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よるのつる 〔一名阿佛口傳〕

安嘉門院四條(*阿仏尼)(1279-83頃)
群書類從 卷第292 和歌部7
(第16輯 昭9.4.15 續群書類從完成會)

〔 〕底本註−うち、〔 イ〕異本 / (* )入力者註
○ 仮名遣い・句読点を適宜改め、段落に分けて章題を任意に付した。
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<ruby>語句<rt>よみ</rt></ruby>
<year value="西暦">年号</year>
<name ref="通行表記">人名</name>
<work title="通行表記">作品名</work>

   題詠の心得  故事を踏まえた歌  下の句を先に作ること  本歌取りの心得  古言の扱い  近世の作者の句を使わぬこと  詠歌修行の心得  虚実の論  歴代の撰集  当座の機転
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さりがたき人の「哥よむやうをしへよ。」と度々仰せられ候へども、「我よくしりたる事をこそ、人にもをしへ候なれ。いかでかは。」といなみ申を、あながちにうらみ仰せられ候もわりなくて、すゞろなる事をかきつけ候ぬるぞ、ゆめ\/人にみせられ候らふまじ。
おほかた、昔より此やまと歌の道をえたる人々、末の世のためさま\〃/かきたる物ども、家々にもてあそび、人毎にならふ事おほく候へば、今更おろかなることの葉にて、いづくをはじめに申べしともおぼえ候はず。出る日を「あかねさす」、「久方の月」「あし引の山」「玉ぼこの道」「むば玉の夢」などやうのこと葉は、いづれの哥の枕(*歌論書の類)にも、只おなじ事を申て候めり。只ふるきものども、よく御覧ぜられ候へかし。
是はたゞ、とし比のうたよみと聞ゆる人のあたりにて、僅に耳にとまり候しことの、老ぼれたる心地に、いさゝか思ひ出られ候ひしを申候へども、さながらひがおぼえにてぞ候らん。

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題詠の心得

初學抄』と申て、清輔朝臣のかき置れて候物にも、「哥よまんには、題の意をよく心うべし。」と候とおぼえ候。又、「題のもじを上の句に皆よみはてゝ、下の句にいひ事のなさに、すゞろなる事どもをつゞけたる、いとみぐるし。」とて候き。「ある人、『山家卯花』といふ題にて、『山里のかきねにさけるうのはなは』とよみ、末はなにとよむべしともおぼえ候はざりけるやらん、『わきかへ(*脇壁か。)ぬれるこゝちこそすれ』とよみて候ける、いとをかし。」とて候き。それもやうによりて、又上の句に題のもじをいひはてゝもくるしからぬ事も候にや。
ことに戀のむすび題ども(*複数の概念を含む題)、題のことわりをあらはさず、おもはせたる事どもを上手達はよまれ候とおぼえ候。「遇不逢戀」といふ事を、京極中納言定家の哥とおぼえ候、
色かはるみのゝ中山秋越て又遠ざかるあふさかの關
かやうにも、たゞよまれて候なれ。「われらならば、『逢てあはざる戀ぞ苦しき』などよまゝし。」とおぼえ候。

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故事を踏まえた歌

又、皇太后宮大夫俊成卿の哥、「臨期變約戀」といふ事を、
思ひきやしぢのはしがき(*榻の端書)かきつめて百夜も同じ丸ねせんとは
などよまれ候めり。けさう人の「しぢといふものゝ上に、もゝよねたらばあはん。」と契りたる人、九十九夜はさはりなく、はしにてかずをかきたるに、もゝ夜にあたる夜、さはり出來てあかぬことなどは、しらぬ人なき事にて候へば、しるすに及ず。
又、寂蓮と申ける哥よみ、「兩人を思ふ戀」といふ題を得て、
つの國の生田の河に鳥もゐば身の恨とや思ひなりなん
やまと物がたり』むこふたりのこと(*生田川)、おなじくしるすに及ばず。
かやうに、題のふるきためしにおもひよそへてよまれたる事ども、もしほ草かきつくすべくもあらず。(*源順)が詩に、「雨の中に月をこふ」といふ題にて、「やうきひ(*楊貴妃)かへりてはだうてい(*ママ。唐帝)の思ひ。」などつくりたるふぜいも、おもひ出られてやさしう、おもしろくこそ候へ。「上手ならでは、いかでか思ひよらん。」とぞおぼえ候。

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下の句を先に作ること

又、哥をあんずるに、はじめの五文字より、しだいによみくだされ候事は申に及ばず、かうがふべからず。さては哥よむ心地とて、つねにうけ給り(*ママ。夫藤原為氏に)候しは、「先下の七々の句をよくあんじてのちに、はじめの五文字をすゑにかなふやうに、よく\/おもひさだむべし。」とて候き。上の句よりしだいによむほどに、末よはになる事の候へば、そのようじんとおぼえ候。

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本歌取りの心得

又、本歌をとるやうこそ、上手と下手とのけぢめとに見え候。そのとりやうも、定家卿かきおかれたるものに、こまかに候やらん。さながら又、本歌のことば、句の置どころもたがはねど、あらぬ事にひきなして、わざともよくきこゆることも候ぞかし。
俊成卿のむすめとて、哥よみの哥、『續後撰』に入て候やらん。
咲ば散る花の憂身とおもふにも猶うとまれぬ山櫻哉
げんじ』の哥に、
袖ぬるゝ露のゆかりと思ふにも猶疎まれぬ大和なでしこ
句毎にかはりめなくみえ候へども、上手のしごとは、なんなく、わざともおもしろく聞え候を、「まなぶとても猶及びがたくこそ。」とおぼえ候。

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古言の扱い

かやうの事どもかきつらね候はゞ、濱の眞砂かずかぎるべくも候ねど、たゞ今、きと覺え候事ばかりを、御使をとゞめながらかきつけ候也。
又、「『萬葉集』、三代集などに、ふるき人々よみたればとて、むかしのこと葉どもを、口なれぬ哥どもにこのみよむこともさるべからず。」とぞうけ給り候し。「『おもほゆるかな』『物にざりける』『けらしも』『むべ』といふもじ、『べみ』といふことともへ水のなどやうの事(*未詳)こそ、かたみにいひなれきゝなれ、やさしきこと葉なりけめど、時うつりへだたりぬれば、人のことばもかはるものなれば、みゝ遠くなりたらん事をば、人丸赤人みつね貫之よみたればとて、このみよむまじき」やうにこそ、うけ給はり候し(*ママ)

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近世の作者の句を使わぬこと

又猶、『千載』『新古今』の比より、近き世の作者どもの哥・めいくをさながらめをあはせて(*位置まで合わせて、の意か)、うばひとりてよむ事、いとみぐるし。よみ出たる人のためにも、高名やうにあらず。よく\/此ことをつゝしみ申べし。今の世のにょうばうの哥に「つゆの玉づさ」とよまれて候しなり。俊成卿のはじめて「いく秋かきつつゆの玉づさ」とよみ出られたるを、「しばしさておかばや。」とて候き。是は猶今はふるき哥とも申ぬべし。さしむかひたる哥どもをとらるゝこそ、かへす\〃/あさましく候へ。
「哥は、只心をたしかにあんじしづめて、こと葉をやさしくとりなしてよめ。」とこそ候へし(*ママ)を、口にまかせて人まねうちして、うきたる言の葉ばかりにて思とけば、こゝろは正躰なく、てに葉もあはず、もと末もかけあはぬ事のみ、此比は多く見え候にや。

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詠歌修行の心得

又、うつり行世々にしたがひて、哥すがたもみなかはり候こそ、「いにしへの哥に今の哥をならぶれば、火と水とのごとし。」など申て候へども、中比・近世の人々の哥も、むかしの哥におのづからおとらぬなどもや候らん。又、いにしへの哥のやさしく、いかなる世にもふりがたく、おもしろくやさしきこゝろこと葉こそ、今の世にも上手とおぼゆる人々は、よみあはれ候へ。それはむかし今かはるべきにもあらず。
ほとけの道をつたへうけ給るにも、つみもくどくもさだまりたる主もなし。このめばおのづから發心す。只時を得、善知識に逢事こそかたき事なんなれ。まことに「誰をかしる人と頼むべき。」とまよはるれど、御法のしるべに、聖教世に猶とゞまりて候。哥のしるべは『萬葉』『古今』も猶あととまりけり。發心修行もすゝむ人あらば、五の濁の世の末なりとも、などか無上菩提をも得ざらむ。道心ある人と數寄たる人との、こゝろ\〃/にぞよるべき。法命をつぎ、哥の道をたすくる事、かずならぬ人にもよらじとこそおぼゆれ。
先哥をよまむ人は、ことにふれて情をさきとして物の哀をしり、つねに心をすまして、はなのちり木の葉のおつるをも、つゆしぐれ、色かはる折節をも、めにもこゝろにもとゞめて、哥の風情を立居につけて、心にかくべきにてぞ候らん。

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虚実の論

又、「四季の哥にそらごとしたるはわろし。只ありのまゝに、やさしくとりなしてよむべし。戀の哥には、りこう・空ごとおほかれど、わざともくるしからず。枕の下に海はあれど、むねは富士、袖は清見が關も、只おもひのせつなる風情をいはんとて、いか程もよそへいはむ事、四季の哥にことなるべし。」と(*為家は)申され候き。
又、「四季の哥のそらごとも、やうによるべし。遍昭僧正の『玉にもぬける春の柳か』とよまれたるをはじめて、『有明の月とみるまでによしのゝ里にふれるしら雪』、花を『雲に似たり』ともとりなせる事どもは、僞ながらまことにさおぼゆる事なれば、くるしからず。」といふ事も、よくよく心得わくべきにや。
又、「古郷といふ題にて、舊里とばかりよむ事、つねのことなれど、たゞの哥にもふるさとはよむことなれば、さして故郷といはん題にては、奈良の都とも、難波のみやことも、志賀の都とも、名にふりたるところをぞよみたき。」と候き。
又、「月前の戀」「月によする戀」といふ題をも、人皆思ひわかで、たゞおなじさまによむ事、念なくや。月によするとては、たゞ月といふ文字をかりつれば、よせたるにて有べし。「うはの空なるかたみにて、おもひいでばこゝろかよはん。」などやうなるを、よせたると申べきにや。月の前とては、さしむかひたるやうなるべきにや。
戀しさの空しきそらにみちぬれば月も心の中にこそすめ
といふ哥も、俊成卿、「月前戀」といふ題にてよまれて候やらん。
又、「『うれしかりけり』『かなしかりけり』といふ文字を、みれんの哥よみは、つねにこのむなり。げにうれしきこと、かなしき事なれでは、つねによむまじき。」とこそ申され候し。

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歴代の撰集

たゞ哥の本躰には、『古今』の哥を見覺えて本哥にもすべし。三代集いづれもおなじことなれど、『後撰』にはやさしき哥も多く、又みだりがはしき哥もおほくまじりたり。なしつぼの五人、心々やかはりけむ。『拾遺』の哥は、又『拾遺抄(*藤原公任『拾遺和歌抄』)によき哥はみなえり出られためり。『後拾遺』、また哥よみもおほくつどひたる比なれば、おもしろき哥もおほげに候を、『難後拾遺(*源経信)といふものぞ、幹はもえ出るなどいふ哥をはじめて、さま\〃/そしりたる事も候やらん。『金葉』『詞花』などは、哥すがたもかはりて、一ふしおもしろきところある哥のみおほく、はいかいめきたる事がちに候やらん。
かれよりのちの集どもゝ、撰者の心得心得にて、さま\〃/すてがたく見え候めり。「『新古今』、むかしの歌のやさしきすがたにたちかへりて、「をらばおちぬべき萩のつゆ」「ひろはゞ消なんとする玉ざゝの霰」など申べきを、「あまりにたはぶれ過して、哥の樣又あしざまになりぬべし。」とて、『新勅』は、撰者おもふところありて、まことある哥をえらばれけり。」などぞうけ給りし。そのゝち、『續後撰』、たちかへり道をしろしめす御代にあひて、ときはゐのおほきおとゞをはじめ奉り、衣笠の内大臣(*藤原家良か)信實ともいゑ(*ママ。知家か。)など、道にたへたる人、家の風吹たえぬ人々多く、君も臣も身をあはせ、時を得たりける撰者(*藤原為家)なれば、さすがみどころ候らん。それにも時による作者おほくなど、うちかたぶく人もありけるを、ましてそのゝちの事はいかゞ候らん。心もおよぶまじければおしこめぬ(*口をつぐむ)
むかし今の代々の集どもの作者も、世々にきこえ、哥のすがたもたけ高くやさしからんを、しだいに御めをとゞめて、ことのついでに題の心を御らんじわきて、かしこきをみては、「ひとしからん。」と御こゝろをかけ候べし。當時の人々の哥をば、夢々(*ママ)まなびこのむ御事候まじく候。

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当座の機転

又、とりあへぬ事に、時もかはさず詠出る哥の、返事立ながらいひ出す哥は、さしあたりて、唯今いひたきことを、さまよくつゞけ候ぬれば、何の風情も過て候。小式部内侍定頼中納言をひきとゞめて、「まだふみもみずあまのはしだて」と申けるとかや。周防内侍忠家大納言の「かひなくたゝむ名こそをしけれ。」と申かはしける心とさなどは、たゞ人のこゝろ玉しひにより、哥の道にしほなれぬる(*慣れ親しむ)、くらゐ(*境位、品格)のあらはるゝにて候へば、むかし今申にもおよび候はず。
今はかゝるたにの朽木となりはてゝ候とも、「さるやさしき人々だに候はゞ、などかは口とくあひしらふ事もさぶらはざらん。」とおぼえて、その世の人々うらやましくこそ。

(*了)

   題詠の心得  故事を踏まえた歌  下の句を先に作ること  本歌取りの心得  古言の扱い  近世の作者の句を使わぬこと  詠歌修行の心得  虚実の論  歴代の撰集  当座の機転
【本文の仮名遣い】 おかし、ことはり(理)、ふぜひ(風情)、すえ(末)、しだひに(次第に)、げむじ(源氏)、ねうばう(女房)、をのづから(自ら)、おる(折る)、ともいゑ(知家)、をよぶ(及ぶ)、をしこむ(押し込む)、おし(惜し)、たましゐ(魂)
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