[トップページ][平成14年一覧][国柄探訪][210.5 江戸の経済改革][332.1 日本経済]

________Japan On the Globe(251)  国際派日本人養成講座_______
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          _/     国柄探訪: 花のお江戸の市場経済
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_/ _/_/_/         日本人のDNAには過去400年以上にわたる
_/ _/_/          市場経済システムの経験が組み込まれている。
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■1.日本人のDNAに組み込まれた市場経済システム■

         アメリカがまだ植民地であった時代から、わが国には固
        有の先進的な市場経済システムが存在し、世界に類を見な
        い百万都市江戸を成立させていた・・・
        
         日本人のDNAには過去400年以上にわたる市場経済
        システムの経験が、しっかりと組み込まれている・・・
        
     鈴木浩三氏の「資本主義は江戸で生まれた」[1]は、我々の
    祖先が、江戸時代にいかに高度な市場経済システムを作り上げ、
    その上でたくましい経済活動を展開していたかを、活写してい
    る。今回は、この本を頼りに、我々自身に潜むDNAを思い出
    してみよう。そこに日本経済の再生のための重要なヒントが見
    つかるだろう。

■2.天下普請のケインズ政策■

     天正18(1590)年、三河や駿河を本拠地としていた徳川家康
    は、秀吉の命令で関東に移り、江戸に居を構えた。当時の江戸
    は、海岸沿いは葦原ばかり、東は荒涼とした武蔵野に続くさび
    しい土地だった。
    
     家康は関ヶ原の戦いで天下をとると、全国の大名に命じて、
    江戸城の城郭築造工事、江戸市街地や水路網建設に当たらせた。
    このように天下人が諸大名に命じて土木・建設工事をさせるの
    を「天下普請」と言う。これは戦時の軍役と同じ扱いで、必要
    な資金・人員のいっさいを大名の石高に応じて供出させ、工
    事・役務を行わせるものだった。
    
     数年に一度命ぜられる天下普請は、大名達に巨額の財政支出
    を強いた。それは幕府から見れば、敵対する可能性のある諸大
    名の経済力をあらかじめ削いでおくという防衛的な目的があっ
    たが、同時に、軍備にあてられるかもしれない経済力を、平和
    な「公共工事」に向けるという意味もあった。
    
     また天下普請の間は大名は多くの家臣ととも江戸に滞在した。
    そのための大名屋敷、武家屋敷群が建設されていった。これら
    の建設工事が資材や労働力への巨大な需要を生みだし、さらに
    膨大な工事関係者の生活を支えるための食品、日用品、娯楽な
    どの消費需要が生まれる。江戸時代初期の70年間、このよう
    な公共工事が集中的に江戸で行われた結果、需要が需要を生み
    出す形で、江戸は高度成長を続けた。これは戦後の高度成長と
    同様に、公共投資を呼び水にして、需要が需要を生み出すケイ
    ンズ政策であった。

■3.参勤交代で盛り上がる消費需要■

     寛永12(1635)年に、参勤交代制度が始まった。大名達は一
    年を江戸、一年を国もとで過ごす。これも軍役と同様に、禄高
    と格式に応じた供揃いを義務づけられた。供揃いとは、そのま
    ま戦闘に移れる武装した行軍行列のことで、飲料水と薪以外は、
    武器・弾薬・食糧をすべて持ち歩かねばならなかった。
    
     参勤交代を含めた江戸在府に必要な経費は、大名の実収入の
    5,6割を占め、大きな負担となった。大名達は国もとの米を
    売り払って、貨幣を得て、それで江戸屋敷の生活費や諸経費を
    支払った。殿様に随行して地方からやってくる大勢の家臣団も、
    江戸での消費需要を盛り上げ、町人層を潤わせた。
    
     江戸屋敷での最大の支出は、幕府や他の大名との交際費だっ
    た。江戸屋敷に常駐した「留守居役」は、天下普請の計画をな
    るべく早く掴み、思わぬ案件が自藩に廻ってこないように幕府
    の役人に根回ししたり、あるいは他藩と「談合」したりした。
    そのために吉原や高級料亭での接待や、書画・骨董などの贈答
    がさかんに行われた。こうした接待・贈答需要が、料理・服
    飾・工芸などの産業を発展させた。
    
     江戸時代後半には、葛飾北斎や安藤広重などの浮世絵師が活
    躍し、「名所江戸百景」「東海道五十三次」などが盛んに出版
    された。これらは参勤交代で江戸に集まった武士たちが国元に
    持ち帰る土産であり、また道中のガイドブックでもあった。さ
    らに江戸に全国から武士が集まることで、諸国の情報が集まり、
    また江戸の最新流行ファッションや、長唄などの新曲が地方に
    伝わった。

■4.民間による商業航路の発達■

     天下普請のための石材など資材の運搬、さらに動員した家来
    や土木作業員の食糧供給のために水運が発達した。江戸城の石
    垣築造では、西国大名31家が3千艘の運搬船建造と、それに
    よる伊豆半島からの石材輸送を命ぜられた。
    
     また東北の大名は、太平洋岸を南下する東回り廻船航路で、
    江戸まで米や資材を持船で運んだ。家康は東北大名達に命じて、
    慶長14(1609)年、その中継地点である銚子に港を築かせた。
    このルートによる流通が盛んになるにつれ、民間による海上輸
    送の方が有利となり、東回り廻船航路での定期便が確立してい
    った。
    
     また江戸の消費需要が盛り上がるにつれ、日本全国から多種
    多様な物産が水運で運び込まれるようになった。清酒は摂津国
    鴻ノ池(現在の兵庫県伊丹市あたり)の酒屋が慶長十五(1610)
    年に、最初に江戸に持ち込んだ。当時、江戸では濁酒しかなか
    ったため、清酒は飛ぶように売れ、はじめは人が背負って運ん
    でいたのが、駄馬による輸送となり、寛永(1624〜43)になると、
    船で運ばれるようになった。醤油も正徳年間(1711〜15)に、大
    阪から持ち込まれて、高級調味料としてもてはやされた。
    
     上方の物産を江戸に運ぶために、大阪と江戸の間の民営の定
    期航路が発達した。二つの組織がそれぞれの定期便を運航して、
    明治に入るまで、競争を続けた。また江戸時代以前に確立して
    いた北前船(大阪と日本海経由で北海道を結ぶ)、西廻り廻船
    (大阪と瀬戸内、九州を結ぶ)と合わせて、日本列島全体を結
    ぶ民間による定期商業航路が完成した。

■5.変動相場制による取引■

     江戸時代の通貨制度は、「東の金遣い・西の銀遣い」と言わ
    れ江戸の金貨と上方の銀貨が対等な本位貨幣として両立してい
    た。また銅貨も少額の補助貨幣として使われていた。しかも、
    これらの間の交換比率は変動相場制であった。このような3貨
    制は世界的にみても非常に珍しいと言われる。
    
     変動相場制だから、江戸の商人が上方に注文を出すには、銀
    相場が安い時、すなわち金高銀安の時に行うと有利だった。た
    とえば、現代日本の企業が国際市場で石油を調達しようとする
    と、石油の価格の動きと、円−ドルの交換比率の両方の変動を
    考えなければならない。江戸の商人たちは、すでにそういう世
    界にいた。
    
     江戸、大坂、京都には、多くの両替商が繁盛していた。貨幣
    の鋳造は幕府が行っており、たびたび金銀の交換比率を公定し
    たが、ダイナミックな市場経済には幕府権力も及ばない。両替
    商たちは、日々の相場を見ながら、金銀の両替・売買を行った。
    
     相場は「立会場」で決まった。大阪・北浜にあった金相場会
    所では正月三が日と五節句を除いて毎日、午前10時から1〜
    2時間、「立会い」が開かれた。両替商達が少しでも利益を上
    げようと、血眼になって、取引に熱中する。立会い時間が過ぎ
    ると拍子木を打って知らせるが、取引が過熱していて終わらな
    い時には水をかけた。これを「水入り」という。「立合い」
    「水入り」という相撲用語は、当時の商業用語でもあった。
    
     コンピュータこそないものの、取引の内容自体は、現代の通
    貨市場と本質的には変わらない。

■6.両替商の銀行業務■

     両替商は、為替取引や預金・貸付け、手形取扱いなど、現代
    の銀行とほぼ同じ事業を行っていた。江戸−大阪−京都の三都
    間では本格的な為替取引が行われていた。たとえば、幕府の大
    阪御金蔵から江戸への公金輸送と、江戸商人から大阪商人に支
    払われる商品代金を相殺する形で、決済していた。
    
     商人は両替商に預金口座を開いて、稼いだ貨幣を預けた。現
    代の当座預金にあたるもので無利子だったが、信用のある両替
    商と取引がある事は、その商人自身の信用を高めた。両替商は
    取引を希望する商人がいれば、身元や財産状況を徹底的に調べ
    てから、口座を開いた。
    
     両替商の中には大名に貸付けを行うものもいた。諸大名は天
    下普請や参勤交代で出費がかさむ一方、年貢収入は頭打ちだっ
    たため、その財政状態は窮迫していた。そこで家老や留守居役
    が藩主の代理人として、両替商一同を料理屋などで接待し、借
    金を頼む。両替商達は、その大名の信用状態によって、貸出し
    総額を値切ったり、時には断ったりした。また貸出しが焦げつ
    いた時の危険分散として、何人かの両替商がシンジケートを組
    み、貸付けを分担したりした。現代の銀行に大企業に融資する
    のとまったく同じである。
    
     大名側は地位を利用して、借金の踏み倒しを行う例も少なく
    なかった。肥後熊本の細川家などはその常習犯で、「細川家は
    前々から不埒なるお家柄にて、度々町人の借金断りこれあり」
    などと記録にも残っている。こういうブラックリスト情報は両
    替商仲間にすぐ伝わって、組織的な貸し付けボイコットや年貢
    を担保に求められるようになった。大名の権威も、市場経済シ
    ステムの前ではかたなしだった。

■7.通貨政策による物価安定■

     諸大名は領地でとれた米を大阪で売って銀を得ていた。大阪
    の米市場では需給関係から米価が決まり、その変動を見越した
    投機や、先物取引(将来の一定期日にあらかじめ約束した価格
    で商品を売買する取引)が行われていた。
    
     近代的な商品先物取引が本格的に成立したのは1865年のシカ
    ゴ商品取引所だと言われているが、同所の発行する「商品取引
    便覧」には、「1730年代に、日本の大阪において先物取引を含
    む商品取引所が存在していたことは驚くべき事である」と、大
    阪堂島の米市場を紹介している。[2,p88]
    
     大名側が増収方策として米の増産に励んでも、米の供給が増
    えるほど米価が下がって収入は伸びない。その反面、その他の
    商品の物価は上がり続けた。幕府は米価の維持のために、米の
    買い付けを大阪の豪商に命じたり、大阪御金蔵の資金によって
    自ら買い付けたが、それを売りに出すとすぐにまた米価は下が
    ってしまう。
    
     幕府は困って大阪の両替商たちに米価維持策を相談した。両
    替商達は、米が安いのは通貨の質が良すぎるのと通貨供給量が
    少ないためだから、貨幣供給量を増やすように、と答えている。
    この策を直接聞き入れたためかどうかは定かではないが、幕府
    は実際に貨幣の金や銀の含有量を下げる貨幣改鋳を行って、米
    価の上昇と、諸物価の安定にある程度成功した。
    
     現代でも円高を避けるために、政府が円売りドル買いをした
    りするが、幕府の米買いによる価格維持策はそれと同じである。
    また両替商たちはすでに通貨の質や供給量が物価にどのような
    影響を及ぼすのか、すでに理解していた。通貨政策で物価の安
    定を図るという現代マネタリズム流の手法は、20世紀の社会
    主義経済での公定価格制などよりもはるかに先進的である。

■8.問屋株仲間は業界団体■

     商品経済の発達につれて幕府も年貢米を財政基盤とする体制
    から、商品流通に財源を求めた。江戸中期の老中、田沼意次は
    現在の同業者団体にあたる「問屋株仲間」を公認して独占を許
    すとともに、その対価として冥加金、運上といった「間接税」
    の徴収を始めた。
    
     問屋株仲間はもともと米、酒、塩、味噌、炭など、生活必需
    品12品目の高騰を規制するために、同業組合として幕府が結
    成を命じたもので、株とはその会員権をさした。田沼時代末期
    の大阪では130にものぼる問屋仲間が公認されていた。
    
     問屋株仲間に入っていない業者が勝手に商売を行った場合は、
    幕府に訴えれば処罰してくれた。また株仲間の一部が幕府の規
    制に触れる行為を行うと、株仲間全体が連座して処罰の対象と
    なったので、そのような事態を防ぐための自治活動が行われた。
    新入りの仲間に対する厳しい選別過程はもとより、仲間の跡取
    りの品行をチェックして、道楽者、怠け者を排除したり、嫁取
    り、婿取りに対しても、全員の承認が必要だった。
    
     問屋株仲間は幕府の指導・統制を個々の業者に伝える「上意
    下達」だけでなく、業界としてのコンセンサスをとりまとめて、
    幕府に伝えるという「下意上達」の機関でもでもあった。これ
    は現在の経済産業省が、業界団体を通じて間接的に各事業者を
    統制するという現在のやり方と同じである。ただ間接税も業界
    団体を通じて徴収するという点は異なる。

■9.4百年にわたる市場経済システムの進化■

     公共投資政策としての天下普請、需要喚起策としての参勤交
    代、通貨政策や需給調整を通じた物価安定策、高度な物流や金
    融のシステム、間接税、そして業界団体による間接的な事業者
    統制、、、こう見てくると江戸時代に発展した市場経済システ
    ムは、現代にそっくりである。
    
     明治維新後の「文明開化」が急速に進んだのも、こうした近
    代的な市場経済システムが実態としてすでに江戸時代から存在
    してからである。経済史的に見れば、明治維新や大東亜戦争敗
    戦という転機にもかかわらず、江戸時代から現代まで、わが国
    の市場経済システムは環境変化に適応しながら、400年間に
    渡って連続的に進化してきたものである。このあたりはロシア
    や中国とは根本的に異なる。
    
     こう見れば、たとえば政府(官)と個々の事業者(民)の間
    に業界団体(公)を設けて業界としての自治を求めるなどとい
    う日本流のやり方が、アメリカ流「グローバル・スタンダー
    ド」に欠落しているからと言って、一概に時代遅れの産物であ
    るかのように見なすのはおかしい事が分かる。歴史の浅いアメ
    リカの市場経済システムが、まだそこまで到達していないだけ
    の事かもしれない。
    
     わずかここ10年ほどの経済の不振で、我らの父祖が400
    年にわたって成長させてきた市場経済システムを弊履にように
    投げ捨てて、「グローバル・スタンダード」に走るのは、歴史
    に学ばない愚か者のすることだ。市場経済システムを、どう新
    しい時代と環境に適応させ、その長所を強みとして発揮させて
    いくべきか、と考えていくべきだろう。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(024) 平和と環境保全のモデル社会:江戸
     鉄砲を捨てた日本人は鎖国の中で高度のリサイクル社会の建設
   に乗り出した。
b. JOG(030) 江戸日本はボランティア教育大国
    ボランティアのお師匠さんたちの貢献で、世界でも群を抜く教
   育水準を実現した。
c. JOG(091) 平和の海の江戸システム
    日本人は平和的に「自力で栄えるこの肥沃な大地」を築き上げ
   た。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 鈴木浩三、「資本主義は江戸で生まれた」★★、日経ビジネス
   文庫、H14
2. 西尾幹二他、「地球日本史 2」、産経新聞社、H10
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「花のお江戸の市場経済」について

     何でもアメリカから学ぶというより、日本の歴史から学ぶと
    いう、これこそが、私が今までずっと思い、いいたかった事で
    すが、見事、言い当てて下さりありがとうございます。私自身、
    さらにもっと歴史を勉強したい、しなければ、と思いました。
                                                (望月さん)
    
     今回の江戸時代のお話読んでいてうきうきしましたね。江戸
    の活気あふれる街が目の前に浮かんでくるようでした。ヨーロ
    ッパが戦争に明け暮れている時代に、日本がこれ程緻密で、高
    度な文明を築いていたんですね。
    
     参勤交代は大名に刃向かわせないといった暗い面ばかり強調
    されて教科書で学んだような記憶があります。でもいざという
    時のために備えるといった事を怠らなかったから、幕末の動乱
    期に植民地にならずにすんだのだと思うのですが。
    
     それにしても平和でだれそうな時もこうして緊張感を保って
    いた武士というのは本当にストイックというか立派だと思いま
    す。                                    (匿名希望さん)

■ 編集長・伊勢雅臣より

    「賢者は歴史に学ぶ」。その歴史はまた多くの賢者が作ったも
    のですね。
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