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             重光葵が伝えたマッカーサーの感動

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1358 ■ H19.10.29 ■ 9,287 部 ■■■■■■■


     1955(昭和30)年8月、重光は外相として初めて訪米した。
    それに際し、那須のご用邸に滞在中の昭和天皇に渡米のご挨拶
    を申し上げた。降伏文書調印の時以来、10年ぶりの拝謁であ
    る。

     この時、昭和天皇はもしマッカーサー元帥と会う機会があれ
    ば、「自分は米国人の友情を忘れたことはない、米国との友好
    関係は終始重んずるところである。特に元帥との友情を常に感
    謝して、その健康を祈っている、と伝えてもらいたい」と重光
    に依頼された。

     重光は、ニューヨークのホテルに、マッカーサー元帥を訪ね
    て、昭和天皇からの伝言を伝えた。元帥は「自分は日本天皇の
    御伝言を他のなにものよりも喜ぶものである。私は陛下にお会
    いして以来、戦後の日本の幸福に最も貢献したのは天皇陛下で
    あると断言するに憚らないのである」と語った。

     マッカーサーは続けて、重要な証言をした。

         天皇に初めてお会いしたのは、東京の米国大使館内でし
        た。どんな態度で陛下が私に会われるか、と好奇心をもっ
        てお会いしました。しかるに実に驚きました (much to my
        surprise)。陛下は、まず戦争責任の問題を自ら持ち出さ
        れ、つぎのようにおっしゃいました。これには実にびっく
        りさせられました (to my utter astonishment)。

         すなわち、「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなること
        にも、また事件にも全責任をとります。また私は、日本の
        名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治
        家の行為に対しても直接に責任を負います。自分自身の運
        命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それ
        は自分には問題でない (go ahead)。私は全責任を負いま
        す。」 これが陛下のお言葉でした。

         私はこれを聞いて、興奮の余り、陛下にキスしようとし
        たくらいです。もし国の罪をあがなうことが出来れば進ん
        で絞首台に上ることを申し出るという、この日本の元首に
        対する占領軍の司令官としての私の尊敬の念は、その後ま
        すます高まるばかりでした。

     マッカーサーは感動をこめて語った。

     重光はマッカーサーの話を聞いて感動し、これはぜひ日本国
    民に知らせたいものだと、元帥の会見に同席して速記をとって
    いたスクリップ・ハワード通信社社主のロイ・ハワード氏に頼
    んで速記のコピーを貰い、同席した人にも元帥の発言を確認し、
    帰国してから、邦訳して『読売新聞』に寄稿した。それは昭和
    30(1955)年9月14日付け朝刊に『天皇讃えるマ元帥 新日
    本産みの親 御自身の運命、問題とせず』のタイトルで掲載さ
    れた。[1,p238]

     わが国の歴史上、最も聖なる場面の一つは、こうして重光の
    手によって記録に残された。昭和天皇の御心を体して、平和の
    ために一生を捧げた重光こそ、陛下の大御心を伝えるに最もふ
    さわしい人物であった。これも天の配剤だろうか。

■リンク■
a. JOG(519) 重光葵(上) 〜 大御心を体した外交官
    昭和天皇の大御心を体して、重光葵は中国・アジア諸国との
   親善友好と独立支援の外交を展開した。
b. JOG(520) 重光葵(下) 〜 大御心を体した外交官
    終戦工作、降伏文書調印、占領軍との交渉、戦犯裁判と、重
   光の苦闘は続く。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 渡辺行男『重光葵―上海事変から国連加盟まで』★★★、
   中公新書、H8

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