三養雜記 巻一
山崎美成
(『三養雜記』 青雲堂英文藏 年月日未詳)
※ 序文に天保九年〔1838〕云々とあり。(*入力者注記)
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巻一目録
巻一 序
三養雜記巻一目録
三養雜記 巻一
(序)
神無月ばかり雨ふりたる夜半、火桶をかこみて書よみゐたりしに、木枯の窻うつ聲の浙瀝たるをりふし、こしかた行末のことゞもおもひつゞけて、
よしやあしや定めなき世のなか〳〵にぬる夜しづけくふる時雨かな、
とうち詠めつゝ、おもふに境に臨み物に觸れてこそ、六塵の樂欲はいでくめり。たとひ揚州の鶴(*際限のない欲望の対象。金十万貫を帯び、鶴に乗って揚州の空を飛ぶ夢。〔梁・殷雲「小説」〕)ありとも、足れりとおもはぬ、人心の常なれば、命をうけて願ふとも、身を終るまで心に任することのあるべきや。窮達は命なり。歎くべきにあらず、はた歡ぶべきにあらず。いでや世捨人にも異ならぬ、おのれなどが心には、月華のながめはさらなり、こゝろのどかに日を経んこそ願はしけれ。今茲も暮ゆく空近くなりて、金杉(*下谷金杉)の里に家をうつしゝ頃、東坡が詞の三養(*一曰安分以養福、二曰ェ胃
以養氣、三曰省費以養財。〔『東坡志林』「記三養」〕)をまなびて、足りて事たるかりそめの住かなれば、書どもは大かた人の家にあづけたれば、今は一巻だに傍になく、机の塵も拂はで日をふるまゝに、年もあけて〔天保九年戊戌──割注〕元日には、霞のたな引けしきも春めきて、日かげのどやかに、田井のながめは市にかはりて、華鳥の色音うるはしきに、何のまうけもなかれど、心ばかりはわかやぎたるこゝちぞせらるゝ、長き日のつれ〴〵なぐさめんとて、暗記にまかせて日ごとにおもひ出るまゝにかきつくるぞせめての心やりなる。
元日にハゼをまく
近きころまで元日の朝まだきにハゼ(*糯米を炒って爆ぜさせたもの。ひなあられの材料。)をまくならはしありて、ハゼ賣といふものあまねく來りしが、いつしか武家にのみその風遺りて、町には賣來らずなりし。これはもと伊豆の三島明神の池の鮒を、明神のつかはしめ給たるよし云つたへて、毎年元日池の鮒にハゼをまきてあたふる神事あり。元日にハゼをまくことはかの神事起源なるべしと、伊勢安齋(*伊勢貞丈)の説なり。又ある人の説に、むかしはハゼにする料の餅米をもとめて、家々に煎り試むるに、よくハゼる年は吉、ハゼのあしき年は凶なるよしを占ふことなりしが、後には只ハゼを買てまくことを吉兆とするのみなりしといへり。按に戒菴漫筆(*明・李詡『戒庵老人漫筆』)に、東入二呉門一十萬家、家々爆レ糓卜二年華一、といへるは爆孛婁(*左ルビ「はぜをいる」)の詩なり。これを併せおもへば、和漢一般の風習にて、ある人の説をよしとすべし。かく何事も年月を追ひて、便利にのみなり行こといと多かり。春のまうけの注連繩も、家ごとに藁をもとめて造れるを、後には年の市にゆきて買調ふることにぞかくはおぼえたりしを、今は町々の辻にても擔ひありきても賣ることになりて、居ながらもとむることになりたり。年の市もむかしは雜器市とて、淺草寺ばかりなりしが、今は所々の神社に多くいできたり。
屠蘓少年より飲始
屠蘓にかぎりて年少のものより飲始むるよしは、荊楚歳時記に、進二屠蘓酒一飲レ酒次第從レ小起。註に後漢書董(*とうくん)が言を引て、俗有三歳首用二椒酒一、飲レ酒先二小者一、以二小者得一レ歳、先酒賀レ之、老者失レ歳、故後與レ酒、と見えたり。吾邦の古も亦しかり。内裏式に、元日就二内侍一、取レ机盛二屠蘓一、云云尚藥供御(*くご)先賜二少年一、とあり。又屠蘓攷云、盧南小簡に、屠蘓卑幼より始むること不遜なり。元日は一歳の始め、長幼の分を正し、長者より始むべしといへるは、理さもあるべきことに聞ゆれど、考の足らざるに似たり。其よしは屠蘓もと邪氣を辟る藥方にして、卑幼より始むるは、全く藥を用ゆる法を借たることと思はる。禮記に、君の藥を飲には臣先甞む。親の藥を飲には子先甞むといへり。説苑(*ぜいえん)に、殷の湯王の言を載せて、藥食は卑に甞て貴に至るといふ。これにて考るに、家内の人々こと〴〵く屠蘓を飲むに、かりそめにも藥の名あれば、先こゝろむるものは誰をか先にし誰をか後にせん。故に卑幼をはじめとすること至極のことはりなり。是全く聖人藥を用ゆる禮教をかり用ゆることを知るべし、といへるは確論といふべし。
萬歳
萬歳は男踏歌の餘風なり。花鳥餘情(*かちょうよせい)に、正月十六日の節會をば女踏歌といふ。舞妓すゝみいづるゆゑなり。男踏歌は十四日にありたること、かつ初午の日を用ゆるよしなど、すべて賀正より追儺まで時令のことゞも、予かつて歳時要畧にくはしく記したれば、こゝにもらしつ。さて江戸にて稲荷祭には、地口行燈(*地口・戯画をあしらって祭礼時に路傍に立てる行燈。)をつらねともすならはしなり。この地口といふは、土地の口あひといふことにて、たとへば地張きせる、地本繪冊子、地酒などの類、いづれもこの地といへるは、江戸をさしていふ詞なり。さてその行燈にかけるを、繪地口とて繪を專にして、まうづる人のあゆみながらよみてわかるをむねとするなり。豊芥藏弃(*石塚豊芥子の著述か。)の小冊に地口須天寶、鸚鵡盃、比言指南、地口春袋など、みな安永ごろの印本なり。その頃はやりしと見えたり。この地口にくさ〴〵のわかちあり。天神の手にて口をおさへたる繪にだまりの天神〔鉛の天神──割注〕、團子を三串かけるに團子十五〔三五十五なり。むかしは大かた五ツざしにて五文なりしを、四當錢出来てより、多くは四ツざしになりたり。──割注〕などいふはそのかみのさまをおもひやるべし。また繪を半もたせたるは、達磨大師の茶せん(*座禅)のすがた(*絵あり。)、ゑびたこかしく
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