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8月11日。猛暑と春学期の終わり/帰省と出張/腰痛と座椅子/バジル この前ここに書いて以来の、まずは7月になにがおこっていたのかというと、とにかく暑かった。猛暑というのが単なる修辞ではなくてなにしろ猛暑日というのがちゃんと決まっていてそれが連日続くもんだから、ああなるほど猛暑なのだとすぐわかるようになっていて便利である。便利なのはいいとしてしかし、そんなに暑くていいのだろうか、まだ7月だぞ、という思いもなくはなかった。暑いだけならまだしも、さっぱり雨が降らないので農作物の心配だとか水不足の心配だとかも重なった。しかしまぁここでひとりであれこれ思ったり案じたりしたところでなにひとつ天気に影響を与えることはないわけなので、まぁもっぱら個人的なエンタテインメントの一環として気をもんでいた。そうこうするうちに春学期の授業期間が終わったので、気持ちは明るかったわけである。こんなに猛暑で真夏のようだ、しかしまだ7月じゃないか、夏本番はむしろこれからだぞ、というのは、ある種の錯覚的な気分上の余裕さえ与えてくれていた気がする。 * そして7月末には毎年恒例の学生さんの実習のごあいさつ出張。なのだけれど今年は偶然、2件の実習が、ちょうど日程もかさなりつつ帰省のルートであったので、ついでに短く帰省することにした。出張のついでなので日程的には一瞬だったけれど、れいによってビフテキなどいただいたり、のんびりと長くなって「劇的ビフォーアフター」なんか見ていたりしてよかった。今年は気が付けばほぼ毎月帰省していることになる。まぁ、それぞれなんやかんやで用事があってということではあるし、まぁ慣れれば移動の大変さもちょっと軽くなるというのはあるかもしれない。まぁそれはそれとして週明けの朝に実家を早く出て出張先に向かい、炎天下を歩き、それから汽車で移動してビジネスホテルで一泊(夕方に観光もかねて少しうろうろ)、翌朝早く起きて実習先その2に向かい、まぁ無事に任務完了してまた炎天下を歩き、スマホを頼りにバス停を見つけて30分待ち、無事駅前について無事汽車に乗りなんやかんやでくたびれて帰宅。まぁしかし夏の懸案の実習ごあいさつ出張が無事終了してよかった。それでまだ7月じゃないか、なんだか得をしたような気がする、とまぁ思っていたわけである。 * サザエさん症候群、というものがあり、日曜の夕方になると物淋しいような気が滅入るようなかんじになるとしたものなわけだけれど、8月に入るともうそんなかんじになって、ちょこちょこと入る会議やらなんやらに気を取られて夏らしい余裕もないまま気が付いたらもう上旬は終わっている。立秋も過ぎて暦の上ではもう秋だというのである。 * 時間に余裕ができたら落ち着いて本を読もう、DVDで映画をあれこれ見よう、と思っていたのだけれど、少し前に居間の座椅子が壊れていて、どうも落ち着いた姿勢で本を読んだりテレビを見たりできないなあというのがあった。しばらく案じたのち、大きめのビーズクッションを買ってそれでうまくいくかと思っていたのだけれど、これもどうも中途半端で落ち着かないしなんとなく腰が痛くなるのではという気もしてきた。そこでやはり座椅子を買いなおすことにしてお近くのニトリで買ってきた。これが合うかどうかはまだわからないけれど、ビーズクッションよりは安定した姿勢でテレビが見れそう。などといいつつ映画は見れておらず、サザエさん症候群になっているという次第。 * ベランダのバジル、この夏はたいへんによく育って、使い切れないぐらいである。バジルオイルを作るだけでなく、肉に魚にパスタにトーストに、なんだかバジル三昧の食生活を送っている。なんならハーブというよりむしろふつうの青物の野菜ぐらいのいきおいでたべている。けっこうなことである。 |
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9月26日。雨がさあっと降って夏が終わった。秋学期が始まった。 だいたい9月に入っても暑かったわけで、ニュースでは猛暑日だみたいなことを言っていた。猛暑日と熱帯夜が60ー60日だとか大谷翔平みたいなことを言っていたわけだったのが、あるときふと、この雨が秋を連れてくるでしょうみたいな文学的なことを言ったかと思ったらほんとうに一日で季節が変わった。文学もなかなか役に立つらしくうそみたいに涼しくてさわやかな秋晴れである。でもって秋学期が始まった。 * この前ここに書いたときがお盆前で、それでお盆休みに帰省したんだった。台風で新幹線が動かなくて旅程が一日短くなったけれど、まぁゆっくりとさせてもらった。れいによって「なんでも鑑定団」とか、あと「激突メシ上がれ」の再放送や特番とか、「バス旅」の再放送の太川蛭子コンビ最終回なんかを見てたわけである。思えば今年の前半はなんやかんやで毎月のように帰省していた気がする。 * お盆休みが明けて阿鼻叫喚の巷に舞い戻ると、なんだかもう通常営業みたいな気になってきて、まだ授業期間には1か月もあったというのに気ぜわしく過ごした。今にして思えば、もうすこしぐらいのんびりできたのではないかと思うんだけれど、まぁサザエさん症候群というのですかね。リフレッシュというのはなかなかむずかしいものです。 * この夏はしかし、とくに後半にかけてひとつテーマというか、読書というのをしたいものだなという気持ちをもちながら過ごしたというのはある。読書についてとか、蔵書に囲まれた生活についてとか、そんな感じの本を読んだりしていた。いや、読書についての本を読むよりは、たんに読書をすればいいではないかということではあるのだけれど。夏のあいだ、通常の授業なんかから少し離れて、この隙になにか生活を向上するてがかりが見つかればいいなあと思っていたわけだったんだけどまぁしかしなかなかそううまくいくわけもなく秋学期は始まってしまったわけではあるが、それはまぁそういうものである。このところは、トーハンがやってるYouTubeチャンネルで「出版区」というのを熱心に見ている。本好きのタレントとか作家とかを本屋さんに連れて行って、一万円わたしてどんな本を買うのかを映すというもの。ひとが本の話で盛り上がったりしながら本を買いまくったりしているのを、いいなあと見ている。たまにアイドルみたいな人がみかけによらずハードな読書家だったりして、そういうときはやはりすごいなあいいなあと感心する(このばあい、文化資本とかなんとか持ち出すのは野暮である)。それで熱心に次々と動画を見ているうちに休日も終わってしまう。このばあいやはりYouTubeなど見ていないでたんに本を読んだらいいのではないか、という正論が心に浮かぶわけなのだが、しかしまぁようするに人間というものはそういう風にはできていないということなんだろうね。 * 夏が終わるなあと思いながら枝豆をゆがく。さいきんうまい塩ゆがき方の要領を会得したようである。余勢を駆ってブロッコリーもひんぱんにゆがくようになった。電子レンジで加熱するよりおいしくできる。一株を小房に分けてからすこし固めにゆがいてコリコリむしゃむしゃと食べて、あとは冷蔵庫に入れておくとじきになくなる。 |
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10月31日。このところなにをやっていたのか。 まぁ秋ですね。急に肌寒くなってきた。まぁ晴れた日はたいそう爽やかな秋晴れということで結構である。秋学期のだいたい三分の一が過ぎて、ペースがつかめてきた。まぁ淡々と平常運転をすべしということである。 * このまえもここに書いた、トーハンがやっているYouTubeチャンネルを見て感化されたのが大きいわけだけれど、なにか小説的なものを読みたいような気になり、さしあたり下宿のつんどくの中から何冊か読んだりしてときならぬ読書の秋である。いやじっさい秋なんだから、ときならぬ、はおかしいという理屈もあって、まぁそれなら時まさに読書の秋、ということでもいい。週末とかに下宿でほんの数冊、つんどくになっていた小説を読んだだけだけれど、まぁとくに傑作とかなんとかを読んだとかそういうことでもないのだけれど、やはりいいもんだなあと思う。 * そしてまた今期の朝ドラは楽しみに見ている。なにしろラフカディオ・ハーンというのは我が母校の先生だったわけで、郷里が舞台となっているとあれば毎朝たのしく見ることになるわけである。どうせ撮影は京都かなんかの撮影所でやってて、あそこに出てくる湖はCGだったり琵琶湖だったりするんだろうけれど、松江だと言われればそのような思い入れで懐かしいかんじがする。主演の高石あかりはベティ・ブープにちょっと似たかんじの不思議な女優さんで、「あっ」とか「え」みたいなちょっとしたフィラーの呼吸が自然で意外なコメディエンヌぶりがいいかんじである。あと、おはなし的には息の長い伏線で泣かせるみたいなのがうまくいってると思う。 * 夏に下宿の契約を更新して、それでうすうす感じていたわけだけれど、この下宿にちょうど20年住んでいることになる。ここのこの欄の2005年の秋のところに、引っ越しをしたと書いているわけで、そこからつまり20年が経って現在は2025年の秋である。まことに時の流れるのはあっというまだ。まぁだからといってなにをどうするわけでもないのでなるべく淡々と平常運転をすべしということだろう。 |
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12月3日。だいぶ寒くなってきた。このところなにをしてたか。 だいぶ寒くなってきた。晩秋から冬になりつつある。小さいころの記憶であれば、11月の下旬ぐらいにはみぞれが降ったりという記憶があり、神社のお祭りに行き、バスから降りてみぞれの中を歩いたみたいな印象があるわけである。そのころよりは全般的に暖かくなってきたんだろうし、実家のあたりよりいま住んでるところのほうがだんぜん、気候がカラッとしているというのもある。まぁでも学生時代の記憶でいっても、この時期は大学祭があってやはり寒かった覚えはある。風が冷たくて、缶コーヒーを懐に入れてカイロ代わりにして学校から自転車で帰ってたような覚えがある。 * 今秋は全国的に熊が出ている。最初は山のどんぐりが不作なのでぐらいの話だったはずなのが、最近の話題だと、熊が人里を良い餌場と認識し始めたとか、人間をたベものと認識し始めたとか、ずいぶん剣呑である。身の回りでは人的被害の話がないのは幸いだけど、大学の近所でも下宿の近くでも目撃情報らしきものがあり、まぁ心証的にこれは見まちがいだろうなあというものを差し引いても、射程圏内には入ってるなぁという感覚はあって、ぞっとしないわけである。それにしてもあれですね、熊の認識どうのこうのを気にしながら暮らす未来など想像してなかった。全国でいっきにこんなふうになるというのもふしぎなことだ。熊の組合のほうで通達でもあったのかしら。 * ことしは学会に行ったのであった。7年ぶり?である。たぶん平成最後の夏の、台風で二日目が中止になった、佛教大であったときに参加したのがさいごで、次の年に行かなかったらその翌年からコロナ禍&学部長が当たって不参加、そこから気がつけばの7年だったわけで、ところが今年は久々に司会が当たったしまぁ近場だったので重い腰を上げて、令和初の学会参加である。学会参加の申し込みがオンラインになっていたり、要旨集もオンライン配布になっていたり、まったく浦島太郎のようなもので、司会のやり方もすっかり忘れてしまったなあと思っていたところ、初日あさイチの「T−1部会」にあたってしまったのでほかの先生の司会ぶりを見て思い出したらいいかなという思惑も外れ、あせったわけである。当日配布資料もオンラインに上げておけますみたいなことになっていて、え?待って待って?紙でくれないのか?令和やばくないか、と思っていたところ、ちゃんといただけたのでよかった。それで司会はどうだったのかというと、たぶん無難にはできたのだろうと思い、なにしろご発表の先生方がちゃんと発表されたので、部会は雰囲気よく盛況だったと思う。同時に、ほんとうをいえば部会の時間が圧倒的に足らなくて、ほんとうを言えばひとり発表1時間、討論2時間ぐらいやらないとちゃんと議論がつくせないじゃないかと思っているわけで、それが発表20分、質疑5分、総括討論が合わせて20分では、なにもできないではないかという思いは昔からあり、けっきょく学会から足が遠のいていたのにはそういう気分のもんだいもなくはなかった。もちろんそれは、学会という枠組に期待できる時間枠ではないわけで、つまり学会を「見本市」とするならその手前のところに実質的なディスカッションやコミュニケーションや研究交流の場としてたくさん日常的に大小各種の「研究会」が回っていないとそうした実質的な議論は担保できないだろうなあという、まぁいつも思っていながらけっきょく実現できていないことにつながるわけである。ただとにかく現実にはそのようなことにはなっていないので、自分のようなことを言っていてもたぶんピントはずれなだけということになるのだろう。帰りに駅の近くの大型書店に寄り、1万円で買い物、というのをやってみたら以前から買おうと思っていた本を4冊買っただけであっというまだった。まぁそれでも一瞬でお札が消えたのはちょっと買い物した感があってよかった。 * それで引き続き、本を読もうという機運は続いている。買ってきた本もだけれど、下宿の本棚を見やるとつんどくになっている本がたくさんあるのだった。ブローティガンとかバーセルミとか読んでて、わるくなかった。バーセルミなんてさっぱりわけがわからなかったわけだけれど、わけがわからない小説をのんびり読む休日というのもなかなか得難いものである。 * 今年もまたひとつ年をとり、と書いて、そりゃしかし定義上そうだろうと思いなおし、まぁしかし当たり前のことに感慨深くなってしまうものだよなとまたあらためて思いなおした。あるいは、年をとっていくということが当たり前に進んでいくのだなあということに感慨を覚えるといったらいいのかしら。だからなにがどうなるというわけでもない。時間が経過して自分もまた年をとっていくという当たり前のことが起こっているだけである。ともあれ今年も鯛を買ってきて焼いて祝った。めでたいことである。 * キャベツが安かったので買ってきてポトフを作る。鶏の手羽先や手羽元を入れて作り、合い挽きとソーセージを入れて作り、つみれ団子と油揚げを入れて作り、ポトフの登板回数が増えてくるわけである。この時期、ポトフをつくっておいてちくちくと食べるとあったかくておいしいですね。意外に人参がおいしい。 |
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12月27日。年末。このところなにをしていたのか。 ことしも年末。曜日のぐあいで世間でも26日が仕事納めの人がけっこういたのでは(と言った瞬間に、人が休んでいる時に働く人、世間のみなさんの休みの楽しみを支えてふつうに働いている人、がかならずいるのだ、ということにもなるわけだけれど)。ともあれ、12月は卒論提出の時期でもあり、年末進行の時期でもあり、来年度に向けてのあれやこれやを相談し始める時期でもあり、まぁそれなりにせわしなくあっというまに過ぎたわけである。授業を終えて、冬休みの宿題にある程度の目鼻を付けて、週末かつ年末に突入。げんきんなはなし、少し睡眠のぐあいがよろしい(Fitbitの数値がそうだし、なによりしっかり眠れて夢を見てすっきり目が覚めるのだからよろしいのだろう)。 * 卒論については、ことしは7人の指導ということだったが、まぁさほど心配をかけてくれる者もなく、やや心配だったやつもはやめにめどがついて、まぁ結果としては楽しくできた。今年度はなんとなく、「なんでも自分の好きなテーマでやりなはれ」というゼミみたいになったかんじで、そうすると結果として、あれこれのテーマを料理する方針が自分好みの社会学風味に(あるいは思いがけずハード哲学風味に)なりがちになって、まぁ私はたのしくできたのだけれど、社会教育の学科でそれがどこまで評価の点数に結びつくかはよくわからない。まぁ、学生さんたちには、まぁ私にだけ刺さる論文になるかもしれんが私は刺さるからねえ、とかなんとか言ってて、まぁしかし一年間つきあってきた学生さんたちのなかには、それでいいんじゃないですかね、みたいなことをいうものもいたりして、まぁその意味でも共犯者的な楽しさのあった卒論ではあった。口頭試問が楽しみなことである。 * さて、そういうかんじの年末。今年を振り返るとどうだったか、というと、まぁ淡々と、あっというまに、一年が過ぎたなあと。まぁ淡々と過ごせたなら結構なことである。来年も良い年でありますように。 |