岐阜県人事委員会における
第4回公開口頭審理のあらまし
(1998年12月24日)
審理長・南谷信子県人事委員会委員長
申立人代理人・水谷博昭弁護士
処分者代理人・大塩量明弁護士
証人・岩田義孝西濃教育事務所長(申立人の教育委員会事務局登用当時・県教育委員会教職員課総括課長補佐兼小中学校係長、処分当時・県教育委員会教職員課主管)
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審理長南谷信子県人事委員会委員長(以下審理長と略)「4回目の口頭審理を行います。公開で行います。」
(この後、申立人側、処分者側の出席者の確認を行う。)
「傍聴人は静粛に。岩田氏の証人尋問を行います。証人を案内してください。」
(岩田氏入室、審理長より住所、氏名、職業、生年月日の確認が行われる。)
審理長「正当な理由もなく拒否、また虚偽の証言をした場合は地方公務員法に基づいて処罰の規定がある。宣誓は前回のを生かし省略する。申立人側の20分の主尋問、その後処分者側の反対尋問を行う。」
【申立人代理人による主尋問】
申立人代理人水谷博昭弁護士(以下水谷と略)「申立人が話すと時間が長くなるので、時間の節約上、私が尋問をする。補充の質問をする。平成五年に学校現場から採用するにあたって、証人は試験官を務められた。あなたが当日試験を実施する時、教育委員会事務局に登用した後の配属は決まっていなかったのか。一般的にはどのように決まるのか。」
岩田義孝証人(以下岩田と略)「当時は教職員課総括課長補佐だった。(自分の当時のポストでは)どの人が事務局の職員として、どの人がどのポストに位置づくのかはわからない。」
水谷「教育委員会ではなく、あなた自身が知らなかったということか。」
岩田「はい。」
水谷「その後に決定すると。あなたも参加して、どのポストにつけるか話があるのか。」
岩田「総括課長補佐の段階ではなかった。」
水谷「課長ならわかるか。」
岩田「構想はおそらくできていたと思う。」
水谷「教育現場から再配置するには双方からの情報を検討して、決まっていくということをおっしゃったが、県文化財保護センター側からあの人を派遣して欲しいという要望はあったか。」
岩田「そういう場合もあるが、そういう人が見当たらない場合、所属課長からこういう場面で使える人を探してほしいと言う要望もある。」
水谷「2通りあると理解していいか。」
岩田「はい。」
水谷「平成5年の場合はどうだったのか。」
岩田「私は立ち会っていないので、どちらのスタイルであったかわからない。」
水谷「結果的にもわからなかったか。」
岩田「はい。」
水谷「平成9年3月から4月にかけての申立人の人事は、申立人の出向を解いてセンターから召還するということだったが、これはセンターと文化課との話し合いによって決まったということであったと、前回の尋問を要約してよいか。」
岩田「はい。文化課と教職員課のヒアリングは行われたが、文化課とセンターの間でどのような話し合いがなされたのかは所管外でのことで知らない。」
水谷「文化課長からヒアリングの際に、申立人を異動の対象としてもよいという発言があった。もう少し、積極的に出してほしいというものではなかったか。」
岩田「そういうことはなかったと思う。」
水谷「発掘調査報告書や整理作業の途中であるという話はなかったか。」
岩田「センターには人が多いので、一つ、一つについて話があったかどうか詳しくはわからない。」
水谷「結論としてはセンターに留めるかどうかは、センターと文化課が話し合って決めたことか。」
岩田「全体的な流れの中でということで、たまたま申立人は(そうなった)。」
水谷「文化課、教職員課の立場からは教員生活のライフ・スタイルから見たら、中堅的役割を経験した方が良いという話であるが、過去の実績を見ると年度の途中で42歳になると補職名が一格上がる場合が多い。申立人は2年間臨時の職員として採用されているから、ということは別にして、後2年待ってやることが教員のライフ・スタイルを考える上で良かったという考えは成り立たないか。」
岩田「それは本人の価値観による。課長補佐という名前に執着するのなら別だが。事務職員より、教員の方が給与が良い。補職名はないがこの異動は決して(給与面で)不利益ではない。」
水谷「係長から課長補佐に上がっても昇給とは連動しないか。」
岩田「相関関係はわからない。」
水谷「平成7年2月にセンターに(補助調査員・作業員の)労働組合、岐阜一般労働組合文化財保護センター支部ができたのを知っているか。」
岩田「私は一切知らない。」
水谷「申立人の奥さんが支部長で、自宅が組合事務所であったことを知っているか。」
岩田「一切知らない。今回のことで初めて知った。」
水谷「尋問を終わる。」
【処分者代理人による反対尋問】
処分者代理人大塩量明弁護士(以下大塩と略)「補足書面として申立人側の提出した一覧表について間違い部分を指摘した部分をマーカーで記したものを準備書面6として提出する。」
大塩「一番下の方はセンターには関係ない方ですね。」
岩田「文化課の方ではないか。」
大塩「センターには行っていないが、申立人と同じ年に岐阜大学を卒業した。教員系職員で採用年月日を当方の資料に基づいて記入した。ここを見ると教職から文化課に入り、文化課からセンターに出向、また教職に戻るというスタイルがある。文化財保護センターの他に文化課から出向で出るにはどういう機関があるか。」
岩田「県体育館があったか……。組織的な事はわからない。高校の場合は事情が少し違うが。」
大塩「県博物館はどうか」
岩田「博物館は出向ではない。」
大塩「教職員関係で採用された方が人事的な形で、そういう所で従事するのは本来的でないと理解してよいか。」
岩田「そうである。」
大塩「再び教員に戻るのが原則であり、それ以外の場合はあるか。」
岩田「定年を教員に戻らずに迎える例が、年にあっても1人か2人。ゼロか。」
大塩「こういう流れの中で元に戻るのに不利な処置はあるか。」
岩田「それはまずない。むしろ手当は上がる。学校の教員から事務職員に任命されると給与は下がる。」
大塩「行政職は給与が下がる。教員に戻る時は上げ幅によっては同期の人より下がることはあるか。」
岩田「そういうことが起きないように、元に戻ってマイナスになることはない。行政が長い場合はマイナスになる。」
大塩「教育長などではそういうこともあるのか。」
岩田「はい。」
大塩「申立人は4年間であるが。」
岩田「この不利益は若い時は関係がない。」
大塩「あと二年待てば課長補佐になるのではないかということであるが、教員に課長補佐はない。教員には課長補佐に比較できる補職はないか。」
岩田「教員の職種には教諭、教頭、校長しかない。」
大塩「入った年によってランクが上がるということはないか。」
岩田「そういうことはない。特別昇給というのはあるが、昇格はない。主任というものはある。」
大塩「主任とはどういうものか。」
岩田「教務主任など。役割であり、校内だけのものである。教頭の任用試験の時、生徒指導主事や教務主任などの主任歴があれば資格要件が確保される。」
大塩「それなしで試験はうけられるのか。」
岩田「主事、主任が教頭の試験を受けるものであると記憶している。」
大塩「池田小で申立人の配置はどのようであったか。」
岩田「教務主任であったが、本人が辞退したため校務主任についている。」
大塩「教務主任は教頭を受けるキャリアにはなるか。」
岩田「なると思う。曖昧であるが一般には主事、主任経験が何年あるというような要件がある。」
大塩「身分的には悪い地位に置かれたということはないと理解してよいか。」
岩田「はい。」
大塩「校務主任はどうか。これも主任として教頭試験を受ける要件になるのではないか。」
岩田「それは、ちょっと定かでは……。」
大塩「一般的な事であるが、岩田さんは教育職から行政職になられた。教員としては何年か。」
岩田「●●年だったか、●●年だったか。」
大塩「そういう中で転勤は何回あったか。」
岩田「教員の時は5回くらい。」
大塩「仕事をし残した時に転勤を命じられたことは。」
岩田「極端な場合は1年で転勤ということもあった。」
大塩「これで反対尋問を終わる。」
審理長「申立人はどういう試験を受けて職員になったか。」
岩田「8月に行われる採用試験を受けて教員となった。」
大塩「表を使うことを忘れたので、少し補足質問をする。この表の最下段の人物は申立人と一緒に大学を卒業した。平成9年に42歳になり、勤続年数も20年である。申立人がセンターに留まった場合勤続18年になるが、18年で課長補佐になった人はいるか。」
岩田「私は知らない。」
大塩「多くは42歳、勤続20年で課長補佐になる。18年や19年で課長補佐になることはないのか。」
岩田「まずないと思う。」
大塩「これで終わる。」
【審理長からの質問】
審理長「4年で異動させる例は多いのか。」
岩田「ないわけではない。」
審理長「4年で異動させることに理由はあるのか。」
岩田「●●●。」
審理長「証人は退室願いたい。」
(岩田証人が退出。)
水谷「岩田さんに長時間の尋問を行ったが、申立人が言っている不服申し立ての中心部分である発掘調査報告書の作成や整理作業の途中で転出させられ、行政的合理的目的がないということが明らかとなった。文化課とセンターの関係も岩田証人は直接知らないという。本当の所の真相、理由が出てきていない。文化課の課長を次回に喚問をお願いしたい。」
大塩「人事委員会では不利益があったかどうかに絞って審理すべきである。」
水谷「客観的な行政目的も判断しなければならない。判例もそうなりつある。準備書面(八)で提出したように最高裁判決も視野に入れてお願いしたい。」
大塩「こちらも判例がある。」
水谷「組合の話も岩田証人ではわからない。是非とも文化課長を喚問してもらいたい。」
審理長「双方の主張は十分承知している。次回の審理について打ち合わせるため休憩を10分間とりたい。」
(人事委員3名、別室へ移動。約15分間の休憩後、再開。)
審理長「次回は竹山妖司さん(県教育委員会文化課長)を喚問する。」
水谷「主尋問60分と申し出ているが、岩田証人で明らかなようにかなり時間を要する。主尋問を90分としていただきたい。」
審理長「反対尋問も含めて2時間ということで審理を行いたい。次回期日を3月3日午後2時より、県庁3階北、3北1会議室で行う。本日の審理を終了する。」
(速記録が未着なので、この記録は傍聴メモから成文化したものであることをお断りします。……M.K.)
『ちっとばか きばらまいか通信』第17号(1999年1月16日発行)より
公開口頭審理を傍聴してきて
守 川 久 美
公開口頭審理終了後の報告会(左が申立人、右が水谷博昭弁護士)
何となくの成り行き上、篠田さんの公開口頭審理を今まで傍聴してきた。自分の心の中にいつもある「このままでいいのだろうか」という気持ちは、歳を重ねるにつれ大きくなっていた。そんな折、篠田さんが人事委員会へ提訴したことを知り、少しだけ覗いてみることにした。言うなれば、何かしらの変化を求めていた私にとっては、渡りに舟で、自分から環境を変えて行かずとも、篠田さんのこの事件につきあっていけば、自分の知らない世界を見ることができるチャンスが到来したわけである。そんな訳で動機は不純だが、何となく今もこの事件に首をつっこんでいる状態である。
公開口頭審理で興味深いものは、何と言っても、審理長の南谷信子女史、申立人側の水谷博昭氏、処分者側の大塩量明氏の3人の辣腕弁護士の腕の見せ所を観察することである。
1、2回目の審理は今後の審理の進め方を決めるだけに開かれているようなものであったが、3、4回目は証人として岩田義孝氏が登場した。この岩田氏の肩書きは西濃教育事務所長と言って、教育関係者にとっては随分高いポストの偉い方らしい。「こんな偉い人でも、すごく緊張する時もあるのだな。」と端から見ても一目瞭然のように全身硬直気味で証人として入場してきて、宣誓書を読んでいる。まるでテレビドラマさながら。水谷弁護士は、早い時期から、「次回の審理は、エキサイティングになりますよ。」と言ってみえたが、この言葉とは裏腹に、証人岩田氏は、「わからない。知らない。記憶にない。」を繰り返すばかりで、イライラするほどはっきりしない。今まで「学校の先生」イコール「偉い人」と一目置くところがあったが、この返答を聞いて、「こんな教師に教えられている子どもの達の将来はどうなるのか」と、教員というものに対する考え方が根底から覆されてしまった。が、水谷弁護士の「それは誰に聞くとわかるのか」という数回に及ぶ質問で、岩田氏は、他の者にも追求の手が伸びると思い答えるようになったあたりは、「なかなかのキレ者」という印象を受けた。それと同時に、岩田氏本人は気付いていないだろうが、(傍聴人のほとんどが気付いた)同じ教員として自分の立場を利用したような「高圧的態度」が公の場で堂々と篠田さんに対して為されたことを見てしまい、教員という閉鎖的な世界のいやらしい部分をかいま見たような気がして、幻滅した。
県教育委員会は、篠田さんを仕事の途中で異動させる事によって何のメリットを求めたのか。「教育者としては学校に戻ることは当然のこと。篠田氏本人にとっても、今度の異動は何の不利益も生じていない」と言うだけで、それでは「岐阜県の文化財行政にとっては何の支障もきたしていないのか」ということについては何の回答もない。このあたりが傍聴人としては非常に聞きたい所であったが、岩田氏の証言では、この点が何一つわからない。まったく痒いところに手が届かないもどかしさを感じる。
水谷弁護士と大塩弁護士との攻防戦に対して、審理長の南谷弁護士がどのような判断を下すのかがとても重要で、この判断が下る前の休憩というものが、非常に長く感じられるものである。とは言っても、喫煙者にとってはうれしい時間であるし、睡魔におそわれていた者にとっても天の助けの時間である。4回目審理は、毎回のように繰り返される「わからない。知らない。記憶にない。」の言葉が呪文となり、かなり多くの人が睡魔に襲われていたようだったが、この時何人の人が審理再開後のあの南谷審理長の言葉を予想していたであろう。
一発逆転、形勢逆転とはこの事を言うのだろうか。口に出す者はさすがにいなかったが、誰もがこの回で審理打ち切りとなることを恐れていた。が、休憩後の南谷審理長の口から出た言葉は、「次回は証人として武山妖司氏を召喚する。」という言葉だった。なんと確信犯の中の確信犯の召喚である。この武山氏、篠田さんを処分した時の県教育委員会文化課の課長で、今もこのポストにとどまっているらしい。この言葉を聞いた途端、今まで「わからない。知らない。記憶にない。」を繰り返していた岩田氏に対する見方も、「当時の岩田氏の立場だったら、知らなかったことも本当だったかもしれない」と思えてしまうほどの、今度の篠田さん異動の顛末の全てを知っている人物である。他の者にまで追求の手が伸びるのを恐れて少しは答えるようになった岩田氏だったが、結局、岐阜県の文化財行政の事実上のトップが引きずり出される形になってしまった。大塩弁護士優勢と見ていた攻防戦は、いつしか風向きがかわり水谷弁護士優勢となっていた。「知らぬ。存ぜぬ。」で通させた水谷弁護士の作戦勝ちと言ったところか。南谷審理長にとっても「これでは何もわからない」といったところがあったのか、それとも大勢の傍聴人の無言の重圧が勝ったのか。とにかく次回3月3日は待ちに待った武山氏の登場となった。
岐阜県の文化財行政は、他府県の文化財関係者の発言を聞いたりしていると、随分な遅れを感ずる。仕事の途中で異動を命じたり、誰でも報告書は書けると言った教育委員会の行為は、素人目に見ても、とてもいい加減な行為としか思えない。この事は専門家の立場から見たらどうなのか、話を聞いてみたいと思ってしまう。今度の武山氏の証言で岐阜県の文化財に対する考え方が公の場で公表されることになり、岐阜県の文化財行政の実態を知っている人達が大いに注目することは間違いないだろう。幸いな事に、篠田さんは証人として考古学の研究者である石部正志先生を申請しているようである。武山氏の証言は勿論のこと、この石部先生の証言も聞いてみたい。
審理が始まった当初は労働組合問題も取り沙汰されていたが、今までこの事に全く触れられてこなかった。前回の審理の時、水谷弁護士はこの点を指摘していたが、南谷審理長も大きく首を縦にふってうなずいていた。この事も武山氏は充分把握しているのであろう。証言が待たれる。武山氏には、全てのことをさらけ出して話していただけることに期待したい。大勢の人があなたの証言を待っています。
水谷弁護士は、今回の篠田さんのケースのような、公務員を外部団体に派遣するにあたっての最高裁判決の判決文を準備書面として提出しているようである。これに対して、大塩弁護士はどのような反対書面を用意するのか。また南谷審理長は、どのような判断を下すのかも関心が寄せられる。
篠田さんを支援する人々は、文化財関係者ばかりでなく、様々な世界の人がいる。この人達の話を聞いていると、今までの自分の世界では、とても知り得なかった話が一杯耳に入ってきて何かしらワクワクする。こういった意味で、最初の私の不純な動機は、ほぼ満足させてもらったが、水谷弁護士の「次回からエキサイティングになりますよ。」という言葉がやっと本当になってきたようで、私はもう少しこのエキサイティングな攻防戦を見ていたいと思う。渡りに舟とばかりに乗った舟も、最初はカチカチ山の泥舟のようで、いつ沈没してもおかしくない状態だったが、今ではもう少し立派になって、やっとスクリュー全開になりかかってきている。もう少し乗っていようかな。背負い荷に火がついてあわてているのは、どうやら武山さんかしら。
『ちっとばか きばらまいか通信』第17号(1999年1月16日発行)より
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