[トップページ] [平成11年下期一覧][地球史探訪][210.759 大東亜戦争:和平への苦闘][253.073 アメリカ:太平洋戦争]


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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (99)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成11年8月7日11,906部発行
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_/_/       地球史探訪:冷戦下のヒロシマ
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/    1.不必要だった原爆投下
_/_/    2.原爆という切り札
_/_/    3.トルーマンの強気
_/_/    4.ロシア参戦の前に片をつけたい
_/_/    5.日本は降伏しようとしている
_/_/    6.日本の降伏を阻んでいた「無条件降伏要求」
_/_/    7.削除された「天皇制容認」条項
_/_/    8.冷戦の最初の犠牲者
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■1.不必要だった原爆投下■

   アイゼンハワー連合軍最高司令官(後の米国大統領)は、ステ
  ィムソン陸軍長官から、原爆使用の計画を聞かされた時の事を思
  い出して、次のように述べている。
  
     彼が関連の事実を述べているうちに、自分が憂鬱な気分にな
    っていくのが分かって、大きな不安を口にした。まず、日本の
    敗色は濃厚で、原爆の使用は全く不必要だという信念を持って
    いた。・・・ 日本はまさにあの時期に、「面目」を極力つぶ
    さない形で降伏しようとしていると、私は信じていた。[1,p11]
    
   当時の米陸海軍の高官たちは、異口同音に原爆使用が不必要だ
  ったと述べている。たとえば:
  
   アーネスト・J・キング米艦隊最高司令官:(原爆も日本本
    土への上陸作戦も必要ないとして)なぜなら、じっくり待つつ
    もりさえあれば、海上封鎖によっていずれ石油、米、薬品など
    の必需品が不足し、日本人は窮乏して降伏せざるをなくなるか
    らだ。[1,p471]
    
     カーティス・E・ルメイ陸軍航空軍少将:(B29の空襲に
    より、日本にはすでにめぼしい爆撃目標がなくなりつつあり)
    ロシアの参戦がなく、原爆がなくとも、戦争は二週間で終わっ
    ていただろう。[1,p485]
  
   同様な見解を漏らした米軍人としては、ウィリアム・D・レイ
  ヒ海軍大将・大統領首席補佐官、チェスター・ニミッツ提督、ウ
  ィリアム・ハルゼー大将、ヘンリー・H・アーノルド陸軍航空軍
  司令官、そしてあのダグラス・マッカーサー元帥など枚挙に暇が
  ない。
  
   これら米軍高官たちの意見を無視して、トルーマン大統領は広
  島、長崎に原爆投下を命じた。その狙いは何だったのか?

■2.原爆という切り札■

   1945年5月6日、英首相チャーチルは、緊急の米英ソ首脳会談
  をトルーマンに提案した。ソ連は占領下のポーランドで傀儡政権
  を作り、16人の地下活動家を逮捕していた。このままでは東欧
  全域がソ連の勢力圏内に入ってしまう、と危惧したのである。
  
   トルーマンの回答は、会談には賛成だが、7月15日以前では
  出席できないというものだった。「会計年度内に予算教書を作ら
  ねばならない」という理由に、チャーチルはあきれ、怒った。何
  度も早期開催を要求したが、トルーマンの返事は変わらなかった。
  
   トルーマンが、ポツダム近郊でスターリンと会談をしたのは、
  7月17日正午であった。そのわずか21時間前に、米国ニュ
  ー・メキシコ州で世界最初の原爆実験が成功していた。
  
   科学者たちは悪天候のために、実験延期を主張していたが、責
  任者のグローブス少将は強行させた。「ポツダムの事がそんな具
  合だったから、・・・延期できなかった」と後に語っている。ト
  ルーマンは、原爆という切り札を手にしてから、スターリンと対
  決しようと考えていたのである。

■3.トルーマンの強気■
  
   チャーチルは本会議の始まった瞬間からトルーマンが強気なの
  に驚いていた。原爆のことを知った後で、彼はスティムソン陸軍
  長官に語った。
  
     昨日トルーマンに何があったのか、やっと分かった。私には
    理解不能だった。この(実験成功の)報告を読んだ後で会談に
    やってきた彼はまったく別人だった。とにかくロシア人に向か
    ってああしろ、こうしろと指図し、初めから終わりまで会議を
    取り仕切っていた。[1,p372]
    
   一方、スターリンも、スパイによって原爆の情報をつかんでい
  た。宿舎に帰ってから、モロトフ外相に言った。「クルチャトフ
  に、すぐに連絡して、仕事を早めろといっておこう。」 クルチ
  ャトフとは、ソ連の核開発の責任者である。[2,p82]
  
   これが米ソの核軍拡競争の始まりであった。

■4.ロシア参戦の前に片をつけたい■

   米国は45年4月半ば位までは、日本を降伏させるために、ソ連
  の参戦は必要不可欠だと考えていた。本土侵攻のためには、関東
  軍を満洲に釘付けにしておかねばならず、そのためにソ連の北か
  らの攻撃が必須であった。またソ連の参戦自体が、日本を降伏に
  追い込む大きな衝撃になりうると考えていた。
  
   しかし、その後、米海軍が制海権を握ったことにより、関東軍
  の帰国を阻止できる見通しがついた。またB29による絨毯爆撃
  で、日本本土侵攻自体ももはや不要という見方が広がっていた。
  
   さらにソ連を参戦させることは東ヨーロッパのような厄介な問
  題を極東に持ち込む恐れがある。「ロシアが参戦する前に何とし
  ても日本問題に片をつけたい」(バーンズ国務長官)というのが、
  当時のアメリカの本音だった。[1,p392]
  
   スターリンは5月7日のドイツ降伏から3ヶ月たてば、対日参
  戦すると約束していた。8月の初旬である。後のニキタ・フルシ
  チョフ首相は次のように回想している。
  
     スターリンは軍の幹部に、できるだけ早く軍事行動を始める
    よう圧力をかけた。・・・ 参戦する前に日本が降伏すればど
    うなるか。ソ連にはまったく借りがないとアメリカは主張する
    だろう。[2,p88]

■5.日本は降伏しようとしている■

   冒頭で引用した「日本は降伏しようとしている」とのアイゼン
  ハワー司令官の言葉は、まさに当時の米国首脳部に共通の認識で
  あった。
  
   日本の暗号はすべて解読されており、日本政府内のやりとりは
  筒抜けになっていた。7月12日には、東郷外相がモスクワの佐
  藤大使にあてた電報が傍受されている。
  
     天皇陛下は、現今の戦争が日々、すべての当事国の国民によ
    り大きな災いと犠牲をもたらしていることに配慮され、心より
    早期終戦を望んでおられる。
    
   そして戦争終結に向けてソ連の支援を要望する親書を携えた天
  皇の特使をソ連政府が受け入れるように要請していた。[1,p332]
  
■6.日本の降伏を阻んでいた「無条件降伏要求」■

   日本の降伏に最大の障害となっていたのは、ルーズベルト前大
  統領が言い出した「無条件降伏」であった。無条件降伏ともなれ
  ば、占領、賠償金、領土割譲、戦争指導者の処刑など、戦勝国に
  何をされても文句は言えないわけで、国政に対して責任を持つ政
  府が受諾できるものではない。無条件降伏を求める事は、「全滅
  するまで戦うしかない」と相手を追い詰めることに他ならない。

   降伏条件を明確にすることで、日本が望む降伏への道を早く開
  き、連合国側の犠牲を食い止める事ができる、というのが、当時
  の米国首脳部の一致した意見であった。
  
   トルーマン大統領に対して、「降伏条件の明確化」を訴えてい
  たのは、グルー国務長官代行、フーバー元大統領、レイヒ大統領
  首席補佐官、スティムソン陸軍長官、バード海軍次官、統合参謀
  本部など、米国指導者のほとんどであり、チャーチル首相と英軍
  トップの指導者全員がこれを支持していた。[1,p432]

   さらに米国のマスコミも、ワシントン・ポスト、ニューヨー
  ク・タイムズ、タイム、ニューズウィークなどが条件明示による
  早期戦争終結を主張していた。

■7.削除された「天皇制容認」条項■

   日本側が受諾可能な降伏条件として、天皇制の存続を認めるこ
  とが不可欠だという点は、米政府内の一致した見解であった。ま
  た国内外に残る数百万の日本軍に降伏を受け入れさせるためにも、
  天皇の命令が必要だと米軍トップは認識していた。
  
   このような主張をもとに、米国務省、陸軍、海軍三省の合同委
  員会によってまとめられたポツダムでの声明案第12項には、次
  のように、天皇制の存続を認める一節が含まれていた。
  
     これらの目的が達成され、日本国民の総意を代表する平和志
    向で責任ある政府が疑いの余地なく樹立されるのと同時に、連
    合国の占領軍部隊は日本から引き揚げる。
    
     そのような政府が将来の日本において侵略的な軍国主義の台
    頭を許さないという決意で平和の政策を実施すると、平和を愛
    好する国々(連合国)が確信をもてれば、現在の皇室の下で立
    憲君主制ということもありうる。[1,p430]

   しかし、7月26日に発せられたポツダム宣言では、この後半
  部分がトルーマン大統領とバーンズ国務長官により削除された。
  
   日本政府はそのために、ポツダム宣言をいったんは「黙殺」し
  たが、8月6、9日の広島、長崎への原爆攻撃、および、8日の
  ソ連の宣戦布告の後の10日、「国家統治の天皇の大権にいかな
  る変更も加えるものではないという了解のもとに」受諾した。
  翌11日、連合国側から日本の降伏を受け入れる回答がなされた。
  
   日本側の条件は、まさにポツダム宣言から削除されていた天皇
  制容認条項と合致している。トルーマンはこの条項を一旦削除し
  た上で、日本側から要求されると、すぐに了承したのである。

   マッカーサーは「アメリカが後に実際にそうしたように、天皇
  制の維持に同意していれば、戦争は何週間も早く終わっていたか
  もしれなかった」と述べている。[1,p508]

■8.冷戦の最初の犠牲者■

   となると、問題なのは、なぜトルーマンが一時、ポツダム宣言
  から天皇制容認の条項を削除したかである。大統領の7月25日
  の日誌にはこうある。[1,p436]

     われわれはジャップに降伏して命を救うように要請する警告
    の声明を発表する。だが、やつらは降伏しないであろう。
    
   トルーマンは日本が受諾しないだろうと知りつつ、ポツダム宣
  言から天皇制容認条項を削除し、戦争を長引かせるような措置を
  意図的にとった事になる。
  
   そして、同じくこの25日早朝には、ポツダムからワシントン
  の国防総省に、「8月3日以降なるべくすみやかに原爆を落と
  せ」という命令が届けらた。原爆投下はポツダム宣言発表の前日
  に、すでに命令されていたのである。

   トルーマンの意図について、歴史家のハーバート・ファイスは
  こう述べている。[1,p457]
  
     原爆の威力を実際の戦闘で実証すれば、ソ連と対立していた
    問題の解決でアメリカ政府の威信を効果的に増大できるだろう
    と考えられていたことは大いにありうる。
    
     そして、彼らは誇示する力が強力であることを望み、また、
    それは原爆の威力がおびただしい数の死傷者によって示されて
    初めて可能だと考えられたと、さらに推論することができる。
  
   トルーマンは、ソ連を威圧し、極東での発言権を封じるために、
  原爆の威力を実戦で見せつけ、原爆が−ソ連参戦でなく−日本を
  降伏に追い込んだという形を狙った。そのためには、原爆投下前
  の日本降伏は避けねばならず、ポツダム宣言を日本がすぐには受
  諾できないように改変した。これが、[1]の著者アルペロピッツ
  が唯一成り立ち得る仮説として述べているものである。
  
     原爆投下は第2次大戦最後の軍事行動というより、ロシアと
    の外交上の冷戦における最初の主要な作戦だった。(イギリス
    のノーベル賞物理学者P・M・S・ブラケット)[1,p181]

   とするならば、広島の20万人以上、長崎の7万人以上の死者
  は、米ソ冷戦の最初の犠牲者だったということになる。黙祷。

■ 参考 ■
1. 「原爆投下決断の内幕・上」、ガー・アルペロビッツ、ほるぷ出版、
  H7.8
2. 「アメリカはなぜ日本に原爆を投下したのか」、ロナルド・タカキ、
  草思社、H7.6

© 1999 [伊勢雅臣]. All rights reserved.