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■■ Japan On the Globe(536)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

               国柄探訪 : 若者たちの職人道
    
                          一人前の職人を目指して、若者たち
                         が様々な職場で仕事に打ち込んでいる。
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■1.ケーキを投げつけられて■

     田端友未さん(埼玉県、20歳)が初めて仕上げを任されて
    クリームを塗ったケーキをシェフに見せた。シェフはそれを友
    未さんに投げつけ、「お前はこんな物を店に出すのか」と言っ
    て背を向けた。

     肩から腕からダラダラと溶けたクリームが流れた。友未さん
    は殴られたようなショックを受け、泣くのをこらえながら店頭
    に飛び出した。

         私は絶望を感じて暗い表情をしているのに、ショーケー
        スの中のケーキを眺めるお客様や子供達は皆笑っていた。
        その時初めて分かった事があった。人は何か特別な気持ち
        を持ってケーキを買いに来るのだ。人に笑顔や喜びを与え
        る優しい力がケーキにはあるのだ。そして私は思った。私
        は負けない。いつかあいつを追い越して立派なパティシエ
        になってみせる。[1,p48]

     田端さんは高校卒業後、ケーキ職人を志して、このケーキ店
    に就職した。シェフはとても厳しく、バカヤローと怒鳴られな
    い日はなかった。何かをする度に暴言を吐かれた。毎日泣きな
    がら帰った。
    
     そんな毎日が続いていた所、ある日突然、シェフが田端さん
    にケーキの仕上げを任してくれたのだった。これまでシェフの
    技術やアイデアから学んできた事を示すチャンスだと思って、
    自信を持ってクリームを絞った結果が、これだった。

     それからも厳しい修行が続いたが、その店は区画整理にあっ
    て、廃業となった。別れ際にシェフは「残った者だけが本物に
    なれるんだ」と言ってくれた。

     新しく就職した店でも、田端さんは頑張っている。

         私はとにかくシェフから信用を得たかった。だから細か
        いことを疎かにせず、常にシェフの行動から目を離さなかっ
        た。自信を持ちはじめた私は少しずつ成長していった。そ
        してパティシエになるという夢は目標になっていった。

■2.「おいしーね」、その一言がとても嬉しくて■
    
     清水敦さん(東京、38歳)は、高校生のときに寿司屋のア
    ルバイトをした事が縁で、和食の世界に興味を持った。仕事は
    はじめのうちは出前専門だったが、2、3カ月やっているうち
    に、お客様に出す簡単な仕込みを教わった。

     自分が仕込みをした魚を食べたお客さんから「おいしーね」
    と言われる、その一言がとても嬉しかった。この経験が機縁と
    なって、高校卒業後、料理界に入った。

     料理の世界は奥が深い。追い回し(掃除、洗い物などの下働
    き)から始まって、魚・野菜の下ごしらえ、それができたら、
    サラダ、おしんこ、小魚のおろし。野菜の切り方も種類によっ
    て異なる。これらができるようになるまで2年から3年かかる。

     その後でようやく「焼き場」を担当させて貰えるようになる。
    魚を焼くにも、野菜を焼くにも、一つひとつが違う。魚でも種
    類や大きさによって、火加減を調整しなければならない。さら
    に春夏秋冬、旬のものが2か月おきに変わる。2年ではとても
    覚えられない。

     次は天ぷらなどの「揚場」、それができると煮物をつくる
    「煮方」。

         レシピなどない、自分の舌がすべて。調理の世界は煮方
        で職人と、よくオヤジはいう、わかる気がする。・・・

         その日の材料の生の味から味付けしていく、ジャガイモ
        を煮るのに毎日味の調味料が違う。でもそこがプロの調理
        人だ。毎日平均同じ味に味付けする、とても不思議だ。
        [1,p77]

■3.「調理人は一生勉強していく世界だ」■

     清水さんは調理人の道を歩み始めて20年になる。職人と言
    われる煮方になるまでに約10年かかり、その後、煮方で10
    年過ぎた。

         親方に完璧にほめられたことはいまだない。昼休みにコ
        ーヒーやジュースを飲んでも「味が分からなくなるだろ」
        とどなるオヤジ。とても厳しいしすごくこわい。でもそん
        なオヤジの弟子で誇りに思うし、感謝している。

     バブル後、大手会社の接待などに使われていた高級料亭がか
    なりつぶれた。安くておいしい店がうけている。

         その流れに合わせ、なおかつ伝統の日本料理を守ってい
        くオヤジの弟子で本当に感謝している。そのオヤジの口癖
        は「調理人は一生勉強していく世界だ」とよく言う。その
        言葉の意味がわからなければ職人として見てもらえないだ
        ろう。

         それにお客様に対し「真心」「愛情」「感謝」の気持ち
        を持っていれば、料理の技術が進んでいても、決して手抜
        きはせず手作りの料理だと、それがお客様に返す真心だと
        思う。

         そんな頑固オヤジは今の時代どれだけ残っているのか?
         私もそんな頑固オヤジの一人になるのはいつの日だろう。
        [1,p78]
    
■4.「バケツの重みが分かった時、お前も一人前だぞ」■

     大塚博之さん(東京、25歳)は父親が左官業を営んでおり、
    小さい頃から父親が壁塗りをする仕事ぶりを見ていたので、い
    つか父親を超える職人になろうと思っていた。

     中学を卒業すると、電車で30分くらいの所にある別の左官
    業の会社に就職した。父親の元ではどうしても甘えがでると思っ
    たからだ。毎朝、5時前の電車に乗り、会社に着いたら倉庫を
    開け、掃除をし、先輩の職人達が職場に現れたらお茶を入れる。

     先輩の職人達が仕事を始めると、バケツでセメントを運ぶこ
    とだけが、大塚さんの日中の仕事だった。中学を出たばかりで、
    まだ体も出来ていなかった大塚さんには、25キロものバケツ
    を一日数十杯も運ぶことは大変だった。その重みが辛くて、逃
    げ出したかった時もあった。

     親方からは「その重みが分かった時、お前も一人前だぞ」と
    言われたが、15歳だった大塚さんには、全く意味が分からな
    かった。

     壁塗りの練習は、毎日昼休みに30分ほどさせてくれた。親
    方は「お金も大事だけど、自分達は物を作る仕事だよ、心をこ
    めて初めて物と呼べるんだ」と、繰り返し大塚さんに言い聞か
    せた。
    
■5.「その重みがあるから今の自分がいます」■

     弟子入りして3カ月目を迎えたある日、親方からこう言われ
    た。「今日一日かかってもいいから、自分の力で壁を仕上げて
    みなさい」

     大塚さんが「無理ですよ」と言ったら、思いっきりひっぱた
    かれた。「やる前から無理だったら、もう帰れ! そんなんじゃ
    いつまでもバケツ運びだぞ! 職人が自信を持っていなければ
    仕事はいつまでもできないぞ! くやしかったら結果を出せ」
    その言葉に大塚さんはやる気を出した。

        夜遅くなっても親方は最後まで見守っていてくれました。
        でき上がった時の喜びは、今でも忘れません。仕上がりを
        見て親方に「やればできるだろう、その自信を忘れずに、
        これからはたくさん壁を塗れ」と言われました。[1,p11]

     仕事を覚えはじめの頃は、先輩の塗り方が違うのにとまどっ
    た。最終的に仕上がりは同じでも、皆仕事の進め方が違うので
    ある。結局、大塚さんも自分に一番あったやり方を見つける事
    ができた。

     月日がたち、やがて大塚さんは、一つの現場を任されて、材
    料の搬入から、職人の段取りまで、親方の代わりにやれるよう
    になった。その時、親方は一人前になったと認めてくれた。

         親方に「覚えているか? お前がバケツが重たいと言っ
        てた頃に、俺が言った意味が今なら分かるか?」と聞かれ
        ました。私は、自信を持って言いました。「その重みがあ
        るから今の自分がいます。自分にも弟子ができた時、その
        辛さが分かります。その重みがあるから一生懸命仕事を覚
        えることができました。今までありがとうございました」
        と言いました。[1,p13]

     この道に入って11年。大塚さんは今は京都の寺院に残る伝
    統的な左官の技術に興味を抱いている。「いつまでたっても職
    人は、修業の毎日だと思います」と大塚さんは言う。
    
■6.「人の心に何かを響かせるようなものを彫りたい」■

     山形県で生まれ、埼玉県の会社に就職した佐藤努さん(29
    歳)は、何かを作る仕事をしたい、と思いつつ、それが見つか
    らないまま、会社勤めも6年目に入っていた。しかし、休みの
    日に鎌倉を訪れた時、転機が訪れた。

         山道にひっそりと佇(たたず)む野仏を見つけて、その
        やさしい顔に心を奪われた。そうだ、自分もこんな仏像を
        彫りたい。人の心に何かを響かせるようなものを彫りたい。
        その野仏は石のようなものでできていたが、なぜか私はこ
        の時、自分は木に彫ってつくりたいと思った。木彫師にな
        ろう。仏や地蔵を彫る仕事がしたい。[1,p101]

     木彫師の弟子入りをさせてくれる所を探していた所、ある雑
    誌に、浅草の江戸伝統木彫りが紹介されていた。これは、と思っ
    て、早速行ってみると、すでに同様な希望者が何人も来ていた。

         師匠は海坊主のような風貌の人で、いかにも下町の職人
        という感じの恐そうな人だった。訪ねて行った私と少しだ
        け話をし、採用するともしないとも言わず、ただ「見学な
        ら勝手に来い」とだけ言われた。それでもこれしかないと
        思った私は、次の日から弁当を持って毎日そこに通った。
        最初は見学、そして雑用、そのうち木片を与えられ言われ
        たものを彫って見せたりした。[1,p102]

     1ヶ月半が過ぎて、ようやく弟子入りが認められたが、40
    人近く来た中で残ったのは、二人だけだった。

         怒鳴られることは当たり前、彫刻刀の柄で殴られること
        も日常茶飯事だった。何度、師匠から「やめちまえ」と言
        われたか分からない。

■7.「自分は今、夢の途上にいる」■

     そんな日が5年も続いて、ようやく、招き猫や七福神といっ
    た小物から、ついに社寺彫刻までやらせて貰えるようになった。

         宮大工の手によって、自分が彫刻したものが神社に組み
        付けられるのを見た時、何とも言えない熱いものが胸に込
        み上げてきた。今まで社寺彫刻は工務店に納めるだけで、
        実際に組み付けた状態を目にすることはなかった。しかし
        今回はじめて師匠の心遣いで、長野県のあずみ野まで職人
        たちと見に来たのだった。会社員をやめて江戸彫刻師に弟
        子入りしてから5年、やっとここまできた・・・そんな思
        いでいつまでも見上げていた。[1,p100]

        「そろそろ引き上げるぞ。」 この5年間の様々な出来事
        を思い返していると師匠に肩を叩かれた。

         職人の世界で5年目といったら、まだほんのひょっこだ。
        人の心を響かせる作品を彫れる日はまだまだ遠い。「よしっ、
        これからもっともっと頑張るぞ」。自分は今、夢の途上に
        いる。今にも雪を降らせそうなあずみ野の冷たい空気が、
        高揚した頬に気持ち良かった。[1,p104]
    
■8.「職人」と「労働者」の違い■

     以上、職人への道を歩む4人の若者たちの姿を追ってみた。

    『職人学』『職人力』などの著書で、職人の生きざまを小説や
    ノンフィクションで描いている小関智弘氏は、「職人とは、も
    のを作る手だてを考え、道具を工夫する人のことである」と述
    べている。そして、「与えられる仕事を、教えられたとおりに
    すればよいなら、それは単なる労働者にすぎない」と言う。

     確かに、ここに登場する若者たちは、それぞれの仕事の手だ
    てを一生懸命に工夫している。マニュアルを与えられて、ロボッ
    トのようにそれをこなしていれば給料を貰える「労働者」では
    ない。

     さらに、ここで紹介した若者たちの生き方を見ていて気がつ
    くのは、職人とはもう二つの点で、労働者とは異なるという事
    である。

     第一は親方の存在である。若者達は親方に怒鳴りつけられた
    り、励まされたりしながら、職人の道へと導かれていく。

     第二は客の存在である。職人たちは心を込めて作った物やサ
    ービスを、直接、客に提供する。それによって客が喜んでくれ
    る事が、何よりの励みとなる。

     親方や客とのつながりの中で、職人たちは自分の腕を磨いて
    いく。人生の意味も幸福も、人とのつながりの中でしか存在し
    ない。仕事の修行すなわち人生修行と考える日本の職人道の伝
    統は、まことに奥行きの深い人生哲学である。[a,b,c]

■9.様々な職場で心を込めて仕事をする「職人」が増えていけば■

     職人というと、ここで紹介したような調理師や彫刻師といっ
    た手仕事の分野のみを想像しがちだが、「自分で工夫する」
    「師匠を持つ」「顧客の喜びを追求する」という点から考えれ
    ば、コンビニでのアルバイトでも「労働者」と「職人」がいる
    はずだ。

     コンビニで指示された通りに働いている人間は「労働者」だ
    が、商品をどう陳列したらよく売れるのか、お客さんにどんな
    対応をしたら喜んで貰えるのか、と工夫しながら仕事をしてい
    る人は「職人」なのである。同じ事は、サラリーマンや教員、
    公務員の世界でも言える。
    
     様々な職場で心を込めて仕事をする「職人」が増えていけば、
    一人ひとりは幸福な国民となり、その仕事を通じて国家は栄え
    るであろう。       
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(274) 日本の技術の底力
    幕末の日本を訪れたペリー一行は、日本が工業大国になる日
   は近いと予言した。
b. JOG(294) ニッポンの明日を開く町工場
    誰もやらない仕事に取り組んでいるうちに、誰にもできない
   技術を開発した金型プレス職人。
c. JOG(321) 100万分の1グラムの歯車
    世界一の超極小部品を作る職人技が日本企業の明日を示す。 

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 小関智弘(選)『手仕事を見つけたぼくら』★★★、小学館文庫、
   H13

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「若者たちの職人道」に寄せられたおたより

                                              akikoさんより
     コンビニバイトも職人と労働者がいる、という文脈に大変感
    動を覚えました。

     実際私は学生時代にコンビニでバイトをしていました。当時
    もまさに工夫する人、ただ居る人の2つに分別されました。
    「工夫する人」には大変感謝し、感化されました。実は「居る
    人」にも感謝をしています。彼がいなければ、工夫の重要性を
    痛感しなかったやも知れないと思うのです。

     そんな私も、現在は工夫するよう努める会社員をしています。
    何も実物として形を残せる事はありませんが、この道でプロと
    なるよう、間違いも繰り返しながら日々就労しております。

     どうしても職人というと、物づくりのイメージが先行しがち
    だと思います。その為なかなかこういう意見を目にする事は少
    ないものだと感じます。僭越ですが同様の思いをしていた私に
    とって、嬉しい限りでした。国際派日本人養成講座ですが、国
    際派でなくとも是非目にしてほしいと思っています。

                                               武信さんより
    「若者達の職人道」をみて、いわゆる「どろくさい」世界に足
    を踏み込んでいる人たちがまだ多くいる事を知り、伝統的な世
    界がまだまだ生きているのだなぁ、と感心しました。

    「職人」というと、一人前になるまでは安定した生活をおくる
    ことが難しく、また、常に勉強・修行というイメージがあり、
    難しい世界であると思います。その中に身を置かれている人た
    ちはもうそれが当たり前になっており、それが普通のこと、と
    いう感覚になられているんだと思いますが、それを普通と感じ
    るようになられるまでに費やされた時間や勉強・修行のことを
    考えると、頭が下がる思いです。

     私は学生の頃の専攻を生かして、文化財調査の仕事をしてい
    ます。この仕事は机上の学問だけではなく、経験や知識が必要
    であり、大学卒業後すぐに臨時職員として入った職場では、先
    輩方に色々なことを教えてもらいました。時には「辞めてしま
    え!」「帰れ!」「もうくるな!」など厳しい言葉をもらうこ
    ともあり、何度も退職を考えましたが、しばらくしてなんとか
    今の職場に入ることが出来ました。

     今思えば、仕事に対する甘さがあり、真剣さが足りなかった
    結果であり、あの時期があってこそいまの自分があるのだな、
    と感じています。とはいうものの、自分ではたいして進歩した
    とはおもえないのが残念なところですが・・・。私の経験なん
    て、今現役でがんばられている「職人」さんたちには足元にも
    及びませんが、先輩たちに教えられた事は私にとっては大事な
    財産です。

     私の仕事には「お客さん」という存在はいませんが、私の仕
    事の成果を利用する人たちがいます。そうした人たちにとって
    満足のいくデータを提供することは「お客さんの満足のいく仕
    事を提供すること」と同じなのかな、と今回の文章をみて思い
    ました。

     今の仕事について10年以上が経ちましたがまだまだ経験不足
    で勉強・修行の最中だとおもいます。最近、仕事にたいして少
    し懐疑的になっていたのですが、今回の文章を見てもう少しが
    んばってみよう、と思いました。

                                         KIRIIさんより
     2年ほど前までは私も「職人」という仕事に大学在学中にあ
    こがれて、表具士になりたいと色々動き回りましたが、縁がな
    く、表具士に似た仕事のクロス貼りの職人見習いになりました。
 
     そもそも職人見習いは給料なんてもらえないと覚悟していた
    ので、そのつもりで1年ほど続けましたが、それにしてもひど
    い労働状況だったので結局辞めました。最低賃金という規則す
    ら知らない無知な自分は相手にとって、いいカモだったのだろ
    うと思っています。(実際、ほかのクロス職人さんに聞くと見
    習いでもしっかり手当ては出すよと言われました)
 
     次に就職したところも、おおよそその様な感じだったので、
    結局見切りをつけて現在労働基準監督官になるべく勉強してい
    ます。
 
     今回紹介された職人を見てみると、自分に根性がなかったの
    かと複雑な気持ちになりました。ただ、いくら状況が悪くとも
    得られるものは多聞にあったのでそんなに後悔はしてません。
    「職人」という仕事に憧れていた自分は少し視野が狭かったの
    かもしれません。今回のメールの最後の部分にある「さまざま
    な職場の職人」ということに気付けたのは私もつい最近のこと
    でした。
 
     すこし遠回りしたのかもしれないですが、立派な職人になろ
    うと改めて決意を固められました。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     人が頑張っている姿は、他の人にも励ましを与えますね。そ
    れだけでも世間の役に立っています。

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