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■■ Japan On the Globe(378)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

        The Globe Now: サマーワに架けた友情の架け橋

                    自衛隊のイラク支援活動によって得られた
                   信頼と友情は「日本人の財産」
■■■■ H17.01.16 ■■ 32,680 Copies ■■ 1,433,923 Views■

■1.前代未聞の感謝デモ■

     イラクでは噂が伝わるのが速い。昨年12月14日の自衛隊
    の派遣期間が終わりに近づき、またロケット砲が打ち込まれる
    という騒ぎが起こると、「自衛隊は帰るのか?」という懸念が
    瞬く間に広まった。

     すると140人の老若男女からなるデモ隊が「日本の支援に
    感謝する」と自衛隊宿営地に詰めかけ、口々に「帰らないで」
    と懇願した。同時に「自衛隊の滞在延長を願う署名運動」が展
    開され、2日間で1500人もの署名が集まった。[1]

     実は感謝デモはこれで二度目だった。4月に2度、自衛隊宿
    営地そばに迫撃砲が撃ち込まれると、サマーワ市民による百人
    規模のデモ行進が行われた。スローガンは「日本の宿営地を守
    ろう」というものだった。さらにいろいろな人が宿営地に来て、
    「申し訳ない。あれは一部のはねっかえりで、イラク国民の意
    思ではない。どうか帰らないでくれ」と陳情した。[2]

     前代未聞のデモに、英米オランダ軍も驚いて、自衛隊に矢継
    ぎ早に問合せをしたほどだが、迫撃砲を撃ち込んだテロリスト
    達もこれでは逆効果だと思っただのろう。その後、派遣期間終
    了の近づく11月まで動きはなかった。

     もっともこうした事実は、日本のマスコミはほとんど伝えな
    かった。逆にパレスチナ自治政府のアラファット前議長の死去
    を受けてサマーワで行われた「パレスチナ支援デモ」では、
    20本ほどの横断幕のたった一つに「自衛隊は撤退すべきだ」
    と書かれていただけで「反日デモ」などと報じた新聞があった。
    偏向報道もここまで来れば、確信犯という他はない。

■2.「カーネル・サトウはサマーワの人々の心に到達した」■

     自衛隊によるイラク支援は、活動当初からイラクの人々の心
    を捉えるよう綿密に準備されたものだった。先遣隊隊長として
    乗り込んだ佐藤正久・一等陸佐は今回が3度目のPKO参加。
    最初のカンボジアの後に、ゴラン高原で一次隊長を務めており、
    中東人とのつきあいを体験的に心得ていた。

     風貌も中東人風で、豊かな口ひげがよく似合う。現地では
    「絶対に破らない約束をする」時、互いのヒゲを触る決まりが
    あるので、相手の家に招待された時などは、ヒゲが重要な役割
    を果たした。

     さらにイラク人の衣装を貰って、食事に招待された時にはこ
    れを着ていった。現地の人々と車座になって、右手で食べる。
    こうした姿勢をイラク人は「我々の伝統的文化を尊重してくれ
    た」と非常に喜んだ。ある部族長は「カーネル(大佐)サトウ
    はサマーワの人々の心に到達した」と語った。

     帰国直前には「イラクから帰ってくれるな。嫁と家は準備す
    るから」とまで言われた。アラブでは妻は4名まで持てるので、
    あと3人は大丈夫だというのである。

■3.「カーネル・サトウを悲しませたくない」■

     先遣隊の仕事の一つに宿営地の準備があったが、この土地の
    借用交渉がなかなかまとまらなかった。地主が法外な値段をふっ
    かけてきたからだ。日本のマスコミはこれをさも現地が自衛隊
    を歓迎していない証拠であるかのように報道したが、佐藤一佐
    の思惑はもっと深い所にあった。

         私には合意を急ぐという気持ちは毛頭なかった。交渉で
        ぎりぎりまで粘って、我々の想定額にできるだけ近づけた
        いと思っていました。理由があったからです。「我々は占
        領軍ではない」ことをイラクの人たちにアピールするため、
        しっかりと契約を交わして、お金を払って宿営地をつくる
        ことを見せたかった。

         それと、我々と同様に土地交渉を行っているオランダ軍
        の交渉に影響を与えないようにしたかった。悪い前例を残
        さないような妥当な金額で決めたかったのです。ですから、
        はなから安易に折り合う気はなくて、時間をかけていこう
        と腹を決めておりました。[3,p155]

     ゴラン高原での経験からも、中東での交渉事は、じっくり時
    間をかけて、まず人間関係を作る所から始めなければならない、
    と心得ていた。そのために約1ヶ月半の間に約10回も会って、
    時にはお茶を飲みながら、日本の文化を紹介したりまでした。

     こうしたプロセスを経て、最後には相手は「カーネル・サト
    ウを悲しませたくない」と言って、きわめて妥当な金額で折れ
    てくれた。

■4.「我々はあなた方の友人として、サマーワに来た」■

     番匠幸一郎一等陸佐が率いる復興支援の本隊・第一次イラク
    復興支援群がサマーワに近づくと、道行く人々が遠くの方から
    も大きく手を振った。

         最初は外国人が珍しいのかなと勝手に思っていたのです
        が、そうではなくて、彼らは日本の自衛隊だとわかって手
        を振っていたのでした。子供たちは「ヤーバニー(日本人)」
        と声を上げながら走り寄ってきて歓迎してくれました。
        [3,p53]

     装甲車両には色鮮やかな日の丸が描かれている。隊服の右胸、
    左袖、背襟下にも遠目にもよく目に見えるほどの日の丸をつけ
    ていた。多国籍軍側からは「これでは『撃ってくれ』と言わん
    ばかり。お前らはどうかしている」と何度も忠告されたが、イ
    ラク人に「自分たちは日本の自衛隊」であることをことさらア
    ピールしたかったからだ。

     サマーワにつくと、番匠一佐は現地の人々に繰り返しこう語っ
    て理解を求めた。

         我々はあなた方の友人として、日本からサマーワに来た。
        我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、国土は焦土と化
        した。すべてが無に帰し、食料にも困る日々が続いた。そ
        んな廃墟のなかから、私たちの祖父母、父母の世代は立ち
        上がり、大変な努力をして、日本を復興させた。そして、
        その結果、いまや経済力世界第二位という日本を築き上げ
        ることができた。

         メソポタミア文明という人類にとって偉大な歴史を有す
        るあなたたちイラク人は偉大な国民だ。あなた方に同じこ
        とができないはずはない。我々は友人として、あなた方が
        立ち上がるお手伝いに来たのだ。[3,p58]

     イラク人にとっては、日本は同じアジアの国である。さらに
    自分たちと同じようにアメリカにやられた国だという意識があっ
    たようだ。その日本から「友人として助けに来た」という番匠
    一佐の言葉はイラク人の心に響いたに違いない。

■5.意気に感じたイラク人作業者たち■

     宿営地には建設中の段階から、外国の軍人たちが表敬や見学
    のために訪ねてきたが、彼らが一様に驚くのは、イラク人作業
    者たちが、夕方になってもまだ働いていることだった。外国の
    宿営地で雇っている作業者たちは3時、4時になると仕事が途
    中でも帰ってしまう。夏場には60度にも達し、風が吹くと汗
    はすぐに乾いて塩になってしまうほど、それも無理はない。

     外国の場合は、イラク人作業者に作業を命ずると、彼らだけ
    を働かせるのだが、日本では幹部自衛官でも、彼らと一緒になっ
    て、ともに汗を流した。

     宿営地の鉄条網整備の際には、日本人2、3人とイラク人7、
    8人がチームを作り、有刺鉄線に服はボロボロ、体中、血だら
    け汗まみれになって作業を続けた。昼食は分け合い、休み時間
    には会話本を指差しながら、仕事の段取りについて話し合う。

     いったん意気に感ずると、とことん尽くすのがアラブの流儀
    だ。終業時間の5時を過ぎても、まだ隊員と一緒にブルドーザ
    ーに乗って働いているイラク人の作業者もいた。

■6.「自衛隊の水」で「子供の病気が治った」■

     600名の隊員による支援活動が始まった。6時に起床し、
    洗面・朝食後、8時からの朝礼ではイラク国旗と日の丸の掲揚、
    ラッパによる両国国歌の演奏。それから5時の終礼まで作業が
    続く。

     復興支援業務の柱は、給水、医療、公共施設復旧である。宿
    営地の北側にあるユーフラテス川の支流の運河から水を引いて、
    4台の浄水車で一日80トンから100トンの飲料水を作る。
    これを日本のODAで寄贈した日の丸つきの12両の給水車で、
    自衛官から運転の方法を教わったイラク人ドライバーが配る。
    これはイラクで殉職した故・奥克彦大使のアイデアだった。
    [a]

     ユーフラテス川の水は水質が悪く、飲めば100%アメーバ
    赤痢にかかってしまうのでイラクの人々は決して飲まないそう
    だ。戦闘で上水道が破壊されると、イラクの人々は浅い井戸の
    非衛生的な水を飲まなければならず、まさに死活問題である[4]。
    「自衛隊の水」で「子供の病気が治った」など、感謝の声が多
    く寄せられた。

     医療支援は、直接現地人を治療するのではなく、ODAによ
    る医療器材や薬を供与し、自衛隊医官がイラク人医師への最新
    医療技術の教育を行った。特に「いくら立派な機材を入れても、
    病院が汚れているのが一番問題なのだ」と説明することで、掃
    除が行き届くようになり、「自衛隊が行くようになってから病
    院が綺麗になった」と評価された。

     金にあかせた派手な援助ではなく、人々の生活に不可欠な基
    盤を地道に復興する、というのが、現地の人々に最も喜ばれる
    支援のあり方だろう。

■7.「そこは日本にやってもらいたい」■

     また、あくまでイラク人が自分で復興するのを支援するのだ、
    という方針は、学校や公共施設の復旧活動でも貫かれた。一つ
    には、なるべく現地の業者を使うことで、現地の雇用を創出し
    て、深刻な失業率に歯止めをかけるためだ。

     この点は他国の部隊や支援機関も同様だったが、彼らが業者
    にほとんど「丸投げ」するのが多かったのに対し、自衛隊はプ
    ロセスを大事にした。佐藤一佐はこう語る。

         例えば、学校の修復であれば、学校長、部族長、評議会
        などが横並びでいろんな意見を言いますが、それを統轄す
        る人がいない。そこで、我々は一つ一つのニーズを拾い上
        げながら、ひざを付き合わして話し合いを続け、それぞれ
        のイニシアティブを尊重しながら、青写真にまとめ、関係
        各位に合意をとってから、詳細設計に入り、見積もりを作っ
        て、業者を募集し、選ぶという手順を踏みました。・・・

         初めから丸投げしたほうが楽なのですが、我々は6月に
        予定されていた主権移譲後のあり方というものも視野に入
        れていましたので、このような過程を丁寧にすることも大
        切な復興支援の一つだと考えたのです。

         実際、イラクの人たちの信頼は厚くなり、「そこは日本
        にやってもらいたい」という要望がどんどん増えていきま
        した。そして、主権移譲後は、他の国の部隊やNGOも日
        本のやり方に近づいています。[2]

     こうした活動で、小学生からも「学校修復のおかげで、きれ
    いな教室で勉強できる」と言ってもらえると、疲れも吹き飛ん
    だという。[1]

■8.ユーフラテス河の鯉のぼり■

         5月5日のこどもの日にユーフラテス川に鯉のぼりをか
        けて泳がせ、戦禍のなかでたくましく生きるサマーワの子
        供たちに見せてやりたいのです。子供さんが成長されて、
        タンスのなかで眠っている鯉のぼりがあったらご提供いた
        だけないでしょうか?

     番匠一佐がイラクに来る前に駐屯地司令官をしていた北海道
    ・名寄市の市民にこう呼びかけると、200本以上の鯉のぼり
    が集まった。

     4月29日には宿営地そばに迫撃砲弾が撃ち込まれて、鯉の
    ぼりプロジェクトの中止も検討されたが、この局面だからこそ
    で、敢えてこのプロジェクトを遂行しようと決定を下した。幅
    100メートルのユーフラテス川に多くの鯉のぼりをかけ、同
    時に番匠一佐から次のようなメッセージが発せられた。

         日本では宗教に一切関係なく、父親母親が成長を祈って、
        こどもの日に鯉のぼりを掲げます。下流から上流に向かっ
        て流れに逆らい勢いよく上がっていく鯉は成長や健康の象
        徴です。子供はその国の将来そのものであり、イラクの子
        供が明るい未来を築いてくれることを祈念します。
        [3,p179]

     サマーワ市民百人規模の「日本の自衛隊を守ろう」という前
    代未聞のデモ行進が行われたのは、この翌日のことであった。

■9.「日本人の財産」■

     番匠一佐がイラク支援を通じて感じたのは「日本人の財産」
    ということだそうだ。

         日露戦争で頑張った日本人、戦後の廃墟から世界第二位
        の経済大国にまでつくり上げた父母、祖父母の努力。いま
        に至ってもサマーワ最大のサマーワ総合病院は20年前の
        日本のODAによってできたものです。その当時の日本人
        がどれだけ立派だったか、という話をよく聞いたし、サマ
        ーワでは日本の車、電化製品の信頼性が異常なほど高い。
        今回ほど、自分が日本人あるいは自衛官であることを誇り
        に思ったことはありませんでした。[3,p76]

     今回の活動も「まさに日本人がこれまでに積み上げてきたも
    のに見守られていた」という。

    「日本と日本人はイラクで非常に尊敬されている」(アラウィ
    ・イラク暫定政府首相[5])という事実は、過去のODAや経
    済活動で築いてきた「日本人の財産」である。今回の自衛隊の
    支援活動は、その財産目録に新たな一頁を加えたと言える。

    「自衛隊の水」を飲んで病気から治った子供たち、自衛隊の手
    で修復された学校に学ぶ子供たち、ユーフラテス川の鯉のぼり
    に歓声をあげた子供たち、これらの子供たちが大人になった時、
    彼らは日本の心からの友人となるだろう。食料やエネルギーの
    大半を輸入に頼るために、世界が平和でなければ生きていけな
    い日本人にとって、こういう友人ほど大切な財産はない。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(332) 奥克彦氏の「イラク便り」
   犠牲になった尊い命から私たちが汲み取るべきは、テロとの戦
  いに屈しないと言う強い決意ではないでしょうか
b. JOG(363) 「大義ある国益」とは?
   なぜ大義なきイラク戦争を支持する事が、日本の国益に適うの
  か?
c. JOG(019) Neck in the sand
   湾岸戦争での日本の愚かな臆病者ぶり

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 産経新聞「イラク陸自支援 感謝の"デモ"」、H161202
2. 佐藤正久「サマーワに架けた信頼の架け橋」『日本の息吹』
   H16.10
3. 産経新聞イラク取材班『武士道の国から来た自衛隊』★★★、
   産経新聞ニュースサービス、H16
4. 八巻玲子『週間智恵コラム』★★★、H160920
5. 産経新聞「イラク派遣延長、首相、決断に迷いない」、
   H16.12.10

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■「サマーワに架けた友情の架け橋」について

                                       「らじやん」さんより
     今回の内容を読んで大きな衝撃を受けました。日頃からニュ
    ースでは偏った内容が放映されていると理解していたつもりで
    したが、サマーワでの活動については住民からあまり歓迎され
    ていないし、活動もたいした貢献になっていない、その上に劣
    化ウラン弾で汚染されて、派遣された隊員もご苦労なことだく
    らいにしか考えていませんでした。

     国内の被災地で黙々と活動するその真摯な姿を、異国の地に
    あっても行っていたのだという当たり前の事実が歪められて国
    内で報道されているのは何故でしょうか。だからこそ自国の文
    化や歴史に自信を持てない、場当たり的な人が増えてしまって
    いるのでしょう。

     隊員たちも何かと大変だとは思いますが、どこにあっても自
    衛隊員であることに、日本国民であることに誇りをもって、イ
    ラクの人々と本当に手を取り合って復興を支援していって欲し
    いです。また、そういった姿を国内のメディアや海外のメディ
    アでも正しく報道して欲しいと強く思いました。

                           「税理士>GS>コンビニ」さんより
     仕事で税金を扱う立場から申し上げます。極めて重要で価値
    の高い相続財産であるに関わらず、相続税の対象にはならない
    モノがあります。それは相続人へ残すべき「誇り」「生き様」
    「信念」「美徳」等々です。これらの無形財産は相続税の対象
    外です。節税なぞよりも優先順位を遥かに上に私は位置づけて
    おります。

     今回の号における番匠一佐が云う「日本人の財産」に感動し
    ました。「日本人がこれまでに積み上げてきたもの」を守り、
    そして後に残していくのは我々日本人しかいませんね。

     自衛隊の皆様が「日本人あるいは自衛官であることを誇りに
    思」えるように、そして日本人の財産目録がますます充実する
    ように、少しでも役立つ人間になりたいと痛感しました。

                                                KENさんより
     サマーワに関する号では、現地での自衛隊の姿が、六十数年
    前のインドネシアやマレーシアでの日本軍の姿とまったく変わ
    らないことに感心しました。

     現地人を見下すのではなく、現地人と同じ視線にたって、共
    通の目標のために汗みどろになって働く姿は、正にインドネシ
    アの青年道場での日本の青年将校の姿とダブって見えます。

     サマーワの自衛隊には、今村将軍のように責任感と人格を併
    せ持った武人がたくさんいるのでしょう。

     ちょっと誇らしくなりました。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     今村将軍は、先の大戦中のインドネシア軍政の責任者です。
    その温情ある施政によって、インドネシアでは今でも将軍を褒
    める人がいます。自衛隊のサマーワでの働きも、同様に「日本
    人の財産」となるでしょう。

    JOG(045) 「責任の人」今村均将軍(上)

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