[トップページ][平成18年一覧][国柄探訪][311 皇室の祈り(平成)]

■■ Japan On the Globe(427)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

              国柄探訪: 皇室という「お仕事」
                           〜 紀宮さまの語る両陛下の歩み

                「物心ついた頃から、いわゆる両親が共働きの
                  生活の中にあり、、、」
■転送歓迎■ H18.01.08 ■ 35,966 Copies ■ 1,902,558 Views■

■1.「今日は何か特別によいことがあるのかしら」■

     昨年11月に黒田慶樹氏と結婚され、皇室を離れられた清子
    さま、紀宮清子(のりのみや さやこ)内親王のご誕生と幼い
    頃のお姿を皇后さまは次のように語られている。

         清子は昭和44年4月18日の夜分、予定より2週間程
        早く生まれてまいりました。その日の朝、目に映った窓外
        の若葉が透き通るように美しく、今日は何か特別によいこ
        とがあるのかしら、と不思議な気持ちで見入っていたこと
        を思い出します。 

         自然のお好きな陛下のお傍で、二人の兄同様、清子も東
        宮御所の庭で自然に親しみ、その恵みの中で育ちました。
        小さな蟻や油虫の動きを飽きることなく眺めていたり、あ
        る朝突然庭に出現した、白いフェアリー・リング(妖精の
        輪と呼ばれるきのこの環状の群生)に喜び、その周りを楽
        しそうにスキップでまわっていたり、その時々の幼く可愛
        い姿を懐かしく思います。[1]

     皇后陛下らしい詩的な表現だが、とりわけ我々の心に沁み入
    るのは、「窓外の透き通るような若葉」や「妖精の輪の周りを
    スキップする幼女」が、誰もがどこかで覚えのある光景だから
    だろう。これは日本のどこにでもある、幸福な家庭の一場面で
    ある。

■2.「共働き」の家庭■

     しかし、その家庭はあいにく「両親が共働き」で、幼い清子
    さまは寂しく思うこともあった。

         物心ついた頃から、いわゆる両親が共働きの生活の中に
        あり、国内外の旅でいらっしゃらないことが多かったとい
        うことは、周囲にお世話をしてくれる人がいても、やはり
        時に寂しく感じることもありました。しかし、私には兄弟
        があり、また子供なりに両親のお務めの大切さを感じ取っ
        ていたためもあるのでしょうか、こういうものだと考えて
        いた部分もあったように思います。[2]

     その「共働き」は、通常の家庭よりもはるかに厳しいものだっ
    た。

         考えてみますと、当時両陛下の外国ご訪問は全て各国元
        首が国賓として訪日したその答礼として行われていたもの
        であり、しかも昭和天皇の外国ご訪問が難しかったため、
        皇太子の立場でありながら天皇としての対応を相手国に求
        めるご名代という極めて難しいお立場の旅でした。

         1回のご訪問につきイラン・エチオピア・インド・ネパ
        ールというように遠く離れた国々をまわらなければならな
        いため、ご訪問が1ヶ月に及ぶことも、年に2回のご訪問
        が組まれることもあり、一度日程が決まれば、それを取り
        やめることは許されませんでした。

         同時に、国内においても日本各地の重要な行事へのご出
        席要望は強く、またその折には両殿下のご希望により、同
        年代の若い人たちとのご懇談が各地で行われるなどしてい
        ましたので、本当に大変な中でご出産と育児に当たられた
        のだと思います。[2]

■3.「家族での楽しみや予定が消えることもしばしばで」■

     清子さまは長ずるにしたがって、外国ご訪問や国内行事への
    ご参加は、単に儀礼的なものではない事を理解されていった。

         私が両陛下のお仕事やお立場を深く見つめられるように
        なったのは、高校総体などでご一緒させていただくように
        なった高校生ぐらいからで、それ以前は漠然とした印象を、
        両陛下のお姿から感じていたように記憶しています。時代
        の流れにそって、子供たちは皆お手元で育てていただき、
        一つの家族として過ごせたことは本当に有り難いことでし
        たが、その一方で公務は常に私事に先んじるという陛下の
        ご姿勢は、私が幼い頃から決して崩れることのないもので
        した。

         国際、国内情勢、災害や大きな事故などに加え、宮中祭
        祀にかかわる全てが日常に反映されるため、家族での楽し
        みや予定が消えることもしばしばで残念に思うことも多々
        ありましたが、そのようなことから、人々の苦しみ悲しみ
        に心を添わせる日常というものを知り、無言の内に両陛下
        のお仕事の重さを実感するようになりましたし、そうした
        一種の潔さが何となく素敵だとも感じていました。[3]

     その「公務」は目立たないが、その積み重ねの先に実りが生
    まれる事を、清子さまは知る。

         両陛下のお仕事を振り返ってみますと、例えば最初はわ
        ずか9人の団員を迎えて始まった派遣地出発前の青年海外
        協力隊員とのご懇談は、年間千名を超える海外協力の主要
        な担い手となった三十年後まで行われ、皇太子同妃両殿下
        にお譲りになった現在も帰国隊員とのご懇談を続けておら
        れますし、まだ日本では全く未知の分野であった昭和39
        年の日本におけるパラリンピック開催から支えてこられた
        障害者スポーツは、近年ではリハビリテーション的意味合
        いよりも、スポーツとしての面白さを定着させてきていま
        す。また、海外の日系人については、その移住国を訪れる
        折だけでなく常にお心にかけてこられたことですが、多数
        の日系の人々が日本を訪れ滞在するようになった近年、そ
        うした人々の暮らしや、また日本における海外移住者の記
        録などにもお気持ちを寄せておられます。

         ・・・こうした両陛下の、ご公務の範囲にとどまらない
        様々な物事に対する携わられ方を拝見していて、無意識の
        内に、一つの物事を長く見つめ続けていく努力の意義とい
        うものを教えていただいたように思います。[4,p90]

■4.深夜の祭祀■

     両陛下の「お仕事」とは人目にふれるものだけではなかった。

         私の目から見て、両陛下がなさってきた事の多くは、そ
        の場では形にならない目立たぬ地味なものの積み重ねであっ
        たと思います。時代の要請に応え、新たに始められたお仕
        事も多くありましたが、他方、宮中での諸行事や1年の内
        に最小でも15、陛下はそれに旬祭が加わるため30を超
        える古式装束をつけた宮中三殿へのお参りなど、皇室の中
        に受け継がれてきた伝統は、全てそのままに受け継いでこ
        られました。[5]

     紀宮さまの幼年時代に御用掛を務めた和辻雅子さんは、宮中
    祭祀の際の宮様方のご様子を次のように語っている。

         新嘗祭の折などには、祭祀が深夜に及び、皇后様は御装
        束をお召しになり古式ゆかしいお姿のまま、御拝を終えら
        れた陛下と共にお祭り終了までお慎みの時を過ごされます。
        このような祭祀の夜は「およふかし」と御所で呼ばれてお
        りましたが、宮様方も一定のご年令に達されてからは、そ
        れぞれにこのお時間を最後まで静かにお過ごしになるよう
        になりました。終了のお知らせが参りますと、お二階の両
        陛下のお部屋までいらっしゃった宮様方の、「お滞りなく
        ・・・」「おやすみなさい」とおっしゃるお声が次々と響
        き、祭祀の終わった安堵を感じるものでございました。ご
        生活の中に入っている、こうしたある意味特殊なお行事も、
        その一つ一つをお果たしになることが、ご日常の自然な秩
        序であり、同時に両陛下やご自身様方のお立場に伴うお務
        めを理解される大切な機会となっていたことを改めて思い
        出します。[4,p267]

■5.父母はこの夜半(よは)あけてかへりきたまふ■

     祭祀に向かわれる両陛下のご様子を、清子さまは次のように
    歌に詠まれている。

            虫の音 (平成6年)
        さ庭辺(にわべ)に満つる虫の音父母はこの夜半(よは)
        あけてかへりきたまふ

     にぎやかな虫の音を聞きながら、両陛下を待つ清子様の姿が
    目に浮かぶようである。夜空に広がる虫の音は、両陛下の祈り
    にも似ている。

     次の歌は元旦の午前5時半から行われる四方拝(しほうはい)
    とそれに続く「歳旦祭(さいたんさい)」でのお歌であろう。
    四方拝では白砂の上に小さな畳を敷き、屏風で囲った御拝座で、
    陛下が天地四方の神々、神武天皇陵と先帝の御陵などを遙拝さ
    れる。

    「歳旦祭(さいたんさい)」では宮中三殿(賢所(かしこどこ
    ろ)・皇霊殿・神殿)で天皇と皇太子が、天照大神、歴代天皇、
    および八百万の神々に、旧年の神恩を感謝され、新年にあたり
    国家の隆昌と国民の幸福を祈願される。[a]

            初日
        しづかなるみまつりの朝に母と立つ凍(い)てる大地に初
        日(はつひ)さしたり

■6.「皇室は祈りでありたい」「心を寄せ続ける」■

     こうした祭祀は単なる伝統行事として継承されているのでは
    ない。国家の隆昌と国民の幸福を神に祈られる事と、国民の
    「苦しみ悲しみに心を添わせる」事とは、同じ根を持っている。

         お祭りや行事は、もしそれが、義務だとのみ受け取って
        いたならば、難しさを感じていたこともあったかもしれま
        せんが、皇后さまがそれぞれに意義を見出され、喜びを持っ
        てなさるご様子を拝見して育ったことは、私を自然にそれ
        らのお務めに親しませたように思われ、恵まれた事だった
        と感じています。・・・

         以前にも述べたかと思いますが、皇后さまがこれまで体
        現なさってこられた「皇族のあり方」の中で、私が深く心
        に留めているものは、「皇室は祈りでありたい」という言
        葉であり、「心を寄せ続ける」という変わらないご姿勢で
        す。ご結婚以来、障害者スポーツや青年海外協力隊を始め
        とする多くの活動が、両陛下が見守られ弛(ゆる)みなく
        お心を掛けられる中で育ち、発展していきました。また、
        戦争や災害犠牲者の遺族、被災者、海外各国の日本人移住
        者、訪れられた施設の人々などに対しては、その一時にと
        どまらず、ずっとお心を寄せ続けられ、その人々の健康や
        幸せを祈っておられます。

         良きことを祈りつつ、様々な物事の行く末を見守るとい
        う姿勢は皇室の伝統でもあると思いますが、決して直接的
        な携わり方ではないにもかかわらず、その象徴的な行いが、
        具体性を持った形で物事に活かされ、あるいは人々の心に
        残っていることは、感慨深いものがあります。[5]

■7.「皇后さまが経てこられた道には沢山の悲しみがあり」■

     国民の幸せを祈られる両陛下の御心を知ることなく、皇室に
    対して故なき批判を繰り返す人々がいた。

         両陛下のお姿から学んだことは、悲しみの折にもありま
        した。事実に基づかない多くの批判にさらされ、平成5年
        ご誕辰(しん)の朝、皇后さまは耐え難いお疲れとお悲し
        みの中で倒れられ、言葉を失われました。言葉が出ないと
        いうどれほどにか辛(つら)く不安な状態の中で、皇后さ
        まはご公務を続けられ、変わらずに人々と接しておられま
        した。・・・

         私が日ごろからとても強く感じているのは、皇后さまの
        人に対する根本的な信頼感と、他者を理解しようと思うお
        心です。皇后さまが経てこられた道には沢山の悲しみがあ
        り、そうした多くは、誰に頼ることなくご自身で癒(い)
        やされるしかないものもあったと思いますし、口にはされ
        ませんが、未だに癒(い)えない傷みも持っておられるの
        ではないかと感じられることもあります。

         そのようなことを経てこられても、皇后さまが常に人々
        に対して開けたお心と信頼感を失われないことを、時に不
        思議にも感じていました。近年、ご公務の先々で、あるい
        は葉山などのご静養先で、お迎えする人々とお話になって
        いるお姿を拝見しながら、以前皇后さまが「人は一人一人
        自分の人生を生きているので、他人がそれを充分に理解し
        たり、手助けしたりできない部分を芯(しん)に持って生
        活していると思う。・・・そうした部分に立ち入るという
        のではなくて、そうやって皆が生きているのだという、そ
        ういう事実をいつも心にとめて人にお会いするようにして
        います。誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いなが
        ら、それでも絶望しないで生きている。そうした姿をお互
        いに認め合いながら、懐かしみ合い、励まし合っていくこ
        とができれば・・・」とおっしゃったお言葉がよく心に浮
        かびます。

         沈黙の中で過去の全てを受け入れてこられた皇后さまの
        お心は、娘である私にもはかりがたく、一通りの言葉で表
        すべきものではないのでしょう。でも、どのような人の傍
        らにあっても穏やかに温かくおられる皇后さまのお心の中
        に、このお言葉がいつも息づいていることを私は感じてお
        ります。

■8.たゆまずましし長き御歩(みあゆ)み■

     皇后陛下は平成10(1998)年、インド・ニューデリーで開催
    されたIBBY(国際児童図書評議会)世界大会で、ビデオに
    より「子供時代の読書の思い出」と題する英語でのご講演をさ
    れた。その中で次のように語られている。

         読書は、人生の全てが、決して単純でないことを教えて
        くれました。私たちは、複雑さに耐えて生きていかなけれ
        ばならないということ。人と人との関係においても。国と
        国との関係においても。[b]

     天皇・皇后両陛下はご自身の人生における「複雑さ」に耐え
    て生きてこられた。だからこそ、同様に「複雑さ」に耐えて生
    きる国民の悲しみや苦しみにも心を添わせてこられたのだろう。
    そこから皇室としての「祈り」が始まる。

     平成17年、皇族としての出席された最後の歌会始で、清子
    さまは、御題「歩み」に寄せて、36年間、娘として見つめて
    きた両親の姿を詠まれた。

         両陛下の長き御歩みをおもひて
        新しき一日(ひとひ)をけふも重ねたまふたゆまずましし
        長き御歩(みあゆ)み
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(326) 日本人の一年(ひととせ)
    我々の祖先は四季折々おりおりに神々に祈り、感謝しつつ、
   一年を送ってきた。
b. JOG(069) 平和の架け橋
    他者との間に橋をかけるためには、「根っこ」と「翼」を持
   たねばならない。皇后さまのご講演。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 「皇后陛下のお誕生日(平成17年10月20日)に際して
     宮内記者会の質問に対する文書ご回答とこの1年のご動静」
2. 「清子内親王殿下のお誕生日(平成17年4月18日)に際して
     宮内記者会の質問に対する文書ご回答」
3. 「清子内親王殿下のお誕生日(平成16年4月18日)に際して
     宮内記者会の質問に対する文書ご回答」
4. 『ひと日を重ねて 紀宮さま お歌とお言葉集』★★★、
    大東出版社、H17
5. 「清子内親王殿下のお誕生日(平成15年4月18日)に際して
    宮内記者会の質問に対する文書ご回答」
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「皇室という『お仕事』」に寄せられたおたより

                                         「かおり」さんより
     じんわりと、ことの次第の大きさが伝わってくる内容と語り
    口にひかれて、何度も読みました。これから、自分の励み支え
    になってもらえそうな言葉や姿勢があり、ときどき読み直して
    みようと思いました。皇后さまであり、お母さまである方を、
    素直にていにねいに描き出された清子さまのお気持ちが、すて
    きです。ありがとうございます。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     皇后さまはまさに日本の「国母」ですね。

© 平成18年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.