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朝日姫または旭姫。駿河御前。南明院。
本名も朝日と伝わるが定かではない。
はじめ副田甚兵衛(一説に与左衛門、また佐治日向守)に嫁ぐが、秀吉の家康懐柔策の為に離縁。
正室のいなかった家康の室となった。(築山殿誅殺、家康の正室の座は空席だった。)
弟によって長年連れ添った夫との離縁を押しつけられ遠国へ嫁がされたのである。
弟のため、天下のため。
計り知れない葛藤があっただろう。
また副田甚兵衛の気持ちはいかがなものであったのだろうか。
妻を売って大身を得た。
そう言われることは潔しとしなかったにちがいない。
5万石の加増を蹴っている。
剃髪し隠斎と号し閑居したという。
駿河に居住し徳川方からは駿河御前とよばれていた。
母(大政所・天瑞院)の病気見舞いのため上洛、そのまま京に留まる。
聚楽第で没した。
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