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________Japan On the Globe(257)  国際派日本人養成講座_______
          _/_/   
          _/     地球史探訪: 大日本帝国のユダヤ難民救出
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_/ _/_/_/         人種平等の精神を国是とする大日本帝国が、
_/ _/_/          ユダヤ難民救出に立ち上がった。
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■1.ユダヤ人排斥■

     1933(昭和8)年1月、ヒトラーは首相に就任すると、4月
    1日にユダヤ人排斥運動声明を行い、ユダヤ人商店のボイコッ
    ト、ユダヤ人の公職追放、教師・芸術家・音楽家の締め出し、
    ニュルンベルク法(1935)によるドイツ市民資格剥奪、と矢継
    ぎ早にユダヤ人排斥政策が打ち出していった。
    
     急増するドイツ、オーストリアからのユダヤ人難民を救うた
    めに、米国のハル国務長官が1938(昭和13)年3月に国際委
    員会を組織する提案を行い、その第1回委員会がフランスで開
    かれた。しかし国際社会はユダヤ人に対して冷たかった。米国
    の議会は自国の政府提案を拒否。ベルギー、オランダ、アルゼ
    ンチン、ブラジル等は、移民受け入れの余地なしと回答。カナ
    ダは協力の意向あるも、収容能力に限度あり。イギリスは、農
    業移民ならギニア植民地に収容できるかもしれない、といかに
    も老獪な事実上の拒否。
    
     同年11月7日にユダヤ系ポーランド人の一少年が、パリの
    ドイツ大使館書記官を暗殺したのを機に、宣伝相ゲッベルスは
    報復を呼びかけた。その結果、ドイツ全土のほとんどのユダヤ
    教会堂が焼討ちや打ち壊しにあい、7千5百のユダヤ人商店が
    破壊された。街路がガラスの破片で覆われて輝いたので、「水
    晶の夜」とよばれる。ユダヤ人の死者は91人、強制収容所送
    りは2万6千人に達したという。この事件を機に、ヒトラーは
    ユダヤ人の大規模な国外追放を始めた。

■2.帝国の多年主張し来たれる人種平等の精神■

     水晶の夜から1ヶ月も経たない昭和13年12月6日、日本
    では5相会議(首相、外相、蔵相、陸相、海相)で「猶太(ユ
    ダヤ)人対策要綱」が決定された。これはユダヤ人を「獨国
    (ドイツ)と同様極端に排斥するが如き態度に出づるは啻(た
    だ)に帝国の多年主張し来たれる人種平等の精神に合致せざ
    る」として、以下の3つの方針を定めたものであった。
    
    ・ 現在日本、満洲、支那に居住するユダヤ人は他国人と同様
       公正に扱い排斥しない。
    ・ 新たに来るユダヤ人は入国取締規則の範囲内で公正に対処
       する。
    ・ ユダヤ人を日本、満洲、支那に積極的に招致はしないが、
       資本家、技術者など利用価値のある者はその限りではない。
     (すなわち招致も可)
     
     この時、日本はドイツ、イタリアとの三国同盟の前身たる防
    共協定を結んでいた。その同盟国のユダヤ人排斥を「人種平等
    の精神に合致せざる」と批判し、かつ世界各国が受け入れを拒
    否した難民にも、入国規則内で公正に対応する、というのであ
    る。
    
     「帝国の多年主張し来たれる人種平等の精神」の代表的なケ
    ースが、1919年、第一次大戦後のパリ講和会議で、国際連盟規
    約の中に「人種平等条項」を入れるよう提案した事だろう。し
    かし日本提案は圧倒的多数の賛成を得ながら、議長の米国大統
    領ウィルソンの策略で否決された。[a]
    
     有色人種国家として、ただ一国近代化に成功して、世界5大
    国の一角を占めるようになった日本にとって、長年戦ってきた
    人種差別に今また苦しめられているユダヤ民族の苦境は、他人
    事ではなかった。

■3.陸軍随一のユダヤ問題研究家・安江仙弘大佐■

     5相会議での「猶太(ユダヤ)人対策要綱」策定に大きな力
    となった人物がいた。安江仙弘(やすえのりひろ)陸軍大佐で
    ある。安江大佐は幼年学校時代からロシア語を学び、シベリア
    出兵時に武功をたて、その後、陸軍随一のユダヤ問題研究家と
    なった。
    
     この前年の昭和12(1937)年12月26日、満洲ハルピンに
    て、第一回極東ユダヤ人大会が開かれ、ハルピン陸軍特務機関
    長の樋口季一郎陸軍少将が、ドイツのユダヤ人排斥政策を批判
    し、「ユダヤ人を追放するまえに、彼らに安住の地をあたえ
    よ!」と演説して、聴衆を感激させた。[b]
    
     この大会のわずか3日前に樋口少将を補佐するために陸軍中
    央部から派遣されたのが、安江大佐であった。大会後、翌13
    年1月21日には、安江大佐が中心となって、関東軍は「現下
    ニ於ケル対猶太民族施策要領」を策定し、世界に散在せるユダ
    ヤ民族を「八紘一宇の我が大精神に抱擁統合するを理想とす
    る」とした。
    
     「八紘一宇」の八紘とは、四方と四隅、すなわち、世界中の
    ことで、一宇とは「一つ屋根」を意味する。初代・神武天皇が
    即位された時に、人民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、
    天の下のすべての人民が一つ屋根のもとで家族のように仲良く
    暮らすことを、建国の理想とされた[c]。英語では、Universal
     Brotherhood(世界同胞主義)と訳されている。関東軍はこの
    八紘一宇の精神をもって、ユダヤ民族を助けるべきである、と
    安江大佐は主張したのである。
    
     同時に「施策要領」は「ユダヤ資本を迎合的に投下せしむる
    が如き態度は厳に之を抑止す」とした。ユダヤ難民をあくまで
    人道的に取り扱うが、ユダヤ資本をあてにするような事はしな
    い、という方針である。
    
     この後、3月8日から12日にかけて、約2万人(一説には
    数千人)のユダヤ難民がシベリア鉄道経由で押し寄せ、吹雪の
    中で立ち往生している所を、樋口季一郎少将が中心となって、
    特別列車を出して救出した。[d]

■4.八紘一宇を国是として■

     安江大佐は9月19日、外務省本省において、外務、陸海軍
    関係者を集めて、ユダヤ問題に関する講演を行い、次のように
    述べた。
    
         ユダヤ人は従来第三者のごとき地位にあったが、支那事
        変とともに我々の軒先に入ってきたのである。これをいか
        に扱うか。ドイツのごとき方法を取るべからざることは明
        瞭である。日本の八紘一宇、満洲の諸民族協和の精神から
        しても排撃方針は不可である。よろしく保護し、御稜威を
        彼らにおよぼすべきである。
        
     御稜威(みいつ)とは皇室の民を守る威光のことである。そ
    の威光をユダヤ難民にも及ぼすべく、安江大佐は日本帝国全体
    の国策決定を板垣征四郎・陸軍大臣に働きかけた。曰く:
    
         我国は、八紘一宇を国是としておりユダヤ民族に対して
        もこれを例外とすべきではない。彼らは世界中に行先無く、
        保護を求めているのである。窮鳥懐に入れば猟師もこれを
        殺さずという。況(いわ)んや彼らは人間ではないか。
        
     講演、板垣大臣への説得とも、常に「八紘一宇」が安江大佐
    の主張の基盤となっていた。こうした働きかけにより12月6
    日の五相会議において、板垣陸軍大臣より「猶太人対策要綱」
    が提案され、国策として決定されたのである。

■5.安居楽業■

     五相会議の20日後、12月26日から3日間、第二次極東
    ユダヤ人大会がハルピンで開かれた。上海、青島、天津、大連、
    などから1千余名のユダヤ人が集まった。日満側からは安江大
    佐やハルピン副市長・大迫幸男などが参列した。
    
     大会では以下のような決議文を採択し、カウフマン会長名で
    ニューヨーク、ロンドン、パリのユダヤ人団体等に打電された。
    (漢字、カタカナ書き、句読点を一部改める)
    
         この日本国ならびに満洲国の示されたる誠意と同情的処
        置とは吾人をここに安居楽業せしむると共に、吾人特有の
        文化を発展せしめ、かつ日満両国に対し、善良なる人民た
        らしめ得るものとす。
        
         ここに民族大会において吾人はユダヤ民族が民族的平等
        と民族的権利とを国法にしたがい享受すると共に東亜新秩
        序の再建に努力しある日満両国に対し、あらゆる協力をな
        すべき事を誓い、かつこれを吾人同族に対し、呼びかける
        ものなり。
    
■6.安江機関■

     昭和15(1940)年12月、安江大佐は予備役に編入され、ま
    たその年の第4回ユダヤ人大会は中止命令が出た。安江大佐の
    推測では、この二つは東条陸軍大臣の直々の命令であり、それ
    は9月に締結したばかりの日独伊三国同盟の手前、ナチス・ド
    イツへの気兼ねと、大佐が東条と対立関係にあった石原完爾中
    将の同志であった、という2点が理由だった。
    
     安江大佐が松岡外務大臣を訪ねると、自分から満鉄の佐々木
    副総裁によく話をしておくとして、
    
         今後は外務省とも密接に連絡して戴きたい。私は貴君に
        働いて戴き度い事が色々ある。ユダヤ人に対しても八紘一
        宇の大精神で向かわねばならない。ドイツの尻馬に乗って
        日本がユダヤ排斥をやらねばならぬ理由がどこにあります
        か。日本には日本の立場がある。今、日本を見渡した所、
        真にお国のためにユダヤ人に接している人は貴君しかいな
        い。とにかく貴君の今後の活動のために尽力します。
        
     松岡外相の尽力で、安江大佐は満洲国政府顧問、および満鉄
    総裁室付嘱託となり、安江機関が昭和16年1月に大連に誕生
    して、満洲・支那在住のユダヤ人保護の活動を続けた。
    
■7.ゴールデン・ブックへの記載■

     昭和16年11月1日、安江大佐に対し、ハルピン市のホテ
    ル・モデルンで数百人のユダヤ人列席のもと、世界ユダヤ人会
    議代表M・ウスイシキン博士署名の「ゴールデン・ブック」へ
    の登録証書授与が挙行された。
    
     ゴールデン・ブックは、ユダヤ人の保護・救出で功労のあっ
    た人を顕彰するためのものである。この時、吹雪の中で2万人
    とも言われるユダヤ難民を救出した樋口季一郎少将、および、
    樋口・安江と力をあわせてきた満洲ユダヤ人社会のリーダー、
    カウフマン博士もともに記録された。
    
     恐らく同時期であると思われるが、海軍の犬塚惟重大佐も、
    ゴールデン・ブック記載の申し出を受けた。犬塚大佐について
    は、いづれ稿を改めて紹介するが、犬塚機関を作って、安江大
    佐とも協力しながら、上海のユダヤ人社会を保護した人物であ
    る。犬塚大佐は次のように述べて、申し出を辞退したという。
    
         私の哀れなユダヤ難民を助け東亜のユダヤ民族の平和と
        安全を守る工作は、犬塚個人の工作ではなく、天皇陛下の
        万民へのご仁慈にしたがって働いているだけである。
        
         私はかつて、東京の軍令部にいた時、広田外相からこん
        な話を伺ったことがある。広田外相が恒例の国際情勢を陛
        下に奏上申しあげたうちでナチスのユダヤ虐待にふれたと
        ころ、陛下は身を乗り出されて憂い深げにいろいろご下問
        なさるので、外相は失礼ながら陛下はユダヤ人を日本人と
        思い間違いあそばしているのではないかと不審に存じ上げ
        たが、陛下は「いやユダヤとわかっているが、哀れなも
        の」と仰せられて、そのご仁愛のほどに恐懼したというの
        だ。私は陛下の大御心を体して尽くしているのだから、し
        いて名前を載せたければ陛下の名を書くように。[1,p2]

■8.もしここに天皇陛下がいらっしゃったらどうなさるか■

     ユダヤ人を救出して顕彰せられた日本人としては、「諸国民
    の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を受けた杉原千畝が
    いる。ポーランドの独ソ分割によって追われたユダヤ難民6千
    人(推定)に対して、日本へのビザを発行して命を救ったカウ
    ナス(バルト3国の一つ、リトアニアの臨時首都)領事代理で
    ある[e,f]。
    
     大量のビザ発行手続きに関しては、外務省訓令を逸脱してい
    ており、これをもって杉原の行為を、国策に反した個人的善行
    と見なす見方があるが、五相会議決定、安江機関、犬塚機関と
    いう一連の流れの中で見なければならない。杉原自身はユダヤ
    人救出の動機を後年、こう述べている。
    
          それは私が、外務省に仕える役人であっただけではな
         く、天皇陛下に仕える一臣民であったからです。悲鳴を
         あげるユダヤ難民の前で私が考えたことは、もしここに
         天皇陛下がいらっしゃったらどうなさるか、ということ
         でした。陛下は目の前のユダヤ人を見殺しになさるだろ
         うか。それとも温情をかけられるだろうか。そう考える
         と、結果ははっきりしていました。私のすべきことは、
         陛下がなさったであろうことをするだけでした。
         
          もし外務省に(ビザ発給に関する)訓令違反を咎めら
         れたら、私が破ったのは訓令であって、日本の道徳律で
         はないと思えば良いと腹を決めました。[1,p174]
         
■9.八紘一宇が作った「楽園」■

     安江大佐が説き、日本政府が制定したユダヤ人保護政策は常
    に「八紘一宇」をその根拠としてきた。それははるか神話の時
    代から皇室の理想として綿々と受け継がれ、当時においては昭
    和天皇の民族の分け隔てなく人民を愛する一視同仁の大御心に
    体現されていた。安江大佐が「八紘一宇」というのも、犬塚大
    佐や杉原領事代理が「昭和天皇の御心」というのも、同じなの
    である。それぞれがこの理想に導かれて、それぞれの場でユダ
    ヤ人保護・救出に尽くしてきたのだった。
    
     日本占領下の上海で犬塚機関が保護したユダヤ難民は2万5
    千人を超え、大戦中も「一つ屋根」の楽園だった。そこで暮ら
    した経験を持つヒルダ・ラバウという女性が次のような詩を残
    している。
    
        ちかごろ上海のことを見聞きするにつれ
        わたしは神にいのる
        しかるべき人々に称賛が与えられますように!
        かれらがあらたに誇りが持てますように
        
        その人たちは上海のナチが振るおうとしていた
        おそろしい暴力から、わたしたちを守ってくれました
        救助者がだれだったか、あばくのは簡単なはず
        いまではだれもが知っている、その正体は日本人
        
        「憎しみ」ばかりが広まっていたとき
        かれらはユダヤ人に親切だった
        みなさん! あの悲劇で6百万人が消えた道を
        わたしたちは逃れたのです。
        異国にあって、わたしたちは「自由」だった
        ・・・
        収容所のことで不満をいう人はいますが、
        皆殺しになった人びとを思えば、
        「上海は楽園でした」[1,p160]
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(053) 人種平等への戦い
   虐待をこうむっている有色人種のなかでただ一国だけが発言に
  耳を傾けさせるに十分な実力を持っている。すなわち日本で あ
  る。
b. JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上)
   人種平等を国是とする日本は、ナチスのユダヤ人迫害政策に同
  調しなかった。 
c. JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」
  http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_1/jog074.html
d. JOG(086) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(下)
   救われたユダヤ人達は、恩返しに立ち上がった。 
e. JOG(021) 6千人のユダヤ人を救った日本人外交官
   日本経由で脱出を願うユダヤ人6千人にビザを発給。「スギハ
  ァラ。私たちはあなたを忘れません。」 
f. JOG(138) 届かなかった手紙 〜あるユダヤ人から杉原千畝へ〜
   世界はアメリカを文明国という。私は、世界に日本がもっと文
  明国だということを知らせましょう。 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 上杉千年、「猶太難民と八紘一宇」★★★、展転社、H14
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「大日本帝国のユダヤ難民救出」について 

                                            匿名希望さんより
     今回のメルマガで安江大佐の事をはじめて知りました。松岡
    外相と言えば、国際連盟脱退や日独伊三国同盟締結などであま
    り評価されない事が多いですが、ユダヤ人保護の件は本当にえ
    らいなと思います。

     それにしても天皇陛下の御心には感動しました。私の好きな
    昭和天皇のお言葉に「雑草などという草はない」というのがあ
    ります。このお言葉通り、ユダヤ人、日本人の区別無く御仁愛
    のお心で接せられた陛下を思うと心が温まります。

     ユダヤ人が日本に来たときに、神戸の人がすごく優しく接し
    たと聞きました。どのような心温まる交流があったのか知りた
    いなと思います。神戸には友達が沢山いますし私の大好きな街
    の一つです。適当な本が無ければ、調べてみるのも面白いかな
    なんて思います。

                                          Tommyさんより
     私は1928年の神戸生まれです。今の新神戸駅の南に住ん
    でいました。小学生だった私はある日銭湯に行って異様な光景
    を目にしました。
    
     足の踏み場もないくらいユダヤ人でいっぱいだったのです。
    黙々と浸かっていて異様だったのを覚えています。

     異人さんは別世界の人で、いい身なりをした大金持ちと思っ
    ていました。ところが彼らはみすぼらしい姿です。子供心に大
    変なショックを受けたことを覚えています。

     外国通だった父の説明では、彼らの半数は、旅の途中で死ん
    でしまうだろうとのこと、しんそこ哀れを感じました。街の人
    もそんな気持ちで接していたのだと思います。卵を高く売った
    不心得な商人がいて、お巡りさんに打たれ、代金を返したとい
    ったエピソードは後で本で知りました。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     八紘一宇の精神から言えば、ユダヤ難民も、北朝鮮の人民も
    同様に扱ってやらねばなりませんね。

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