社會と自分
夏目漱石
(縮刷版 實業之日本社 1915.11.10)
※ 縮刷第卅版(1924.2.25)に拠った。
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縮刷に際して
「社會と自分」は大正元年の末に出版になつた私の講演集であるが、今度それを縮刷にしたいといふ事で、發行所から可否の照會があつたから、私は快よく許諾を與へた。
私の講演がもし大正元年に多少なりとも讀者の役に立つたとすれば、大正四年の今日になつても、同じ程度に於て、讀者の役に立つだらうといふ自信を、私は十分有つて居るのである。それは私が偉いといふ意味ではなく、私の説が三年や五年で時勢後れになるやうな際どい題目ばかりに打ち込まれて居ないからである。
大正四年十月
夏目金之助
序
此の集に收めた講演六篇のうち、初めの四種は去年八月中大阪朝日講演會のために拵らへたものである。頁數のキ合で、其の後に付け足した二種は、餘程以前に、ある特別の席上で述べたもので、舊稿として書架の隅にあつたのを、今度一獅ノ纒めたのである。是等の舊稿は雙方とも、もつと現在の自分の意に充つるやうに書き直したいのだけれど、其の暇がないので已むを得ず元の儘にして置いた。ことに「文藝の哲學的基礎」は、隨分六づかしい大問題を左も容易さうに、從つてある意味から見て、幾分か輕佻に、講じ去つた趣があるので、自分は甚だ遺憾に思つて居る。「創作家の態度」でも、今日の文壇と關聯して、もう少し剴切に讀者の頭に響くやうに書き改めたいのだけれども、前同樣の譯で仕方がない。
此の講演集の名を講演集としないで、「社會と自分」としたのは、何れの講演も其の主意を抽象して引き括れば、要するに皆社會對自分の關係を研究したものに過ぎないからである。
大正元年十二月
夏目漱石
目次
社會と自分
夏目漱石
道樂と職業
―明治四十四年八月明石に於て述―
唯今は牧君の滿洲問題(*牧巻次郎「満州問題」)―滿洲の過去と滿洲の未來といふやうな問題に就いて大變條理の明かな、さうして秩序のよい演説がありました。そこで牧君の披露に依ると、其のあとへ出る私は一段と面白い話をするといふやうになつて居るが、なか/\牧君のやうに旨く出來ませぬ。特に秩序が無からうと思ふ。唯今本社の人が明日の新聞に出すんだから、講演の梗概を二十行ばかりにつゞめて書けといふ註文でしたが、それは書けないと言つて斷つた位です。それぢやア饒舌らないかといふと現に斯うやつて饒舌りつゝある。饒舌る事はあるのですが、秩序とか何とか云ふ事がハツキリ句切りが附いて頭に疊み込んでありませぬから、或は前後したり、混雜したり、いろ/\お聽きにくい所があるだらうと思ひます。特にあなた方の頭も大分勞れておいでゞせうから、先づ成るべく短かく申さうと思ふ。
私の申すのは少しもむづかしいことではありません。滿洲とか安南とかいふ對外問題とは違つて極やさしい「道樂と職業」といふ至極簡單なみだしです。内容も從つて簡單なものであります。まあそれを一寸僅かばかり御話をしようと思ふ。
元來こんな所へ來て講演をしようなどゝは全く思ひもよらぬことでありましたが、「是非出て來い」と斯ういふ譯で、それでは何か問題を考へなければならぬから其の問題を考へる時間を與へて呉れと言ひましたら、社の方では宜しいと云つて相應の日子を與へて呉れました。ですから考へて來ないといふことも言へず、出て來ないといふことも無論言へず、それでとうとう此所へ現はれる事になりました。けれども明石といふ所は、海水浴をやる土地とは知つて居ましたが、演説をやる所とは、昨夜到着するまでも知りませんでした。どうしてあゝいふ所で講演會を開く積りか、一寸其の意を得るに苦しんだ位であります。ところが來て見ると非常に大きな建物があつて、彼處で講演をやるのだと人からヘへられて始めて尤もだと思ひました。成程あれ程の建物を造れば其の中で講演をする人を何處からか呼ばなければ所謂寶の持腐れになる許でありませう。從つて西日がカン/\照つて暑くはあるが、折角の建物に對しても、あなた方は來て見る必要があり、又我々は講演をする義務があるとでも言はうか、あアあるものとして此の壇上に立つた譯である。
そこで「道樂と職業」といふ題、道樂と云ひますと、惡い意味に取るとお酒を飮んだり、又は何か花柳社會へ入つたりする、俗に道樂息子と云ひますね、あゝいふ息子のする仕業、それを形容して道樂といふ。けれども私の此處で云ふ道樂は、そんな狹い意味で使ふのではない、もう少し廣く應用の利く道樂である。善い意味、善い意味の道樂といふ字が使へるか使へないか、それは知りませぬが、段々話して行く中に分るだらうと思ふ。若し使へなかつたら惡い意味にすればそれで宜いのであります。
道樂と職業、一方に道樂といふ字を置いて、一方に職業といふ字を置いたのは、丁度東と西といふやうなもので、南北或は水火、つまり道樂と職業が相鬪ふ所を話さうと、斯ういふ譯である。即ち道樂と職業といふものは、どういふやうに關係して、どういふやうに食ひ違つて居るかといふことを先づ話して――尤も其の道樂も職業も、既に御承知のあなた方にさういふ事を言ふ必要もなし、私も強ひてやりたくはないが、併し前申した樣な譯でわざ/\出て來たものだから、そこはあなた方に既に御分りになつて居る程度以上に、一歩でももう少し明かに分らせることが、私の力で出來れば夫で私の役目は濟んだものと内々高を括つてゐるのであります。
夫で我々は一口によく職業と云ひますが、私此の間も人に話したのですが、日本に今職業が何種類あつて、それが昔に比べてどの位の數に殖えて居るかといふことを知つて居る人は、恐らく無いだらうと思ふ。現今の世の中では職業の數は煩雜になつて居る。私は曾て大學に職業學といふ講座を設けてはどうかといふことを考へた事がある。建議しやしませぬが、唯考へたことがあるのです。何故だといふと、多くの學生が大學を出る。最高等のヘ育の府を出る。勿論天下の秀才が出るものと假定しまして、さうして其の秀才が出てから何をして居るかといふと、何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩迄捜して歩いて居る。天下の秀才を何かないか何かないかと血眼にさせて遊ばせて置くのは不經濟の話で、一日遊ばせて置けば一日の損である。二日遊ばせて置けば二日の損である。殊に昨今の樣に米價の高い時は尚更の損である。一日も早く職業を與へれば、父兄も安心するし當人も安心する。國家社會も夫丈利uを受ける。それで四方八方良いことだらけになるのであるけれども、其の秀才が夢中に奔走して汗をダラ/\垂らしながら捜して居るにも拘らず、所謂職業といふものが餘り無いやうです。餘り所かなか/\無い。今言ふ通り天下に職業の種類が何百何種何千種あるか分らない位分布配列されてゐるに拘らず、何處へでも融通が利くべき筈の秀才が懸命に馳け廻つてゐるにも拘らず、自分の生命を託すべき職業がなか/\無い。三箇月も四箇月も遊んで居る人があるので是は氣の毒だと思ふと、豈計らんや既に一年も二年もボンヤリして下宿に入つて爲すこともなく暮して居るものがある。現に私の知つて居る者のうちで、一年以上も下宿に立て籠つて、未だに下宿料を一文も拂はないで茫然としてゐる男がある。尤も下宿の方でも信用して居るから貸して置くし、當人もどうかなるだらうと思つて安心はして居るらしいが國家の經濟からいふと隨分馬鹿氣た話であります。私も多少知つて居る間柄だから氣の毒に思つて、職業は無いか職業は無いか位人に尋ねて見るが、何處にもさう云ふ口が轉がつてゐないので殘念ながらまだ其の儘になつてゐます。けれども今言ふ通り職業の種類が何百通りもあるのだから、理窟から云へば何處かへ打付かつて然るべき筈だと思ふのです。丁度嫁を貰ふやうなもので自分の嫁は何處かにあるに極つてるし、又向うでも捜して居るのは明らかな話しだが、つい旨く行かないと何時迄も結婚が後れて仕舞ふ。それと同じでいくら秀才でも職業に打付からなければ仕樣がないのでせう。だから大學に職業學といふ講座があつて、職業は學理的にどういふやうに發展するものである、又どういふ時世にはどんな職業が自然の進化の原則として出て來るものである、と一々明細に説明してやつて、例へば東京市の地圖が牛込區とか小石川區とか何區とかハツキリ分つてるやうに、職業の分化發展の意味も區域も盛衰も一目の下に瞭然會得出來るやうな仕掛にして、さうして自分の好きな所へ飛び込ましたら洵に便利ぢやないかと思ふ。まあ之は空想です。實際やつて見ないから分らぬが、恐らく出來ますまい。出來たら宜からうと思ふ丈です。非常に經濟なことにはなるでせう。
斯んな考を起す程に私は今の日本に職業が非常に澤山あるし、又其の職業が混亂錯雜してゐる樣に思ふのです。現に此の間も往來を通つたら妙な商賣がありました。それは家とか土藏とかを引きずつて行くといふ商賣なんだから私は驚いたのであります。此の公會堂を此の儘他の場所へ持つて行くといふ商賣です。いくら東京に市區改正が激しく行はれたつて、さう毎年建てたばかりの家の位置を動かさなければならぬといふやうに變化して居やアしない。現に私の家などは建つた時から今日まで市區改正に掛らずに居る。餘程邊鄙な所にあるのだからでせう。けれども縱令繁華な所に居たつて、さう始終家を引ツ張ツてツて貰はなければならぬといふ人はない。然るにそれを專門に商賣にして居る者があるから、東京は廣いと思つたのです。馬琴の小説には耳の垢取り長官とか云ふ人がゐますが、他の耳垢を取る事を職業にでもしてゐたのでせうか。西洋には爪を綺麗に掃除したり恰好をよくするといふ商賣があります。近頃日本でも美顏術といつて顏の垢を吸出して見たり、クリームを塗抹して見たりいろ/\の化粧をしてくれる專門家が出て來ましたが、あゝいふ商賣は恐らく昔はないのでせう。今日のやうに職業が芋の蔓見たやうに夫から夫へと延びて行つていろ/\種類が殖えなければ、美顏術などといふ細かな商賣は存在が出來なからうと思ふ。尤も昔は却つて今にない商賣がありました。私の幼少の時は「柳の蟲や赤蛙」(*虫下しの類の行商か。『守貞謾稿』に見えるという。『猫』にも言及あり。)などと云つて賣りに來た。何にしたものか今はたゞ賣聲丈覺えてゐます。それから「いたづらものは居ないかな」と云つて、旗を擔いで往來を歩いて來たのもありました。子供の時分ですから其の聲を聞くと、ホラ來たと云つて逃げたものである。よく/\聞いて見ると鼠取りの藥を賣りに來たのださうです。鼠のいたづらもので人間のいたづらものではないといふのでやつと安心した位のものである。そんな妙な商賣は近頃頓と無くなりましたが、締括つた總體の高から云へば、どうも今日の方が職業といふものは餘程多いだらうと思ふ。單に職業に變化があるばかりでなく、細かくなつて居る。現に唐物屋といふものは此の間迄何でも賣つて居た。襟とか襟飾りとか或はズボン下、靴足袋、傘、靴、大抵なものがありました。身體へ附ける一切の舶來品を賣つて居たと云つても差支ない。所が近頃になるとそれが變つてシヤツ屋はシヤツ屋の專門が出來る、傘屋は傘屋、靴屋や靴屋とちやんと分れて仕舞ひました。靴足袋屋……是れはまだ專門は出來ないやうだが、今に出來るだらうと思ひます。現に日本の足袋屋は專門になつてゐます。十文のを呉れと云へば十文のを呉れる、十一文のを呉れろと云へば十一文のを呉れる。私が演説をョまれて即席に引受けないのは、足袋屋みたいに一寸出來合ひがないからです。どうか十文の講演をやつて呉れ、彼處は十一文甲高の講演でなければ困る抔と註文される。其の位に私が演説の專門家になつて居れば譯はありませんが、私の御手際は夫程專門的に發達してゐない。素人が義理に東京から態々明石邊までやつて來るといふ位の話でありますから、なかなかさう旨くはいきませぬ。足袋屋は偖置いて食物屋の方でもチヤンとした專門家があります。例へば牛肉も鳥の肉も食はせる所があるかと思ふと、牛肉ばかりの家があるし、又鳥の肉でなければ食はせないといふ家もある。或はそれが一段細かくなつて家鴨より外に食はせない店もある。しまひには鳥の爪だけ食はせる所とか牛の肝臟だけ料理する家が出來るかも知れない。分れて行けば何處まで行くか分りません。こんなに劇しい世間だから仕舞ひには大變なことになるだらうと思ふ。兎に角職業は開化が進むにつれて非常に多くなつて居ることが驚くばかり眼につくやうです。所が是れは當り前のことで學問の研究の上から世の中の變化とでも云ひませうか、漠然たる社會の傾向とでも云ひませうか、必然の勢さういふ樣に分れて細かになつて來るのであります。是れは何も私の發明した事實でも何でもない、昔から人の言つて居ることであります。昔の職業といふものは大まかで、何でも含んで居る。丁度田舍の呉服屋みたいに、反物を賣つて居るかと思ふと傘を賣つて居つたり油も賣るといふ、何屋だか分らぬ萬事一切を賣る家といふやうなものであつたのが、段々專門的に傾いていろ/\に分れる末は、殆ど想像が附かない所迄細かに延びて行くのが一般の有樣と云つて差支ないでせう。
所で此の事實をずつと想像に訴へて遠い過去に溯つたらどうなるでせう。或は想像でも溯れないかも知れないけれども、此の事實の中に含まれてゐる論理の力で後の方へ逆行したらどんなものでせう。今言ふ通り昔は商賣といふものの數が少なかつた。職業の數が少なくつて、世間の人も其の僅かな商賣を以て滿足して居つたといふ譯なのだから、或は傘を買ひに行つても傘がない、衣物を買ひに行つても衣物がないといふ時代がないとも限らない。私は曾て熊本に居りましたが、或る時灰吹を買ひに行つたことがある。所が灰吹はないと云ふ。熊本中何處を尋ねても無いかと云つたら無いだらうと云ふ。ぢや熊本では煙草を喫まないか痰を吐かないかといふと現に煙草を喫んで居る。それでは灰吹はどうするんだと聞くと、裏の籔へ行つて竹を伐つて來て拵へるんだとヘへて呉れた。裏の籔から伐つて來て、竹の灰吹で間に合はして置けば宜いと思つてゐる所では灰吹は賣れない譯である。從つて賣つてゐる筈がないのである。さういふ風に自分で人の厄介にならずに裏の籔へ行つて竹を伐つて灰吹を造る如く、人のお世話にならないで自分の身の圍りを成るべく多く足す、又足さなければならない時代があつたものでせう。偖其の事實を極端まで辿つて行くと、一切萬事自分の生活に關した事は衣食住とも如何なる方面にせよ、人のお蔭を被らないで自分丈で用を辨じて居つた時期があり得るといふ推測になる。人間がたつた一人で世の中に存在して居るといふことは殆ど想像も出來ないかも知れないし、又其處まで論理をョりに推詰めて考へる必要もない話ですが、其處まで行かないと一寸講話にならないから、まあさうして置くのです。即ち誰のお世話にもならないで人間が存在してゐたといふ時代を思ひ浮べて見る。例へば私が此の着物を自分で織つて、此の襟を自分で拵へて、總て自分だけで用を辨じて、何も人のお世話にならないといふ時期があつたとする。又有つたとしても宜いでせう。さういふ時期が何時かあつたらどうするといふ意味ではないが、まああると假定して御覽なさい。さうしたらさういふ時期こそ本統の獨立獨行といふ言葉の適當に使へる時期ぢやないでせうか。人から月給を貰ふ心配もなければ朝起きて人にお早うと言はなければ機嫌が惡いといふ苦勞もない。生活上寸毫も(*ママ)人の厄介にならずに暮して行くのだから平氣なものである。人に些とも迷惑を掛けないし、又人に聊かの恩義も受けないで濟むのだから、是れ程キ合の好いことはない。さういふ人が本統の意味で獨立した人間と謂はなければならないでせう。實際我々は時勢の必要上さうは行かない樣なものゝ腹の中では人の世話にならないでどこ迄も一本立で遣つて行きたいと思つてゐるのだから詰りはこんな太古の人を一面には理想として生きてゐるのである。けれども事實已むを得ない、仕方がないから先づ衣物を着る時には呉服屋の厄介になり、お菜を拵へる時には豆腐屋の厄介になる。米も自分で搗くよりも人の搗いたのを買ふといふことになる。其の代りに自分は自分で米を搗き自分で着物を織ると同程度の或る專門的の事を人に向つてしつゝあるといふ譯になる。私は未だ曾て衣物を織つたこともなければ、靴足袋を縫つたこともないけれども、自ら縫はぬ靴足袋、或は自ら織らぬ衣物の代りに新聞へ下らぬ事を書くとか、或は斯ういふ所へ出て來てお話をするとかして埋合せを付けて居るのです。私ばかりぢやない、誰でもさうです。すると此の一歩專門的になるといふのは外の意味でも何でもない、即ち自分の力に餘りある所、即ち人よりも自分が一段と抽んでゝ居る點に向つて人よりも仕事を一倍して、其の一倍の報酬に自分に不足した所を人から自分に仕向けて貰つて相互の平均を保ちつゝ生活を持續するといふ事に歸着する譯であります。それを極難しい形式に現はすといふと、自分の爲にする事は即ち人の爲にすることだと云ふ哲理をほのめかしたやうな文句になる。是れでもまだ一寸分らないなら、それをもつと數學的に言ひ現はしますと、己の爲にする仕事の分量は人の爲にする仕事の分量と同じであるといふ方程式が立つのであります。人の爲にする分量即ち己の爲にする分量であるから、人の爲にする分量が少ない程自分の爲にはならない結果を生ずるのは自然の理であります。之に反して人の爲になる仕事を餘計すればする程、それだけ己の爲になるのも亦明かな因縁であります。此の關係を最も簡單に且明瞭に現はして居るのは金ですな。つまり私が月給を拾五圓方人に對する勞力を費す、さうして拾五圓現金で入れば即ち其の拾五圓は己の爲になる拾五圓に過ぎない。同じ譯で人の爲に千圓の働きが出來れば、己の爲にも千圓使ふことが出來るのだから誠に結構なことで、ゥ君も成るべく縁oして人の爲にお働きになればなる程、自分にもu々贅澤の出來る餘裕を御作りになると變りはないから、成る可く人の爲に働く分別をなさるが(*原文「か」)宜しからうと思ふ。
尤も自分の爲になると云つても爲になり方は種々ある。第一其の中から税抔を拂はなければならない。税を出して人に月給をやつたり、巡査を雇つて置いたり、或は國務大臣を馬車に乘せてやつたりする。尤も一人ぢやア是丈の事は出來ませぬ、我々大勢で金を出してやるのですが、畢竟するにあの税抔も矢張自分の爲に出すのです。國務大臣が馬車や自動車に乘つて怪しからんと言つたつて夫は野暮の云ふ事です。我々が税を出して乘らして置いてやるので國務大臣の爲ぢやない、つまり己の爲だと思へば間違はない。だから時々自動車ぐらゐ借りに行つても宜からうと思ふ。税は其の位にして此の外己の爲にするものは衣食住と他の贅澤費になります。それを合算するとつまり銀行の帳簿の樣に收入と支出と平均します。即ち人の爲にする仕事の分量は取りも直さず己の爲にする仕事の分量といふ方程式がちやんと數字の上に現はれて參ります。尤も吝で蓄めて居る奴があるかも知れないが、是は例外である。例外であるが蓄めて居ればそれだけの勞力といふものを後へ繰越すのだから、矢張り同じ理窟になります。よく彼奴は遊んで居て憎らしいとか、又はごろ/\してゐて羨しいとか金持の評判をする樣ですが、抑も人間は遊んで居て食べる譯のものではない。遊んで居るやうに見えるのは懷にある金が働いて呉れて居るからのことで、其の金といふものは人の爲にする事なしにたゞ遊んで居て出來たものではない。親父が額に汗を出した記念だとか或は婆さんの臍繰だとか中には因縁付きの惡い金もありませうけれども、兎に角何等か人の爲にした符徴、人の爲にしてやつた其の報酬といふものが、つまり自分の金になつて、さうして自分は其のお蔭でもつて懷手をして遊んで居られるといふ譯でせう。職業の性質といふものはまあざつと斯んなものです。
そこでネ、人の爲にするといふ意味を間違へてはいけませんよ。人をヘ育するとか導くとか艶_的に又道義的に働きかけて其の人の爲になるといふ事だと解釋されると一寸困るのです。人の爲にといふのは、人の言ふが儘にとか欲するが儘にといふ所謂卑俗の意味で、もつと手短かに述べれば人の御機嫌を取ればと云ふ位の事に過ぎんのです。人にお世辭を使へばと云ひ變へても差支ない位のものです。だから御覽なさい、世の中にはコ義的に觀察すると隨分怪しからぬと思ふやうな職業がありませう。しかも其の怪しからぬと思ふやうな職業を渡世にしてゐる奴は我々よりは餘程えらい生活をして居るのがあります。然し一面から云へば怪しからぬにせよ、道コ問題として見れば不埒にもせよ、事實の上から云へば最も人の爲になることをして居るから、それが又最も己の爲になつて、最も贅澤を極めて居ると言はなければならぬのです。道コ問題ぢやない事實問題である。現に藝妓といふやうなものは、私は餘り關係しないからして奄オいことは知らんけれども兎に角一流の藝妓か何とかになると一寸指環を買ふのでも千圓とか五百圓といふ高價なものゝ中から選取をして餘裕があるやうに見える。私は今茲にニツケルの時計しか持つて居らぬ。高尚な意味で云つたら藝妓よりも私の方が人の爲にする事が多くはないだらうかといふ疑もあるが、どうも藝妓ほど人の氣に入らない事も亦慥からしい。つまり藝妓は有コな人だからあゝ云ふ贅澤が出來る、いくら學問があつてもコの無い人間、人に好かれない人間といふものは、ニツケルの時計ぐらゐ持つて我慢して居るより外仕方がないといふ結論に落ちて來る。だから私のいふ人の爲にするといふ意味は、一般の人の弱點嗜好に投ずると云ふ大きな意味で、小さい道コ――道コは小さくありませぬが、先づ事實の一部分に過ぎないのだから小さいと云つても差支ないでせう。さう云ふ高尚ではあるが偏狹な意味で人の爲にするといふのではなく、天然の事實其のものを引きくるめて、何でも蚊でも人に歡迎されるといふ意味の「爲にする」仕事を指したのであります。
そこで職業上に於ける己の爲人の爲と云ふ事は以上の樣に御記憶を願つて置いて、話が又後戻りをする恐れがあるかも知れぬが、前申した通り人文發達の順序として職業が大變分れて細かくなると妙な結果を我々に與へるものだから其の結果を一口御話をしてさうして先へ進みたいと思ひます。私の見る所によると職業の分化錯綜から我々の受ける影響は種々ありませうが、其の内に見逃す事の出來ない一種妙なものがあります。といふのは外でもないが開化の潮流が進めば進む程、又職業の性質が分れゝば分れる程、我々は片輪な人間になつて仕舞ふといふ妙な現象が起るのである。言ひ換へると自分の商賣が次第に專門的に傾いて來る上に、生存競爭の爲に、人一倍の仕事で濟んだものが二倍三倍乃至四倍と段々速力を早めて逐付かなければ(*原文「逐付かなれば」)ならないから、其の方だけに時間と根氣を費しがちであると同時に、お隣りの事や一軒置いたお隣りの事が皆目分らなくなつて仕舞ふのであります。斯ういふやうに人間が千筋も萬筋もある職業線の上のたゞ一線しか往來しないで濟む樣になり、又他の線へ移る餘裕がなくなるのはつまり吾人の社會的知識が狹く細く切り詰められるので、恰も自ら好んで不具になると同じ結果だから、大きく云へば現代の文明は完全な人間を日に/\片輪者に打崩しつゝ進むのだと評しても差支ないのであります。極の野蠻時代で人のお世話には全くならず、自分で身に纒ふものを捜し出し、自分で井戸を掘つて水を飮み、又自分で木の實か何かを拾つて食つて、不自由なく、不足なく、不足があるにしても苦しい顏もせずに我慢をして居れば、それこそ萬事人に待つ所なき點に於て、又生活上の知識を一切自分に備へたる點に於て完全な人間と云はなければなりますまい。所が今の社會では人のお世話にならないで、一人前に暮らして居る者は何所をどう尋ねたつて一人もない。此の意味からして皆不完全なもの許である。のみならず自分の專門は、日に月に、年には無論のこと、たゞ狹く細くなつて行きさへすれば夫で濟むのである。丁度針で掘拔井戸を作るとでも形容して然るべき有樣になつて行くばかりです。何商賣を例に取つても説明に出來ますが、此の状態を最も能く證明して居るものは專門學者等だらうと思ひます。昔の學者は凡ての知識を自分一人で脊負つて立つた樣に見えますが、今の學者は自分の研究以外には何も知らない私が前申した意味の不具が揃つてゐるのであります。私の樣な者でも世間ではたまに學者扱にして呉れますが、さうすると矢張り不具の一人であります。成程私などは不具に違ない。どうも些とも普通のことを知らない。區役所へ出す轉居屆の書き方も分らなければ、地面を賣るにはどんな手續をしていゝかさへ分らない。綿は綿の木のどんな所をどうして拵へるかも解し得ない。玉子豆腐はどうして出來るか是れ亦不明である。食ふことは知つて居るが拵へることは全く知らない。其の他味醂にしろ、醤油にしろ、何にしろ蚊にしろ凡て知らないことだらけである。知識の上に於て非常な不具と云はねばなりますまい。けれども凡てを知らない代りに一ケ所か二ケ所人より知つて居ることがある。さうして生活の時間をたゞ其方面にばかり使つたものだから、完全な人間をu々遠ざかつて、實に突飛なものになり終せて(*ママ)仕舞ひました。私ばかりではない、かの博士とか何とか云ふものも同樣であります。あなた方は博士と云ふとゥ事萬端人間一切天地宇宙の事を皆知つて居るやうに思ふかも知れないが全く其の反對で、實は不具の不具の最も不具な發達を遂げたものが博士になるのです。それだから私は博士を斷りました。「拍手起る」併しあなた方は――手を叩いたつて駄目です。現に博士といふ名に胡魔化されて居るのだから駄目です。例へば明石なら明石に醫學博士が開業する、片方に醫學士があるとする。さうすると醫學博士の方へ行くでせう。いくら手を叩いたつて仕方がない、胡魔化されるのです。内情を御話すれば博士の研究の多くは針の先きで井戸を掘るやうな仕事をするのです。深いことは深い。掘拔きだから深いことは深いが、如何せん面積が非常に狹い。それを世間では凡ての方面に深い研究を積んだもの、全體の知識が萬遍なく行き渡つてゐると誤解して信用を置きすぎるのです。現に博士論文と云ふのを見ると存外細かな題目を捕へて、自分以外には興味もなければ知識もない樣な事項を穿鑿してゐるのが大分あるらしく思はれます。所が世間に向つては唯醫學博士、文學博士、法學博士として通つてゐるから恰も總ての知識を有つて居るかの樣に解釋される。あれは文部省が惡いのかも知れない。虎列剌病博士とか腸窒扶斯博士とか赤痢博士とかもつと判然と領分を明らかにした方が善くはないかと思ふ。肺病患者が赤痢の論文を出して博士になつた醫者の所へ行つたつて差支はないが、其の人に博士たる名譽を與へたのは肺病とは沒交渉の赤痢であつて見れば、單に博士の名で肺病を擔ぎ込んでは勘違になるかも知れない。博士の事は其の位にしてたゞ以上をかい撮んで云ふと、吾人は開化の潮流に押し流されて日に/\不具になりつゝあるといふことだけは確かでせう。それを外の言葉でいふと自分一人では迚も生きて居られない人間になりつゝあるのである。自分の專門にして居ることに掛けては、不具的に非常に深いかも知れぬが、其の代り一般的の事物に就ては、大變に知識が缺乏した妙な變人ばかり出來つゝあるといふ意味です。
私は職業上己の爲とか人の爲とか云ふ言葉から出立して其の先へ進む筈の所をツイわき道へそれて職業上の片輪といふ事を御話しゝ出したから、序に其の片輪の處置について一言申上げて、又己の爲人の爲の本論に立ち歸りたい。順序の亂れるのは口に驅られる講演の常として御許しを願ひます。
そこで世の中では――ことに昔の道コ觀や昔堅氣の親の意見や又は一般世間の信用などから云ひますと、あの人は家業に奄出す、感心だと云つて賞めそやします。所謂家業に奄出す感心な人といふのは取も直さず眞Kになつて働いて居る一般的の知識の缺乏した人間に過ぎないのだから面白い。露骨に云へば自ら進んで不具になるやうな人間を世の中では賞めて居るのです。それは兎に角として現今のやうに各自の職業が細く深くなつて知識や興味の面積が日に/\狹められて(*ママ)行くならば、吾人は表面上社會的共同生活を營んでゐるとは申しながら、其の實銘々孤立して山の中に立て籠つてゐると一般で、隣合せに居を卜して居ながら心は天涯に懸け離れて暮して居るとでも評するより外に仕方が無い有樣に陷つて來ます。是れでは相互を了解する知識も同情も起り樣がなく、折角かたまつて生きて居ても内部の生活は寧ろバラ/\で何の連鎖もない。丁度乾涸びた糒(*ママ)の樣なもので一粒々々に孤立してゐるのだから根ツから面白くないでせう。人間の職業が專門的になつて又各々自分の專門に頭を突込んで少しでも外面を見渡す餘裕がなくなると當面の事以外は何も分らなくなる。又分らせようといふ興味も出て來にくい。夫で差支ないと云へば夫迄であるが、現に家業には幾ら薗ハしても又幾ら勉強しても夫許ぢやどこか不足な訴が内部から萠して來て何となく十分に人間的な心持が味へないのだから已むを得ない。從つて此の孤立支離の弊を何とかして矯めなければならなくなる。夫を矯める方法を御話しする爲に態々此の壇上に現はれたのではないから詳しい事は述べませんが、又述べるにした所で大體は既にゥ君も御承知の事であるが、まあ物の序だから一言それに觸れて置きませう。既に個々介立の弊が相互の知識の缺乏と同情の稀薄から起つたとすれば、我々は自分の家業商賣に逐はれて日も亦足らぬ時間しか有たない身分であるにも拘はらず、其の乏しい餘裕を割いて一般の人間を廣く了解し又之に同情し得る程度に互の温味を釀す法を講じなければならない。夫には斯ういふ公會堂の樣なものを作つて時々講演者などを聘して知識上の啓發を圖るのも便法でありますし、又さう智的の方面ばかりでは窮屈すぎるから、所謂社交機關を利用して、互の歡情を罄すのも良法でありませう。時としては方便の道具として酒や女を用ひても好い位のものでせう。實業家などが六づかしい相談をするのに却つて見當違の待合などで落合つて要領を得てゐるのも、全く酒色といふ人間の窮屈を融かし合ふ機械の具つた場所で、其の影響の下に角の取れた同情のある人間らしい心持で相互に處置が出來るからだらうと思ひます。現に事が纒ると云ふ實用上の言葉が人間として彼我打ち解けた非實用の快感状態から出立しなければならないのでも分りませう。斯う云ふと私が酒や女を無暗に推薦する樣で一寸可笑しいが、私の申上げる主意はたとひ弊害の多い酒や女や待合などが交際の機關として上流の人に用ひられるのでも、人間は個々別々に孤立して互の融和同情を眼中に置かず、たゞ自家專門の職業にのみ腐心しては居られないものだと云ふ例に御話した位のものであります。本來を云ふと私はさう云ふ社交機關よりも、ゥ君が本業に費やす時間以外の餘裕を擧げて文學書を御讀みにならん事を希望するのであります。是れは我が田へ水を引く樣な議論にも見えますが、元來文學上の書物は專門的の述作ではない。多く一般の人間に共通な點に就て批評なり敍述なり試みたものであるから、職業の如何に拘はらず階級の如何に拘はらず赤裸々の人間を赤裸々に結び付けて、さうして凡ての他の墻壁を打破するものでありますから、吾人が人間として相互に結び付く爲には最も立派で又最も弊の少ない機關だと思はれるのです。少くとも藝妓を上げて酒を飮んだと同等以上の效果がありさうに思はれるのであります。あなた方も斯ういふ公會堂へわざわざ此の暑いのに集まつて、私のやうな者の言ふことを默つて聽くやうな勇氣があるのだから、さう云ふ樂な時間を利用して少し御讀みになつたら如何だらうと申したいのです。職業が細かくなり又忙がしくなる結果我々が不具になるが、夫はどうして矯正するかといふ問題はまづ此の位にして、此の講演の冒頭に述べた己の爲とか人の爲とかいふ議論に立ち歸つて其の約りを付けて此の講演を結びたいと思ひます。
それで前申した己の爲にするとか人の爲にするとかいふ見地からして職業を觀察すると、職業といふものは要するに人の爲にするものだといふ事に、どうしても根本義を置かなければなりません。人の爲にする結果が己の爲になるのだから、元はどうしても他人本位である。既に他人本位であるからには種類の選擇分量の多少凡て他を目安にして働かなければならない。要するに取捨興廢の權威共に自己の手中にはない事になる。從つて自分が最上と思ふ製作を世間に勸めて世間は一向顧みなかつたり自分は心持が好くないので休みたくても世間は平日の如く要求を恣にしたり凡て己を曲げて人に從はなくては商賣にはならない。この自己を曲げるといふ事は成功には大切であるが心理的には甚だ厭なものである。就中最も厭なものは如何な好な道でもある程度以上に強ひられて其の性質が次第に嫌惡に變化する時にある。所が職業とか專門とかいふものは前申す通り自分の需用以上其の方面に働いてさうして其の自分に不要な部分を擧げて他の使用に供するのが目的であるから、自己を本位にして云へば當初から不必要でもあり厭でもある事を強ひて遣るといふ意味である。よく人が商賣となると何でも厭になるものだと云ひますが其の厭になる理由は全く之が爲なのです。苟も道樂である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違ないが、其の道樂が職業と變化する刹那に今迄自己にあつた權威が突然他人の手に移るから快樂が忽ち苦痛になるのは已むを得ない。打ち明けた御話が己の爲にすればこそ好なので人の爲にしなければならぬ義務を括り付けられゝば何うしたつて面白くは行かないに極つてゐます。元來己を捨てるといふことは、道樂から云へばやむを得ず(*原文「をやむ得ず」)不コも犯さうし、知識から云へば己の程度を下げて無知な事も云はうし、人情から云へば己の義理を低くして阿漕な仕打もしようし、趣味から云へば己の藝術眼を下げて下劣な好尚に投じようし、十中八九の場合惡い方に傾き易いから困るのである。例へば新聞を拵へて見ても、あまり下品な事は書かない方が宜いと思ひながら既に商賣であれば販賣の形勢から考へ營業の成立する位には俗衆の御機嫌を取らなければ立ち行かない。要するに職業と名のつく以上は趣味でもコ義でも知識でも凡て一般社會が本尊になつて自分は此の本尊の鼻息(*ママ)を伺つて生活するが自然の理である。
たゞ茲にどうしても他人本位では成立たない職業があります。それは科學者哲學者もしくは藝術家の樣なもので、是等はまあ特別の一階級とでも見做すより外に仕方がないのです。哲學者とか科學者といふものは直接世間の實生活に關係の遠い方面をのみ研究してゐるのだから、世の中に氣に入らうとしたつて氣に入れる(*ママ)譯でもなし、世の中でも是等の人の態度如何で其の研究を買つたり買はなかつたりする事も極めて少ないには違ないけれども、あゝ云ふ種類の人が物好きに(*原文「物好ぎに」)實驗室(*ママ)へ入つて朝から晩まで仕事をしたり、又は書齋に閉ぢ籠つて深い考に沈んだりして萬事を等閑に附してゐる有樣を見ると、世の中にあれ程己の爲にして居るものはないだらうと思はずにはゐられない位です。それから藝術家もさうです。かうもしたらもつと評判が好くなるだらう、あゝもしたらまだ活計向の助けになるだらうと傍の者から見れば種々忠告のしたい所もあるが、本人は決してそんな策略はない、たゞ自分の好な時に好なものを描いたり作つたりする丈である。尤も當人が既に人間であつて相應に物質的嗜欲のあるのは無論だから多少世間と折合つて歩調を改める事がないでもないが、まあ大體から云ふと自我中心で、極く卑近の意味の道コから云へば是れ程我儘のものはない、是れ程道樂なものはない位です。既に御話をした通り凡そ職業として成立する爲には何か人の爲にする、即ち世の嗜好に投ずると一般の御機嫌を取る所がなければならないのだが、本來から云ふと道樂本位の科學者とか哲學者とか又藝術家とかいふものは其の立場からして既に職業の性質を失つてゐると云はなければならない。實際今の世で彼等は名前には職業として存在するが實質の上では殆んど職業として認められない程割に合はない報酬を受けてゐるので此の邊の消息(*原文「海消」)はよく分るでせう。現に科學者哲學者抔は直接世間と取引しては食つて行けないから大抵は政府の保護の下に大學ヘ授とか何とかいふ役になつてやつと露命をつないで居る。藝術家でも時に容れられず世から顧みられないで自然本位を押し通す人は隨分慘澹たる境遇に沈淪してゐるものが多いのです。御承知の大雅堂でも今でこそ大した畫工であるが其の當時毫も世間向の畫をかゝなかつた爲に生涯眞葛が原の陋居に潛んで丸で乞食と同じ一生を送りました。佛蘭西のミレーも生きてゐる間は常に物質的の窮乏に苦しめられてゐました。又是れは個人の例ではないが日本の昔に盛んであつた禪僧の修行抔と云ふものは極端な自然本位の道樂生活であります。彼等は見性のため究眞のため凡てを抛つて坐禪の工夫をします。默然と坐してゐる事が何で人の爲になりませう。善い意味にも惡い意味にも世間とは沒交渉である點から見て彼等禪僧は立派な道樂者であります。從つて其の苦行難行に對して世間から何等の物質的報酬を得てゐません。麻の法衣を着て麥のを食つて飽く迄道を求めてゐました。要するに原理は簡單で、物質的に人の爲にする分量が多ければ多い程物質的に己の爲になり、艶_的に己の爲にすればする程物質的には己の不爲になるのであります。
以上申し上げた科學者哲學者もしくは藝術家の類が職業として優に存在し得るかは疑問として、是は自己本位でなければ到底成功しないことだけは明かな樣であります。何故なれば是等が人の爲にすると己といふものは無くなつて仕舞ふからであります。ことに藝術家で己の無い藝術家は蝉の脱殻同然で、殆ど役に立たない。自分に氣の乘つた作が出來なくてたゞ人に迎へられたい一心で遣る仕事には自己といふ艶_が籠る筈がない。凡てが借り物になつて魂の宿る餘地がなくなる許です。私は藝術家と云ふ程のものでもないが、まあ文學上の述作をやつて居るから矢張り此の種類に屬する人間と云つて差支ないでせう。しかも何か書いて生活費を取つて食つて居るのです。手短かに云へば文學を職業としてゐるのです。けれども私が文學を職業とするのは、人の爲にする即ち己を捨てゝ世間の御機嫌を取り得た結果として職業として居ると見るよりは、己の爲にする結果即ち自然なる藝術的心術の發現の結果が偶然人の爲になつて、人に氣に入つた丈の報酬が物質的に自分に反響して來たのだと見るのが本統だらうと思ひます。若し是が天から人の爲ばかりの職業であつて、根本的に己を枉げて始めて存在し得る場合には、私は斷然文學を止めなければならないかも知れぬ。幸ひにして私自身を本位にした趣味なり批判なりが偶然にもゥ君の氣に合つて、其の氣に合つた人だけに讀まれ氣に合つた人だけから少なくとも物質的の報酬(或は感謝でも宜しい)を得つつ今日迄押して來たのである。いくら考へても偶然の結果である。此の偶然が壞れた日には何方を本位にするかといふと私は私を本位にしなければ作物が自分から見て物にならない。私ばかりぢやない誰しも藝術家である以上はさう考へるでせう。從つてかう云ふ場合には世間が藝術家を時分に引付けるよりも自分が藝術家に食付いて行くより外に仕樣がないのであります。食付いて行かなければそれまでといふ話である。藝術家とか學者とかいふものは、此の點に於て我儘のものであるが、其の我儘な爲に彼等の道に於て成功する。他の言葉で云ふと、彼等にとつては道樂即ち本職なのである。彼等は自分の好きな時、自分の好きなものでなければ、書きもしなければ拵へもしない。至つて横着な道樂者であるが既に性質上道樂本位の職業をして居るのだから已むを得ないのです。さういふ人をして己を捨てなければ立ち行かぬ樣に強ひたり又は否應なしに天然を枉げさせたりするのは、まづ其の人を殺すと同じ結果に陷るのです。私は新聞に關係がありますが、幸ひにして社主からしてモツと賣れ口の宜いやうな小説を書けとか、或はモツと澤山書かなくちや不可んとか、さう云ふ外壓的の注意を受けたことは今日迄頓とありませぬ。社の方では私に私本位の下に述作する事を大體の上で許して呉れつゝある。其の代り月給も昇げて呉れないが、いくら月給を昇げて呉れても斯う云ふ取扱を變じて萬事營業本位丈で作物の性質や分量を指定されては夫こそ大いに困るのであります。私ばかりではない凡ての藝術家科學者哲學者はみなさうだらうと思ふ。彼等は一も二もなく道樂本位に生活する人間だからである。大變我儘のやうであるけれども、事實さうなのである。從つて恒産のない以上科學者でも哲學者でも政府の保護か個人の保護がなければまあ昔の禪僧位の生活を標凖として暮さなければならない筈である。直接世間を對手にする藝術家に至つてはもし其の述作なり製作がどこか社會の一部に反響を起して、其の反響が物質的報酬となつて現はれて來ない以上は餓死するより外に仕方がない。己を枉げるといふ事と彼等の仕事とは全然妥協を許さない性質のものだからである。
私は職業の性質やら特色に就て首に一言を費し、開化の趨勢上其の社會に及ぼす影響を述べ、最後に職業と道樂の關係を説き、其の末段に道樂的職業といふやうな一種の變體のある事を御吹聽に及んで私抔の職業がどの點迄職業でどの點迄が道樂であるかをゥ君に大體理會せしめた積りであります。これで此の講演を終ります。
(「道樂と職業」<了>)