國文世々の跡 再考
伴蒿蹊
(京師書肆 堺屋嘉七 藏版 1777.8.)
※ 上中下三冊。〔原注〕、(*入力者注記)。縦書き用
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國文世〃の跡目録
國文世〃農跡(*くにつふみよよのあと)
蒿蹊伴資芳 著
(自序)
挍合のついでゥ子の問に答ふる條々録して題言とす。
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問国ぶりの文かく人のすくなきはいかにぞ。答まづ歌よむ人は題にのみかゝづらふほどに、あまりのいとまなしといふ。此頃哥よむ人を見るに、其うたの料には、近き世の題によしある集をのみみて、ふるきものをうかゞはぬが多ければ材のともしきにもあらん。又よむ哥も唯題につきてのみよむなればはづかの言書をももちうべき折なくて、文は用なきものとおもへるもあらむかし。次に今の世学びのまどに年ふるときこうる人も、もろこしの文をのみみて、そは上ミ三皇五帝といふより、下は、今の清朝の世のありさまゝでを盡して、言さやぐてふ彼國の音をさへよくしれど、吾皇朝の事は、こまやかなるをば置て御代/\の次の天皇の御謚をだにわきまへぬが多ければ、まいて文みへばから文の事とのみおぼして国ぶりある事をしらず、筆をたてんともせぬは論なし。此等のうへにもいはまほしきこと侍れどさしおきぬ。歌よむ人のためにいはんにたとひ題の哥をのみよむ人といふとも、時にのぞみ興にのりて何となくよむ哥もなどかなからむ。それを人にみせんとまではあらずとも、其時はかうこそありけれと思ひいでん時のなぐさめにもかいつけおかむに、言書ならでは其よしわかれざらまし。又さやうの折は心あまりて歌のうへにつくさぬ事もあるが、言書にてあはれなるけもそひ侍るべし。もしはからぶみざまにも書侍らば、萬葉集にならふともいはむに、そも文字のかたたど/\しからばかなふべからず。哥よむ因に国風の文つくらんことはいとやすかりなましを、唯志あるとあらざるの境なるべし。もとより哥よむときに止らず、事を記し理を論んにも其便多からんをや。又あるひは歌はさのみ古書見ずともよくせん。文は物まなばでは筆たつべくもあらずといふ人も侍らんが、哥よむも題にあはせて書たる物をのみ見るばかりの人はいふかひなし。思ひたつ山口にこそしばしさも侍るべけれ、やう/\入たちては、このもかのも濃くま/〃\をもたどりしらでは、心のいたりすくなく、根なしかづらのごと、源なき水の心地こそし侍らめ。源氏みざらん哥よみは無下の事なりとのたまひし人も侍り。もし哥よむにつけてたど/\しながらも古きものども見わたらば、おのづからに文はかゝれなまし。題よむ人の此かたに志なきは、面を墻にすといはざらましや。
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