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■■ Japan On the Globe(441)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

        地球史探訪: 中国をスターリンに献上した男

                 なぜ米国は、やすやすと中国を共産党の手に渡
                してしまったのか?
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■1.アメリカの無為無策■

     ソ連軍が日ソ中立条約を破って、満洲に侵入したのは、8月
    15日のわずか6日前の事だった。その後、ソ連は、日本が築
    いた「アジアの工場」、重工業の発展した満洲[a]を一気に占
    領した。ここで、こんな歴史上の"if"を考えてみよう。

         1945年8月に米軍が極東に莫大な兵力を展開していたら、
        米国と中国(蒋介石の国民党政府)の同盟軍が(日本の)
        関東軍の降伏を受け入れた時点で、ソ連はあえて満洲に侵
        攻しただろうか? [1,p161、()内は弊誌注]

     その結果は、こうなったろう。[1,p160]

        * 米国は満洲ならびに朝鮮を獲得し、やがて当地の占領軍
          としてすんなり、国民党軍が来たことだろう。

        * 満洲の主権が日本から中国にすみやかに移されたならば、
          満洲の大工場群はロシアの略奪や破壊をまぬかれて無傷
          で残ったことだろう。

        * そして1945年以降1949年秋まで国民党政府を悩ませた軍
          事経済問題(共産党との内戦)は解決に向かったはずだ。

     その結果、中国は共産党政権の手には落ちなかっただろう。
    そうなれば毛沢東の大躍進政策や文化大革命などで数千万人が
    犠牲になる事態を防げたはずである[b,c]。さらに自由中国と
    の共存は、わが国を含むアジア諸国にとっても、そしてアメリ
    カにとっても、はるかに住みやすい世界であったろう。

     しかし、アメリカはその手段をとらなかった。世界最強の軍
    事力と経済力を持ちながら、ソ連が満洲を略奪し、共産党軍を
    支援して、国民党軍を台湾に追い落とすのを、手をこまねいて
    傍観していた。それはなぜか。

■2.ロシア帝国の利権回復を約束したヤルタ会談■

     アメリカのソ連に対する異様な譲歩は、1945年2月にソ連ク
    リミア半島のヤルタで開かれたヤルタ会談に遡る。そこではル
    ーズベルト(アメリカ)・チャーチル(イギリス)・スターリ
    ン(ソ連)の3首脳が集まり、以下の点を決めた。

    ・大連を「国際的商業港」とし、ソ連の利権が優先的に保証さ
      れること。ソ連は旅順を租借して海軍基地として復興させる
      こと。

    ・大連まで至る「東清鉄道」と「南満洲鉄道」はソ連と中国の
      合弁会社によって共同で操業する。

    ・ソ連は日露戦争敗北で割譲した南樺太を取り戻し、さらに日
      本固有の領土である千島列島を領有する。

     すなわち、日露戦争前にロシア帝国がもっとも勢力圏を拡張
    した頃の権益をすべて取り戻すという密約である。

     こんな重大な権益の割譲合意が、蒋介石には秘密のまま、な
    された。わずか1年3ヶ月前のカイロ会談では、満洲における
    中国の利権は存分に尊重される、という正式な合意があったの
    に。蒋介石はのちに、ヤルタ会談での合意内容を聞いて、ショッ
    クで打ちのめされたという。

     こういう大規模な利権の見返りに、ソ連が約束したのは対日
    参戦だった。ルーズベルト大統領は、この会談に寄り添ってい
    た陸軍参謀総長ジョージ・マーシャルから、日本との戦況が悪
    化し、ロシアの支援がなければ勝利はおぼつかない、と報告さ
    れていたのである。

■3.「スターリンの手など必要なかった」■

     ヤルタ会談が行われた頃、米軍はすでにフィリピンのレイテ
    島を攻略して日本の連合艦隊を破り、マニラを占領していた。
    アメリカの爆撃機が、連日、日本の各都市を絨毯爆撃していた。
    日本の輸送船は大半が沈められ、海上の封鎖は日本の首根っこ
    を押さえていた。

     統合参謀本部議長のレーヒーは、当時の戦局を、後の著書に
    こう書いている。

         (1944年)9月の初めには、徹底的な海と空からの攻撃で
        日本は敗色濃厚だった。しかし、九州島上陸に始まる水陸
        両面からの本土進攻によって日本を降伏させる計画が(マ
        ーシャルが参謀総長を務める)陸軍から提案された----戦
        略空軍の支援を受けた海軍がすでに日本を打ち負かしてい
        たという事実を理解できなかったようだ。陸軍は大規模な
        本土上陸作戦を計画していたのみならず、対日戦勝利のた
        めにはロシアの参戦が欠かせないと思いこんでいた。
        [1,p103、()内は弊誌注]

     レーヒーは、太平洋地域での陸海軍司令官であるマッカーサ
    ー、ニミッツと、日本の本土攻撃を仕掛けなくとも、海軍と空
    軍の戦力で日本を降伏させることができると合意していた。

         敗北が時間と消耗の問題にすぎないところまで日本を追
        いつめたと私は確信していた。それゆえ、太平洋で敵を殲
        滅するのにスターリンの手など必要なかった。陸軍は私の
        意見を聞こうともしないし、ルーズベルトは(ロシア参戦
        の見返りに、満洲の利権を与えると)取引する用意をして
        いた。[1,108、()内は弊誌注]

     さらに、マーシャルは、すでに敗北を覚悟した日本が和平を
    探っていたという事実をルーズベルトにひた隠しにした。
    [1,p99]

     ソ連は東シベリアに30個師団ほどの兵力を抱えていたが、
    装備は不十分だった。そのために、アメリカは80万トンもの
    装備を提供した。

     この装備を活用して、ソ連は、ヤルタ会談での約束通り、日
    本の降伏の6日前に満洲に侵攻し、8億ドルとも言われる工場
    設備などを「戦利品」として略奪したのである。

■4.スターリンのマーシャル賞賛■

     日本降伏の4ヶ月後、1945年12月、マーシャルはトルーマ
    ン大統領から中国における全権特使に任命され、13ヶ月滞在
    する。その直前に、マーシャルは自分の対中政策を大統領に承
    認させていたようだ。レーヒー将軍は、回想録の中でこう語っ
    ている。

         マーシャルが訪中するときに私は居合わせた。彼は、共
        産主義者(中国共産党)と手を結ばないと米国は支援しな
        いと蒋介石に言うつもりだと語った。戻ったとき、おなじ
        ことを言った。私は二回とも彼は間違っていると思った。
        [1,p152]

     同時期にモスクワでスターリンと会見したバーンズは、こん
    な会話があった事を記している。

         彼(スターリン)はマーシャル将軍を賞賛して、中国問
        題に決着をつけられる人間はマーシャル以外にないと言っ
        た。スターリンは正確にはこう言ったかもしれない、自分
        が満足できるように、と。[1,p151]

■5.中国共産党のマーシャル歓迎■

     フリーダ・ウトレーの『中国物語』によれば、中国共産党も、
    「マーシャル将軍を諸手を上げて歓迎した。」

     歓迎されたマーシャルは何をしたか。任務開始早々、マーシャ
    ルは国民党軍と共産党軍に停戦を持ちかけ、蒋介石が大幅に譲
    歩して、停戦が実現した。しかし、翌1946年4月には、共産党
    軍が停戦協定を破り、長春を陥落させた。蒋介石軍は長春を奪
    い返し、共産党軍は北に遁走した。

     マーシャルは、共産党の要請を受けて、蒋介石と交渉し、再
    停戦を実現させた。しかし、その後も共産党軍はゲリラ活動を
    続け、ダムや橋の爆破、鉱山や工場への攻撃を続けた。それで
    も蒋介石軍は戦略地点を数多く確保し、共産党軍は次第に後退
    していった。

■6.マーシャルのえこひいき■

     優勢な国民党軍を抑えるべく、マーシャルは武器や弾薬の通
    商禁止措置を取った。対立する一方のみに肩入れするのは、中
    立政策に反する、という言い分であった。そして、マーシャル
    は英国にも同様の政策をとらせた。米英から軍需物資の買い入
    れが出来なくなると、徐々に国民党軍の勢いは鈍っていった。

     その一方では、マーシャルはソ連の共産党軍支援に、見て見
    ぬふりをしていた。ソ連は満洲の日本軍が残した武器弾薬、さ
    らにはアメリカから援助された80万トンの装備の一部を共産
    党軍に与えていた。

     蒋介石の勢力は、1946年11月頃がピークだった。マーシャ
    ルは蒋介石に圧力をかけ、無条件の即時停戦命令を出させた。

     11月16日、周恩来はマーシャルを訪ねて、共産軍の本拠
    地である内陸部の延安まで、米軍機を飛ばせて欲しいと頼んだ。
    蒋介石軍が延安を攻撃する恐れがあり、もしそうなれば、和平
    交渉の望みが潰えることになる、と脅したからである。

     マーシャルは、蒋介石に対して強硬に反対した。もし、攻撃
    が実施されれば、「自分は任務を終えるつまりだ(すなわち、
    アメリカは中国から一切、手を引く)」と語った。

     12月1日、マーシャルは蒋介石との会談で、こう警告した。
    「延安の共産軍はとても強力なので制圧を期待しても無理だ」
    「彼らを政府に参加させる努力が先決である」

     こうしたマーシャルの態度は、国民党軍の志気低下をもたら
    したろう。米国は国民党軍に対して、軍事物資の購入の道を閉
    ざし、共産党軍をもう少しで撃破できそうになると、常に「停
    戦」と称してストップをかける。同盟国アメリカは自分たちを
    見捨てているのではないか、と、勝利の望みを失った国民党軍
    からの遁走や、共産軍への寝返りが始まった。

■7.ソ連と中国共産党へのおみやげ■

     マーシャルは、1947年1月、米国に戻り、国務長官に就任し
    た。中国を離れるにあたって、こんな声明を発表している。

         共産主義者のなかに正真正銘のリベラル・グループがあ
        り、とりわけ地方政府で目立つ腐敗に嫌気がさして共産主
        義に宗旨替えした若者が多い----彼らは近い将来、共産主
        義イデオロギーを確立しようとする無慈悲な手段よりも中
        国人の利益を優先するように私には見えた。[1,p203]

     これがマーシャルの本音であるとしたら、米国の外交政策を
    主導する国務長官としては、あまりにもナイーブな見解である。
    しかし、中国共産党のプロパガンダとしたら、これ以上、強力
    な応援演説はありえないだろう。

     着任早々、マーシャルは3月にモスクワに飛んだが、その前
    に、北中国の平定に当たっていた海兵隊の部隊に帰国命令を発
    した。これは中国共産党とモスクワへの良いお土産であった。

■8.腹心アチソンの二枚舌■

     マーシャルと連携して、その腹心ディーン・アチソン国務次
    官も、国民党軍への軍事支援を求める議会をこう制した。

         現在の中国政府は(共産党と内戦中の)ギリシャ政府が陥っ
        ているような状況下にない。崩壊にはほど遠い。共産主義
        に敗れる恐れはない。共産主義者との戦いは過去20年と
        同様順調である。[1,p228]

     こう言って、蒋介石への軍事支援は不要だとしたアチソンは、
    わずか2年後には、今度はすでに手遅れで、支援は役に立たな
    い、と語った。

         不幸だが逃れられない事実は、中国内戦の不吉な結果は
        米国政府の手に余るということだ。全力を尽くしてわが国
        が行った、あるいは行ったはずのことは、その結果を変え
        るに至らなかった。わが国にできることはいっさい残され
        ていない。[1,p228]

     こういう人間が、当時の米国外交を牛耳っていたのである。

■9.「中国は共産主義支配になることは必定である」■

     1947年夏、中国での情勢を懸念して、ウェデマイヤー将軍が
    調査に派遣された。その報告書には、こう書かれていた。

         満洲の状況はかなり悪化しているので、ソ連の衛星国家
        化を食い止めるために迅速な行動が求められる----そうな
        ると中国、米国、国連にとってゆゆしき事態となろう。結
        局、中国は共産主義支配になることは必定である。
        [1,p235]

     ウェデマイヤーが見たのは、米国からの援助どころか、軍需
    物資の購入さえ拒否されて苦しんでいる国民党軍の姿であった。
    たとえば、1万6千台ものトラックなどが、交換部品の不足に
    よって動いていなかった。米国が部品供給の約束を破ったから
    である。

     しかし、こうした真実を述べたウェデマイヤーの報告書は、
    マーシャルの不興を買い、2年間も握りつぶされていた。

     翌1948年3月、米国議会で蒋介石支援を求める声が高まり、
    2億75百万ドルの経済支援と1億25百万ドルの軍事支援を
    行う案を議決した。

     しかし、マーシャルとアチソンの牛耳る国務省は、早期実行
    を求める中国大使の懇請にもかかわらず、2ヶ月もその実行を
    棚上げにした。6月に、ある上院議員から痛烈に批判されると、
    国務省はようやく重い腰を上げたが、シアトルから最初の船積
    みが行われたのは11月9日だった。この間に、国民党軍の敗
    北は決定的となり、共産軍は翌1948年4月に首都・南京を制圧、
    12月に中華人民共和国の建国を宣言した。

     ルーズベルト大統領が、日本を戦争に追い込んだ背景に、ソ
    連のスパイの暗躍があった事が、すでに歴史的文書の公開で明
    らかにされている[d]。そして、日本が真珠湾攻撃を行うとい
    う情報を握りつぶして、全面戦争の幕開けを図ったのが、まさ
    に陸軍参謀総長・マーシャルであった。

     赤い魔の手は米国を操り、日本を満洲・中国から撃退させた
    上で、そっくりスターリンに献上したのである。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(239) 満洲 〜 幻の先進工業国家
    傀儡国家、偽満洲国などと罵倒される満洲国に年間百万人以
   上の中国人がなだれ込んだ理由は?
b. JOG(109) 中国の失われた20年(上)
    〜2千万人餓死への「大躍進」 
c. JOG(110) 中国の失われた20年(下)
    〜憎悪と破壊の「文化大革命」
d. JOG(116) 操られたルーズベルト
    ソ連スパイが側近となって、対日戦争をそそのかした

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. ジョゼフ・マッカーシー『共産中国はアメリカがつくった』★★
   成甲書房、H17

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