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■■ Japan On the Globe(491)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

     The Globe Now: 日台の掛け橋となった「台湾大使」
    
                 内田前台湾大使は、李登輝前総統の訪日実現
                などで断交後、最良の日台関係を作り出した。
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■1.「元日本人」の日本再訪■

     平成16(2004)年の年末から年始にかけて、李登輝・前台湾
    総統が家族とともに訪日し、名古屋、金沢、京都を観光した。
    金沢では、かつて台湾で東洋最大の灌漑用ダムを作って百万人
    の農民の暮らしを向上させた八田與一[a]のゆかりの地を訪ね
    たり、京都大学時代の恩師と61年ぶりの再会を果たした。

     李前総統は司馬遼太郎に「私は二十二歳まで日本人だったの
    ですよ」と語った事がある[b]。前総統は日本統治下の台湾に
    生まれ、旧制台北高校から京都帝国大学に進んだ。若き日に出
    会った新渡戸稲造の『武士道』に衝撃を受け、最近では『「武
    士道」解題』を自ら執筆している。

     この日本人以上に日本的教養を持つ「元日本人」が、60年
    ぶりに「元母国」を再訪したい、と願うのも当然の人情であろ
    う。しかし、その願いは、中国政府とその意を汲む一部の日本
    人からの様々な横やりによって、何度も踏みにじられてきた。

     台湾の民主化を推し進め、総統の民主選挙を実施して、自ら
    再任された李登輝氏は、台湾を中国領土と強弁する中国政府に
    とっては最大の敵であった。その李氏が日本を訪問することは、
    日台の自由民主国家どうしの結びつきを強化し、中国の東アジ
    アにおける覇権を根本から揺り動かしかねない重大問題であっ
    た。

     まさに李登輝氏の訪日問題は、日本、中国、台湾の3国の外
    交関係の縮図なのである。

■2.李登輝氏訪日阻止への執拗かつ陰湿な横やり■

     中国とその意向を受けた一部の日本人による李氏訪日阻止の
    横やりは執拗かつ陰湿だった。

     平成6(1994)年の広島で開催されたアジア競技大会では、ア
    ジア・オリンピック評議会からの招待状を受けて、当時現役だっ
    た李登輝総統が開会式への出席を表明した。しかし、中国が日
    本に猛烈な圧力をかけたため、同評議会が一度出した招待を取
    り消すという、国際競技大会としては史上空前の醜態を晒した。

     当時の外相はその後「従軍慰安婦」問題を謝罪する「河野談
    話」で禍根を残した河野洋平氏であった。翌年バンコクで行わ
    れた東南アジア諸国連合外相会議に赴く途中、台風の影響で台
    湾に緊急着陸陸した際にも、搭乗機から一歩も出ずに一晩を過
    ごし、その事をバンコクでは中国外相に報告したと言うから、
    中国への精忠ぶりが窺われる人物である。

     平成8(1996)年、京都大学創立百周年の記念式典にも、李登
    輝総統は参加希望を表明したが、京大は「李氏は中途退学で卒
    業していないから」という、何ともいじましい理由で拒否した。
    李氏が中退したのは、京大から学徒出陣して日本軍少尉として
    終戦を迎え、台湾に帰らざるを得なかったからである。

■3.私人に戻っても訪日阻止■

     平成13(2001)年、任期を終えて一私人に戻った李氏は心臓
    病の治療のため、訪日ビザの申請を行ったが、槙田邦彦外務省
    アジア太平洋局長は申請を握りつぶし、さらに申請を受けてい
    ないなどとの虚偽の発言までして訪日を阻止しようとした。幸
    い事の真相を知った森首相の決断で、訪日治療が実現した。

     平成14(2002)年、慶応大学の学生たちが学園祭での講演を
    李前総統に依頼してきた。この依頼は2年前にもなされたのだ
    が、その時は「影響があるなら私人とは言えない」などと予防
    線を張る河野外相の在任中である。李氏は「諸般の事情により
    現時点ではできない」と断っていた。

     今回は李氏は講演を快諾したのだが、大学側は学園祭の実行
    委員会に「安全が保証できない」と圧力をかけた。学生たちは
    あきらめずに改めて都内のホテルを借りて、予定通り講演会を
    開催しようとしたが、李氏がビザ申請のし直しをすると、今度
    は外務省が「二度目の申請は受け付けられない」と却下した。

     こうして一私人に戻った後も、李登輝氏は念願の日本訪問を
    果たせないでいた。アメリカやイギリスには自由に行き来して
    いたのだから、問題はひとえに中国の圧力に屈する日本側の態
    度にあった。

■4.内田「台湾大使」■
    
     こうした横やりを排除して、李登輝前総統の訪日が実現した
    舞台裏には、多くの志ある人々の活動があった。その筆頭とし
    て交流協会台北事務所の内田勝久・前所長を挙げたい。

     そもそも「交流協会」とは、どこの国とのどんな交流なのか、
    さっぱり分からない不思議な名称である。この協会は、台湾断
    交後に対台湾民間窓口として設立された機関であり、その出先
    である台北事務所は、実態は「在台湾日本大使館」なのだ。

     それならせめて「日華交流協会」とか「日台交流協会」くら
    いにしておけば、およその推察もつくが、「中華民国とは断交
    した」「台湾は認めてない」ということで、単なる「交流協会」
    に落ち着いた、という。この奇妙な名称自体が、日台中の複雑
    な関係を物語っている。

     その台北事務所長である内田氏は実質的には「台湾大使」と
    いうことになる。弊誌では簡単明瞭に「内田大使」と呼ぶこと
    にする。内田大使はイスラエル、シンガポール、カナダの大使
    を歴任し、退官後に台湾大使として、2002(平成14)年2月か
    ら2005年(平成17)年5月までの3年3ヶ月を勤めた。

     氏が大使を務められている間に、李登輝氏の日本訪問が実現
    し、それ以外にも、天皇誕生日レセプション、および台湾人へ
    の叙勲の再開、台湾人へのビザ免除など、日台関係は大きく前
    進した。

■5.日本と台湾は運命共同体■

     内田氏が1980年代にロンドンの日本国総領事として駐在して
    いた頃、当時のサッチャー首相は、「日本の問題は何か?」と
    問われて「日本はアジアの孤立した民主主義国 (A Lone
    Democracy in Asia)」と答えたことがあった。内田氏は「全く
    その通りだ」と同感した。

     イギリスと日本は大陸に近接した島国として地政学的には良
    く似た位置にある。しかし、イギリスは、フランスやドイツを
    初めとする民主主義国とともにあり、それらの国々と団結して
    ソ連やその衛星諸国と対抗することができた。しかし、日本に
    はそのような自由民主主義という価値観をともにする近隣諸国
    はなかった。中国や北朝鮮という共産主義国がすぐ目の前にあ
    り、これに対抗する韓国や台湾も独裁政権であった。

     しかし、李登輝前総統による台湾の民主化で、日本はようや
    く孤立から抜け出すことができたのだった。

        いまや、日本と台湾は政治的のみならず、社会的、文化的
        にも価値観をともにする、かけがえのないパートナーであ
        り、あえて大きな言葉を使えば、運命共同体なのだ。
        [1, p32]

     内田大使は台湾に赴任してから、こんな質問を受けたという。

         現在中国から台湾に向けられているミサイル6百発は、
        台湾がなくなったら、どこに向けられると思いますか。

     台湾は日本の安全保障の面でも、かけがえのないパートナー
    なのである。内田大使はこの信念のもとに、日台交流を積み上
    げていった。

■6.天皇誕生日レセプションを32年振りに復活■

     2002(平成14)年2月15日に着任した内田大使夫妻は20
    日に李登輝前総統夫妻を表敬訪問した。初対面だが、「内田さ
    ん、よくいらっしゃいました」と流暢な日本語で李前総統は話
    しかけた。「真の台湾政権を発足させたい。若者に台湾の歴史、
    地理をもっと勉強させたい。将来訪日して『奥の細道』を歩き
    たい」と抱負を語る前総統に、内田大使は、何とか訪日を実現
    させなければ、と自分自身に言い聞かせた。

     しかし、内田大使は慎重に一歩一歩進んでいった。まず天皇
    誕生日レセプションを32年振りに復活させた。台湾に駐在し
    ている米英仏露など多くの国々の代表は、それぞれのナショナ
    ルデーに台湾要路の人々を招待するレセプションを開催してい
    る。アメリカで言えば、ナショナルデーは独立記念日である。
    その際にホスト国政府の要人を多数招待して交流することは、
    外交関係を深めるための重要な手段である。

     日本のナショナルデーは天皇誕生日である。内田氏が天皇誕
    生日レセプションの開催を東京の外務省に打診すると、開催そ
    のものは許可したものの、招待客については厳しい制限をつけ
    てきた。中国政府からも日本政府に対して、レセプション開催
    に遺憾の意を表明してきた。

     しかし、内田氏は招待客については、なんとか妥協の道を探
    り、開催にこぎつけた。李前総統は「いろいろ迷惑がかかるこ
    とがあるから」との理由で、出席されないという意向を確認し
    た上で、形式的に招待状を出した。当日、前総統からは立派な
    花が届けられた。

■7.私人の訪日拒否は日本の民主主義、法治主義に反している■

     李前総統の秘書役・彭栄次氏から、訪日の希望が内田大使宛
    に表明されたのは2004(平成16)年4月であった。この問題に
    ついては、すでに内田氏の考えは固まっていた。

     李前総統が一私人であるにも関わらず訪日を許さないという
    ことは、日本の民主主義、法治主義に反している。日本への訪
    問が李前総統の長年の夢であったことは、全ての台湾人がよく
    知っていた事で、「どうして私人となったあのおじいちゃんが
    日本を訪ねられないのか?」という素朴な質問を内田氏もたび
    たび受けてきた。自分の在任中に、ぜひ李前総統の訪日を実現
    させたいと決意していた。

     しかし、中国は李前総統をパブリック・エネミーNo.1と
    してその訪日に強く反対しており、日本の外務省、政府にもそ
    の意向を重視して、何とか訪日拒否に持って行きたい人々がい
    る。それらの人々に拒否の口実を与えないような細心の気配り
    が必要であった。

     内田大使は彭氏と連絡をとりながら、「観光、休養という自
    然な形の訪日で、講演を含む政治活動は一切行わない。ただし
    各地での知人、友人等との会食は構わない」とする基本案をま
    とめた。

     内田大使はこの提案を7月初旬に外務省に提出した。同時に
    彭氏が極秘に訪日して、外務省がこの問題で相談すると思われ
    る自民党の有力政治家に先手で根回しをした。これでも日本政
    府が訪日拒否の立場をとった最悪の場合には、内田氏は辞職し
    てメディアを通じて日本国内世論に訴える覚悟もしていた。

■8.中国の「鼻をあかす」■

     外務省での検討は遅々として進まなかった。7月、8月を過
    ぎ、当初予定していた9月か10月という訪日予定時期が近づ
    いていた。12月11日には台湾で立法院選挙があり、これに
    近づき過ぎても、「訪日には政治的思惑がある」といらぬ勘ぐ
    りをされる恐れがある。

     外務省の回答がもたらされたのは、9月に入ってからだった。
    12月の立法院選挙の後に何とか「実現を取り計らいたい」と
    いう曖昧なものであった。外務省は先延ばしを図っているので
    はないか、と内田大使は不安に思ったが、時期は遅くなっても、
    まずは訪日を実現することが、すべての日台関係者の悲願であ
    る。

     内田大使は李前総統に直接会って、外務省の回答を伝えると
    ともに、12月の選挙後早々に訪日されるのが良いと意見を述
    べた。今回の訪日は前例を作るためのものと割り切るのが得策
    だという考えからである。李前総統もこれに賛同し、彭氏が改
    めて年末年始にかけて、名古屋、金沢、京都方面を家族で観光
    するという案を作成した。

     外務省からこの家族旅行案を認める用意がある、との回答が
    もたらされたのは12月15日だった。出発予定日の27日は
    2週間足らずに迫っていた。

     内田大使は安堵すると共に、彭氏に再度、スピーチや記者会
    見など、政治的活動ととられるような活動は行わないように、
    と念を押した。果たして中国側は、李登輝は台湾独立運動の首
    謀者であり、この訪日は独立運動の一環であると、強く反対し
    てきたが、それが純粋に観光旅行で終われば、中国側の言い分
    が理不尽な言いがかりであることが証明され、彼らの「鼻をあ
    かす」ことで、再訪日への道を開くことになるのである。

■9.「日台関係は大きく発展した」■

     李前総統一家の訪日が無事に終わった翌2005(平成17)年
    1月、内田大使は新年の挨拶のために前総統を訪問した。李前
    総統は、お世話になった日本政府への謝意を伝えて欲しい、と
    前置きした上で、こう語った。

         私の訪日は、3年前の治療のための訪日を除けば実に
        60年ぶりであり、短い期間ではあったが、日本の生活や
        文化に直接触れることが出来、とても楽しかった。日本は
        名古屋市の街づくりと名古屋城が象徴するように、経済発
        展の中でも伝統文化を失っていない。「進歩」と「伝統」
        が絶妙にバランスしているところに、特に強い印象を受け
        た。

         この60年間、国際社会においても日本は雌伏を続け、
        米国や中国を出来るだけ刺激しないように心掛けてきた。
        が、最近になってやっと日本の文化や歴史を再度見直すと
        いう機運が強まってきているように思う。拙著(「『武士
        道』解題」)にも日本を勇気づけられたらという私の思い
        が込められている。日本が自信に満ちた強い国家になるこ
        とは、アジアの安全にとって重要なのである。

         こうした流れの中で、最近の日台関係はあらゆる分野で
        極めて良好であり、32年前の断交以来、最良の状態であ
        るといっても過言ではない。[1, p275]

     内田大使はこの年5月に台湾大使の任期を終えた。陳水遍総
    統に離任表敬訪問を行った際には「大綬景星勲章」が授与され、
    総統も「日台関係はこれまでで最高の状態であり、内田大使の
    在任中に日台関係は大きく発展した」と感謝した。

     5月15日、内田夫妻は日本大使公邸に別れを告げ、帰国の
    途に着いた。まだまだやり残したことは無数にあるが、この3
    年3ヶ月は外交官としての生きがいを感じた時期であった、と
    感慨にふけりながら。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(216) 八田與一〜戦前の台湾で東洋一のダムを作った男
    台湾南部の15万ヘクタールの土地を灌漑して、百万人の農
   民を豊かにした烏山頭ダムの建設者。
b. JOG(061) 李登輝総統の志
    漢民族5千年の歴史で初の自由選挙で選ばれた台湾総統。
   「世界でももっとも教養の高く、かつ名利の欲の薄い元首(司
   馬遼太郎)」

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 内田勝久『大丈夫か、日台関係』★★★、産経新聞出版、H18

     

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