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               Common Sense: 中国の外交術
    
                  米中国交正常化交渉においてキッシンジャー
                 を翻弄し続けた中国流の外交術に学ぶ。
■転送歓迎■ H20.02.17 ■ 36,410 Copies ■ 2,768,784 Views■

    
■1.中国招待は皇帝の温情!?■

     1971年7月、キッシンジャー大統領補佐官は北京への最初の
    秘密訪問を行った。ニクソン大統領が対中国交正常化への意欲
    を示し、5月に中国側が大統領の公式訪問を歓迎すると応えた
    のを機に、そのお膳立てのための極秘訪問をしたのだった。

     キッシンジャーを迎えた周恩来首相は、こう語った。

         中国側がまだ招待していない実に多数の米国の政治家の
        リストをみせましょうか。私のデスクには、中国を訪問さ
        せてほしいと要請する米国政治家からの手紙が山のように
        積まれています。私は返事はまだ出していませんが−−−

     周恩来の先制パンチだった。交渉相手をそのライバルと競わ
    せて焦らせる、中国一流の外交術である。何千年も国内で激し
    い外交合戦を繰り広げてきた中国では、ごく基礎的な手法であっ
    た。この後に続く何年もの米中交渉の間、キッシンジャーはこ
    うした中国側の天才的な外交術に翻弄され続けることになる。

     この先制パンチに、キッシンジャーはこう応えるのが精一杯
    だった。

         あなたがしたこと(ニクソン氏訪中招待)にはニクソン
        大統領も非常に感謝しています。

     これでは中国皇帝への拝謁を許された周辺蛮族の使節が、皇
    帝の格別の仁慈に感謝しているようで、完全に位負けである。
    周恩来はその答えに満足したように、さらにこう畳みかけた。

         その招待は毛主席の英知と指示によりなされたのです。

■2.CIA報告書『中国人の交渉術』■

     米中国交正常化交渉はこの後、79年1月カーター政権下で結
    実するまで7年以上も続けられるのだが、中国の外交術に翻弄
    され続けた米政府は、この経験を『中国人の交渉術』という報
    告書にまとめて、中国との交渉を担当する人間には熟読するこ
    とを義務づけた。

     米国中央情報局(CIA)が発行したこの報告書は、ランド
    研究所主任研究員のリチャード・ソロモン氏によってとりまと
    められたのだが、彼はキッシンジャーの補佐官を務めた人物で
    ある。前後20年に及ぶ中国との交渉記録を渉猟し、さらにニ
    クソン、フォード、カーター、レーガンの歴代政権の高官たち
    30人以上にインタビューを行った。

     キッシンジャーもインタビューに答えた一人であり、その体
    験をもとに、この報告書では随所にキッシンジャーが翻弄され
    た実話がちりばめられている。冒頭のシーンはその一つである。

     キッシンジャーほどの著名な国際政治学者でも、実際の交渉
    の場では手玉にとってしまうほどの高度な外交術を、中国の政
    治伝統は生み出している。

     その分析を行った本書は、日本の対中外交、そして民間企業
    における交渉においても参考になる。本号では、その一端をご
    紹介しよう。

■3.「中国の友人」を選ぶ■
    
     中国の外交術の原則は、国家間の関係は条約などの法的なも
    のでなく、あくまで個人どうしのつながりに基盤を置く、とい
    うものである。

     これは中国の歴代王朝が(現在の中国共産党政権も含めて)、
    皇帝の独裁を原則としてきたことから生まれた歴史的な特性だ
    ろう。国家間の関係も、企業間の関係も、まずは相手側との人
    間関係を作る所から始まる。

     その第一ステップは、中国側と個人的関係で結ばれた「中国
    の友人」を作り出し、それが相手側の交渉窓口となるよう工作
    することである。相手国政府内のライバル関係、あるいは権力
    状況を調べて、「中国の友人」として最適な人物を選び出す。

     米中交渉において「中国の友人」として選ばれたのが、キッ
    シンジャー補佐官であった。71年はじめに中国政府はニクソン
    政権と直接のコンタクトをとろうと決めてから、少なくとも二
    人の仲介者を通じて、キッシンジャーに特に会いたいという意
    向を伝えている。

     最初は71年2月に、喬冠華外務次官がこの意向を北京駐在の
    ノルウェー大使に伝達した。4月には駐米パキスタン大使が周
    恩来首相からの同様のメッセージを伝えている。こうした名誉
    ある「ご指名」に与(あずか)ったキッシンジャーが、対中国
    交回復にどれほどの意欲を燃やしたかは、想像に難くない。

■4.「中国の友人」への計算され尽くした「熱烈歓迎」■

     日中国交正常化の場合、「中国の友人」に選ばれたのは田中
    角栄だった。佐藤栄作政権の親台湾政策を継承する福田赳夫に
    対して、田中角栄に訪中招待を呼びかけ、親中派の大平派、三
    木派を抱き込んで、田中政権の成立を裏から助けた。田中角栄
    は首相に就任した初閣議後の記者会見で「中華人民共和国との
    国交正常化交渉を急ぐ」と発言している。[a]

     逆に「友人」になりえない人物が交渉相手に選ばれそうにな
    ると、中国はそれを避けるためにあらゆる手段を使う。1980年
    の米国大統領選の最中に、親台湾派と見られていた元CIA副
    長官レイ・クラインが新政権の対中窓口になりそうになると、
    トウ小平は副大統領候補ブッシュとの会談で「レイ・クライン
    とは何者なのか。クラインの中国に関する見解はレーガン・ブッ
    シュ政策を反映するものなのか」と厳しく問い詰めた。

     そしてクラインがある記者会見で「中国は野蛮」と口を滑ら
    せた発言を大々的に取り上げ、激烈に非難したのだった。中国
    敵視政策を決意した政権でない限り、ここまで非難された人物
    を対中外交の責任者に任命することはできないであろう。

    「中国の友人」に任命された人間が招待に応じて訪中すると、
    計算され尽くした「熱烈歓迎」を受ける。

     キッシンジャーはニクソン訪中の事前準備に訪中した際に、
    中国側がレセプション、名所見物、食事、音楽など綿密に効果
    を計算して準備を進めていることに強い印象を受けたと述懐し
    ている。2回の訪問で、紫禁城と万里の長城に案内され、さら
    に北京の現代オペラを観劇させられた。

     田中首相が北京入りしたのは9月の30度を超える暑い日だっ
    たが、迎賓館の部屋は田中の好きな17度に設定されており、
    田中の第一声は「ああ涼しくて助かる」だった。部屋の隅には
    さりげなく田中の好きな台湾バナナ、富有柿、木村屋のあんパ
    ンが置いてあった。「これは大変な国に来たな」と日本側は驚
    いた。[a]
    
■5.「相手のライバルと競わせる」■

     こうした陰からのバックアップや「熱烈歓迎」で相手国のリ
    ーダーと個人的パイプを作る事に成功すると、その「中国の友
    人」を通じて中国は様々な要求や圧力をかける。

     ここで「中国の友人」が反抗することもあるが、それを抑え
    込む手口がいくつかある。一つは「相手のライバルと競わせる」
    という手である。

     冒頭に紹介したように、周恩来首相がキッシンジャーに対し
    て、他にも中国の招待を待つ米国政治家がたくさんいる、と牽
    制したのも、この一例である。共和党のニクソン政権下で国交
    正常化への進展がはかばかしくなければ、中国訪問を切望する
    民主党の多数の政治家に交渉相手を切り替える、と脅したので
    ある。

     1974年11月、ニクソン訪中後、3年近く経っても、米中交
    渉がまだ続いていたが、トウ小平はキッシンジャーに対して、
    そのライバルと目されていたシュレジンジャー国防長官を中国
    に招待すると告げて、ショックを与えた。 [1,p108]

         米中関係では、もう一つ考えていることがあります。両
        国関係がいま冷却しているという点です。このため中国政
        府は国防長官ジェームズ・シュレジンジャー氏への公式招
        待を発表する。同氏の訪中はいまの米中間の諸問題に適切
        な答えを与えるでしょう。

     キッシンジャーが「クレムリンでは(驚いて)すぐに政治局
    会議を開くでしょうね」と牽制すると、トウはこうかわした。

         私たちは気にしません。むしろソ連が政治局会議を開く
        ことを私たちは望んでいます。中国は真剣にこの招待を出
        しているのです。
    
■6.「われわれはあなた方を必要としない」■

     交渉相手をライバルと競わせて、自分を有利な立場に置くと
    いう外交術は、相手国全体に対しても用いられる。

     上記のキッシンジャーとトウ小平の会談の前月、中国首脳は
    突然、ソ連に向けてボルシェビキ革命の記念日を祝う電報を打
    ち、中ソ不可侵条約を提案した。米中関係が冷却している時期
    にこんなメッセージが送られただけに、中ソ対立が解消される
    のではないか、との憶測まで流れた。

     その直後のキッシンジャーとの会談で、トウ小平は「ソ連の
    覇権政策は不変」という見解を強く再確認してみせた。キッシ
    ンジャーとの会談を狙って、中国側が「米中交渉が進展しない
    と、中ソが再び組むかも知れない」という揺さぶりをかけたの
    だろう。

     レーガン大統領が84年春に北京を訪問した際にも、中国側は
    この外交術を巧みに使ってみせた。ソ連のアルキポフ第一副首
    相がすぐに中国を訪問する予定だとレーガン大統領に伝えたの
    である。中国首脳はさらに「日中関係が21世紀まで円滑に保
    たれる」と力説して、行き詰まっている米中関係と対比した。

     軍事はソ連、経済は日本があるから、アメリカが中国との関
    係緊密化を望まないなら、それでも中国の方は一向に困らない、
    という圧力である。

    「われわれはあなた方を必要としない。あなた方こそわれわれ
    を必要としているのだ」というのが、中国の慣用句である。
    
■7.「時間のプレッシャー」■

     中国のもう一つの外交術は、相手側に「時間のプレッシャー」
    を与えることである。

     キッシンジャーは、1971年10月の二度目の中国訪問の際の
    共同コミュニケ草案づくりの光景を次のように描いている。
    [1,p131]

         われわれを夕食の蒸し焼きアヒルで腹一杯にさせたあと、
        周(恩来)氏は自分のつくった草案を突きつけてきた。周
        草案は、一連の問題について極めて非妥協的な言葉で中国
        側の立場を述べ立てる一方、米国の立場を述べる空白のペ
        ージを残しており、米国の立場は、中国側の立場とは反対
        になることが予測されていた。[1,p131]

     米国は自身の主張を盛り込むことができるが、中国と米国の
    主張に何の共通点もないのであれば、ニクソン訪中は意味のな
    い失敗であるとされてしまう。キッシンジャーは、「限られた
    訪問期間の中で何らかの共通点を見いださなければならない」
    というプレッシャーをかけられ、翌朝に対案を提示することを
    約束した。

         対案作りは、肉体的な耐久力との競争になった。まず、
        私が3時間眠っている間にウィンストン・ロードがコミュ
        ニケを練り直した。そして彼がベッドに潜り込むと、私が
        夜の明けるまで草案を推敲した。

     共同コミュニケの草案の大部分はこの際にまとまったが、最
    も重要な台湾問題に関する合意は、翌年2月のニクソン大統領
    訪中時にまで持ち越された。

     この時も、キッシンジャーは喬冠華外務次官と20時間にお
    よぶ交渉を続けたが、大統領の北京出発の時間が迫ってくる。
    喬次官は、まとまらないのなら共同コミュニケを出さなくとも
    よい、という虚勢を張ったが、米国側としては、それではニク
    ソン訪中は失敗だった、ということになる。

     結局、米国側は大統領の出発の12時間前に台湾問題で譲歩
    し、「上海コミュニケ」をまとめたのだった。
        
■8.「後で都合のようように解釈」■

     こうした「時間のプレッシャー」のもとで、米国は中国側が
    主張する「一つの中国」という原則を受け入れた。しかし、そ
    こでは「米国政府は台湾海峡のいずれの側の中国人も、中国は
    一つであり、台湾は中国の一部だとみていることを認識し、そ
    の立場には挑戦しない」という文言であった。

     これなら、台湾側が「中国は中華民国という一つの国であり、
    台湾はその一部」という主張をしている事も米国政府は「認識」
    していることになる。極端な時間のプレッシャーの下で、キッ
    シンジャーが考え出した天才的な苦肉の策である。

     しかし、この苦肉の策も、老練な中国の外交術に手玉にとら
    れることになる。中国側は後に「台湾は中華人民共和国の一部
    である事を米国が承認した」というように一方的にねじ曲げて
    解釈してしまう。

     77年1月、カーターが大統領就任直前に、「台湾は(中国と
    は)別の国」と述べたことに対して、上海コミュニケ違反とし
    て批判した。さらに米国が台湾に武器を売却する都度、「上海
    コミュニケ違反」として非難した。
    
     合意事項を含みのある文面にしておき、後の自分に有利な形
    に解釈する、という中国の戦術は、日本との交渉においても発
    揮されている。[a]
    
■9.「敵を知り己を知らば百戦危うからず」■

     以上のような中国人の外交術は、天才的なものではあるが、
    様々な交渉において、繰り返し見られる一定のパターンである。

     逆に言えば、そのパターンを知っていれば、こちらに有利な
    形で交渉が進められる。だからこそ、米国はこのレポートをま
    とめて、中国との交渉担当者に読ませているである。我が国の
    外交担当者や国際的なビジネスマンも、こうした研究が必要で
    ある。

    「敵を知り己を知らば百戦危うからず」とは孫子の言葉である。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(312) 「日中国交正常化」〜 幻想から幻滅へ
    そもそものボタンの掛け違えは、田中角栄の「日中国交正常
   化」での「異常」な交渉にあった。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 産経新聞外信部 (翻訳) 『中国人の交渉術―CIA秘密研究』★★、
   文藝春秋、H7

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「中国人の外交術」に寄せられたおたより

                                         「はな☆」さんより
     中国人の交渉術ーあのキッシンジャー氏ですら翻弄された中
    国人の手練には驚きです。

     最近南京市を訪問しましたが、新装オープンしたばかりの侵
    華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館は日本軍がいかにえげつない
    行為をしたかという事をエキセントリックに取り上げています。

     例えば「日本人将校2人が日本刀で100人斬り競争をした」と
    いう当時の日本の新聞記事を大きく引き延ばして事実として扱っ
    ています。

     展示物の多くが日本側から提供された資料でした。犠牲者30
    万人という数字も疑問が多く残るものですがこの記念館では事
    実として扱われています。

     見事なまでのプロバガンダです。

     負の遺産として世界遺産に登録したいというもくろみだけは
    阻止しなければならないと思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     意図的なプロパガンダを流すことも、外交術の一つですね。


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