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紫のゆかり

山岡浚明(まつあけ) 1758頃
*内藤耻叟・小宮山綏介 標註『[近古/文藝]温知叢書』第4編
(博文館 1891.4.23)中の一編。
*同書所収作品「閑なるあまり・野叟獨語・寛天見聞記・
平賀鳩溪實記・くせ物語・淨瑠璃譜・紫のゆかり・浮世繪類考」

※段落を設け、句読点を改め、引用符等を任意に施した。

 解題  前書  江戸  江戸城  市街  花見・芝居  墨田河畔  浅草  遊里  寛永寺  湯島聖堂  結語  識語

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解題

此書は清水濱臣の識語に據るに蓋し山岡浚明の著はす所なり。浚明字は子亮、號は梅橋散人、通稱は左次右衞門といふ。幕府に仕へて祿四百俵を賜ふ(*ママ)。致仕の後薙髪して明阿彌と稱したり。初は林祭酒に從て漢學を修めしが、後には志を變し、眞淵翁に就て古學を受く。然れども其師と見解を異にして、遂に一家をなす。浚明人となり精力人に超へ(*ママ)、夜間多くは寐ず、常に枕頭に筆研を備置て、終夜書寫を輟めざりしとなり。故を以て洽聞博識、書として窺はざるはなし。曾て此邦の類書に乏しきを慨し、類聚名物考三百五十卷を輯して、■(彳+扁:へん・べん:遍く行き渡る・巡る・偏る:大漢和10174)く古今の事物を薈蒐す。其宏博想見るべし。此書の如きは戸田茂睡紫の一本に倣て綴りしものなれど、實に其緒餘に過ぎず。安永9年10月15日、京師にて沒す。年六十九。著はす所の書十餘部あり。其手稿は傳へて門人片山誠之の家に在しが、安政己卯の震災に盡く烏有に歸すといふ。信に■(立心偏+宛:えん・わん:嘆く・意気が衰える:大漢和10771)惜すべし。


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むらさきのゆかり

山岡浚明 著
1 前書

むかしある人のものがたりのついでに、いひけんことおもひいだせしは、「老ぬれば心いたくおとろへもてゆくまゝ、何事につけても物がなしう涙のみ先だつもの也。まして子うまごよりはじめ、ゆかりあるもの、むつびなれたる人の、よからぬ事〔死〕などきけば、心ぎもゝつくるやうになん。されどきかで過べきことならねば、人もかたりきかせたらんことわり也。よそのあわれに、かなしきこと、うきつらきさま、わざといひもてはやして聞えさするは、心なくやあらん。『霜にか〔枯〕れ行木々の葉に、風ふきそへたるがごとくなめり。』と、おぼゆるものを。」ときゝしを、まだわかゝりしをりは、耳とゞむべくもあらで、うちすごせしに、よはひやゝよそぢ〔四十〕にかたぶきて、かへりみれば何ごとも\/、をもひやられていといたう身にしむものから、老たる人に、さることきかするは、げに心なくぞおぼえぬる。さればいさましき事、えんにやさしきこと、打はなやぎて、おもしろきこと、あるはざれたるものがたりこそ、誠においの心も、のびやかに、ねぶたかりつるめもさめて、なぐさみぬべきわざなれ。しかはあれど、うき草の根もなきたわぶれごとのみ、いひもてゆかば、「春の花のちりにし跡もとむるこゝちせられて、つゆとるべきみもなし。」など、をしへの道にものする人はいひもすめれば、いさゝか心くはふべきことにや。又「さるはさるすぢありて、こゝにあながちにこるべきことにしもあらずや。」と、すゞろに筆にまかせぬ。

わかうどのために、まうけたることならねば、よきをすゝめあしきをこらすべきたよりにもあらず。たゞ老の心のなぐさむかたのみ、ことのねざしとはなしぬ。わなみはやくのとしより、つかへにつきて、いづかたとも、こえわたらざれば、ことくにのことはしらず。おひたちしあづまの都の事のみぞ見きゝもすめる。もとよりざえつたなく心にとめしこともなければ、つかみじかき筆して、わたつみの深きそこひは、いかでかきあらはすべくもあらずかし。

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2 江戸

扨此都は神のみをやのおほんはじめ、打よする駿河の國久能のおほきよりうつりまし\/て、おほよそもゝ〔百〕とせあまりいつむそ〔五六十〕とせに及び、おほんゆづりはやよ〔八代〕をへたまひて、長く御さかえをとゞめさせ給ふ。いそのかみふるきむかしは、國々のあるじあらそふことありて、こゝかしこ、おだしからず。ともすれば、河水もさかなみだちて、民草のねもたゆべくなんありしを、かのたけかりし御いきほひ〔威徳〕の、たつ〔龍〕のをほ空にふるまへるがごとく、ひとたびつわものをおこして、いとやすくよもの海をしづめ給ひ、あめのした、あづかりまうし給ひて、ものゝふの八十氏人をなびけしたがへさせ給ふ。ふたゝびたゞしきみちを、かみつかたにしめし、あまねき御めぐみを、しもに施し給ひしより、玉ぼこの道直く、よるのとぼそさゝずなりぬれば、あしびきの柴かるをのご、わたつみのあはびとるあま、あがたに田かへし、市にあきなふともがら、もろ\/のたくみまで、ちまたにうたひて、よろこぶことかぎりなくなん。ゆゝしけれど、そのあきらけき御いさをによらせ給ひて、しもつけの國ふたら〔二荒〕山にあとをとゞめさせ給ひ、「みけつ國をてらし給ふ宮ばしらの、ゑりきざめるうつばり、おばしまなどに、みぬもろこしの鳥けだものを、ゑかきちりばめつゝ、こがねのみぎり、あけの玉がき、めもあやにかしこきまでおぼゆる。」とぞきゝし。年毎の御まつり、またおごそかなることにて、大内よりも、ぬさの御つかひをむけらる。こゝなるむさしの國は、四方に山なくいとたひらかに、うちひらきて、たてとよことひとしく、あゆみ行みちの程をもてはからば、二日三日を越へ(*ママ)じ。そのさかひは、安房・かみつふさ・しもつふさ、かひの國によれり。いにしへより、國のさかひひろごりて、こほり〔郡〕もかずまさり、今ははたちあまりふたつとぞなれりける。くだ\/しければ其名はもらしつ。

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3 江戸城

こゝの大城うちのへ〔内郭〕・とのへ〔外郭〕、おほきなる、いふべくもあらず。みかど\/に、かみなかしものまもり所〔番所〕をすえて、かみのまもり所には、ゆみ・やなぐひ、うつぼ・ゑびら、火〔鐵砲〕をもてはなつべき具など、かざりならべたり。まへにはさま\〃/のほこ〔槍〕かけわたして、中のまもり所には、火あやふし〔火消〕のそなへの具〔道具〕もありていさましげなるさま、まことにものゝふのそなへならん。かまへなしたる堀には、橋をかけ、河水を引入てたゝへ、大きなる石をいと高くたゝみて、うへにはつゝみをつき、あるはついぢつくれり。つゝみばかりのかたには、むら\/に松などうゑ、又柳をおしなみうゑたるもあり。芝生おひそひて春のみどりことにうるはしく、帯のごとく長う見ゆるに、ついぢの白きなど、いとまばゆし。其おとゞのつくりざま、をほやけのまつりごとはうち\/のことにてしるべくもあらねど、たゞきゝしまゝにかき出ぬ。まづ年の初め、二日三日のはい賀は、うちとのおとゞにておこなはる。月なみの公事ごと、をほからぬ時は、そとのおとゞばかりにておこなはるゝこともありけり。つかへ奉るもろ\/のまちきみだち〔役人〕をはじめ、つかさ\〃/の人々、其つかさくらゐをついでゝ見奉る。又かの内のおとゞは、三の家と申奉るいや高き御わたりをはじめ、それよりつらなり玉ふ家々の君など、ことなる御ゐやまひの時、あるは故ある御方々のうひかうぶり〔初冠〕などには、わたらせ給ひて、おこなはせ給ふとぞ。そとのおとゞをば、しろきをもて名づけ〔御白書院〕、内のおとゞをば、くろきをもて名づけたる〔御K書院〕も、深き淺きになずらへていへるなるべし。中につきても又いと大きなるおとゞ〔大廣間〕有て、御車よせ〔殿上之間〕をもかまへたり。〔殿閣の制は鎌倉室町の故事に因れしといへど、其廣大は幾倍すべし。〕御位すゝませ給ふやうなる、ことさらのくじなど、をこなはるゝには、こゝにてあるとなん。なべてのきみだち〔諸大名〕は、昔よりいでてつかうまつるところのさだまれるおとゞ〔御席〕ありて、これを何々の間といふ。此とのをもて、かの家のついでをわかてり。されどおほきなる國のあるじ〔國主〕は、此ついでにはあづからず。雁をゑがきたる殿〔雁之間〕はうちつかた〔御譜代〕也。あるはもろこしのかしこきみかどを書つらね〔帝鑑間〕、或は柳の間、菊の間もみなおなじ。此柳の間は、おまへうとききみだち〔外樣大名〕のつかへ給ふ所也。たまりづめ〔溜間〕といへるは君達のつらにても、殊に故有て、おもくかしづかせ玉へる御わたりなれば、常の日もをり\/のぼらせ給ふ。さくらの間にてまつりごとの御つかさ〔御老中〕に見え給ひて、うへのみけしき〔御機嫌〕うかゞひ奉り給ふとかや。ふようの間〔芙蓉間〕といへるは、もろ\/のつかさ〔諸役人〕、おしなみ居給へる處にて、公達といふともづかさ、かうぶりえたるは、こゝ〔桔梗之間〕につらなり給ふ。くすりのつかさのかみ〔典藥頭〕、とのゐくすし〔奧醫師〕などそれ\〃/につかうまつる處有けり。かの公達の家をかぞふれば、もゝの數ふたつ十のかずむつ〔二百六十〕餘りあり。年毎にかはる\〃/〔參勤〕御いとま給ひ〔交代〕て、らう〔領〕じ給へる處に歸り、國の守り所あるは、又其そなへを、あづかり給ふ。其しもつかたあるも、皆其枝葉のひろごりて、家をなしたるかた\〃/なれば、もとよりかぎりなき人のすぢにぞおはする、數はちゞをかさぬるともつくべからず。それより又末つかたはましていふにやをよぶ。ものゝはかせ〔御儒者〕・萬のたくみ〔天文方〕、あるは、もろ\/の〔諸職〕まひ人、さるがう〔猿樂〕のたぐひまで、をち\/にそなはりて、ともしからず。皆ふるき〔足利時代〕より故ありて、その高き御かげにかくれたるもの也。御めぐみのゆほびかにさかりなる、かゝる處にすむ人、たれか心におもひのここす(*衍字)ことあるべき。松の間〔大廣間〕・紅葉のま・竹のほそどの・松のほそどの・四季の間・でんぜう〔殿上〕のま・ひのきのま〔檜間〕・つゝじそてつのま〔躑躅間・蘇鐵間〕などこと\〃/く名ありて、ふるきかぎりは猶しるべからず。常に見なれつる人さへ、めおよばぬ事なればましてきゝ傳へたるばかりは、書もらしたらんも、つみゆるしぬべし。松のほそどの〔松御廊下〕ゝおくつかた〔上御部屋〕には、かの三家の御わたり、加賀の中將のきみなどの、わたくしのおまし所〔同所下御部屋〕もありとぞ。さま\〃/なるたくみの心をつくし、ちからをはげましてつくりなしたる、あやしうたへなるもことわりなり。こゝより入てこゝに出ることをわすれ、かしこに行てかしこに歸る道をうしなふ。つかさ\〃/のとのゐ所、をさめどの〔御納戸〕・みくらまち〔御寳藏〕より、おりゐるつぼねまでも、みやびかにうるはしう、おごそかなる、いひつゞくるも筆あくまじかりける。二の御かまへ〔丸〕・三の御かまへ〔丸〕、にし〔西〕の御かまへ〔丸〕などさしはさみて、ぬひものせしごとくなる。いらかをならべ、こがねをちりばめ、ただ軒のつま高やかにそひえたる、深き雲霧にもまがふかたなくぞみゆる。はじめ都まだならざりし頃〔長祿・文明・天正頃〕は、ちかき御くるわとなりしあたりも、秋田かる民のいへゐ、いざりするあまのすみかにて、入江ちかく波こゝもとにたちこえ、かしこの岡には、つかねたる穗をさらして、人すむかたもまれなりしかば、よし・かやのみおひしげりて、いと物すごくおそろしげなりしよし。今はさるあとゝしも見えず。くだけたる玉かとあやまたるゝ、さざれ石、くまなくしきわたして、雨の日さへくつのうるほふべくもなし。あまたなる君々の家つくり、いらかをつらね、軒ばそりたる門をならべて、道にはたくましき馬の塵ひぢをあげ、さきをはせて行かふ、かた\〃/の常にしもをやまず。まつりごとあづかり聞給ふつかさ〔御老中〕、又其なみにつらなり給ふきみだち〔若年寄〕、まのあたりの御ひかりをうけつぎ給ひて、かゞやかしき御勢ひ、あふぎみる人なし。高きいやしき、なべていで入すること、あしたよりくるゝまで、機をるがごとし。日ごとにのぼり給へば、殊にちかき御曲輪の内〔西丸下大下馬邊〕に屋かた玉へり。つかさ\〃/の人々、かろきもまつりごと〔政〕にあづかりしたがふは、ひごとにのぼらるゝもまた多しとかや。國々のみつぎものは、其君よりつゞくること、御ものいみの日をのぞきては、大かたむなしき日なければ、しな\〃/とりたてゝ、いひもつきず。人の國のものまで、いとやすく見そなはす。三十とせあまりむかし、もろこしより、きさ〔象〕奉りてかはせ玉ふこと〔享保15年交趾國より象を貢す。〕、まのあたりに見はべりき。御代つがせ玉ふときは、こま〔朝鮮〕人のつかひもく。さつまの國のあるじにしたがふ。るく〔琉球〕の人も來りてつかふ。今はあた守るつくしにも、長崎といふ所にはあきものするもろこし人〔南京人等〕も、おらだ〔和蘭陀〕といふ國のえびすも、常に來りゐていとなむ。誠に御めぐみのいたらぬくまもなく、いはほの中にかくるゝ人はあらじとぞおもはるゝ。

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4 市街

ふたへの御くるわのとよりは、市の家ゐ軒をならべ、いづれも\/おとるまじうたてつづけたり。おほぢはたてざま・よこざま〔横町〕、いと〔糸〕をひきはへたるがごとく、小路は星のまつへる(*ママ)にひとし。西北は高く東南はひきし(*ママ)。高きにのぼりてはるかにみれば、家ゐはただ山のかさなりたるやうにて、また波のうごきたつけしきにもにたり。南は品川の入江近く、入つどふ舟どもに眞帆・片ほ風にまかせて、鷺・かもめなどのとぶかとみゆ。うまやぢ〔驛路〕の家〃、かたはらは山にそひ、かたはらは入江にのぞみて、たかどのめくつくりまさ(*ママ)也。内にはかけはしわたして、深くみやらるゝに、塵打はらひすずしげにて、かりのやどりにも心こむべき〔原注、新古今かりのやどり云々。編者按に此注は盖し濱臣の加へしものなるべし。〕をうな〔女〕うちむれて、なまめきあひたり。にし〔西〕の國いとおほければ、行かふ旅人も、ことにおびたゝしく、いとにぎはしき所也。ゆき\/ては、すゞの森・大森・金川・かは崎など、鹽くむあまの苫屋もありて、さらにひなめきたるを、此方(こなた)の芝といふ所にはいざなぎ・いざなみの御社有。〔又云此二神鎭座いぶかし。神明は内外宮なり。〕茅の軒ばゑらざる柱の鳥井、あからさまにて、いとたふとし。長月のはじめより末つかたまで、神わざおこなはる。はじかみ〔薑〕とすし〔鮓〕をおほくうる。又何ならん薄きいたもて、わげたるうつはものに、さま\〃/の色もて、藤のはなと見ゆるものをかきて、わらばへのもてあそびにうりかふ。いつよりのならはしにて、何の故也としらぬも、ふるき名殘なるべし。〔又云京都にては雛祭に用ゆ。按に其昔京都より下たるならん。〕海近ければ、いざりする家にあみほしならべ、いをうるいちありて、たちさわぐもめざまし。増上寺の入相の鐘も、こゝにきけば、いさましげ也。此寺ははやくより故有て、世々のみたま〔御靈〕まつらせ給ふ所なれば、淨土のみのりかど〔法門〕にはたぐひなくとふときことさら也。にしは赤坂青山などいひてからうたつくるには、けしきありげなる名なるを、さるおもかげなきも、やうかはりてをかし。

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5 花見・芝居

北に飛鳥山有。大きなる社、神さびものふりて、昔より王子權現とあがめ奉る。近き頃おほやけより、其山を神まつる料になして、金輪寺に給はり仰ことにて、石ぶみをたてさせ給ふ。〔飛鳥山碑は元文2年に成る。此地はもと新御番北條新藏組野間藤右ヱ門の采邑なりしを上収して金輪寺へ附られしなり。但櫻は享保中よりありしに尚その後植添られしなり。〕かしこきみかげによりて、千代よろづ代もくちせぬためし、人みなあふぎ奉りぬ。山にはかぎりなく櫻をうゑわたして、花のころは雲もかよふまじうみゆれば、高きいやしき袖をつらね袂をまじへておのがじゝうたひあそぶ處とす。

さま\〃/のいちくら〔市肆〕のことさらにおほきなるは、さすがに御くるわちかき日のもと〔日本〕の橋となんいひつたへしあたりなり。國々の道の程も、此橋をもてあしもとゝしてはかりさだむ。すべて高きむねをつらねて、こゝをせに、すみなしたる家ゐともなれば、などかきりた〔錐立〕てつべきすきまもあらん。人あまたいそがしげにおりたちて、こゝかしこにおくりむかへ、みゝかしがましう人よびかはして、あきものすめる。一日のうちに、ちゞのこがね〔千金〕をも、いとやすくつめり。あやしきいちめ〔市女〕さへ、いやたかきをうな君〔御奧方〕に増れるきぬども打着てほこらしげに行かふ。誠にとみさかゆる都のありさま也。

又もゝのたはぶれわざして、いとなむ所あり。是を芝居と云。古き世はまたかゝる事もあまねくもてはやさゞりければ、こゝかしこ引めぐりて〔田舍芝居〕、道のかたはらなる芝生などのうへにゐて、ひとりふたりして、をかしき物まねび〔猿若狂言〕しつゝ、往來の人をたちやすらはせたることとかや。其ともがらかゝる御榮えをしたひ奉りて、あまたこゝにあつまり、おほやけにこひ奉りて、其わざすべきにはをもとめ〔堺町・禰宜町〕、つひに類ひひろうなりもて行て、かみざまのわたりにもめして「げにめづらかなり。」ときようぜさせ給ふとなん。今はひたぶるにたはれすぎてありつる。ふるごとにしもざまのかぎりをとりまじへ、むげにいやしくあるはわかき人々の心まどひぬべき戀路のすさみごとのみ五くさり〔五段續〕とさだめてする也。わざするともがら、をほよそ皆おのが心えたるすぢありて、たけくいさましきわざ〔立役〕・あらゝかにゝくさげなるわざ〔荒事・惡方〕・かしこくまめだちたるわざ〔實方〕・ほけ\/しうをかしきわざ〔道外〕・をうなのわざ〔女方〕・おほきやかなるわらはべわざ〔若衆方〕・ちごのわざ〔子役〕など、それ\〃/にわかてり。かゝる事なれど、其わざにたへたる〔上手〕有て、ことさらに名高く、身をかたぶけてほめあへるもあり。柏筵〔二代目團十郎〕といへるものは世々あらゝかなるわざに名をえて、花の都、梅の難波づにも行しにおしけたれず、國ゆすりてもてはやせしとかや。わらばへのあそびぐさなる繪にも、そのかたちをうつせば、いとをさなきもの、何かはしらねどかれが名をよべば、めをはりくちをひらきて、けしきづくりなどす。かうやうのゑや行わたりけん、人の國〔唐紅毛〕までもきこえしとぞ。もとより〔歌舞妓(*ママ)役者等〕かほかたち、いとようつくりなして、さるべきことゝはおもひながら、こわづくり〔聲色〕・ふるまひ〔身振〕、〔女方〕柳のたをやかに、蓮のはじめてひらくる、さくら山吹のうるはしげなる〔若衆方〕、もゝのこひをなすも、たれか男なりとはおもひわくべからねば、をうなはことに心みたるゝ(*衍字)もことわりにや。さて「かれはいくつ。これはいそぢあまり。かれはむそぢ。」といへるにぞ、さらにあきれてまた其わざの、かゝるまでおとろへゆかぬをぞ、になくをもはるゝ、ひろきにはをかこみて〔塲圍〕、めぐりにやづくりし、かみしもに、さずき(*桟敷)をかまふ、もの見車のつらなりたるが如し。いたじき〔本舞臺〕に打はし渡して〔花道〕、わざする所とす。庭にはむしろ敷つらねて〔切落〕、さう\/の人の見所なり。かどにはまく引はへ、人あまたゐて、聲をかしげに、そのこといひはやし、高き所につゞみうちなどして〔太皷櫓〕、いさましううけばりて、よびいるゝ也。あそびに心おごりする人々、めこ〔妻子〕引ぐしつゝ、さずき(*桟敷)にすきまなく、むしろ敷なみゐたるあまたの袖口さへ、いみじき見ものとおぼゆ。あるはうつくしう人がたつくりて〔操(*原文木偏)芝居〕、あやにしきのきぬきせ、うたひもの〔淨瑠理(*ママ)〕にあはせて、つかふ所も有。此わざをいとようするもの、又たぐひなしや。そのかほかたちのやうだい、手つきあしもとのはこび、かなしみよろこびのさま、うらみかりのすがたまで、さながら心あるやうに見ゆ。かゝるたぐひもかず\/あるなり。

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6 墨田河畔

夏はたゞ河づらにこそ、すゞみ所もとめまほしけれ。天地の永々し代〔永代〕をと、かけそめたる橋のあたりは、國々より入つどふ舟どもおびたゝしくて、帆ばしらの雲井につらなりたる、しげれる梢のごとし。名はあれどもさやうならぬは、かめじま〔龜島〕・れうごん島〔靈嚴島〕也。石川佃などいへるは、さしむかひてげに島めきたれど、たかうもあらず。くがをはなれたる所なれば、かくいふにや。むかしよりかしこは、石川何がしのすめる所、こゝはいさなとるあまの家ゐのみにて、ともにはひわたるほど也。これよりつゞきて、ふた國の橋といふあたりは、常に人おほくあつまりてにぎはひ、外にことなれば、しりかけてやすらふ、すのこだつ物きし近くならべて、ゆなどたくはへいとなむ。さま\〃/の見物あるを、そのすがた、いかめしうゑがき、戸口に高くかけて、こゝかしこに名のりはやす〔看板〕。道のかたはらにつらなるあき人、小弓いる〔楊弓塲〕には、あるはいやしきともがらも耳とゞむる。さうし讀ときてきかする〔軍書講釋〕も多し。川づらことにひろく、夕風なみのうへを吹わたりて、袖にいる名殘すゞしければ、われも\/とよりくる人々、橋にも道にもみちふたがりて、手ならす扇は、花の散かうやうにもみゆ。家つくりたる舟ども〔屋形〕の、いとおほきやかなる、吉野河一ゑびすなど、名だゝる、數しらずうかべて、うちにはあやしう染なしたる衣のかろげなるを、えり〔襟〕ひろうくつろげて、酒くみかはす。はからぬさかなもとむとて、こゆるぎのいそぎゆく小舟もあり。あやの袖、風になびき、うすものゝたもと、ふなばたにかゝりて、いとなつかしきさましたるに、猶いと竹のしらべのえん〔艷〕に、やさしく空行雲もとゞまるべく、ふちなるいをもうかびてきゝぬべきは、かいりうわう〔海龍王〕のいつきむすめならんとおもはるゝに、かたへには、だみたる聲して、はゞからずうたいのゝしるも、すゞしげなくきこゆれば、又をかし。く〔暮〕るれば舟どものとうろ〔灯籠〕かけわたし、くが〔陸〕には、いちくらのともしび、所せうかゝげて、晝よりも猶あかゝりければ、晴わたる月の貌も、中々はづかしげ也。いとさゝやかなる舟のなりはゐのきば〔猪牙〕のやうなるが、さすがにたけくいさましげにこぎゆく。あ〔編〕めるかさ〔笠〕、忍びやかに打きて、乘たるも有。ゑひたるさまにて、あふのきふしてかへるも有。友の〔乘〕りして何ならんいたくすゞろきて、ものかたりしつゝ、大きなる舟どもの、どよめきあへるを、見おこせもせでいそぎ行は、「いかなるかたに、こゝろひくつなでなはありけん。」と、いと心にくし。花火といふもの、あまたの舟どもにともさせて、もてきようず。げにいかにたくみなしたるものにか、ともす火に柳櫻のすがたをとめ、藤山吹のおもかげをうつして、すゝき〔薄〕をみなへし〔女郎花〕のきしきまで、さながら咲そめしこゝちするを、鳥の子の如くなる火〔玉火〕の、ぬけいづるおとして、みつよつふたつ空にあがりたる、「あはや。」とおどろきみるに、はら\/とくだけて〔星下り〕、打むれたる螢のちりかふがごとくなれば、舟もくがもこぞりてほむる聲のうちに、又まろき火のさといでゝ、雲井にながれて星の飛かとあやまたるゝ〔流星〕も、さらにめおどろかれぬ。花がさ・花車など、其かたちうつくしう見るがうちに、ちゞもゝにかはれば、(*一字脱か。)と\〃/くとりたてゝ、えもいはれず。宮戸川にさしのぼせて、今戸といふ橋のかたはらにつなぐ舟も有。金龍山裾にて、くがの家ゐは、みなふな長のすめるなりけり。

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7 浅草 付・志道軒の講釈

ふりにし昔、此河にあやしき光ありけるが、濱成・竹成などいへるむらぎみ〔漁翁〕のあみにかゝらせ給ひて、大ひさあがらせ給ふ。あかざといふ草をもて、いさゝかなるかりの堂〔藜堂〕つくりて、おき奉りけるに、いとあきらけきしるしどもありて、其比の國の守にもきこえあげたれば、大きなる堂〔俗ニアカン堂ト云。〕(*片仮名ママ)いとなみたて、つき\〃/しうかざりをくはへ、つひに淺草寺といふたうとき法のにはとなんなりぬる。かのいざりせし人も神とあがめて、三の社〔三社權現〕春ごとの祭あり〔毎年三月十八日〕、猶そのかみをたづぬるに、これより鳥こえといふあたりは、海邊の村にて陸奧にかよふ道のみなれば、人すむ方もまれになん。おそろしきうばありて、たまさかにやどかる人をば、石を落して打ころしつるとかや。「野にはふすとも宿なかりそ。」と、いひつたふることもありけり〔今云姥池明王院〕。今の都いできてより、ひなのくま\〃/まで、庭つ鳥門もる犬、聲たゆるひまもなく、まして此あたりは、みやこのうちにもならぶかたなく、國々にもたとしへなき所となりて、春の花秋のもみぢの時もわかず、袖をつらね跡をむすびて、たゞ此堂にあゆみをはこぶ。おほやけにもむかしより、たふとませ給ひて、ことにひろくあらためたてさせたまひ、あまたの堂をかまへて、よろづのかざりはなやかになりにければ、ことくはふべきかたなく、そなはれり。世々の御いのり所〔御祈願所傳法院〕となりて、あたりの地はみなその料にあてゝ給へり。誠にありがたき佛の御光をはなち、あまねくすくはせ給ふ御ちかひの、こゝにとゞまりたるにや。かく富さかゆる所となりにければ、いと心ぼそげなるいとなみするも、朝夕のけぶりたちつゞきて、ものさびしき人のありとしも見えず。きようして酒くむべきまうけしたる家ども、軒ば高くつくりならべ、あしやすむるかりのやどりも、こゝかしこにたちつゞきて、ねがひをかくる人の、日ごとにまうでくるもすくなからず。さればさま\〃/の見ものもて集り、或はあやしきわざをして、めおどろかすこと多し。〔此段志道軒講説のさまを述ること甚詳なり。以て志道軒傳(*平賀源内著)を補ふべし。〕志道のをきな〔原注、志道軒、俗稱深井新藏。〕と云者あり。堂のかたはら大きなる松の木のもとにいでて、いさゝかなるあしのかり屋をもふけ、ふるき世の軍物語などしていとなむ。年はやそぢあまり、いと老さらぼへるが、かしらのかざりもなし。つらつきしわみ、まゆの末さがりて、はなのあたりうちひらみ、はさへなければ、くち打すけみて、こしもいたうかゞまりぬ。あばらなるゆかのうへに、ちひさきつくゑをすゑ、さうし〔草子〕ひらきて、たけかりしつはもの〔武者〕ゝふるまひなどいひつゞくるに、みづからいきほひ〔勢〕まうにのゝしり、ほこたづさへつるぎぬきたるさま、めをいからし、口をそらし、さしもいさましうかたりなす。又君達の道行さま、さきおふものゝ、いかめしうひぢ〔肱〕をはり、あしたか〔高〕うあげてゆきかふ人に聲あらゝげ、あたりをはらふけはひ、下人どもの塵ふみたてゝ、ほこりがにふるまふおもゝちなどまねぶ。さるが中にいとようとりくはへて、男をうなのけさうのさま、まづしりめに見おこせて、身をかいひそめ、つのなしつくりて、なさけめくやうだい、なれむつるゝなどは、袂をひきもすそをふみ、ねたげにさゝやき心いられして、ひきまつへるを、たかうときはな〔解放〕さんとみじろ〔身動〕ぎあへるに、ふと人音してにげまどふさま、さながらいひたつるもいとをかし。しのびごとを、あからさまにいひたてゝ、そのかたちまねぶには、めをふたぎ口をひらき、或はふし、あるはあふぎ、ひざもてゆかをうごかし、もろ手さしのべて、夢ごゝちの、みだれたるけしきをなす。おきあがりて、みゝのもとまでゑみまけて、大とこのひじりの、おこなひすまして、あなたふとくもてかしつゝめるも、わらばへのうつくしげなるには心ひかれて、めしまつはし、ふけりたのしむことなど、あらゆる人のこゝろにこめたる、深きすぢまで、まが\/しう、まどかなるかしらふりたて、したとにきそひて、いひもてはやすに、見きく人たへずわらふを、いかにかまへてか、あまのさかほこめく、をかしげなるものとうでゝつくゑ打ならし、はうし〔拍子〕とるに、女などは見るにたえで、かほうちあかめてにげさるを、やがてふかき道のをしへにうつし、又いくさひきうる(*ママ)人のおほどかなる、はかりごとのすぢにひきいれて、いひつゞくることは、あまたのみゝをかたぶけざることなし。しはすの十日餘り七日八日は、此あたり皆市のにはとなして、年のまうけのしな\〃/なるものうりかふ、としごとのれいにまかせて、みやこもひなも、こゝに來りてもと〔求〕むれば、あつまる人々ひるよるをわかず、たゞはげしき雨のふるやうにて、とよめく聲のおどろ\/しうきこえわたる大路なれど、こちおしあちおして、いどみ行かふなれば、あやまちては、人のかたにものぼるべくおぼゆ。

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8 遊里

又こと國にたぐひなき事とかや、かの御くるわちかき橋の名に聞えしつゝみ〔日本堤〕のわたりこそ、ひきたがへてをかしき所なれ。さゝやかなる家の、木だちしつゞきて、おのづからふみわけたる道など、こゝかしこにあり。田づらはて〔涯〕しなくみえわたりて、ひなめくさましたるを、かたへに大きなるかど〔大門口〕いさましげにとびら打ひら〔開〕きてかまへたり。「たれからう〔領〕じし〔占〕めたる山ざと〔山莊〕にか。」と、まだしらぬ人は見過しもすべし。げにすこし世はなれて、桃さくきしの深き里〔桃源〕ともいふべきにや。こゝなんよし原とよびて、その名もあやしう似かよひたれど、吉野の春のさかりも、おしけたれぬべきときは〔常盤〕の花の色に、めでくる所なれば、雨の日のさびしき夕もなく、雪のあしたのさむからん時もしらず、そとのめぐり〔周回〕、いとおほきに溝ほりわたして、ついぢつくれり。うちはたてざまにひろき中道ひとすぢありて、横ざまに左みぎりをわかちて、むつのちまた〔五町マチ〕をつらね〔揚屋マチ〕、めぐりにもほそきたて道をつゞけたり。右左のちまたには、軒ばさし向ひて、いと高やかなる屋どもつくりならべ、かけはし〔梯〕ゝてのぼ〔登〕るあやのふすま・にしきのとこ、こゝにしきしめて、かりの屋どりに、かぎりなきなさけをかけ、酒くみかはしてうちとけゝうずるに、こがねの山をくづすとも、猶ことあくまじかりけり。中の道にはちひさき家どもの、いときよらにすみなして、かどのくちにあらきすだれ〔簾〕をかく。かたゝがひのやどりにはあらねど、こゝろざすかたあるも、まづこゝにたちよりて、しばしやすらひなどす。月ほのめくゆふべ、風も猶まちどうまほしき(*ママ)初秋のころ、高くまきあげたるに、おくまりたるかたなく、かど近く水さへそゝぎたれば、いとすゞしげ也。家々よりいでたちくるすがた〔姿〕のたをやかなる、すべて此世のたぐひとしもおもはれず。玉のかほばせ雲のびづら、まゆずみのみどり柳のしなひ、すこしつよき氣くはへたるかたもありて、かしらのかざり數々はなやかにひかりあふを、めもあやに見やらるゝに、きぬのおとなひさや\/として、輕きも〔裳〕すそのうらめづらしくふきかへせば、薫りなどの風にうごきて、ふとそひたる、たれか心のときめかざらん。かのすゞしげなるかどに、こしらへまうけたるゆかに、しりかけ、はしぢかにゐなどして、あるじにものうちいひすこしかたゑ〔笑〕みたるけはひ、もろこしのふみには、なしの花の咲そむるにもたとへつべきを、こゝにはさくらのほころぶるさまともいはまし。つれたるわらばへの、うつくしうよそひて、帶のふさやかにさがりたる、かしこげにけしきばみて、戸びら打開きたるあたりにたちやすらふは、「くべきよひなり。」と、ちぎりし人をともにまちむかふなるべし。此月〔七月〕はこのあたりおしなみとうろ〔灯籠〕かけつらねて、くれゆくそらの、いつしかとわかず、あつしうたくみなしたる、さらに人の手してつくれるものとも見えず。ことがたになき、やう\/のみものなれば、夜ごとに入つどふ人おほく、雪はづかしき手を、ひげ〔髭〕いとくろ〔K〕うおひたるをのこなどの引つれて、ざればみありく。又ほかげにさかづきもちて、ゑ〔醉〕ひたるかほ〔顔〕のあかうふくらかなるが、かたはらにすゑならべたるものどもに、うたはせひかせて、うしろよりあふがせてゐたる、こゝには、秋のあはれをも知る人なくぞみゆる。ちまたの家々には、かうし〔格子〕のうちにともしびあかうかゝげて、あまたなみゐたるすがたかたち、あいぎやうのこぼれ出る、そのしなの高きひくきもあれど、さるけぢめわかれず、いたゞきをはなれたるひかりもみゆるこゝちして、まことに佛のみくに〔國〕かとおぼゆ。みる人ゆるぎみちて、心をかくるも、これかれとさだ〔定〕めかねてまど〔惑〕ひぬるぞ、つながぬふねの〔舟〕のたのみがたき戀路なりける。かゝるすさみ事なれど、むつびなれにし中は、さすがにふかく、何ごともつゝむかたなく、いひもらして、たがひのなさけをかはし、いもせの契をこめて、まめなるこゝろより、いたくおもひうたがふまで、ともすれば、くぜちいできて、「さはあるまじきこと。かくすべきみちにやはある。」とうらみかこつに、をうなもえおさめぬすぢにて、「何事も云ぞとよ。おひらかにし〔死〕に給へ。まろもしなん。みればにくし。きけばあいぎやうなし。」など、こわくいひつのれば、かたはらよりも、したゝめあへず、とかうもてなやみぬるも、やう\/なごやかになりゆきて、いつしか一夜の夢をむすべば、ありしよりげに打とけて、こよなき朝いなどするもあり。又世のしほしみぬ。人のわか\/しきは、かたらひとられて、やうなき片思をしつゝ、ひとやりならぬむねこがすも、あやしうさまかはりたる所也けり。

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9 寛永寺

「まよひのすぢも、みちびきのくさはひなり。」と、みのりのをしへをおもひいづるに、みやこのうしとらにあたりて、まぢかくあづまのひえあり。寛永のころほひ出きて、ながき御世の御まもり所とさだ〔定〕め給ふ。すなはち寛永寺といふ。いらかたかく雲まにかゞやき、吉祥瑠璃など名づけたる、さま\〃/の高どの・らう・わた〔渡〕どのゝそりはしまで、ゑがきいろどり、きざみちりばめつゝ、清水のみてらの大ひさうつし奉る堂、いづれもかざりのかぎりをつくす。月日のひかり、さやかにさしのぼりて、うつしたりといふとも、ことばおよぶまじくおぼゆ。世々のみたま、こゝにもしづもります。ふりたる木々の梢、そこはかとなく打けぶり、松のみどり、わかやかにしげりて、ふかく見わたさるゝに、ものおとたへていとしづかなる、たれか心の塵をうちはらはざらん。花のさかり、ことににぎはゝしく、人のとひくるを、かたへのしのはづ(*ママ)の池に蓮の咲出る比は、朝夕すゞみもたのもしう、にごりにしまぬ色香はさることなれど、たへなる法の庭なればにや、さしわきて打わたし、中島に辨財天の宮居ちひさやかに、いつくしうたてり。かけまくもかしこき御ちかひありて、そのかみよりすべらみこ此山の座主とならせ給ひ、年ごとにふたら山にものぼらせ玉ひて、ことをこなはせ玉ふ。げに故ありて、たとしへなきみてらならずや。

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10 湯島聖堂

もろこしのひじりのみちは、天の下おさめ給ふあきらけきかゞみなれば、ことにたふとませ給ひて、くし〔孔子〕の堂を神田といふ所にたてさせ給ふ。さながらからめきてつくりなしつ。かど\/にかけたる「仰高大成杏壇」などの文字も、世のつねならず。がくれう〔學寮〕をはじめ、其外のとのづくりまで、殘りなくけざやかにかまふ。御弟子の人々そのきこえあるは、皆ゑにうつしとゞめて、めぐりにかけつらねたり。こと國のひかりなれど、いくよろづ代の今にいたるまで、人みなあふぎ奉りて、そのをしへのかゞやかしくこゝにおはしますが、ことなるかたじけなきことなり。此國は千早振神のすなほなるをしへなれば、たふとむべきをたふとむぞ又やごとなき。春秋の御まつり〔二月・八月釋奠〕、例に習ておこたらせたまはず。其料を文章のはかせ・大學のかみ林それがしになんたまはりて、世々あづかりおこなはるゝなり。いづれの御時にか〔元祿中〕とし\〃/わたらせ給ひ〔御成〕しこともありとなん。かやうのおごそかなることは、その家にかきつたふべければ、ふかくもとめいでゝ、しりがほにいふべきにもあらずかし。

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11 結語

かくおさまれる國つ風に、のべふす草のごとくうちなびきて、人のこゝろおだしくなりもて行まゝに、高きもいやしきも、其かぎりをこえて、たのしむことさま\〃/なれば、これかれとあらたむれど、「千とせのよはひふるともつきせぬたのしみは、ただ此ふみの道にこそ。」とおもひのどめて、あらぬことぐさをこゝろありげにかきつけたるに、さらにくるしけれどいかゞはせん。おいのもよほしに、ものむつかしきくせ打そひて、はじめおはりもかうがへず、かいやりすつる也。みる人あらば、かたはらいたきことになん。さはれ猶のこるくま\〃/もあらば、おもひいでゝ、きやう〔經史〕をさがしえたらんをりから、などかいたづ〔徒〕らにしもなすべき。


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識語

此書たれ人のつくれるともしらねど、大江戸のはじめより百六十年八代をつがせ給ふよし見え、又大象のわたりしこし(*衍字か。)を、三十年以前にしたしく見しよしをいへるを考れば、寳暦八九年の作ならん。其頃にして、かくばかり大殿のうちのさまを、くはしくしりて筆のすさびにたけたるは誰やし人(*ママ)ならん。よはひ早に過たりともあれば、明阿彌陀佛のかけるにやあらん。さるは此入道のかゝれたる伊香保の口遊の文体にも、口つきの似かよひたる所みゆればなりけり。

   文化15年3月                 清水濱臣
紫のゆかり 

 解題  前書  江戸  江戸城  市街  花見・芝居  墨田河畔  浅草  遊里  寛永寺  湯島聖堂  結語  識語

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