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■■ Japan On the Globe(540)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

         Common Sense: 国民を護るインテリジェンス
    
                      国家国民を襲う危機を事前に避けること
                     こそ、インテリジェンス活動の狙い。
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■1.兆候があった在ペルー日本大使公邸占拠事件■

     1996(平成8)年12月17日、ペルーの首都リマにある日本
    大使公邸にて、天皇誕生日祝賀レセプションが開かれた。ホス
    ト役の青木盛久大使をはじめとする大使館員、ゲストとしてペ
    ルー政府要人、各国の駐ペルー大使、日本企業のペルー駐在員
    ら約600人が集まった。

     そこに突如、隣の家の塀を爆破し、14名のゲリラが乗り込
    んできた。彼らは大使館を占拠し、約600人の人々を人質に
    した。トゥパク・アマル革命運動という左翼武装組織のメンバ
    ーであった。ゲリラたちは「フジモリ政権の経済政策の全面転
    換」「身代金の支払い」などを要求した。フジモリ大統領はこ
    れを拒否し、ゲリラたちは女性や老人、子供たちを解放した後、
    残りを人質として、膠着状態に陥った。

     事件が発生した直後、在米日本大使館の武官としてワシント
    ンDCに駐在していた太田文雄氏(前・防衛庁情報本部長)は、
    国防情報庁(DIA、Deffense Intelligence Agency)に行っ
    てラテン・アメリカのテロ専門家と情報交換をした。その専門
    家は、事件が勃発する1ヵ月前から、トゥパク・アマルが何ら
    かの公共機関を襲撃するであろうという兆候を2件掴んでいた、
    という。

     それを聞いた時、太田武官は、もしペルーに日本の武官がい
    て、米国の在ペルー武官を通じてDIAからの情報を入手して
    いたならば、あの事件は未然に防止できたかもしれない、と思っ
    たそうである。[1,p118]

■2.「この程度の情報はすぐ入手できますよ」■

     事件が解決したのは5カ月も後だった。4月22日、ペルー
    海軍や警察による特殊部隊が公邸に突入し、死亡者1人、複数
    の重軽傷者は出したが、人質71人の救出に成功した。

     その数日前、太田武官は各国海軍武官団の旅行で、メーン州
    に出張していた所、同行のペルー海軍少将が「アドミラル太田、
    今週動くぞ」と耳元で囁いた。

     太田武官はこの情報を日本に伝えようとしたが、暗号化して
    発信するためには最も近い所でもボストンの日本領事館まで行
    かなければならないのと、この情報をダブル・チェックする術
    がなかったことから、知らせなかった。伝えたとしても、日本
    政府は混乱するだけで、何の役にも立たなかったろう。

     数日後、バスの中で、このペルーの海軍少将が「数時間前に
    救出作戦が始まり、既に制圧した」と教えてくれた。

     事件後も、太田武官はDIAからのテロ情報を頻繁に発信して
    いたので、日本のペルー大使がワシントンのDIAに情報収集
    に来たことがあった。その時、太田武官は大使に「この程度の
    情報は在ペルー米国大使館の武官が持っていますから、日本か
    らの武官が配置されれば、簡単に入手できますよ」と言った。

     ペルーには今でも武官が配置されておらず、この事件の教訓
    は生かされていない。防衛省が武官をある国の日本大使館に配
    するには、外務省はその見返りとして防衛省内で同レベルのポ
    ストを要求するためという。そんな縄張り意識が、在留邦人の
    安全確保よりも優先されているのである。

■3.ゲリラの動きを察知していれば■

     この事件を通して、インテリジェンス活動の効用を理解する
    ことができる。

     ゲリラ側の立場に立って推察してみると、彼らの主要な敵は
    アメリカであり、本当ならアメリカ大使館を襲った方が、国内
    外へのアピールから見ても、はるかに効果的なはずだ。

     しかし、そのアメリカ大使館はDIAからの情報を得て、普
    段よりもなお一層厳しい警戒態勢を敷いていたと考えられる。
    そうと知れば、アメリカは自分たちの動きを掴んでいるのかも
    知れない、とゲリラ側は察し、これでは「飛んで火にいる夏の
    虫」になりかねない、と考えたであろう。

     ゲリラ側は次善の策として、その他の西側の大使館を検討し
    たかも知れない。英仏独などの大使館も当然、武官を通じて、
    アメリカからの情報を得ていたとすれば、警備も厳重になって
    いるわけで、あきらめざるを得ない。

     そんな所に、日頃から警備も薄いのに、さらにパーティー準
    備に大わらわになっている日本大使館を見れば、ゲリラ側は、
    こここそ格好の標的だ、と考えたであろう。インテリジェンス
    活動ができてないばかりに、日本大使館はとんだとばっちりを
    受けたのではないか。

■4.独ソ戦を左右したゾルゲ事件■

     国際的に有名なインテリジェンス活動の一つが日本を舞台に
    したゾルゲ事件である。

     1941(昭和16)年6月、欧州では第二次大戦が始まっており、
    ドイツ軍がソ連に侵攻していた。スターリンの関心事は、ドイ
    ツの同盟国である日本が、これに呼応して極東からソ連を攻撃
    するのかどうか、という点にあった。現に松岡洋右外相などは、
    この際、ソ連を背後から叩くべきだと主張していた。

     この時、在日ドイツ大使の私設情報官として働いていたリヒャ
    ルト・ゾルゲは、実はドイツ共産党を通じて、モスクワの国際
    共産主義団体コミンテルンに所属していた。ゾルゲは朝日新聞
    記者・尾崎秀美に接近する。尾崎自身も上海駐在の頃から、国
    際共産主義に共鳴していた。[a]

     尾崎は近衛内閣の嘱託として入り込み、「日本は石油を取り
    に南進する」という確度の高い情報を掴んで、ゾルゲに伝えた。
    ゾルゲはこの情報をモスクワに送り、それを受けたスターリン
    は、満洲やシベリアの軍団のうち数個師団を欧州戦線に振り向
    けた。

     冬期戦に長けたこれらの援軍によって、ソ連軍は電撃的侵攻
    を続けていたドイツ軍を食い止めることに成功し、12月初旬
    からは冬期大反攻を開始した。

     もし日本がゾルゲのインテリジェンス活動を封じていたら、
    ソ連は欧州戦線への兵力投入ができず、独ソ戦は全く別の様相
    を呈していただろう。

     さらに想像を逞しくすれば、そもそも1941(昭和16)年12
    月初旬と言えば、運命の真珠湾攻撃が開始された時期である。
    この時点で、ドイツ軍の旗色が悪くなりつつあるという情報を
    日本が掴んでいたら、アメリカの挑発をも堪え忍んで、日米戦
    の勃発は防げたかも知れない。そうなれば、第一次大戦と同様、
    第二次大戦でも我が国は高見の見物をしていられた可能性もあ
    る。
    
■5.日露戦争を勝利に導いたインテリジェンス■

     日本がインテリジェンスで失敗した例を紹介したが、もちろ
    ん、見事な成功事例もある。

     福島安正・陸軍少佐は、日露戦争の11年前に、たった一人
    でドイツからウラジオストックまでの1万4千キロを1年4ヶ
    月かけて騎馬で横断した。世界中がこの大冒険に湧いたが、そ
    の裏にはロシアの東方進出の実態を探るという目的があった。

     福島少佐は、現地の見聞情報をもとに、ロシアはかならず蒙
    古、満洲へと東進してくると判断した。そして弛緩した清国政
    府にはそれを抑える力も意志もないことを見てとった。こうし
    た情報をもとに、海軍増強など対ロシア戦略が構築された。[b]

     また福島少佐は、ロシアが支配するポーランド、バルト3国
    などで独立運動が起きていることを掴んだ。この情報から、日
    露戦争中、明石元二郎大佐は、これらの地域での独立運動を支
    援して、ロシアを後方から脅かした。これがロシア皇帝に早期
    講和を促す大きな要因となった。[c]

     国力でも武力でも大きく劣る日本が、ロシアに勝てたのも、
    インテリジェンスの面で相手を凌駕していた点が大きい。
    
■6.「孫子を忘れたが故に戦略的思考に乏しくなった」■

     明治時代の日本は見事なインテリジェンス力を発揮して、大
    国ロシアの侵略を打ち破ったのに対し、その後、インテリジェ
    ンスの力を失い、ついには敗戦という事態に至ったのはなぜな
    のか。太田文雄氏は、こう述べている。

         また、幕末の吉田松陰が「孫子」を弟子たちに講義した
        ことは有名ですが、その弟子達である伊藤博文や山縣有朋
        が軍政面での指導者として戦った日清・日露の戦いでは、
        極めて見事な戦争指導が行われたのに、日露戦争後、洋行
        帰りの人達が国の指導者となってから、思わしくない結果
        が出ているということも、「孫子を忘れたが故に戦略的思
        考に乏しくなった」という事実とあながち関係がないとも
        言えないような気がします。[1,p110]

    「孫子」は、今も戦略論の古典として世界中で読まれている。
    アフガニスタン作戦とイラク戦争を指揮した米中央軍司令官フ
    ランクス陸軍大将は若い頃から「孫子」を熟読していた。また
    軍事戦略家のHarlan K. UllmanとJames P. Wadeの著書"Shock
    and Awe"(衝撃と畏怖)は、イラク戦争での作戦名にも採用さ
    れているが、その中では「孫子」の引用が数十回もなされてい
    る。

     この「孫子の兵法」こそ、「敵を知り己れを知らば、百戦し
    て危うからず」との名言で知られるように、インテリジェンス
    を重視した戦略論なのである。

■7.戦わずして人の兵を屈する■

    「百戦して危うからず」などと聞くと、軍国主義の権化のよう
    で、毛嫌いしてしまう人もいるだろう。しかし、「孫子」をよ
    く読めば、それが誤った先入観であることが分かる。

         百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の
        兵を屈するは、善の善なる者なり。 

        (百回戦争して百回とも勝利を収めるのというのが、最善
        ではない。戦わずして相手の力を挫くことこそ、最善の方
        策である。)

     戦争とはたとえ勝ったにしても、多くの人命を失い、国富を
    消尽させる。国家にとっては国民と国益を護ることが目的なの
    だから、戦わずしてその目的を達成することこそ、最上の道な
    のである。

     冒頭に紹介した在ペルー日本大使公邸占拠事件の例でも、ア
    メリカは事前にゲリラ活動を察知しており、ゲリラ側に攻撃の
    隙を与えなかった。

     また、尾崎秀美のような国際共産主義の手先が日本を中国大
    陸での戦乱に巻き込もうという策謀を巡らしているのをよく知っ
    ていれば、それに乗せられて日華事変のような消耗戦を戦うこ
    とは避けられたであろう。

     さらに1941年12月初旬の時点で、独ソ戦でドイツの旗色が
    悪くなっていることを知っていれば、アメリカの執拗な挑発を
    避けて、第2次大戦に巻き込まれずに済んだ可能性もあったこ
    とはすでに述べたとおりである。

     このように的確な情報を得ていれば、余計な戦いを避けて、
    国民の安全と利益を護ることができる。そこにインテリジェン
    ス活動の効用がある。
    
■8.オウムと北朝鮮■

     日本は平和な国であり、我が国さえ侵略をしかけなければ、
    戦争は二度と起こらない、などという幻想は過去のものとなり
    つつある。

     この幻想を打破したのは、オウム真理教による地下鉄サリン
    事件、および、北朝鮮による拉致であろう。

     1995(平成7)年に起こった地下鉄サリン事件では、オウム
    真理教徒が地下鉄丸の内線、日比谷線、千代田線の5編成で化
    学兵器として使われる神経ガス・サリンを散布し、乗客や駅員
    ら12人が死亡、5,510人が重軽傷を負った。大都市で一般市
    民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として世界
    に衝撃を与えた。

     オウムは上九一色村にサリン製造プラントを建設し、ロシア
    から大型軍用ヘリコプター「ミル17」の中古機を購入・配備
    していた。まかり間違えば、サリンが大都市に空中散布されて、
    はるかに大規模な被害が出ていた恐れがあった。

     北朝鮮による拉致事件も、めぐみさんが連れ去られたのが、
    昭和52(1977)年。17年後の平成6(2004)年に韓国に亡命し
    た北朝鮮工作員の証言によって、ようやく拉致問題が公にされ
    た。日本政府が拉致被害者として認定したのは17名だが、一
    説には100名以上とも言われている。

     オウムにしろ、北朝鮮にしろ、なぜもっと早くその動きを掴
    んで、大きな被害が出る前に手が打てなかったのか。これが日
    本のインテリジェンスの問題であろう。
    
■9.「敵の情を知らざるは、不仁の至りなり」■

     日本のインテリジェンス機関としては、防衛省情報本部(2
    千人規模)、内閣情報調査室(数百人)、外務省国際情報統括
    官室(百人以下)が主だった所であり、合計しても3千人以下
    の規模と推定される。

     それに対して、アメリカは中央情報庁(CIA、数万人)、
    国家安全保障庁(NSA、CIAの約2倍)、国防情報庁(D
    IA、約1万人)、国家地理・空間情報庁(NGA、約1万人)
    と、おそらく合計では10万人規模のインテリジェンス人員を
    擁している。

     イギリス、フランス、ドイツなどは、アメリカの十分の一の
    陣容と推定されるが、それでも日本の数倍の規模となる。

     孫子は「爵禄百金を愛(おし)んで敵の情を知らざるは、不
    仁の至りなり」と言った。インテリジェンス活動のためのポス
    トや費用を惜しんで、敵情を知らないのは「不仁の至り」と言
    うのである。

     地下鉄サリン事件での死者12人、重軽傷5,510人、北朝鮮
    の拉致被害者が政府公表だけでも17名という被害者の上を思
    えば、インテリジェンス活動の軽視が、まさに国民に対する
    「不仁の至り」であることが実感できよう。
    
■リンク■
a. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
    日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日
   の「赤い東亜共同体」が実現する! 
b. JOG(418) 福島安正・陸軍少佐のユーラシア単騎横断
     迫り来るロシアとの戦争に備えるべく、 安正は1万4千キロ
   の大偵察旅行を敢行した。 
c. JOG(176) 明石元二郎〜帝政ロシアからの解放者
    レーニンは「日本の明石大佐には、感謝状を出したいほどだ」
   と言った。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 太田文雄『「情報」と国家戦略』★★★、芙蓉書房出版、H17

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「国民を護るインテリジェンス」に寄せられたおたより

                                             Yutakaさんより
     我が国がインテリジェンスを軽視する理由の一つは、日本人
    の国民性が根っからの農民と言う点にあるように思います。

     狩猟民族は刻々と変化する情勢に目をひからせ機敏に対応し
    なければ生きてゆけません。農民の場合は季節の変化にはある
    程度敏感であっても、そのタイムスパンは狩猟民族に比べては
    るかに長いのが特徴です。さらに気候の変化や台風を始めとす
    る自然現象はつまるところ人間の力では如何ともしがたいもの
    で、その結果なるようにしかならないと言う発想になるように
    思います。

     日露戦争時に日本のインテリジェンス活動が成功した最大の
    理由は、日本が自らを小国と認識し、当時の超大国であったロ
    シアに如何に対抗すべきか必死に知恵を絞った結果だと思いま
    す。

     その後、夜郎自大に陥った昭和の軍部は自らの力を過信し、
    諜報と兵站をまったく軽視し、その結果敗戦と言う憂き目を見
    たのではないでしょうか。

     我が国は国土も狭く、天然資源にも恵まれていません。辛う
    じて勤勉で真面目な国民性をもつ人間という資源でもって世界
    に伍してゆかなければなりません。何よりも世界の動きに迅速
    に対応する必要があります。現在のように何でも反対の野党と、
    リーダーシップ欠如の内閣では心もとない限りです。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     現在の与野党の争いは、まさに井の中の蛙の争いですね。
 

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