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________Japan On the Globe(233)  国際派日本人養成講座_______
          _/_/   
          _/     The Globe Now: 闇の国からあやつり人形
       _/_/      
_/ _/_/_/        日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に
_/ _/_/         亡命した赤軍派学生たちを待っていた数奇な人生。
_______H14.03.24_____36,963 Copies_____419,443 Views________

■1.闇の国への歓迎パーティ■

     1970(昭和45)年4月3日、夜7時20分、ボーイング7
    27、日航機「よど号」がまったく灯りのない空港に着陸する
    と、サーチライトに照らされ、多数の武装した軍服姿の男たち
    に取り囲こまれた。北朝鮮の首都・平壌の美林(ミリム)空港
    のことである。
    
     よど号をハイジャックした9名の赤軍派学生が機体後部の備
    え付けタラップから降り立つと、外は氷点下のように寒かった。
    よど号犯たちは武装解除され、バスに乗せられた。バスはほと
    んど灯りも人影もない暗闇の街を走った。
    
     バスは北朝鮮では最高級の外国人用の平壌ホテルに着くと、
    9人は北朝鮮政府の係官から、すぐに取り調べを受けた。「な
    んのためにわが国にやってきたのか。」
    
    「われわれは軍事訓練を受けるために来たのです」とリーダー
    の田宮高麿(27歳)が答え、とうとうと世界同時革命論をぶ
    った。係官は途中で、もう分かった、と制止し、よど号犯たち
    をレストランに連れて行った。そこにはビールや朝鮮料理のフ
    ルコースが準備されていた。それは彼らが四半世紀を過ごすこ
    とになる闇の国への歓迎パーティだった。

■2.「領導芸術」■

     よど号犯らは平壌郊外の豪華な「招待所」に収容された。松
    林に囲まれた平屋建ての建物で、居間にはシャンデリア、集会
    室や映写室の設備まである。しかし、希望した軍事訓練はなく、
    金日成の論文をテキストに、北朝鮮で唯一正統と認められてい
    る「主体思想」の講義と討論が連日、続けられた。
    
     討論では教授が正解とする結論はあらかじめ決まっており、
    それに至るまでは何度でも同じ学習が繰り返される。たとえば、
    一人がサッカーで誤ってボールではなく、相手の足を蹴って負
    傷させた時は「ボールを蹴るつもりが、、」と反省しては間違
    いで、「同志のことを念頭におかずに蹴ったことは、同志愛が
    思想化されていなかった証拠」と自己批判しなければならない。
    
     正解にたどり着くまで、何度でも講義と討論が続けられると、
    いつのまにか、自らの選択で正解を見いだしたように信じ込む。
    「領導芸術」という高度な洗脳技術であった。

     約2年の「学習」の後、1972年の正月には金日成への手紙を
    出すことを許され、「日本革命のために、いつでも生命を投げ
    出しうる革命家へと自らを打ち鍛えていくため、(金日成)首
    相同志とチョソン(朝鮮)労働党の闘いを最高の手本として、、
    」と決意を述べた。金日成の後継者・金正日を最高責任者とす
    る特別課が朝鮮労働党の中に組織され、よど号犯を操って対日
    工作を担当することとなった。

■3.スケープゴート■

     しかし、全員が無事にこの段階に達した訳ではない。吉田金
    太郎(亡命当時20歳)は、メンバーの中でただ一人学生では
    なく、高卒で造船所に就職したペンキ塗り労働者で、組合活動
    から左翼運動に入っていった人物だった。そしてその祖父は戦
    前、神戸で富裕な商人だった。
    
     ブルジョワ階級出身で労働者に身をやつした人間が一人だけ
    いる。「族譜」を重んじる朝鮮の指導員たちには、これは明ら
    かに不審なことだった。「何らかの意図」をもってよど号犯グ
    ループに紛れ込んだのではないか。「相互批判」の過程で、こ
    の点をつかれると、吉田は答えられなかった。
    
     ある日、吉田金太郎は突然、姿を消した。急性の肝臓病で入
    院し、そこで死亡したものとされた。それ以降、彼の存在はグ
    ループの中でも触れてはならない禁忌とされた。吉田がスケー
    プゴートにされてから、メンバーは雪崩をうって金日成賛美に
    身を投じていった。

■4.「結婚作戦」■

     よど号犯たちの人間改造、思想改造を完成させるための最終
    ステップが「結婚作戦」だった。日本人女性を連れてきて、結
    婚させ、子供を作らせる。妻たちには女性にしかできない任務
    をさせ、子供たちは人質として、次世代の革命戦士として育て
    られる。
    
     76年から翌年にかけて、日本で選抜された花嫁たちが北朝
    鮮に送られた。主体思想研究会や朝鮮文化研究会の女性メンバ
    ー、在日朝鮮人を父に持つ娘などである。彼女らは北朝鮮の見
    学や旅行と称して連れてこられた。「結婚作戦」が真の狙いだ
    と知ったときには、もはや後戻りできなかった。よど号犯たち
    の花嫁となることを「主体」的に選択するしかなかった。ある
    花嫁はこんな詩まで作った。
    
        元帥様(金日成)のふところに
        はるばる訪ねてきた娘たち
        今日の幸せくださった
        元帥様を永遠に慕います

     やがて次々と合計20人の子供が生まれた。招待所は、料理
    人、医師、看護婦、保育所スタッフなども含め、100人ほど
    の「日本革命村」に膨れあがった。

■5.マドリッドでの罠■

     よど号犯が金日成の戦士として生まれ変わって、ようやく秘
    密工作が開始された。最初の工作はヨーロッパを旅行している
    日本人を拉致して、同志を増やしていくことだった。
    
     1980年4月、「よど号」犯の妻、森順子と黒田佐喜子はスペ
    インのマドリッドのアパートに住み、スペイン語の学校に通っ
    ていた。そして日本人旅行者を招待しては手料理でもてなした。
    その中に札幌市出身のIさんがいた。日大の農獣医学部食品経
    済学科を卒業したばかりで、スペインの酪農に興味を持ってい
    た。もう一人はMさん。京都外国語大学の大学院生で、スペイ
    ン語を磨くために1年間の留学中であった。
    
     5月の中旬、IさんとMさんは、女性たちに誘われて4人で
    ウィーンへの旅にでかけた。彼らの消息はそこで途絶えた。日
    本の家族は現地の日本大使館に調査を依頼し、マドリッド市警
    も捜査にあたったが、なんの手がかりも得られなかった。
    
     それから8年も経って、Iさんからの便りがポーランドから
    札幌の家族に届いた。Iさんが手紙を小さく折り畳んで、北朝
    鮮ですれ違ったポーランド人に手渡したものらしい。手紙を受
    け取った人物は、ポーランドに帰ってからエアメールとして投
    函してくれたようだ。
    
     手紙には、Mさん、有本恵子さんと3人で助け合って、平壌
    でなんとか暮らしている、と書かれていた。

■6.でも何だかラッキーだったなぁー■

     この有本恵子さんとは、83年6月、ロンドン留学中に拉致
    された女性である。Iさん、Mさんは招待所に連れて行かれた
    後、拉致されたことを知ると、Mさんは森順子を「色じかけで
    騙しやがって」と平手打ちにした。駆けつけた「よど号」犯た
    ちが、Mさんを殴り倒し、一室に監禁した。
    
     反抗的なMさんの思想改造は遅々として進まなかった。「よ
    ど号」犯の妻たちは、「男だけだからうまくいかないのなら、
    女も連れてくればいい」と提案して、新たに日本人女性の拉致
    が計画された。その犠牲者が有本恵子さんだった。
    
     妻たちの一人、八尾恵がロンドンの英語学校で知り合った有
    本恵子さんに市場調査のアルバイトを紹介すると騙して、コペ
    ンハーゲンに連れ出し、「よど号」犯の一人安部公博を紹介。
    安部が「北朝鮮で市場調査の仕事をしてほしい」と言って引き
    合わせてウツノミヤ・オサムと称する貿易会社員(実は、北朝
    鮮の外交官キム・ユーチョル)に連れられて、有本さんはモス
    クワに向かった。
    
     有本さんが友人に出したロンドンからの最後の手紙には、次
    のような一節がある。
    
         でも何だかラッキーだったなぁー、こんな簡単に仕事が
        見つかるなんて思ってもいなかったし、外国で仕事ができ
        るなんて、今、すごくうれしい気分です。・・・

     当時、北欧諸国では北朝鮮外交官が免税特権を悪用して煙草
    や酒、貴金属などを免税で買っては転売して利ざやを稼ぐ大使
    館ぐるみの犯罪を行っており、ユーチョルもデンマーク警察に
    監視されていて、有本さんと一緒の写真が撮られていた。
    
■7.消えた二人■

     よど号犯の一人、岡本武はウィーンで国際的な反核運動を盛
    り上げる工作をしていたが、それが日本の市民運動にもつなが
    ったのに自信を持ち、もっと積極的に日本国内に潜入して、活
    動すべきだと考えた。しかしリーダーの田宮はそれを許さず、
    かえってグループ内の「総括」で岡本をつるし上げた。
    
     酒でうっぷんを晴らしていた岡本は、ある日、メンバーの一
    人と喧嘩をしたため、ロープに縛られて床に転がされた。高知
    県から拉致されてきた岡本の妻・福留貴美子が抗議すると、彼
    女もロープで縛られた。北朝鮮では、糾弾されている人間を擁
    護することは、自らの政治生命を断つことである。
    
     岡本夫妻は海に近い別の「招待所」に移され、そこで再度の
    思想教育を受けた。まだ5,6歳の二人の子供はよど号犯たち
    の元に残された。ある日、岡本は海岸で漁船を奪って、海上脱
    出を図ろうとしたが、あっけなく巡視艇に捕まってしまう。8
    0年代中頃のことである。
    
     この事件のあと、岡本夫妻の消息は消えた。政治犯収容所に
    移され、強制労働をさせられていた、と推測される。88年頃、
    二人は作業中に、土砂崩れにあって死亡した、という知らせが
    田宮リーダーのもとにもたらされた。
    
■8.日本潜入■

     1985(昭和60)年春、よど号犯の一人、柴田泰弘が日本に
    降り立った。10数年前に北朝鮮に渡った中尾晃という人物に
    なりすまし、その印鑑や戸籍謄本、健康保険証も持っていた。
    これで国内でも大手を振って仕事ができる。
    
     柴田は高校生の進路指導の仕事を始めて、多くの高校生の住
    所、氏名のリストを入手した。さらに、身よりのない子供たち
    の養護施設へのボランティア活動にも関わった。将来の革命戦
    士を見つけ、育てていく為の巧妙な罠である。
    
     しかし、88(昭和63)年5月6日、柴田は兵庫県警に逮捕さ
    れた。偽造旅券で何度も入出国を繰り返していたので、北朝鮮
    工作員ではないか、との疑いがもたれていたのである。指紋照
    合の結果、よど号犯の一員であることが明らかになった。北朝
    鮮で不自由な生活をしているであろう、と思われたよど号犯の
    一人が、国内に潜入して秘密工作を行っていることに、公安関
    係者は衝撃を受けた。
    
■9.逃げられなかった工作者■

     5月25日、今度は横須賀でスナックを経営していた八尾恵
    が神奈川県警に逮捕された。コペンハーゲンでのキム・ユーチ
    ョルと接触していた事実などから、北朝鮮工作員との疑いをか
    けられていた。県警はアパートの名義に偽名が使われているこ
    とを逮捕理由にしていたが、家宅捜査で工作員としての物証が
    発見できる、と踏んでいたようだ。
    
     しかし物証は何も出てこず、結局、住民票への登録が偽名だ
    ったとして罰金5万円で釈放された。八尾恵に与えられた任務
    は、スナック経営で日本での活動資金を作らせることだった。
    逮捕されても、何も知らないので実害はなく、また捜査の攪乱
    になると考えられていたようだ。警察が八尾逮捕の裏付け調査
    に奔走している間に、他の妻たちも含め、多くの工作員たちが
    日本を脱出した。
    
     八尾恵は75(昭和50)に兵庫県の高校を卒業した後、化粧品
    会社に勤めていたが、神戸の街で無料の「朝鮮映画を見る会」
    に参加してから、在日朝鮮人の友人ができ、その後しばらくし
    てから、行方が分からなくなった。その後、北朝鮮で柴田泰弘
    の「妻」にさせられ、二人の子供を生んだ。しばらくヨーロッ
    パで工作活動をした後、日本に帰国してからは休む間もなく働
    いて活動資金作りをさせられていたのである。子供たちを人質
    にされては、逃げ出す術もなかったであろう。

■10.闇の国の操り師■

     有本恵子さんやIさん、Mさんなどは、よど号犯らによる拉
    致犯罪の直接被害者であるが、この八重恵やその子供たちも間
    接的には被害者と言えよう。加害者はハイジャックによって闇
    の国に渡ってしまったよど号犯らだが、真の加害者はかれらを
    陰で操ってきた金正日である。
    
     人間を洗脳したり、騙したり、脅したりして好きなように利
    用すべきあやつり人形としか考えていない独裁者が、多くの人
    々の人生を台無しにしてきた。外務省の田中均アジア大洋州局
    長が北朝鮮を刺激しないよう拉致疑惑追求を牽制しているとの
    由[2]。拉致された人々の人権を無視してまで、こういう国と
    国交正常化することに、どのような意味があるのだろうか?

     昨平成13年5月、よど号犯たちの成人した娘3人が帰国し
    た。子供たちは現地の大学に通うなど金正日・独裁体制でのエ
    リートと言われる。また9月にはよど号犯・赤木志郎の妻・
    金子恵美子が帰国した。旅券法違反で起訴されたが、たいした
    刑にはならないと読んでのことであろう。
    
     これらの人々がこういう形で公然と帰国することは当然、操
    り師たる金正日の考えに沿ったものと考えるべきだ。「あやつ
    り人形」たちが、今度は正体を明かした上で公然たる活動に乗
    り出したのだろうか?
                                          (文責:伊勢雅臣)
    
■リンク■
a. JOG(031) 北朝鮮に拉致された日本人少女 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 高沢皓司、「宿命 『よど号』亡命者たちの秘密工作」★★★、
   新潮文庫、H12
2. 産経新聞、「拉致容疑追求 官邸内足並みの乱れ」、H14.03.23
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

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