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   Media Watch: 悪意の幻想 〜 沖縄戦「住民自決命令」の神話

                「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要
                した」との神話が崩されつつある。
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■1.日本軍が『集団自決』を強要!?■

    「沖縄戦において日本軍が住民に集団自決を強要した」との
    「説」に関して、いま裁判が行われている。この「説」は高校
    や中学の教科書にも登場する。[1,p336]

         犠牲者のなかには慶良間諸島の渡嘉敷島のように、日本
        軍によって『集団自決』を強要された住民や虐殺された住
        民も含まれており・・・(三省堂の高校日本史A)

         軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集
        団的な自殺を強制した(日本書籍新社の中学社会)
        
     裁判というのは、集団自決が起こったとされる座間味島の守
    備隊長だった梅澤裕・元少佐と、渡嘉敷村の守備隊長だった故
    ・赤松嘉次元大尉の弟・赤松秀一さんが原告となり、『沖縄ノ
    ート』などで長らくこの説を流布してきた大江健三郎氏と岩波
    書店に対して、出版停止と謝罪広告、慰謝料2千万円を求めた
    ものだ。

■2.遺族援護のために「命令を出したことにしてほしい」■

     判決はこれからだが、この「説」が事実でないことを示す決
    定的な証言がすでに出ている。

         第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島
        で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人
        ・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)
        =那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病
        者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令とい
        うことにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とす
        る住民は1人もいなかった」と証言した。・・・

         同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となって
        いたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱
        いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていし
        ん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)
        に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同
        意を得たという。・・・

         照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さ
        なければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるた
        びに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。[2]

■3.「全島民、自決せよ」■

    「自決命令神話」を最初に世に広めたのは、昭和25年8月に
    沖縄タイムス社から出版された『鉄の暴風』である。この本で
    は、当時の状況を次のように描写している。

     昭和20年3月26日、米軍の一部が渡嘉敷島の海岸数カ所
    から上陸を始めた。赤松大尉率いる守備軍は、渡嘉敷島の西北
    端の西山A高地に移動した。

         ・・・移動完了とともに、赤松大尉は、島の駐在巡査を
        通じて、部落民に対し、『住民は捕虜になる怖れがある。
        軍が保護してやるから、すぐ西山A高地の軍陣地に避難集
        結せよ』と命令を発した。さらに、住民に対する赤松大尉
        の伝言として、『米軍が来たら、軍民ともに戦って玉砕し
        よう』ということも駐在巡査から伝えられた。・・・

         住民は喜んで軍の指示にしたがい、その日の夕刻までに、
        大半は避難を終え軍陣地付近に集結した。ところが赤松大
        尉は、軍の壕入口に立ちはだかって「住民はこの壕に入る
        べからず」と厳しく身を構え、住民達をにらみつけていた。
        ・・・

         二十八日には、恩納河原付近(JOG注:西山A高地の一帯)
        に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松から
        もたらされた。

        『こと、ここに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の
        必勝を祈って、自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍
        に出血を強いてから、全員玉砕する』というのである。

     住民には自決用として32発の手榴弾が渡されていたが、こ
    の時さらに20発増加された。住民たちは各親族どうしが一塊
    になって、その中心で手榴弾を爆発させた。

         手榴弾はあちこちで爆発した。轟然たる不気味な響音は、
        次々と谷間に、こだました。瞬時にして----男、女、老人、
        子供、嬰児----の肉四散し、阿修羅の如き、阿鼻叫喚の光
        景が、くりひろげられた。死にそこなった者は互いに棍棒
        で、うち合ったり、剃刀で自らの頸部を切ったり、鍬で親
        しいものの頭を叩き割ったりして、世にも恐ろしい情景が、
        あっちの集団でも、こっちの集団でも同時に起こり、恩納
        河原の谷水は、ために血にそまっていた。[1,p51]

■4.「最後まで生きて、生きられる限り生きてくれ」■

     作家の曽野綾子氏は渡嘉敷島に渡り、当時の状況を直接見聞
    した人たちの証言を丹念に集めた。

     上の引用で、赤松大尉から自決命令を伝えたとされる「島の
    駐在巡査」安里喜順氏は、赤松大尉に部落民をどうするか相談
    にいった時のことをこう語っている。

         そうしたら隊長さんの言われるには、我々は今のところ
        は、最後まで(闘って)死んでもいいから、あんたたちは
        非戦闘員だから、最後まで生きて、生きられる限り生きて
        くれ。只、作戦の都合があって邪魔になるといけないから、
        部隊の近くのどこかに避難させておいてくれ、ということ
        だったです。

         しかし今は、砲煙弾雨の中で、部隊も今から陣地構築す
        るところだし、何が何だかわからないまま、せっぱつまっ
        た緊急事態のときですから、そうとしか処置できなかった
        わけです。[1,p145]

    『鉄の暴風』が言うような安全な「壕」など存在しなかった。
    部隊は米軍の「砲煙弾雨」の下で、穴一つなく「今から陣地構
    築する」という状況だったのである。

     そんな状態の部隊に、住民が混じれば、一緒に攻撃を受ける
    ので、かえって危険である。少なくとも住民が部隊と離れて避
    難していれば、米軍が非戦闘員への攻撃を禁じた戦時国際法に
    従う限りは、かえって安全だ。赤松大尉の判断は軍人として適
    切だった。

     恩納河原には、住民達がいざという場合のために作った避難
    小屋があった。住民たちはそこに逃げ込んだ。

         しかし皆、艦砲や飛行機からうちまくる弾の下で、群集
        心理で半狂乱になっていますからね。恐怖にかられて・・
        ・・この戦争に遭った人でないと、(この恐怖は)わから
        んでしょう。[1,p147]

     その混乱の中で悲劇は起こった。
    
■5.「何でこんな早まったことするね、皆、避難しなさい」■

     曽野氏が赤松元大尉に、「自決命令は出さないとおっしゃっ
    ても、手榴弾を一般の民間人にお配りになったとしたら、皆が
    死ねと言われたのだと思っても仕方ありませんね」と問うと、
    赤松・元大尉はこう答えた。

         手榴弾は配ってはおりません。只、防衛召集兵(JOG注:
        部隊に招集された地元民の成年男子)には、これは正規軍
        ですから一人一、二発ずつ渡しておりました。艦砲でやら
        れて混乱に陥った時、彼らが勝手にそれを家族に渡したの
        です。今にして思えば、きちんとした訓練のゆきとどいて
        いない防衛召集兵たちに、手榴弾を渡したのがまちがいだっ
        たと思います。[1,p153]

     村民達が自決を始めたなかに4人の女性がいた。手榴弾が不
    発で死ねなかったので(多くの村民は手榴弾の扱い方を知らな
    かった)、「敵に突っ込もう」と、4人は部隊の本部に行った。
    彼女たちは曽野氏にこう語っている。

        A 私は行ったわけですよ、本部に。赤松隊長に会いに。
        B 本部のとこに、突っ込みに行ったから「何であんた方、
            早まったことをしたなあ」
        C 「誰が命令したねえ」
        D 「何でこんな早まったことするね、皆、避難しなさい」
            と言った。[1,p172]

     これが集団自決を知った赤松隊長の反応であった。4人はこ
    の赤松隊長の言葉で気を取り直し、米軍の砲撃下を他の人びと
    とともに避難して、無事生き延びたのである。

■6.「何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさい」■
        
     曽野氏が当時の多くの体験者から集めた証言から浮かび上がっ
    てくる赤松隊長像は、『鉄の暴風』に描かれた全住民に自決命
    令を下す悪魔的な人物とはほど遠い。

     古波蔵・元村長はこう語っている。

         (事件から)一週間経って軍陣地から恩納河原へ帰った
        時は状況は安定していました。その頃からもう、衛生兵が
        来ましてね。いろいろ治療もしてくれました。[1,p142]

     治療をした若山・元衛生軍曹は、それを赤松隊長と軍医から
    の命令であった、と断言している。

     また女子青年団長だった古波蔵蓉子さんの証言では:

         私は(JOG注:終戦間近の)7月12日に、赤松さんのと
        ころへ斬り込み隊に出ることを、お願いに行ったことある
        んですよ。5、6人の女子団員と一緒に。そしたら、怒ら
        れて、何のためにあなた方は死ぬのか、命は大事にしなさ
        いと言って戻された。[1,p270]

     この古波蔵蓉子さんたちも、衛生兵が治療した人々も、そし
    て前節の4人の女性も、赤松大尉によって救われた人々である。
    こうした証言を読めば、赤松大尉は自決命令どころか、地元住
    民たちになんとか戦火の下で生き延びて貰いたいと、心底から
    願っていた事が判る。

     それにしても『鉄の暴風』は何を根拠に、いかにも見てきた
    ように正反対の赤松大尉像を描いたのか。曽根氏は著者の太田
    良弘氏に会って、太田氏は渡嘉敷島に行っていないこと、証言
    者二人に那覇まで来て貰って取材した事を聞き出している。

     この二人は渡嘉敷島の隣の座間味という島の助役と南方から
    の帰還兵であった。助役の方は座間味での集団自決は目撃して
    いたが、渡嘉敷島での事件は、人から聞いたのみであった。ま
    た帰還兵は、事件当時まだ南方におり、当然、事件を直接目撃
    していない[1,p63]。

     太田良弘氏はこの二人が周囲から聞き込んだ内容を又聞きし
    て、想像を膨らませて、この「文学作品」を書いたのである。

■7.「もし本当のことを言ったらどうなるのか」■

     昭和45年3月26日、赤松元大尉と生き残りの旧軍人、遺
    族十数名が、渡嘉敷島で行われる「25周年忌慰霊祭」に出席
    しようと那覇空港に降り立った。

     空港エプロンには「渡嘉敷島の集団自決、虐殺の責任者、赤
    松来県反対」の横断幕が張り出され、「赤松帰れ! 人殺し帰
    れ!」とのシュプレヒコールがあがった。「何しに来たんだよ!」
    と激高した人々に取り囲まれて、直立不動の赤松元大尉は
    「25年になり、英霊をとむらいに来ました」と答えた。

     結局、赤松元大尉は渡嘉敷島に渡るのを自粛したが、部下達
    は慰霊祭に参加し、地元の人々と手を取り合って往事を偲んだ。

     那覇から大阪に帰る前の晩、記者会見が開かれた。その席で
    赤松・元大尉の責任を問う記者たちに、部下の一人はこう言っ
    た。

         責任というが、もし本当のことを言ったらどうなるのか。
        大変なことになるんですヨ。・・・いろいろな人に迷惑が
        かかるんだ。言えない。[1,p38]

     冒頭で紹介したように、赤松元大尉が「遺族が援護を受けら
    れるよう、自決命令を出したことにして欲しい」と依頼されて
    同意した事実が明らかにされたが、赤松元大尉が真相を語らな
    かったのは、それによって援護を受け取った遺族たちに迷惑が
    かかるからだった。

     遺族たちのために、赤松大尉は「住民自決命令を出した悪魔
    のような軍人」という濡れ衣を着せられながら、戦後ずっと弁
    明もせずに過ごしてきたのだった。

■8.「悪意の幻想」と闘う裁判■

     赤松・元大尉が「おりがきたら、一度渡嘉敷島に渡りたい」
    と語っていたという新聞記事を読んで、大江健三郎は『沖縄ノ
    ート』にこう書いている。

         人間としてそれをつぐなうには、あまりにも巨きい罪の
        巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねが
        う。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶に
        たすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の
        余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力を尽くす。
        ・・・

         このようなエゴサントリック(JOG注:自己中心的)な希
        求につらぬかれた幻想にはとどめがない。「おりがきたら」、
        かれはそのような時を待ち受け、そしていまこそ、そのお
        りがきたとみなしたのだ。[3,p210]

     さすがはノーベル賞作家である。新聞記事を読み、「おりが
    きたら」というたった一言から、自己弁護のために「過去の事
    実の改変に力を尽くす」「幻想にはとどめがない」人物として
    赤松・元大尉を描いて見せたのだった。しかし、「幻想にはと
    どめがない」のは大江氏自身である。

     現地を訪れもせず、直接の体験者の話も聞かず、いかにも見
    てきたように赤松元大尉を悪魔的な人物として描いた『鉄の暴
    風』と、この大江氏の『沖縄ノート』は、赤松・元大尉を糾弾
    することによって、日本軍を、ひいては日本国家を貶めようと
    した「悪意の幻想」の産物なのである。

     この「悪意の幻想」から、赤松元大尉と日本軍、そして日本
    国家全体の名誉を救い出すために、岩波書店と大江健三郎に対
    する裁判が闘われているのである。[4]
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(196) 沖縄戦〜和平への死闘
    勝利の望みなきまま日本軍は82日間の死闘を戦い抜き、米
   国の無条件降伏要求を撤回させた。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 曽野綾子『沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実』★★★、
   ワック、H18
2. 産経新聞「『軍命令は創作』初証言 渡嘉敷島集団自決 
   元琉球政府の照屋昇雄さん」、H18.08.27
3. 大江健三郎『沖縄ノート』★、岩波新書、S45
4. ブログ「沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会」

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「悪意の幻想 〜 沖縄戦「住民自決命令」の神話」に寄せられた
  おたより

                                             はまださんより
     今回は読んでいて辛いものでした。赤松大尉や部下の方々、
    照屋さん達当時を知る沖縄の人々、長い間、両者とも、どんな
    に辛かったことでしょう。

     やむを得ず、あるいは政治的意図のために、あるいは心無い
    人々に誹謗されてどれだけの日本軍人が名誉や命を失ったでしょ
    うか。それは当人だけでなくご家族、ご遺族の人生も狂わせま
    した。

     梅澤少佐と赤松さんを支援するまでの力がなくて申し訳ない
    のですが、なんとしても勝訴していただきたいと思います。大
    日本帝国や旧日本軍への悪宣伝は国の内外で続いています。日
    本軍の名誉回復は即ち日本人一人ひとりの名誉回復でもありま
    す。

     そしてもっと早く日本軍への敬意や信頼が回復され、自衛隊
    を日本軍にできていたら、現在の北朝鮮の増長もなかったので
    はないかと思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     この裁判を支援している人々に感謝と敬意を捧げたいと思い
    ます。 

© 平成18年 [伊勢雅臣]. All rights reserved.