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                    終戦時の二人の少年

                                                   伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1364 ■ H19.11.12 ■ 9,322 部 ■■■■■■■

     終戦時にやってきた米国人二人が、日本の少年の示した態度
    で感銘を受けたという逸話を産経新聞が紹介している。[1]

     一人は、日系兵士としてやってきたジョージ・アリヨシ氏。
    後にハワイ州知事となる人物である。産経新聞はこう伝えてい
    る。

         陸軍に入隊したばかりのアリヨシ氏は1945年秋、初
        めて東京の土を踏んだ。丸の内の旧郵船ビルを兵舎にして
        いた彼が最初に出会った日本人は、靴を磨いてくれた7歳
        の少年だった。言葉を交わすうち、少年が両親を失い、妹
        と2人で過酷な時代を生きていかねばならないことを知っ
        た。

         東京は焼け野原だった。その年は大凶作で、1000万
        人の日本人が餓死するといわれていた。少年は背筋を伸ば
        し、しっかりと受け答えしていたが、空腹の様子は隠しよ
        うもなかった。

         彼は兵舎に戻り、食事に出されたパンにバターとジャム
        を塗るとナプキンで包んだ。持ち出しは禁じられていた。
        だが、彼はすぐさま少年のところにとって返し、包みを渡
        した。少年は「ありがとうございます」と言い、包みを箱
        に入れた。

         彼は少年に、なぜ箱にしまったのか、おなかはすいてい
        ないのかと尋ねた。少年は「おなかはすいています」とい
        い、「3歳のマリコが家で待っています。一緒に食べたい
        んです」といった。アリヨシ氏は手紙にこのときのことを
        つづった。「この7歳のおなかをすかせた少年が、3歳の
        妹のマリコとわずか一片のパンを分かち合おうとしたこと
        に深く感動した」と。

     もう一人のアメリカ人は、米海軍カメラマンのジョー・オダ
    ネル氏。

         原爆が投下された長崎市の浦上川周辺の焼き場で、少年
        は亡くなった弟を背負い、直立不動で火葬の順番を待って
        いる。素足が痛々しい。オダネル氏はその姿を1995年
        刊行の写真集「トランクの中の日本」(小学館発行)でこ
        う回想している。

        「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。小さな体は
        やせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。少年の背中
        には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。
        (略)少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。
        わき上がる熱風にも動じない。係員は背中の幼児を下ろし、
        足下の燃えさかる火の上に乗せた。(略)私は彼から目を
        そらすことができなかった。少年は気を付けの姿勢で、じっ
        と前を見つづけた。私はカメラのファインダーを通して涙
        も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私
        は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることも
        できないまま、ただもう一度シャッターを切った」

     戦争は武力の戦いである。武力で負けることは恥ではない。
    戦いに負けても、こういう毅然とした、しかも思いやりに満ち
    た態度で外国人の心を揺さぶる少年達がいた。

     このような少年達を生み出したかつての我が国を誇りに思う。
    そういう国家を再び取り戻すことは、困難ではあるが、不可能
    ではない。

■参考■
1. 産経新聞、【やばいぞ日本】第4部 忘れてしまったもの(1)
   一片のパン「幼いマリコに」、H19.11.6
 

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