2006年のフジロック10周年を機会に、1997年の第1回の記録を残しておこうと思い立ちました。
1997年7月当時はパソコン(PowerMac4400/200)を買ったばかりで、デジカメも無く、そもそもライブ会場にカメラを持ち込むなんて発想がなかったし、このホームページを作り始めたのが98年の1月だったので、第1回フジロックのレポートは結局書かずじまいでした。ま、当時は本当に大変な体験をして、スマッシュに反感を持っていたとのも原因ですね。
なにしろ、10年前のことなので、記憶があいまいな部分も多いのですが、あの台風直撃の中での異常事態の印象は今も強烈です。それを記録に残しておくのは30代フジロッカーの務めというものでしょう。
これが、当時レコ屋で配布されていたフライヤー。
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全てはロッキンオンの告知から始まった。
友人から見せたもらったその告知には、とんでもなく豪華な顔ぶれの出演者が書いてある。当時の印象は「ケミカル・ブラザーズ以外は全部出演するぞ(笑)」というものでした。97年当時で観るべきバンドのほとんどが揃っている恐るべきラインナップ。ま、なぜかルナシーのSUGIZOなんて人もいますが(笑)、特にセカンドステージの充実度は信じられないほど。
富士天神山スキー場が何県にあるのかも分からなかったが、2人でチケットを買うことを即決。この時、ちゃんと駐車券も一緒に注文しておいたのが、後々我々の命を助けることになろうとは・・・。
問題は宿泊ですが、テントは持っていないし、富士天神山のロケーションを調べると、近くにホテルも無さそうだ。というわけで、車で1時間ほどの甲府市内のホテル日商というビジネスホテルを予約。近郊の安ホテルからフジ会場へ通勤するという我々のスタイルは、第1回から確立されていたのだな(笑)。この時「野宿でなんとかなるだろう」なんて思わなくて本当に良かった・・・。
当時はまだパソコンを持っていなかったので、知らない土地のホテルを探すために「全国ビジネスホテル情報」みたいな本を立ち読みして、電話予約したのを覚えています。
前日の金曜日は仕事の休みをとり、台風が来るという天気予報だったので、ホームセンターでビニールのカッパを買う。新潟は猛暑だったし、真剣に雨対策の準備をしていこうなんて、当時はまだ思いつかなかった。甘かったよ、俺(笑)。
そして、高速道路で5時間かけて山梨県へ。甲府市も晴れていて、台風が近づいている感じはしなかった。ホテルにチェックインしてから、富士天神山の会場の下見へ向かう。この辺はしっかりしているなぁ、俺達。
せっかくの機会だからと、富士スバルラインで富士山の五合目まで車で登る。この時のBGMは電気グルーヴの“富士山”でした。「登るぞ、登るぞ」というサンプル・ループとともに車で富士山を登っていくのは、実に痛快でした(笑)。
到着した五合目は寒い! もう暗くなっていたこともあり、イメージとしては晩秋の気温だったと思う。周りはちゃんと登山服を着た人ばかりで、Tシャツに短パンだった我々は非常に場違いな感じ。富士山をナメてはいけないと思いつつ、翌日まさかフジロックで同じような寒さを体験することになるとは、まだ想像できなかった・・・。
一旦富士山から下り、今度は富士天神山スキー場へ。スキー場へ上っていく道路は、この前日夜の段階ではスムーズ。会場入り口まで行って、Uターンして帰ってきました。国道139号との交差点にセブンイレブンがあるのですが、かなりの数の若者がたむろしており、「あいつら、ここで朝まで過ごすのか!?」と驚いた覚えがあります。
1日目は、交通渋滞を予想し、多分朝8時くらいにはホテルを出発したと思います。が、国道139号までは全くスムーズ。セブン・イレブンの交差点を曲がると、徒歩で山を上っている人がかなりいる。前日下見をしていた我々は、会場までの距離を知っていたので「本気で会場まで歩くのか?」と驚きました。
道路は途中から流れが悪くなりました。渋滞というよりは、路肩に勝手に駐車した車のために、すれ違いが出来なくなっている様子。スタッフが運転手を捜して回っているようですが、本人達はもう会場に行ってるだろうから、どうにもならんわな。会場への道路は地図で見れば一本道だし、交通の妨げになるような駐車をすれば、アーティスト達さえも到着できなくなる、という想像力が働かないものかね?
比較的早い時間だったこともあり、我々はステージが始まる前に無事に会場に到着できました。会場到着の時点では、まだ雨はほとんど降っていなかったように思う。
パンフレットを買った後、メインステージでフジロック開幕を迎えたのか、まっすぐにセカンドステージへ向かったのか、記憶がはっきりしない。あの伝説のトップバッターSouthern Culture On The
Skidsで、メインステージの観客が意味不明の盛り上がりを見せて演奏中断してしまうシーンを、ドキュメント映像で何度も見ているうちに、自分が体験していたのかどうか、分からなくなってしまったのだが、一緒に行った友人は、あの混乱を生で見た記憶があると言う。
セカンドステージのBlack Bottom Brass
Bandは、最初の登場シーン(演奏しながらステージに出てきたのだが、デカいチューバを抱えているメンバーがインパクトあった)から記憶に残っている。パンフのタイムテーブルを見ると、メインもセカンドも同じ11時スタートになっているが、セカンドは実際は11時30分スタートだったのだろうか? 誰か教えてください。
セカンドステージの2番目はズボンズ。これは鮮明に覚えている。赤いシャツに黒いスーツでキメてステージに登場した彼等は、当時はまだメジャーデビュー前で、無名のバンド。雨と風も強くなってきて、かなり厳しい条件だったはずなのに、台風を力に変えて、彼等は一世一代の大爆発をここで見せてくれた。この時の写真がメジャーデビュー作「Welcome Back, Zoobombs」の裏ジャケに使われていて、雰囲気が分かります。この後、ズボンズのライブは何度も見ていますが、残念ながらこのフジロックでの演奏を超えることはできていない。
ズボンズが終わるとちょうどお昼の時間で、雨を避けるため、セカンドステージのPAブースの骨組みの下に潜り込んで、コンビニで買ってきたおにぎりを食べた覚えがあります。食料をちゃんと持ってきたのは正解でした。
メシの後は、確かメインステージでハイロウズを少し観たと思う。しかし、寒さに耐えられなくなり、駐車場の車に避難。真夏だというのに、暖房全開で暖まりました。新潟にいる友達に携帯で電話して「富士山は寒い!」と伝えると「お前らアホか?新潟は猛暑だ!」と一蹴される(笑)。
真面目な話、場内駐車場の駐車券がとれていたので、いざとなれば車に逃げ込むことができた我々は本当にラッキーでした。あの台風の中、ビニール・カッパだけで一日中野外にいるのは絶対無理。
15時頃にはセカンドステージでボアダムズが伝説的な演奏をしていたらしいのですが、車から外に出る気力がなく、パスしてしまった。その頃はFOO FIGHTERSがメインステージで演奏中。第1回参加者から話を聞いたり、ネットや雑誌で体験談を読むと、シャトル・バスで来た人達は「会場にやっと到着したらフー・ファイターズが演奏していた」となぜか口を揃えて言いますね(笑)。フジロック第1回を開演から体験できた自分は、結構貴重なのかも?
16時20分からのRAGE AGAINST THE
MACHINEを観るため、気力を振り絞って台風の中へ。メインステージの後ろの方で観ていると、台風の強風で音が流されてしまうし、伝説の「観客から立ち上る水蒸気」でステージはよく見えないし、イマイチ演奏の迫力が分からないまま終わってしまった。プロディジーが乱入してきたはずなのだが、なぜか俺は見た記憶が全くない。
次はセカンドステージの電気グルーヴ。当時は「まりん」がまだ在籍していました。ちょうど“シャングリラ”がヒットしていたので、観客はみんな期待していたと思いますが、そんな期待を彼等はあっさりと裏切る(笑)。しかし、富士山で演奏される“富士山”は、めちゃめちゃ盛り上がった。瀧は富士山の着ぐるみで、卓球とまりんは富士山型の帽子をかぶっていた(笑)。
そして、電気グルーヴの次はAPHEX
TWIN。いやぁ、この流れ、スゴ過ぎるよね!
電気の機材が撤収された後には、犬小屋(?)がステージの真ん中にセッティングされ、そのまま音が流れ始める。なんだこれ?とよーく見ると・・・犬小屋の中にリチャード・D・ジェームスがいるんだよね。寝そべったまま、機材をいじっているらしい。台風の中、犬小屋の中でライブを行う男・・・アイツ、本当に狂ってるよ(笑)。まさに生きる伝説。
エイフェックスの前か後か忘れてしまいましたが、セカンド奥の屋台で何か食べましたね。寒いので、とにかく暖かい食べ物を求めて、メニューも分からずに行列に並び、店員の外人に1000円を払ってカレーだか何だか分からないフードをゲット。食べても何なのか結局分からなかった(笑)。寒さのせいで考える力がもう無かったんだよね。
最後はメインステージのRED HOT CHILI PEPPERSへ。雨も風も本当にヒドい状況で、ライブを楽しめる環境ではない。ゴミ箱をひっくり返して、その上に乗ってステージを見ている人が結構いたのが印象的。現在のフジロックでは、そんな非行は許されない(笑)。
帰りの渋滞を避けるため、レッチリの途中で帰ることにしました。最後に聴いた曲は“Aeroplane”だったことを覚えています。この判断は正解で、スムーズに天神山を脱出することができました。この後のシャトルバスを巡る混乱は、もう伝説ですね。
甲府のホテルに到着した後、まずは泥まみれのスニーカーを風呂場で洗いました。そして、カッパのフード部分が切れかかっていたので、セロテープで補修。「野外ライブには、ちゃんとした雨具が必要」と身をもって知った瞬間でした。
そして翌朝。
昨日とは打って変わって快晴。「今日はプロディジーだぜ!」とメチャメチャ盛り上がって、天神山へ向かう。道路も全く渋滞なく、スムーズに駐車場のゲートに到着。ここで係員から「今日は中止です」と知らされる。
えっと・・・???
最初は何を言われているのか、理解できませんでした、マジで。
とりあえず車を止め、会場を見に行こうとしましたが、ひどい泥で、とてもスニーカーで歩ける状況ではない。いくら快晴でも、2日目中止という事実を受け入れるしかなかった。
このまま新潟に帰るのもバカみたいなので、オウム真理教で有名になってしまった上九一色村へ行ってみることにしました。村内で日帰り温泉施設を見つけて、フロに入ってみた(笑)。するとフジロックのリストバンドをつけたままの客がほかにもチラホラいたのを覚えています。
・・・と、俺のフジロックの歴史はこんな風に始まったわけです。
今でこそ、スマッシュと日高大将はフジロッカーから全幅の信頼を置かれていますが、第1回の終了後は、公式サイトの掲示板はひどい荒れようでした。当時のログを保存していたので、雰囲気を味わってみてください。
混乱度では歴代ナンバーワンの第1回ですが、ラインナップの豪華さでも、この第1回に勝てる年はないのではないでしょうか?
様々な意味で、日本の音楽史に永遠に残る場に立ち会えたことを誇りに思っています。
(2006年8月26日)