25 四月晦日がた
四月(うづき)晦日がた、さるべき故ありて、東山なる所へうつろふ。道のほど、田の苗代、水まかせたるも植ゑたるも、何となく青み、をかしう見えわたりたる山のかげくらう、前ちかく見えて、心細くぞあはれなる。ゆふぐれ水鷄(くひな)いみじくなく、
たたくともたれか水鷄のくれぬるに山路を深くたづねては來む
靈山(りゃうぜん)ちかき所なれば、詣でて拜み奉るに、いと苦しければ、山寺なる石井によりて、手にむすびつゝ飮みて、「此水のあかず覺ゆるかな」といふ人のあるに、
おく山の石間(いはま)の水をむすびあげて飽かぬものとは今のみや知る
といひたれば、水飮む人、
山の井のしづくににごる水よりもこはなほあかぬ心地こそすれ
歸りて、夕日けざやかにさしたるに、京(みやこ)のかたも殘りなく見やらるゝに、この雫に濁る人は、京にかへるとて、心苦しげに思ひて、又つとめて、
山の端に入る日のかげは入りはてて心ぼそくぞながめやられし
念佛(ねぶつ)する僧の、曉にぬかづく音のたふとく聞ゆれば、戸を押しあけたれば、ほの\〃/明けゆく山際は、こぐらき梢どもきりわたりて、花紅葉のさかりよりも、何となく茂りわたれる、空のけしき曇らはしくをかしきに、杜鵑さへ〔一本「杜鵑の聲」〕、いと近き梢にあまたゝび啼いたり。
誰に見せたれに聞かせむ山里のこのあかつきもをちかへる音〔杜鵑の往き返り鳴く音〕も
この晦日の日、谷のかたなる木のうへ〔一本「木の前」〕に、杜鵑かしがましく啼いたり。
都には待つらむものをほととぎす今日ひねもすに鳴きくらす哉
などのみ詠めつゝ、もろともにある人〔同行の人々〕、「只今京(みやこ)にも聞きたらむ人あらむや。かくて眺むらむと思ひおこする人あらむ」などいひて、
山ふかくたれかおもひはおこすべき月見る人はおほからめども
といへば、
ふかき夜に月見るをりは知らねどもまづ山里ぞおもひやらるる
曉になりやしぬらむと思ふほどに、山の方より人あまた來るおとす。驚きて見やりたれば、鹿の縁のもとまで來てうち鳴いたる、近うては〔鹿の聲の近きは〕なつかしからぬものの聲なり。
あきの夜のつま戀ひかぬる鹿の音は遠山にこそ聞くべかりけれ
知りたる人の、近きほどに來てかへりぬと聞くに、
まだ人めしらぬ山邊のまつかぜも音して〔おとづれをして〕かへるものとこそ聞け
八月(はづき)になりて、廿餘日(はつかあまり)の曉方の月はいみじくあはれに、山のかたはこぐらく、瀧の音も似るものなくのみ詠められて、
おもひ知る〔玉葉集には「あはれ知る」とあり〕人に見せばや山ざとのあきの夜ふかきありあけの月
26 京にかへり出づるに
京にかへり出づるに、わたりし時は、水ばかり見えし田どもも、みな刈り果ててげり。
苗代の水かげばかり見えし田の刈り果つるまでなが居しにけり
十月晦日がたに、あからさまに來て見れば、こぐらう茂りし木の葉ども、のこりなく散りみだれて、いみじくあはれげに見え渡りて、心地よげにさゞらぎ〔さら\/と流るゝ〕流れし水も、木の葉うづもれて、跡ばかり見ゆ。
水さへにすみ絶えにけり木の葉ちるあらしのやまの心ぼそさに
そこなる尼に、「春まで命あらば必ず來む。花さかりはまづ告げよ」などいひて歸りにしを、年かへりて〔萬壽二年〕、三月(やよひ)十餘日(とをかあまり)になるまで音もせねば、
契りおきし花のさかりをつげぬかな春やまだ來ぬ花やにほはぬ
旅なる所に來て、月のころ竹のもと近くて、風の音に目のみ覺めて、うちとけて寢られぬ比、
竹の葉のそよぐ〔續拾遺集に入る、「さやぐ」とあり〕夜ごとに寢ざめして何ともなきにものぞ悲しき
秋のころ、そこを立ちて、外(ほか)へうつろひて、その主(あるじ)に、
いづことも露〔一本「秋」〕のあはれはわかれじを淺茅がはらの秋ぞこひしき
27A 繼母なりし人
繼母なりし人、くだりし國の名〔上總〕を宮にも言はるゝに、こと人かよはして後も、猶その名をいはるゝと聞きて、親の今はあいなきよし、言ひにやらむ、とあるに、
あさくら〔神樂歌の曲〕や今は雲井に聞くものを〔他人の妻となりしをいふ〕猶木のまろが名のりをやする
斯樣に、そこはかとなき事を思ひつゞく。(*以下→27_b)
39B (たちわかれ\/しつゝ)
わかれ\/しつゝまかでしを、思ひ出でければ、
月もなく花も見ざりしふゆの夜のこころにしみて戀しきやなぞ
我もさ思ふことなるを、おなじ心なるもをかしうて、
さえし夜の氷はそでにまだとけで冬の夜ながら音をこそはなけ
御前に臥して聞けば、池の鳥どものよもすがら、聲々はぶきさわぐ音のするに、目もさめて、
わがごとぞ水のうきねに明しつつうは毛の霜をはらひ侘ぶなる〔一本「わびける」〕
とひとりごちたるを、傍に臥し給へる人、聞きつけて、
まして思へ水のかりね〔假寢、雁〕の程だにもうはげの霜をはらひ侘びける
かたらふ人どち、局のへだてなる遣戸をあけ合せて、物語などし暮す日、又語らふ人の、「うへにものし給ふを、度々よびおろすに、せちに事あらば如何」とあるに、枯れたる薄のあるにつけて、
冬がれのしののをすすき袖たゆみまねきもよせじ風にまかせむ
40 上達部殿上人などに
上達部(かんだちめ)、殿上人などに對面する人は、定りたるやうなれば、うひ\/しき里人は、ありなしをだに知らるべきにもあらぬに、十月朔日ごろのいと暗き夜(よ)、ふだん經〔常に經よむ事〕に聲よき人々讀むほどなりとて、そなた近き戸ぐちに二人ばかり立ち出でて、來つゝ物語してよりふしてあるに、參りたる人のあるを、にげ入りて、「局なる人々呼びあげなどせむも見ぐるし。さばれ唯をりからこそ、斯くてだに」といふ。今一人のあれば、傍にて聞き居たるに、おとなしく靜なるけはひにて物などいふ、口惜しからざンなり。今一人はなど問ひて、世の常のうちつけの、懸想びてなどもいひなさず、世の中のあはれなる事どもなど、細やかに〔一本「まめやかに」〕いひ出でて、流石にきびしう引き入る方はふし\〃/ありて、我も人も答へなどするを、まだ知らぬ人のありけるなど珍しがりて、頓にたつべくもあらぬほど、星の光だに見えず暗きに、打ちしぐれつゝ、木葉にかゝる音のをかしきを、「なか\/に艷にをかしき夜かな。月の隈なくあかゝらむも、はしたなくまばゆかり〔恥かし〕ぬべかりけり。」春秋の事などいひて、「時にしたがひ見る事には、春霞おもしろく、空ものどかに霞み、月のおもてもいと明うもあらず、遠う流るゝやうに見えたるに、琵琶の風香調(ふがうてう)、ゆるやかに彈きならしたる、いといみじく聞ゆるに、また秋になりて、月いみじうあかきに、空は霧わたりたれど、手にとる許さやかに澄みわたりたるに、風の音、蟲の聲、とりあつめたる心地するに、箏(さう)の琴かきならされたる平調(ひゃうでう)の吹きすまされたるは、何の春〔秋の誤か〕とおぼゆかし(*ママ)。又さると思へば、冬の夜の空さへ冴えわたり、いみじきに雪のふり積りひかり合ひたるに、篳篥のわなゝき出でたるは、春秋も皆忘れぬかし」と言ひつゞけて、「いづれにか〔春秋〕御心とゞまる」と問ふに、秋の夜に心をよせて答(こた)へ給ふを、さのみ同じ樣にはいはじとて、
あさみどり花もひとつにかすみつつおぼろに見ゆる春の夜の月
と答へたれば、かへす\〃/うち誦じて、さば秋の夜はおぼし捨てつるななりな。
今宵より後のいのちのもしもあらばさば春の夜を形見と思はむ
といふに、秋にこゝろをよせたる人、
人はみな春にこころをよせつめりわれのみや見むあきの夜の月
とあるに、いみじう興じおもひ煩ひたるけしきにて、「唐土などにも、昔より春秋のさだめは、えし侍らざンなるを、このかう思しわかせ給ひけむ御心ども、思ふにゆゑ侍らむかし。我が心のなびき、その折のあはれともをかしとも思ふ事のある時、やがてその折のけしきも、月も花も、心にそめらるゝにこそあンべかンめれ。春秋を知らせ給ひけむ事のふしなむ、いみじう承らまほしき。冬の夜の月は、昔よりすさまじき物の例にひかれて侍りけるに、又いと寒くなどして、ことに見られざりしを、齋宮(*■(女偏+專:せん::大漢和6662)子内親王)の御裳着〔萬壽六年齋宮御裳著勅使藏人右兵衞督佐(*右兵衛佐)資通〕の勅使にてくだりしに、曉にのぼらむとて、日比ふり積みたる雪に、月のいとあかきに、旅の空とさへ思へば、心ぼそくおぼゆるに、まかり申し〔御暇乞〕に參りたれば、よの所にも似ず、思ひなしさへ、け恐しきに、さべき〔さるべき〕所に召して、圓融院の御代より參りたりける人の、いといみじく神(かん)さび、古めいたるけはひのいとよし深く、昔の故事(ふること)ども言ひいで、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶の御琴をさし出でられたりしは、この世の事とも覺えず。夜の明けなむもをしう、京(みやこ)のことも思ひ絶えぬばかり、おぼえ侍りしよりなむ、冬の夜の雪ふれる夜は思ひ知られて、火桶などを抱きても、必ず出で居てなむ見られ侍る。おまへたちも、必ずさ思すゆゑ〔春をよしと思ふ所以〕侍らむかし。さらば、今宵よりは、くらき闇の夜のしぐれうちせむは、また心にしみ侍りなむかし。齋宮の雪の夜におとるべき心地もせずなむ」などいひて別れにし後は、誰と知られじと思ひしを、又の年〔長久四年〕の八月(はづき)に、内へいらせ給ふに、夜もすがら殿上にて〔一本(*「八月に…殿上にて」)此二十字なし〕御遊(おんあそび)ありけるに、この人の侍(さぶら)ひけるも知らず。その夜はしもにあかして、細殿の遣戸を押しあけて見出したれば、曉がたの月の、あるかなきかにをかしきを見るに、沓の聲聞えて、讀經などする人もあり。讀經の人は〔一本になし〕、この遣戸口に立ちとまりて、物などいふに答へたれば、ふと思ひ出でて、「時雨の夜こそ、片時わすれず戀しく侍れ」といふに、ことながう答(こた)ふべき程ならねば、
何さまで思ひ出でけむなほざりの木の葉にかけし時雨ばかりを
ともいひやらぬを、人々また來あへば、やがてすべり入りて、その夜さりまかンでにしかば、もろともなりし人尋ねて、返(かへし)〔返歌〕したりしなども、後にぞ聞く。ありし時雨のやうならむに、いかで琵琶の音のおぼゆるかぎり彈きて聞かせむとなむある、と聞くに、ゆかしくて我もさるべき折を待つに更になし。春比ののどやかなる夕つ方、參りたりと聞きて、その夜、もろともなりし人とゐざり出づるに、外に人々まゐり、内にも例の人々あれば、いでまかンで入りぬ。あの人もさや思ひけむ、しめやかなる夕暮を、推し量りて參りたりけるに、騷しかりければ、まかンづめり。
かしまみてなるとの浦にこがれ出づるこころはえきや磯のあま人
と許にてやみにけり。あの人柄もいとすくよかに、世の常ならぬ人にて、その人はかの人はなども、尋ね問はで過ぎぬ。
41 今は昔のよしなし心も
今は昔のよしなし心も悔しかりけり、とのみ思ひ知りはて、親の物へ率て參りなどせでやみにしも、もどかしく思ひ出でらるれば、今はひとへに豐なるいきほひになりて、二葉の人〔幼き子〕をも思ふざまに傅(かしづ)きおふしたて、我が身もみくらの山に積みあまる許にて、後の世までの事をも思はむと思ひはげみて、十一月(しもつき)の廿日餘、石山にまゐる。雪うち降りつつ道のほどさへをかしきに、逢坂の關を見るにも、昔越えしも冬ぞかしと思ひいでらるるに、その程しもいとあらう〔荒く〕吹いたり。
逢坂の關のやまかぜ〔一本「關風」〕吹くこゑはむかし聞きしにかはらざりけり
關寺のいかめしう造られたるを見るにも、その折、あらづくりの御(み)顔〔大佛の〕ばかり見られし折思ひ出でられて、年月の過ぎにけるもいと哀なり。打出の濱のほどなど見しにもかはらず、暮れかゝる程にまうで著きて、湯屋におりて御堂に上るに、人聲もせず。山風おそろしう覺えて、行ひさして、うちまどろみたる夢に、「中堂より御かう〔佛の來迎か〕賜はりぬ。疾くかしこへ告げよ」といふ人あるに、うち驚きたれば、夢なりけり、と思ふに、よき事ならむかしと思ひて行ひあかす。又の日もいみじく雪ふり荒れて、宮にかたらひ聞ゆる人の具し給へると物語して、心ぼそさを慰む、三日さぶらひてまかンでぬ。
42 そのかへる年の十月廿五日
そのかへる年の十月廿五日、大嘗會の御禊とのゝしるに、初瀬の精進はじめて、その日京を出づるに、さるべき人々、「一代に一度の見物にて、田舍世界の人だに見るものを、月日おほかり。その日しも、京をふり出でて往かむも、いと物ぐるほしく、ながれての〔後世の〕物語ともなりぬべき事なり」など、兄弟(はらから)なる人はいひ腹立てど、兒どもの親なる人は、いかにいかに、心にこそあらめとて、いふに隨ひて、出したつる心ばへもあはれなり。ともに行く人々も、いといみじく物ゆかしげなるはいとほしけれど、物見て何にかはせむ。斯る折にまうでむ志をさりとも覺しなむ。かならず佛の御(おん)驗を見むと思ひ立ちて、その曉に京と出づるに、二條の大路をしも渡りて往くに、先にみあかし〔燈明〕もたせ、供の人々淨衣姿なるを、そこら棧敷どもに移るとて、いきちがふ馬も車もかち人もあれば、なぞ事やすからず言ひ驚き、あざみ笑ひあざける者どももあり。良頼の兵衞督と申しゝ人の家のまへを過ぐれば、それ棧敷へわたり給ふなるべし。門ひろうおし開けて、人々立てるが、「あれは物まうで人なンめりな。月日しもこそ世に多かめれ」と笑ふ中に、いかなる心ある人にか、「一時(とき)が目をこやして何にかはせむ。いみじくおぼし立ちて、佛の御(おん)徳、かならず見給ふべき人にこそあンめれ。よしなしかし。物見でかうこそ思ひたつべかりけれ」とまめやかにいふ人ひとりぞある。道、顯證(けんぞう)ならぬさき〔夜のあけぬ中〕に、と夜ふかう出でしかば、立ち後れたる人々も待ち、いとおそろしう深き霧をも少しはるけむとて、法性寺(ほうしゃうじ)の大門(だいもん)にたち止りたるに、田舍より物見にのぼる者どもの、水の流るゝやうにぞ見ゆるや。すべて道もさりあへず、物の心知りげもなきあやしの童〔賤しき童兒〕まで、ひきよげて行き過ぐるを、車を驚きあざみたる事限なし。これらを見るに、實にいかに出で立ちし道なりともと覺ゆれど、ひたぶるに佛を念じ奉りて、宇治のわたりにいき著きぬ。そこにも猶しも、此方ざまに渡りする者ども立ちこえたれば、舟の■(楫+戈:しゅう::大漢和15677)とりたる男ども、船をまつ人の數も知らぬに、心おごりしたる氣色にて、袖をかいまくりて、顔にあてて棹に押しかゝりて、頓に舟も寄せず、うそぶいて見まはし、いといみじうすみたる〔沈着なる〕樣なり。むごに〔いつまで〕え渡らで、つく\〃/と見るに、紫の物語〔源氏物語〕に、宇治宮のむすめどもの事あるを、いかなる所なれば、そこにしも住ませたるならむ、とゆかしく思ひし所ぞかし。實にをかしき所かな、と思ひつゝ、辛うじて渡りて、殿のさぶらふ所の、宇治殿を入りて見るにも、浮舟の女君(をうなぎみ)の、かゝる所にやありけむなど、まづ思ひ出でらる。夜ふかく出でしかば、人々困じてや、ひろうちといふ所にとゞまりて、物食ひなどする程にしも、供なるものども、「高名の栗駒山〔源氏物語椎が本にあり、大和物語に「くりこまの山に朝たつ雉よりも云々」とあり〕にはあらずや。日も暮方になりぬめり。ぬしたち、調度とりおはさうぜよや」と言ふを、いと物おそろしう聞く。その山越え果てて、にへの池の邊へ行き著きたる程、日は山の端にかゝりにたり。いまは宿とれて〔「とれとて」歟〕、人々あかれて〔分れて〕宿もとむる。「所はしたにて、いとあやしげなる下種(げす)の小家なむある」といふに、如何はせむとて、そこに宿りぬ。みな人々京にまかりぬとて、あやしの男二人ぞ居たる。その夜もいも寢ず。此男のいで入りしありくを、奧の方なる女ども、「など斯くしありかるゝぞ」と問ふなれば、「いなや、心も知らぬ人を宿(やど)し奉りて、釜ばしもひきぬかれ〔盜まれ〕なば、如何にすべきぞと思ひて、え寢(ね)でまはりありくぞかし」と寢たると思ひていふ。聞くに、いとむく\/しく〔厭はしく〕をかし。翌朝、そこを立ちて、東大寺によりて拜み奉る。いそのかみも誠にふりにける事想ひやられて、無下に荒れ果てにけり。その夜、山邊といふ所の寺にやどりて、いと苦しけれど、經すこし讀み奉りてうちやすみたる夢に、いみじくやむごとなく清らなる女のおはするに參りたれば、風いみじう吹く。見つけてうち笑みて、「何しにおはしつるぞ」と問ひ給へば、「いかでかは參らざらむ」と申せば、「其處(そこ)はうちにこそ〔禁中で〕あらむとすれ。はかせの命婦をこそよく語らはめ。」と宣ふと思ひて、嬉しくたのもしくて、いよ\/念じ奉りて、初瀬川などうち過ぎて、その夜御寺〔初瀬寺〕にまうで著きぬ。祓などしてのぼる。三日さぶらひて、曉まかでむとて打ちねぶりたるよさり、御堂のかたより、「すは稻荷よりたまはるしるしの杉〔「稻荷山しるしの杉を尋ね來てあまねく人のかざす今日かな」顯仲の詠〕よ」とて、物を投げ出づるやうにするに、うち驚きたれば夢なりけり。曉夜ぶかく出でてえとまらねば、奈良坂のこなたなる家を尋ねて宿りぬ。これもいみじげなる小家なり。「ここはけしきある所なンめり。ゆめ寢ぬな、靈怪(りゃうくゎい)の事あらむに、あなかしこ、おびえさわがせ給ふな、息もせで臥させ給へ」といふを聞くにも、いといみじう、侘しくおそろしうて、夜を明すほど、千歳を過す心地す。辛うじて明けたつほどに見れば、盜人の家なり。「あるじの女、けしきある事〔寢をまちて盜まむ氣色〕をしてなむありける」といふ。いみじう風の吹く日、宇治のわたりを過ぐるに、網代いと近うこぎよりたり。
音にのみ聞きわたり來し宇治川のあじろの浪もけふぞかぞふる
43 二三年、四五年へだてたる事を
二三年、四五年へだてたる事を次第もなく書きつゞくれば、やがてつゞきだちたる修行者(すぎゃうざ)めきたれど、さにはあらず。年月へだたれる事なり。春ごろ鞍馬に籠りたり。山際かすみわたり長閑なるに、山の方より僅にところ〔野生の薯蕷〕など掘りもて來るもをかし。出づる道は、花も皆散り果てにければ、何ともなきを、十月(かんなづき)ばかりにまうづるに、道のほど山の氣色、この比はいみじうぞ勝るものなりける。山の端、錦をひろげたるやうなり。たぎりて流れゆく水、水晶をちらす樣にわきかへるなど、いづれにも勝れたり。まうで著きて、僧坊にいき著きたるほど、かきしぐれたる紅葉の、たぐひなくぞ見ゆるや。
おく山の紅葉のにしき外よりも如何にしぐれてふかくそめけむ〔一本「そむらむ」〕
とぞ見やらるゝ、二年ばかりありて、また石山に籠りたれば、夜もすがら雨ぞいみじく降る。旅居は雨いとむづかしきものと聞きて、蔀を押しあげて見れば、有明の月、谷の底さへ曇りなく澄みわたり、雨と聞えつるは、木の根より水の流るゝ音なり。
たに川のながれはあめと聞ゆれどほかよりけなる〔まさる〕ありあけの月
44 また初瀬にまうづれば
また初瀬にまうづれば、初にこよなく物たのもし。處々にまうけ〔饗應〕などして行きもやらず。山城國、柞(はゝそ)の杜(もり)などに、紅葉いとをかしき程なり。初瀬川わたるに、
初瀬川立ちかへりつつたづぬれば杉のしるしもこのたびや見む
と思ふもいとたのもし。三日さぶらひて罷(まかん)でぬれば、例の奈良坂のこなたに、小家などに、此度はいと類ひろければ〔仲間大勢なれば〕、え宿るまじうて、野中にかりそめに庵(いほ)つくりて居ゑたれば、人はたゞ野に居て夜をあかす。草のうへに行縢(むかばき)などをうち敷きて、うへに蓆(むしろ)を敷きて、いとはかなくて夜を明す。頭もしとゞに露おく。曉方の月のいといみじく澄みわたりてよに知らずをかし。
ゆくへなき旅のそらにもおくれぬは都にて見しありあけの月
何事も心にかなはぬ事もなきまゝに、かやうに立ち離れたる物詣をしても、道のほどををかしとも苦しとも見るに、おのづから心も慰め、さりともたのもしう、さしあたりて歎かしなど覺ゆる事どもないまゝに、唯をさなき人々を、いつしか思ふ樣(さま)にしたてて見むと思ふに、年月の過ぎ行くを心もとなく、たのむ人〔夫の君〕だに人のやうなる喜しては、とのみ思ひわたる心地たのもしかし。
45 古いみじうかたらひ
古いみじうかたらひ、夜晝歌などよみかはしさぶらふ人のありありても、いと昔のやうにこそあらね、絶えずいひわたる。越前守のよめにて下りしが、書き絶え音もせぬに、辛うじてたより尋ねて、これより〔孝標の女の方より〕、
たえざりし思ひもいまは絶えにけり越のわたりの雪のふかさに
といひたる返事に、
白山(しらやま)のゆきのしたなるさざれ石〔小石〕の中(うち)のおもひは消えむものかは
三月(やよひ)の朔日ごろに、西山の奧なる所にいきたる、人目も見えず、のど\/と霞みわたりたるに、あはれに心細く、花ばかり咲きみだれたり。
里とほみあまりおくなるやま路には花見にとても人來ざりけり
世中むづかしう覺ゆるころ、太秦にこもりたるに、宮にかたらひ聞ゆる人の御許より文ある。返事聞ゆるほどに、鐘の音の聞ゆれば、
しげかりしうき世のことも忘られず〔一本「忘られぬ」〕入相の鐘のこころぼそさに
と書きて遣りつ。
46 うら\/とのどかなる宮にて
うら\/とのどかなる宮にて、おなじ心なる人三人(みたり)ばかり、物語などして罷出(まかんで)て、又の日つれ\〃/なるまゝに、戀しう思ひ出でらるれば、二人が中に、
袖ぬるるあらいそ波と知りながらともにかづき〔水中に泳ぎ入ること〕をせしぞ戀しき
と聞えたれば、
あら磯はあされど何のかひなくてうしほに濕(ぬ)るるあまの袖かな
いま一人、
みるめ〔海松、海草〕生ふる浦にあらずば荒磯のなみまかぞふる蜑もあらじを
おなじ心に斯樣にいひかはし、世中の憂きも辛きもをかしきも、互(かたみ)に言ひかたらふ人、筑前にくだりて後、月のいみじう明きに、かやうなりし夜、宮にまゐりて、あひては露まどろまず、眺めあかしゝものを、戀しく思ひつゝ寢入りにけり。宮にまゐりあひて、現にありし樣にてありと見てうち驚きたれば、夢なりけり。月も山の端近うなりにけり。さめざらましを〔「思ひつゝぬればや人の見えつらむ夢と知りせばさめざらましを」小町の歌〕と、いとゞ詠められて、
夢さめて寢ざめのとこのうくばかり戀ひきと告げよ西へゆく月
47 さるべきやうありて
さるべきやうありて、秋ごろ和泉にくだるに、淀といふよりして、道のほどの、をかしうあはれなる事言ひ盡すべうもあらず。高濱といふ所にとゞまりたる夜、いと闇きに夜いたう更けて、舟の■(楫+戈:しゅう::大漢和15677)の音聞ゆとふなれば、遊女(あそび)のきたるなりけり。人々興じて、舟にさしつけさせたり。とほき火の光に、單衣(ひとへ)の袖ながやかに、扇さしかくして歌うたひたる、いとあはれに見ゆ。又の日、山の端に日のかゝるほど、住吉の浦を過ぐ。空もひとつに霧りわたれる、松の梢も海のおもても、波の寄せくる渚のほども、繪に書きても、及ぶべき方なうおもしろし。
いかにいひ何にたとへてかたらまし秋のゆふべのすみよしの浦
と見つゝ、綱手ひき過ぐるほど、顧みのみせられて飽かず覺ゆ。冬になりてのぼるに、大江といふ浦に、舟に乘りたるに、その夜雨風、岩も動くばかり降りふゞきて〔一本に「降りつゞきて」〕、神〔雷〕さへなりて轟くに、浪の立ち來る音なひ、風の吹き惑ひたるさま、恐しげなること命かぎりつと思ひまどはる。岡のうへに、舟を引きあげて夜をあかす。雨はやみたれど、風なほ吹きて舟いださず。ゆくへもなき岡のうへに、五六日を過す。辛うじて風いさゝかやみたる程、舟の簾卷きあげて見渡せば、夕潮たゞみちに滿ちくるさまとりもあへず、入江の田鶴の聲をしまぬも、をかしく見ゆ。國の人々あつまり來て、「その夜この浦を出でさせ給ひて、石津に著かせ給へらましかば、やがてこの御舟なごりなくなり〔難船して〕なまし」などいふ。心ぼそう聞ゆ。
荒るる海に風よりさきに舟出していしづの浪と消えなましかば
48 世中にとにかくに
世中に、とにかくに心のみ盡すに、宮仕とても、ことばひとすぢに、仕う奉りつゞかばや、いかゞあらむ。時々立ち出でば、何なるべくもなかンめり。年はやゝさだ過ぎ〔女の盛を過ぎ〕行くに、わか\/しき樣(やう)なるも、つきなう覺えなげかるゝうちに、身の病いと重くなりて、心にまかせて物語などせし事も、得せずなりたれば、わくらば〔たま\/〕の立ち出でも絶えて、長らふべき心地もせぬまゝに、幼き人々を、いかにも\/我があらむ世に見おく事もがな、とふしおき思ひなげき、頼む人のよろこびの程を、心もとなく待ち歎かるゝに、秋になりて〔天喜五年の秋になりて〕待ちいでたる樣なれど、思ひしにはあらず、いと本意なく口惜し。親のをりより立ち歸りつゝ見し東路よりは、近きやうに聞ゆれば、いかゞはせむにて、程もなく下るべき事ども急ぐに、門出は、女(むすめ)なる人のあたらしく渡りたる所に、八月(はづき)十餘日(とをかあまり)にす。後(のち)の事は知らず、そのほどの有樣は物さわがしきまで、人おほくいきほひたり。
廿七日にくだるに、男(をとこ)なる〔仲俊〕は添ひて下る。紅(くれなゐ)のうちたるに、萩のあを〔萩の襖〕、紫苑の織物の指貫著て、太刀佩きて、しりに立ちてあゆみ出づるを、それも〔仲俊をさしていふ〕織物のあをに、緋色の指貫、狩衣〔一本なし〕著て、廊のほどにて馬に乘りぬ。のゝしり滿ちてくだりぬる後、こよなう徒然なれど、いといたう遠きほどならずと聞けば、さき\〃/の樣に、心ぼそくなどは覺えであるに、おくりの人々、又の日かへりて、「いみじうきら\/しうて下りぬ」などいひて、「この曉に、いみじく大なる人魂の立ちて、京ざまへなむ來ぬる」と語れど、供の人などのにこそは、と思ふ。ゆゝしきさまに思ひだによらむやは。今はいかで、このこの若き人々、おとなびさせむと思ふより外の事なきに、かへる年の四月(うづき)にのぼり來て、夏秋も過ぎぬ。九月(ながつき)二十五日よりわづらひ出でて、十月五日〔通俊朝臣の卒せられし康平五年〕(*康平元年)に、夢のやうに見ないて思ふ心地、世中にまた類(たぐひ)ある事ともおぼえず。初瀬に鏡たてまつりしに、伏しまろび泣きたる影の見えけむは、これにこそはありけれ。嬉しげなりけむ影は、きし方もなかりき。いま行末はあンべいやうもなし。廿三日、はかなくも煙になす〔火葬にす〕に、去年の秋、いみじくしたて傅かれて、うちそひて下りしを見やりしを、いとくろき衣のうへに、ゆゝしげなる物を著て、車のともに泣く\/歩み出で行くを、見いだしておもひ出づる心地、すべてたとへむ方なきまゝに、やがて夢路に惑ひてぞ思ふに、その(*そを?)人やみにけむかし。昔よりよしなき物語、歌の事をのみ心にしめで、よるひる思ひて行ひをせましかば、いとかゝる夢の世をば見ずもやあらまし。初瀬にてまへの度は、稻荷より賜ふしるしの杉よとて、なげ出でられしを、いでしまゝに稻荷に詣でたらましかば、かゝらずやあらまし。としごろ天照大神を念じ奉れと見ゆる夢は、人の御(おん)乳母として内裏わたりにあり、帝、后(きさい)の御蔭(おんかげ)に、かくるべきさまをのみ、夢ときもあはせしかども、その事は、ひとつかなはで止みぬ。たゞ悲しげなりと見し、鏡のかげのみ違はぬ、あはれに心憂し。かうのみ心に物のかなふ方なうて止みぬる人なれば、功徳〔後生菩提の功徳〕もつくらずなどしてたゞよふ。
49 さすがに命は
さすがに命は、憂きにも絶えずながらふめれど、後の世もおもふに叶はずぞあらむかしとぞうしろめたきに、頼むことひとつぞありける。天喜三年、十月十三日の夜の夢に、居たる所の屋(や)のつまの庭に、阿彌陀佛立ち給へり。さだかには見え給はず。霧一重へだたれるやうに透きて見え給ふを、せめてたえまに見奉れば、蓮花の座の土をあがりたる高さ三四尺(さく)、佛の御丈(みたけ)六尺ばかりにて、金色にひかりかゞやき給ひて、御(おん)手片つ方をばひろげたる樣に、いま片つ方にはいんを作り〔印を結ぶこと〕給ひたるを、こと人の目には見つけ奉らず。我一人見奉りて、さすがにいみじくけ恐しければ、簾のもと近くよりてもえ見奉らねば、佛、「さは此度はかへりて、後むかへに來む」と宣ふ聲、我が耳ひとつに聞き居て、人はえ聞きつけずと見るに、うち驚きたれば、十四日なり。この夢ばかりぞ、後の頼(たのみ)としけるを、(*旺文社文庫版は「しける。」で改段。)
50 いもとなどひと所にて
いもとなどひと所にて朝夕見るに、かうあはれに悲しきことの後は、所々になりなどして、誰も見ゆることかたうあるに、いと闇い夜、六波羅にあンなる甥(をひ)の來(きた)るに、珍しうおぼえて、
月も出でで〔なき夫の事をいふ〕やみにくれたる姨捨に何とてこよひたづね來つらむ
とぞいはれにける。懇に語らふ人の、かうで後おとづれぬに、
今は世にあらじものとや思ふらむあはれ泣く泣く猶こそはふれ
十月ばかり、月のいみじうあかきを、泣く\/眺めて、
ひまもなき涙にくもるこころにもあかしと見ゆる月のかげかな
51 年月は過ぎかはり行けど
年月(としつき)は過ぎかはり行けど、夢のやうなりしほどを思ひ出づれば、心地もまどひ、目もかきくらすやうなれば、その程のことは、又さだかにも覺えず。人々は皆外(ほか)にすみあかれ(*原文「あがれ」)て、故郷にひとり、いみじう心ぼそく悲しくて、眺めあかし侘びて、久しうおとづれぬ人に、
茂りゆくよもぎが露にそぼち(*原文「そほぢ」)つつ人に問はれぬ音をのみぞ泣く
尼なる人なり。
世のつねの宿のよもぎに思ひやれそむき果てたる庭のくさむら
更科日記 終