増訂 十八史略講義 上
(曾先之編次、土田淡士亮講義、林英吉増訂『増訂十八史略講義』上
少年叢書漢文学講義 興文社 1903.2.8)
目録
増訂十八史略講義 卷之一 2
曾先之 編次
土田淡士亮 講義
林英吉 増訂
殷
殷王成湯ハ、子姓ナリ。名ハ履トイフ。其ノ先ヲ曰フレ契ト。帝嚳ノ子也。母ハ簡狄トイヒテ、有娀氏ノ女ナリ。見テ二玄鳥ノ墮スヲ一レ卵ヲ呑ミテレ之レヲ、生メリレ契ヲ。爲リテ二唐虞ノ司徒ト一、封ゼラレ二於商ニ一、賜ハリヌレ姓ヲ。傳ヘ二昭明、相士、昌若、曹圉ニ一、曰ヒレ振ト、曰ヒレ微ト、曰フ二報丁、報乙、報丙、主壬、主癸ト一。主癸ノ子ノ天乙、是レヲ爲スレ湯ト。始メテ居リレ亳ニ、從フ二先王ノ居ニ一。」
字解成湯殘を除き虐を去るを、湯と曰ひ、武功の成るを以て、成の字を加ふ。是れ王號にして、諡にはあらず。●唐虞唐は陶唐氏にして、堯をいひ、虞は有虞氏にして、舜をいふ。●司徒邦國の教育を掌りて、五常の典刑を敷き、億兆の人民を擾(なつ)くる官なり。●封各〃其の土に之(ゆ)くを封といふ。天子土地を以て臣下に賜ふことなり。●天乙湯の一名なり。●從フ二先王ノ居ニ一孔安國の曰はく、契の父帝嚳亳(はく)にキす。湯商丘より遷る。故に先王の居に從ふと曰ふと。
講義殷王成湯は、子といふ姓にて、名は履なり。其の先祖を契(せつ)と曰ふ。帝嚳の子にして、舜の朝の九官の一人なり。契の母簡狄は、有娀氏(いう、じう、し)の女なり。或る時玄鳥(つばくらめ)の卵を高き處より墮すを見て、拾ひて之れを呑みけるが、程なく契を生みしとぞ。契成長して堯舜二帝の朝に歴仕し、司徒の官と爲りて、封を商の地に受け、姓を子と賜はりぬ。それより昭明、相士、昌若、曹圉、冥、振、微、報丁、報乙、報丙、主壬、主癸の十二代を歴て、天乙に至る。即ち履なり。是れを湯と爲す。契より湯に至るまで、凡そ八たび居を遷し、終に帝嚳の舊キなる亳にかへり住めり。
使メ三人ヲシテ以テレ幣ヲ聘セ二伊尹ヲ于莘ニ一、進ム二之レヲ夏ノ桀ニ一。不レ用ヰ。尹復-二歸ス湯ニ一。桀殺ス二諌ムル者關龍逢ヲ一。湯使ム二人ヲシテ哭セ一レ之レヲ。桀怒リテ召シレ湯ヲ、囚フ二夏臺ニ一。已ニシテ而得タリレ釋サルヽコトヲ。」湯出ヅ。見ルレ有ルヲ下張リテ二網ヲ四面ニ一而祝スルモノ上レ之レヲ。從リレ天降リ、從リレ地出デ、從リ二四方一來ル者、皆罹レト二吾ガ網ニ一。湯ノ曰ハク、嘻、盡セリトレ之レヲ矣。乃チ解キテ二其ノ三面ヲ一、改メ祝シテ曰ハク、欲セバレ左セント左セヨ。欲セバレ右セント右セヨ。不ルレ用ヰレ命ヲ者ハ、入レト二吾ガ網ニ一。ゥ侯聞キテレ之レヲ曰ハク、湯ノコ至レリ矣。及ビヌト二禽獸ニ一。尹相トシテレ湯ニ伐チレ桀ヲ、放ツ二之レヲ南巣ニ一。ゥ侯尊ビテレ湯ヲ爲ス二天子ト一。」
字解
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