しみのすみか物語
石川雅望
(塚本哲三 校訂『石川雅望集』 有朋堂文庫
有朋堂書店 1926〔大正15〕.4.30)
※ 各章の題は入力者が施した。
(序)(大村周斎)
(自序)
上
下
(序)
(自序)
わかき時、雨ふりあるは徒然なる頃、旅人のあつまりてさま/〃\の物語せるを聞きて、その中わらはしきかぎり選りひろひて、まんなもて書きつゞりて見しが、これは文字のすゑ處もおぼ/\しくあやしければ、人にも見せで打籠め置きぬるを、このごろ反古の中より見出しつるに、蠧といふ蟲ぞところ得て住みはびこりたる。女子なるもの、これ假字に書きてたまひなんといふを、をりふしあつけに惱みてもこよひ居りければ、さらばとて筆ずさみとはなしつ。すべてはもとのまゝなる中に、少々はにはかに作りまうけて添へたる事もあり。とまれかくまれよしなしごとなれば、これもまだ人に見すべきものにもあらず、たゞ古き反古のかびくさゝを、さながらとりて書いつけつれば、蠧のすみかとや名づけてんと、筆なげすててそのまゝ臥しつ。
石川雅望
しみのすみか物語
上
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あざな袴垂〔藤原保輔、此強盜の事、今昔物語、宇治拾遺物語等に出づ。─頭注〕とつきたる強盜ありけり。同類をひきゐて、醫師盛之が家の垣をこぼちて入りぬ。さて打入らんとするに、如何なるにか、足すくみて動かず、十餘人みな同じごと足はたらかざりけり。せめて歩まんとすれども足すゝまず。あるべうこそあれとて、引返して、皆出でて去にけり。しもべなる者、がや/\といふに目さめて、起出でて見れば、盛之はひり〔門より玄關に至る間─頭注〕に向ひたるあかり障子〔今の障子─頭注〕のうちに立ちて、藥袋なる匙をゥ手にとり、頭にさゝげつゝねらひ居たり。此しもべ、「ぬすびとは疾くまかり去りぬ。何事し給ふぞ。」といへば、盛之ほくそゑみて、「さこそあらめ、しやつ〔きやつ─頭注〕打入りなば、五臟六腑、こと/〃\くなますになしてん。」といきまきいふ。しもべ、「かたきに向はんずるには、打物〔太刀─頭注〕をこそ持たせ給はめ。藥あつかひ給ふやうに、匙を持ち給ふこそ心もえ侍らね。さるにてもぬす人ども、などてすご/\と歸り去にたるにか。」といへば、盛之いよ/\誇りかなるおももちして、匙とりて額におしあて、「某この匙をとりて人をころす事年頃になりぬ。強盜といふとも、いかで命をしまざらん。さればこそ斯くはかまへたれ。」といふにぞ、顔うちまもられて言ふことなかりける。
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むかし菅原孝標〔M松中納言の著者─頭注〕といふ人の隣に、げす男〔下種男、身分卑しき男─頭注〕のありけるが、女一人もたり。此女つねに孝標が家に行通ひて、なれ親みけり。或日、母にいひけるは、「隣の御かたこそ、物語書このませ給ひて、世にありとある者おほかた持たせ給はぬはなし。さばかりならずとも、われも一卷二卷はほしく侍り。いかで伊勢物語、大和物語、この二まきもとめ出でて、我に賜びてん。」といへば、母、「ふびんなる事をもいふかな。隣こそ、さきの常陸介にておはせ、御むすめ〔更科日記の著者─頭注〕と聞ゆる人も、さやうの書など見あつめ給ふっこと、さもあるべし。今日だにくらし侘ぶるげすの家にて、書などとりあつかはんは、にげなく人笑へなることぞ。然るひまあらば、裁縫のかたに心いれて、ひねりならへかし〔練習せよ─頭注〕。」と、いとすさまじ〔厭はし─頭注〕と思ひて言ひければ、父聞きて、「伊勢、大和の物語をほしといふとか。そは言ふまゝにもとめても遣り給ひね。かれ男にしもあらば、今日このごろはさる國々行きめぐりて、寺社のかぎり順禮し歩きて、こゝらの錢こそつかはめ。」といひけり。伊勢、大和の名所をあげたる書とや思ひたりけん、いとをかし。
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治部卿通俊卿〔藤原通俊、後拾遺集の撰者─頭注〕のもとに、花こそといへる女童ありけり。本〔手本─頭注〕書きてさづけ給へれど、手習をきらひて、机によりては筆のしりくはへ、つら杖〔頬杖─頭注〕つき、あくびうちして打睡り居り。北の方常にいさめ給へども、聞入れず。或時は鬼のかほを書き、又はみゝずがき〔蚯蚓のくねりたる如き文字を書くこと─頭注〕のみやくとしつゝ、すこしも心に入れて習はざりければ、北の方ちかく呼びすゑ給ひて、「物書かぬ人は鳥獸にもおとりて、人にあなづらはれ、笑はるゝぞかし。おとなになりて悔いごとせんより、今のほど心に入れてよく習ひおぼえよ。人のヘふること、つれなくうけひかぬも事によるぞ。」とて、少しひきつみなどし給へば、聲うちあげ、よゝと泣きて、簀子〔縁─頭注〕の方に走り出でて、しやくりあげつゝ立ちて、獨言に言ひけるは、「われにあながちに手習をヘへ給ひて、よく書きおほせなば、御親族のわたりの御文のゆきかひのたび/\、せんじがき〔代筆─頭注〕せさせんの御心なるべし。御みづからの用にたてんとて、人にくるしき目みせ給ふよ。せんじがきの用にはわれはたゝじを。」とて、はな打ちすゝりて、ふづくみ〔憤り─頭注〕泣きいさち(*原文「泣きいざち」)けり〔甚しく泣きけり─頭注〕。「通俊卿、秦兼方〔金葉集の作家─頭注〕が歌を難じ給へる時、花こそとは女童の名の樣なりと宣ひしは、これがことなり。」と、人のいひける。
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修行者、國々をめぐり歩きて、津國なる山路にかゝりけるに、酒賣る軒の柱に人をくゝりて置きたり。盜人をとらへて殺さんとするにや、出家の身のつれなく見過すべうもあらず、助けて見ばやと思ひて、酒賣る家に入りて子細を問へば、あるじ、「あのやつは旅人にて侍り。今ほど我家の酒を買ひ飮みて、味そこねて酢けありと言ひ侍り。我家いかですけある物を賣らん。然るあらぬことを言ひて、人にもふれ知らすべき者とおもひて、捕へくゝり置きて侍り。」といふ。修行者、「賣物をわろしと言へるに腹だたせ給へること、道理あり。されどいみじき罪にもあらざれば、今は老法師にまけて許し給ひなん。さてその酒如何なる味かして侍りし、われこゝろみん。」といへば、主まがり〔杯─頭注〕に汲みて出すを、修行者とりて一口飮みけるが、目も眉も一つにしゞめて〔縮めて─頭注〕、まがりを打捨て、みづからうしろざまに手をまはして、「いざ我をもくゝり給へかし。」とぞいひける。すなほなる修行者にぞありける。
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ふる宮のあたりに仕ふるえせ侍ありけり。すき者にて、女とだにいへば、いち女〔市女、女商人─頭注〕、あそび〔遊女─頭注〕のけぢめをいはず、かゝづらひうかれ歩きけり。一日妻心地あしとて臥し居たるが、男を枕上に呼びすゑて言ひけるは、「わぬしのあだごころ今は見果てつ。われ死にうせなば、幽靈となりて、こと人と相語ふ枕邊に立ちて、恨聞えん。」といへば、男あざわらひて、「をこの事〔愚な事─頭注〕をも宣へるかな。そも幽靈といへるものは、古き物語文にも、こゝら〔許多─頭注〕掲焉に〔いちじるしく─頭注〕記しありて、裝束よりはじめ、すべて怪しうはあらず、多くは白き唐綾〔浮織にしたる綾─頭注〕など引重ね、髪長きものとこそ聞け。さればおぼろげの人〔並大抵の人─頭注〕の出で立つべき姿とも覺えず。おもとは髪人よりはみじかく、もとよりさる衣など一つもたくはへざれば、幽靈とならんこと難しとも難きわざなり。」といへば、妻、「何事いふぞとよ。髪みじかく、さる衣なしとて、出たゝじやは。母代〔母に代りて後見などする人─頭注〕のかたみにとて賜びぬる、白き麻の衣あなり。なへ古めきたれど、これつぼをりて〔長きを折り込みて著て─頭注〕、髪著こめて出立たんに、何かたらはぬ事あるべき。」といひて、泣き腹立ちて怒りけるとぞ。
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文章生行兼身まづしかりければ、陰陽師安部のうらますが許に行きて歎きけるは、「今日となりては、儋石のまうけ〔僅かなる貯─頭注〕だになし。いかにせば此憂のがれなん。」と、涙ぐみていふ。此行兼つねに文の道に誇りて、人ありともせずふるまひければ、うらますもかねて惡み給ひけれど、さりげなくもてなして、「とり申さんも大事に侍れど、あまりにいとほしければ、告げまゐらするなり。そは皆貧報の冠者のさする業なり。彼だに逐ひやり給はば、次第になりいで給ひ、よろづ御心にまかせ給ふべし。」といふ。行兼、「さるものやらひ〔逐ひはなち─頭注〕のけなんには、如何なるわざか侍る。ヘへ給へ。」と手をすれば、「冠者は五節〔十一月の中の丑の日に行はれたる朝廷の節會─頭注〕の夜の歌舞を惡みて侍れば、さる聲する邊には寄りも來ぬなり。家に歸り給はば、みづから行ひ給ふべし。」といふ。行兼よろこびて、「いみじき御恩を蒙り候ひぬ。」とあまたゝび額づきて歸りぬ。されどじはふ〔實法、眞面目なること─頭注〕なる學生のすぢなりければ、かの歌舞といふこと知らざりければ、人に習ひてやう/\に明らめける。さて家の内外Cまはりて、注連引わたし、よろづうるはしう構へて、日暮るゝを待ちつけて、母屋のまなかにありて、しわがれわなゝきたる聲を出し、伸びあがりかゞまりて、家のうちを舞ひ歩くことおよそ時ばかりす。さる間に、物の後ひし/\と鳴りて、おそろしき鬼出來て、「白薄樣、かうぜんの紙」〔五節の舞の時、舞人をはやす語。「白薄樣、濃染紫の紙、まきあげの筆、巴書いたる、筆の軸、ヤレコトウトウ」─頭注〕などはやしつゝ外の方へ出で行くを、行兼見つけて、「いかにや窮鬼、我が歌舞のおそろしきか。」といへば、かの鬼立ちとゞまりて、「あらず、きんぢ〔汝─頭注〕が舞の手興ありてをかしきを、一人聞かんもさう/〃\しけれ〔寂し─頭注〕ば、かしこへ行きて、友達のかぎり呼びあつめて來んと思ふなり。」といふ。行兼聞くよりたましひ失する心地して、うゝと言ひてのけざまに後へたふれけり。其ののちは如何なりにけんか知らず。
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大和國なる山寺にある兒、心ぼけ/\しく愚なりければ、僧どもも常にあざむき笑ひけり。或夜師のかたはらにありて、大空の星を見やりていへらく、「雲のうちに光りたるもの見ゆ。かれは雨をもらす穴なるにや。」といへば、師もあきれて、つれ/〃\と〔つくづくと─頭注〕顔をまもりて、「もろ/\の病は藥もてこそ癒すなれ、此のしれものが病のみ癒すべき藥なんなき。」と、大息つきて言へば、彼兒、「さる藥世にあらましかば、如何たふとからまし。」とぞ言ひける。この兒が行末いかに生ひ立ちにけん。
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受領〔國守─頭注〕より宰相まで成りのぼれる人あり。あくまで物をしみして、錢一つをも妻子にあたへず、はかりなき大事のものにぞしける。さる故に家富みて、米のくらまち〔倉町、倉の續きて立てる所─頭注〕、黄金のくらまちと、うらうへ〔裏表─頭注〕に建てつゞけ居たりける。冬の節分の夜、此家のはひり〔門より玄關までの間─頭注〕に、窮鬼入來て、奧ざまを見やりてうかゞひ居り。この家あるじは年頃毘沙門を信じければ、今宵もみあかし參らせ、酒・しとぎ〔粢餅、米の粉にて卵の如き形に作りたる餅、神前に供ふ。─頭注〕など奉りて、あがめまつりけり。斯かるに毘沙門天、ほぐら〔祠─頭注〕より飛びおり、はひりの方をにらまへて宣ひけるは、「この家主は財に富める長者なれば、我ともがら皆こゝに集りつどふ。さるを窮鬼などて此のあたりに近づき來し。眷屬に仰せて、ひき裂きすてんず。」と、怒りをたけびて〔雄雄しく猛く叫びて─頭注〕立ち給ふ。窮鬼簀子のもとについ居て、おづ/\申しけるは、「我ともがらいかでおまし近く立寄り候べき。ましてこゝは大福長者の家に侍れば、まで〔參り─頭注〕來べきやうも候はず。」とかしこまり申す。「さらば何とて斯う入り來れる。」と問ひ給へば、「さる事侍り。この家主無雙の物惜みにて、年頃をへ侍れば、およそ天が下の寶なかばは皆こゝもとに集ひぬ。されば此ごろ天下に貧しきものあまた出來たること、皆この家主の御コにて〔御蔭にて─頭注〕、我がともがら所得てうけばり〔リれやかにたちふるまひ─頭注〕誇らはしうのゝしり侍る。此のよろこび申さんためにすなはちまう來つるなり。あな尊、あなめでた。あが佛あが佛。」と、そこら拜みめぐりて、いづこともなく出でて去にけりとぞ人の語りし。まことなりや知らず。
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五條わたりに、ひとり住の商人ありけり。それが家は奧まりたる所にて、ほそき道一筋あるに、ちひさき門立ちて、それを入りて家には往来する所なり。この門のかたへに、鍵をあづかる家主は住みて、例も亥の時には、鎖すことをせり。このあき人冬の夜つれづれに堪へで、したしうせる人がり〔人の許へ─頭注〕行き、物語して、夜ふけて歸りけるに、入るべき門は疾くさしてければ、鍵あづかる家を起し開かせんもあいなし〔キ合あし─頭注〕、如何にせましとたゆたひけるが、もとより門はひくし、飛び越えて入らましと思ひて、身のかろらかなるまゝ、左右の柱にゥ手かけて、やす/\と飛びこえて家に入りける。かくすること日頃になりければ、家主聞き知りていひけるは、「そこはまめ人〔忠實な人─頭注〕にて、晝はあき物に心をいれて、しあるき給へば、夜ばかりこそ心ゆくまであそび歩きたまはめ、そは理に侍り。されど夜ふけて歸り給ふとて、門をとび越え給はん事、ようせずはいみじき過やし出で給はん。そは便なきことなり。今より夜中曉をいはず、我門を叩たかせ給へ。すなはち開けて入れまゐらせん。」といふ。商人、「あらば嬉しかりなん。」といらへて別れぬ。そののちは常にかの家の戸をたゝきてぞ入りける。或夜雪いみじう降りつもり、寒さはげしかりけるに、語らひつかして歸り來ぬ。例のごと彼家の戸をたゝけど、むごに〔いつ迄も─頭注〕あけず。聞きつけぬにやと猶したゝかに叩きければ、あるじ寢ぼれたる〔寢ぼけたる─頭注〕聲にて、「今宵ばかりは飛び越え給へ。」とたかやかに言ひて、顔ひき入れて寢ぬめり。「かゝる空には宵まどひせんもうべなりけり。」と、つとめて〔翌朝─頭注〕商人の語りけるこそをかしかりしか。
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すぐれて鼻大なる男ありけり。世には大鼻の某とぞ呼びける。用の事ありて栗栖野〔山城國醍醐の邊にあり。─頭注〕を行きけるに、つぼさうぞく〔女の市女笠に薄衣を著たる裝束─頭注〕したる女の、たゞ一人さきだちて行くあり。すき者なりければ、追ひつきて見るに、十六七ばかりなる女の一重めくもの著たるが、著こめたる髪もつやゝかにて、いろ白うをかしければ、とかく言ひよりて、打連れ行くに、さのみ恥ぢらふけはひもなく、ともなふ人も見えねば嬉しくて、にはかにかき抱きて、薄生ひしげりたる所に率て行きて、思ふさまにまきつ〔契りぬ─頭注〕。さて袴の紐しめなどして、心に思ひけるは、かゝる野中をなほ/\しからぬ〔並々ならぬ─頭注〕女の一人行くべきやうなし、此野は狐あなりとかねてもぞ言ふなる、我をはからんとて、やかん〔狐の異名─頭注〕のするなめりと心づきければ、柄に手をかけて、女に向ひて、「おもとはよも女にはあらじ。たうめ〔老狐─頭注〕にてこそあらめ。さらばげしように〔顯證に、あらはに─頭注〕形をあらはすべし。いかにやいかに。」といへば、女うち腹立ちたるまみもてあげて、「まろいかで狐ならん。わぬしの鼻のしたゝかなると、きたなき物のいみじう長きは、わぬしぞ馬にては有りげなる。」と聲あらゝかにいふ時、又いらふべき詞もなく、そば〔衣の裾─頭注〕とりて足早に逃げ出でてぞ歸りける。「人をうたがひていみじき恥見たり。」と、後に語りてぞ笑ひける。
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えせ侍の醉ひしれたるが、烏帽子もうちゆがめ、沓をだにはかで、なえ/\くた/\となりて、七條の大路を夜中ばかりに、しどろもどろににじり行きけるが、堪へずやありけん、ゑう/\と呼びて、すゞろにつき散して〔嘔き散して─頭注〕其儘にたふれ臥したる。そこにありける犬ども、つき散したる物を集りて食ひをはり、また侍が口のあたりをねもごろに嘗むる時、人のするぞと思ひて、「あな尊、むげに醉ひしれてわびにて侍るを、斯ういたはり給ふ事のうれしさよ。」とて、ぬかづくやうにせしが、また眠り入りてふたゝび起きざりけり。大かた酒のうへにては、かしこき人もいみじきあやまちをもすなり。狂藥としも名づけたるは、げにひが言にはあらざりけり。
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むかし某の大臣とかや、内〔禁裡─頭注〕よりまかで給へる道にて、市中に、ふるもの商ふ家あり。そこに刀の鍔の古しれたる並べありけるを、御車のうちより御覽じて、「あれもとめて來。」と宣ふ。御隨身やがて商人のもとに寄り來て、「おのれが鍔めさるゝぞ、價を申せ。」といふ。商人あわてかしこまりて、「あたひ二十文にてさふらふ。」といらふ。隨身いへらく、「大殿の召させ給へるなり、いかで價ひきくは申すぞ。うけばりて〔大びらに─頭注〕高く申せ。」といへば、あき人聲をうちあげて、「あたひ二十文にてさふらふなり。」と申しければ、牛飼・舍人〔牛飼又は口取などの稱─頭注〕等まで、一度にはと笑ひけるとぞ。
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