マイナー武将列伝・織田家中編 




 兼松正吉 
 かねまつ まさよし 
 生没年   1542〜1627   主君・所属   織田信長 
主な活躍の場  朝倉攻め・石山本願寺攻め 
 
 
 兼松又四郎正吉。 修理亮。 兼松清秀の子。

 初陣は桶狭間の戦い。  下級の武士であったが功名をたて、徐々に知行を加増していった。
 天正元年(1573)朝倉攻めで刀根山を攻撃した際のこと。
 敵の首を持ち帰ったところ正吉が裸足であったので、信長は正吉の功名と意気込みを讃え足半を与えた。  足半は「あしなか」と読み、前半分だけの草鞋と思っていただければわかりやすい。  かかとの部分が無いのである。  実際、山を攻め登るときはかかとを使わないので、こういった足半を履くようである。
 正吉は拝領した足半を家宝として残し、今でも伝えられているという。
 
 石山本願寺攻めでは天満の森での戦いの際、毛利長秀と共に敵将・長末新七郎を突き伏せた。
 長秀は正吉に首を取らせよとするが正吉は、これは長秀の功で自分は手伝っただけだと長秀に首を取るよう に勧める。
 そうこうしているうち混乱の中、機を失いどちらも首を取ることが出来なかった。
 
 本能寺の変の後は羽柴秀吉、秀吉死後は徳川家康に仕えた。 
 松平忠吉の与力となり、忠吉の死後徳川義直の元、尾張藩士として仕えた。 
 墓所は平手政秀の菩提寺でもある政秀寺。
 

  補足   



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