山下達郎
Performance 2008-2009
2009年2月11日(水・祝) 新潟県民会館
6年ぶりの全国ツアー
2002年のRCA/AIR YEARSツアー以来、ほぼ7年ぶりの新潟県民会館2DAYS。しかし、初日の10日は、仕事で帰れずにチケットを無駄にしてしまい、祝日の11日のみ観に行くことができました。
2日間ともソールドアウトとは達郎の根強い人気を感じますが、客層は見事に高齢化している。見た目的には演歌ショー(笑)と変わらないような県民会館ロビーの光景に、6年という歳月の重みを感じましたねぇ。主力は40代後半から50代か?
観客が高齢化すれば、ミュージシャンも当然高齢化するわけですが、「達郎バンドは全員健在でいいなぁ。角松敏生バンドは青木智仁も浅野祥之も亡くなってしまったのに・・・」なんて妙な感慨を覚えながら、開演を待ちます。
1曲目は“SPARKLE”。しかし、最初は誰も立ち上がらないのが達郎ライブのマナーらしい。ま、じっくりと音楽を味わう大人のライブなのは分かるけど、名曲“SPARKLE”を座ったまま聴くのは正直ツライ。1998年、2002年のライブでもこの曲が1曲目だったけど、一度は終盤の盛り上がりの中で聴いてみたいもんだ。結局、終盤の“Let's Dance Baby”まで観客は座ったままでした。
まさかのメンバー交代
ライブ開始早々、ステージ上の異変に気づく。リズム隊が妙にあっさりしていて、ドラマーはどう見ても若過ぎる。青山純じゃない!
なんと、あの鉄壁の達郎バンドから、ドラムの青山純とキーボードの重実徹が姿を消していました。
小笠原拓海 (Dr)
伊藤広規 (B)
佐橋佳幸 (G)
難波弘之 (Key)
柴田俊文 (Key)
土岐英史 (Sax)
佐々木久美 (Cho)
国分友里恵 (Cho)
三谷泰弘 (Cho)
いや〜、ビックリしました。
達郎本人のMCによると「メンバー2人を他のアーティストに盗られた。強引に奪い返すわけにもいかなかったのも、6年間ツアーできなかった原因のひとつ」とのこと。
ま、重実さんのキーボードは代役でも対応できるけど、青山純のドラムの代わりは絶対いない。20年以上に渡って達郎バンドを支えてきた青山純&伊藤広規のリズム隊は、達郎サウンドの一部どころか達郎サウンドそのものと言っていい。
達郎から青山純を奪える人って一体・・・?
帰宅後、ネットで調べてみたら、なんと犯人(?)はMISIAらしい。う〜む。
真相は分からないけど、俺がMISIAの立場なら、喜んで青山純を達郎バンドにお返しするけどなぁ。同じ黒人音楽をベースとする者なら、大先輩のミュージシャンである山下達郎からドラマーを奪うなんて、絶対できないよ。MISIAのライブは俺も一度観たことあるけど、青山純のドラムがどうしても必要な音楽だとは思えないのだが・・・。
新加入ドラマーは24歳
さて、新加入のドラマー、小笠原拓海君は、なんと24歳。しかし、山下洋輔バンドでフリージャズを演っていたそうで、若いけれども、腕も音楽性もしっかりしていそうだ。しかし、やっぱり演奏のコクが物足りない。伊藤広規のベースとガッチリかみ合うレベルまではまだまだ至っていない。
ドラムソロで叩きまくっている時は、確かにテクニックがあるのだけれど、達郎バンドで必要とされるのは、ドラムのアタックだけでなく、ディケイやリリースの部分、行間の間とでも言うべきグルーヴ感だ。
達郎はMCで「いいドラマーを見つけた」と言っていたけれど、実際はつらい決断だったと思う。「新しいリズム隊で新しい音楽表現に挑む」と前向きにとらえることもできるけど、達郎さんはもう56歳ですよ。音楽家として集大成の活動をするべき時期に、今さら一からバンドのリズムを再構築しなければならないとは・・・。
ま、小笠原君にとってこのバンドは、会社で例えれば、新入社員がいきなり重役会議に出席、いやいや経団連の役員会のメンバーになってしまったようなものだろう。こうなった以上、日本の最高峰のミュージシャン達から、その熟練の技をどんどん吸収してほしいと思う。ドラムソロの時、山下達郎、伊藤広規、難波弘之の大御所3人が舞台袖から小笠原君を見守る姿からは、若武者への温かい視線が感じられました。
音楽ビジネスとの闘い
バンドの演奏には若干不安が残るものの、達郎本人のボーカルは全く衰え無し。恒例の“RIDE ON TIME”エンディングでの、マイク無し生声パフォーマンスでは「もう歳なので短めに」と謙遜していましたが、間違いなく現在の日本で最高峰の男性ボーカリストだ。
しかし、そんな国宝級の山下達郎御大なのに、音楽ビジネス面では非常に苦労しているそうです。MCで「この6年間で、もうダメだ、と思った時期がある」と衝撃の告白。
理由は2つあり、まずはレコード会社幹部の理解の無さ。「何年間も新作をリリースしないアーティストなんてクビにしろ」と言われたそうです。そりゃ音楽だってビジネスですから、CDをリリースしないことには、売上げが出ないわけですが、「音の職人」にインスタントな音楽制作を強要しようとする無神経さにあきれるわ。
しかし、幸いなことにレコード会社のリストラの結果、若返った現在の経営陣は、達郎を非常にリスペクトしてくれるとのこと。なんと、現在のワーナーに所属の50代アーティストは、山下達郎と竹内まりやのみ、なんだそうです。それはそれでちょっと驚き。
デジタル技術との闘い
もう一つの理由は、「スタジオがハードディスクレコーディング(Pro-Tools)になってから、思い通りの音が出せなくなった」とのこと。1980年代、シーケンサーによる打ち込みが一般化した時代にも、達郎氏は相当の苦労を重ねて、アルバム「Pocket Music」を完成させたことがありましたが、「音の職人」に再び苦闘の時代が訪れてしまったようです。
余談ですが、あるインタビューで「達郎さんの1人アカペラは、デジタル的にどういう処理をしているのか?」と訊かれたそうです。そのインタビュアーは、Perfume&中田ヤスタカでお馴染みのピッチ補正ソフト「AutoTune」を使って、アカペラのハーモニーを合成していると思っていたらしい。天下の山下達郎様にそんな失礼な質問をよくできるなぁ・・・。
ライブでは、本人曰く「偽装全く無し」の1人アカペラ・コーナーはもちろん健在。“さよなら夏の日”、“GET BACK IN LOVE”、“アトムの子”など、6年前のRCA/AIR YEARSツアーでは演奏しなかった曲も盛り込んだセットリストは、ベスト選曲と言える内容でした。季節外れの“クリスマス・イブ”はちょっと余計だったかもしれんが(笑)。
新作リリース無しのツアー
さて、新作アルバムも出していないのに、なぜか行われた今回のツアーですが、大阪フェスティバルホールが昨年末で閉鎖されたのがきっかけだったそうです。達郎お気に入りのフェスティバルホールで最後の演奏をするために、6年ぶりにバンドでのライブを決意。ついでに(?)全国ツアーもやっておこう、ということだそうです。
達郎曰く「5000人も入る国際フォーラムなんて、音楽が観客に届かない。1000人台のホールでこそ審美眼が磨かれる」とのこと。達郎の言葉は心に響くなぁ。
そして、この日の新潟公演には、達郎氏の特別な想いが込められていました。
ファンクラブを仕切っていた女性が先日病気で亡くなったそうです。彼女は新潟県長岡市出身で、この新潟県民会館公演を観に来るはずだったとのこと。
アンコールでは、彼女のために弾き語りで“ラスト・ステップ”を歌ってあげました。
現在56歳の達郎は、「還暦までは毎年ライブをやりたい。夏フェスにも出たい。アカペラ集ON THE STREET CORNER4も、ライブ盤JOY2もリリースしたい」と非常に意欲的な発言を連発。そりゃぁフジロックのヘブンにでも出演してくれたら最高だが、夏フェス出演で現実味があるのはロックインジャパンかライジングサンかな?
ともかく、達郎氏が現在の最高水準のパフォーマンスを維持しているうちに、なるべく多くのライブと作品を世に送り出してほしいものだ。
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