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にひまなび (邇比麻那微)

賀茂真淵(明和2年〔1765〕)
窪田空穂 解説『和文和歌集』上
(〈日本名著全集〉第1期「江戸文藝之部」第24巻
 同全集刊行會 1927.11.14)

※寛政12(1800)版本に基づく。
小見出しを適宜施した。(* )は入力者のメモ。

 序(荒木田久老)  本文  丈夫振  大和魂  古学階梯  音韻と仮名  律令  代表歌人  源実朝  古今集  長歌  序詞・旋頭歌  古文の文体
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(序)

物皆は新しき善しといへるを、學びの道こそ古りぬる善きとて、吾が師加茂の大人の教へさとし給へるふみの卷々多かるが中に「にひまなび」といふ一綴ひととぢなるを、難波人の世に廣くなし置きねと催さるゝによりて、此度こたみ板にらしむる事にはなりにたり。まことや、この學のみ盛りに榮えて、是ればかりの物すら人皆の持てはやせる事となりぬるは、喜ばしく嬉しくて、
咲く花の愛での盛りと古言ふることは開け満ちぬよ時の行ければ
寛政十年やよひのもちのころ
從四位下荒木田神主久老


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にひまなび

○歌の事を先づ云ふは我國ぶりなれば、入るにたやすく且つ歌を得ざれば皇朝のまなび萬づにかなはざればなり。其由は下にいふ。
○直きと云ふ中に邪に向ふと、思ふ心の強ひて雄々しきと、心に思ふ事をすさび云ふとの三つ有り。そは事に從ひて取るべし、其中に古人は思ふ事ひがわざにても隱さず歌に詠める、此直きにぞ歌は哀れと覺ゆる事あるなる。
○歌の調てふ物は茲に云ふ幾樣々なれど各其の難きにつきて善き惡しきあり。凡そを云はゞ共に打唱ふに滯りなくて何となく心高く聞ゆるを專らとす。にひ學びの程には調などには心も寄らず、一ふし有る所にのみ目の着く物なり。そのふし有る所をばおきて何と無く續けし所に心を寄せて見よ。古人はそこに心を用ひしなり。此事を思ひて古歌を見れば久しからず思ひ得べし。















○古の歌集てふにあだし人々の歌を專ら集めその中に我がをも書き交へたり。是を知らぬ人たとへば人麻呂の歌集に出づてふ歌を皆人麻呂の歌と思ひ誤りぬ。其集の中に名を擧げぬ他人の歌にこそあれ。
○末を捨つとは其の如く短歌に詠みうつさぬを云ふ。其の言短歌には惡しけれど長歌にはよろしきもあり。又古言は歌にはよろしからぬ有るも知りおくからに古意を明らむる事あり。
鎌倉公歌集には初と中と末を交へ載せたり。その初めなるは云ふに足らず、中頃の内には取り取らぬ分かち有るべし。末に心を得給へるにこそ類ひ無きはあれ。
萬葉を詠み移さんよしは、後世古歌を取るべき事を云ふ如きさゝき(*些末な)定めは皆用ゐず。いかにも心にまかせて詠み移すべし。其外後世いふ所のせき定めどもは皆古無き事なり。心せばくては古の風雅に移りがたし。されど又古は古の定め有りて漫にいふ事あらぬ由は古歌を年月に見る中にみづから知らるべし。



















































○唐國も上つ代はこゝにひとしかりしを、周といふ代より萬づを強ひ改めて父を尊しとす。こは人の理といふものにて天地の心にあらず。故に理は理の如くして世の治らざるなり。
○歌を業の如く思へるは後の世のひが心得なり。
○歌はたとひたはれがましき男女の相聞えを聞きても、聞く人の心に深く哀れとは思はれてみづからの戯れ心は起らず。是れぞ唐國の面を善くして、内きたなきとは異にして、うらうへ無き皇朝の古の習はしなればなり。





















○後世神代の事を知らまくする人は、古歌古言を學ばず、中々に唐ことを見學びて空言もて漫りなる考をなし、また歌文を好む人も古の歌文を知らず、流れ下れると、家々に私せる歌どもを誠とする故に誤れる事限り無し。又古の事を好む人々、書の誠いつはりあることを知らで、僞の書にまどはされて誤る事限り無し。此の意を深く思ひたらん人こそ多からね。











○衣の類と器物は、させる學びの方にはあらねど、今の世の中、見る物聞く物皆鄙しければ、心の風流ゆかん由無し。故、家の調度も古を好む時は心おのづから雅びかになれり。まして衣の類ひは己が着ずと云へども其の事を知る時は心鄙びざるなり。
○是れより前に古事記日本紀の神代の卷をもあまたたび見つゝ其の言をよく讀み得て後に意を解くに至るを云ふなり。惣べての書を始より意を得んとする時は、私の後世意となりぬ。訓をよく\/知りて後に古言に從ひて意をいふ時は古にかなへり。後人は其の本の言をば傍にして空に考へたる意を見る故にかなへる事なきなり。











○五十音の延約、或は喉音、舌音などの事は、知らぬ人無し。たゞ皇朝の會に用ひて種々の例ある事をば強ひて知る人無きなり。其の音の別のみ云ひて用ゐし例を知らでは其の言に用無し。そを知らぬ人漫に唐天竺のみをもて其の言をも云ひはかる故に違ふ事多きなり。
○いさゝか古言を好めばやがて古言を解きなんとして、未だしき心もて考へ云ふ人あり。其の據など、右にも左くにも有る物にて我は考へ得つと思ふべけれど皆僻事ひがことのみぞ有りける。仍りて強ひて解く事を恐れて學長けて後に事に觸れて思ひ寄れる事を云ふ時は當る事有るべし。先づは百を解きて一つ二つのみならではかなはずと思ひたれ。
和名抄は誤れる事多けれど、假字は誤らざるなり。惣べて萬葉などにも今本には疑はしき假字もあれど古例を推して見れば專ら後世書手の誤なり。
○皇朝は言葉を本にて、意は其れに付けて別つ例なり。唐國は音を本にて字を一つ\/に作りて目じるしとせり。然れば事の本甚だ異なり。かくて皇朝には唐文字を借りてその言のしるしとするのみなり。天竺は天竺、唐は唐、大和は大和各別なりと思ひてあれ、その中に、こゝと天竺にはうはべ似たる如き事も有れど深く心得る時はひとしからず。
○此の歌の古注に人麻呂がなりと云へるは、ひが事なり。されど人麻呂の歌の體には侍り。
○後世の集どもに人麻呂の歌とて入りしは多くはひが事なり。此の人は唯だ萬葉にて見るべし。且つ人麻呂は長歌を專らとし赤人は短歌を得たるなり。こゝに云ふも是れに由れり。
○春かけててふ言は用ひ誤られしかど、こゝには一首の心と詞とをいふ。
花山の御撰など云ふは甚しきひがことぞ、よく見ば必ず然からぬ事見ゆべし。
○此の二集に人麻呂など云ひて歌あれど多くはよみ誤りて入りたり。人麻呂の歌はたゞ萬葉にて見よ。
萬葉の如く端詞を文字にて書かば歌も然か書くべし。歌をば後世ぶりの草に書きて、題のみ文字の意に書くこと見苦し。夫萬葉に詠天、詠花など書けるは歌に仍りて後に書きし物なり。後には文字の題を設けて詠むからに、古の雅意は失せて細かに狹き俗情をせめて詠むなればいよ\/いやしくなりぬ。やむ事無くば同じ事も假字にて書きたれ、されども心に思ふ事目に見耳に聞くものは皆歌の題となりぬ。その時歌をば詠みて後に其の有りし事を端に書く時は歌おのづからゆたかなり。其の事を先づ書きて後歌詠む事は古人は無かりき。













































古今歌集の長歌はいと弱くして、作りざまも未だしければ取らず。まして其の後なるは云ふにも足らず。
○かくの如く古言は今と異にて、思ひ取り難きが如くなれど萬葉を善く知りて古言の意を得る時は、思の外に詠みも心得もせらるゝなり。學ばずして今はえ知るべからぬ事と思へるはおのが賤しき心を心として物を疎むなり。














○物語は物語の體にて雅文に取るべき言は、いと稀なり。








○後世人は其の時の師の傳へのみ守りて物を善く古にたくらべず(*比較しない)。かゝる人は心を人に預くるが如し。そも新學の間こそ有れ、少し物心得て後はみづからの心をおこして古言に理りを立て、後みだりにかたくなにせず、さるべき人にも問ひて善し惡しを正すべし。然かする事あまたになりてこそみづから善き事をも云ひ出で、思ひも得べきなれ。







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古の歌は調しらべもはらとせり。うたふ物なればなり。その調の大よそは、のどにも、あきらにも、さやに(*清澄に)も、くらにも、己がじし得たるまに\/なる物の、貫くに、高く直き心をもてす。且つその高き中に雅びあり。直き中に雄々しき心はあるなり。何ぞといへば、萬づの物の父母なる天地あめつちは春夏秋冬をなしぬ。そが中に生るゝ物、こを分ち得るからに、うたひ出づる歌の調もしか也。また春と夏と交り、秋と冬と交れるがごと、彼れ是れを兼ねたるも有りて、種々くさ\〃/なれど、各それに付けつゝ宜しき調は有るめり。然れば古の事を知る上に、今その調のさまをも見るに、大和國は丈夫國ますらをのくににして、古はをみなも丈夫に習へり。かれ萬葉集の歌は、凡そ丈夫の手振(*流儀)なり。山背國は手弱女國たをやめくににして、丈夫も手弱女を習ひぬ。故、古今歌集の歌は、專ら手弱女の姿なり。仍りてかの古今歌集に、六人むたりの歌をことわ(*評価する)に、長閑にさやかなるを、姿を得たりとし、強く堅きを鄙びたりと云へるは、その國、その時の姿を姿として、廣く古をかへり見ざるものなり。物は四つの時のさま\〃/有るなるを、しかのみ判らば、只春の長閑なるをのみ取りて、夏冬を捨て、手弱女ぶりによりて、丈夫ずさみを忌むに似たり。抑も上つ御代\/、その大和の國に宮敷きましゝ時は、おもてにはけき御稜威みいづ(*威勢)をもて、内にはひろにごみをなして、天の下をまつろへましゝからに、いや榮えに榮えまし、民もひたぶるに上を貴みて、己れも直く傳はれりしを、山背の國に遷しましゝゆ、畏き御稜威のやゝ劣りに劣り給ひ、民も彼れに附き是れに阿りて、心よこしまに成り行きにしは、何ぞの故と思ふらんや。其の丈夫の道を用ゐ給はず、手弱女の姿をうるはしむ國振と成り、それが上に唐の國ぶり行はれて、民、上を畏まず、よこ(*非道を行う・中傷する)心の出でし故ぞ。然れば、春の長閑に、夏のかしこく、秋のいち早く(*荒々しく)、冬の潜まれる、種々無くては、萬づ足らはざるなり。古今歌集出でてよりは、やはらびたるを歌といふと覺えて、雄々しく強きを賤しとするは、いみじき僻事なり。これらの心を知らんには、萬葉集を常に見よ、且つ我が歌もそれに似ばやと思ひて、年月に(*永年)詠む程に、其の調も心も、心に染みぬべし。さるが中に萬葉は撰みぬる卷は少なくて、多くは家々の歌集なれば、惡しき歌、惡しきこともあり。いで今かたとし學ばんには、よきをとるべし。そのよきを撰むは難かれ(*ママ)ど、既にいへる調を思ひてとるべし。また本はいと愛でたくて、末惡しきもあり。そは本を學びて末を捨つべし。是れを善くとれるは、鎌倉のおほまうち君(*源実朝)なり。その歌どもを多く見て思へ。しかすがに(*反面)、又古今歌集を見るべし。こは凡そ女の姿なる中に、詠み人知らえぬ歌には、奈良のみかどの歌もあり。且つそを後の言して唱へ變へたるも有り。今の都なるも、始め三嗣みつぎばかりの御代は、萬づ古の手振ありて、歌も半は古を兼ねたり。よりて此の集には、詠み人知らずてふにこそ勝れたる歌は多けれ。それより後なる中には、細かに巧みて心深げなるを去るべし。本撰める物といへど、古にかへらんとする時は、などか更に撰みの有らざらん(*ママ)。斯く意得こころえたる後には、後撰拾遺の歌集、古今六帖、古き物語ぶみらをも見よ。かくて立かへり、古事記日本紀を讀み、續日本紀の宣命、延喜式の祝詞の卷などを善く見ば、歌のみかは、おのづから古き樣の文をも綴らるべきなり。
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○女の歌はしも、古は萬づの事丈夫に倣はひしかば、萬葉の女歌は、男歌にいとも異ならず。そが中に善く唱へみれば、おのづからやはらびたる事あるは、本よりしか有るべきなり。(大伴坂上郎女の雄々しく、石川郎女の艷ひやか成る(*ママ)はおきて惣てをいふ)男は荒魂あらたま、女は和魂にぎたまを得て生るればなり。然かは有れど、この國の女は他國あましたくにに異なれば、其の高く直き心を萬葉に得て、にほへる姿を古今歌集の如く詠む時は、眞に女の宜ろしき歌とすべし。其の姿もまた今の京の始つ方なるに由るべきなり。かくて古今歌集をのみまねぶ人あれど、彼れには心(之繞+台:たい・だい:及ぶ:大漢和38791)く巧みに過ぎたる多ければ、下れる世人よひとの癖にて、その言せばく巧めるに心寄りて、高く直き大和魂を忘るめり、とりてそれが下にくだちに降ち(*衰え)つゝ、終に心狂ほしく、言狹小ささき手振となん成りぬる。此のあはひ(*事情・区別)を思へ。たゞに古今歌集をまねべる人、今に至りて幾十人か有りけんを、一人だにそれに似たる歌よみのなければ、後に立ちてま學は(*ママ)甲斐もなし。上よりくださばなどか得ざらん。こは大かたの女の上を云へり。茲に皇朝みくにの古の女の手振をいはん。かけまくも畏き、伊邪那美の大御神おほみかみは、男の御神と並びて、國土くにつち、萬づの物を造り始め給ひ、後に事あるに及びては、黄泉よもいくさを起して、男の御神に向ひてことわりを立てまし、天照大神も、事ある時は、大御身に矢串やぐしを帶ばし、大御手に弓取りまし、丈夫なす雄叫をたけびをなして、惡しき大神をやはし給ひ、たひらけき時は、おほよそ禍事まがごとをば見直し聞き直しまして、遂に天つ日嗣の千五百秋ちいほあき(*永遠の)御法みのりを定め給ひ、御孫命みまのみこと御女みめ木花之開耶姫このはなのさくやひめの命は、空室うつむろに火を放ちて、明らけき心を明し、五十狹茅天皇いさちすめらを(*垂仁天皇)皇后(*狭穂姫)は、ほのほ燃え來る稻城いなきの内を出でまさずして、義を立て給ひ、息長足姫命おきながたらしひめのみこと(*神功皇后)は、三つの韓國からくにをしも征服まつろへ給ひ、廣野姫皇后は、御軍みいくさを助けまして、神功みいさをを立て給ひ、橘姫皇子に代りて海に入り、山邊皇女御背おんせと同じく罪なはれ給ひしなど、また平けき時、幡梭はたひ皇后は、善言よきこともてたけき天皇の御怒みいかりやはし、重日足姫いかしひたらしひめ天皇(*皇極天皇)は、御自みみづから祈りて雨を降らせ給ひしなど、かくやんごとなきにすら、立てたる御勢みいきほひ然かおはしゝかば、臣民おみたみには、雄軍をいくさを引ゐれば、雌軍めいくさを率ゐてあだに向ひ、にして其の國を知りて、人の犯しを入れず。此の外、理を立て、赤き心(*真心・忠誠)を顯はせしなど、數へも敢へんや。末の世にも、をみなにして家を立て、鄙つ女にしてあたを討ちしなど少なからず。かゝれば、此の大和魂は、女も何か劣れるや。まして武夫ものゝふといはるゝ者の妻、常に忘るまじき事なり。皇朝の古、萬づに母を本として貴めり。兒をひた(*養育する)より始めて、その功父に勝れゝば(*ママ)なり。しか有りて平けき時には、にぎびて事を執るを專らとすべく、天地の母父のなしのまにまに、女は姿の荒びぬものにし有れば、いひ出づる言葉もなごびたる事などかなからん。さはあれど、後の世には、すべてぬえ草の(*萎れた草のように)しなひうらぶる(*愁いに沈む)を、わざのごと思ひ誤り、それが上も所狹く習はするまゝに、果ては曲々くね\/しくさへ成り行きぬるは、本の大和魂を、我も忘れ行きしなり。今、萬葉集を學びて其の心を知り、古今歌集を兼ねてその姿を得ば、誰か追及いしく(*追いつき、及ぶこと)無き物とせん。古の歌は萬づの人の眞心なり。その眞心をいふ故由ゆゑよしを知る時は、何か如く物あらん。教の道もあれど、常にしも習はし難ければ、時過ぎて知れ易きを、歌は暇ある時に、自ら詠むものからに、教へずして直く眞心になりぬめり。是れぞ此れかしこき神皇かみろぎ(*祖神)の道なりける。
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○後の世人、萬葉をかつ\〃/(*倉卒に)見て、えも心得ぬまゝに、こは古りにし物にして、今にかなはずといふよ。大和も唐も、古こそ萬づに宜しければ、古事ふることをこそ尊めれ、何處いづこにか古を捨てゝ、下れる世振よぶりに就けてふ教の有らんや。そはおのれがえ知らぬことを、飾らんとてうるけ人(*癡者)をあざむくなり。凡そ古き史に依りて、古き代々は知(*ら)るれど、そのふみには、古の事、或は洩れ、或は傳へ違ひ、或るは書く人の補ひ、或は漢文からぶみの體に書きしかば、古の言を、惑はれなどして、ひたぶるに(*一途に・全くは)受け難き事あるを、古歌てふ物の言を、よく正し唱ふる時は、千年ちとせ前なる、黒人人麻呂など、目の邊りにありて、詠めるを聞くにひとしくて、古の直ちに知らるゝ物は古の歌なり。且つ古人いにしへびとの歌は、時に從ひて思ふ事を隱さず詠めれば、その人々の心あらはなり。さる歌を幾百いくもゝも常に唱ふるまゝに、古の心は然かなりてふ事を、よく知り得らる。且つ言も漢文ざまに書きし史などは、も訓みかくもよまるゝ所さはなるを、歌は聊けの(*わずかの)言も違ひては、歌をなさねば、かれを問ひ是れを考へて、善く唱へ得る時は、古言定まれり。然かれば、古言をよく知るべきものも古き歌なり。天の下には事多かれど、心と詞との外無し。此の二つをよく知りて後こそ、上つ代々の人の上をもよく知るべく、古き史をもその言を誤らず、そのこゝろをさとりつべけれ。また後世のちのよの人、萬葉は歌なり、歌は女の弄ぶたはぶれの事ぞと思ひ誤れるまゝに、古歌ふるうたを心得ず、古書ふるぶみを知らず、なまじひに唐文を見て、此國ここの神代の事をいはんとするさかしら人多し。よりてそのいふ事虚理きょりにして、皇朝の古の道に恊へるは惣べてなし。先づ古の歌を學びて、古風いにしへぶりの歌を詠み、次に古の文を學びて、古風の文をつらね、次に古事記をよく讀み、次に日本紀をよく讀み、續日本紀ゆ下御代繼みよつぎの史らを讀み、式、儀式など、或ひはもろ\/の記録をも見、(西宮北山江家次第等までにいたる。)假字かなに書ける物をも見て、古事、古言の殘れるをとり、古の琴、笛、衣のたぐひ、器などの事をもかうがへ、其の外種々の事どもは、右の史等を見思ふ間に知らるべし。かく皇朝の古を盡して後に、神代の事をば窺ひつべし。さてこそ天地に合ひて御代を治めませし、古の神皇かみすめろぎの道をも知り得べきなれ。
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○古言は必ず考へて解くべきなれど、是れを解くこと甚だ難し。先づ五十音をよく知るべし。そは後世絶えて知る人無ければ、其の言の分ち、用ふるさまなど、我が語意てふ物を書きたるを見て思へ。此の五十音の事、ひとの國の悉曇しったん韻經ゐんきゃうなどいふをもて、皇朝の言の音をもいふ人あるは、皆我が國を知らぬ故なり。わが國の言は、いと異なりと思ひ得ん事は、古風の歌文うたふみなどを意得ん人知るべし。さて古の假字をよく覺えよ。假字は言の本にて、假字によりて言を釋くものなれば、是れを定かに覺ゆるを專らの事とす。その假字は、古事記日本紀萬葉、その外の古の書どもよりして、和名抄まで皆同じければ、それらをよく見る時は定まれり。それ少し過ぎて、拾遺歌集などには誤あり。その頃より皇朝のまなびのふつに絶えし故なり。後世人のちのよひと他國ひとぐにの字音にいへる事をもて、皇朝の假字を思へるはすべて誤れり。
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○令、律をも學ぶべし。こは唐國のたうの令、律をて皇朝の習はしを兼ねて立てられし物にて、專らは我が國の意にあらずといへども、大寶令だいはうりゃうは近江大津朝の令を本とせられしと聞ゆれば、是れも久しき世の定めなり。知らでは中比の世を意得る由無し。かくおごそ(*「に」脱か。)細かに、唐風からぶりを用ゐられしより、表は宜しきに似て裏惡しくなりぬ。よりて遂に大御稜威も薄くなりましゝなり。上つ代を慕ふ者、同じく是れをよしとはせねど、はた後の史などを見んに、この學せでは有るべからず。
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○後の世に、歌の體、十を擧げたる物の中に、器量體きりゃうたいとて、古今歌集にある、「梅の花それとも見えず久方の天霧あまぎる雪のなべて降れゝば」てふを擧げつるは、其の頃までも猶歌のつたへばかりは殘れりけり。こは奈良人の歌にて、人麻呂の歌の心も調も得たる歌なり。此の聊か細かなる事をいはずして、調の高きに、丈夫の高く廣き心顯れたり。同じ集に面白く聞ゆる梅の歌多かるを、そはき心を潜めて作れる物なる事を、是れをもて悟りて、奈良のみかどまでの人の心の高きを思へ。鎌倉の大まうち君の歌をもむかへ見よ。人麻呂の歌は、勢ひはみ空行くたつの如く、言は海潮うなしほの涌くが如し。調は葛城かつらぎ(*ママ)襲彦そつひこ(*葛城襲津彦、武内宿祢の子)、眞弓を引き鳴らさんが如し。赤人の歌の詞は、吉野川清■さや(三水+令:れい:〈=冷〉:大漢和53348)に、心は富士ののごと、よそり無く(*近寄り難く)高し。人麻呂とは天地の違ひ有れど、共に古の勝れたる歌とせり(*山柿の門を指す)。是等より前に、此の人々より勝れたる言も有れど、詠み人の名の聞えぬはこゝに云はず。
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鎌倉の大まうち君の歌は、今の京此方みやここのかたの一人なり。其の體、古に恊ひたれば、たまたま古今歌集の言を交へ用ゐ給ひしすら、似つかず聞ゆるにつけて、本の心も調も勝れて高き事知られたり。さて此のきみ、「筥根道はこねぢを吾が越え來れば」、「ものゝふの矢並やなみつくろふ」などの、世に勝れたる多かるは更にもいはず。事も無く聞ゆるに、「此のぬる朝けの風に薫るなり軒端の梅の春の初花」、「玉藻刈る井手のしがらみ春かけて咲くや河邊の山吹の花」などの本のいひなし、且つ常ある事をわざといはれつる、末の調の心高きを見よ。また梅開厭雨てふ題にて、「吾が宿の梅の花咲けり春雨はいたくな降りそ散らまくも惜し」と詠まれしを思ふに、其の頃京に歌詠む人、皆さき心もて巧みにしつゝぞ在らん。いで古風詠みて見せんよとて、天の下の歌詠みを見下したる心もおのづから見ゆ。此の雄々しき心をもたらぬ人、少しも先だてる人の、巧みなる歌を聞きては、背き難く離れ得ぬは、いしくなき心なる事を思へ。世の常のわざこそあれ、學の道に上下かみしもは無し。たゞよき人の、よしとよく見て、よしといはんを待つべけれど、後世さる人し有らねば、古人を友とするに如く事無し。なま\/なる人の褒めんによきは無しと思へ。
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古今歌集は、專らは女振をみなぶりなれど、さすがに古歌も多かれば(*ママ)、上にいへる如き、心高く雄々しきも交り、惣べてのえらみも、さる方に心高きなり。後撰集は、古今集に劣れる事、同じ日にあげつらふべくもあらず。古歌を取りしにも誤れる多し。拾遺集は、何處の傍への人(*門外漢)か書き集めつらん。殊に萬葉をよみ誤り、古き詠み人を違へなどせし事、數へ難し。されど此の二集に、今京このかた、延喜の頃までの後につけて、よき歌もあれば、たまたまは見るべし。古今六帖、はた(*これまた)萬葉を讀み誤れる多かれど、後の歌に優しげなるもあり。題などは、六帖ぞよき。中にざふの思ひてふくだりに書ける題の言葉ども面白し。後世人は、文字題にて詠むからに、歌の姿かたくなしく低し。同じ言をも、假字に書きたる時は、詠む歌も自ら豐かに雅びて出で來めり。また端の詞は、古今歌集、いと\/心して書きしものなり。その詞と歌と、相照して、理りあるさまなど、よく見心得て、さて詞面白く、短くて、然かも理聞ゆるを旨とすべし。同じ事をも書き流せば、拙く長きを、言を上下にして書き、又は歌に有る事を詞には略きなどせしあぢはひ意得こゝろえよ。是れも文の一つなり。凡そ文は事の多きをば約めて云ひとり、事もなきをば飾り廣めぬる二つにあり。此の約めかざる事、上つ代ぞ妙なる。中つ代には劣れり。下つ代には惣べて僻事有り。此の境を意得べし。端の詞には、餝を成さず。如何に約めても、しかも理ある程をはかりて書くものなり。仍りて打見るには事も無げなれど、いと書きがたきものぞ。
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長歌ながうたこそ多く續け習ふべきなれ。こは古事記日本紀にも多かれど、種々の體を擧げたるは萬葉なり。そのくさ\〃/を見てまねぶべし。短歌みじかうたはたゞ心高く、調豐けきを貴めば、言も撰まではかなはず。長歌は樣々なる中に、強く、古く、雅びたるをよしとす。よりて言もそれに付けたるを用ゐ、短歌には鄙びて聞ゆるも是れに用ゐて、中々に古く面白き有り。さて古は、思ふ事多き時は、長歌を詠めり。また短歌も數多く云ひて、心を果せしも有り。後の人多くの事を、短歌一つにいひ入るめれば、小き餌袋に物多く籠めたらん如くして、心卑しく、調べ歌の如くもあらずなり行きぬ。
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○序歌てふ體をも詠み習ふべし。本に種々の事を擧げ、末にはたゞ一つ心をいふなれば、即ち古の意なり。旋頭歌の句は、五七七を本とし、五七七を末とする事、萬葉に百餘り有るをもて知れ。古今歌集にて今唱ふるは僻事ぞ。其の歌は「遠方人をちかたびとに物申す我」を本とし、「そのそこに云々」を末とす。「見れどあかぬ花」といふまでを本、「まひなしに云々」を末とする事、右に同じ。
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○文には殊に男女をとこをみなの體あり。先づ男の雅文みやびぶみ書く事、古き學び無くてはかなはず。それも古事記日本紀萬葉、宣命、祝詞、其の外古き書を讀む事、歌にいへるに異ならず。その中に、古事記は全く皇朝の文なり。日本紀も本は然か有るを、多くの古書ふるぶみをもて、奈良朝にて撰びぬる時、唐ざまに字を植ゑしかば、古のよみは失へり。今は三つが一つばかりぞ殘りぬる。その外は後人のちびと字を追ひてよめる物なれば、古言のみにあらず。顯神明憑談を、歌牟鵝可梨かむがかり、また美飮喫哉を、于魔羅■うまらに(人偏+爾:じ::大漢和1244)、烏野羅甫屡柯佞也をやらふるがねやなどの如く訓までは、古の訓みに非ずと知るべし。古の宣命、祝詞などは、全く古の文なり。その體を得て何事にも移し書くべし。また萬葉の長歌をむかへて、古言を知り、且つ人麻呂その外の長歌の巧み、或は延べつゞめたる言の體など、文に異ならず。下りては、伊勢物語など、かなぶみの中に、古文ふるぶみに用ふべき言を、廣く撰りて取るべし。是等を漫りにとらば、古今交はりて、拙く卑しくなりなん。それはた執成とりなしに依りて、古文いにしへぶみになれる事もあれど、そは得て後みづから知る事なり。また田舍人の言にこそ古言は殘りたれ。よく撰みなば文の半ばかりは此の言にて云はるべし。後世は源氏物語の言などをもて書く人あれど、かれは女文をみなぶみなり、物語文なり、古き雅文にはかなはず、此の別ちをよく思ひ知れ。古今歌集は皇朝の歌の古意をば深くも辿らず、本の意、唐の四六の文體と、凡その唐文の意を假り、言は其の比の歌によみ習へる、女振の言を用ゐて書きしものにて、後につけてはめでたく書きし所もあり。又僻事も數多なり。よりてこは古文の樣にはあらず。同じ人の書きつれど、土佐日記はかのより勝れり。かれは強ひて書き、是れは有る事をたゞに書きしなればなり。抑も文には、いと種々の體あり。古事記より祝詞までをよく見れば、みづから知らるべし。女の文は、是れも、きとせし事(*ちょっとしたこと)書かんには、さる方に古き文もて、女振に書きぬべし。その入り立たん(*深める)初めには、女は源氏物語などをまねばゞ、おのづから書き得べし。されど、是れに留まれりとおもふ事なかれ。後に古きさまに登るべき心じらひ(*心構え)してまねばゞ、終に宜しく成り行きなん。遠き國の人の、此の道慕ふなれば、知らせまく思へど、つばらなる由は、え盡さず。此の心をもて文どもを見、歌、文をもなして、さて問はんまに\/答へなば、思ひ至る人も有りなんとてなり。すべて古き文は、知るべしてあり。そを心得ん事は、みづからする事と、先づは思ひ居り。しかはあれど、世の中は道知るべてふ事もあるならひにて、ひとり行き難きを思ひ開かんとて問ふと心得べし。さては文を讀むに心から(*進んで)ならずして至りやすし。
明和二年七月十六日に               賀茂真淵 しるしぬ
(*了)

 序(荒木田久老)  本文  丈夫振  大和魂  古学階梯  音韻と仮名  律令  代表歌人  源実朝  古今集  長歌  序詞・旋頭歌  古文の文体
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