※ 1997.8 作成、97.12 修正、98.7 改訂2回、99.6 改訂
『先哲叢談』について、その他

・この本は江戸時代の儒者を中心とした小伝の集成である。これを読むと、現代ではやや
信じ難くなってしまった過去の日本人の世界観・人生観の一端に触れる思いがする。私は
この本が予想外に面白かったので、たまたま入手した底本*の電子テキスト化を試みた。
  *藤田天民校閲、藤田篤譯『訳註先哲叢談』(金港堂書籍梶@明治44.6.6)
・漢文の書物の中では、きっとこれは易しい部類に入るのだろう。しかし、国語教員の私に
とっても殆ど理解できない語句はいくらもあった。テキスト化の中で、何度も字引と辞書を
引かなければ敷き写しさえ満足にできなかったのだ。恐らく同感の方も多いことと勝手に
考えている。いずれ内容の紹介を主眼として極短編の「超訳」を工夫してみたい。
・底本は前後編の合冊なので、現在入手できる東洋文庫版(前編のみ)を補う面がある
と考えた。しかし、誤植が多く、清濁も厳密ではない。頭注についても昔風の大らかな
面があって、他本**で文意を補うことが必要だ。その面では有朋堂文庫版、東洋文庫版の本
文などと対照したファイルがあると便利かもしれない。
 ** 宇野哲人序・竹林貫一編『漢学者伝記集成』(名著刊行会 1978.10.16)等。
・後編は前編に比べ、より逸話的興味に趨り、史眼という面で多少慊らない面があるよう
に思われた。また、依拠した史料によるのか、記事に多寡があり、些末で自賛的な記事も
見られるように感じられた。ただし、逸話を今日の視点でとらえ直してみれば、その造型や
享受のあり方にも近世儒者の一面を窺い知ることができるだろう。
・ 続編では著者の個性がより強く反映し、原念斎の前編から自立した作品になっている。
おそらく史料に忠実であることを期しているために、各人物ごとにまとまりの度合いがだ
いぶ異なっている点は変わらないが、考証への熱意と幅広い批評眼が冴えてきているよ
うに感じられる。時に、「歴史離れ」風の寸評が「按ずるに・・・」以下の割註の形で下され
る。読過の印象だが、こんなスタイルが自然にできているように感じられる。
・さらに、『先哲叢談年表』に注目すべきだ。資料面でも、前後続編のどれにも現れない
記述がいくらも出てくる。これだけでも、相当程度に充実した資料といえる。これらを人物
別・年代別にインデックス化したいと思うが、他の資料を含めてまとめるには、まだ道のり
が遠いようである。またしても、「ノート」の隠れ蓑を借りて、好き勝手に、少しずつ取り
組んでいこうかと思っている。
・なお、この作品群の電子化に取りかかってから二年ほどになるが、この間、テキストの
マークアップ方法やその利用方法について、あれこれ変動がある。自分の関心も HTML
3.2 から始まり、 SGML 、 XML だ、何だかんだ(まだいろいろの関連項目があるらしい。)
目まぐるしく揺れている。(おかげで? 理数まるでだめの文科系人間なのに、得体の知れ
ない横文字群にうなされている。)それの余波で、このテキストも前後続の各編ごとに、タ
グ付けの種類や属性の記述に加えて、読み・語注の有無に至るまで大きく異なっている
点、お断りしておきたい。さらには、一部自分の関心に従って本文に色分けを施すなど、
もう勝手気儘に試行錯誤している有様である。今後もしばらくそんな感じでいくことだろう。
要するに、ノートはノートなのだ、と割り切って利用していただければ結構である。
 補記:「先哲叢談」「先哲像伝」は1年半ほどで入力を終えた。他は遅々としている。