岐阜県人事委員会における
第2回公開口頭審理のあらまし
(1998年7月16日)
第2回公開口頭審理は、去る7月16日午後2時から約1時間行われました。
今回の審理に先立って申立人側は準備書面(7)を提出しました。申立人は(財)岐阜県文化財保護センターからの解職について雇用契約上の仮の地位を定める仮処分申請を、岐阜地裁に行いました。これに対して、昨年8月5日に岐阜地裁がこれを却下、名古屋高裁に対する即時抗告についても今年4月23日にこれを棄却。これによって、本件解職・異動が県教育委員会による処分であったことが確定したことを主張するものです。これに付随して、裁判所に対して提出した申立人の陳述書も甲第38号証として提出しました。
一方、この日の冒頭に処分者側はA4判1枚半という簡単な準備書面(4)を提出。申立人側が先に退出した準備書面に対する認否を行いました。
これらの書面の確認の後、申立人側が第1回公開口頭審理の際に提出できなかった、『揖斐川上流域徳山ダム・杉原ダム水没地区埋蔵文化財分布調査報告書』(岐阜県教育委員会、1985年)を第35号証として提出。審理長の立証趣旨の質問に対して、「処分者は、申立人が県教委へ異動する以前の実績については何一つ知らないと書面で主張しているが、同書中に申立人の論文・報告書からの引用を明記し、申立人等の活動について評価する記述を行っていることを指摘するものである。」旨の陳述を行いました。
第2回審理のポイントは、次回から始まる人証の決定です。これに対して、申立人側は(1)現在@(財)岐阜県文化財保護センター理事長篠田幸男氏、A岐阜県教育委員会文化課長武山妖司氏、B岐阜県教育委員会教職員課主管岩田義孝氏(いずれも職名は処分当時)、そしてC申立人本人の4名を申請。申立人側に立証責任があることからこの順で行ってもらいたい。(2)いずれも敵性証人であるから、のらりくらりと時間ばかりが過ぎていくというおそれがあるため、主尋問には90分をいただきたい。(3)申請した4名の他に、本件処分が申立人の妻が作業員・補助調査員で結成した労働組合の支部長に就任したことをもって、労働組合を嫌悪する処分者とセンターが、申立人が労働組合を支援していると決めつけて報復として行った違法なものであることを立証するための、労働組合側の証人を検討中であること。そして、埋蔵文化財調査における報告書作成の重要性について考古学の専門家の立場から大学教授等研究機関からの証人申請を追加する用意があることを主張。これに対して、処分者側は反対尋問に60分を予定していることを主張した後に、審理長が人証決定のため暫時休憩をとることを宣言。
再開後、審理長より「人証の採否について伝えます。申立人の側から申請のあったもののうち、岩田義孝さんについて次回に聞くということにしたいと決定しました。」旨の発表がありました。なお、次回期日は10月8日の午後2時から、第2回審理と同じ場所で行われることとなる見込みです。
さて、今回の審理は重要な点を含んでいました。それは、次回からの証人調べで誰を喚問するかということです。これは、今後の審理の行方を占う上で重要な意味を持っています。つまり、人事委の審理が本件処分によってどのような不利益が生じたかという狭い意味での不利益性に限定して審理が行われるか、それとも申立人の主張するとおり公共事業に伴って消滅する埋蔵文化財の発掘調査の、その社会的責任は広く県民の現在と未来に大きな責任を生う持つものであり、今回処分はその利益を損なう不当なものである、という主張にまでも踏み込んだ審理が行われるかどうかということです。
この点についてはM.K.氏の傍聴記で触れられていますので、ご覧いただきたいと思います。軽々に推断することは避けたいと思いますが、ともかく途中で委員長職権をもって審理がうち切られることなく、申立人側の主張について十分で公正な審理が最後まで行われるよう、強く望むものです。
次回審理はいよいよ証人尋問となります。どうか、一人でも多くの皆さんが傍聴にお出かけ下さいますよう、心よりお願い申し上げます。
今回予想もしなかった多くの皆さんの傍聴に心からお礼を申し上げるとともに、今後とも見守って下さいますようお願い致します。
『ちっとばかきばらまいか通信』第12号(1998年8月13日発行)より
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第2回公開口頭審理傍聴記
(写真左は不服申立人、右は水谷弁護士)
やっぱりか〜。ひそかに恐れていたとおり、今回も傍聴記を書くはめになってしまった。Mさんに代わりを頼んだら、軽く一蹴されてしまった・・・。書くとするか。
平成10年7月16日、第2回目の公開口頭審理が県庁3階の3北1会議室で行われた。今回は前回より会場が広くなったことと、傍聴券の交付もなく、より開かれたイメージで審理が行われることとなった。前回より多少ゆとりのある傍聴席ではあったが、傍聴人の数も40名弱に増えたためにさほど傍聴人席の状況は変わらない。が、前回で公開口頭審理というものにやや慣れたためか、ややリラックスした雰囲気の中、審理は定刻通り午後2時に始まった。
まず、準備書面が双方で交換され、若干のやりとりが行われた。そして今日の主題である次回以降の証人喚問の採否を巡る議論へと移る。申し立て人側は前センター理事長篠田幸男氏、県教育委員会文化課長(当時)武山妖司氏、県教育委員会教職員課主管(当時)岩田義孝氏の3人に申立人本人の4名を申請し、その申請順で最低90分の尋問時間を主張し、更に労組との関係から岐阜一般労働組合の関係者と考古学の専門的立場から大学教授を証人として追加する可能性があることが付け加えられた。
結局、人証の採否を決定するため10分間の休憩を挟んで、人事委員会から発表されたのは申立人側の意向に反して、次回の公開口頭審理には岩田氏を証人として採用することが発表され、閉会となった。
その後、場所を移動して報告会が行われた。水谷弁護士の話では次回の岩田氏の証人喚問の真意は人事委員会が申し立て人の主観的な不利益の有無にのみ的を絞って審理を進める恐れがあり、申立人の主張がきちんと審理されるよう最大限の支援をお願いしたいという訴えがなされた。しかし、今回の先生の訴え自体は終始一貫して、一人で担当した寺屋敷遺跡の調査の報告書の作成を前にして、なぜ慣例から外れる異動が行われたのか、また異動を実施した岐阜県の文化財行政の姿勢を問うという2点に要約されると思う。報告会に出席された各地の埋蔵文化財調査関係者も指摘されたように結局、行政の考える不利益と、調査担当者が訴える埋蔵文化財の消失と引き替えに行われる発掘調査の社会的責任から考えられる不利益とでは、そのとらえかたが大きく異なるということなのでしょうか。今回の先生の訴えが正面切って審理されるよう、次回審理の行方を、熱いまなざしで見守りたいと思う。
そんな第2回公開口頭審理でしたが、やっばり印象に残るのは先生の今度の訴えを見守る方々でしょうか。平日の昼間で2回目ともなると普通なら減ってもおかしくないはずの傍聴人の数も第1回よりさらに増え、報告会では一人一人が自己紹介を兼ねて、「徳山に先生が新任教師として赴任して以来の21年のつき合いで、なにもできんが、いてもたってもいられず出席した」、「篠田君が30年前の中学生の頃から家に出入りしていた。途中で投げ出してはいかんぞ。」などなど、本来ならこの会に出席すること自体が立場的にまずいのではとこちらが心配するような方まで、多彩な方々が自分なりの様々な暖かい励ましや厳しい叱咤激励が先生に送られました。
こんな人々がいる以上、先生の教え子の言葉じゃないけど「先生、負けるなよ。」
(M.K.)
『ちっとばかきばらまいか通信』第12号(1998年8月13日発行)より
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