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本朝~仙傳

江匡房(*大江匡房)
續羣書類從第八輯上・傳部 卷第百九十三・傳部五 續羣書類從完成會 1927.6.25、訂正三版 1957.12.15
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  役行者   泰澄   都藍尼   教待和尚   弘法大師   東寺僧仕夜叉神事   日蔵   慈覚大師
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役行者事

役優婆塞者、大和ナリ也。修-佛法、~力無邊ナリ。昔登富士山頂、後住吉野山。常葛木山、好嶮岨。欲ゥ鬼~、造-サント石橋於兩山上。皆應咒力、漸基趾。行者性太褊急ニシテ、譴責スルコト不日ナリ也。一言主~容貌太。謂ヒテ行者、爲ヅルガ形顏、不晝造ルコトヲ。行者敢ヘテムルヲ。~詫-シテ於帝宮、役優婆塞將 謀反セント。公家捕ラフ。役優婆塞不孝敬、自リテガル。後逢ヒテヅルコトヲ、即一言主~、置於澗底。今ルコト一レハル七匝リナルヲ。萬方、呻吟之聲歴。令ムルレヲシテ之石、住吉野葛木山、各十餘枚ナリ。引キテ而乘、浮ビテ而去。不、不クニケルカヲ。後本朝僧道照到高麗説法。聽法之中、有和語スル。此行者ナリ也。漸百餘年。道照大、下座シテ問訊。殊フル。不。事キ良香吉野山。今畧-
【白文】 役優婆塞者、大和國人也。修行佛法、~力無邊。昔登富士山頂、後住吉野山。常遊葛木山、好其嶮岨。欲令ゥ鬼~、造亘石橋於兩山上。皆應咒力、漸成基趾。行者性太褊急、譴責不日也。一言主~容貌太醜。謂行者曰、爲慚形顏、不得晝造。行者敢不許止。~詫宣於帝宮曰、役優婆塞將謀反。公家捕其母。役優婆塞不堪孝敬、自來繋獄。後逢赦得出、即縛一言主~、置於澗底。今見爲葛所纒七匝。萬方遂不解、呻吟之聲歴年不絶。令其扶之石、住吉野葛木山、各十餘枚。引其母而乘鐵鉢、浮海而去。不用舟、不知何之。後本朝僧道照到高麗説法。聽法之中、有和語者。此行者也。漸經百餘年。道照大驚、下座問訊。殊無所答。不復來。事見キ良香吉野山記。今畧記之。
【書き下し文】 役優婆塞は、大和の國の人なり。佛法を修行し、~力無邊なり。昔富士の山頂に登り、後吉野山に住む。常に葛木山に遊び、その嶮岨を好む。ゥ鬼~に令し、石橋を於兩山上に造り亘さんと欲す。皆咒力に應じ、漸く基趾を成す。行者性太だ褊急にして、譴責すること不日なり。一言主の~は容貌太だ醜し。行者に謂ひて曰く、形顏を慚づるがために、晝造ることを得ずと。行者敢へて止むるを許さず。~於帝宮に詫宣して曰く、役優婆塞まさに謀反せんとすと。公家その母を捕らふ。役優婆塞孝敬に堪へず、自ら來りて獄に繋がる。後赦に逢ひて出づることを得、すなはち一言主の~を縛し、於澗底に置く。今に葛の纒はる所と爲ること七匝りなるを見る。萬方も遂に解けず、呻吟の之聲年を歴て絶えず。それをして扶けしむる之石、住吉野と葛木山と、各十餘枚なり。その母を引きて鐵の鉢に乘り、海に浮びて去る。舟を用ゐず、いづくに之けるかを知らず。後本朝の僧道照高麗に到り説法す。聽法の之中に、和語する者有り。これ行者なり。漸く百餘年を經。道照大に驚き、下座して問訊す。殊に答ふる所なし。復た來らず。事はキ良香の吉野山の記に見ゆ。今これを畧記す。
【漢文エディタ原文】 役優婆塞ハ者、大和ノ國ノ人ナリ也。修- 2( 行シ佛法ヲ )1 、~力無邊ナリ。昔登リ 2( 富士ノ山頂ニ )1 、後住ム 2( 吉野山ニ )1 。常ニ遊ビ 2( 葛木山ニ )1 、好ム 2( 其ノ嶮岨ヲ )1 。欲ス 2{ 令シ 2( ゥ鬼~ニ )1 、造リ- ┤亘サント石橋ヲ於兩山上ニ }1 。皆應ジ 2( 咒力ニ )1 、漸ク成ス 2( 基趾ヲ )1 。行者性太ダ褊急ニシテ、譴責スルコト不日ナリ也。一言主ノ~ハ容貌太ダ醜シ。謂ヒテ 2( 行者ニ )1 曰ク、爲ニ^慚ヅルガ 2( 形顏ヲ )1 、不ト^得 2( 晝造ルコトヲ )1 。行者敢ヘテ不^許サ^止ムルヲ。~詫- 2( 宣シテ於帝宮ニ )1 曰ク、役優婆塞將ニ _ト_ 2( 謀反セント )1 。公家捕ラフ 2( 其ノ母ヲ )1 。役優婆塞不^堪ヘ 2( 孝敬ニ )1 、自ラ來リテ繋ガル^獄ニ。後逢ヒテ^赦ニ得^出ヅルコトヲ、即チ縛シ 2( 一言主ノ~ヲ )1 、置ク 2( 於澗底ニ )1 。今ニ見ル 2{ 爲ルコト 2( 葛ノ所ト )1^纒ハル七匝リナルヲ }1 。萬方モ遂ニ不^解ケ、呻吟ノ之聲歴テ^年ヲ不^絶エ。令ムル 2( 其レヲシテ扶ケ )1 之石、住吉野ト葛木山ト、各十餘枚ナリ。引キテ 2( 其ノ母ヲ )1 而乘リ 2( 鐵ノ鉢ニ )1 、浮ビテ^海ニ而去ル。不^用ヰ 2( 舟ヲ )1 、不^知ラ 2( 何クニ之ケルカヲ )1 。後本朝ノ僧道照到リ 2( 高麗ニ )1 説法ス。聽法ノ之中ニ、有リ 2( 和語スル者 )1 。此レ行者ナリ也。漸ク經 2( 百餘年ヲ )1 。道照大ニ驚キ、下座シテ問訊ス。殊ニ無シ^所^答フル。不 2( 復タ來ラ )1 。事ハ見ユ 2( キ良香ノ吉野山ノ記ニ )1 。今畧- 2( 記ス之ヲ )1 。

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泰澄事

泰澄者、賀州ナリ也。世小大コ。~驗多端ナリ也。雖萬里、一旦ニシテ而到。無クシテ翼而飛。顯白山之聖跡、兼ネテ。于ハル於世。到吉野山、欲カント一言主之縛、試ロニ加持。三匝リハケタリ。暗リテ聲叱。繋縛如。又向~社、問本覺。於稻荷、數日念誦。夢一女、出帳中ゲテ、本體觀世音ナリ。常補陀洛、爲メノセンガ衆生、示-スト大明~。詣阿蘇。有九頭龍王、現ハル於池上。泰澄曰、豈畜類之身、領センヤ靈地乎。可シト眞實。日漸レント。有金色三尺千手觀音、現ハル於夕陽之前、池水之上。泰澄經數百年【知】〔注h原文「死」。傍註「知歟」。〕リヲ
【白文】 泰澄者、賀州人也。世謂之越小大コ。~驗多端也。雖萬里地、一旦而到。無翼而飛。顯白山之聖跡、兼作其賦。于今傳於世。到吉野山、欲解一言主之縛、試苦加持。三匝已解。暗有聲叱之。繋縛如元。又向ゥ~社、問其本覺。於稻荷、數日念誦。夢有一女、出自帳中告云、本體觀世音。常在補陀洛、爲度衆生故、示現大明~。詣阿蘇。有九頭龍王、現於池上。泰澄曰、豈以畜類之身、領此靈地乎。可示眞實。日漸欲晩。有金色三尺千手觀音、現於夕陽之前、池水之上。泰澄經數百年不知其終。
【書き下し文】 泰澄は、賀州の人なり。世にこれを越の小大コと謂ふ。~驗多端なり。萬里の地といへども、一旦にして到る。翼なくして飛ぶ。白山の之聖跡を顯し、兼ねてその賦を作る。今に于於世に傳はる。吉野山に到り、一言主の之縛を解かんと欲し、苦ろに加持を試む。三匝りは已に解けたり。暗に聲有りてこれを叱す。繋縛元のごとし。又ゥの~社に向ひ、その本覺を問ふ。稻荷に於て、數日念誦す。夢に一女有り、出て帳中より告げて云く、本體は觀世音なり。常に補陀洛に在り、衆生を度せんが爲めの故に、大明~と示現すと。阿蘇のに詣づ。九頭龍王有り、於池上に現はる。泰澄曰く、豈に畜類の之身をもつて、この靈地を領せんや。眞實を示すべしと。日漸く晩れんと欲す。金色の三尺の千手觀音有り、於夕陽の之前、池水の之上に現はる。泰澄數百年を經てその終りを知らず。
【漢文エディタ原文】 泰澄ハ者、賀州ノ人ナリ也。世ニ謂フ 2( 之ヲ越ノ小大コト )1 。~驗多端ナリ也。雖モ 2( 萬里ノ地ト )1 、一旦ニシテ而到ル。無クシテ^翼而飛ブ。顯シ 2( 白山ノ之聖跡ヲ )1 、兼ネテ作ル 2( 其ノ賦ヲ )1 。于^今ニ傳ハル 2( 於世ニ )1 。到リ 2( 吉野山ニ )1 、欲シ^解カント 2( 一言主ノ之縛ヲ )1 、試ム 2( 苦ロニ加持ヲ )1 。三匝リハ已ニ解ケタリ。暗ニ有リテ^聲叱ス^之ヲ。繋縛如シ^元ノ。又向ヒ 2( ゥノ~社ニ )1 、問フ 2( 其ノ本覺ヲ )1 。於テ 2( 稻荷ニ )1 、數日念誦ス。夢ニ有リ 2( 一女 )1 、出テ自リ 2( 帳中 )1 告ゲテ云ク、本體ハ觀世音ナリ。常ニ在リ 2( 補陀洛ニ )1 、爲メノ^度センガ 2( 衆生ヲ )1 故ニ、示- 2( 現スト大明~ト )1 。詣ヅ 2( 阿蘇ノニ )1 。有リ 2( 九頭龍王 )1 、現ハル 2( 於池上ニ )1 。泰澄曰ク、豈ニ以テ 2( 畜類ノ之身ヲ )1 、領センヤ 2( 此ノ靈地ヲ )1 乎。可シト^示ス 2( 眞實ヲ )1 。日漸ク欲ス^晩レント。有リ 2( 金色ノ三尺ノ千手觀音 )1 、現ハル 2( 於夕陽ノ之前、池水ノ之上ニ )1 。泰澄經テ 2( 數百年ヲ )1 不^【知】〈NOTE 原文「死」。傍註「知歟」。 〉ラ 2( 其ノ終リヲ )1 。

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キ藍尼事

キ藍尼とらんに者、大和ナリ也。行佛法長生。不幾百年ナルヲ。住吉野山、日夜精勤。欲-ラント金峰山。雷電霹靂、遂ルヲ。此、以黄金。爲ツガ慈尊出世、金剛藏王守、兼ネテ。不女人ゆゑん也。所之杖ジテ樹木、所之地水泉。爪跡猶スト
【白文】 キ藍尼者、大和國人也。行佛法得長生。不知幾百年。住吉野山麓、日夜精勤。欲攀上金峰山。雷電霹靂、遂不得到。此山、以黄金敷地。爲待慈尊出世、金剛藏王守之、兼爲戒地。不通女人之故也。所持之杖變爲樹木、所拘之地陷爲水泉。爪跡猶存。
【書き下し文】 キ藍尼とらんには、大和の國の人なり。佛法を行じ長生を得。幾百年なるを知らず。吉野山の麓に住み、日夜精勤す。金峰山に攀じ上らんと欲す。雷電霹靂し、遂に到るを得ず。この山は、黄金をもつて地に敷く。慈尊の出世を待つがために、金剛藏王これを守り、兼ねて戒の地と爲す。女人を通ぜざる之ゆゑん也。持つ所の之杖は變じて樹木と爲り、拘る所の之地は陷て水泉と爲る。爪の跡なほ存すと。
【漢文エディタ原文】 |キ藍尼(とらんに)ハ者、大和ノ國ノ人ナリ也。行ジ 2( 佛法ヲ )1 得 2( 長生ヲ )1 。不^知ラ 2( 幾百年ナルヲ )1 。住ミ 2( 吉野山ノ麓ニ )1 、日夜精勤ス。欲ス 3( 攀ジ- 2( 上ラント金峰山ニ )1 。雷電霹靂シ、遂ニ不^得^到ルヲ。此ノ山ハ、以テ 2( 黄金ヲ )1 敷ク^地ニ。爲ニ^待ツガ 2( 慈尊ノ出世ヲ )1 、金剛藏王守リ^之ヲ、兼ネテ爲ス 2( 戒ノ地ト )1 。不ル^通ゼ 2( 女人ヲ )1 之|故(ゆゑん)也。所ノ^持ツ之杖ハ變ジテ爲リ 2( 樹木ト )1 、所ノ^拘ル之地ハ陷テ爲ル 2( 水泉ト )1 。爪ノ跡猶ホ存スト。

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ヘ待和尚事

ヘ待和尚者、近江國志賀ナリ也。雖ブト數百年、容顏如。唯少年女子、兼ネテラフ魚肉。口悉ケバ、變ジテ。後逢智證大師、讓リテ園城寺、待タルヲ、守勝地。自今可シト佛法。言リテ而失セヌ
【白文】 ヘ待和尚者、近江國志賀郡人也。雖及數百年、容顏如元。唯愛少年女子、兼食魚肉。口悉吐之、變成蓮葉。後逢智證大師、讓園城寺地曰、待君來、守此勝地。自今可被弘佛法。言訖而失。
【書き下し文】 ヘ待和尚は、近江の國志賀の郡の人なり。數百年に及ぶといへども、容顏元のごとし。唯し少年の女子を愛し、兼ねて魚肉を食らふ。口悉くこれを吐けば、變じて蓮の葉と成る。後智證大師に逢ひ、園城寺の地を讓りて曰く、君の來たるを待ち、この勝地を守る。今より佛法を弘め被るべしと。言ひ訖りて失せぬ。
【漢文エディタ原文】 ヘ待和尚ハ者、近江ノ國志賀ノ郡ノ人ナリ也。雖モ^及ブト 2( 數百年ニ )1 、容顏如シ^元ノ。唯シ愛シ 2( 少年ノ女子ヲ )1 、兼ネテ食ラフ 2( 魚肉ヲ )1 。口悉ク吐ケバ^之ヲ、變ジテ成ル 2( 蓮ノ葉ト )1 。後逢ヒ 2( 智證大師ニ )1 、讓リテ 2( 園城寺ノ地ヲ )1 曰ク、待チ 2( 君ノ來タルヲ )1 、守ル 2( 此ノ勝地ヲ )1 。自リ^今可シト^被ル^弘メ 2( 佛法ヲ )1 。言ヒ訖リテ而失セヌ。

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弘法大師事

弘法大師、諱空海、讃岐ナリ也。出家得度、師-僧正勤操。初三論・法相、後入金剛乘、遂唐朝、極眞言奧旨。以惠果和尚。兩界三部之道、ゥ尊衆聖之儀、自此弘マル於我。然レバ大日如來七代之弟子ニシテ、本朝最初阿闍梨ナリ也。事別傳。不甄録スル。惠果和尚、吾久シクテリ。吾ケン。是十地中第三地菩薩ナリ也。努力シテ自愛セヨ。吾必弟子、託セント東土。大師唐朝、投【一】〔注h三歟。〕鈴杵、卜スルニ本朝勝地、一東寺、一紀伊國高野山、一土佐國室生戸山。歸朝後相尋ネテ佛法
【白文】 弘法大師、諱空海、讃岐國人也。出家得度、師事僧正勤操。初學三論・法相、後入金剛乘、遂入唐朝、極眞言奧旨。以惠果和尚爲師。兩界三部之道、ゥ尊衆聖之儀、自此弘於我土。然則大日如來七代之弟子、本朝最初阿闍梨也。事見別傳。不能甄録。惠果和尚、吾久待汝。吾法悉授汝。是十地中第三地菩薩也。努力自愛。吾必爲汝弟子、託生東土。大師於唐朝、投一鈴杵、卜本朝勝地、一墜東寺、一落紀伊國高野山、一落土佐國室生戸山。歸朝後相尋弘佛法。
【書き下し文】 弘法大師は、諱空海、讃岐の國の人なり。出家得度し、僧正勤操に師事す。初め三論・法相を學び、後金剛乘に入り、遂に唐朝に入り、眞言の奧旨を極む。惠果和尚をもつて師と爲す。兩界三部の之道、ゥ尊衆聖の之儀、此より於我が土に弘まる。然ればすなはち大日如來七代の之弟子にして、本朝最初の阿闍梨なり。事は別傳に見ゆ。甄録する能はず。惠果和尚、吾久しく汝を待てり。吾が法を悉く汝に授けん。これ十地中第三地の菩薩なり。努力して自愛せよ。吾必ず汝が弟子と爲り、生を東土に託せんと。大師の唐朝に於て、一鈴杵を投げ、本朝の勝地を卜するに、一は東寺に墜ち、一は紀伊の國高野山に落ち、一は土佐の國室生戸山に落つ。歸朝後相尋ねて佛法を弘む。
【漢文エディタ原文】 弘法大師ハ、諱空海、讃岐ノ國ノ人ナリ也。出家得度シ、師- 2( 事ス僧正勤操ニ )1 。初メ學ビ 2( 三論・法相ヲ )1 、後入リ 2( 金剛乘ニ )1 、遂ニ入リ 2( 唐朝ニ )1 、極ム 2( 眞言ノ奧旨ヲ )1 。以テ 2( 惠果和尚ヲ )1 爲ス^師ト。兩界三部ノ之道、ゥ尊衆聖ノ之儀、自リ^此弘マル 2( 於我ガ土ニ )1 。然レバ則チ大日如來七代ノ之弟子ニシテ、本朝最初ノ阿闍梨ナリ也。事ハ見ユ 2( 別傳ニ )1 。不^能ハ 2( 甄録スル )1 。惠果和尚、吾久シク待テリ^汝ヲ。吾ガ法ヲ悉ク授ケン^汝ニ。是レ十地中第三地ノ菩薩ナリ也。努力シテ自愛セヨ。吾必ズ爲リ 2( 汝ガ弟子ト )1 、託セント 2( 生ヲ東土ニ )1 。大師ノ於テ 2( 唐朝ニ )1 、投ゲ 2( 【一】〈NOTE 三歟。 〉鈴杵ヲ )1 、卜スルニ 2( 本朝ノ勝地ヲ )1 、一ハ墜チ 2( 東寺ニ )1 、一ハ落チ 2( 紀伊ノ國高野山ニ )1 、一ハ落ツ 2( 土佐ノ國室生戸山ニ )1 。歸朝後相尋ネテ弘ム 2( 佛法ヲ )1 。

【修因】〔注h守圓イ〕僧キ讀-護國界經、施~驗。昔遣ハシ護法於唐朝、偸惠果フル。大師頗、有リト竊法之者。仍クル金剛界之時、別火焔遶ツテルコトヲ。纔カニキテ胎藏而還。及大師歸朝スルニ、常相挑。遞調伏セント、共壇法。大師陽リテ。修因疑ヒテヲシテ。弟子涕泣、行喪家。又令【予】〔注h弔歟。〕弟子等ヲシテ、運ブノ葬斂之眞ナルカヲ。修因信、涕泣スルコトシク、行懺悔之法。大師更フコト調伏七日、修因頓ケテ而死。大師又行フコト懺悔七日、降三世顯ハレ於鑪壇、我修因ナリ也。爲メニメンガ-、權ルナリ怨敵
【白文】 修因僧キ讀咒護國界經、施~驗。昔遣護法於唐朝、偸惠果傳法。大師頗得其心曰、有竊法之者。仍受金剛界之時、別結界火焔遶郭不得入。纔聞胎藏而還。及大師歸朝、常以相挑。遞欲調伏、共行壇法。大師陽死。修因疑令人伺見。弟子涕泣、行喪家儀。又令見予弟子等、運葬斂之眞。修因信之、涕泣良久、行懺悔之法。大師更行調伏法七日、修因頓受瘡而死。大師又行懺悔法七日、降三世顯於鑪壇曰、我是修因也。爲令顯揚汝法、權成怨敵也。
【書き下し文】 修因僧キ(*西寺の守敏と伝える。)護國界經を讀咒し、~驗を施す。昔護法を於唐朝に遣はし、惠果の傳ふる法を偸む。大師頗るその心を得て曰く、竊法の之者有りと。仍て金剛界を受くる之時、別に界を結び火焔郭を遶つて入ることを得ず。纔かに胎藏を聞きて還る。大師歸朝するに及び、常にもつて相挑む。遞に調伏せんと欲し、共に壇法を行ふ。大師陽りて死す。修因疑ひて人をして伺ひ見しむ。弟子涕泣し、喪家の儀を行ふ。又予弟子等をして、葬斂を運ぶの之眞なるかを見しむ。修因これを信じ、涕泣すること良や久しく、懺悔の之法を行ふ。大師更に調伏の法を行ふこと七日、修因頓に瘡を受けて死す。大師又懺悔の法を行ふこと七日、降三世於鑪壇に顯はれ曰く、我はこれ修因なり。汝が法を顯揚せしめんがために、權に怨敵と成るなり也と。
【漢文エディタ原文】 【修因】〈NOTE 守圓イ 〉僧キ讀- 2( 咒シ護國界經ヲ )1 、施ス 2( ~驗ヲ )1 。昔遣ハシ 2( 護法ヲ於唐朝ニ )1 、偸ム 2( 惠果ノ傳フル法ヲ )1 。大師頗ル得テ 2( 其ノ心ヲ )1 曰ク、有リト 2( 竊法ノ之者 )1 。仍テ受クル 2( 金剛界ヲ )1 之時、別ニ結ビ^界ヲ火焔遶ツテ^郭ヲ不^得^入ルコトヲ。纔カニ聞キテ 2( 胎藏ヲ )1 而還ル。及ビ 2( 大師歸朝スルニ )1 、常ニ以テ相挑ム。遞ニ欲シ 2( 調伏セント )1 、共ニ行フ 2( 壇法ヲ )1 。大師陽リテ死ス。修因疑ヒテ令ム 2( 人ヲシテ伺ヒ見 )1 。弟子涕泣シ、行フ 2( 喪家ノ儀ヲ )1 。又令ム^見 2{ 【予】〈NOTE 弔歟。 〉弟子等ヲシテ、運ブノ 2( 葬斂ヲ )1 之眞ナルカヲ }1 。修因信ジ^之ヲ、涕泣スルコト良ヤ久シク、行フ 2( 懺悔ノ之法ヲ )1 。大師更ニ行フコト 2( 調伏ノ法ヲ )1 七日、修因頓ニ受ケテ^瘡ヲ而死ス。大師又行フコト 2( 懺悔ノ法ヲ )1 七日、降三世顯ハレ 2( 於鑪壇ニ )1 曰ク、我ハ是レ修因ナリ也。爲メニ^令メンガ 3( 顯- 2( 揚セ汝ガ法ヲ )1 、權ニ成ルナリ 2( 怨敵ト )1 也ト。

大師兼ネテクス草法。昔左右手足及ニテ。故唐朝ニテハ五筆和尚。帝キ南面三門竝ビニ應天門大師ナリ也。其應天門、應點故トス。上グル之後、遙カニゲテ。朱雀門額又有芽ヒ。小野道風難ジテ、可シト米雀門。夢人、來リテ弘法大師使ヒト、踏。道風仰レバ、履鼻入、不。陰陽寮、三度書。始メテスル後、夢リテ~人、此額太ナリ。可シト。後改メテ【書】〔注h衍歟。〕。又夢ミルニ。不シテ【過】〔注h進歟〕グルニ、改。木工寮、寮頭。打チテ日。令寮官ヲシテ於大師。使スルコト大師。仍祈念シテ、大師大權之人ナリ也。借五筆、使メヨト下拙ヲシテ一レ。殆ンド大師之自書
【白文】 大師兼善草法。昔左右手足及口秉筆成書。故唐朝謂之五筆和尚。帝キ南面三門竝應天門額大師所書也。其應天門額、應字上點故落之。上額之後、遙投筆書之。朱雀門額又有芽ヒ。小野道風難之曰、可謂米雀門。夢有人、來稱弘法大師使、踏其首。道風仰見、履鼻入雲、不見其人。陰陽寮額、三度書之。始書後、夢有~人曰、此額太凡。可被改。後改書書之。又夢此額太畏。不堪過過此下、改書仍改書。木工寮額、寮頭造門。打額有日。令寮官請額於大師。使違期不能謁大師。仍祈念曰、大師大權之人也。借五筆勢、使下拙掌之。殆如大師之自書。
【書き下し文】 大師兼ねて草法をよくす。昔左右の手足及び口にて筆を秉り書を成す。故に唐朝にてはこれを五筆和尚と謂ふ。帝キの南面の三門竝びに應天門の額は大師の書く所なり。その應天門の額の、應の字の上の點故とこれを落とす。額を上ぐる之後、遙かに筆を投げてこれを書す。朱雀門の額又芽ヒ有り。小野道風これを難じて曰く、米雀門と謂ふべしと。夢に人有り、來りて弘法大師の使ひと稱し、その首を踏む。道風仰ぎ見れば、履の鼻雲に入り、その人を見ず。陰陽寮の額は、三度これを書す。始めて書する後、夢に~人有りて曰く、この額太だ凡なり。改め被るべしと。後書を改めてこれを書す。又この額を夢みるに太だ畏る。過この下を過ぐるに堪へずして、書を改め仍た書を改む。木工寮の額は、寮頭に門を造る。額を打ちて日有り。寮官をして額を於大師に請はしむ。使ひ期を違へ大師に謁すること能はず。仍て祈念して曰く、大師は大權の之人なり。五筆の勢を借り、下拙をしてこれを掌らしめよと。殆んど大師の之自書のごとし。
【漢文エディタ原文】 大師兼ネテ善クス 2( 草法ヲ )1 。昔左右ノ手足及ビ口ニテ秉リ^筆ヲ成ス^書ヲ。故ニ唐朝ニテハ謂フ 2( 之ヲ五筆和尚ト )1 。帝キノ南面ノ三門竝ビニ應天門ノ額ハ大師ノ所ナリ^書ク也。其ノ應天門ノ額ノ、應ノ字ノ上ノ點故ト落トス^之ヲ。上グル^額ヲ之後、遙カニ投ゲテ^筆ヲ書ス^之ヲ。朱雀門ノ額又有リ 2( 芽ヒ )1 。小野道風難ジテ^之ヲ曰ク、可シト^謂フ 2( 米雀門ト )1 。夢ニ有リ^人、來リテ稱シ 2( 弘法大師ノ使ヒト )1 、踏ム 2( 其ノ首ヲ )1 。道風仰ギ見レバ、履ノ鼻入リ^雲ニ、不^見 2( 其ノ人ヲ )1 。陰陽寮ノ額ハ、三度書ス^之ヲ。始メテ書スル後、夢ニ有リテ 2( ~人 )1 曰ク、此ノ額太ダ凡ナリ。可シト^被ル^改メ。後改メテ^【書】〈NOTE 衍歟。 〉ヲ書ス^之ヲ。又夢ミルニ 2( 此ノ額ヲ )1 太ダ畏ル。不シテ^堪ヘ 3( 【過】〈NOTE 進歟 〉過グルニ 2( 此ノ下ヲ )1 、改メ^書ヲ仍タ改ム^書ヲ。木工寮ノ額ハ、寮頭ニ造ル^門ヲ。打チテ^額ヲ有リ^日。令ム 3( 寮官ヲシテ請ハ 2( 額ヲ於大師ニ )1 。使ヒ違ヘ^期ヲ不^能ハ^謁スルコト 2( 大師ニ )1 。仍テ祈念シテ曰ク、大師ハ大權ノ之人ナリ也。借リ 2( 五筆ノ勢ヲ )1 、使メヨト 2( 下拙ヲシテ掌ラ )1^之ヲ。殆ンド如シ 2( 大師ノ之自書ノ )1 。

又善於文筆。多遺文。爰性靈集七卷。昔於~泉苑請雨經法。修因咒シテラシム瓶中。仍シク。大師覺、請阿耨達池善如龍王。金色小龍乘丈餘、有兩蛇トモ。於大雨アリ。自是以~泉苑、爲住所、兼ネテ祕法之地
【白文】 又善於文筆。多作遺文。爰有性靈集七卷。昔於~泉苑行請雨經法。修因咒ゥ龍入瓶中。仍久不得驗。大師覺其心、請阿耨達池善如龍王。金色小龍乘丈餘蛇、有兩蛇。於是大雨。自是以~泉苑、爲此龍住所、兼爲行祕法之地。
【書き下し文】 又於文筆に善し。多く遺文を作す。爰に性靈集七卷有り。昔~泉苑に於て請雨の經法を行ふ。修因ゥに咒して龍を瓶中に入らしむ。仍て久しく驗を得ず。大師その心を覺り、阿耨達池の善如龍王を請ず。金色の小龍丈餘の蛇に乘り、兩蛇とも有り。是に於て大雨あり。是より~泉苑をもつて、この龍の住所と爲し、兼ねて祕法を行ふ之地と爲す。
【漢文エディタ原文】 又善シ 2( 於文筆ニ )1 。多ク作ス 2( 遺文ヲ )1 。爰ニ有リ 2( 性靈集七卷 )1 。昔於テ 2( ~泉苑ニ )1 行フ 2( 請雨ノ經法ヲ )1 。修因咒シテ^ゥニ龍ヲ入ラシム 2( 瓶中ニ )1 。仍テ久シク不^得^驗ヲ。大師覺リ 2( 其ノ心ヲ )1 、請ズ 2( 阿耨達池ノ善如龍王ヲ )1 。金色ノ小龍乘リ 2( 丈餘ノ蛇ニ )1 、有リ 2( 兩蛇トモ )1 。於テ^是ニ大雨アリ。自リ^是以テ 2( ~泉苑ヲ )1 、爲シ 2( 此ノ龍ノ住所ト )1 、兼ネテ爲ス 2{ 行フ 2( 祕法ヲ )1 之地ト }1 。

唐朝如意寳珠我朝。此所、ビニ惠果後身、彼ナリスル也。後於金剛峰寺、入金剛定、于今存焉。初人皆見鬢髪常、形容不ルヲ一レ。穿山頂、入ルコト半里計リヲ、爲禪定之室。彼山于今無キハ烏鳶之類・諠譁之獸、兼ネテ生前之誓願ナリ也。常シテ、弘ムルハ佛法、以種姓スト。故、親王・公子相繼ギテ。寛平法皇受ケテ灌頂於此後、仁和寺最王胤。圓融天皇ルハ御地、誠一宗之光華ナリ也。
【白文】 自唐朝如意寳珠以來我朝。此殊在所、惠果後身、彼宗深所祕也。後於金剛峰寺、入金剛定、于今存焉。初人皆見鬢髪常生、形容不變。穿山頂、入底半里計、爲禪定之室。彼山于今無烏鳶之類・諠譁之獸、兼生前之誓願也。常稱曰、弘佛法、以種姓爲先。故彼宗、親王・公子相繼不絶。寛平法皇受灌頂於此宗後、仁和寺最多王胤。圓融天皇入御地、誠是一宗之光華也。
【書き下し文】 唐朝より如意寳珠をし、もつて我朝に來る。この殊の在る所、びに惠果の後身は、彼の宗の深く祕する所なり。後金剛峰寺に於て、金剛定に入り、今于存す。初め人皆鬢髪常に生じ、形容變らざるを見る。山頂を穿ち、底に入ること半里計りを、禪定の之室と爲す。彼の山今于烏鳶の之類・諠譁の之獸無きは、兼ねて生前の之誓願なり。常に稱して曰く、佛法を弘むるは、種姓をもつて先と爲すと。故に彼の宗は、親王・公子相繼ぎて絶えず。寛平法皇灌頂を於この宗に受けて後、仁和寺最も王胤多し。圓融天皇の御地に入るは、誠にこれ一宗の之光華なり。
【漢文エディタ原文】 自リ 2( 唐朝 )1 シ 2( 如意寳珠ヲ )1 以テ來ル 2( 我朝ニ )1 。此ノ殊ノ在ル所、ビニ惠果ノ後身ハ、彼ノ宗ノ深ク所ナリ^祕スル也。後於テ 2( 金剛峰寺ニ )1 、入リ 2( 金剛定ニ )1 、于^今存ス焉。初メ人皆見ル 2( 鬢髪常ニ生ジ、形容不ルヲ )1^變ラ。穿チ 2( 山頂ヲ )1 、入ルコト^底ニ半里計リヲ、爲ス 2( 禪定ノ之室ト )1 。彼ノ山于^今無キハ 2( 烏鳶ノ之類・諠譁ノ之獸 )1 、兼ネテ生前ノ之誓願ナリ也。常ニ稱シテ曰ク、弘ムルハ 2( 佛法ヲ )1 、以テ 2( 種姓ヲ )1 爲スト^先ト。故ニ彼ノ宗ハ、親王・公子相繼ギテ不^絶エ。寛平法皇受ケテ 2( 灌頂ヲ於此ノ宗ニ )1 後、仁和寺最モ多シ 2( 王胤 )1 。圓融天皇ノ入ルハ 2( 御地ニ )1 、誠ニ是レ一宗ノ之光華ナリ也。

ヒト、大師已究竟大覺ナリ。本朝之面目、何事ギント。大師之心行、多於遺告廿二章。不カラネテ。延喜之比、始メテ諡號。彼之人起請シテ、除大師之外、不カラ諡號。仍シト智コ、所ナリ申請也。内供奉十禪師者、天台宗ナリ。雖ズト僧綱、猶。大師曰、有兩鉢之咎。不カラ。仍ズルノ僧綱後、必内供。眞如親王者、大同太子ナリ。後出家シテ大師弟子。太ラカナリ眞言、後入唐朝、更印土。爲メナリメンガ也。送ツテ於大師、雖シト明師、不大師。雖シト高閣、不大極殿云々。爰、作ルハ之人、猶シト グルガ月氏・漢家之人
【白文】 或曰、大師已得證究竟大覺位。本朝之面目、何事過之。大師之心行、多見於遺告廿二章。不可重諭。延喜之比、始賜諡號。彼宗之人起請曰、除大師之外、不可賜諡號。仍雖多智コ、所不申請也。内供奉十禪師者、天台宗人。雖任僧綱、猶不去之。大師曰、有兩鉢之咎。不可專然。仍任僧綱後、必去内供。眞如親王者、大同太子。後出家爲大師弟子。太珮チ言、後入唐朝、更向印土。爲求法也。送書於大師曰、雖多明師、不過大師。雖多高閣、不過大極殿云々。爰知、作吾土之人、猶過月氏・漢家之人。
【書き下し文】 或ひと曰く、大師已に證を得究竟大覺の位なり。本朝の之面目、何事か之に過ぎんと。大師の之心行、多く於遺告廿二章に見ゆ。重ねて諭すべからず。延喜の之比、始めて諡號を賜ふ。彼の宗の之人起請して曰く、大師を除く之外、諡號を賜ふべからず。仍て智コ多しといへども、申請せざる所なり。内供奉十禪師は、天台宗の人なり。僧綱に任ずといへども、なほこれを去らず。大師曰く、兩鉢の之咎有り。專ら然るべからずと。仍て僧綱に任ずるの後、必ず内供を去る。眞如親王は、大同の太子なり。後出家して大師の弟子と爲る。太だ眞言に烽轤ゥなり、後唐朝に入り、更に印土に向ふ。法を求めんが爲めなり。書を於大師に送つて曰く、明師多しといへども、大師に過ぎず。高閣多しといへども、大極殿に過ぎずと云々。爰に知る、吾が土の之人と作るは、なほ月氏・漢家の之人に過ぐるがごとしと。
【漢文エディタ原文】 或ヒト曰ク、大師已ニ得^證ヲ究竟大覺ノ位ナリ。本朝ノ之面目、何事カ過ギント^之ニ。大師ノ之心行、多ク見ユ 2( 於遺告廿二章ニ )1 。不^可カラ 2( 重ネテ諭ス )1 。延喜ノ之比、始メテ賜フ 2( 諡號ヲ )1 。彼ノ宗ノ之人起請シテ曰ク、除ク 2( 大師ヲ )1 之外、不^可カラ^賜フ 2( 諡號ヲ )1 。仍テ雖モ^多シト 2( 智コ )1 、所ナリ^不ル 2( 申請セ )1 也。内供奉十禪師ハ者、天台宗ノ人ナリ。雖モ^任ズト 2( 僧綱ニ )1 、猶ホ不^去ラ^之ヲ。大師曰ク、有リ 2( 兩鉢ノ之咎 )1 。不ト^可カラ 2( 專ラ然ル )1 。仍テ任ズルノ 2( 僧綱ニ )1 後、必ズ去ル 2( 内供ヲ )1 。眞如親王ハ者、大同ノ太子ナリ。後出家シテ爲ル 2( 大師ノ弟子ト )1 。太ダ焜宴Jナリ 2( 眞言ニ )1 、後入リ 2( 唐朝ニ )1 、更ニ向フ 2( 印土ニ )1 。爲メナリ^求メンガ^法ヲ也。送ツテ 2( 書ヲ於大師ニ )1 曰ク、雖モ^多シト 2( 明師 )1 、不^過ギ 2( 大師ニ )1 。雖モ^多シト 2( 高閣 )1 、不ト^過ギ 2( 大極殿ニ )1 云々。爰ニ知ル、作ルハ 2( 吾ガ土ノ之人ト )1 、猶ホ _シト_ ^過グルガ 2( 月氏・漢家ノ之人ニ )1 。

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東寺僧仕夜叉~事

【東寺僧】〔注h失。〕長生、仕夜叉~。慕白日昇天、仙~。告ゲテゥ人、其日將 カント。貴賤上下、軒騎滿溢。僧整法服、持香爐、觀念シテ而居。夜叉負。漸漸トシテ昇天。不夜叉、只見ルヲ。既雲霄、眇然トシテ。緇素感歎、撞イテ諷誦。頃クシテ之香爐忽。次イデ僧又降九霄。頭足宛轉、墮チテ而碎。啻、逢四天王來下スルニ、夜叉棄テテ而去ルト
【白文】 東寺僧求長生、仕夜叉~。慕白日昇天、仙~可許。告ゥ人云、其日將歩虚。貴賤上下、軒騎滿溢。僧整法服、持香爐、觀念而居。夜叉負之。漸漸昇天。不見夜叉、只見僧昇。既入雲霄、眇然不見。緇素感歎、撞鐘諷誦。頃之香爐忽落。次此僧又降自九霄。頭足宛轉、墮地而碎。啻曰、逢四天王來下、夜叉棄我而去。
【書き下し文】 東寺の僧長生を求め、夜叉~に仕ふ。白日昇天を慕ひ、仙~も許すべし。ゥ人に告げて云く、その日まさに虚に歩かんとすと。貴賤上下、軒騎滿溢す。僧法服を整へ、香爐を持し、觀念して居る。夜叉これを負ふ。漸漸として昇天す。夜叉を見ず、只僧の昇るを見る。既に雲霄に入り、眇然として見えず。緇素感歎し、鐘を撞いて諷誦す。頃くして之香爐忽ち落つ。次いでこの僧又九霄より降る。頭足宛轉し、地に墮ちて碎く。ただ曰く、四天王の來下するに逢ひ、夜叉我を棄てて去ると。
【漢文エディタ原文】 【東寺ノ僧】〈NOTE 失ス 2( 其ノ名ヲ )1 。 〉求メ 2( 長生ヲ )1 、仕フ 2( 夜叉~ニ )1 。慕ヒ 2( 白日昇天ヲ )1 、仙~モ可シ^許ス。告ゲテ 2( ゥ人ニ )1 云ク、其ノ日將ニ _ト_ ^歩カント^虚ニ。貴賤上下、軒騎滿溢ス。僧整ヘ 2( 法服ヲ )1 、持シ 2( 香爐ヲ )1 、觀念シテ而居ル。夜叉負フ^之ヲ。漸漸トシテ昇天ス。不^見 2( 夜叉ヲ )1 、只見ル 2( 僧ノ昇ルヲ )1 。既ニ入リ 2( 雲霄ニ )1 、眇然トシテ不^見エ。緇素感歎シ、撞イテ^鐘ヲ諷誦ス。頃クシテ之香爐忽チ落ツ。次イデ此ノ僧又降ル^自リ 2( 九霄 )1 。頭足宛轉シ、墮チテ^地ニ而碎ク。啻ダ曰ク、逢ヒ 2( 四天王ノ來下スルニ )1 、夜叉棄テテ^我ヲ而去ルト。

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日藏事

沙門日藏者、不レノナルカヲ。始-東寺、後住於大和國宇多郡寶生山龍門寺。學-眞言、~驗無マリ。後堀、得前身所之鈴杵。便二生之人ナリ也。到、足腫レテ行歩スルコト。山~メナリランガ他所ニハ。而レバ仁海僧正爲メニハンガ密ヘ、到日藏。日藏曰、可。莫カレ逗留スルコト。以セト鑒誡。昔於金峰山、入リテ禪定。見金剛藏王ビニ菅丞相。事於別記。長於聲明ビニ管絃。年及期頤きい〔注h百歳〕、猶。人疑數百歳之人ナルヲ
【白文】 沙門日藏者、不知何國人。始止住東寺、後住於大和國宇多郡寶生山龍門寺。學究眞言、~驗無極。後堀土、得前身所之鈴杵。便是二生之人也。到此山、足腫不能行歩。山~爲不令他所行臻。而仁海僧正爲習密ヘ、到日藏廬。日藏曰、可早歸。莫逗留。以我爲鑒誡。昔於金峰山、入深禪定。見金剛藏王菅丞相靈。事見於別記。長於聲明管絃。年及期頤、猶有少容。人疑其數百歳之人。
【書き下し文】 沙門日藏は、何れの國の人なるかを知らず。始め東寺に止住し、後於大和の國宇多郡寶生山龍門寺に住む。眞言を學び究め、~驗極まりなし。後土を堀り、前身む所の之鈴杵を得。すなはちこれ二生の之人なり。この山に到り、足腫れて行歩すること能はず。山~の他所には行き臻らしめざらんが爲めなり。而れば仁海僧正密ヘを習はんがために、日藏の廬に到る。日藏曰く、早く歸るべし。逗留することなかれ。我をもつて鑒誡と爲せと。昔金峰山に於て、入りて深く禪定す。金剛藏王びに菅丞相の靈を見る。事は於別記に見ゆ。於聲明びに管絃に長ず。年期頤きいに及び、なほ少き容有り。人その數百歳の之人なるを疑ふ。
【漢文エディタ原文】 沙門日藏ハ者、不^知ラ 2( 何レノ國ノ人ナルカヲ )1 。始メ止- 2( 住シ東寺ニ )1 、後住ム 2( 於大和ノ國宇多郡寶生山龍門寺ニ )1 。學ビ- 2( 究メ眞言ヲ )1 、~驗無シ^極マリ。後堀リ^土ヲ、得 2( 前身所ノ^ム之鈴杵ヲ )1 。便チ是レ二生ノ之人ナリ也。到リ 2( 此ノ山ニ )1 、足腫レテ不^能ハ 2( 行歩スルコト )1 。山~ノ爲メナリ^不ランガ^令メ 2( 他所ニハ行キ臻ラ )1 。而レバ仁海僧正爲メニ^習ハンガ 2( 密ヘヲ )1 、到ル 2( 日藏ノ廬ニ )1 。日藏曰ク、可シ 2( 早ク歸ル )1 。莫カレ 2( 逗留スルコト )1 。以テ^我ヲ爲セト 2( 鑒誡ト )1 。昔於テ 2( 金峰山ニ )1 、入リテ深ク禪定ス。見ル 2( 金剛藏王ビニ菅丞相ノ靈ヲ )1 。事ハ見ユ 2( 於別記ニ )1 。長ズ 2( 於聲明ビニ管絃ニ )1 。年及ビ 2( 【|期頤(きい)】〈NOTE 百歳 〉ニ )1 、猶ホ有リ 2( 少キ容 )1 。人疑フ 2( 其ノ數百歳ノ之人ナルヲ )1 。
松尾、欲ラント本覺。三七日夜、練念誦。及于竟、雷電霹靂、暴風雨、日西沓冥えうめいナリ。有一老父、來リテ日藏、兼ネテ。而シテ風振ルヒ御殿、數十百【歳飜〔注hマヽ。日藏屬シテ而居。殿中リテ聲曰婆尸びばし。日藏驚-。便老父ナリ也。一旦歸。入棺之後、一。或イハ、尸解シテ而去ルト
 u信。 法皇。 眞寂。 寛照。  長隣。  【日藏。】〔注h天十一七廿六入壇。〕
【白文】 嘗詣松尾、欲知其本覺。三七日夜、練行念誦。及于竟日、雷電霹靂、暴風雨、日西沓冥。有一老父、來叱日藏、兼薙草。而風振御殿戸、數十百歳飜。日藏屬耳而居。殿中有聲曰、婆尸佛。日藏驚見之。便是前老父也。一旦歸泉。入棺之後、一無其屍。或曰、尸解而去。

u信。法皇。眞寂。寛照。長隣。日藏。
【書き下し文】 嘗て松尾に詣で、その本覺を知らんと欲す。三七日夜、練り行ひ念誦す。于竟る日に及び、雷電霹靂、暴風雨、日西沓冥えうめいなり。一老父有り、來りて日藏を叱し、兼ねて草を薙ぐ。而して風御殿の戸を振るひ、數十百歳飜る。日藏耳を屬して居る。殿中に聲有りて曰く、婆尸びばし佛と。日藏これを驚き見る。すなはちこれ前の老父なり。一旦泉に歸す。入棺の之後、一もその屍なし。或いは曰く、尸解して去ると。

 u信。 法皇。 眞寂。 寛照。  長隣。  日藏。
【漢文エディタ原文】 嘗テ詣デ 2( 松尾ニ )1 、欲ス^知ラント 2( 其ノ本覺ヲ )1 。三七日夜、練リ行ヒ念誦ス。及ビ 2( 于竟ル日ニ )1 、雷電霹靂、暴風雨、日西|沓冥(えうめい)ナリ。有リ 2( 一老父 )1 、來リテ叱シ 2( 日藏ヲ )1 、兼ネテ薙グ^草ヲ。而シテ風振ルヒ 2( 御殿ノ戸ヲ )1 、數十百【歳飜ル】〈NOTE マヽ 〉。日藏屬シテ^耳ヲ而居ル。殿中ニ有リテ^聲曰ク、|婆尸(びばし)佛ト。日藏驚キ- 2( 見ル之ヲ )1 。便チ是レ前ノ老父ナリ也。一旦歸ス^泉ニ。入棺ノ之後、一モ無シ 2( 其ノ屍 )1 。或イハ曰ク、尸解シテ而去ルト。

u信。 法皇。 眞寂。 寛照。  長隣。  【日藏。】〈NOTE 天十一七廿六入壇。 〉

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慈覺大師事

慈覺大師、諱圓仁、俗姓壬生、下野ナリ。生レテ而【~聽】〔注h~コ歟〕、長ジテ而q雋ナリ。止-、師-傳ヘ大師。後夢中リテ先師グルニ、奏シテ公家大唐、究-眞言・止觀之道。逢七人聖僧、【-しやびやう〔注h奧義を餘さず傳授する。〕密ヘ。逢【會昌天子】〔注h唐武宗〕破滅スルニ佛法。大師逢喪亂、還リテ佛像經論、遂歸朝スルコトヲ。位到天台座主、帝王灌頂、公卿タリ。天性慈悲ニシテ、遂喜怒。門跡大マリ滿於天。作兩界儀形、祈スカカヲ。夢射日中、爰ズルコトヲ。及入滅之期、忽然トシテ而失、不。門弟相尋ヌルニ、落トシ【挿】〔注h草鞋と傳える。〕於如意山之谷、不。爰大權之人ナルコトヲ。豈ズヤ【~仙〔注h原文「~類仙」〕乎。事カナルハ。今記大概
【白文】 慈覺大師、諱圓仁、俗姓壬生、下野國人。生而~聽、長而q雋。止住延寺、師事傳ヘ大師。後夢中依先師告、奏公家入大唐、究學眞言・止觀之道。逢七人聖僧、瀉瓶密ヘ。逢會昌天子破滅佛法。大師逢此喪亂、還多得佛像經論、遂得歸朝。位到天台座主、帝王灌頂、公卿首。天性慈悲、遂不喜怒。門跡大弘滿於天。作兩界儀形、祈佛許否。夢射日中之、爰知應佛心。及其入滅之期、忽然而失、不知所在。門弟相尋、落挿於如意山之谷、不見其餘。爰知大權之人。豈非~仙類乎。事詳別傳。今記大概。
【書き下し文】 慈覺大師は、諱圓仁、俗姓壬生、下野の國の人なり。生れて~聽、長じてq雋なり。延寺に止住し、傳ヘ大師に師事す。後夢中に先師の告ぐるに依りて、公家に奏して大唐に入り、眞言・止觀の之道を究學す。七人の聖僧に逢ひ、密ヘを瀉瓶しやびやうす。會昌の天子の破佛法を滅するに逢ふ。大師この喪亂に逢ひ、還りて多く佛像經論を得、遂に歸朝することを得。位天台座主に到り、帝王の灌頂、公卿の首たり。天性慈悲にして、遂に喜怒せず。門跡大に弘まり於天に滿つ。兩界の儀形を作り、佛の許すか否かを祈る。夢に射日之に中り、爰に佛の心に應ずることを知る。その入滅の之期に及び、忽然として失せ、在る所を知らず。門弟相尋ぬるに、挿を於如意山の之谷に落とし、その餘を見ず。爰に大權の之人なることを知る。豈に~仙の類にあらずや。事の詳かなるは別に傳ふ。今大概を記す。
【漢文エディタ原文】 慈覺大師ハ、諱圓仁、俗姓壬生、下野ノ國ノ人ナリ。生レテ而【~聽】〈NOTE ~コ歟 〉、長ジテ而q雋ナリ。止- 2( 住シ延寺ニ )1 、師- 2( 事ス傳ヘ大師ニ )1 。後夢中ニ依リテ 2( 先師ノ告グルニ )1 、奏シテ 2( 公家ニ )1 入リ 2( 大唐ニ )1 、究- 2( 學ス眞言・止觀ノ之道ヲ )1 。逢ヒ 2( 七人ノ聖僧ニ )1 、【|瀉- 2( 瓶(しやびやう)】〈NOTE 奧義を餘さず傳授する。 〉ス密ヘヲ )1 。逢フ 3( 【會昌ノ天子】〈NOTE 唐武宗 〉ノ破滅スルニ 2( 佛法ヲ )1 。大師逢ヒ 2( 此ノ喪亂ニ )1 、還リテ多ク得 2( 佛像經論ヲ )1 、遂ニ得 2( 歸朝スルコトヲ )1 。位到リ 2( 天台座主ニ )1 、帝王ノ灌頂、公卿ノ首タリ。天性慈悲ニシテ、遂ニ不 2( 喜怒セ )1 。門跡大ニ弘マリ滿ツ 2( 於天ニ )1 。作リ 2( 兩界ノ儀形ヲ )1 、祈ル 2( 佛ノ許スカ否カヲ )1 。夢ニ射日中リ^之ニ、爰ニ知ル^應ズルコトヲ 2( 佛ノ心ニ )1 。及ビ 2( 其ノ入滅ノ之期ニ )1 、忽然トシテ而失セ、不^知ラ^所ヲ^在ル。門弟相尋ヌルニ、落トシ 2( 【挿】〈NOTE 草鞋と傳える。 〉ヲ於如意山ノ之谷ニ )1 、不^見 2( 其ノ餘ヲ )1 。爰ニ知ル 2( 大權ノ之人ナルコトヲ )1 。豈ニ非ズヤ 2( 【~仙ノ類ニ】〈NOTE 原文「~類仙」 〉 )1 乎。事ノ詳カナルハ別ニ傳フ。今記ス 2( 大概ヲ )1 。

       已上。

(識語)

慶安元年六月廿七日、以遍智院二品親王御本書寫。僧正弘賢持參之本ナリ也。餘傳記、抄-
權律師深譽

右本~仙拔萃一卷、以醍醐水本・報恩院本

延寶九年辛酉冬十月

右大江匡房本朝~仙傳、以侯爵前田家所藏古寫本-一本-おはんぬ
【白文】 已上。

慶安元年六月廿七日、以遍智院二品親王御本書寫。僧正弘賢持參之本也。餘傳記略之、抄出之。
權律師深譽
右本~仙拔萃一卷、以醍醐水本・報恩院本寫之。

延寶九年辛酉冬十月

右大江匡房本朝~仙傳、以侯爵前田家所藏古寫本傳寫一本再校之了。
【書き下し文】 已上。

慶安元年六月廿七日、遍智院二品親王御本をもつて書寫す。僧正弘賢持參の之本なり。餘の傳記はこれを略し、これを抄出す。
權律師深譽
右本~仙の拔萃一卷、醍醐水本・報恩院本をもつてこれを寫す。

延寶九年辛酉冬十月

右大江匡房の本朝~仙傳、侯爵前田家所藏の古寫本をもつて一本を傳寫しこれを再校しおはんぬ
【漢文エディタ原文】 已上。

慶安元年六月廿七日、以テ 2( 遍智院二品親王御本ヲ )1 書寫ス。僧正弘賢持參ノ之本ナリ也。餘ノ傳記ハ略シ^之ヲ、抄- 2( 出ス之ヲ )1 。
權律師深譽

右本~仙ノ拔萃一卷、以テ 2( 醍醐水本・報恩院本ヲ )1 寫ス^之ヲ。

延寶九年辛酉冬十月

右大江匡房ノ本朝~仙傳、以テ 2( 侯爵前田家所藏ノ古寫本ヲ )1 傳- 2( 寫シ一本ヲ )1 再- 2( 校シ之ヲ )1 |了(おはんぬ)。

(本朝~仙傳<了>)


  役行者   泰澄   都藍尼   教待和尚   弘法大師   東寺僧仕夜叉神事   日蔵   慈覚大師
[INDEX]