岐阜県人事委員会における
第5回公開口頭審理のあらまし
(1999年3月3日)
審理長・南谷信子県人事委員会委員長
申立人代理人・水谷博昭弁護士
処分者代理人・大塩量明弁護士
証人・武山妖司岐阜県教育委員会指導部文化課長(申立人の処分当時、現在共)
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委員長「処分者側から平成11年2月25日付けで準備書面(5)、乙5号証が提出されている。申立人からは甲40号証、41号証が提出されているが、処分者側に渡っているか。乙14号証は原本か写しか。」
大塩「刊行物で、写しである。」
委員長「立証趣旨は。」
大塩「本件と近似した判決例の参考程度という趣旨である。」
委員長「甲40号証は。」
水谷「原本の抜粋です。」
委員長「立証趣旨は。」
水谷「処分者側は発掘と整理作業は連動しないと終始一貫主張しているが、昨年、申立人が最後に従事していた報告書が出たが、障害が出て作成者も認めていることを立証する。」
委員長「甲41号証の趣旨は。」
水谷「徳山の遺跡が全国的に注目を集めていることについての資料である。」
委員長「処分者側の証拠について、申立人側の認否は。」
水谷「認める。」
委員長「申立人側の甲40、41号証の認否は。」
大塩「認める。甲40号証は「例言」でよいか。」
水谷「奥付と序文も入っている。」
委員長「手続きはこの程度で。武山妖司氏の証人尋問を行う。」
(武山氏入室)
証人の名前、住所、職業、生年月日の確認、証人への注意事項の確認、証人宣誓の後に署名、捺印がなされた。
委員長「尋問は申立人が主尋問、処分者側が反対尋問でよいか。」
双方「はい。」
(申立人側の主尋問)
水谷「証人は文化課課長か。」
武山「はい。」
水谷「いつからか。」
武山「平成8年4月1日からである。」
水谷「文化課の所管する行政事務は何か。」
武山「一つは文化振興課で所管している芸術、芸能文化関係を除いたもの。、一つは文化財関係、一つは刀剣の登録、一つは関係機関に係わる仕事である。」
水谷「埋蔵文化財も所管しているのか。」
武山「文化財に係わることであるから、その通りである。」
水谷「乙21号証で徳山の埋文に関する水資源開発公団と教育委員会で交わされた契約書があるが、これも扱っているか。」
武山「はい。」
水谷「乙22号証で、県はセンターに埋蔵文化財の発掘調査等を委託するとあるが、これも扱っているか。」
武山「はい。」
水谷「乙23号証はセンターへの職員派遣の書類であるが、これも扱っているか。」
武山「はい。」
水谷「埋文の発掘等は教育委員会が行う場合もあるか。岐阜の場合はセンターに委託するのか。」
武山「開発業者が国、県、公団の場合は県が、平成3年にセンターが設置されてからは、そちらで行う。」
水谷「センターに発掘に関する事務を委託する場合、県がセンターにあれこれ指示することは。」
武山「連携を取りつつやっている。」
水谷「双方の連絡、調整を行うか。調査内容に関することか。」
武山「はい。」
水谷「発掘に関わることは委託するのか。」
武山「発掘に関することはセンターが責任をもってやってもらえる。試掘の段階等でセンターの一人よがりにならないよう、文化庁とも連携を取りつつ行っている。」
水谷「徳山の遺跡は全部で何か所が発掘調査の対象となっていて、調査は何か所終わっているのか。」
武山「全部で40か所くらいか・・・。発掘が終わっても発掘調査報告書が終わっていないものもある。完全には把握しかねる。」
水谷「センターに派遣する人材をどういう基準で、どの点に着目して選考するのか。」
武山「センターに派遣する場合、教員と専門的に任用した者の2種類がある。専門的に任用したものは県の方で試験をしている。平成8年度以降は採用はしていない。教員については教職員課によって文化課に登用されたものを派遣する。」
水谷「教員がセンターに派遣される場合、埋蔵文化財の知識は要件ではないのか。」
武山「人事移動を行う場合、何らかの経験があった方が良いとはいうが、基準はない。」
水谷「学芸員の資格を持っていた方が好ましいという基準はないか。」
武山「特に学芸員の資格は設けていない。」
水谷「徳山地区の遺跡で寺屋敷を知っているか。」
武山「学術的、文化的価値のある遺跡と認識している。県内には多くの遺跡があり、全てを把握しているわけではないが、3つの文化層があり、旧石器もあり、●●●。」
水谷「文化課内では重要な遺跡であるという判断はなかったか。」
武山「重要さの基準は遺跡の大きさや、県内、国内で初めて出てきたもので重要であるなど、様々である。一概に判断は難しい。どの遺跡も重要ではある。特に寺屋敷について重要であるとの議論を交わした記憶はない。」
水谷「文化課からセンターに派遣した職員がどういう仕事をしているか把握しているか。」
武山「それぞれの持ち場は掌握している。」
水谷「具体的に平成5〜7年度に寺屋敷を担当したこと、塚の発掘調査報告書を平成8年に担当していたこと、この業務の継続を希望していたにも関わらず派遣を解かれてたことを平成9年の段階で知っていたか。」
武山「平成5〜8年度は記憶が定かではない。平成8年度は年度の後半で知った。」
水谷「センターに派遣している職員についての業績や仕事ぶりはセンターから報告が来るか。」
武山「来る。」
水谷「文書で来るか。」
武山「勤務評定としてやる。」
水谷「年1回か。」
武山「毎年9月末か10月1日だったと思う。」
水谷「この手続きの1つの争点として、特定の遺跡の発掘をした人が、引き続き発掘調査報告書を書くのが望ましいのではないかということがあるが、あなたはどう思うか。」
武山「実は今年度、文化課の人事異動で多くの人が異動したが、組織として仕事をしていかなければならない。課全体、センター全体を考えた場合、合理性、効率性をみていかなければならない。やむえないことだと思う。」
水谷「1人の担当者が一貫して作業を行う方が望ましいのではないか。」
武山「否定するものではないが、組織全体で行うものである。」
水谷「一貫して行った方が密度が高く、より正確なものができるとるは言えないか。」
武山「否定はしない。」
水谷「処分者側から過去に発掘調査を担当しながら、報告書作成を行わずに転出していった例が提出されている。平成2年に下開田村平遺跡を只越さんと佐野さんが担当されているが、センター内にまだ2人が在籍していたのに報告書は出ていなかった。合理的な理由はあるか。」
武山「センターが出来る以前でもあり、私には答えかねる。」
水谷「具体的には申立人の仕事ぶりをどのように評価していたのか。」
武山「明確には記憶がないが、熱心な方だったような気がする。」
水谷「徳山の遺跡の調査に長期に関わり、色々な表彰もされている事を知っているか。」
武山「平成9年に知った。最初は知識として知った。」
水谷「平成9年3月末をもって派遣を解かれたが、彼を転出させることはいつ頃決まったのか。」
武山「私が承知したのは平成9年3月25日頃だったと思う。」
水谷「センターに派遣している職員を帰任させる場合、事前に意向調査があるか。」
武山「文化課とセンターを別組織として考えると、センターが行い、文化課は直には行なっていない。」
水谷「平成9年度は文化課は調査したと聞いているが、希望はどうだったのか。」
武山「転出の希望はないと聞いていた。引き続き寺屋敷の整理を担当したいと希望していたのを知っている。平成8年度は塚を担当していたのだけは知っていた。」
水谷「本人が希望していたのを知っていた。」
武山「はい。」
水谷「どういう配慮で、また誰の配慮であるか。」
武山「センター側の意見は40歳を過ぎて、将来しかるべきポストについていただくために異動も考えてもらって結構だということだった。」
水谷「あなたは文化課長としての責任を持っている。その立場からするとセンターから出て学校現場に戻ることで、申立人のやっていた仕事が中断してしまうことをどういう比較衡量したのか。」
武山「そもそも教員として採用されていることで、定年まではセンターにはいられない。戻っていただくためにはそういうことで戻っていただきたい。学校に戻る時期は学校のポストの関係もあり、分からない。また、組織としてセンターも機能しなければならないがセンターからも異動しても支障はないという意見であった。センターの機能や本人の将来を考えて、教職員課に伝えた。」
水谷「塚の発掘調査報告書がほぼ完成に近付いたことを知っていたか。」
武山「ほぼということを言えばそうです。」
水谷「寺屋敷の整理の希望を持っていたことも知っていた。」
武山「私は知らない。」
水谷「センターは申立人が引き上げられても、支障はないと言っていた。」
武山「全く支障はないとは言わないが、後任の者が報告をまとめられると言っていたと思う。」
水谷「結果的に支障は出たか。」
武山「平成9年度いっぱいかかって後任の者がやった。その後が寺屋敷である。」
水谷「甲40号証は塚遺跡の発掘調査報告書であるが、多少は読んではいるか。」
武山「目には触れている。」
水谷「センターの理事長が序文を書いている。そこには「報告書は現場発掘調査・整理調査に基づき、その成果をまとめたもので、一つの遺跡の調査が終了したことを意味します。」とある。次に「例言」の部分の5には「担当者の交替による制限があるため、事実ののみの記載にとどめた」とあるが、これはどういうことか。」
武山「私では充分に判断しかねる。時間的制約とは開発業者との委託契約がある。前の担当者から次の担当者への連携が充分ではなかった。」
水谷「塚遺跡は報告書作成に4年かかっているが、毎年、担当者が替わっている事を言っているのか。」
武山「私には分からない。」
水谷「事実のみの記載にとどめたことはどうか。」
武山「報告書は事実のみの記載で結構だと思う。研究論文ではないので。」
水谷「事実の学術的評価が記されていないのではないか。」
武山「私には定義はわからないが、開発業者から委託されるのは事実の記載のみであり、それがなされているから結構だ。」
水谷「処分者側提出の乙2号証に添付された「仕様書」の第8条に「発掘調査報告書は少なくとも次の事項を記述するものとする」とあり、その中に「結語」があげられている。塚遺跡発掘調査報告書のどこに「結語」があるのか。債務不履行ではないか。」
武山「結語をどのように理解すればよいのか分からないが、本文にそれが入っていればよいのではないか。」
水谷「結語とは遺跡に対しての評価的な部分を言うのではないか。」
武山「そのようなことが入っていればよいのではないか。」
水谷「同報告書の例言には事実のみの記載にとどめた、と書いてある。」
武山「私にはわからない。」
水谷「塚遺跡の例言から見る限り、報告者が替わるのは大きな問題があるとは思わないか。」
武山「人が替わったことによっては、どうかと思う。」
水谷「他に理由があるか。」
武山「申立人から新担当になかなか資料が渡らなかった。」
水谷「その程度ですか。」
武山「大変なことだと思う。」
水谷「申立人が派遣を解かれたことはセンター側の意向か、文化課側の意向か。」
武山「センター側から聞いた意見は転出の希望はないが、しかるべき時期に学校の主要なポストへ就いていただきたいので、適切な所があれば異動させてもらって構わない、ということだった。センターも仕事を支障なく引き続きやっていけるというので、教職員課にその旨の意見を述べた。」
水谷「その意見を信頼して、そうしたのか。」
武山「組織としてやっていかなければならないので。私の体験からの確信である。」
水谷「平成6年末にセンターに労働組合が出来たのを知っているか。」
武山「知っている。」
水谷「申立人の奥さんが支部長で、組合事務所が支部長宅になっていた事を知っていたか。」
武山「9年度末くらいに知った。」
水谷「申立人は課長補佐であったが、労使の関係になると管理者側になるのか。」
武山「労使の関係になると思う。」
水谷「センターと組合支部の関係では労使の関係になると思うか。」
武山「調査員が中心となって仕事をしているので労使の関係になると思うが、理事長などとは使労の関係になる。」
水谷「申立人の妻が支部長になっているので、裏で申立人が肩入れしているということを聞いていないか。」
武山「聞いていない。」
水谷「雰囲気もなかったか。」
武山「感じたことはない。」
水谷「岐阜県教育委員会事務局において、年度中に42歳になる場合、年度始めに補職名が一格上昇することは知っていたか。」
武山「知らない。」
水谷「センターに派遣された人を見ると、今言った扱いを受けた人が多い。」
武山「42歳というのは初めて聞いた。」
水谷「文化財行政の一端を担っているセンターが、埋蔵文化財の発掘・報告書の作成をしている特定の職員が途中で異動になっても、センターには何も言えないのか。中で担当が替わるという事も含めて。」
武山「配置についてはセンターに任せている。遺跡全体を一番詳しく掴んで、組織としてベターの大きい選択をされるのだから、センターに任せている。」
水谷「センターはどうやって決めるのか。」
武山「翌年度の早い時期に人事異動を無視して、それぞれの調査員の意見も踏まえて、来年度の事を決める。一方的に課長や部長が決めるものではない。」
水谷「課長に就任して、そういう人事に口をはさんだことはありませんね。」
武山「一切ない。」
(処分者側による反対尋問)
大塩「平成9年だけでなくともよいが、文化課の人事異動の規模は。」
武山「5〜6名だったと思う。」
大塩「昨年は。」
武山「昨年は少し少なかったと思う。」
大塩「センターから意向があって異動した中で、望む人と望まない人の割合は。」
武山「留まりたいという人が多かった。」
大塩「その結果を踏まえて、センターは将来も踏まえて、結構であったという意向か。」
武山「●●●」
大塩「みんな学校へ戻っているか。」
武山「学校へ戻った者もいるし、文化課へ行った人もいる。」
大塩「申立人の奥さんがセンターに勤めているのを知ったのは。」
武山「平成8年、秋頃に聞いた。」
大塩「岐阜一般労働組合の支部だとは聞いたか。」
武山「組合の人だとは聞いた。」
大塩「支部長という認識はあったか。」
武山「平成8年は文化課に入ったばかりで、いろいろと仕事が多くてそこまで考えが及ばなかった。」
大塩「そのことと申立人の異動は全く関係がないか。」
武山「全く関係ありません。」
大塩「塚遺跡は、申立人が発掘を担当したものではないか。」
武山「発掘担当者は違うと聞いている。」
大塩「塚遺跡は申立人が一番の適任者か。」
武山「私には分からない。平成8年には申立人が報告書を担当すると聞いていた。」
大塩「文化課では分からないのか。」
武山「センターで意見を決めている。」
大塩「発掘調査報告書に「結語」があるということを承知しているか。」
武山「基本的に私は埋蔵文化財の専門家ではないので。」
大塩「これは水資源に出す書類であるか●●●。」
武山「●●●。」
大塩「申立人の奥さんが支部長であるのを聞いたのはどのような状況か。」
武山「団交の報告というか、センターから文化課との相談の中でセンターから私が聞いた。」
大塩「どのような活動をしているか聞いたか。」
武山「組合としては知らない。奥さんと聞いただけで、どこで仕事をしているかくらいは聞いたかもしれないが、つっこんだ話はしていない。」
大塩「転出させる場合、センターの役割は。」
武山「センターとして職員の家庭の事情なども伝える。」
大塩「意見の来る時期はいつか。」
武山「平成8年の11月だったと思う。」
大塩「毎年決まっていないか。」
武山「だいたい11月中旬。」
大塩「その後どうするのか。」
武山「教職員課が指定した日に説明する。」
(申立人側による補足尋問)
水谷「申立人の奥さんは平成8年当時、長坂という通称を使っていたが、ご存じか。」
武山「それがきっかけで、センターから聞いた。」
水谷「文化課として、組合への方針はどうか。」
武山「平成7年度、1年間労働条件を巡って話合いがなされ、私が着任した時は大きな問題は結論が出ているからと聞いた。作業員の待遇が良くなれば、良いことだと思った。」
水谷「対組合への交渉の相談はあったか。」
武山「ベースアップなど予算的な事はあった。」
水谷「組合絡みの雑多な相談があったということは。」
武山「そうではなかった。」
水谷「委託料の額に係わるということか。」
武山「はい。」
以上で武山氏の証人尋問は終了し、武山氏退場。
水谷「課長を尋問したが、平成9年の4月の人事について申立人を出してもセンターの事務処理には影響はないので、適当な所があれば出してもよいということであったが、問題のある発掘調査報告書が出てしまっている。申立人の人事の妥当性を評価するうえで、次回はセンター理事長であった篠田幸男氏を尋問していただくようお願いする。」
その後、次回の証人尋問を巡って委員会が別室で10分間の協議の後、次回は申立人本人の篠田通弘氏を尋問することと次回の審理の日が委員長から述べられて審理は終了した。
(以上は当日のメモに基づくものであることをお断りします。・・・M.K.)
武山尋問を傍聴して
公務員にとって仕事とは何か
桐 生 正 市
2時15分、武山殀司証人入室。傍聴人の多さに少し驚いた様子だった。
委員長から氏名や住所などを聞かれてから、宣誓。仕事の内容について尋ねられると、はっきりとした声でスラスラと事業名を挙げ、自信のほどを伺わせた。ただ、時折処分者側をチラチラと見るのが気になった。
「課長失格だわ」
審理終了後の報告会で水谷弁護士より報告を受ける
この尋問の中で塚遺跡の報告書についてのやり取りが印象に残った。
担当者の交代で、事実のみの記載になったとわざわざ断りがあるこの報告書について、武山氏はそれで結構だと思いますと述べた。「結語」(考察・分析のこと)が抜けているにも関わらず、それで結構としたのである。さらに水谷弁護士から、なぜこうなったと思うかと問われたら、武山氏は「申立人からの引継ぎが正確に渡らなかったと聞いている」と答えた。つまり、篠田さんが引継ぎをしっかりやらなかったことが原因だいうのである。その時、篠田さんの表情は険しくなり、証人をにらんでいるように私には見受けられた。篠田さんは異動後も塚遺跡の報告書作成にボランティアでいいから協力したいとセンターに申し出ている。しかし、センターはそれを断った(『きばらまいか通信』第2号)。そこまで熱心な人が、引継ぎをおろそかにするだろうか。
それにしても、武山氏にとって仕事とは何だろうか。公務員の職務をどう考えているのだろうか。文化課長という文化財保護行政のトップにありながら、寺屋敷遺跡の重要性をほとんど認識していない。分析のない報告書を「結構」と言う。この答弁から、文化財保護のプロフェッショナルらしさはまったく感じられなかった。文化課長のポストは出世のための腰かけなのか。尋問の途中、傍聴席から「課長失格だわ」との声が漏れた。私も同感だった。
行政より役人の利益が優先か
大袈裟な言い方だが、今回の尋問でこの問題の本質が見えた。
これまでの本審理の中で、申立人個人の不利益か行政全体としての不利益かが問題になってきた。篠田さんは文化財保護行政としての問題と訴え、センター側は給与や地位の面で篠田さんは不利益を受けていないからいいではないかと主張している。
私はこの議論がおかしくてしょうがない。行政(まさに公務)に支障があるかを問題にせず、個人の不利益に限定するのはどういう了見なのか。市民の側から、公務などどうでもいいから個人の利益のみを考えろというのならわかるが、役人が役人の利益を重要としていることがどうも納得できない。いや、納得できないというより、なぜそのような理屈が通用するのか不思議だった。
しかし、今回の審尋を聞いて、その疑問がとけた。役人にとっては行政全体のことより自分の利益、それこそ給料や地位が重要なのである。だから処分者側は、異動による篠田さんへの不利益はなかったというのだろう。寺屋敷遺跡や塚遺跡の調査が十分にできず、文化財保護行政に支障が出てても構わないのである。
以前、愛知県のある職員から「県にとっては県民が豊になればいい」と聞いたことがある。ところが、愛知県は大型事業を闇雲に進め、借金で首が回らなくなろうとしている。その人が言ったことは単なるスローガンにすぎず、県民は無視されているのが現実である。だが、この言葉はどこの自治体でも当たり前でなくてはならない。岐阜県ではどうだろうか。
武山氏と前回の証人の岩田義孝氏に一度尋ねてみたい。あなた誰のために、何のために仕事しているのですか、と。
(『ちっとばかきばらまいか通信』第19号より)
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第5回公開口頭審理を傍聴して
M.K.
今回の訴訟では何かと寺屋敷遺跡の重要性が脚光を集めていますが、申立人の篠田先生が転任になる直前というか、前日まで整理を行っていた塚(塚村平)遺跡も、整理作業に係わった者の1人として言わせてもらえれは、わずか1355平方メートルの調査で約七万点の遺物が出土するという、実はバケモノ級の遺跡でした。
平成2〜3年に岐阜県文化財保護センターによって発掘調査がなされた結果、縄文時代中期後半に急激に拡大し、後期前半まで継続するという徳山地区の縄文時代遺跡の典型的な例となり、検出された遺構もその時期の住居跡7軒(内1軒は西濃地方では珍しい石壇状遺構を持つ)が大規模な集石遺構を取り囲むように配される、環状集落となる可能性が高いと思われます(先日、朝日新聞で同様な遺構が塚奥山(宮ケ原)遺跡でも検出され、大きく報道され、その重要性が国学院大学の小林達雄教授により高く評価されています(『ちっとばかきばらまいか通信』第17号))。出土した遺物も膨大な量で、特に後期前半のまとまった土器群は徳山地区だけではなく、多くの議論がなされている該期の東西関係に有益な資料となるものと思われるものです。ここのような塚(塚村平)遺跡の重要性については異動処分発表当日の1997年4月1日、伊藤禎樹さんがただちにセンター理事長に対して出された要望書の中でも詳しく触れておられます(『ちっとばかきばらまいか通信』第2号)。
しかし、実際に出版された報告書にはこれらの調査の成果の記述がほとんどなされていません。たとえば、塚(塚村平)遺跡が縄文時代中期後半から後期前半にかけての集落跡であるという記述も、各住居跡がいつのものであるのかという記述もありません。また、そこから導きだされる、なぜここにムラができ、そこで人々がどのような生活をしていたのかということが記されていないのです。その遺跡に最も深く係わったはずの担当者が報告書でその遺跡の持つ意義や歴史的位置付けを試みなければ、一体誰がどこでそれをできるのでしょうか。なぜ、このような報告書が出てしまったのか。原因はいろいろあるかとは思いますが、担当者の一定の方針の下に進められたはずの報告書の作成が、最終段階で担当者が交替するというのが最大の理由だと思います。
今回の審理で文化課課長の武山氏はこの報告書を結構だと認め、開発業者のために報告書を作成するようなニュアンスの発言でしたが、私達の共有の財産であるはずの先人の遺跡を報告書でしか見るこのできない私達は何から郷土の歴史を知ればよいのでしょうか。
(『ちっとばかきばらまいか通信』第19号より)
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