古の歌は調を專とせり。うたふ物なればなり。その調の大よそは、のどにも、あきらにも、さやに(*清澄に)も、遠くらにも、己がじし得たるまに\/なる物の、貫くに、高く直き心をもてす。且つその高き中に雅びあり。直き中に雄々しき心はあるなり。何ぞといへば、萬づの物の父母なる天地は春夏秋冬をなしぬ。そが中に生るゝ物、こを分ち得るからに、うたひ出づる歌の調もしか也。また春と夏と交り、秋と冬と交れるがごと、彼れ是れを兼ねたるも有りて、種々なれど、各それに付けつゝ宜しき調は有るめり。然れば古の事を知る上に、今その調の状をも見るに、大和國は丈夫國にして、古は女も丈夫に習へり。故、萬葉集の歌は、凡そ丈夫の手振(*流儀)なり。山背國は手弱女國にして、丈夫も手弱女を習ひぬ。故、古今歌集の歌は、專ら手弱女の姿なり。仍りてかの古今歌集に、六人の歌を判る(*評価する)に、長閑にさやかなるを、姿を得たりとし、強く堅きを鄙びたりと云へるは、その國、その時の姿を姿として、廣く古をかへり見ざるものなり。物は四つの時のさま\〃/有るなるを、しかのみ判らば、只春の長閑なるをのみ取りて、夏冬を捨て、手弱女ぶりによりて、丈夫ずさみを忌むに似たり。抑も上つ御代\/、その大和の國に宮敷きましゝ時は、顯には建けき御稜威(*威勢)をもて、内には寛き和をなして、天の下を服へましゝからに、いや榮えに榮えまし、民もひたぶるに上を貴みて、己れも直く傳はれりしを、山背の國に遷しましゝゆ、畏き御稜威のやゝ劣りに劣り給ひ、民も彼れに附き是れに阿りて、心邪に成り行きにしは、何ぞの故と思ふらんや。其の丈夫の道を用ゐ給はず、手弱女の姿をうるはしむ國振と成り、それが上に唐の國ぶり行はれて、民、上を畏まず、奸す(*非道を行う・中傷する)心の出で來し故ぞ。然れば、春の長閑に、夏のかしこく、秋のいち早く(*荒々しく)、冬の潜まれる、種々無くては、萬づ足らはざるなり。古今歌集出でてよりは、和びたるを歌といふと覺えて、雄々しく強きを賤しとするは、甚じき僻事なり。これらの心を知らんには、萬葉集を常に見よ、且つ我が歌もそれに似ばやと思ひて、年月に(*永年)詠む程に、其の調も心も、心に染みぬべし。さるが中に萬葉は撰みぬる卷は少なくて、多くは家々の歌集なれば、惡しき歌、惡しき言もあり。いで今摸とし學ばんには、よきをとるべし。そのよきを撰むは難かれ(*ママ)ど、既にいへる調を思ひてとるべし。また本はいと愛でたくて、末惡しきもあり。そは本を學びて末を捨つべし。是れを善くとれるは、鎌倉のおほまうち君(*源実朝)なり。その歌どもを多く見て思へ。しかすがに(*反面)、又古今歌集を見るべし。こは凡そ女の姿なる中に、詠み人知らえぬ歌には、奈良の朝の歌もあり。且つそを後の言して唱へ變へたるも有り。今の都なるも、始め三嗣ばかりの御代は、萬づ古の手振ありて、歌も半は古を兼ねたり。よりて此の集には、詠み人知らずてふにこそ勝れたる歌は多けれ。それより後なる中には、細かに巧みて心深げなるを去るべし。本撰める物といへど、古に復らんとする時は、などか更に撰みの有らざらん(*ママ)。斯く意得たる後には、後撰、拾遺の歌集、古今六帖、古き物語書らをも見よ。かくて立かへり、古事記、日本紀を讀み、續日本紀の宣命、延喜式の祝詞の卷などを善く見ば、歌のみかは、自ら古き樣の文をも綴らるべきなり。
○女の歌はしも、古は萬づの事丈夫に倣はひしかば、萬葉の女歌は、男歌にいとも異ならず。そが中に善く唱へみれば、おのづからやはらびたる事あるは、本よりしか有るべきなり。(大伴の坂上の郎女の雄々しく、石川の郎女の艷ひやか成る(*ママ)はおきて惣てをいふ)男は荒魂、女は和魂を得て生るればなり。然かは有れど、この國の女は他國に異なれば、其の高く直き心を萬葉に得て、艷へる姿を古今歌集の如く詠む時は、眞に女の宜ろしき歌とすべし。其の姿もまた今の京の始つ方なるに由るべきなり。かくて古今歌集をのみまねぶ人あれど、彼れには心■(之繞+台:たい・だい:及ぶ:大漢和38791)く巧みに過ぎたる多ければ、下れる世人の癖にて、その言狹く巧めるに心寄りて、高く直き大和魂を忘るめり、とりてそれが下に降ちに降ち(*衰え)つゝ、終に心狂ほしく、言狹小き手振となん成りぬる。此の間(*事情・区別)を思へ。たゞに古今歌集をまねべる人、今に至りて幾十人か有りけんを、一人だにそれに似たる歌よみのなければ、後に立ちてま學は(*ママ)甲斐もなし。上より下さばなどか得ざらん。こは大かたの女の上を云へり。茲に皇朝の古の女の手振をいはん。かけまくも畏き、伊邪那美の大御神は、男の御神と並びて、國土、萬づの物を造り始め給ひ、後に事あるに及びては、黄泉つ軍を起して、男の御神に向ひて理を立てまし、天照大神も、事ある時は、大御身に矢串を帶ばし、大御手に弓取りまし、丈夫なす雄叫をなして、惡しき大神を和し給ひ、平けき時は、凡の禍事をば見直し聞き直しまして、遂に天つ日嗣の千五百秋の(*永遠の)御法を定め給ひ、御孫命の御女木花之開耶姫の命は、空室に火を放ちて、明らけき心を明し、五十狹茅天皇(*垂仁天皇)の皇后(*狭穂姫)は、焔燃え來る稻城の内を出でまさずして、義を立て給ひ、息長足姫命(*神功皇后)は、三つの韓國をしも征服へ給ひ、廣野姫の皇后は、御軍を助けまして、神功を立て給ひ、橘姫の命は皇子に代りて海に入り、山邊の皇女の御背と同じく罪なはれ給ひしなど、また平けき時、幡梭の皇后は、善言もて建き天皇の御怒を和し、重日足姫の天皇(*皇極天皇)は、御自ら祈りて雨を降らせ給ひしなど、かくやんごとなきにすら、立てたる御勢然かおはしゝかば、臣民には、夫は雄軍を引ゐれば、妻は雌軍を率ゐて敵に向ひ、女にして其の國を知りて、人の犯しを入れず。此の外、理を立て、赤き心(*真心・忠誠)を顯はせしなど、數へも敢へんや。末の世にも、女にして家を立て、鄙つ女にして仇を討ちしなど少なからず。かゝれば、此の大和魂は、女も何か劣れるや。まして武夫といはるゝ者の妻、常に忘るまじき事なり。皇朝の古、萬づに母を本として貴めり。兒を育す(*養育する)より始めて、その功父に勝れゝば(*ママ)なり。しか有りて平けき時には、和びて事を執るを專らとすべく、天地の母父のなしのまにまに、女は姿の荒びぬものにし有れば、いひ出づる言葉も和びたる事などかなからん。さはあれど、後の世には、すべてぬえ草の(*萎れた草のように)しなひうらぶる(*愁いに沈む)を、わざのごと思ひ誤り、それが上も所狹く習はするまゝに、果ては曲々しくさへ成り行きぬるは、本の大和魂を、我も忘れ行きしなり。今、萬葉集を學びて其の心を知り、古今歌集を兼ねてその姿を得ば、誰か追及(*追いつき、及ぶこと)無き物とせん。古の歌は萬づの人の眞心なり。その眞心をいふ故由を知る時は、何か如く物あらん。教の道もあれど、常にしも習はし難ければ、時過ぎて知れ易きを、歌は暇ある時に、自ら詠むものからに、教へずして直く眞心になりぬめり。是れぞ此れかしこき神皇(*祖神)の道なりける。
○後の世人、萬葉をかつ\〃/(*倉卒に)見て、えも心得ぬまゝに、こは古りにし物にして、今に恊はずといふよ。大和も唐も、古こそ萬づに宜しければ、古事をこそ尊めれ、何處にか古を捨てゝ、下れる世振に就けてふ教の有らんや。そはおのれがえ知らぬことを、飾らんとてうるけ人(*癡者)をあざむくなり。凡そ古き史に依りて、古き代々は知(*ら)るれど、その史には、古の事、或は洩れ、或は傳へ違ひ、或るは書く人の補ひ、或は漢文の體に書きしかば、古の言を、惑はれなどして、ひたぶるに(*一途に・全くは)受け難き事あるを、古歌てふ物の言を、よく正し唱ふる時は、千年前なる、黒人、人麻呂など、目の邊りにありて、詠めるを聞くにひとしくて、古の直ちに知らるゝ物は古の歌なり。且つ古人の歌は、時に從ひて思ふ事を隱さず詠めれば、その人々の心顯なり。さる歌を幾百も常に唱ふるまゝに、古の心は然かなりてふ事を、よく知り得らる。且つ言も漢文ざまに書きし史などは、左も訓み右もよまるゝ所多なるを、歌は聊けの(*わずかの)言も違ひては、歌をなさねば、かれを問ひ是れを考へて、善く唱へ得る時は、古言定まれり。然かれば、古言をよく知るべきものも古き歌なり。天の下には事多かれど、心と詞との外無し。此の二つをよく知りて後こそ、上つ代々の人の上をもよく知るべく、古き史をもその言を誤らず、その意をさとりつべけれ。また後世の人、萬葉は歌なり、歌は女の弄ぶ戯の事ぞと思ひ誤れるまゝに、古歌を心得ず、古書を知らず、なまじひに唐文を見て、此國の神代の事をいはんとする賢しら人多し。よりてそのいふ事虚理にして、皇朝の古の道に恊へるは惣べてなし。先づ古の歌を學びて、古風の歌を詠み、次に古の文を學びて、古風の文をつらね、次に古事記をよく讀み、次に日本紀をよく讀み、續日本紀ゆ下御代繼の史らを讀み、式、儀式など、或ひは諸の記録をも見、(西宮、北山、江家次第等までにいたる。)假字に書ける物をも見て、古事、古言の殘れるをとり、古の琴、笛、衣のたぐひ、器などの事をも考へ、其の外種々の事どもは、右の史等を見思ふ間に知らるべし。かく皇朝の古を盡して後に、神代の事をば窺ひつべし。さてこそ天地に合ひて御代を治めませし、古の神皇の道をも知り得べきなれ。
○古言は必ず考へて解くべきなれど、是れを解くこと甚だ難し。先づ五十音をよく知るべし。そは後世絶えて知る人無ければ、其の言の分ち、用ふるさまなど、我が語意てふ物を書きたるを見て思へ。此の五十音の事、他の國の悉曇、韻經などいふをもて、皇朝の言の音をもいふ人あるは、皆我が國を知らぬ故なり。わが國の言は、いと異なりと思ひ得ん事は、古風の歌文などを意得ん人知るべし。さて古の假字をよく覺えよ。假字は言の本にて、假字によりて言を釋くものなれば、是れを定かに覺ゆるを專らの事とす。その假字は、古事記、日本紀、萬葉、その外の古の書どもよりして、和名抄まで皆同じければ、それらをよく見る時は定まれり。それ少し過ぎて、拾遺歌集などには誤あり。その頃より皇朝の學のふつに絶えし故なり。後世人、他國の字音にいへる事をもて、皇朝の假字を思へるはすべて誤れり。
○令、律をも學ぶべし。こは唐國の唐の令、律を以て皇朝の習はしを兼ねて立てられし物にて、專らは我が國の意にあらずといへども、大寶令は近江大津朝の令を本とせられしと聞ゆれば、是れも久しき世の定めなり。知らでは中比の世を意得る由無し。かく嚴か(*「に」脱か。)細かに、唐風を用ゐられしより、表は宜しきに似て裏惡しくなりぬ。よりて遂に大御稜威も薄くなりましゝなり。上つ代を慕ふ者、同じく是れをよしとはせねど、はた後の史などを見んに、この學せでは有るべからず。
○後の世に、歌の體、十を擧げたる物の中に、器量體とて、古今歌集にある、「梅の花それとも見えず久方の天霧る雪のなべて降れゝば」てふを擧げつるは、其の頃までも猶歌の傳ばかりは殘れりけり。こは奈良人の歌にて、人麻呂の歌の心も調も得たる歌なり。此の聊か細かなる事をいはずして、調の高きに、丈夫の高く廣き心顯れたり。同じ集に面白く聞ゆる梅の歌多かるを、そは狹き心を潜めて作れる物なる事を、是れをもて悟りて、奈良の朝までの人の心の高きを思へ。鎌倉の大まうち君の歌をも對へ見よ。人麻呂の歌は、勢ひはみ空行く龍の如く、言は海潮の涌くが如し。調は葛城(*ママ)の襲彦(*葛城襲津彦、武内宿祢の子)、眞弓を引き鳴らさんが如し。赤人の歌の詞は、吉野川如す清■(三水+令:れい:〈=冷〉:大漢和53348)に、心は富士の嶺のごと、準り無く(*近寄り難く)高し。人麻呂とは天地の違ひ有れど、共に古の勝れたる歌とせり(*山柿の門を指す)。是等より前に、此の人々より勝れたる言も有れど、詠み人の名の聞えぬはこゝに云はず。
○鎌倉の大まうち君の歌は、今の京此方の一人なり。其の體、古に恊ひたれば、たまたま古今歌集の言を交へ用ゐ給ひしすら、似つかず聞ゆるにつけて、本の心も調も勝れて高き事知られたり。さて此の公、「筥根道を吾が越え來れば」、「ものゝふの矢並つくろふ」などの、世に勝れたる多かるは更にもいはず。事も無く聞ゆるに、「此の寢ぬる朝けの風に薫るなり軒端の梅の春の初花」、「玉藻刈る井手の柵春かけて咲くや河邊の山吹の花」などの本のいひなし、且つ常ある事をわざといはれつる、末の調の心高きを見よ。また梅開厭雨てふ題にて、「吾が宿の梅の花咲けり春雨はいたくな降りそ散らまくも惜し」と詠まれしを思ふに、其の頃京に歌詠む人、皆進心もて巧みに屈しつゝぞ在らん。いで古風詠みて見せんよとて、天の下の歌詠みを見下したる心も自ら見ゆ。此の雄々しき心をもたらぬ人、少しも先だてる人の、巧みなる歌を聞きては、背き難く離れ得ぬは、いしくなき心なる事を思へ。世の常のわざこそあれ、學の道に上下は無し。たゞよき人の、よしとよく見て、よしといはんを待つべけれど、後世さる人し有らねば、古人を友とするに如く事無し。なま\/なる人の褒めんによきは無しと思へ。
○古今歌集は、專らは女振なれど、さすがに古歌も多かれば(*ママ)、上にいへる如き、心高く雄々しきも交り、惣べての撰も、さる方に心高きなり。後撰集は、古今集に劣れる事、同じ日に論らふべくもあらず。古歌を取りしにも誤れる多し。拾遺集は、何處の傍への人(*門外漢)か書き集めつらん。殊に萬葉をよみ誤り、古き詠み人を違へなどせし事、數へ難し。されど此の二集に、今京此かた、延喜の頃までの後につけて、よき歌もあれば、たまたまは見るべし。古今六帖、はた(*これまた)萬葉を讀み誤れる多かれど、後の歌に優しげなるもあり。題などは、六帖ぞよき。中に雜の思ひてふ條に書ける題の言葉ども面白し。後世人は、文字題にて詠むからに、歌の姿頑しく低し。同じ言をも、假字に書きたる時は、詠む歌も自ら豐かに雅びて出で來めり。また端の詞は、古今歌集、いと\/心して書きしものなり。その詞と歌と、相照して、理りあるさまなど、よく見心得て、さて詞面白く、短くて、然かも理聞ゆるを旨とすべし。同じ事をも書き流せば、拙く長きを、言を上下にして書き、又は歌に有る事を詞には略きなどせし味を意得よ。是れも文の一つなり。凡そ文は事の多きをば約めて云ひとり、事もなきをば飾り廣めぬる二つにあり。此の約めかざる事、上つ代ぞ妙なる。中つ代には劣れり。下つ代には惣べて僻事有り。此の境を意得べし。端の詞には、餝を成さず。如何に約めても、しかも理ある程をはかりて書くものなり。仍りて打見るには事も無げなれど、いと書きがたきものぞ。
○長歌こそ多く續け習ふべきなれ。こは古事記、日本紀にも多かれど、種々の體を擧げたるは萬葉なり。そのくさ\〃/を見て學ぶべし。短歌はたゞ心高く、調豐けきを貴めば、言も撰まではかなはず。長歌は樣々なる中に、強く、古く、雅びたるをよしとす。よりて言もそれに付けたるを用ゐ、短歌には鄙びて聞ゆるも是れに用ゐて、中々に古く面白き有り。さて古は、思ふ事多き時は、長歌を詠めり。また短歌も數多く云ひて、心を果せしも有り。後の人多くの事を、短歌一つにいひ入るめれば、小き餌袋に物多く籠めたらん如くして、心卑しく、調べ歌の如くもあらずなり行きぬ。
○序歌てふ體をも詠み習ふべし。本に種々の事を擧げ、末にはたゞ一つ心をいふなれば、即ち古の意なり。旋頭歌の句は、五七七を本とし、五七七を末とする事、萬葉に百餘り有るをもて知れ。古今歌集にて今唱ふるは僻事ぞ。其の歌は「遠方人に物申す我」を本とし、「そのそこに云々」を末とす。「見れどあかぬ花」といふまでを本、「まひなしに云々」を末とする事、右に同じ。
○文には殊に男女の體あり。先づ男の雅文書く事、古き學び無くてはかなはず。それも古事記、日本紀、萬葉、宣命、祝詞、其の外古き書を讀む事、歌にいへるに異ならず。その中に、古事記は全く皇朝の文なり。日本紀も本は然か有るを、多くの古書をもて、奈良朝にて撰びぬる時、唐ざまに字を植ゑしかば、古のよみは失へり。今は三つが一つばかりぞ殘りぬる。その外は後人字を追ひてよめる物なれば、古言のみにあらず。顯神明憑談を、歌牟鵝可梨、また美飮喫哉を、于魔羅■(人偏+爾:じ::大漢和1244)、烏野羅甫屡柯佞也などの如く訓までは、古の訓みに非ずと知るべし。古の宣命、祝詞などは、全く古の文なり。その體を得て何事にも移し書くべし。また萬葉の長歌をむかへて、古言を知り、且つ人麻呂その外の長歌の巧み、或は延べつゞめたる言の體など、文に異ならず。下りては、伊勢物語など、かな文の中に、古文に用ふべき言を、廣く撰りて取るべし。是等を漫りにとらば、古今交はりて、拙く卑しくなりなん。それはた執成に依りて、古文になれる事もあれど、そは得て後自ら知る事なり。また田舍人の言にこそ古言は殘りたれ。よく撰みなば文の半ばかりは此の言にて云はるべし。後世は源氏物語の言などをもて書く人あれど、かれは女文なり、物語文なり、古き雅文にはかなはず、此の別ちをよく思ひ知れ。古今歌集の序は皇朝の歌の古意をば深くも辿らず、本の意、唐の四六の文體と、凡その唐文の意を假り、言は其の比の歌によみ習へる、女振の言を用ゐて書きしものにて、後につけてはめでたく書きし所もあり。又僻事も數多なり。よりてこは古文の樣にはあらず。同じ人の書きつれど、土佐日記はかの序より勝れり。かれは強ひて書き、是れは有る事を直に書きしなればなり。抑も文には、いと種々の體あり。古事記より祝詞までをよく見れば、自ら知らるべし。女の文は、是れも、きとせし事(*ちょっとしたこと)書かんには、さる方に古き文もて、女振に書きぬべし。その入り立たん(*深める)初めには、女は源氏物語などをまねばゞ、自ら書き得べし。されど、是れに留まれりとおもふ事なかれ。後に古きさまに登るべき心じらひ(*心構え)して學ばゞ、終に宜しく成り行きなん。遠き國の人の、此の道慕ふなれば、知らせまく思へど、詳なる由は、え盡さず。此の心をもて文どもを見、歌、文をもなして、さて問はんまに\/答へなば、思ひ至る人も有りなんとてなり。すべて古き文は、知るべしてあり。そを心得ん事は、自らする事と、先づは思ひ居り。しかはあれど、世の中は道知るべてふ事もあるならひにて、ひとり行き難きを思ひ開かんとて問ふと心得べし。さては文を讀むに心から(*進んで)ならずして至りやすし。
明和二年七月十六日に 賀茂真淵 しるしぬ
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