をとのぞみたまふ。」といへば、常陸笑みまうけて、合點してかへしつ。其の日に成りて、母は浮舟を拵へさわぐに、常陸、「少將のしか/〃\宣ひて、妹を奉るなり、姫君とてかしづき給へど、何某が生ましけむむすめ程には、人思はず。」と自慢して云ひちらすをきくに、北の方口惜しう恨めしき事限りなし。八の宮の御子なれば、少將づれはふそくなり、中の君のやうに、宮達が大臣こそ似合はしけれと、父宮にしられずおのれが子といひて、此の常陸が方におはすれば、時世に隨ふ習ひにてこそ、桙謔闖ュ將と思ひて約束せしに、かく引違へ、人笑はれにせらるることよと、やすからず思へば、妹も我が子なれど、かまはむ心ちもせず、爰においてめざましき事を見聞かむもあまり恨めしければ、浮舟を中の君の御かたへに預けたきと申せば、思ふらむ心の内笑止にて、預らむと懇に宣へば、いとうれしう思ふ。同じ子なれど、腹立たしければ妹にはかまはず、常陸に任せ置きたれば、常陸、「母のなき子には壻とられぬか、少しも事かかず。」とて、めのとと二人にて娘を繕ひ、座敷などかざりて、少將を入れもてかしづきけり。北の方、浮舟をつれて中の君の御方へきて見れば、あらまほしく、け高き御住居に、若君の御あつかひしておはしますを見るに、我が娘の浮舟も、かやうに成るまじきものにてもなきに、少將にさへ侮られてかくもて扱ふと思ふに羨ましう悲し。母君二三日ゐたり。夕霧の御娘は奄フ本妻なり。其の方より奄たらせ給ふを見れば、常陸の守よりまさりたる四位五位、多く御供してひざまづきさぶらふ。我が繼子の式部の丞も、禁中よりの御使にきたり、御あたり近くもえ參りよらぬを見るにも、口惜しき身の程は思ひしられけり。若君を抱きうつくしみ給ひて、中の君と御物語聞え、御膳など聞しめす。萬につけてけ高く心ことなり。暮れぬればとまり給ひて、今日は御母后惱ましげにおはすとて内へ參り給ふ。北の方、中の君の前に參りて、奄フ御樣かたちを譽めきこゆれば、田舍びたりとをかしくて笑ひ給へり。「浮舟をもてあつかひ侍る。」と歎けば、「桙フ懇に宣ふに奉り給へ、實なる心ばへなれば、忘れ給ふべきにあらず。」などと語らひ給ふ。折しも棘メり給ふ。北の方のぞきて見る。奄フ御威勢にも劣らず、人がらもなみ/\にはあらず氣高く恥かしげなり。中の君と、例の姫君の事共語りて歸り給ふを、北の方、「めでたく思ふやうなる御容どもかな、いかでうるさく思ひけむ、げに七夕の年に一夜の契りにても、かかる人をこそ壻にも取らまほしけれ。浮舟は少將ぐらゐの人には惜しき容を。」と思ひ成りぬ。常陸迎へおこしければ、浮舟をば殘して、母君は歸りぬ。夕つかた焔{わたり給ふ。中の君は御髪すまして御ゆどのにおはす、若君は寐給へり。奄ツれ/〃\にて、こゝかしこうそむきありかせ給ふに、中の閧フ障子の細く明きしより、何心もなく覗き給へば、色々に重なりたる女の袖口見ゆるを、今參りの宮仕の人かと思してさし入り給ふ。浮舟も奄ニはしらず、常にくる人々かと見あげたる樣體いとうつくしければ、例の色こき御心は見過しがたくて、そばにさしより、「誰人ぞ、名のり給へ。」とてはなし給はず。めのと人音のするを怪しみて障子引明けて入りて見れば、焔{なり。隨分隱し忍ぶに、こはいか成る事ぞとあきれて、引退けむとするを、さがなき女とにくくて、めのとが手を引きつめり給へり。中の君も聞き給ひて、いかに侘しう思はむと笑止がり給へど、「名のらずばはなさじ。」とてとらへゐ給ふに、浮舟もめのともせむかたなし。其の内后の宮御心ちあしきとて、内より御使參りければ、すべき方なくて放し、奄ヘ内へ參り給ふ。浮舟は、中の君の思さむ事も恥かしうて侘びあへり。中の君は、妹の心を笑止がりて、たゞ知らず顔にもてなし、こよひは奄ヘ留守なり、こなたへ出でて遊べとて呼び出し、なつかしう物語などし、繪雙紙ども取り出して見せ、御そばにふせて、御父八の宮の御事など語りきかせ給ふ。めのとはあくるとひとしく宿へ行きて、北の方に夕の有樣を語れば、母君肝をつぶして、一たびさやうにあらば、終によき事は出でこじ、中の君も心よからず思さむと侘しくて、急ぎ中の君へ參り、「かくて預け奉るは心安く嬉しう侍れど、二三日はかたき物いみにて侍れば、方違して愼ませたく侍る程に、迎へに參れり。」などいつはりてつれかへる。中の君は奄フしらせ給ひしを侘しがりて、かくむかふると笑止に思す。かくてつれてかへり、三條わたりにあれたる小家を持ちたるに、めのと其の外女二三人そへて置き、母君は宿へ歸りぬ。浮舟はつれ/〃\なるまゝに、中の君の御方にての事のみ思ひ出でて戀しう思ふ。桙ヘ秋深く成り行くまゝに、寐ざめがちなるに付けても、例の大君の事思し出でて戀しきに、宇治の寺作りはてつと聞き給へばわたりて見たまふ。毀ちて建てかへ給ひし座敷も、はれ/〃\と作りなしたり。八の宮の時の屏風などは、御堂の僧坊の道具にせさせ給ひて、此の座敷のは新しく拵へ給ふ。やり水のほとりの岩の上にゐ給ひて、かをる、
絶えはてぬ C水になどか なき人の 俤をだに とゞめざりけむ 
とて涙おしのごひて、辨の尼のもとへ立寄り給へば、尼君はまして打ちひそみてなくめり。物語のついでに浮舟の事宣ひ出でて、いつぞやの頃は中の君の御方にゐたりしが、今はいづかたにぞと尋ね給へば、「物いみを愼むとて三條わたりに小家持ちけるに、おはしまさせけると聞き侍りし。」と語れば、よき折なり、明後日わたり辨へ其の小家へゆけ、桙熕ユよりおはしまさむと宣ひて歸り給へり。辨は約束の日、浮舟のゐ給ふ三條へ尋ね行きたれば、つれ/〃\なりしに、昔語もせまほしき人尋ね來たれば、いとうれしうて對面し給ふほどに、桙ィはして辨の尼に案内し給ふほど、雨いたくふれば、かをる、
さしとむる 葎やしげき 東やの あまりほどふる 雨そゝぎかな 
とひとりごとしておはしますさま、東のさと人は驚く許りめで思へり。とかくいひかへさむやうもなければ、御座所ひき繕ひ入れ奉る。程もなくあけ行けば、御車よせさせて、浮舟・かをる・辨の尼・侍從といふ浮舟の女房達四人乘りて、宇治へわたり給ふ。めのとはじめ「餘り俄。」とわぶれど聞きも入れ給はず。辨は大君の御供にこそかくて參らむと思ひしに、うつりかはりし事と思ふも悲しくて、道すがら泣く。桙烽ゥく浮舟を御覽ずるにつけても、なき人の事思しわすれがたくて、かをる、
かたみとぞ 見るにつけても 朝露の 所せきまで ぬるゝ袖かな 
と口號み(*くちずさみ)給へり。うき舟は、はゝ君の心をいかゞと思ひやりて侘しけれど、えんなる御もてなしによろづ慰めてけり。かをるは京へ人つかはし、御母君へも、北の方女二の宮へも、「御堂の經佛の事など申しつけ侍る、又愼むべき事はべれば、今日あすは宇治にさぶらはむ。」と宣ひつかはして、打ちとけておはす。八の宮の御上などかたり聞かせ給へど、いと恥かしうつゝましくて、ひたみちに恥ぢたり。姉君によく似たれば、あはれに思す。茲に置いて、思ふまゝにもえわたり給ふまじき程を思ひ給へり。
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浮舟 焔{は、中の君の御ゆどのの閧ノ浮舟を見給ひし事を思し忘るゝ折なく、いかなりし人ぞと中の君にもとひ給ふ。ありのまゝに語らむと思せど、好色深くて、少しも御心にとまる人をばあながちに尋ねありき給ふ御癖なれば、浮舟をもさやうに尋ね給ふべし、さもあらば桙烽、き舟の母も、中の君の口がましき故と恨み給はむと思せば、とかくいひ紛らはして過し給ふに、年もかへりぬ。奄ヘ、若君の年かさね成人し給ふをうつくしみておはします所へ、浮舟より、若君へもてあそび物の卯杖(原文「卯枝」)を奉り給ふとて、中の君へ文おこせ給へり。卯杖ははま弓などの心に、をさなき人の正月に翫ぶ杖なり。心もしらぬわらは取次ぎたれば、奄フおはしますにもて參りて、宇治よりとてさし出しけるを、中の君御顔赤みて御覽ず。焔{は桙フ中の君への艷書にや、宇治よりといふもよきたばかりなり、中の君の顔の色違ひしは別の事にはあるまじと思して、此のふみを取りて明けて見給へば、若やかなる女の手なりければ、「誰が文ぞ。」と尋ね給ふ。「大輔少將などが昔の友達よりおこしたる(原文「こしたる」)文なり、それ彼らが許へやれ。」と紛らはして女房達共取り隱しつ。奄ヘ誠しくも思さねば色々に思ひ廻らし給ふに、いつぞや見し人のふみなるべし、いかゞして其のもの誰と知らむと、唯此の事のみ明けくれ御心にかゝる。宇治に桙フ通ひ給ふ事は昔よりの事なり、されどこぞの秋よりしげく行きかよひ給ふと聞きしが、彼の見し人を置きての事にやと思して、大内記といふ御家人は、かをるの御内の大藏卿仲信が壻にて、桙ヨもしたしきを思し出でて、御前にめし、書物など片付けさせ給ふとて、「桙ヘ宇治に寺を建てられたりと聞くはさにや。」と尋ね給へば、「いと貴く建てられ侍り、座敷をも作りかへて、それに女をすゑ給へり。」と申せば、嬉しき事を聞き出したり、桙フかくすゑ給へる女ならば、なみ/\にはあらじ、いかで行きてほの見し人かあらぬかをたしかに見定めばやと思す外は他事なし。此の内記、官を望めば、いかで御心に入れて望みを叶へむと思ふに、懇につかひ給ひて、「難きことなども、わがいはむ事をばたばかりてむや。」と宣へば、「畏まる。」と申す。「そのかみほの見し人あり、桙フ置き給ふ宇治の人は、其の者かと思ふ、たしかにはしるべきやうなし。みづから行きてのぞきて見たきが、人にしられぬやうにはいかゞかまへむ。」と宣へば、煩はしとは思へど、「睦まじきかぎり御供に召し具して、夕つ方京を出でさせたまはば、戌〔亥子〕の時には宇治におはしましつかむ、さて曉に歸らせ給へ。」と申せば、さやうにして出でたち給ふ。中の君の時、心を合はせ後見して肝入り給ひし桙フためうしろめたきわざかなと思せど、思ひかへし給はず。おはしましつきければ、内記よく案内しりて、番の者の居る方にはよらず、蘆垣しこめたる西面を少しこぼちて、それより入れ奉る。そと縁へあがりて、格子のすきよりのぞき給へば、物縫ふ人三四人ゐたり。浮舟はかひなを枕にして灯をながめてゐたり。こぞの秋よりさま/〃\御心を盡せし、疑ひもなく其の人と見定め給ふに、立歸らむ心もし給はず、つくづくとながめゐ給ふ。うき舟の母、明日うき舟を我が方へ呼びて、石山へまうでさせむといひおこせし事など物縫ひ/\かたる。右近といふ女、ねぶたしとて、縫ひさしたる物几帳に打ちかけて、浮舟の後近く臥す。殘りの人々もしづまりふしけり。奄ヘ寐入りたるを御覽じて、格子をたゝき、こわづくりし給へば、右近聞きつけて桙フおはしたりと思ひて、おきて格子をあけ、「夜はいたく更け侍らむに、いかで渡らせ給ふ。」といへば、「あす石山へ詣で給ふと聞きて來れり。道にて怪しき事ありつれば、やつれてこそ來れ。我を人に隱せ、來たりとて人々をおこすな。」と、もとより仄かに桙ノ似たる御聲を、いよ/\まねびたまへば、焔{とは思ひもよらず、彼のかぐはしき身の奄ミも露たがはねば、いとゞあやしともおもはず、「人少なにて忍び給ふ故、道にても怪しき事にあはせ給ひけむ、やつれ給ふを恥ぢ給ふもいとほし。」といひて、灯も脇へ取りやり、我も近うもよらず。奄ヘ入り給ひて、いとなれがほにふし給へり。浮舟はあらぬ人なりと思へど、聲だにし給はず、中の君の御ゆどののまに入りおはせし時の事宣ひ續くるにぞ焔{としるに、姉壻なればいとゞせむかたなし。夜は明らかにあくれど歸り給はず、「唯今歸り給はば死ぬべき心ちする、何事も生きてある身の爲なり、たゞひろく人にしられぬやうに才覺せよ。」と宣へば、右近あきれて煩はしと思ふ。「たゞ物いみといへ。」と宣へば、母屋の御簾おろし、札など付けて、傍輩共には「殿は夕渡らせ給ふ道にて、怪しき事ありて、いみじう忍ばせ給ふ故、かく物忌しておはします。」と云ひきかすに、けふ桙謔闌芬gあらばいかゞせむと思ふも苦し。石山に詣でさせむとてはゝぎみより浮舟のむかひおこせり。右近けふわたり給はむと思しつるに、夕より穢れさせ給ふ。其の上夢見さわがしく侍れば、物忌にてえ渡り給はずと、文にかきて迎ひをかへしつ。奄ヘ、おぼつかなく思ひわたり給ひし人をそれと尋ねより給へばいかで御志淺からむ、硯引きよせ手習などし繪などを見所多くかき給へば、浮舟の若き心ちにはひとへに思ひ移りけるを、いとゞあはれに御らんじて、にほふ、
ながきよを たのめても猶 悲しきは たゞ明日しらぬ 命なりけり 
御かへし、うきふね、
心をば なげかざらまし 命のみ 定めなき世を 思はましかば 
奄フ御めのと子の時方、御迎ひにきて色々に申せば、二日の曉になく/\歸り給ふ。御心ち惱ましとて參内などもし給はず、起臥思し惱む。少し長閑に成りし頃、梔F治へ渡り給ふ。先づ寺へおはして佛拜み、僧に布施など給はりて、夕つ方浮舟の方へ入り給ふ。女はいかでみえ奉らむと、そら恐ろしう恥かしうて物もいはず、さき/〃\よりも打ちしめりて物思はしげなるを、桙ヘ京へおそく呼び給ふを恨むると思して、「家も大かた作り立てたれば、此の春中に迎へむ。」と慰め給ひて、栫A
宇治橋の 長き契りは 朽ちせじを あやぶむ方に 心さわぐな 
御かへし、浮舟、
絶閧フみ よにはあやふき うぢ橋を 朽ちせぬ物と 猶たのめとや 
暫しかくておはしたく思せど、人の物いひさがなければ曉に歸り給ふ。二月十日のほどに、内に詩をつくらせ給ふとて、奄瓔桙燎メ内し給へり。奄フ詩をすぐれたりと人々愛でのゝしれど、かく物のみ思ふに、いかなる心ちにて作りけむと思ひをれ給ひて、色々にたばかりて宇治へおはします。山深く入るまゝに、雪やゝふりつみたり。宇治にはかかる雪にはおはせじと打解けてゐたるに、夜更けて右近が所まで左右をせさせ給へば、いかに成りはて給ふべき御事にかとくるしけれど、すべきやうなければ、浮舟の昵ましく思す侍從といふ者に語り聞かせ、同じ心にもて隱せといひて、妻戸あけて入れ奉る。今宵ばかりにて立歸り給はむもなか/\なれば、御めのと子の時方が伯父、因幡守とて宇治川より遠きわたりに家持ちければ、かれが所へおはしまさむとて、時方にたばからせ給ひて、小さき舟に浮舟と侍從と奄ニ乘り給ひて漕ぎ出づる。有明の月すみのぼりて、水の面も曇りなきに、これこそ橘の小島が崎と申す所にて侍れと申せば、堰A
年ふとも かはらむ物か たち花の こじまが崎に 契る心は 
御かへし、浮舟、
橘の 小じまは色も かはらじを 此のうき舟ぞ ゆくへしられぬ 
因幡守が所へおはしたれば、はかなう作りたる家に、御覽じなれぬ網代屏風などにてつくろひたり。雪のふりつもるに、浮舟の常に住むかたを見やり給へば、霞の絶え/〃\に木末ばかり見ゆ。山は鏡をかけたるやうに、きら/\と夕日にかゞやきたり。夕わけこし道のわたりなど、あはれ多くそへて語り給ふ。堰A
峯の雪 みぎはの氷 踏み分けて 君にぞまどふ 道はまよはず 
浮舟、
ふりみだれ 汀に氷る 雪よりも 中空にてぞ 我はけぬべき 
御物忌二日とたばかり給へば、ゆる/\打添ひ給ふまゝに、互にいとゞあはれと思しまさる。忍びて京へ呼び隱して置かむとのみ聞え給ひて、又舟に乘り歸り給へば、右近つま戸あけて浮舟を入れ奉る。是れより別れて奄ヘ京へ歸り給へり。雨降りやまで日頃になるに、浮舟へ、焔{、
ながめやる そなたの雲も みえぬまで 空さへくるゝ ころの侘しき 
筆に任せてかき給へりしも、見所ありて美し。殊に物ふかからぬ若き心ちなれば、かかる御文につけてもおもひまさるべけれど、中の君の聞き給はむ所、又桙ノうとまれむは尚苦しかるべしと思ひ亂るゝ折しも、桙謔閧煬苺カあり。
水まさる をちの里人 いかならむ リれぬながめに かき暮すころ 
是れかれも見るも、いとうたてと思ふ。奄ヨ御かへし、浮舟、
かきくらし はれせぬ峯の 雨雲に うきてよをふる 身ともならばや 
桙ヨ御かへし、
つれ/〃\と 身をしる雨の をやまねば 袖さへいとゞ みかさまさりて 
桙ヘ卯月十日に京へ迎へむと宣ふを、大内記奄ノ申せば、奄ヘ三月晦日にとさだめて、ぬすみ出さむ事をいひやり給ふに、浮舟はいかなるべき身ぞと思ひ亂れ、心地も惱ましうすれば、母君見まひにわたり給へり。辨の尼呼び出でて、昔物がたりなどする。浮舟は寐たる樣にて、つく/〃\と川のひゞきをきく。かかる流れにも身を捨てばや、ながらへてはとにかくに恥がましかるべしと思ひつゞくれば、母の名殘も一入惜しけれど、東屋の卷に少將が女房に成りし浮舟の妹産すべき月なれば、母君急ぎかへりぬ。雨降りし日、奄ニ桙フ御使きあひたり。其の御使又けふ參りあふ。桙フ隨身才々しきものにて、不審に思ひ、「そちは何しに爰へ度々來るぞ。」と尋ねければ、「時方より御内の女房達へ使にくる。」といふ。誠しからねば、後より人を付けさせて見するに、返り事をば大内記にわたす。いとゞあやしと思ひて歸る。奥サましげにおはすとて、桙煬莓Kらひにおはしたれど、こと/〃\しきほどにもあらず。かの内記參りて、奄ノ浮舟の御かへしを奉る。紅の薄やうにこまかに書きたる文なり。文に心入れて御舅夕霧のうしろの方よりおはするを知らせ給はねば、笑止がりて梠ナちしはぶき給へば、焔チきてかくし給へり。桙燹dり給ふに、浮舟のかへしを奉る。隨身けしきかはりたれば、あやしとおぼして呼びて尋ね給へば、「奄フ御めのと子の時方よりとて、宇治へ文をもて參りしほどに、時方が文にやと思ひ侍れば、かへりごとをば大内記に遣はし侍りし程に、怪しくて咎め侍りし。」と申す。「其の返りごとの紙は、何色にてありし。」と宣へば、「赤き色紙。」と申す。奄フ見給ひし文の色なれば、それにこそと思し合はせつ。此の道にいとくまなくおはする宮なれば、通ひやし給ひけむ、かかる事を思し惱む故の御心ちにこそ、浮舟も色めきたる心なれば、いかにも心をかはすべしと思ひつゞけて口惜しけれど、打捨てたらましかば必ず呼び取り給はむずれば、かくて置くべし。もとより本妻にはあらず、我も又ひたぶるに見ぬわざは成るまじなどと思して、宇治へかく宣ひつかはす。栫A
波こゆる 頃ともしらず 末の松 まつらむとのみ 思ひけるかな 
男女の契りのかはる事、末の松山によそへて波こゆるとよみならはすなり。浮舟此の歌をみてむねつぶれて苦し、御かへし心得がほならむもつゝましければ、文を元のやうにして、所たがへにや心得ぬ文章なれば返し奉ると書きつけて戻しつ。さすがによくしたりと桙ヘほゝゑみて見給へり。是れよりいとゞ浮舟は思ひ亂れて、侍從は奄めでたしとのみ思へば、「かれへぬすまれてもおはしませ。」とひた道にいふ。右近はとてもかくても事のなきやうにと神佛を念ず。栫A番の者共油斷なる故にかかる事有りとて、嚴しくいひ付け給ふ。奄ヘ露顯せしもしらせ給はで忍びておはしたるに、さき/〃\のやうにもなく、番の者共こゑ/〃\にとがむるにより、立退きて時方を入れ給へば、とかくしてはひり、侍從をつれて參りたれば、山賤の家の軒の下に泥障(*あふり)を敷きて、其の上に煙苳nよりおりて侍從とかたらひ、委しき事ども聞きて空しく歸り給ふ。浮舟はとにかくにながらへがたし、身をなげむと思ひ、夜になれば人にしられず出でて行くべき身を思ひめぐらし、明くれば川の方を見やりて、羊の歩みよりもほどなき心ちしてあかしくらせり。
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蜻蛉 宇治には浮舟行方もしらず成りにしかば、めのとを始め人々騷ぐ。母君も急ぎおはして、いかなる事ぞと呆れなきのゝしる。侍從・右近は、奄フ御事に付き物のみ思したれば、かく跡かたなきは身をなげ給ひしにやと思ひよりて、母君にも語れば、「されば死骸のあるやうにしなして葬禮せむ。死骸もなきといふは人聞きもあしく、桙ヘ奄ニ心を合はせて隱れたりと思さむもいかゞなり。」といひて、車にぬぎ捨てし裝束ども入れて、したしき人ばかりにてやかせけり。桙ヘ御母入道の宮惱み給ふに付き、石山に籠り給ひてさわぎ給ふ折ふしなれば、御使ばかりつかはし給ふ。奄ヘ二三日は物もおぼえず歎き給ひ、御心ち惱ましうし給ふを、桙ォきてさればこそと思すに、浮舟の失せしあはれにもさむる心ちし給ふ。桙ルどへて宇治へおはしまし、右近を召して今は有りのまゝに、奄フ御事はいつよりの事ぞと尋ね給へば、「中の君の御方にてふしぎに御覽じそめて、忘れ給はで、此の春の頃二三度御文の取り交しせさせ給ひし許りにて侍るに、御前より心得ぬ御文を參らせ給ひしかば、とにかくに思し侘びてかくならせ給ふは身を投げ給ひしにやと思ひより侍る。」といふ。かくこそいはむずれ、あながちに思ひききてもよき事にあらず、とかく此のはらからに付き、物思ふべき身なりと心うく、我が心を恥ぢてかく成りしと思せば、さすが哀れにて、御弔ひ懇にせさせ給ふ。母君いかに悲しまむと思して、御使遣はし、「息子共もそれ/〃\官位するやうに後見せむ。浮舟空しくなりたりとて、疎く思ふな。」などと懇に仰せ遣はしたれば、忝き事に思ふ。奄フ御母の后の宮、蓮の花の盛りに六條院にて御父源氏、御養親紫の上の爲に八講といふ御弔ひをし給へり。事はてて座敷片付くる折ふし、桙ィはして障子の少し明きたるより覗き給へば、奄フ御姉の一品の宮おはしますを見給ひて、人しれず物思はしく成り給ひしなり。わが北の方も腹こそかはりけれ、同じ御はらからなり。御容もあしくはあらねど、又かくはなき事よと思ひ亂れ給へど、もとより心ばへしづめたれば色にも出し給はず。式部卿の宮といひし桙フ御叔父なりしが、此の春うせたまへり。其の御娘心細くておはしたるを、后の御爲にも御いとこなれば、いと惜しがりてよび取り、一品の宮の御伽にして置き給へり、名を宮の君といふ。奄ヘ浮舟うせし後は、人めも見苦しきまで歎き給ひしが、あだなる御心は忘れやすくて、今又此の宮の君に心をかけて何かと宣へり。奄艪に浮舟うせたる事を后も聞召して、桙フ心をいとほしう思す。桙ヘ物を思ひ/\のはてには、大君おはしまさば何しに心を外へ分けむ、八の宮は俗にては有りしかど聖のやうなりし、其の御あたりに育ち給ひし大君も中の君もありがたき心ばへ容なりし、淺ましき心は有りしかど、浮舟も萬のしかた、あしくはあらざりしにかく成りしよと、たゞ一つ縁のみ思ひ出でてつく/〃\とながめ給ふ夕暮に、蜻蛉の物はかなげにとびかふを御覽じて、かをる、
有りとみて 手にはとられず 見れば又 ゆくへも知らず 消えしかげろふ 
とひとりごとし給へり。
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手習 其の頃横川に何某の僧キといひて貴き人有りけり。八十餘の母、五十ばかりの妹あり。願有りて初瀬に詣で歸るとて、道にて母の尼心ちあしければ、宇治の院といふ所をかりて入りけり。山へかくいひ遣はしければ、僧キ詣で給へり。常に人住まぬ所は、よからぬけだ物など住むものなり、よく見よとて、此處彼處灯ともして見せらるゝに、森の樣に見ゆる木の下に白き物ひろごりてあり。近くより見れば、髪は長くつやつやとして見ゆ。狐の人に變ずるにやとて、眞言を讀み、印などつくりて試みるにもかはる事なければ、人なりとて物怖ぢせぬ法師をやりて見する。きぬを取りてひけば、顔をひき入れていよ/\泣く。かくて置きたらば今宵の中に死ぬべし、人に極まりたる者を見ながら捨て置くは無慈悲なり、先づ内へ入れよとて抱き入れさせ給へり。僧キは母の祈りなどし給ふ。かかる事ありなどいふを、僧キの妹の尼聞きて、行きて見給へば、いとうつくしき女、白き綾の小袖に紅の袴きて、あてなる樣限りなし。はかなくうせし娘の生きかへりたる心ちしていとほしければ、傍におはして見給ひ、いかなる人ぞと問へど物覺えぬ樣なり。湯を口に入るゝに、たゞ弱りに弱れば、此の人なく成るべしとて弟子の阿闍梨に祈らせて、さま/〃\いたはり給ふ。尼君の心ちもよろしければ、此の女もつれて小野へ歸り給ふ。拾ひ給ひし女の心地よからねば、山より僧キを呼び下し祈らせ給へば、物のけ去りてさわやぎ給へり。此の女は浮舟なり。本性に成りてあたりを見めぐらせば、老法師・おとろへたる尼のみにて、見し人は一人もなし。身の有樣を思ひ出づるも、我はいみじく物思ひ、身を投げむとて、人みな寐たりしに妻戸をはなちて出でたりしに、風はげしう川波も荒く聞えしに、物恐ろしければ、すのこのはしに脚をさしおろしながら行くべき方もしらず、歸り入らむも中空なり。「かかる有樣を人に見付けられむより、鬼にても何にても喰ひてうしなひてくれよかし。」といひて、つく/〃\とゐたりしに、きよげなる男きて、「いざおのがもとへつれて行かむ。」といひていだく心ちせしを、焔{のせさせ給ふと思ひしより、心地まどひ、それより後の事はおぼえず、終に本意の如く身もなげずかくながらへぬるは生まれかはりぬるかと思ふも口をし。尼君さま/〃\かしづきいとほしみて、「いかでかく隔て給ふぞ、いづくにて、いかなる人なりしぞ、語り給へ。」ととへば、「無性成りし程に何事も忘れけるにや覺えず。少しおぼえし事は、いかで此の世にあらじと思ひ、夕ぐれ毎にはし近くてながめし程に、前近く大きなる木のありし其の下より人出できて、つれて行くとせし、其の外の事は露も覺えず。少しも隔て隱すには侍らず。」といへば、さもあらむ、繼母などに惡まれてかやうに成りし人にやとぞ推し量りける。此の尼は僧キの妹なり。右衞門督といひし公卿の北の方なり。娘ひとりまうけて後家に成りけり。其の娘を中將なりける人の北の方になしてもてかしづきしに、はかなく成りければ、其の歎きより尼に成りて、比叡の麓小野に住みけり。此の浮舟を其の娘の生きて歸りしとて、いとほしがりて養ふ。浮舟は思ふ事を語る相手もなければ、心一つの昔の事ども數々思ひ出でて、戀しき折は手習に、
身を投げし 涙の川の 早きPに しがらみかけて 誰かとゞめし 
月のあかき夜、老人共にとり/〃\に昔物語すれど、答ふべきやうもなければ、つく/〃\と月をながめて、
我かくて うき世の中に めぐるとも 誰かはしらむ 月のキに 
などと手習して慰めけり。尼君の壻の中將昔を忘れず常(*に)とぶらひける。ある時浮舟を見て心に付きければ、昔の人のかはりに是れを貰はむといひて、折々文などおこせり。尼もさやうに思へど、浮舟はかく思ひの外にながらへしさへ口をしきにいかでさる振舞をせむと思ひて文の返しもせず。かくてあらば行末は遁れがたき事もあらむ、只尼にならむと思ふ。其の頃奄フ御姉の一品の宮、御物のけに煩ひ給ふ御祈りに、此の尼の兄の横川の僧キを召す。參内するとて小野へ立寄りたまふ。折しも尼は初瀬へ詣で留守なり。此の内にあらばとめむに、一入よき折なりと思ひ、僧キをたのみて尼に成りぬ。中將口惜しがれどすべきやうなし。僧キ御祈りし給へば、御物のけ怠らせ給ふ。或夜后の宮とよろづの御物語のついでに、「宇治にて浮舟を妹の尼拾ひ侍りしが、物のけにて無性なりしを祈りのけ、今はれき/\の人に成り侍りしが、こなたへ參りざまに立寄り侍りしかば、尼に成りたしと懇に申し候ふ程に、なし侍りし。」と語るを、后の宮聞召して、浮舟がうせし月日と同じ事なれば、もし浮舟にてやあらむと思す。小野には尼君初瀬より歸りて、浮舟がさまかへしを見ておどろき悲しめり。尼に成りし後は少し心もはれ/〃\しうもてなして、尼君も棊など打ちて遊ぶ時もありけり。この尼の甥に紀伊守といふものあり、桙フ御家人なり。小野へきて桙フ事共かたり、うき舟が一めぐり頓てなれば、其の弔ひの事、宇治山の阿闍梨今は律師たり、それに仰付けしことも語るを、浮舟聞きて、わすれ給はぬほどをあはれに思ふ。后の宮の女房達に小宰相の君といふは、梵ワ々手をかけ給ふ人なり。此の小宰相に后の宮、「いつぞや僧キの語りし人は、浮舟にてあるべし、桙ノ其の由を語れ。」と聞え給へばかたりぬ。今は呼びかへすべきものとは思ひ給はねど、浮舟が母さしもかしづきいとほしみ深かりし子を、かくあへなくなして明けくれ歎くも不便なれば、それかあらぬかを確かにききとげて母につげむと思す。
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夢浮橋 桙ヘ叡山へおはして經佛など供養せさせたまひ、又の日は横川に立寄り、僧キに對面して浮舟が事を尋ね聞き給ふに、疑ひもなく其の人なれば、御供に召しつれ給ひし浮舟が弟の小君をよび、「此の者則ち其の女のはらからなれば、是れに文を持たせて遣はしてむ、僧キよりも文そへ給へ。」と宣へば、かきて小君に渡し給ふ。棔dり給ふ後に、僧キより小野へ文をやり給ふ。あけて見れば、けふ梠蝗駐aわたり給ひて、浮舟の事よく承りて驚き侍り、それにつき桙謔闖ャ君は御使に參り給はぬか、委しき事は二三日中に參りて申すべしとかき給ふを、心しらねば、いかなる事ぞと尼君騷ぎ怪しがる。時しも僧キ文を取りて參りたる人ありといひ入れければ、怪しけれど是れにてくはしき事は知れむと呼び入れければ、文を取出せり。桙フ御文には、いはむかたなき心の程は僧キに思ひゆるして、又對面せむと思ふも、我ながらもどかしき心と思ふなど書き給ひて、栫A
法の師と たづぬる道を しるべにて 思はぬ山に ふみまよふかな 
浮舟、此の文どもを尼君にさし出して、隔てきこえてかくすと宣ふ程に、よろづに思ひ出せど、さらに覺えたる事なし、今はと思ひ成りし程までは母君ひとり弟などありしが、今日の小君の顔其の弟に似たる樣には思へど、何事もたしかならず、いとゞ怪しき事どもに心亂れて、惱ましとて打ちふし給へり。尼君、小君にしかじかと語りて、「けふは先づ歸り給ひて、又重ねてわたり給へ。心ちあしとてふし給へばかひなし。」といふ。稚き者なれば、是非とも對面してあきらめむともえ聞えず、たど/\しくて空しく歸り參り、桙ノ右の通りを申せば、なか/\ありしにもまさりておぼつかなう思せしとなり。この卷に夢浮橋とかける所はなけれど、桐壺にいづれの御時とおぼ/\しく書き出し、又此の卷のはていぶかしうかき捨てしは、ひとへに夢浮橋の如しと思ひて號(*なづ)けしにや。


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(跋)

此の物語は人皇六十六代の帝一條院の御后、後には上東門院と申し奉る、其の御内の女ばう達、紫式部といひし官女の作なり。ひかへのある事になぞらへて、なき事を作れり。八十二代の帝後鳥忠@の御時より世にもてはやしけるとなむ。式部親は堤中納言の孫越後守爲時といふとなり。
小鏡・無外題・十帖源氏など、猶言葉えんになまめきて、其の道にうとき人の爲には、曇りたる鏡の影明らかならぬ心ちすれば夜の錦とやいはむ。其の心の行くやうに、ちりばかりづゝかき付けよとせめて聞え給ふめるは尾上氏の何某なり。いはけなきそのかみより此の物がたりにしふふかくて、からうじて求め出したれど、いましめ給ふ心を師とせむ外にはいかにととふべき人もなし。罪なくて見る配所の月は心ある人のをかしうする事なれど、木のはし・石のかげにひとしき身にはながむるかひなく、心にくもる春の長閑なる空に遊ぶいとゆふをくりかへしては、夏衣薄きひとへに心をいたましめ、秋風にほころぶる藤ばかまならねど、きり/〃\すのいさめにつゞりさすわざのいとなみに、いたづらにくらす時しもなければ、心やすくうち見る程さへ有りがたけれど、さりとて心のくじぬるなぐさめには、もてるはりの行方をわすれてこゝろざしたかくそめてしをりければ、きえあへぬ雪を花と見るほどのひが心えは心えぬにしもあらねば、いかでさはともいなびはてむ。一まき/\の中の、ことたる所ばかりを、九つのうしの一すぢの毛、大海をこぎ行くあまの小舟の楫の一雫なれど、十といひて五つ三つが一つの數なれば、書きつけしほうご百にあまれり。かくては暦のこゝちこそすれ、今すこし大きに書きて見せよと宣ふ。十年以來はあつしう成りぬ。其の心ちむねさわぎてふるへば、みゝずがきいとゞせむかたなけれど、かの人の身のわざに病もなかば過ぎてさわやぎ、道々しきかたの物語にはまがれる心もなほしくおぼゆれば、いかでおろかに思ひきこえむ。色みえぬ心を、いはにかへてだにこそ、見せ奉り給ひけれ。我も此のためには、なき手を出してもはゞかりはぢぬべき事かはと思ひおこして、わなゝきつけたるすみのあと、いふかひなきもじつかひは、きくかひなきことば續きには、よくゆゑづきてほゝゑまる。たゞひとりの軒つまにおふるくさと見給へ。それをこそ此の名にもかり侍れ。かへす/〃\、
吹く風も ちらすな外に はづかしの もりのことのは 書きあつめおく 
かたみとも いはまし物を しのぶ草 しのばれぬべき わが身なりせば 

(『源氏物語忍草』 <了>)


  01 桐壺   02 帚木   03 空蝉   04 夕顔   05 若紫   06 末摘花   07 紅葉賀   08 花宴   09 葵   10 賢木   11 花散里   12 須磨   13 明石   14 澪標   15 蓬生   16 関屋   17 絵合   18 松風   19 薄雲   20 朝顔   21 少女   22 玉鬘   23 初音   24 胡蝶   25 螢   26 常夏   27 篝火   28 野分   29 行幸   30 藤袴   31 真木柱   32 梅枝   33 藤裏葉   34 若菜上   35 若菜下   36 柏木   37 横笛   38 鈴虫   39 夕霧   40 御法   41 幻   42 匂宮   43 紅梅   44 竹河   45 橋姫   46 椎本   47 総角   48 早蕨   49 宿木   50 東屋   51 浮舟   52 蜻蛉   53 手習   54 夢浮橋   (跋)

[INDEX]