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■■ Japan On the Globe(318)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

               国柄探訪: 国語の地下水脈

           日本人の感性を磨いてきた名文を暗誦すれば、生きる
          力が湧いてくる。
■■■■■ H15.11.09 ■■ 38,930 Copies ■■ 984,610 Views■

■1.言葉の不思議な力■

         私(わたくし)、生まれも育ちも葛飾(かつしか)柴又
        (しばまた)です。帝釈天(たいしゃくてん)で産湯(う
        ぶゆ)をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテン
        の寅と発します。
        
     ご存じ寅さんの口上(こうじょう)だ。声に出して読んでみ
    て欲しい。腹から声を出すのだが、あまりドスを効かせず、や
    や高い声で歯切れよく。首を少し傾けて、口を横に引っ張り、
    不自然にほほえむようにすると良いという。短くテンポも良い
    ので、すぐに覚えられるだろう。覚えたら文章を見ずに、声に
    出して貰いたい。渥美清演ずる、おっちょこちょいの寅さんが
    精一杯気取って、名乗りをあげる様を想像しながら。
    
     こうして何度か声に出していると、自分が寅さんになったよ
    うな気がしてくるから不思議である。言葉とはそもそも文字を
    目で追うものではなかった。身体を使って声に出し、そのリズ
    ム、高低、強弱、息づかい、身振り手振りなど、身体全体で相
    手に自分の心を伝えるものであった。したがって寅さんの口上
    を真似すれば、寅さんの心が乗り移ってくる。言葉にはそうい
    う不思議な力がある。

■2.子供たちの心にエネルギーを伝えていく言葉■

     身体を使って言葉を発することで、心が伝わるのなら、それ
    は子供の教育にも使えるはずだ。エネルギーのこもった文を声
    を出して読み上げることにより、子供たちの心にもエネルギー
    が伝わっていく。たとえば、次の一文などはどうだろうか。
    
        水を両手で掬(すく)って、一くち飲んだ。ほうと長い溜
        息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。
        肉体の疲労恢復(かいふく)と共に、わずかながら希望が
        生まれた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉
        を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々(きぎ)の葉に
        投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、
        まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑
        わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は信じ
        られている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、
        などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いな
        ければならぬ。いまはただその一事(いちじ)だ。走れ!
        メロス。
        
     太宰治の「走れメロス」の一節である。声に出して朗読して
    みて欲しい。「義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉
    を守る希望である。」「私を、待っている人があるのだ。少し
    も疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。」と、た
    たみかけて、心の底からだんだんエネルギーが湧き上がってく
    る感じである。そのエネルギーあふれるリズムが次第に高まっ
    て、ついには「私は、信頼に報いなければならぬ。」「いまは
    ただその一事(いちじ)だ。」「走れ! メロス。」と断固た
    る決意に昇華する。主人公の心の動きと見事に一致したリズム
    からメロスの雄々しい心が伝わってくる。
    
     そしてその間に「斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝
    も燃えるばかりに輝いている」という静かな、目にも鮮やかな
    一瞬の光景が挟まれている。こんな美しさと力強さに溢れた名
    文を小学生の時から暗唱・朗唱していたら、子供たちは無気
    力・無関心・無感動などにはならないであろう。
    
■3.雨ニモマケズ■

     子供たちに学んでもらいたいのは、美しさや雄々しさだけで
    はない。忍耐強さや思いやりも身につけさせたい。それには宮
    沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が良い。(空行は弊誌で挿入)

        雨ニモマケズ 風ニモマケズ
        雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ 丈夫ナカラダヲモチ
        慾ハナク 決シテ瞋(いか)ラズ
        イツモシヅカニワラツテイル

        一日ニ玄米四合ト 味噌ト少シノ野菜ヲタベ
        アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ
        ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
        野原ノ松ノ林ノ蔭ノ 小サナ萱ブキ小屋ニイテ

        東ニ病気ノ子供アレバ 行ツテ看病シテヤリ
        西ニ疲レタ母アレバ 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
        南ニ死ニソウナ人アレバ 
        行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
        北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
        ツマラナイカラヤメロトイヒ

        ヒデリノトキハナミダヲナガシ
        サムサノナツハオロオロアルキ
        ミンナニデクノボートヨバレ
        ホメラレモセズ クニモサレズ
        サウイウモノニ ワタシハナリタイ

    「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」と出だしから、マ行の音が続
    いて、いかにも「もたもた」したリズムが木訥な生き方をその
    まま現している。東西南北を歩き回って一生懸命、周囲の人々
    を助けようとするが、涙を流したり、おろおろ歩いたりと、た
    いしたことはできない。だから誉められもしないし、苦にもさ
    れない。しかし、そういう地道で誠実な生き方こそ尊いのだ、
    というメッセージが木訥なリズムの中に充満しているからこそ、
    この詩が多くの日本人に長らく愛唱されてきたのだろう。
    
     勉強やスポーツなどできなくとも、思いやりをもって生きる
    ことこそ大切なのだ、ということを、この詩を暗唱することで、
    子供たちに感じ取って欲しいものだ。
        
■4.祖国とは国語■

     ある一人の天才が残した言葉が、多くの人々に愛唱されるこ
    とによって、その心の中に生き続け、その感性を育てていく。
    また後に続く世代もその言葉を教えられることによって、先人
    の感性を継承していく。こうして一つの民族は、言葉によって
    共通の感性を育てていくのである。
    
     特に我々日本人は、はるか神話の時代から日本語を育て、ま
    た日本語に育てられてきた。その一例として「春」に関して日
    本人の感性を磨いきあげてきた文章をいくつか挙げてみよう。
    
        石(いわ)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の萌え出
        づる春になりにけるかも      (志貴皇子、奈良時代)
        
        春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、
        紫だちたる雲の細くたなびきたる。(枕草子、平安時代)
        
        春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉(かな) 
                                      (与謝蕪村、江戸時代)
        
        春のうららの隅田川 のぼりくだりの 船人が
        櫂(かい)のしずくも花と散る 眺めを何にたとふべき 
                    (武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲、明治時代)

    「石ばしる」から「春のうららの」まで千二百年ほども離れて
    いる。我々日本人はかくも長い間、繰り返し繰り返し、春を愛
    でる言葉を生み出し、またその言葉を暗誦することで春を愛お
    しむ感性を磨いてきたのである。

         私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むの
        だ。祖国とは国語だ。それ以外の何ものでもない。
          
    とは、フランスのシオランという哲学者の言葉だそうだが、ま
    さに日本人とは日本語の中に生まれ、育ってきた民族である。

■5.外国語の文を吸収してしまう力■

     日本語の力は、また外国語の名文を取り込んで吸収してしま
    う処にもいかんなく発揮されている。
    
        年々歳々 花相似たり
        再々年々 人同じからず (劉希夷)
        
        国破れて山河あり
        城春にして草木ふかし (杜甫)
        
     これらの江戸時代までの漢文に替わって、明治以降は西洋の
    名詩・名文もさかんに訳されて、人口に膾炙していく。
    
        山の彼方(あなた)の空遠く
        幸い住むと人のいふ。 
        ああ、われひとと尋(と)めゆきて、 
        涙さしぐみかえりきぬ。 
        山のあなたになお遠く 
        幸い住むとひとの言ふ。 (カール・ブッセ、上田敏訳) 

        秋の日の ヴィオロンの ためいきの
        身にしみて ひたぶるに うら悲し。
        
        鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて
        涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
                          (ポール・ヴェルレーヌ、上田敏訳)
        
        私の耳は貝のから 海の響きをなつかしむ
                      (ジャン・コクトー、堀口大学訳)

     明治、大正、昭和の激動の時代に生きた我々の祖父母や両親
    の世代は、これらの西洋詩を口ずさみつつ、多感な青春の日々
    を送ったのである。

■6.暗誦は強制?■

         しかし、現代の日本では、詩や名文を暗誦したり朗誦す
        ることが、当たり前ではなくなってきた。大学生に好きな
        詩や文で暗誦できるものを持っているかを聞いたところ、
        五パーセント以下という結果が出た。・・・
        
         小学校の授業においても、暗誦や朗誦の比重は低くなっ
        てきているように思われる。詩の授業を参観しても、その
        詩を声に出して朗読したり暗唱したりすることはあまりお
        こなわれず、詩の解釈に時間が割かれることが多い。

     と、語るのは、最近のベストセラー「声に出して読みたい日
    本語」「同 2」の著者・斎藤孝氏だ[1,2]。
    
         暗誦が衰退した背景には、暗誦文化が受験勉強の暗記と
        混同されたという事情がある。年号の暗記や些末な知識の
        詰め込みに対しての拒否反応が強かったために、覚えるこ
        と自体が人間の自由や個性を阻害するものと思われた。
        [1,p200]
        
    と斎藤氏は推察する。意味も分からないまま文章を暗記させる
    のは一種の強制であり、それでは自由な個性や創造力は伸びな
    い、という浅薄な思いこみがあったのだろう。基本の型を徹底
    的に体得することなしには、一流の個性も創造もありえない、
    という事は、何か一つ芸事やスポーツを習った経験のある人な
    らすぐに分かることなのに。
    
■7.名文名句のリズムを身体に覚え込ませる■

         幼い時期、たとえば小学校就学以前の子どもに、漢詩や
        和歌を暗誦させるということは、果たして拷問であろうか。
        あるいは、そのようなことがそもそもできるのであろうか。
        こうした疑問に対する一つの実践的な解答として、私は大
        阪のパドマ幼稚園の実践に出会った。そこでは、年少組か
        ら漢詩を速いテンポで朗読・暗誦していた。年少組や年中
        組の子どもが李白や杜甫の詩を大きな声で暗唱・朗誦する
        様は衝撃的であった。
        
         その衝撃はけっして嫌な感じのものではなく、むしろ小
        気味良いものであった。子供たちの表情は生き生きとして
        おり、速いテンポでそうした調子の良い詩文を朗誦するこ
        とを、からだごと楽しんでいることがはっきりわかった。
        これは、詰め込み式の早期教育とは一線を画する実践であ
        る。[1,p206]
        
    「百ます計算」で有名になった陰山英男先生も、長文の素読・
    暗誦を小学生の授業に取り入れた所、子供たちが一生懸命、取
    り組んだ、という実践事例を報告している[a]。
    
         子供たちは、大人以上に身体が柔らかい。リズムやテン
        ポを楽しむ身体感覚が優れている。蕪村や一茶の俳句や宮
        沢賢治の詩を暗唱している幼児を見ると、それが彼らの身
        体を喜ばすことになっていると感じる。[1,p207]

     頭で理解させようとするから難しくなり、子どもの方も面白
    くない。多少分からない所があっても、名文名句のリズムを楽
    しみ、身体に覚え込ませる。それは幼児のうちからモーツァル
    トを聞かせて、音楽の感性を養うのと同じである。

■8.よき人生の道連れを得た喜び■

     斎藤氏はまた老人方を相手にこんな経験もしている。

         私は七十代の方々のゼミを数年間担当していたことがあ
        るが、その方々が子どもの頃に覚えた言葉を今でもすらす
        ら言えることに驚いた。そして、そうした言葉を朗誦して
        いるときの、その方々の顔が喜びにあふれているのを目の
        当たりにした。[1,p209]
        
     子どもの頃に暗誦した言葉で意味の分からなかった所も、人
    生の経験を積み重ねていくうちに、ふと分かる瞬間が訪れる。
    嬉しい事や悲しいことがあった時に、子どもの頃に暗誦した言
    葉がふと思い浮かんで、その言葉の持つ深い意味に気づく。そ
    ういう経験を積み重ねると、その言葉を口ずさむだけで、自分
    の人生の様々な場面が思い起こされるようになる。子どもの頃
    に暗誦した言葉は長い人生において、自分を導き、支え、励ま
    してくれる道連れとなる。老人方の「喜び」とは、そういう道
    連れに恵まれた幸福であろう。
    
     自分が共に生きた言葉を、また子や孫の世代が習い覚えてく
    れるなら、それはまた大きな喜びである。自分はこの世から去
    っても、自分がともに人生を歩んだ言葉は後の世代が大切に受
    け継いでくれる。自分はいなくなっても、自分が大切にした根
    っこは、後の世代が大切に引き継いでくれるのだ。。
    
     国語はこのようにして世代を貫いて民族の心の地下水脈をな
    す。暗誦文化が衰退したといっても、たかだかこの1,2世代
    のことである。現在の世代が忘れていても、国語の地下水脈は
    こんこんと流れ続けている。疲れ果てた身体でも、岩の裂け目
    から流れ出る清水を見つけて一口飲めば、そこから我々は新し
    い力を得るだろう。ちょうどメロスのように。
    
         ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。
        歩ける。行こう。肉体の疲労恢復(かいふく)と共に、わ
        ずかながら希望が生まれた。
                                          (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(230) 「ゆとり教育」が奪う「生きる力」
   長文暗唱にいきいきと取り組む子供たちの姿は「生きる力」が 
   どこから来るか示している。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 斎藤孝、「声に出して読みたい日本語」★★★、草思社、H13
2. 斎藤孝、「声に出して読みたい日本語 2」★★★、草思社、H14

   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「国語の地下水脈」について 

                               Keikoさん(イタリア在住)より
     国語の大切さを折に触れて伝えておられますが、本当にその
    とうりだと思います。国際的に広く通用する英語を習得するの
    はもちろん大切でしょうが、自国語をよく知らない、あるいは
    自国語に愛着をもてないようでは自分の実体がないようなもの
    です。

     イタリアの学校ではかなり長い詩の暗唱をさせています。暗
    唱の宿題が出たときに、思わず父親も昔に帰っていっしょに口
    ずさんでおりました。つまり半世紀近くたっても教育の内容が
    あまり変わっていないということでしょうか。イタリアではダ
    ンテの「神曲」(1300年代の作品)とマンゾーニの「婚約者」
    (1800年代の作品)が今も語り継がれ、朗読の上手な俳優さん
    が珍重されています。

     ところで、唱歌はまだ歌い継がれているのでしょうか。私は
    音楽が大好きだったこともありますが、学校で実にたくさんの
    唱歌を習い今もかなり覚えています。息子が生まれたとき、も
    ちろん子守唄を何万回も歌ったし、成長するにつれて、歌の内
    容がわかってきて、自分でも歌っています。

    「それにつけても日本には子供用の歌がたくさんあるんだねぇ。
    」とイタリア人の主人は驚いています。楽しい歌を通して子供
    達に自然や風習などを無理なく教えている日本の唱歌はすばら
    しいと思います。そんなすばらしい唱歌までないがしろにされ
    ていないことを祈りつつ・・・

                                                光紀さんより
    「国語の地下水脈」、楽しく読ませていただきました。私も、
    以前似たような経験をしたことがあります。ある老婦人とお話
    した時、婦人は私が「古事記」や「日本書紀」の知識が全く無
    い事に驚かれ、何人かの帝やそれにまつわるエピソードととも
    に歴代帝をそらんじられたのです。これは全て学校で習ったこ
    とだと、お話をされた婦人はとても楽しそうにおっしゃってお
    られました。

     私は小学校で「昔の小学生は歴代天皇や天皇の歴史の暗記を
    強制され、天皇のために働けるよう洗脳されていた」と教えら
    れており、こういった暗記教育についてマイナスのイメージを
    持っていました。ですが、その老婦人との出会いでこういった
    偏見は瞬時に消え去りました。

     歴代帝をそらんじることも、古事記や日本書紀の生き生きと
    したエピソードを憶える事も、子供たちにとっては自分達や自
    分の国のルーツを体感することにとても役に立っていたのかも
    しれません。

     ちなみに、私が通っていた小学校のクラスでは「世界に冠た
    る日本国憲法」の序文を全部暗記することが担任の先生の方針
    で求められていました(きっちり先生の前で憶えないと帰宅で
    きないこともありました)。ですが、読みにくい人工的な文章
    だったせいか、だれもうまく憶えられず、結局途中でこの件は
    沙汰やみになってしまいました。

     小学生は感受性の高い年代ですから、大人以上に日本語の良
    し悪しにシビアなのかもしれません。日本語の見直しが進みつ
    つある中、今の小学生の境遇がうらやましく思えます。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     記憶が人格を作り、歴史が民族を作る、ということでしょう。

■「国語の地下水脈」について 

                                          宇佐山の風さんより
     古典の暗誦についてのお話、同感の方は多いと思ひます。ち
    ひさい子をお持ちの方はご存じの方も多いと思ひますが、NH
    K教育テレビの幼児向けの番組で、しばらくまへから放送され
    てゐる、「にほんごであそぼう」は、これも斎藤孝氏の監修で
    す。

     ここでは日本語の言葉遊びのやうなものを、子ども向けです
    からおもしろをかしく取り入れつつ、各種の日本の古典の文章
    を朗誦し、画面に映し、さらには小学生にきそはせるやうに、
    といふよりゲームのやうに朗誦する場面を放映してゐます。最
    近は平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあ
    り・・・」(もう少し長く)をやってゐる日が多いやうですが、
    私の子(5歳)も喜んで見、また声を出してまねしてゐます。

     同じ番組で「英語で遊ぼう」といふのを以前からやってゐま
    すが、日本語でこのやうな番組がヒットするとは、放送関係者
    の間では以前は考へられてゐなかったのでせう。斎藤氏の功績
    といへると思ひます。軽い日本回帰、潜在意識にあったものを
    思ひ出さされた、とともに子供はどんなものにも興味を持つわ
    けで、どんなものを与へるかは大人の責任だといふことです。

     私の子は「英語で遊ぼう」の方も喜んで見てはゐますが、ど
    ちらかといふと「にほんご」のほうがおもしろいやうです。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     伝統的なものは非合理的だという近代の迷信は、科学的に払
    拭されつつあります。

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