岐阜県人事委員会における
第1回公開口頭審理のあらまし
(1998年5月15日)

 人事委員会の公開口頭審理に先立って、これまで4回の準備手続(非公開)が持たれました。具体的には申立人側は解職・異動処分が何の根拠もない不当なものであり、埋蔵文化財調査における報告書作成を軽視するものであることを強く主張する準備書面を提出し、今回の処分の不当性を立証する証拠類と共に、事実を明らかにするための証人喚問を申し出てきました。人事委員会が非公開の準備手続を打ち切り、公開の審理に切り替わったことは、この書面の提出と証拠の提出といった審理の準備段階がほぼ終了し、いよいよ事実審理と証人尋問が行われることになったことを意味します。
 第1回の公開口頭審理は図のような配置で行われました。申立人側は公開の意義からして十分な傍聴席を確保するため、広い会場の設定を要望してきました。しかし、今回はどうしても会場の都合がつかないということで、準備手続会場でもある人事委員会室に椅子を運び入れて傍聴席を確保するという、かなり無理矢理プランニングした審理会場となりました。実は審理前日に弁護士の水谷博昭さんの方に人事委事務局から傍聴席を28席用意した旨の連絡がありました。水谷さんは、公開の原則と意義から言っても傍聴を制限するようなことがあったら、申立人側は席を立って審理に協力をしないことを伝え、全傍聴希望者の席確保を強く求めた経緯がありました。
 当日はM.K.氏の報告にある通り30人に及ぶ傍聴人の皆さんが来て下さいました。また、蒸し暑い中、大変狭くなりとても傍聴どころではない環境ではあったものの、人事委が機械的に傍聴制限をせずに、席を増やすなどに対応策をとったことについては、評価したいと思います。処分者側の傍聴人は皆無でしたので、びっしりの傍聴人の皆さんはすべて申立人側という状況でした。
 さて、公開審理ということで人事委員の中でこれまで唯一準備手続に臨んできた人事委員長南谷信子氏に加えて永倉氏、坂本氏の3名が前方に着席。処分者側の岐阜県教育委員会は新年度を迎えて代理人のうち3人が交代をしたため、当日は新しい3人に再任の1人と弁護士を含めて5名が出席。審理長に近い方から大塩量明弁護士、大森不二雄県教委管理部長(新)、丹羽柳三教職員課主管(新)、清水厚志文化課総括課長補佐(新)、杉山修二教職員課課長補佐が、それに対峙して申立人側が水谷博昭弁護士、篠田通弘が着席。事務局職員とマスコミ席、速記席を合わせて50人を超す会場となりました。
 私自身どのような形で審理が進められるのか全くわからないまま、双方の紹介に続いて申立人側、処分者側の証拠類の提出とその認否を行いました。このうち申立人側は甲第1号証から第33号証までを提出。全人事委員がこれらが準備手続で出されている写しと同一のものであるかをチェックし、次に処分者側の乙号証についても同様にチェックしていきました。この後双方は、互いのの証拠の写しが原本と同一のものであることを認め、これによって今後の審理の基礎的な資料が公にされたことになります。
 次に今後の証人尋問の採否に先立って、申立人側から@(財)岐阜県文化財保護センターにおける地位保全仮処分申請をめぐって即時抗告していた名古屋高裁がこれを却下したことによって、今回の解職・異動処分が県教委主導でなされたという裁判所の判断が出たと解する。Aこのため、主張の整理をし直して準備書面を提出する、旨の主張をしました。また、B公開口頭審理に先だって提出した準備書面(6)についての、処分者側の認否と反論を書面で求めました。準備書面(6)は私の解職・異動が昇格をめぐって事実たる慣例からも反する処分であったことを主張するものです。これへの処分者側の反論が、次回期日までに準備書面として出されることとなります。
 次回公開口頭審理は7月16日午後2時から。場所は今回よりも広い3階北会議室と決定しました。次回は双方の証人尋問の申し出に対して、証人の採否を決める大切な公開口頭審理となります。申し出ている証人尋問の全員が採用されるかどうかが今後の審理の行方を占う極めて大きな意義を持つこととなります。遅々たる歩みですが、この土俵で闘っていくしかないわけで、粘り抜くしかありません。人事委員会がすべての申し出の証人喚問を行い、最後まで十分な審理が尽くされるよう強く求めるものです。
 引き続いて見守ってくださいますよう、そして今後の審理を占う重要な場となる次回審理に、1人でも多くの方が傍聴に足を運んで下さいますよう、心よりお願い申し上げます。

           『ちっとばか きばらまいか通信』第10号(1998年5月23日発行)より

第1回公開口頭審理傍聴記
アナザー・サイド・オブ 5.15

それは昨年3月25日の夕方、1本の電話から始まったといえるかもしれないな。
あれから1年数か月かぁ・・・
篠田先生とは15年来の付き合い、岐阜県文化財保護センターでは上司と部下という、今回の事件に最も精通する1人であろう私が、第1回公開口頭審理の様子を『きばらまいか通信』の読者の皆様に正確かつ克明に報告しよう。
平成10年5月15日、晴天。約束の午後1時半に県庁2階のロビーで篠田先生と待ち合わせする。「10人くらい来てくれるかな〜?」と最後まで傍聴人の人数が心配そうな先生。傍聴券が必要とのことで、3階の人事委員会室前にて住所、氏名、年齢を記入し、傍聴券をもらい、傍聴人控え室へ向かう(住所氏名の記載は、このすぐ後に傍聴参加者からの抗議で撤回となった)。なんか本格的だぜと盛り上がるが、案内された所は組合(岐阜一般労働組合財団法人岐阜県文化財保護センター支部)で地労委へあっせん申請をした時にも控え室として使った部屋じゃないかぁ・・・。
 室内には幾人か顔見知りの方もみえ、挨拶するうちに時計も午後2時になり、いざ審理会場である人事委員会室へ。審理会場の前の廊下は予想以上の数の傍聴人にマスコミも混じって、押すな、押すなの大混雑。会場に入ったが、用意された傍聴席用の椅子はすでに満杯で係の人が慌てて椅子を追加してくれる。室内は冷房もかかっておらず、比較的小さな会場に全部で約50人も詰め込まれ、ひたすら暑い。
 定刻の2時を回った頃、ついに第1回の公開口頭審理が始まった。まず、自己紹介が人事委員、不服申立人側、処分者側の順でなされた。処分者側の人は私は初めて見る人ばかりである。自己紹介がひと通りすんだところで、いよいよこれから映画やテレビで見た裁判のような展開かと思い、一字一句聞き逃してならないと力が入るが、意味不明の専門用語がやりとりされ、篠田先生が賞状やら報告書やらを次から次へと取り出しては人事委員長に提出するという地味な展開・・・
 これは一体何なのか俺、よー分からんわ。隣の速記のおねーさんもヒマそうだぞ。すっかり報告者としての本分を失い、もう詳細は篠田先生の本文を読んでくれ!と、なげやりになっているうちに第2回公開口頭審理の日程が設定され、あっけなく第1回の公開口頭審理は終了した。
 その後、場所を喫茶店に移して報告会が行われた。改めて、傍聴に訪れた方々の自己紹介があり、水谷弁護士から事態はおそらく長期化すること、審理は今後、証人が喚問されていくことで、水谷弁護士の言葉を借りると「エキサイティングかつスリリング」に本格化することなど、今後の展望についてのお話があった。その後、出席者との質疑応答を経て、閉会となり、この長くて、短かった1日は終わった。
21年ぶりに行われたという第1回の公開口頭審理は意外にあっけないものでした。
しかし、平日にもかかわらず約30人もの様々な人が遠方からも傍聴に駆けつけ、失礼かもしれないが、篠田先生も本当に幸せな人だと思ったよ。今日はあくまで前菜。メインディシュはこれからという事もあり、俺も都合のつく限り、また傍聴に出席したいと思いました。俺にはこんな事くらいしかできへんしな。
 最後に先生、こんだけ応援してくれる人おることやし、先も長い。もうお互いに出世の道もないことやし、できるだけ陽気にボツボツやってきましょうや。
                                           (M.K.)

           『ちっとばか きばらまいか通信』第10号(1998年5月23日発行)より