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■■ Japan On the Globe(546)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

           国柄探訪:『論語』が深めた日本の国柄
        〜 岩越豊雄著『子供と声を出して読みたい「論語」百章』

                  『論語』の説く「まごころからの思いやり」は、
                  我が国の国柄を深めてきた。
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■1.孔子の喜びに弾んだ肉声■

    「孔子は、その思想が当時の為政者に入れられず、不遇の人生
    を歩んだ人だ」と思っていたのだが、実は「その内面では学ぶ
    ことの喜びに充ち満ちた幸福な人生を送った人ではなかったか」
    と『子供と声を出して読みたい「論語」百章』[1]を読みつつ
    今更ながらに気がついた。

     著者の岩越豊雄さんはこう語っている。

         私は小学校の校長を退職した後、子供を対象に、江戸時
        代の「寺子屋」をモデルに、素読と習字を組み合わせた塾
        を始めました。対象は小学生たちですが、喜んで『論語』
        を素読しています。リズムの美しい簡潔な文で、読んで心
        地よい名文だからだと思います。[1,p31]
        
     この本は、岩越さんが子供たちに『論語』の一章ずつを読み
    聞かせた内容をまとめたものだが、その文章を通じて、孔子の
    喜びに弾んだ肉声が聞こえてくるような気がした。『論語』の
    解説書は何冊か読んだことがあるが、こういう経験は初めてで
    ある。

     こういう本を通じて、子供の時から学問の喜びを感じる事が
    できれば、それはこれからの長い一生を支える「学ぶ力」「生
    きる力」となるだろう。
    
■2.「学びの喜び」■

     孔子の喜びは『論語』冒頭の第一章から弾んでいる。 [1,p37]

         子(し)曰(いわ)く、学びて時にこれを習う。また説
        (よろこ)ばしからずや。朋(とも)あり、遠方より来た
        る。また楽しからずや。人知らずして慍(いか)らず、ま
        た君子ならずや。

         先生がおっしゃった。学んだ時に、よくおさらいをする。
        それが自分の身についたものになってくる。なんと喜ばし
        いことではないか。心知る友が遠くから訪ねてきてくれる。
        なんと楽しいことではないか。人が認めてくれなくとも怒
        らない。なんと志の高い優れた人ではなかろうか。

     この一章を、岩越さんは、子供たちにこう解説する。

        「学ぶ」は「まねをする」に由来するといいます。「習」
        は雛鳥(ひな)が巣の上で親鳥の羽ばたきをまねて、飛び
        立つための練習をしている字形だといいます。

         どのようなことでも、練習して初めてできるようになっ
        た時の喜びは誰でもよく覚えています。例えば自転車に乗
        れるようになった時とか、体が水に浮いて泳げるようになっ
        た時の喜びなどは、生涯忘れられない思い出です。学んだ
        時にはそれを何度も繰り返し、練習してできるようになる。
        それが「学びの喜び」です。小さな事でも、「わかった」、
        「できた」、「やり遂げた」という喜びを体験し、積み重
        ねると、自信にもなり、物事に意欲的に取り組めるように
        もなるのです。

     自転車や水泳を例に「学びの喜び」を説くあたりが、いかに
    も小学生にふさわしい。

■3.「学び」と「友」と「不足を思わない」■
    
     その後に続く「朋(とも)あり、遠方より来たる」と「人知
    らずして慍(いか)らず」については:

         学んだことが身につき、自信がつけば自然と互いに心が
        通じる友ができ、楽しく語り合うこともできます。そうし
        た友が、思いがけなく訪ねてくれた時は、本当に嬉しいも
        のです。

     水泳の例で言えば、一緒に水泳を習う友達どうしが、自分は
    背泳もできるようになったよ、などと語り合う喜びだろう。

         しかし、たとえ自分が学び、力をつけても、他の人がわ
        かってくれない、認めてくれない時もあります。それでも
        怒ったり、不足を言ったりしない。そうできる人は、ほん
        とうに志の高い優(すぐ)れた人です。

     へたくそな泳ぎで、級友も先生もなかなか褒めてくれないが、
    別に不満を言ったりしない。自分自身の上達そのものが喜びだ
    からだ。

        「学び」と「友」と「不足を思わない」、この3つの事柄
        は、学問の喜びということで一貫しているのです。

     岩越さんのこの指摘から、私は初めて、孔子の抱いていた
    「学問の喜び」に触れえたような気がした。
    
■4.「あれが目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」■

     さて孔子の志した学問とは、どのようなものだったのか。そ
    れを孔子の行動を通じて説いた小学生にも分かりやすい一章が
    ある。[1,p204]

         師冕(しべん)見(まみ)ゆ。階(かい)に及ぶ。子
        (し)曰(いわ)く、階なりと。席に及ぶ。子曰く、席な
        りと。みな坐す。子之(こ)れに告げて曰く、某(それが
        し)はそこにあり、某(それがし)はそこにありと。師冕
        出(い)ず。子張(しちょう)問いて曰く、師と言うの道
        かと。子曰く、然(しか)り。固(もと)より師を相(た
        す)くるの道なりと。

         目の不自由な楽師冕(べん)が訪ねてきた。先生は自ら
        出迎えて案内し、階段に来ると「階段ですよ」と言われ、
        席に来ると「席ですよ」と言われた。一同が座ると、「誰
        それはそこに。誰それはここに」と一人ひとり丁寧に教え
        られた。師冕が帰った後で子張が「あれが楽師に対する作
        法ですか」と訪ねた。先生が答えられた。「そうだ。あれ
        が目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」

                ○

         目の不自由な者の身になって、きめ細かに対応する孔子
        の温かな配慮が伝わってきます。相手の身になって行動す
        る、まさに仁者の在り方を具体的に学べる章です。

         子張が質問したのは、一盲目の楽師に対して、孔子の取っ
        た対応があまりにも丁寧で、礼に過ぎるのではと思ったか
        らです。「然(しか)り。固(もと)より師を相(たす)
        くるの道なりと」ときっぱりと答える孔子の言葉に、まご
        ころからの思いやり、「忠恕」を「一以て之を貫いた」孔
        子の確信ある生き方を髣髴(ほうふつ)とさせます。

     目の不自由な人を導いてあげることは小学生でもできること
    である。そういう誰にでもできる「まごころからの思いやり」
    が、孔子の学問の核心であった。
        
■5.「人を尊び、まごころから思いやる」■

    「忠恕」を「一以て之を貫いた」とは、次の一章に出てくる言
    葉である。

         子曰く、参(しん)や、吾(わ)が道、一(いつ)以
        (もっ)てこれを貫(つらぬ)く。曾子曰く、唯(い)と。
        子出(い)ず。門人、問うて曰く、なんの謂(い)いぞや。
        曾子曰く、夫子(ふうし)の道は忠恕(ちゅうじょ)のみ。

         先生が曾子に呼びかけておっしゃった。「参(曾子)よ、
        私の生き方は一つのもので貫かれているのだが」と。曾子
        はただ「はい」と答えた。先生は部屋を出て行かれた。門
        人たちが「何を言いたかったのですか」と尋ねた。曾子が
        言った。「先生が貫かれている生き方は、人を尊ぶまごこ
        ろからの思いやり、それに尽きる」と。

                ○

        「忠恕」の字の作りは、「中と心」と「如と心」です。
        「中心」とはまごころのこと、「如心」とは、自分の心の
        如く人の心をおしはかるという意味です。つまり「人を尊
        び、まごころから思いやる」ことです。『論語』でしばし
        ば触れられる「仁」にも通じます。それは孔子の一貫した
        生き方でした。

     ちなみに「仁」については、こう解説されている。

        「仁」とは「人」と「二」を組み合わせた漢字です。つま
        り、人と人との人間関係における倫理・道徳の基本である、
        「まごころから人を思いやる」ことです。[1,p40]

     孔子の学問は、誰でもが持つ「まごころ」「おもいやり」を
    いかに引き出し、発展させるか、という所にあった。
        
■6.「素直な社員は良く伸び、仕事もできる」■

    「まごころ」と「おもいやり」を伸ばすために、孔子は次のよ
    うに若者に教え諭している。

         子(し)曰(いわ)く、弟子(ていし)、入りては則
        (すなわ)ち孝、出でては則ち悌(てい)、謹みて信あり、
        汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば、
        則ち以(も)って文(ぶん)を学ばん。

         先生がおっしゃった。若者よ、家では、親孝行、外では
        目上の人に素直に従う。何事にも度を過ごさないように控
        えめにし、約束を守る。多くの人を好きになり、善き人に
        ついて学ぶ。そうした上で、まだゆとりがあるなら、本を
        読んで学んでいけばいい。

                ○
                
        「親に孝行することや、人に素直であること」と「勉強す
        ること」と、どっちが大切かと問えば、今は親も子も大抵
        は「勉強すること」と答えます。でも、孔子は逆だと言っ
        ています。

     一流大学を優秀な成績で卒業しながら、違法な株取引で逮捕
    されたり、エセ宗教にひっかかって人を殺めたりする人間は、
    勉強ばかりしていて、「まごころ」や「おもいやり」を磨かな
    かった人間失格者であろう。

         本当に優秀な人は大抵、素直です。経営の神様といわれ
        た松下幸之助も「素直な社員は良く伸び、仕事もできる」
        と言っています。[1,p46]

     親孝行、素直さ、謙虚さ、謹み、信頼、こうした人格的基礎
    を土壌として、その上に知識や技術が花開くのである。

■7.『論語』が深めた我が国の国柄■

    『論語』は16百年ほど前に、海外から我が国にもたらされた
    最初の書物であった。そしてその「忠恕」や「仁」を核とする
    思想は、民を「大御宝(おおみたから)」と呼び、すべての生
    きとし生けるものが「一つ屋根の下の大家族」のように仲良く
    暮らしていくことを理想とした我が国の国柄[b]には、まこと
    に相性の良いものであった。

     そして我が先人たちは『論語』に学びつつ、我が国の国柄を
    深めていった。岩越さんは、その歴史を簡潔に振り返っている。

     聖徳太子は、『論語』の「和」を深めて、「十七条憲法」の
    第一条に「和を以て貴しと為す」と説いた。鎌倉時代の「曹洞
    宗」の開祖・道元禅師は、世を治めるのは『論語』がよいと推
    奨していたという。

     江戸時代には『論語』研究が盛んになり、中江藤樹[c]、山
    鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠などが独自の思想を発展させた。
    こうした学問の系譜から、吉田松陰、西郷隆盛など幕末の志士
    が生まれ、明治維新への道を開いていく。

■8.「素読」の合理性■

     こうした歴史を俯瞰した上で、岩越さんは語る。

         偉人や学者だけではありません。江戸時代は一般の武士
        も庶民も『論語』を学びました。各藩の藩校はもちろん、
        庶民の子弟の教育が行われた寺子屋では、『論語』等の素
        読が行われていました。

        「素読」とは、文章を意味はさておき、声を立てて暗唱で
        きるまで、繰り返し読むことです。「読書百遍、意自ずか
        ら通ず」という言葉があります。声を出して何度も読んで
        いくうちに、自然にその意味が表れてくる、分かってくる、
        そうした読み方を言います。[1,p28]
        
    「意味もわからない文章を丸暗記させるなど、なんと封建的な」
    と考える人も多いだろう。それに対して、岩越さんは小林秀雄
    の次の言葉を引用する。

        (素読を)暗記強制教育だったと、簡単に考えるのは、悪
        い合理主義ですね。『論語』を簡単に暗記していまう。暗
        記するだけで意味がわからなければ、無意味なことだと言
        うが、それでは『論語』の意味とは何でしょう。それは人
        により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。
        一生かかったってわからない意味さえ含んでいるかも知れ
        ない。それなら意味を考えることは、実に曖昧な教育だと
        わかるでしょう。丸暗記させる教育だけが、はっきりとし
        た教育です。[1,p30]

■9.『論語』の言葉を胸に、人生を歩んでいく■

    「朋(とも)あり、遠方より来たる。また楽しからずや」とい
    うような言葉も、少年時代、壮年時代、そして熟年時代と、人
    生経験を積むにしたがって、自ずからその味わいも深まってい
    くだろう。素読とは、そのような言葉の種を幼児期から心に埋
    め込んであげることである。

     小学生にたわいのない英会話を教えるよりは、はるかに高級
    な人間教育ではないか。そこから、しっかりとした精神的バッ
    クボーンを持った日本人が育っていくだろう。

     すでに大人になってしまった人でも、『論語』の中の心に響
    く一節を暗記して、それを時々反芻しながら、自らの人生を歩
    んでいく、という生き方も良いのではないか。

     ちなみに天皇陛下は「忠恕」という言葉がお好きだそうだ。
    ひたすらに国民の安寧を祈られる陛下ならではの言葉である。

    『論語』の言葉を胸に抱いて人生を歩んでいくのが、我が先人
    たちの生き方であった。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(488) 中国の覚醒(下) 〜 日本で再発見した中国の理想
    中国で根絶やしにされた孔子の理想は、日本で花開いていた。
b. JOG(074) 「おおみたから」と「一つ屋根」
    神話にこめられた建国の理想を読む。 
c. JOG(324) 中江藤樹 〜 まごころを磨く学問
    馬方や漁師を相手に人の生き方を説く中江の学問が、ひたひ
   たと琵琶湖沿岸から広がっていった。 
   
■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 岩越豊雄『子供と声を出して読みたい「論語」百章―人の品格
   を磨くために』★★★、致知出版社、H19

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■「『論語』が深めた日本の国柄」に寄せられたおたより

                                             ヤマトさんより
     深い深い思想・宗教を生んだ国とそれが実行される国は決し
    て同一ではない。

     むしろ反対ではないかと思えてきます。人権という言い方に
    替えてみれば、人権がないがしろにされている所ほどその反動
    で深い思想と高尚な宗教が出現してくる。儒教の国・中国では
    伊勢様の指摘のような惨状ですし、キリスト教の出現地域では
    何千年も殺し合いを続けています。仏教の出現したインドでは
    人権という言い方では最低のカースト制度がそれこそ何千年も
    根をはったままです。

     学問的体系が完成されていることは重要な事ですが、より重
    要なことはそれが実行される社会を目指して実行してきた歴史
    があるかではないでしょうか。

                                               薫風さんより
     古いものは何でもよくないと、決めつけた教育界における一
    つの風潮が、若人を傷つけたきらいがあると思います。そして、
    今日私たちの世代(60歳代)が感じることは、若い世代との
    コミュニケーション・ギャップというものです。

     次の世代の教育においても、別居している年寄りが、違和感
    を感じても、そのことをしっかりと話し、伝えることができな
    い、時間的なゆとりもない状況だと思います。
    
     素読や読経などは、祖父母が教えられることだと思いますね。
    それは良いことだと思うのです。そうしたことは周囲の大人が
    やって見せてこそ、教育できることだからです。
    
■ 編集長・伊勢雅臣より

     学問も教育も、千の理論より一つの実行ということでしょう。


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