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■■ Japan On the Globe(393)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

            地球史探訪: 超速! 沖縄・琉球史

                        50万部の大ベストセラーとなった
                       面白い日本史受験参考書を読んでみよう。
■■■■ H17.05.01 ■■ 33,422 Copies ■■ 1,584,136 Views■

■1.「一人くらい、日本のいい面を伝えられる先生がいれば」■

         生徒の一人が言ってました。何でガンバらんとダメなの?
        こんな悪い国のためにがんばってらんねーよ、って。

         たしかに日本には悪い部分もありました。それは素直に
        認めます。しかし、そのことだけを強調し、せっかくいい
        部分があるのにそれはまったく教えない先生が多いため、
        生徒も日本史への興味を失ってしまうのです。

         これはとても不幸なことです。一人くらい、日本のいい
        面を伝えられる先生がいればと思い、自分がそうなろうと
        思いました。それが現在私が教壇に立っている理由の一つ
        です。[1,p97]

     こう語る予備校教師・竹内睦泰氏の日本史受験参考書がシリ
    ーズ50万部というベストセラーになっている。読んでみると、
    なるほど面白い。

     学校で学ぶ日本史とは、人名や事件の無味乾燥な羅列か、自
    虐史観の押しつけか、いずれにしろ、わくわくするような面白
    さとは縁遠い科目というのが相場だが、このシリーズはそんな
    偏見を見事に打ち砕いてくれる。

     自虐史観などという先入観から離れて、自分の国の歩みを史
    実に即して、共感を持って辿ることで、竹内氏は見事に歴史の
    流れを生き生きと描き出している。その流れの中で、様々な事
    件や人物が位置づけられているので、自然に頭の中に入ってし
    まう。だから受験参考書としてもきわめて効果的なのだ。

     今回は『超速! 日本政治外交史』[2]の「琉球・沖縄史」
    を例に、氏の教授内容を紹介しよう。

■2.「同じ日本人である沖縄の歴史を知らない人が多すぎる!」■

     まず、氏は冒頭で「日本人」とは「日本の国籍を持ち日本語
    をしゃべる人たち」と定義した後、その「日本人」は大和民族、
    琉球民族、アイヌ民族などから成り立つと説明する。

         たとえば沖縄の人たちは、いまでもそうだが、自分たち
        のことを「ウチナンチュ」(沖縄の人)、本土に住む人を
        「ヤマトンチュ」(大和の人)と呼ぶ。「本土の人たちと
        は別」という意識がどこかにあるんだね。

         もちろん、彼らも堂々とした日本人だ。ただ、同じ日本
        人である沖縄、あるいはアイヌの人たちの歴史を知らない
        人が多すぎる! 日本史を学ぶものとして、これはひじょ
        うにまずいよ。琉球やアイヌの人たちの歴史を知ることは、
        「日本とは何か、日本人とは何か」を再確認する作業でも
        あるんだからね。そんなわけでこの本では、琉球・沖縄史
        から始めたい。[2,p10]

     なぜ沖縄・琉球史を学ぶのか、ズバリその意義から説き始め
    る。これは学習者の意欲を高めるのに有効な入り口だ。

■3.「日本と中国、東南アジアの”結び目”に位置する沖縄」■

     次に「沖縄の地理的特性」として、

         日本と中国、東南アジアの”結び目”に位置する沖縄が、
        かつてなぜ中継貿易(なかつぎぼうえき)で栄えたのか、
        地図で見れば一発で分かるでしょ。

     ページの下には東アジアの地図があり、沖縄を中心とした半
    径2千キロの円が描かれ、こんな説明文がつけられている。

         沖縄から半径2000キロ圏内に、東京・ソウル・北京
        ・香港・マニラなど、東アジアの主要都市が含まれる。

     このように「超速」の理解を進めるために、多くの図表や写
    真が本文の下に並んでいる。また本文中の、たとえば「中継貿
    易(なかつぎぼうえき)」は、受験用キーワードとして色づけ
    されている。

     本文に戻ると、

         現在、日本にあるアメリカ軍基地の約75%が、日本の
        国土面積の0.6%しかない沖縄に集中している理由も、
        まさに沖縄の“地の利”にある。早い話、朝鮮半島や台湾
        で「いざ有事」となったときに、数時間のうちに爆撃機を
        差し向けられるからね。「世界の警察」を自認するアメリ
        カにとって、沖縄はどうしても手放したくない軍事拠点の
        一つなのだ。[2,p11]

     沖縄の米軍基地をどう考えるか、という現代的なテーマでも、
    単なる「戦争反対、基地反対」ではなく、朝鮮半島や台湾での
    「いざ有事」との関連を押さえておく必要がある。

■4.琉球の大交易時代■

     地理の後で、いよいよ沖縄の歴史に入る。1万年以上前の旧
    石器時代から沖縄には人が住んでおり、縄文人との共通点が多
    かった。その後、本土では紀元前5世紀頃から稲作を行う弥生
    文化に向かうが、沖縄では漁撈・採取を中心とする独自の貝塚
    文化が発展した。

     11世紀頃から米や麦の栽培が始まり、ムラが形成され、ク
    ニへと育っていった。1429年、琉球王国が建設される。以後、
    王国は那覇の港を拠点として、日本、朝鮮、中国、東南アジア
    との中継貿易で栄えた。この当時は和冦が暴れまわっていた為、
    各国は事実上の鎖国政策をとっていた。そこで、安全な港を持
    ち、周辺諸国と友好関係を結んでいた琉球王国が、貿易の代行
    業を一手に引き受けていたという。こうした「Why」の簡潔
    な説明が、歴史を面白く理解させるのに役立っている。

         琉球王国が中継貿易で栄えた十四世紀後半から十六世紀
        までの約二〇〇年間を、琉球の大交易時代と呼んでいるが、
        その繁栄ぶりを記した「万国津梁(しんりょう)之鐘」と
        いう鐘が残っている。「琉球王国は、朝鮮と往来し、中国
        と密接な関係を結び、日本とは相互に補い合う豊かな島で
        あり、船を世界の架け橋として貿易を行い、諸外国のすば
        らしい商品があふれている」という内容の碑文が鐘に刻ま
        れている。琉球王国の繁栄のシンボルといえるね。[2,14]

     碑文を読むことで、大交易時代の琉球の人びとの高揚した心
    持ちが伝わってくる。こういう所が歴史に推参する面白さであ
    る。

■5.薩摩藩の支配下にありながら明の服属国に■

         16世紀にはいると王国の栄華に翳りが見えはじめる。
        ポルトガルやスペインが東南アジアに進出し、明が海禁令
        を緩和したため、琉球の交易はしだいに衰えていったのだ。
        [2,p15]

     そして1609年、薩摩藩主・島津家久が幕府の許可を受けて琉
    球征伐を行い、以降、琉球は薩摩の支配下に置かれることにな
    る。しかし、表向きは独立王国の体裁をとらせ、わざと中国風
    の服装をさせた使いを江戸に送らせて、「島津様はすごい。外
    国人まで家来にしている」という印象を与えた。

         さらに、表向き独立王国に見せかけて中国に朝貢を続け
        させたのも、巧妙な作戦だよ。島津氏の琉球支配の大きな
        狙いは、琉球を通じて間接的に中国と交易し、そこで得ら
        れた利益をピンハネすることにあったのだ。・・・

         ここで注意してほしいのは、琉球王国は薩摩藩の支配下
        にありながら、同時に明の服属国でもあったことだ。そも
        そも中国に朝貢するというのは、皇帝に服属する意を示す
        ことだからね。独立王国の体裁を保ちながら、日本と中国
        の両方に服属するという微妙な立場(日明両属)は、やが
        て琉球の帰属をめぐる日中間の対立を引き起こす。

         もっとも、当時の琉球を実質的に支配していたのは薩摩
        藩で、中国に服属していたというのは名目上にすぎない。
        [2,p15]

■6.沖縄をめぐる日清の駆け引き■

     明治維新後、新政府は明治4(1871)年に廃藩置県を断行する
    が、その翌年、沖縄を琉球藩とし、琉球国王・尚泰(しょうた
    い)を藩王とした。いきなり沖縄県としては、一気に直轄地と
    なるので、宗主国である清の反発を招くのは明かなので、廃藩
    置県と逆行しても、ワンクッションを置いたのである。

     ちょうど、前年に琉球船が台湾に漂着し、乗組員54名が住
    民に虐殺される事件が起きた。明治政府はここぞとばかり猛烈
    な抗議をし、清が弱腰になった所で、すかさず琉球藩を設置し
    たのである。清はもちろん抗議したが、虐殺事件の負い目があ
    るので、強くは言えなかった。

     明治7(1874)年、明治政府は琉球民殺害の報復を口実に3650
    余人の軍団を編成、台湾出兵を敢行した。これに対し、清は
    「出兵は日本国民が殺害されたことへの正当な報復であった」
    と謝罪して、賠償金を支払った。これは「虐殺された琉球民は
    日本国民である」こと、すなわち「琉球は日本に属する」こと
    を正式に認めてしまったことになる。

     明治12(1879)年、明治政府は琉球藩を廃して、沖縄県を設
    置した。清はこの措置にはさすがに怒り、猛烈な抗議を行った
    が、日本は上記の清の謝罪の言葉をタテに一歩も引かなかった。
    この外交手腕は、現在の対中外交と比べると大変な違いである。

     沖縄に対する日本の領有権は、明治27(1894)年の日清戦争
    勝利でようやく確定した。現代の中国にも、沖縄はもともと中
    国に属していたのに、日本に侵略されて盗られた地という認識
    があるが、こうした経緯が遠因となっている。[a]

■7.悲劇の沖縄戦■

     時代は飛んで、第二次大戦末期の沖縄。

         1944年8月22日、沖縄本島から対馬丸という民間船が
        九州に向けて出航する。乗っていたのは沖縄の学童825
        名を含む約1661名。幼い子供たちの命だけは助けたい
        と用意した学童疎開船だ。

         その対馬丸めがけて、アメリカの潜水艦ボーフィン号か
        ら三発の魚雷が発射された。対馬丸はあっという間に沈没、
        生存者はわずか177名。775名の学童を含む1484
        人の命が一瞬のうちに失われた。

     10月には沖縄は9時間にわたって米軍に爆撃された。「対
    馬丸にしても沖縄空襲にしても、非戦闘員の殺傷は明かな国際
    法違反だ」と竹内氏は憤る。

         1945年4月、アメリカ軍は沖縄本島に上陸を始める。つ
        いに悲劇の沖縄戦が切って落とされた。

         この戦いが悲劇だったのは、本土決戦に備えた持久戦に
        決定したということだ。ようするに、ぎりぎりまで耐えて
        戦う。それによって、本土決戦の時期をすこしでも遅らせ
        る。その使命を沖縄が担わされたのである。

         沖縄の地上戦は三か月続き、全島民の三分の一といわれ
        る民間人10万人以上が死亡した。洞窟に隠れていたとこ
        ろを狙われ、火炎放射器によって窒息死した人たちも多い。
        中学生も戦った。男子中学生の鉄血勤王隊と女子中学生の
        ひめゆり隊は有名だ。彼らもまた約半数が死亡した。[b]

     日本軍の非情な戦略とともに、米軍の戦争犯罪も指摘する。
    公平な筆致ながらも、犠牲となった沖縄の人びとへの憐憫の情
    が垣間見える。

■8.日本・沖縄分割統治■

     終戦後、沖縄は米軍による占領統治が続いた。東アジア全体
    に対する戦略的価値の高い沖縄を日本から切り離して米軍が統
    治するシナリオは、ずっと以前から描かれていたという。

     それは日露戦争後、アメリカが日本を仮想敵国として練り始
    めた対日戦争計画、オレンジ・プランである。これは1921年に
    は完成していたと言われるが、その中に「日本・沖縄分割統治
    案」がすでに盛り込まれていた。

     さらに遡って、幕末に来航して開国を要求したペリーも、日
    本への渡航の前後に沖縄に立ち寄り、勝手に倉庫を設置した。
    一説には、日本との交渉が失敗した場合、琉球を占領する計画
    だったと言われる[c]。「これって、ある意味で米軍基地のは
    じまりじゃないかな?」とは鋭い指摘である。

     米軍は「一坪あたり年間タバコ一箱、二十年契約」などとい
    う契約で、同意しない地主に対しても一方的に土地を収用し、
    米軍基地を建設していった。

     昭和44(1969)年の「安保条約を堅持するかわりに沖縄を返
    還する」との日米共同声明に従って、その3年後、沖縄は悲願
    の本土復帰を果たした。しかし米軍の治外法権を事実上、認め
    てしまったため、米兵による乱暴な事件が多発した。

■9.「県民にたいし後世特別の御高配を」■

     琉球・沖縄史の章の最後で、竹内氏はこんな提案をしている。

         現在の沖縄は不況にあえいでいる。その沖縄経済を活性
        化させる道としてかつての琉球王国の繁栄のシンボル「万
        国津梁之鐘」がヒントになるのではないだろうか。

         つまり、もういちど「世界の港」になるという構想を描
        くのだ。ただし、こんどは海の港ではなく、空の港だ。米
        軍基地の飛行場の一部を返還してもらい、そのまま24時
        間空港にする。アジアのどこに行くにしろ、いったん沖縄
        にきてリゾートを楽しみ、沖縄を拠点に周辺の離島やアジ
        アの都市を往来する。、中継貿易ならぬ“中継観光”の拠
        点だ。[2,p24]

     そのためには「公共事業で土建屋や悪徳政治家を太らせるく
    らいなら、そのお金を集中させてもいいんじゃないか」と言う。
    そして沖縄決戦で海軍の司令官であった太田実の最後の電報の
    言葉で、この章を締めくくる。

        「沖縄県民かく闘えり、県民にたいし後世特別の御高配を
        たまわらんことを」という言葉を残して自決した太田実司
        令官。彼の願いはいまだに実現していない。[2,p24]

     こういう受験参考書で勉強した学生は「こんな悪い国のため
    にがんばってらんねーよ」などという事は決して言わないだろ
    う。先人への共感と自分自身の志を歴史のうちに学びとるので
    はないか。それこそ本当の歴史の面白さなのである。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(367) 「日中友好2千年」という虚構
    日本は、中国の冊封体制と中華思想を拒否し、適度の距離感
   を保ってきた。
b. JOG(196) 沖縄戦〜和平への死闘
    勝利の望みなきまま日本軍は82日間の死闘を戦い抜き、米
   国の無条件降伏要求を撤回させた。
c. JOG(149) 黒船と白旗
    ペリーの黒船から手渡された白旗は、弱肉強食の近代世界シ
   ステムへの屈服を要求していた。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 竹内睦泰『超速! 日本近現代史の流れ』★★★、
   ブックマン社、H12
2. 竹内睦泰『超速! 日本政治外交史の流れ』★★★、
   ブックマン社、H17

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