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方丈記

鴨長明(1212)
尾上八郎解題、山崎麓校訂
『土佐日記・蜻蛉日記・和泉式部日記・紫式部日記・更級日記・
東關紀行・十六夜日記・清少納言枕草子・方丈記・徒然草』
(〈校註日本文學大系〉3 國民圖書株式會社 1925.7.23)

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<work title="通行表記">作品名</work>

   安元の大火  治承の辻風  福原遷都  養和の飢饉  元暦の大地震  大原野の住家  方丈の宿り  日野山の生活  閑居の思い  
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行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまる事なし。世の中にある人と住家すみかと、またかくの如し。
玉敷の都の中に、棟を竝べ甍を爭へる、たかき卑しき人の住居すまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年破れて今年は造り、あるは大家たいか滅びて小家せうかとなる。住む人もこれにおなじ。處もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。朝に死し、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、何方より來りて、何方へか去る。また知らず、假の宿り、誰がために心をなやまし、何によりてか目を悦ばしむる。その主人あるじ住家すみかと、無常を爭ひ去るさま、いはば朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花殘れり。殘るといへども朝日に枯れぬ。或は花は萎みて露なほ消えず。消えずといへどもゆふべを待つことなし。

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安元の大火

およそ物の心を知りしより以來このかた四十よそぢあまりの春秋はるあきを送れる間に、世の不思議を見ること、やゝ度々になりぬ。
いにし安元三年(*1177年)四月うづき二十八日かとよ、風烈しく吹きて靜かならざりし夜、戌の時ばかり、都の巽より火出で來りて、乾に至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部省まで移りて、一夜ひとよが程に、塵灰ぢんくゎいとなりにき。
火元は樋口富小路とかや。病人やまうどを宿せる假屋より出で來けるとなむ。吹き迷ふ風に、とかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如く、末廣になりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすら焔を地に吹きつけたり。空には灰を吹き立てたれば、火の光に映じて、あまねく紅なるなかに、風に堪へず吹き切られたる焔、飛ぶが如くにして、一二町を越えつゝ移り行く。その中の人現心うつゝごゝろあらむや。或は煙にむせびてたふれ伏し、或は焔にまぐれて忽ちに死にぬ。あるは又、僅に身一つ辛くして遁れたれども、資材を取り出づるに及ばず、七珍萬寶ばんぱう、さながら灰燼となりにき。その費いくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち三分が一に及べりとぞ。男女なんにょ死ぬる者數千人、馬牛の類邊際を知らず。
人の營みみな愚かなるなかに、さしも危き京中の家をつくるとて、寶を費し心をなやますことは、勝れてあぢきなくぞ侍るべき。

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治承の辻風

また治承四年(*1180年)卯月二十九日の頃、中御門なかのみかど京極のほどより、大きなる辻風おこりて、六條わたりまで、いかめしく吹きける事侍りき。
三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大きなるも、小さきも、一つとして破れざるはなし。さながらひらに倒れたるもあり、桁柱ばかり殘れるもあり。又門の上を吹き放ちて、四五町がほどに置き、又垣を吹き拂ひて、鄰と一つになせり。いはんや家の内の寶、數を盡して空にあがり、檜皮葺、板の類、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵をけぶりのごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりどよ(*ママ)音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風ごふふうなりとも、かくこそはとぞ覺えける。家の損亡そんまうせるのみならず、これを取り繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづけるもの、數を知らず。この風坤の方に移り行きて、多くの人の歎きをなせり。
「辻風は常に吹くものなれど、かゝることやはある。たゞごとにあらず、さるべき物のさとしか。」などぞ(*原文「さとしかなとぞ」)、疑ひ侍りし。

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福原遷都

おなじ年六月みなづきの頃、俄に都遷り侍りき。いと思ひの外なりし事なり。大方この京のはじめを聞けば、嵯峨天皇さがのみかどの御時、都と定まりにけるより(*薬子の変以後を指すか。)後、既に數百歳を經たり。ことなる故なくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人たやすからず愁へあへるさま、ことわりにも過ぎたり。されどとかくいふかひなくて、御門より始め奉りて、大臣、公卿、こと\〃/く移りたまひぬ。世に仕ふるほどの人、誰かひとり故郷に殘り居らむ。官位つかさくらゐに思ひをかけ、主君の蔭をたのむ程の人は、「一日ひとひなりとも疾く移らむ。」とはげみあへり。時を失ひ世にあまされて、する所なき者は、愁へながらとまり居たり。軒を爭ひし人の住居、日を經つゝ荒れ行く。家は毀たれて淀川に浮び、地は目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、唯むま鞍をのみ重くす。牛車を用とする人なし。西南海の所領をのみ願ひ、東北國の莊園をば好まず。
その時、おのづから事の便りありて、津の國今の京に到れり。所の有樣を見るに、その地ほどせばくて、條里を割るに足らず。北は山にそひて高く、南は海に近くて下れり。波の音常にかまびすしくて、鹽風殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの木丸殿きのまるどのもかくやと、なか\/樣かはりて、優なるかたも侍りき。日々にこぼちて、川もせきあへず運びくだす家は、いづくに作れるにかあらむ。なほ空しき地は多く、作れる家は少なし。故郷は既に荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしある人、みな浮雲うきくものおもひをなせり。もとよりこの處に居たるものは、地を失ひて愁へ、今うつり住む人は、土木どもくの煩ひあることを嘆く。道のほとりを見れば、車に乘るべきは馬に乘り、衣冠布衣なるべきは直垂を著たり。都のてぶり忽ちに改りて、唯鄙びたる武士ものゝふに異ならず。これは世の亂るゝ瑞相(*前兆)とか聞きおけるもしるく、日を經つゝ世の中うき立ちて、人の心も治らず、民の愁へ遂に空しからざりければ、同じ年の冬、なほこの京に歸り給ひにき。されど毀ちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、悉くもとのやうにも作らず。
ほのかに傳へ聞くに、いにしへの賢き御代には憐みをもて國を治め給ふ。すなはち御殿みとのに茅を葺きて、軒をだに整へず、煙のともしきを見給ふ時は、かぎりある貢物みつぎものをさへゆるされき。これ民を惠み、世をたすけ給ふによりてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

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養和の飢饉

養和の頃かとよ、久しくなりてたしかにも覺えず。二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。あるは春夏日でり、あるは秋冬大風大水など、よからぬ事どもうち續きて、五穀悉く實らず。空しく春耕し、夏植うる營みのみありて、秋刈り冬收むるぞめきはなし。
これによりて國々の民、あるは地を捨てて境を出で、あるは家をわすれて山に住む。さま\〃/の御祈り初まりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらに其のしるしなし。京の習ひ、何わざにつけても、みなもとは田舍をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操も作りあへむ。念じわびつゝ、樣々の寶物たからものかたはしより捨つるが如くすれども、更に目みたつる人もなし。たま\/易ふる者は、金を輕くし、粟を重くす。乞食こつじき、道のに多く、愁へ悲しぶ聲耳に滿てり。
さきの年(*治承5年=養和元年〈1181〉)かくの如く、辛くして暮れぬ。明くる年は、立ちなほるべきかと思ふに、あまさへ(*ママ)疫病えやみうちそひて、まさるやうに跡方なし。
世の人皆飢ゑ死にければ、日を經つゝきまはり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。はてには笠うち著、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすら家ごとに乞ひありく。かくわびしれたるものども、ありくかと見れば、即ち倒れ死ぬ。築地のつら、路のほとりに飢ゑ死ぬる類は數も知らず。取り捨つるわざもなければ、臭き香、世界にみち\/て、變り行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。況んや河原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。
あやしき賤・山がつも、力盡きて、薪にさへ乏しくなりゆけば、頼む方なき人は、自ら家を毀ちて、市に出でて之を賣るに、一人が持ち出でたる價、なほ一日が命を支ふるにだに及ばずとぞ。怪しき事は、かゝる薪の中に、丹つき、白銀しろがね黄金の箔など、所々につきて見ゆる木のわれ相交れり。これを尋ぬれば、すべき方なき者の、古寺ふるでらにいたりて、佛を盜み、堂の物の具を破り取りて、わりくだけるなりけり。濁惡ぢょくあくの世にしも生れ逢ひて、かゝる心憂きわざをなむ見侍りし。
又、あはれなること侍りき。さり難き女男をんなをとこなど持ちたるものは、その思ひまさりて志深きは必ず先だちて死しぬ。その故は、我が身をば次になして、男にもあれ女にもあれ、いたはしく思ふ方に、たま\/乞ひ得たる物を、まづ讓るによりてなり。されば親子あるものは、定まれる事にて、親ぞ先だちて死にける。また母が命つきて臥せるをも知らずして、いとけなき子の、その乳房に吸ひつきつゝ、臥せるなどもありけり。
仁和寺に、慈尊院の大藏卿隆曉法印といふ人、かくしつゝ數知らず死ぬることを悲しみて、聖を數多語らひつゝ、その死首の見ゆるごとに、額に阿字を書きて、縁を結ばしむるわざをなむせられける。その人數ひとかずを知らむとて、四五兩月が程數へたりければ、京のうち、一條より南、九條より北、京極より西、朱雀より東、道のほとりにあるかうべ、すべて四萬二千三百餘りなむありける。況んやその前後に死ぬるもの多く、河原、白河、西の京、もろもろの邊地などを加へていはば、際限もあるべからず。いかにいはんや諸國七道をや。近くは崇徳院の御位のとき、長承のころかとよ、かゝる例はありけると聞けど、その世のありさまは知らず。まのあたりいとめづらかに、悲しかりしことなり。

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元暦の大地震

また元暦二年のころ、大地震ふること侍りき。そのさま世の常ならず。山崩れて川を埋み、海かたぶきてくがをひたせり。土さけて水湧きあがり、いはほ割れて谷にまろび入り、渚こぐ船は浪にたゞよひ、道行く駒は足の立處たちどをまどはせり。況んや都のほとりには、在々所々堂舍塔廟、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬる間、塵灰立ち上りて、盛んなる煙の如し。地の震ひ、家の破るゝ音、いかづちに異ならず。家の中に居れば、忽ちにうちひしげなむとす。走り出づれば、また地割れ裂く。羽なければ空へもあがるべからず、龍ならねば雲にのぼらむ事難し。おそれの中におそるべかりけるは、たゞ地震なりけりとぞ覺え侍りし。その中にある武士ものゝふのひとり子の、六つ七つばかりに侍りしが、築地のおほひの下に小家こやを作り、はかなげなる跡なしごとをして遊び侍りしが、俄に崩れ埋められて、あとかたなくひらにうちひさがれて(*押し潰されて)、二つの目など、一寸ばかりうち出されたるを、父母かゝへて、聲も惜しまず悲しみ合ひて侍りしこそ、あはれにかなしく見はべりしか。子のかなしみには、猛き武士も恥を忘れけりと覺えて、「いとほしく。理かな。」とぞ見侍りし。かくおびただしくふる事は、暫しにて止みにしかども、その餘波なごり屡絶えず。世の常に驚くほどの地震、ニ三十度ふらぬ日はなし。十日二十日過ぎにしかば、やう\/間遠になりて、或は四五度、ニ三度、もしは一日ひとひまぜ(*一日おき)、ニ三日に一度など、大方その餘波なごり三月許りや侍りけむ。四大種(*四大)の中に、水火風は常に害をなせど、大地に至りては殊なる變をなさず。「昔、齊衡せいかう(*ママ)の頃かとよ。大地震ふりて、東大寺の佛の御頭みぐし落ちなどして、いみじき事ども侍りけれど、猶この度には如かず。」とぞ。すなはち人皆あぢきなき事を述べて、聊か心の濁りも薄らぐかと見し程に、月日重なり、年越えしかば、後は、言の葉にかけていひ出づる人だになし。

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大原野の住家

すべて世のありにくきこと、わが身とすみかとの、はかなくあだなる樣かくのごとし。いはんや處により、身のほどに隨ひて、心をなやますこと、あげて數ふべからず。もしおのづから身かなはずして、權門のかたはらに居る者は、深く悦ぶことはあれども、大いにたのしぶにあたはず。歎きある時も、聲をあげて泣くことなし。進退やすからず、立ち居につけて恐れをのゝく。たとへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。もし貧しくして、富める家の鄰に居るものは、朝夕すぼき姿を恥ぢて、諂ひつゝ出で入る妻子童僕の羨めるさまを見るにも、富める家のないがしろなるけしきを聞くにも、心念々にうごきて、時としてやすからず。若しせばき地に居れば、近く炎上する時、その害を遁るゝことなし。もし邊地にあれば、往反わづらひ多く、盜賊の難はなれがたし。いきほひある者は貪慾深く、ひとり身なる者は人に輕しめらる。寶あればおそれ多く、貧しければ歎き切なり。人を頼めば身他の奴となり、人をはごくめば心恩愛につかはる。世にしたがへば身くるし、またしたがはねば狂へるに似たり。いづれの處をしめ、いかなるわざをしてか、暫しもこの身をやどし、玉ゆらも心をなぐさむべき。
我が身、父方の祖母の家を傳へて、久しく彼の處に住む。その後、縁かけ、身おとろへて、しのぶかた\〃/しげかりしかば、遂に跡とむることを得ずして、三十餘にして、更に我が心と一つの庵を結ぶ。これをありしすまひになずらふるに、十が一なり。たゞ居屋ゐやばかりをかまへて、はか\〃/しくは屋をつくるに及ばず。わづかに築地をつけりといへども、門たつるにたづきなし。竹を柱として、車やどりとせり。雪ふり風吹くごとに、危からずしもあらず。處は河原近ければ、水の難も深く、白波の恐れもさわがし。すべてあらぬ世を念じ過しつゝ、心をなやませることは、三十餘年なり。その間をり\/のたがひめに、おのづから短き運を悟りぬ。すなはち五十の春をむかへて、家を出で世をそむけり。もとより妻子なければ、捨てがたきよすがもなし。身に官祿あらず。何につけてかしふをとどめむ。空しく大原山の雲に、いくそばくの春秋をか經ぬる。

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方丈の宿り

こゝに六十の露消えがたに及びて、更に末葉のやどりを結べる事あり。いはば狩人かりうどの一夜の宿りをつくり、老いたる蠶のまゆを營むがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだも及ばず。とかくいふほどに、齡は年々とし\〃/にかたぶき、住家はをりをりにせばし。その家のありさま世の常ならず。廣さは僅に方丈、高さは七尺が内なり。處をおもひ定めざるが故に、地をしめて造らず。土居を組み、うちおほひを葺きて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外に移さむがためなり。その改め造る時、いくばくのわづらひかある。積むところわづかに二兩なり。車の力をむくゆる外は、更に他の用途いらず。
いま日野山の奧に跡をかくして後、南に假の日がくしをさし出して、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、うちには西の垣に添へて阿彌陀の畫像を安置し奉り、落日を受けて眉間のひかりとす。かのちゃうのとびらに、普賢ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさき棚をかまへて、Kき皮籠三四合を置く。すなはち和歌、管絃、往生要集ごときの抄物せうもつを入れたり。傍にこと、琵琶、おの\/一張を立つ。いはゆるをり箏、つぎ琵琶これなり。東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみ(*束並=藁の敷物)を敷きて夜の床とす。東の垣に窗をあけて、こゝに文机を出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折りくぶる便よすがとす。庵の北に少地せうちを占め、あばらなる姫垣を圍ひて園とす。すなはちもろ\/の藥草を植ゑたり。假の庵のありさまかくのごとし。

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日野山の生活

その處のさまをいはば、南に筧あり。岩を疊みて水をためたり。林軒近ければ、爪木つまぎを拾ふにともしからず。名を外山といふ。正木のかづら跡をうづめり。谷しげけれど、西は晴れたり。觀念のたよりなきにしもあらず。春は藤波を見る。紫雲の如くにして西のかたに匂ふ。夏は時鳥を聞く。かたらふ(*啼く)ごとに死出の山路をちぎる(*「死出の田長」の異名あり)。秋はひぐらしの聲耳に滿てり。うつせみの世を悲しむかと聞ゆ。冬は雪をあはれむ。つもり消ゆるさま、罪障に譬へつべし。もし念佛ものうく、讀經まめならざる時は、みづから休み、みづから怠るに、妨ぐる人もなく、また恥づべき友もなし。ことさらに無言をせざれども、ひとり居れば口業くごふををさめつべし。かならず禁戒をまもるとしもなけれども、境界なければ、何につけてか破らむ。もし跡の白波に身をよする朝には、岡の屋に行きかふ船をながめて、滿沙彌が風情(*沙弥満誓「世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎ行く船の跡の白波」)をぬすみ、もし桂の風葉をならす夕には、潯陽の江(*白居易「琵琶行」)をおもひやりて、源都督(*源経信)のながれ(*琵琶)をならふ。もしあまりの興あれば、しば\/松のひゞきに秋風の樂をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。藝はこれ拙けれども、人の耳を悦ばしめむとにもあらず、ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから心を養ふばかりなり。
また麓に一つの柴の庵あり。すなはちこの山守が居る所なり。彼處に小童あり。時々來りてあひ訪ふ。もしつれ\〃/なる時は、これを友として遊びありく。かれは十六歳、われは六十、その齡ことの外なれど、心を慰むることはこれ同じ。あるはつばなを拔き、いはなし(*岩梨)を採る。またぬかごをもり、芹を摘む。あるはすそわ(*山裾)の田井にいたりて、落穗を拾ひてほぐみ(*原本頭注「穗を組んで門などにかけ神へ奉る飾物」)をつくる。
もし日うらゝかなれば、嶺に攀ぢ上りて、遙かに故郷の空を望み、木幡山・伏見の里・鳥羽・羽束師はつかしを見る。勝地は主なければ、心を慰むるにさはりなし。あゆみ煩ひなく、こゝろざし遠くいたる時は、これより峯つゞき炭山を越え、笠取を過ぎて、岩間にまうで、あるは石山を拜む。もしはまた粟津の原を分けて、蝉丸の翁が跡を弔ひ、田上川たなかみがはをわたりて、猿丸太夫が墓をたづぬ。歸るさには、をりにつけつゝ、櫻を狩り、紅葉をもとめ、蕨を折り、木の實を拾ひて、かつは佛に奉り、かつは家づとにす。
もし夜靜かなれば、窗の月に古人を忍び、ましらの聲に袖をうるほす。叢の螢は遠く眞木の島の篝火にまがひ、曉の雨は自ら木の葉吹く嵐に似たり。山鳥のほろ\/と鳴くを聞きても、父か母かと疑ひ(*行基の和歌を踏まえる)、峯のかせぎ(*鹿)の近く馴れたるにつけても、世にとほざかる程を知る。あるは埋火をかきおこして、老の寢覺の友とす。おそろしき山ならねど、梟の聲をあはれむにつけても、山中の景色、折につけて盡くることなし。いはんや深く思ひ、深く知れらむ人のためには、これにしも限るべからず。

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閑居の思い

おほかた此の所に住みそめし時は、白地あからさまとおもひしかど、今までに五年を經たり。假の庵もやゝふる屋となりて、軒には朽葉ふかく、土居に苔むせり。おのづから事の便りに都を聞けば、この山にこもり居て後、やんごとなき人のかくれ給へるもあまた聞ゆ。ましてその數ならぬたぐひ、盡してこれを知るべからず。たび\/の炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。たゞ假の庵のみ、のどけくしておそれなし。ほど狹しといへども、夜臥す床あり、晝る座あり、一身をやどすに不足なし。がうな(*寄居虫=ヤドカリ)は小さき貝をこのむ。これよく身を知るによりてなり。みさごは荒磯に居る。すなはち人を恐るゝが故なり。我またかくの如し。身を知り世を知れれば、願はず、まじらはず、たゞ靜かなるを望みとし、愁へなきを樂しみとす。
すべて世の人の住家をつくるならひ、必ずしも身の爲にはせず。或は妻子眷屬のためにつくり、或は親昵朋友のためにつくる。あるは主君師匠、および財寶馬牛のためにさへ是をつくる。われ今身のためにむすべり。人のためにつくらず。ゆゑ如何となれば、今の世のならひ、この身のありさま、ともなふべき人もなく、たのむべき奴もなし。たとひ廣くつくれりとも、誰をかやどし、誰をかすゑむ。
それ人の友たるものは、富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。かならずしも情あると、すぐなるとをば愛せず。ただ絲竹花月を友とせむには如かじ。人の奴たるものは、賞罰の甚しきを顧み、恩の厚きを重くす。更にはごくみあはれぶといへども、やすくしづかなるをば願はず。たゞわが身を奴とするには如かず。もしなすべきことあれば、すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。もしありくべきことあれば、自ら歩む。苦しといへども、馬鞍牛車むまくらうしくるまと心を惱ますには似ず。今一身を分ちて、ふたつの用をなす。手のやつこ、足の乘物、よくわが心にかなへり。心また身のくるしみを知れれば、苦しむ時は休めつ、まめなる時はつかふ。つかふとてもたび\/すぐさず、ものうしとても心を動かす事なし。いかに況んや、常に歩き、常に働くは、これ養生なるべし。何ぞ徒らにやすみ居らむ。人を苦しめ人を惱ますは、また罪業なり。いかゞ他の力をかるべき。
衣食のたぐひまた同じ。藤の衣・麻のふすま、得るに隨ひてはだへをかくし、野邊の茅花、峯の木の實、わづかに命をつなぐばかりなり。人に交はらざれば、姿を恥づる悔もなし。糧乏しければ、おろそかなれども、なほ味をあまくす。
すべてかやうの事、樂しく富める人に對していふにあらず、たゞわが身一つにとりて、昔と今とをたくらぶるばかりなり。
おほかた世を遁れ、身を捨てしより、恨みもなく恐れもなし。命は天運にまかせて、惜しまず、いとはず。身をば浮雲になずらへて、頼まず、まだし(*不十分だ)とせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望みはをり\/の美景にのこれり。
それ三界はたゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望みなし。今さびしきすまひ、一間のいほり、みづからこれを愛す。おのづから都に出でては、乞食こつじきとなれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵にぢゃくすることをあはれぶ。もし人、このいへることを疑はば、魚鳥の分野ありさまを見よ。魚は水にあかず。魚にあらざればその心を知らず。鳥は林を願ふ。鳥にあらざればその心を知らず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずして誰かさとらむ。

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そも\/一期の月影傾きて、餘算よさん山の端に近し。忽ちに三途の闇に向はむ時、何のわざをかかこたむとする。佛の人を教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。いま草の庵を愛するも科とす。閑寂に著するも障りなるべし。いかゞ用なき樂しみを述べて、空しくあたら時を過さむ。しづかなる曉、この理を思ひつゞけて、みづから心に問ひていはく、「世を遁れて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はんがためなり。然るを汝の姿は聖に似て、心は濁りにしめり。住家はすなはち淨名居士(*維摩詰)の跡をけがせりといへども、たもつところはわづかに周梨槃特しゅりはんどくが行ひにだも(*「だにも」の縮約形)及ばず。もしこれ貧賤の報いのみづからなやますか、はた又妄心の至りて狂はせるか。」(*と。)その時、心さらに答ふることなし。たゞ傍に舌根をやとひて、不請の念佛(*他力本願の念仏か。)兩三遍を申して止みぬ。
時に建暦の二とせ(*1212年)三月やよひ晦日つごもりごろ、桑門蓮胤、外山の庵にしてこれをしるす。
月影は入る山の端もつらかりきたえぬ光を見るよしもがな(*『新勅撰集』源季広)

方丈記

   安元の大火  治承の辻風  福原遷都  養和の飢饉  元暦の大地震  大原野の住家  方丈の宿り  日野山の生活  閑居の思い  
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