いさよひの日記
阿佛(1279-80頃)
群書類從 卷第332 紀行部6
(第18輯 昭3.4.25 續群書類從完成会)
〔 〕底本註−うち、〔 イ〕異本、〔 夫〕夫木抄、
〔 集〕扶桑拾葉集− / (* )入力者註
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旅立ちの由来
東下り
鎌倉の住居
長歌
奥書
旅立ちの由来
むかしかべのなかよりもとめいでたりけんふみの名は〔をばイ〕〔孔安國孝經序云、魯共王使3人壤2夫子講堂1、於2壁中石函1得2古文孝經二十二章1。〕、今の世の人の子は夢ばかりも身のうへのこととはしらざりけりな。みづぐきのをかのくずはかへす\〃/もかきおくあと(*藤原為家遺書。たしかなれども〔萬葉・十二、「水莖之崗乃田葛葉緒吹變而知兒等之不見頃鴨」〕(*「水茎の岡の葛葉を吹きかへし面知る兒らが見えぬ頃かも」3068−本文に直接関係なし。「水茎」は筆。「葛葉」まで「かへす\〃/」の序。)、かひなきものはおやのいさめなりけり。又「けんわうの人をすて給はぬまつりごとにももれ、ちうしんの世を思ふなさけにもすてらるゝものは、かずならぬ身ひとつなりけり。」とおもひしりながら、又さてしもあらで、なほこのうれへこそやるかたなくかなしけれ。さらにおもひつゞくれば、やまとうたのみちは、たゞまことすくなくあだなるすさみばかりとおもふ人もやあらん。「日のもとのくににあまのいはとひらけしとき、よものかみたちのかぐらのことばをはじめて、世をおさめものをやはらぐるなかだちとなりにける。」とぞ、このみちのひじりたちはしるしおかれたり。さても又集をえらぶ人はためしおほかれど、二たび勅をうけて世々に聞えあげたる家は、たぐひなほありがたくやありけん。そのあとにしもたづさはりて、みたりのをのこゞども(*定覚・為相・為守)、もゝちのうたのふるほぐどもを、いかなるえにかありけむ、あづかりもたることあれど、「道をたすけよ。こをはぐくめ。のちの世をとへ。」とて、ふかき契りをむすびおかれしほそ川のながれも、ゆゑなくせきとゞめられしかば、跡とふのりのともし火も、道をまもり家をたすけむおやこの命も、もろともにきえをあらそふとし月をへて、あやうく心ぼそきながら、なにとしてつれなくけふまではながらふらん。をしからぬ身ひとつはやすく思ひすつれども、子を思ふ心のやみはなほしのびがたく、道をかへりみる恨はやらんかたなく、「さても猶あづまのかめの鏡(*亀鑑。規範)にうつさむ〔旡イ〕は、くもらぬかげもやあらはるゝ〔按將軍執權次第。將軍惟康親王、執權相摸守時宗〕。」と、せめて思ひあまりて、よろづのはゞかりをわすれ、「身をえうなき物になしはてゝ、ゆくりもなくいざよふ月にさそはれいでなん。」とぞ思ひなりぬる。
さりとて、文屋のやすひでがさそふ水にもあらず〔古今・雜下、「文屋のやすひでがみかはのぞう(*三河掾)になりて『あがたみにはえいでたたじや。』といひやれりける返事によめる、/小野小町『侘ぬればみをうき草のねをたえてさそふ水あらばいなんとぞおもふ』〕。すむべき國もとむるにもあらず。比は〔建治三〕三冬(*み冬。冬の三ヶ月)たつはじめのさだめなきそらなれば、ふりみふらずみ時雨もたえず〔後撰・冬、よみ人しらず「神無月ふりみふらずみさだめなき時雨ぞ冬のはじめなりける」〕。あらしにきほふ木のはさへ、なみだとゝもにみだれちりつゝ、ことにふれて心ぼそくかなしけれど、人やりならぬ道なれば、いきうしとてもとゞまるべきにもあらで〔古今・離別、源さね「人やりの道ならなくに大かたはいきうしといひていざかへりこん(*かへりなむ)」〕、なにとなくいそぎたちぬ。「めかれせざりつる程だに、あれまさりつる庭もまがきも、まして。」と見まはされて、したはしげなる人々の袖のしづくも、なぐさめかねたる中にも、侍從〔爲相〕(*当時16歳)・大夫〔爲守〕(*当時14歳)〔爲相卿、公卿補任云、文永二・四・十三、從五下三歳。同五・八・廿四、從五上。同八・四・−、侍從。同十二・正・十八、兼美作權守。建治元・八・十六、復任。弘安二・八・十二、正五下、元爲輔改−相。同六・五・廿九、復任。〕などのあながちにうちくつしたるさま、いと心ぐるしければ、さま\〃/いひこしらへ、ねやのうちをみれば、むかしの枕さへさながらかはらぬをみるにも、今さらかなしくて、かたはらにかきつく。
とゞめおくふるき枕の塵をだに我たちさらば誰か拂はん
代々にかきおかれけるうたのさうしどものおくがきなどして、あだならぬかぎりをえりしたゝめて、侍從のかたへおくるとて、かきそへたる歌、
和歌の浦にかきとゞめたる藻鹽草是を昔のかたみともみよ
あなかしこよこなみかくな濱千鳥一かたならぬ跡を思はゞ
是を見て、じゞうのかへりごと、いととくあり。
終によもあだにはならじ藻鹽草かたみをみよの跡に殘せば
まよはまし教ざりせば濱千鳥一かたならぬ跡をそれとも
このかへりごといとおとなしければ、心やすくあはれなるにも、昔の人にきかせたてまつりたくて、又うちしほれぬ。大夫のかたはらさらずなれきつるを、ふりすてられなむなごり、あながちに(*とりわけ)おもひしりて、手ならひしたるをみれば、
はる\〃/と行先遠く慕はれていかにそなたの空をながめん
とかきつけたる、ものよりことにあはれにて、おなじかみにかきそへつ。
つく\〃/と空なながめそ戀しくは道遠くともはや歸りこむ
とぞなぐさむる。山よりじゞうのあにのりし(*律師)〔源承〕もいでたちみむとておはしたり。それもいと心ぼそしとおもひたるを、この手ならひどもをみて、又かきそへたり。
あだにのみ涙はかけじ旅衣心の行てたちかへるほど
とは、こといみしながら涙のこぼるゝを、あららかにものいひまぎらはすも、さま\〃/哀なるを、あざりのきみ〔慶融〔承遍(系圖)〕〕は山伏にて、此人〔々イ〕よりは兄なり。「此たびのみちのしるべに送り奉らむ。」とて出たゝるめるを、「この手ならひに又まじらはざらんやは。」とてかきつく。
たちそふぞ嬉しかりける旅衣かたみにたのむ親のまもりは
〔古今・離別、「をのゝちふるがみちのくのすけにまかりける時に、はゝのよめる/たらちねのおやのまもりとあひそふる心ばかりはせきなとゞめそ」〕
むすめのこはあまたもなし。たゞひとりにて(*紀内侍)、此ごろちかきほどの女院〔新陽明〕〔一代要記云、新陽明門院信子、建治元年四月(*1字欠)日、院號。關白左大臣基平公女、龜山院女御。〕にさぶらひ給ふ。院〔龜山〕のひめ宮一ところむまれ給〔しイ〕計にて、心づかひもまことしきさまにて、おとなしくおはすれば、宮の御かたのこひしさもかねて申おくついでに、侍從・大夫などのことはぐくみおは〔ほイ〕すべきよしもこまかにかきつけて、おくに、
きみをこそ朝日とたのめ古郷に殘るなでしこ霜にからすな
と聞えたれば、御かへりもこまやかにいとあはれにかきて、歌の返しには、
思おく心とゞめば古さとの霜にもかれじやまとなでしこ
とぞある。いつゝのこども(*慶融阿闍梨・源承律師・紀内侍・為相・為守)の歌のこりなくかきつゞけぬるも、かつはいとをこがましけれど、おやの心にはあはれにおぼゆるまゝにかきあつめたり。
東下り
「さのみ心よはくても〔はイ〕いかゞ。」とて、つれなくふりすてつ。あはだぐち(*ママ)といふ所より車はかへしつ。ほどなくあふさかのせきこゆるほどに、
さだめなき命はしらぬ旅なれど又あふ坂とたのめてぞ行
のぢといふ所は、こしかた行さき人もみえず。日は暮かゝりていと物がなしとおもふに、時雨さへうちそゝぐ。
うちしぐれ古郷思ふ袖ぬれて行先遠き野路の篠原
「こよひはかゞみといふ所につくべし。」とさだめつれど、くれはてゝゆきつかず。もり山といふ所にとゞまりぬ。こゝにも時雨なほしたひきにけり。
いとゞ猶袖ぬらせとや宿りけんまなく時雨のもる山にしも
けふは十六日の夜なりけり。いとくるしくてふしぬ。いまだ月のひかりかすかにのこりたるあけぼのに、もり山をいでてゆく。やす川わたるほど、さきだちて行たび人のこまのあしおとばかりさやかにて、きりいとふかし。
旅人はみなもろともにあさたちて駒打わたすやすの川霧
十七日の夜はをのゝしゆくといふ所にとゞまる。月いでて、山のみねに立つゞきたる松の木のま、けぢめみえていとおもしろし。こゝは夜ふかき霧のまよ〔がイ〕ひにたどりいでつ。さめが井といふ水、「夏ならばうち過ましや。」とおもふに、かち人は猶たちよりてくむめり。
むすぶ手ににごる心をすゝぎなば浮世の夢やさめがゐの水
とぞおぼゆる。
十八日、みのゝ國せきのふぢ川わたるほどに、まづおもひつゞけける。
我ことも君につかへんためならで渡らましやはせきの藤川
〔古今・二十、「みのゝくにせきのふぢ川たえずして君につかへん萬代までに」〕
ふはの關やのいたびさしは、いまもかはらざりけり。
ひまおほきふはの關屋はこの程の時雨も月もいかにもる覽
關よりかきくらしつるあめ、時雨に過てふりくらせば、みちもいとあしくて、心より外に、かさぬひのむまやといふ所に暮はてねどとゞまる。
旅人はみのうちはらふ夕暮の雨にやどかるかさぬひの里
十九日、又こゝを出てゆく。よもすがらふりつる雨に、ひらのとかやいふ程、みちいとわろくて、人かよふべくもあらねば、水田のおもをぞさながらわたりゆく。あくるまゝに、あめはふらずなりぬ。ひるつかた、過ゆく道にめにたつ社あり。人にとへば、「むすぶの神とぞきこゆる。」といへば、
まもれたゞ契結ぶの神ならばとけぬ恨にわれまよはさで
すのまたとかやいふ川には、舟をならべて、まさきのつなにやあらん、かけとゞめたるうきはしあり。いとあやうけれどわたる。この川、つゝみのかたはいとふかくて、かた\/はあさければ、
かた淵の深き心はありながら人めつゝみにさぞせかるらん
假の世のゆきゝとみるもはかなしや身を浮舟を浮橋にして
とぞおもひつゞけける。又一宮といふやしろをすぐとて、
一宮名さへなつかしふたつなく三なき法をまもる成べし
廿日、おはりの國おりど〔つ〕(*下戸)といふむまやをゆく。よきぬみちなれば、あつたのみやへまゐりて、硯とりいでてかきつけてたてまつる歌、
祈るぞよわが思ふこと鳴海がたかた〔さしイ〕ひく汐も神のまに\/
なるみがたわかの浦かぜ隔てずはおなじ心に神もうくらん
みつ汐のさしてぞきつる鳴海がた神やあはれとみるめ尋て
雨風も神の心にまかすらんわが行さきのさはりあらすな
なるみのかたをすぐるに、しほひのほどなれば、さはりなくひがたを行。折しも濱千鳥いとおほくさきだちて行も、しるべがほなる心地して、
濱千鳥啼てぞさそふ世中に跡とめむとは思はざりしを
「すみだ川のわたりにこそあり。」と聞しかど、みやこどりといふ鳥のはしとあしとあかきは、此うらにもありけり。
こととはむ觜と足とはあかざりし我住〔こし夫〕かたの都鳥かも
二むら山をこえて行に、山も野もいととほくて、日もくれはてぬ。
はる\〃/と二村山を行過て猶すゑたどる野べの夕やみ
「八橋にとゞまらん。」といふ。くらさにはしもみえずなりぬ。
さ〔玉(*集)〕ゝかにのくもであやうき八橋を夕ぐれかけて渡りぬる哉〔かねぬる集〕
廿一日、八はしをいでて行に、いとよくはれたり。山もととほきはら野を分行。ひるつかたになりて、もみぢいとおほき山にむかひてゆく。風につれなき所々、くちばにそめかへてけり。ときは木どもゝ立まじりて、あをぢのにしきを見る心ちす。人にとへば宮ぢ山といふ。
時雨けり染る千入(*ちしほ)のはては又紅葉の錦色かはるまで
此山までは昔みしこゝちするに、ころさへかはらねば、
待けりな昔もこえし宮地山おなじ時雨のめぐりあふよを
山のすそ野にたけのある所に、かややの一(*ひとつ)みゆる。いかにして、なにのたよりに、かくてすむらんとみゆ。
ぬしや誰山の裾野に宿しめてあたりさびしき竹の一村
日は入はてゝなほ物のあやめも分ぬほどにわたうと(*渡津)とかやいふ所にとゞまりぬ。
廿二日のあかつき、夜ぶかき有明のかげにいでてゆく。いつよりもものがなし。
すみわびて月の都を出しかどうき身はなれぬ有明の影
とぞおもひつゞくる。ともなる人、「有明の月さへかさきたり。」といふをきゝて、
旅人のおなじ道にや出つらん笠うちきたる有明の月
たかし山もこえつ。うみ見ゆる程いとおもしろし。浦かぜあれて、松のひゞきすごく、浪いとたかし。
我ためや浪もたかしの濱ならん袖の湊の波はやすまで
いとしろきすざきに、くろきとりのむれゐたるは、うといふとりなりけり。
白濱に墨の色なるしまつどり筆もおよばゞゑにかきてまし
はまなのはしよりみわたせば、かもめといふ鳥いとおほくとびちがひて、水の底へもいる。岩の上にもゐたり。
鴎ゐる洲崎の岩もよそならず浪のかけこす袖にみなれて
こよひはひくま(*引馬)のしゆくといふところにとゞまる。このところのおほかたの名は〔名をばイ〕、はま松とぞいひし。したしといひしばかりの人々もすむ所なり。(*「うたたね(の記)」で嘗て訪ねた所。)すみこし人のおもかげもさまざま思ひ出られて、又めぐりあひてみつる命のほども、かへす\〃/あはれなり。
濱松のかはらぬかげを尋きてみし人なみに(*無いので)昔をぞとふ
その世にみし人のこむまごなどよびいでてあひしらふ(*相手をする)。
廿三日、天りうのわたりといふ。舟にのるに、西行がむかしもおもひいでられていと心ぼそし〔西行法師繪詞云、「東のかたざまへ行ほどに、遠江國天龍のわたりにまかりつきて舟にのりたれば、「所なし。おりよ。」と鞭をもちてうつほどに、かしらわれてちながれてなん、西行うちわらひて、うれふる色もみえておりけるを」〕。くみあはせたる舟たゞ一にて、おほくの人のゆきゝにさしかへるひまもなし。
水の淡の浮世にわたる程をみよ早瀬の小舟棹もやすめず
こよひはとほつあふみみつけのこふといふ所にとゞまる。里あれて物おそろし。かたはらに水の井〔江夫〕あり。
たれかきてみつけの里と聞からにいとゞ旅ねぞ〔の夫〕空恐ろしき
廿四日、ひるになりてさやの中山こゆる〔イ旡〕(*異本に無し、の意か。)。ことのまゝとかやいふやしろのほど、もみぢいとさかりにおもしろし。山かげにて、あらしもおよばぬなめり。ふかくいるまゝに、をちこちのみねつゞきこと山ににず、心ぼそくあはれなり。ふもとのさとにきく川(*菊川)といふ所にとゞまる。
越くらす麓の里の夕闇にまつ風おくるさやの中山
あかつきに〔イ旡〕おきてみれば、月もいでにけり。
雲かゝるさやの中山こえぬとは都につげよ有明の月
河おといとすごし。
わたらむと思ひやかけし東路に有と計はきく川の水
廿五日、きく川をいでて、けふは大井川といふ河をわたる。水いとあせて、きゝしにはたがひてわづらひなし。かはらいくりとかや、いとはるか也。水のいでたらんおもかげおしはからる。
思ひいづる都のことは大井河幾瀬の石のかずもおよばじ
うつの山こゆるほどにしも、あざりのみしりたる山ぶしゆきあひたり。「夢にも人を」(*「夢にも人にあはぬなりけり」)など、むかしをわざとまねびたらん心地して、いとめづらかに、をかしくもあはれにもやさしくもおぼゆ。「いそぐ道なり。」といへば、文もあまたはえかゝず。たゞやむごとなきところひとつにぞ、おとづれきこゆ〔るイ〕。
我心うつゝともなしうつの山夢にも遠き昔こふとて
つたかえでしぐれぬひまもうつの山涙に袖の色ぞこがるゝ
こよひはてごし(*手越)といふところにとゞまる。なにがしの僧正とかやののぼるとて、いと人しげし。やどかりかねたりつれど、さすがに人のなきやどもありけり。
廿六日、わらしな川(*藁科川)とかやわたりて、おきつの濱にうちいづ。なく\/いでしあとの月かげなど、まづおもひいでらる〔新古今・羇旅、「定家卿「こととへよおもひおきつの濱千鳥なくなく出しあとの月かげ」〕。ひる立いりたる所に、あやしきつげのをまくらあり。いとくるしければうちふしたるに、すゞりもみゆれば、まくらのしやうじに、ふしながらかきつけつ。
なほざりにみるめ計をかり枕結びおきつと人にかたるな
暮かゝるほど、きよみが關をすぐ。岩こす波のしろききぬをうちきするやうにみゆる、いとをかし。
清見がた年ふる岩にこととはむ波のぬれ衣幾かさねきつ(*る)
ほどなくくれて、そのわたりの海ちかきさとにとゞまりぬ。浦人のしわざにや、となりよりくゆりかゝるけぶり、いとむつかしきにほひなれば、「夜のやどなまぐさし。」といひける人のことばも思ひいでらる〔白氏文集「縛戎人」云、「朝■(二水+食:さん::大漢和44022)飢渇費2杯盤1、夜宿腥■(肉月+品/木:そう::大漢和29955)汚2牀席1。」〕。よもすがらかぜいとあれて、浪たゞ枕の上にたちさはぐ。
ならはずよ余所に聞こし清見潟あら磯浪のかゝるねざめ〔まくらイ〕は
ふじの山をみれば、けぶりもたゝず。むかしちちの朝臣(*平度繁か。)にさそはれて、「いかになるみの浦なれば」などよみし比〔續古・羇旅/安嘉門院右衛門佐(*阿仏尼)「さてもわれいかになるみの浦なれば思かたにはとほざかるらん」〕、とほつあふみの國までは見しかば、ふじのけぶりのすゑもあさ夕たしかにみえし物を、「いつのとしよりかたえし。」ととへば、さだかにこたふる人だになし。
誰かたになびきはてゝかふじのねの煙の末のみえずなる覽
古今の序のこと葉までおもひ出られて、
いつの世の麓の塵かふじのねを雪さへ高き山となしけん
朽はてし長柄の橋をつくらばやふじの煙もたゝずなりなば
こよひは浪のうへといふ所にやどりて、あれたるおとさらにめもあはず。
廿七日、あけはなれてのちふじ河わたる。あさ川、いとさむし。かぞふれば十五せをぞわたりぬる。
冴わびぬ雪よりおろすふじ河の川風こほる冬の衣手
けふは、日いとうらゝかにて、たごの浦にうちいづ。あまどものいさりするをみても、
心からおりたつたごのあま衣ほさぬ恨と人にかたるな
とぞいはまほしき。いづのこふといふ所にとどまる。いまだ夕日のこるほど、みしまの明神へまゐるとて、よみてたてまつる。
あはれとやみしまの神の宮柱唯こゝにしもめぐりきにけり
おのづからつたへし跡も有ものを神はしるらんしき嶋の道
尋きてわがこえかゝる箱根路を山のかひある知べ(*しるべ)とぞ思ふ
廿八日、いづのこふをいでてはこねぢにかゝる。いまだ夜深かりければ、
玉くしげ箱根の山をいそげども猶明がたき横雲の空
「あしがら山はみちとほし。」とて、はこねぢにかかるなりけり。
ゆかしさよ其方の雲をそばだてゝよそになしぬる足柄の山
いとさがしき山を、くだる人のあしもとゞまりがたし。ゆさかとぞいふなる、からうじてこえはてたれば、又ふもとにはや川といふ川あり。まことにはやし。木のおほくながるゝを「いかに。」ととへば、「あまのもしほ木をうらへいださむとてながすなり。」といふ。
東路のゆさかを越てみわたせばしほ木ながるゝはや川の水
ゆさかより浦にいでて、日くれかゝるになほとまるべき所遠し。いづの大しままでみわたさるゝ海づらを「いづことかいふ。」ととへば、しりたる人もなし。あまの家のみぞある。
あまのすむその里の名も白浪のよする渚に宿やからまし
まりこ川(*丸子川)といふ川をいとくらくてたどりわたる。こよひはさかはといふ所にとゞまる。「あすはかまくらへいるべし。」といふなり。
廿九日、さかはをいでて濱路をはる\〃/と行。あけはなるゝうみづら、いとほそき月いでたり。
浦路ゆく心ぼそさを波間より出てしらする有明の月
なぎさによせかへる浪のうへにきりたちて、あまたありつるつりぶねみえずなりぬ。
あま小舟漕行かたをみせじとや浪に立そふ浦の朝霧
みやことほくへだたりはてぬるも、なほ夢のこゝちして、
立はなれよもうきなみはかけもせじ昔の人の同じ世ならば
鎌倉の住居
あづまにてすむ所は、月かげのやつ(*月影の谷)とぞいふなる。浦近き山もとにて、風いとあらし。山寺〔極樂寺〕のかたはらなれば、のどかにすごくて、浪の音松のかぜたえず。都のおとづれは、いつしかおぼつかなきほどにしも、うつの山にてゆきあひたりし山ぶしのたよりにことづけ申たりし人の御許より、たしかなるたよりにつけて、ありし御返しと覺しくて、
旅衣涙をそへてうつの山しぐれぬひまもさぞしぐるらん
ゆくりなくあくがれ出し十六夜の月やおくれぬ形見成べき
「都をいでしことは、神無月十六日なりしかば、いざよふ月をおぼしめしわすれざりけるにや。」と、いとやさしくあはれにて、たゞ此〔御イ〕返事ばかりをぞ又きこゆ。
めぐりあふ末をぞ頼むゆくりなく空にうかれし十六夜の月
さきのうひやうゑのかみの御女大宮のゐん〔常盤井相國實氏公一女、後嵯峨院中宮、後深草・龜山兩院母后。〕の權中納言ときこゆ〔る人イ〕、歌のことゆゑ朝夕申なれしかばにや、道のほどのおぼつかなさなどおとづれ給へる文に、
はる\〃/と思ひこそやれ旅衣涙しぐるゝほどやいかにと
返しに、
思ひやれ露も時雨も一つにて山路分こし袖の雫を
此せうとのためかぬ〔爲兼〕の君も、おなじさまにおぼつかなさ〔くイ〕などかきて、
古郷は時雨にたちし旅衣雪にやいとゞさえまさるらん
かへし、
旅衣浦かぜさえて神なづきしぐるゝ空に雪ぞふりそふ
しきかんもむゐん〔式乾門院〕〔後高倉院姫宮、四條院准母。〕のみくしげどのときこゆるは、こがの太政大臣〔通光〕の御女、これも續後撰よりうちつゞき、二たび三たびの家いへのうちぎゝ(*家集か。)にも、歌あまたいり給へる人なれば、御名もかくれなくこそ。いまは安嘉門院〔邦子〕〔後高倉院姫宮、後堀河院准母。〕に御かたとてさぶらひ給。あづまぢおもひ立しあすとて、まかり申のよし、北白川どの〔安嘉門院御在所〕へまゐりしかど、見えさせ給はざりしかば、こよひばかりのいでたちものさはがしくて、「かく。」とだにきこえあへず。いそぎいでしにも、心にかゝり〔給イ〕て、おとづれきこゆ。草の枕ながら年さへも暮ぬる心ぼそさ、雪のひまなさなど、かきあつめて、
消かへりながむる空もかきくれて程は雲ゐぞ雪に成行
などきこえたりしを、立かへり、その御返し、
「たよりあらば。」と心にかけまゐらせつるを、けふはしはすの廿二日、文まちえて、めづらしくうれしさ、まづなに事もこまかに申たく候に、こよひは御かたたがへのぎやうかうの御うへとて、まぎるゝほどにて、「おもふばかりもいかゞ。」とほいなうこそ。御たび、「あす。」とて御まゐり有ける日しも、みねどのの「もみぢ見に。」とて、わかき人々さそひにしほどに、後にこそかゝる事どもきこえ候しか。などや、「かく。」とも御尋候はざりし。
一かたに袖やぬれまし旅衣たつ日をきかぬ恨なりせば
さてもそれより「雪になり行」と、おしはかりの御返事は、
かきくらし雪ふる空のながめにも程は雲ゐの哀をぞしる
とあれば、このたびは又「たつ日をしらぬ。」とある御返しばかりをぞきこゆる。
心からなにうらむらん旅衣たつ日をだにもしらずがほにて
曉、たよりありときゝて、よもすがらおきゐて、都の文どもかく中に、ことにへだてなくあはれにたのみかはしたるあね君(*中院中将〈三位入道〉妻)に、をさなき人々の事さま\〃/にかきやるほど、れいの浪かぜはげしくきこゆれば、たゞ今あるまゝのことをぞかきつけける。
夜もすがら涙もふみもかきあへず磯こす風に獨おきゐて
又おなじさまにて、古郷には戀しのぶをとうと(*妹)のあまうへにも、ふみたてまつるとて、いそものなどのはし\〃/もいさゝかつゝみあつめて、
いたづらにめかり鹽やくすさびにも戀しやなれし里の蜑人
ほどへて、このおとゝひ(*姉妹)ふたりのかへりごといとあはれにて、みればあねぎみ、
玉づさをみるに涙のかゝる哉磯こす風は聞こゝちして
このあねぎみは、中のゐんの中將と聞えし人のうへなり。今は三位入道とか〔はイ〕おなじ世ながらとほざかりはてゝおこなひゐたる人なり。そのをとうとのきみも、「めかりしほやく」とある返事さま\〃/にかきつけて、「人こふる涙の海はみやこにもまくらの下にたゝへて〔古今・戀三/友則「しきたへの枕のしたに海はあれど人をみるめはおひずぞありける」〕。」など、やさしくかきて、
もろともにめかり鹽燒浦ならば中々袖に波はかけじを
此人も安嘉門院にさぶらひしなり。つゝましくする事どもをおもひつらねてかきたるも、いとあはれにもをかし。
ほどなく年くれて春にもなりにけり。かすみこめたるながめのたどたどしさ、谷の戸はとなりなれども、うぐひすのはつねだにもおとづれこず。おもひなれにし春の空はしのびがたく、むかしの戀しきほどにしも、又「みやこのたよりあり。」とつげたる人あれば、れいの所々へのふみかく中に、「いざよふ月」とおとづれ給へりし人の御もとへ、
朧なる月はみやこの空ながらまだきかざりし波のよな\/
など、そこはかとなきことどもをかきて聞えたりしを、たしかなる所よりつたはりて、御かへりごとをいたうほどもへずまちみたてまつる。
ねられじな都の月を身にそへてなれぬ枕の波のよな〔るイ〕\/
權中納言のきみは、まぎるゝことなくうたをよみ給ふ人なれば、此ほどてならひにしたる歌どもかきあつめてたてまつる。「うみちかき所なれば、かひなどひろふをりも、なぐさの濱ならねば、なほなき心ちして。」などかきて、
いかにしてしばし都を忘貝浪のひまなく我ぞくだくる
しらざりし浦山風も梅がかは都ににたるはるの明ぼの
花ぐもりながめて渡る浦風に霞たゞよふ春のよの月
〔爲尹卿千首「何となく雨にはならぬ花ぐもりさくべき比やきさらぎの空」〕
東路の磯山かぜのたえまより波さへ花のおもかげにたつ
宮こ人おもひもいでば東路の花やいかにとおとづれてまし
など、たゞ筆にまかせておもふまゝに、いそぎたるつかひとて、かきさすやうなりしを、又ほどへず返し給へり。「日ごろのおぼつかなさも、此ふみにかすみ晴ぬる心ちして。」など侍〔あイ〕り。
たのむぞよ汐干に拾ふうつせ貝かひある波の立かへる世を
くらべみよ霞のうちのはるの月はれぬ心はおなじながめを
〔爲廣卿集「是そこの月の桂の花曇かすむをよそになに恨けん」〕
しら浪の色もひとつに散はなを思ひやるさへおもかげにたつ
東路の櫻をみても忘れずは都の花を人やとはまし
やよひの末つかた、わか\/しきわらはやみにや、日まぜにおこること二たびになりぬ。あやしうしほれはてたる心ちしながら、三たびになるべきあかつきよりおきゐて、佛のおまへにて、心を一にして、ほくゑきやう〔法華經〕をよみつ。そのしるしにや、なごりもなくおちたるをりしも、都のたよりあれば、かゝる事こそなど古郷へもつげやるついでに、れいの權中納言の御もとへ、「たびの空にてあやうきほどの心ぼそさも、さすが御法のしるしにや、けふまではかけとゞめて。」とかきて、
いたづらにあまの鹽燒煙ともたれかはみまし風に消なば
と聞えたりしを、おどろきてかへりごととくし給へり。
消もせじわかの浦路に年をへて光をそふるあまのもしほ火
御きやうのしるし、いとたふとくて、
たのもしな身にそふ友と成にけりたへなる法の花の契りは
卯月のはじめつかた、たよりあれば、又おなじ人の御もとへ、こぞのはるなつのこひしさなどかきて、
見し世こそかはらざるらめ暮はてし春より夏にうつる梢も
夏衣はやたちかへて都人今やまつらん山ほとゝぎす
そのかへし、又あり。
草も木もこぞみしまゝにかはらねど有しにもにぬ心ちのみして
さてほとゝぎすの御たづねこそ。
人よりも心つくして郭公たゞ一聲をけふぞ聞つる
さねかたの中將の五月まで時鳥きかで、みちのくにより、〔續後撰〕「都にはきゝふる〔りイ〕す〔ぬイ〕らん郭公せきのこなたの身こそつらけれ」とかや申されたる事の候なる。そのためしとおもひいでられて。此文こそことにやさしく。
など、かきておこせ給へり。さるほどに、う月のすゑになりければ、ほとゝぎすのはつねほのかにもおもひたえたり。人づてに聞ば、「ひきのやつ(*比企谷)といふ所にあまた聲なきけるを、人きゝたり。」などいふをきゝて、
忍びねはひきのやつなる郭公雲ゐにたかくいつかなのらん
などひとり思へども、そのかひもなし。もとより東路は、みちのおくまで、昔より時鳥まれなるならひにやありけん。「ひとすぢに又なかずはよし。稀にきく人ありけるこそ、人わきしけるよ。」と、心づくしにうらめしけれ。又くはとくもんゐん〔和徳門院、義子〕〔九條廢帝姫宮〕の新中納言ときこゆるは、京極中納言〔定家〕の御むすめ(*養子か。)、ふか草のさきの齋宮〔■(二水+煕:き:〈交換略字〉:大漢和50836)子〕〔後鳥羽院皇女、類聚大補任云、建保五年熈子内親王御歳十三。九月十四日、立野宮、同十九日着。〕ときこえしに、ちゝの中納言のまゐらせおき給へるまゝにて年へ給にける。此女院は齋宮の御子にしたてまつり給へりしかば、つたはりてさぶらひ給なり。「うきみこがるゝもかり舟」〔續後撰・戀五「にごり江にうきみこがるゝもかりぶねはてはゆきゝのかげだにもみず」〕などよみ給へりし民部卿のすけのせうとにてぞおはしける、さる人のこにて、「あやしきうたよみて、人にはきかれじ。」とあながちにつゝみ給しかど、はるかなるたびの空おぼつかなさに、哀なる事どもをかきつゞけて、
いか計子を思ふつるのとび別れならはぬ旅の空になくらん
と、文のことばにつゞけて、歌のやうにもあらずかきなし給へるも、人よりはなほざりならずおぼゆ。御かへり事は、
それゆゑにとび別ても蘆たづの子を思ふかたは猶ぞ戀しき
と聞ゆ。そのついでに、「故入道大納言〔爲家〕、草のまくらにもたちそひて、夢にみえさせ給ふよしなど、この人ばかりやあはれともおぼさむ。」とて、かきつけてたてまつる。
宮こまでかたるも遠し思ひねに忍ぶ昔の夢のなごりを
はかなしや旅ねの夢にまよひきてさむればみえぬ人の俤
などかきてたてまつりしを、又あながちにたよりたづねてかへりごとし給へり。さしも忍び給へりしも、折から成(*ママ)けり。
東路の草の枕は遠けれどかたればちかきいにしへの夢
いづくよりたびねの夢にかよふらん思ひおきつる露を尋て
などの給へり。
夏のほどは、あやしきまで音づれもたえて、おぼつかなさも一かたならず。都のかたはしがのうら浪たち、山・三井寺のさはぎなどきこゆるも、いとゞおぼつかなし〔帝王編年記云、弘安元年五月十二日巳時、日吉神輿三基入洛。是依2園城寺金堂供養1也。十六日、日吉神輿各皈座。〕。からうじて八月二日ぞ、つかひまちえて、日ごろよりおきたりける人々のふみども、とりあつめてみつる。じゞうの君〔為相、十六〕のもとより「五十首の和歌をよみたりける。」とて、きよがきもしあへずくだされたり。うたもいとをかしくなりまさりけり。五十首に十八首、てん(*点)あひぬるもあやしく、心のやみのひがめこそあるらめ。その中に、
心のみ〔こそイ〕へだてずとても旅衣山路かさなるをちの白雲
とあるうたをみるに、「旅の空を思ひおこせてよまれたるにこそは。」と、心をやりてあはれなれば、その歌のかたはらに、もじちひさく返事をぞかきそへてやる。
戀しのぶ心やたぐふ朝夕に行てはかへるをちのしら雲
又おなじたびのだいにて、
かりそめの草の枕のよな\/を思ひやるにも袖ぞ露けき
とある所にも、又かへりごとをぞかきそへたる。
秋ふかき草の枕に我ぞなくふりすてゝこしすゞ蟲のねを
又此五十首のうたのおくに、こと葉をかきそふ。大かた歌のさまなどしるしつけて、おくに、昔の人の歌、
是をみばいか計かとおもひつる人にかはりてね社(*こそ)なかるれ
とかきつく。
じゞうのをとうとためもりの君〔爲守、十四〕のもとよりも、廿〔三十イ〕首のうたをおくりて、「これにてんあひて、わろからん事をこまかにしるしたべ。」といはれたり。ことしは十六ぞかし。〔常樂記云、嘉暦三年十一月八日、曉月房逝去。終焉歌「むとせあまりよとせの冬のながきよにうきよのゆめをみはてぬるかな」。是によつて按ずるに、弘安元年は爲守十四也。諸本十六に作るものは非ならんか。(*原文片仮名)〕歌のくちなればやさしくおぼゆるも、返す\〃/心のやみとかたはらいたくなむ。これも旅のうたには、「こなたを思ひてよみたりけり。」とみゆ。くだりしほどの日記(*東下りの日次記か。)をこの人々の許へつかはしたりしをよまれたりけるなめり。
立別れふじの煙をみても猶心ぼそさのいかにそひけん
又是も返しをかきつく。
かりそめに立別ても子をおもふ思ひをふじの煙とぞみし
また權中納言の君、こまやかに文かきて、「くだり給ひし後は、うたよむ友もなくて、秋に成てはいとゞおもひいできこゆるまゝに、ひとり月をのみながめあかして。」などかきて、
東路の空なつかしきかたみだに忍ぶ涙にくもる月かげ
此御返事、これも古郷の戀しさなどかきて、
かよふらし宮この外の月みても空なつかしきおなじながめは
都の歌ども、こののちおほくつもりたり。又かきつくべし。
長歌
しき嶋や やまとの國は あめつちの ひらけ初し
むかしより 岩戸を明て おもしろき かぐらのことば
うたひてし さればかしこき ためしとて ひじりの御世の〔もイ〕
みちしるく〔すてられずイ〕 人のこゝろを たねとして 萬のわざを
ことのはに おに神までも あはれとて〔なびくめりイ〕 八嶋の外の
よつのうみ 波もしづかに をさまりて 空ふく風も
やはらかに 枝もならさず ふるあめも 時さだまれば
きみ\〃/の みことのまゝに したがひて わかの浦路の
もしほぐさ かきあつめたる あとおほく それが中にも
名をとめて 三代までつぎし 人のこの 親のとりわき
ゆづりてし そのまことをば もちながら 思へばいやし
しなのなる そのはゝきゞの そのはらに たねをまきたる
とがとてや 世にもつかへよ いけるよの 身をたすけよと
契りおく すまとあかしの つゞきなる ほそ川山の
山〔谷イ〕川の〔にイ〕 わづかにいのち かけひとて つたひし水の
みなかみも せきとめられて いまはたゞ くがにあがれる
いをのごと かぢをたえたる ふねのごと よるかたもなく
わびはつる こを思ふとて よるのつる なく\/宮こ
いでしかど 身はかずならず かまくらの 世のまつりごと
しげければ きこえあげてし ことの葉も 枝にこもりて
むめの花 よとせの春に〔弘安三〕 なりにけり 行衞もしらぬ
なかぞらの 風にまかする ふるさとは 軒端もあれて
さゝがにの いかさまにかは なりぬらん 世々の跡ある
玉づさも さて朽はてば あしはらの 道もすたれて
いかならん 是をおもへば わたくしの なげきのみかは
世のためも つらきためしと なりぬべし 行さきかけて
さま\〃/に かきのこされし ふでの跡 かへす\〃/も
いつはりと おもはましかば〔いふ人あらばイ〕 ことわりを たゞすの森も
ゆふしでに やよやいさゝか かけてとへ みだりがはしき
すゑの世に あさはあとなく なりぬとか いさめおきしを
わすれずは ゆがめることも またたれか 引なほすべき
とばかりに 身をかへりみず たのむぞよ その世をきけば
さてもさは のこるよもぎと かこちてし 人のなさけも
かゝりけり おなじはりまの さかひとて 一つながれを
くみしかば 野中の清水 よどむとも もとの心に
まかせつゝ とゞこほりなき 水ぐきの 跡さへあらば
いとゞまた つるが岡べの 朝日かげ 八千代の光
さしそへて あきらけき世の なほもさかへん
ながかれと朝夕いのる君が代をやまとこと葉にけふそのべつる
奥書
「のこるよもぎとかこちける」といふ所のうらがきに、
くはうたいこぐう(*皇太后宮)の大夫しゆんぜいの卿の御むすめ、ちゝのゆづりとて、はりまのくにこしべのしやう(*越部庄)といふ所をつたへしられけるを、さまたげおほくて、武藏のぜんじ〔平泰時〕へ、ことなるそしようにはあらでまゐらせられける歌、しんちよくせんにも入侍とやらん〔新勅・雜二/平泰時「世中にあさは跡なく成にけり心のままのよもぎのみして」〕。「心のままのよもぎのみして」といふうたをかこちて申されける歌、
君ひとり跡なきあさのみをしらば殘る蓬がかず〔げイ〕をことわれ
とよまれければ、ひやうぢやうにもおよばず。廿一かでうの地とうのひほふをみなとゞめられけり。そののち、野中のしみづをすぐとて、
〔續古〕わすられぬもとの心のありがほに野中のしみづかげをだにみじ
とよまれたるも、そのこしべのしやうへくだられけるときのうたにて候。〔新勅撰(*続古今集)に入て侍し。永仁六年三月一日書之。〕
このあぶつばうと申人は、定家の息爲家の室也。きんだち五人まし\/候。はりまの國ほそ川のしやうを爲家よりゆづりおかれ候を、爲氏たふく(*他腹)たるによりて、あふりやう候そしやうのためにかまくらへくだられ候時の道の日記にて候。爲氏もちんじやうのためにかまくらへ下向。兩人ともにかまくらにて死去せられし。そしようは爲氏のかたへはつけられず候しとかや。あぶつは安嘉門院の四條と申人なり。為相のはゝなり。
右十六日夜日記(*ママ)、以岡山少將光政朝臣筆本書寫、以夫木抄・扶桑拾葉集及他本校合畢。
(*了)
旅立ちの由来
東下り
鎌倉の住居
長歌
奥書
【本文の仮名遣いの例】 をく(置く)、なを(猶)、ゆへ(故)、おし(惜し)、ようなし(要無し)、きおふ(競ふ)、をくる(贈る)、まいる(参る)、まいらす、とをし(遠し)、とをざかる、とをつあふみ(遠江)、をよぶ(及ぶ)、をと(音)、をとづれ、をしはかる(推し量る)、おかし、なをざりなり、むづかし、をのづから、をくる(遅る)、ゆへ(故)、もむ(門)、もんいむ(門院)、あえず(敢ず)、おさなし、をこなふ、をこす(遣す)、ちいさし、をに神(鬼神)、おさまる、ことはり(理)、ことはる、ひきなをす、そせう・そしやう(訴訟)、ひはう(非法)、をうりやう(押領)、ちんぢやう(陳情・陳状)
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