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■■ Japan On the Globe(592)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

            国柄探訪:「よき人、孔子」と日本人
                        〜 子供と語リ合う「よき生き方」
              我々の先人は何代にもわたって、『論語』を通じて
            「よき生き方」とは何か、を考えてきた。
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■1.幼稚園児が「己の欲せざる所、人に施すこと勿(なか)れ」■

     ある幼稚園でのこと、友だちをいじめている子に向かって、
    「己の欲せざる所、人に施すこと勿(なか)れ」と言った園児
    がいた。まさにその場にふさわしい『論語』の一節だった。

     それを聞いて驚いた幼稚園の園長が、親に電話して「お宅で
    は、どんな教育をしているのですか」と聞いた。「家では『論
    語』を素読しています」という答えが返ってきたという。

         意味が分からないのに、『論語』の素読をするなど無意
        味だ、押し付けだという人がいます。しかし、子供でもそ
        の意味は、直感的に分かるのです。[1,p19]

     弊誌546号[a]で紹介した『子供と声を出して読みたい
    「論語」百章』の著者・岩越豊雄氏が、その続編で語られた一
    節である。

     続編では、『論語』の代表的な章をいかにも子供にも分かる
    ように易しく説いている。 [1,p2]

         今回、続編をまとめていて、つくづく感じたことは、江
        戸時代の儒学者、伊藤仁斎や荻生徂徠がそうであったよう
        に、孔子を聖人として祭り上げるのではなく、孔子の大き
        く豊かな人柄を、その言動から学ぶということでした。

     岩越氏の解説から浮かび上がってくる孔子は、誠実で思いや
    りのある人柄である。江戸時代の国学者で儒学を嫌った本居宣
    長でさえ「よき人、孔子」と呼んだ。そういう人物が、弟子た
    ちとの日常的な語り合いの中で発した言葉を集めたのが『論語』
    である。だから、子供でも直感的にその意味を感じ取れる章句
    が少なくない。
    
■2.「それぞれ、日ごろの志を言ってみては」■

     孔子の人柄は、次のような弟子との会話から、浮かび上がっ
    てくる。

     ある時、孔子は側に仕えていた弟子の顔回と子路に、「どう
    だね、それぞれ、日ごろの志を言ってみては」と問いかけた。

     まず子路が答えた。「私の願いは、車や馬や着物や皮衣を友
    にこころおきなく使ってもらい、壊れたり破られたりしても惜
    しまない。そのような気のおけない交際をしたいものです」と。

     子供の間でも、物を貸したり借りたりすることがあるだろう。
    そういう時に、惜しまずに貸せるような友達づきあいをするこ
    とが、子路の理想だった。

     次に顔回が答えた。「私の願いは、自分の善を誇ることなく、
    つらい骨折り仕事を人に押し付けないようにしたいものです」
    と。

     これも子供が善いことをしても自慢したりすることなく、ま
    た教室の掃除や家でのお手伝いをすすんでするのと同様である。

■3.「老人には安心され、友人には信じられ、子供にはなつかれる」■

     その後で、子路が言った。「今度はぜひ、先生のお志をお聞
    かせ下さい」と。

         子(し)曰(いわ)く、老者(ろうしゃ)はこれを安ん
        じ、朋友はこれを信じ、少者(しょうしゃ)はこれを懐
        (なつ)けん。

             先生がおっしゃった。「老人には安心され、友人に
            は信じられ、子供にはなつかれる、そういう者であり
            たい」と。

     どこにでもいそうな善い人の生き方である。そういう当たり
    前の生き方を、孔子は目指していたのだ。岩越氏はこの部分を
    次のように説明されている。

         孔子の弟子、顔回と子路の性格がよく表れていておもし
        ろい章です。

         気の早い子路が真っ先に発言し、その後に何事も謙虚な
        顔回が言うところにも、それが表れています。また、子路
        は気が置けない友情を言い、顔回は、己の善を誇らぬ謙虚
        さと、他への思いやりを言います。外向的な子路と内省的
        な顔回の違いもよく出ています。

         孔子の答えは、老人、友人、子供とそれぞれの世代全般
        への信頼と、親しみに満ちた言葉です。さすが大人の風を
        感じます。それにしても肩のこらない、孔子学園の暖かさ
        を髣髴とさせる章です。[1,p87]

     孔子は、抽象的に善を説くのではなく、あくまでも具体的な
    日々の生活の中で、人から「安心され、頼られ、なつかれる」
    という生き方を目指した。だからこそ、子供にも直感的に理解
    できる所があるだろう。

■4.「素直な心」とは■

     前々節で「私の願いは、自分の善を誇ることなく、つらい骨
    折り仕事を人に押し付けないようにしたいものです」と言った
    顔回は、孔子の弟子の中でも、誠実さを絵に描いたような人物
    である。孔子は顔回について、こんな評を残している。

         子曰く、われ、回と言う。終日違(たが)わず、愚(ぐ)
        なるがごとし。退いてその私(わたくし)を省(せい)す
        れば、またもって発するに足る。回や愚ならず。 

             先生がおっしゃった。回は私と一日中話していても、
            まったく素直に聞き入るだけで、反問するでもなく、
            愚かのように思える、ただ、席を退いてからの、回の
            行いを見ると、教えを十分生かしていて、教え甲斐が
            あることが分かる、回は愚かではない。[1,p37]

     岩越氏は、素直さについて、松下幸之助の言葉を引用して解
    説している。

         経営の神さまといわれた松下幸之助氏は「素直な社員は
        よく伸び、仕事もできる」と言っています。そして「素直
        な心」とは、私心にとらわれない心(自分のことばかり考
        えない)。謙虚に耳を傾ける心(人の話をよく聴く)。す
        べてに学ぶ心(先生や親はもちろん、友達や自然からも学
        ぶ)。寛容の心(人を広く受け入れる。人を愛する心(多
        くの人に愛の手を差し伸べる)、と言っています。

         そして、このような素直な心が養われると、ものの真実
        が見えてくる(本当のものが見えてくる)。ものの価値が
        分かる(もののよさが分かる)。融通無碍になる(自由自
        在にものを考えることができる)と言っています。

         まさに一見、愚に見えた素直な顔回の境地そのもののよ
        うに思えます。[1,p37]

     こういう解説なら、子供でもある程度、理解できるだろう。
    幼稚園や小学校では、活発に発言し、皆を引っ張っていく子供
    こそ「できる子」と考えやすい。しかし皆がそういう姿を目指
    したり、そうできない子が劣等感を持つのは問題である。

     口数は少なく一見愚鈍に見えても、人の話をよく聴き、思い
    やりのある素直な子供こそ「よく伸びる子」だと教わることは、
    子供達が自分の生き方を、落ち着いて考える出発点となるだろ
    う。

■5.「そうだね、私もお前と同じ、回には及ばないね」■

     顔回の人となりは、次の章にも出てくる。

         子、子貢(しこう)に謂いて曰く、女(なんじ)と回
        (かい)といずれか愈(まさ)れる。対えて曰く、賜(し)
        や、なんぞあえて回を望まん。回や一を聞いてもって十を
        知る。賜や一を聞いてもって二を知るのみ。子曰く、如
        (し)かざるなり。吾と女(なんじ)と如かざるなり。 

            先生が子貢に向かっておっしゃった。「お前と回とで
            は、どちらが優れていると思うかね」 お答えした。
            「私など、とても、回の足元にも及びません。回は一
            を聞けば十を悟るほど、察しのよい人です。私など、
            一を聞いてやっと二が分かるぐらいな者です」 先生
            がおっしゃった。「そうだね、私もお前と同じ、回に
            は及ばないね」

    「賜(し)」とは子貢の名。子貢は顔回より一つ年下で、頭の
    良さにかけては孔子に優るともいわれた、目から鼻に抜けるよ
    うな才人だった。これに比べて、顔回は上述したように、愚直
    な人だった。この二人をあえて比べる質問を、当の子貢にした
    所に、孔子の教えの妙がある。

         孔子は、子貢の率直な答えをよろこび、「お前だけでは
        ない、この私も顔回に及ばない」といって子貢を慰めたと
        しています。孔子は心からそう感じたのだと思います。

         朱子の説は「吾(われ)女(なんじ)に如(し)かざる
        を与(ゆる)さん」と読み、「彼に及ばないという、お前
        の意見に賛成する」としています。これでは孔子の心の暖
        かさが伝わってきません。荻生徂徠はこの説を「聖人の心
        を知らず」と批判しています。[1,p78]

     朱子の読みでは、孔子は上から二人を比べ、「お前の方が下
    だ」と冷たく言っていることになる。それに対し「私もお前と
    同じ、回には及ばないね」という読みでは、孔子の謙虚な心が
    伝わってくる。同時に、子貢に対して、才能では顔回に及ばな
    くとも、一緒に学問の道を歩んでいこう、と励ます暖かさがあ
    る。

     こうした心遣いができる人こそ「聖人」であると、荻生徂徠
    は読んだのである。我が先人たちの学問の深さを垣間見せる一
    言である。

■6.仁者の生き方■

     孔子の目指した生き方を表した言葉が「仁」である。『論語』
    の中には、58章で109回、「仁」という言葉が出てくるが、
    孔子は「仁」の意味を抽象的に説明したりはしない。ただ、仁
    を持つ人は、こういう人だと、あくまでもその具体的な生き方
    に即して説く。

         子曰く、富と貴(たっと)きとはこれ人の欲するところ
        なり。その道をもってこれを得しにあらざれば処(お)ら
        ざるなり。貧と賤(いや)しきとはこれ人の悪むところな
        り。その道をもってこれを得しにあらざれば去らざるなり。
        君子は仁を去りて、悪(いず)くにか名を成さん。・・・

             先生がおっしゃった。豊かさと高い位は誰もが求め
            るものだ。しかし、正しく生きてそれを得たものでな
            ければ、そこに止まろうとは思わない。貧しさと低い
            位は、誰もがいやがることだ。しかし、それが正しく
            生きてそうなったのであれば、甘んじてそれを受ける。
            志ある人は、「仁」を抜きにして名を成そうとは思わ
            ない。

     金持ちや地位のある人が、かならずしも「偉い人」とは限ら
    ない、という事を教えた章である。岩越氏はこう説明する。

         貧困や地位身分の低さは、多くは自分の努力や仁徳のな
        さがもたらすものです。ただ、いくら努力しても、仁徳が
        あっても、世に認められず、貧しく、地位もないというこ
        とはあります。本当に仁徳のある人は、その境涯も楽しむ
        ことができる。だからあえて去らないというのです。「貧
        にしてその道を楽しむ」とあります。それが本当の意味で
        の仁者ということです。・・・

         ともかく、人としての正しい生き方、世のため人のため
        を思う「仁」を抜きに名をなそうとは思わないということ
        です。[1,p67]

     金や地位があっても周囲にいばっている人と、つつましい生
    活をしていても、自分の仕事に打ち込み、周囲の人々のために
    思いやりをかける人と、どちらが偉いか。どちらが幸福か。そ
    ういう問いかけを子供にするのも、大切なことだろう。

■7.「自分を磨く師や友を得る」■

     それでは、どうしたら仁の心を持てるのか。ここでも、孔子
    が説く道は、実生活を離れない。

         孔子は人から学ぶことをよく説いています。学而1−6
        には「汎(ひろ)く衆を愛して仁に親(ちか)づき、行い
        て余力あればすなわちもって文(ぶん)を学ばん」とあり
        ました。「仁に親づき」とは「仁徳のある人に近づき、師
        として学べ」ということです。また、述而7−21では
        「三人行くときには、必ず我が師あり」とも言っています。

         また、季氏16−4に「直(なお)きを友とし、諒(まこと)
        を友とし、多聞(たもん)を友とするは益なり」とありま
        す。直言して隠すことのない人、誠実で裏表がない人、見
        聞の広い人を「益者三友」といい、付き合って有益な友と
        しています。[1,p211]

     子供なら、まずは親や先生など身近な所で尊敬すべき人を見
    つけることが、生き方を学ぶ近道である。あるいは、偉人伝な
    どで心に響く人物を見つけるのもよい。単に知識を身につける
    勉強とは、まったく違う、生きた学問の世界がそこにあること
    に気がつくだろう。それこそ、子供の一生涯を導く灯火となる。

■8.「よき人、孔子」と日本人■

     子供と『論語』を素読しながら、こんな事を話し合うという
    のは、人間としての生き方を学ぶ上で、実に意味のあることで
    はないか。

     そういう会話の中から、子供はどういう生き方が良いのか、
    考えていく。冒頭で紹介した、いじめっ子に向かって「己の欲
    せざる所、人に施すこと勿(なか)れ」と注意した幼稚園児は、
    その好例である。

    『論語』は「よき人、孔子」がどんな生き方を目指したのか、
    その具体的な言動を通じて語った書である。我々の先人は何代
    にもわたって、この書を通じて「よき生き方」とは何か、を考
    えてきた。逆に、「よき人」孔子の生き方が、日本人の心の琴
    線に触れたからこそ、この書が千年以上も愛読されてきたのだ
    ろう。

     子供と『論語』を声に出して読むことは、そうしたわが国の
    先人が大切にした生き方につながっていくことになるのである。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(546) 『論語』が深めた日本の国柄
   〜 岩越豊雄著『子供と声を出して読みたい「論語」百章』
    『論語』の説く「まごころからの思いやり」は、我が国の国
   柄を深めてきた。

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 岩越豊男『続・子供と声を出して読みたい『論語』百章』★★★、
   致知出版社、H21

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■「『よき人、孔子』と日本人」に寄せられたおたより

                                             ヤマトさんより
     今回の米国の金融機関の恥さらしは、当の経営者たちでした。
    大学で経営学を学んだのでしょうが、その中でも金融工学なる
    インチキ学問はもてはやされてきました。言ってみれば、毒饅
    頭を証券に混ぜ込ませて販売していたのですから世界中が疑心
    安危に陥った。世界同時不況の原因を造っておきながら給付さ
    れた追加融資を自分らのボーナスにしてしまうとは、まさに守
    銭奴です。世間に非難されていても当人たちは恥とも思ってい
    ないのでしょう。奪えるモノは奪って逃げきるのが頭のいい人
    間の当然の行為だと・・・。

     それに引き替え日本の経営者は格好は良くなかったが誠実で
    した。山一の倒産の時の社長の涙ながらの会見は記憶に鮮明で
    す。『社員は悪くはありません。どうか社員を救ってください!!』
    との社長の壮絶なる叫びは自分の事より世間のことを社員のこ
    とを思ってのことだと思います。その根底にあったのは“恥”
    ではなかったのか。崇高なる言葉を吐いたとしても実行に移せ
    なかった時の感性は恥じることだ。“恥じる感性”が強いのが
    日本人の特性でもあるのではないでしょうか。

     論語は実に高尚だと思います。しかし、“恥じる心”の無い
    人間に都合良く使われる面も多々あるように見受けられます。
    その辺の見極めをしていかなければと肝に銘じております。


                                               風音さんより
     昨年パソコンを購入し、光ファイバーを引き、パソコン教室
    に通い、インターネットなるものを10年ぶりに始めました。

     あちこちうろうろしている内に一年弱経ち、貴ブログに偶然
    巡り会いました。拝見して、激しく苦しみました。自分は何と
    愚かだったのか、人生を誤ったのか、痛感させられました。

     10代の時、こういう教育を受けたかった。実に、残念です。

     昭和天皇崩御とベルリンの壁が壊れた1989年辺りから、
    国家・歴史・社会・共産主義等々、真剣に考えるようになりま
    したが、左式日本悪玉教育の洗脳から開放されるのに 時間が
    掛かり過ぎました。実に、残念です。

     時が来れば、貴ブログの文が中学・高校で広く採用され、連
    合軍の占領期間を乗り越えて、戦前戦後の歴史が連結され、日
    本人が 本来の日本人に戻ることを疑いません。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     風音さんの過分のお言葉には恐縮しましたが、こういう思い
    をする子供を一人でも少なくするよう、皆で頑張りたいと思い
    ます。 

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