[トップページ] [平成12年一覧][人物探訪][210.77 独立後][250 北アメリカ][319 国際親善(欧米)]


     _/    _/_/      _/_/_/  人物探訪:ニミッツ提督と東郷元帥
        _/  _/    _/  _/         
       _/  _/    _/  _/  _/_/                           22,107部 H12.03.05
 _/   _/   _/   _/  _/    _/  Japan On the Globe(128)  国際派日本人養成講座
  _/_/      _/_/    _/_/_/   _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

■1.ニミッツ提督■

     チェスター・W・ニミッツは、日本軍による真珠湾攻撃後に
    更迭されたキンメルの後任として、アメリカ太平洋艦隊司令長
    官に任命された。
    
     開戦直後から終戦に至る全期間、米海軍の太平洋方面の最高
    指揮官を努め、延べ5千隻の艦船、1万5千機の飛行機、2百
    万の将兵を統率して、米国に勝利をもたらした。
    
     そのニミッツ提督が尊敬してやまなかった海軍軍人が、皮肉
    にも敵国日本の東郷平八郎元帥であった。日本敗戦後の9月2
    日、ニミッツはアメリカ合衆国の全権の一人としてミズーリ艦
    上で、日本降伏受託書に署名した。

     彼は調印式の前日、東郷元帥が日本海海戦を指揮した旗艦三
    笠が、どんな様子になっているか、気になって自分自身で確か
    めるため、横須賀に赴いた。そこに見たのは、荒れ果てた三笠
    の姿であった。
    
■2.東郷元帥を尊敬するものの一人として■

     その時のことを、ニミッツは後に「文芸春秋」に寄稿した文
    章の中でこう述べている。

         管理人の話では、真鍮や銅の付属品は戦争中に軍需資材
        として、全部取り除かれたとのことだった。そのほかに歴
        史的価値ある部分がどさくさに持ち去られた跡もみられた。
        東郷元帥を尊敬するものの一人として、昔から有名なこの
        軍艦が、これ以上荒らさるべきでないと思い、私は米海兵
        隊に命じて歩哨(営門などの警戒・監視に任ずる兵)を立
        て、三笠を破損したり、歴史的な物品を持ち去ることを防
        ぐことにした…
        
     しかし、その後も続いた三笠の荒廃にふれて、

         この有名な軍艦がダンスホールに使用されたとは嘆かわ
        しい…

         どういう処置をとれと差出がましいことはいえないが、
        日本国民と政府が全世界の海軍々人に賞賛されている東郷
        提督の思い出をながらえるため、適切な方法を講ずること
        を希望する…

         この一文が原稿料に価するならば、その全額を東郷元帥
        記念保存基金に私の名で寄付させてほしい…(「文藝春
        秋」昭和33年2月号)

■3.記念艦「三笠」の屈辱時代■

     三笠は日露開戦と共に、連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将
    の旗艦として、旅順要塞戦、黄海の海戦で活躍した。そして明
    治38年5月27日の日本海海戦では、38隻のバルチック艦
    隊のほとんどを撃滅するという世界海戦史上空前の大勝利を収
    めた。

     その後三笠は、大正15年以来、横須賀の白浜海岸に、記念
    艦として永久保存されていた。記念艦三笠は、イギリスの「ビ
    クトリー号」(トラファルガー海戦勝利の記念艦、ネルソンが
    艦上で戦死。現在英国海岸のポーツマス軍港内に保存)、アメ
    リカの「コンスティテューション号」(仏革命、ナポレオン戦
    争、独立戦争で活躍。現在ボストン造船所に保存)と共に、世
    界三大記念艦の随一に数えられていた。(中にはこのほかに、
    ロシア革命の時、冬宮を砲撃したソ連のオーロラ号〈現在ペテ
    ルスブルグのネヴァ川に保存〉を挙げる人もある)。
    
     大東亜戦敗戦後、米、英、ソ、中国等で結成された極東委員
    会で、三笠の保存をめぐって激論がかわされたことがあった。
    ソ連代表テレビヤンコ中将は、「ロシアを負かした三笠を保存
    するとは何事か。スクラップにして直ちに海中に投棄せよ」と
    主張した。それに対して米・参謀部長・ウイロビー少将は、ソ
    連の記念艦オーロラ号や、ビクトリー号、コンスティテューシ
    ョン号の例を出し、日本国民の記念物を破壊して反感を買うこ
    とは避けるべきだと、反論した。

     テレビヤンコはいきりたったが、横須賀占領の実権は米海軍
    にあり、三笠は廃棄を免れた。その後三笠は米軍監視下に置か
    れたが、心ない米兵によって艦内の目ぼしい記念品は持ち去ら
    れた。やがて23年1月9日、米海軍基地の司令官は、(ソ連
    ヘの気兼ねもあってか)艦橋、マスト、砲塔、煙突を4月1日
    までに除去の上、横須賀市による教育事業に転用することを許
    可した。
    
     三笠は民間に払い下げられたが、業者によって艦内で米軍相
    手の風俗営業が始まった。東郷長官室はキャバレー・トーゴー
    となり、加藤友三郎や秋山真之参謀等のいた参謀長室は、カフ
    ェになったという。

     やがて昭和25年、朝鮮動乱が始まると、艦内の鉄、銅、真
    鍮等、目ぼしいものは殆んど売却された。当時はまだ敗戦によ
    る虚脱状態から抜けきれず、市も政府も、三笠の荒廃に目を向
    けようとはしなかった。

     冒頭で紹介したニミッツンの文章が、「文藝春秋」33年2
    月号の随筆欄に「三笠と私」と題して掲載されたのは、このよ
    うな惨状を見かねてのことであった。

■4.三笠の復元なる■

     ニミッツの訴えに刺激されて、日本人の間にも三笠保存の動
    きが急速に盛りあがり、昭和33年11月、三笠保存会設立準
    備委員会の創立となった。ニミッツは米海軍を督励して、横須
    賀にあった廃艦一隻を日本に譲渡し、スクラップにして得た約
    3千万円を三笠の復元に充てさせた。かくして36年5月、
    「記念艦三笠」が蘇った。
    
     昭和60年、横須賀市は市制80年を記念して、三笠周辺の
    大改造を行い、「水と光と音の三笠公園」が完成した。

     昭和62年5月24日、「三笠保存会」は公園の完成にあわ
    せて、「日本海海戦80周年記念行事」を挙行した。そのメイ
    ン行事として、三笠艦内の講堂で記念式典が挙行された。

     式典では海上幕僚長はじめ、アルゼンチン大使、トルコ大使、
    イギリス大使、駐日米海軍司令官の祝辞があった。いずれも三
    笠の栄光を讃え、日露戦勝の歴史的意義を強調する内容だった。

     JR横須賀駅から車で5分程度の白浜海岸に、今も「記念艦
    三笠」は停泊している。艦内は、日本海海戦当時の内装が復元
    され、東郷元帥の起居した部屋には、小さなベッドまである。
    日本海海戦の状況が何枚もの油絵で描かれていて、その中には、
    海に漂うロシア水兵達を日本海軍のボートが懸命の救助作業を
    行っている情景もあり、往時の武士道精神を偲ばせる。
    
     船内の一室には、ニミッツ提督の写真と、自筆の手紙が飾ら
    れ、三笠保存の功績が顕彰されている。(公園内の売店では、
    フィンランドの企業が東郷元帥を顕彰して売り出した「東郷ビ
    ール」が今も販売されている。)

■5.東郷神社再建に印税寄付■

     三笠復元に続いて、戦災で焼失していた東郷神社の再建運動
    が始まった。それを知ったニミッツは、さっそく自著「太平洋
    海戦史」(原題 The Great Sea War)の日本語版の印税をそっ
    くり「アメリカ海軍の名において、東郷神社復興奉賛会に寄贈
    したい」と、在日のアメリカ海軍武官を通じて申し出た。
    
     昭和39年5月、神社が復興すると、ニミッツは大変な喜び
    ようで、署名入りの写真と祝賀のメッセージを寄せた。
    
     その2年後、昭和41(1966)年2月、ニミッツは81歳の天
    寿をまっとうした。

■6.ニミッツと東郷元帥の出会い■

     ニミッツが最初に日本を訪れたのは、明治38(1905)年の日
    露戦争観艦式のときであった。この時、下士官だったニミッツ
    は、他の士官とともに東郷元帥に会い、英語で親しく会話を行
    った。東郷元帥は青年ニミッツの心に深い印象を残した。
    
     日本海海戦の2ヶ月後、連合艦隊解散式で東郷元帥が訓示し
    た「勝って兜の緒を締めよ」という解散の辞に感動したアメリ
    カ大統領セオドア・ルーズベルトは、それを英訳して米海軍軍
    人に読ませた。下級士官だったニミッツもそれを読み、日本海
    軍の研究を始めた。
    
     昭和9(1934)年、東郷元帥が亡くなり、6月5日国葬が行わ
    れた。ニミッツはアメリカ海軍の儀礼艦オーガスタの艦長とし
    て横浜に入港し、東郷元帥の葬儀に参列した。
    
     真珠湾攻撃の後、米海軍の太平洋艦隊司令長官と太平洋方面
    最高指揮官を兼務したニミッツは、この大戦に臨んで、日露戦
    争における海戦と、日本海軍、そして東郷元帥をつぶさに研究
    したと言われる。旧日本海軍軍人の中には、東郷の精神は、山
    本五十六ではなく、皮肉にもニミッツに受け継がれた、と指摘
    する人もいるという。ニミッツにとって、尊敬する東郷元帥の
    後継者達と戦うのは、海軍軍人として本望であったろう。
    
     日本降伏後、すぐに横須賀に三笠の状態を調べに行ったのは、
    こうした経緯からであった。
    
■7.アドミラル・ニミッツ・センター建設へ■

     米国建国200年(昭和51年)の記念に、ニミッツ生誕の
    地、テキサス州のフレデリックスバーグに、アドミラル・ニミ
    ッツ・センター(正式名「ニミッツ提督州立歴史公園」)が建
    設されることになった。
    
     アメリカの統合参謀本部議長・ムーラー海軍大将から、旧知
    の元海軍中将・保科善四郎氏(参議院議員)に手紙が届き、そ
    の中に、
    
         故元帥が深く念願していた太平洋沿岸諸国との親善と平
        和を目的としたセンターの建設であるので、日本からの応
        分の援助を願いたい。
      
    との要請があった。また同センター理事長のダグラス・ハバー
    ド氏からも、次のような手紙が届いた。
    
         ニミッツ元帥は東郷元帥を生涯心の師として崇拝してき
        た。東郷なくしてニミッツは語れないので、本センターに
        は是非東郷元帥の顕彰も併せ行いたい。また東郷のような
        偉大な人物を育てた日本の文化資料を展示し、日本の姿も
        知らせたい。
        
     日本側はそれに応えて、保科氏を委員長として「日米協力委
    員会」を結成し、1975(昭和50)年4月、現地を訪問した。日本
    側から「平和灯篭」が寄贈され、米側からは青年士官ニミッツ
    と東郷元帥の会見を模した銅像が贈られた。
    
     銘酒「東郷」と、生前ニミッツが飲み残したブランデーを徳
    利で混ぜて、灯篭の上から注ぐという日本式の定礎式が行わた。
    現地高校生のブラスバンドが「軍艦マーチ」を演奏し、ボーイ
    スカウトによって、日米両国旗が掲揚された。現地新聞は「ニ
    ミッツセンターに献納された友情と平和と善意の鍵『日本平和
    灯篭』」との見出しで詳しく報道した。

■8.平和を誓う日米両国の提督たち■

     翌1976(昭和51)年5月8日、センターが完成し、開園贈呈式
    が挙行された。米国側は、ムーラー大将以下の米海軍幹部、お
    よびテキサス州知事など地元名士約500名が参集、日本側か
    らも保科氏ら関係者が列席した。
    
     約300坪の中央平和公園として、京都・竜安寺の石庭を模
    して、真っ白な砂を敷き詰めた枯山水が作られた。太平洋の戦
    跡を表したものであある。また東郷元帥のかつての官舎をモデ
    ルとした東郷書斎と、日本式小庭園も設置された。これらは日
    本側の協力によって完成したものである。
    
     また博物館内には、日本側から寄贈された東郷元帥の正装の
    油絵、「皇国の興廃この一戦にあり」という揮毫、Z旗などが
    展示された。
    
     ムーラー大将が立ち、日本側の協力に深甚の謝意を述べた後、
    保科元海軍中将が次のように応えた。
    
         ニミッツ元帥が戦後、三笠や東郷神社の復元に寄せた好
        意に謝意を表し、両元帥の間の尊敬と友好の精神を記念し
        たこの日本国民から米国国民へ贈る庭園が、将来の日米親
        善と世界平和に貢献することを祈る。
        
     地元新聞は、「この集会を通じて、第二次大戦を戦った日米
    両国の提督たちは、永遠の平和に貢献しあうことを誓った」と
    報道した。
    
     この後、毎年8月6日、広島原爆投下の日には、地元の人々
    が集まって、平和庭園の庭木にたくさんの折り鶴を結び、日米
    の友好と平和を祈ることが習慣となったという。

■リンク■
a. JOG(100,101) 鈴木貫太郎()
 太平洋を平和の海に。終戦実現への苦闘。

■参考■ (お勧め度★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. ★★★★「世界に生きる日本の心」、名越二荒之助、展転社、
    H6.9 (19、20章) 19章は、以下に全文掲載。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「人物探訪:ニミッツ提督と東郷元帥」について
                        Momotarouさん
 
     自己の任務を忠実に果たした人々の物語を読むのはいつも沛
    然とした感激を伴ってしまいます。
 
         この有名艦”三笠”−貴国最大の海軍士官である東郷提
        督の旗艦−を復旧するために拠金された愛国的な日本人の
        皆様へ。その大尊敬者である弟子より心からの祝福をこめ
        て。
                     米国海軍元帥 C.W.ニミッツ
                (昭和36年5月27日ー日本海海戦56周年)
 
    提督より寄せられたメッセージだそうです。
 
■ 編集長・伊勢雅臣
   ニミッツ提督は、自分を東郷元帥の「弟子」だと考えていたの
  ですね。国境を越えた尊敬の念です。

© 平成12年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.