ガンダムとSF 1980年当時、ガンダムは極めて大きなブームとなりましたが、当然それにまつわる軋轢も発生しました. 劇場での徹夜組の出現、戦争を扱ったアニメに対する非難など一般世間とアニメファンの間のトラブルもそうですが、ガンダムブームにおいて特徴的だったのは、特定のマニア同士の対立がクローズアップされたコトです. それはSFファンとアニメファンの間の対立でした. この対立の焦点は ・ガンダムがSFであるか否か ・ガンダムブームによって増加したアニメファンに対するSFファンの拒否反応(嫌悪感情) の二点に集約することができると思います. まずは、「ガンダムはSFでない!」と言及したSF作家、高千穂遙氏によるバトルオブSFから取り上げていきます. 1.発端と経緯 高千穂氏の持論(?)が公になったきっかけは、みのり書房の月刊アニメ誌OUTの80年4月号の記事でした. 氏は「ガンダム雑記」 という記事で、 「SFと呼べるのは3話までで5話以降はSFとは言えない」といった主旨の内容を述べています. この後も別冊奇想天外や月刊アニメーションなどに似た内容の記事を寄稿していますが、決定的だったのはガンダム初のムック本ロマンアルバムのアンケートコーナーに寄せられた氏の回答でしょう. 「浅薄の一言につきる」「間違ってもパート2は作らないでください」(これは同感) 罵倒といっても過言でない過激な発言は反響を呼び、高千穂氏を非難するハガキが(なぜか)アニメックに殺到したというエピソードも残っています.ロマンアルバムでは同じSF作家の光瀬龍氏も辛口の回答を寄せ、「SFサイドはガンダムを快く思っていない」という認識を世に示しました. OUT81年2月号「SFを考える」ではSFの歴史からSFのなんたるかを解説しています. ここで初めてSFマインドなる言葉が登場します. この論争が頂点に達した、OUT81年4月号には「デス・マッチ対談 富野喜幸VS高千穂遙」と題した富野監督との対談が行われました. 内容的には高千穂氏がガンダムのSF性のなさを語るわけですが、富野氏はほぼそれを肯定している点が興味ぶかいところでしょうか…. 81年7月に発行された講談社の「ガンダムSFワールド」では「日本SFアニメの不幸」と題したテーマで氏のインタビューが掲載されました. 日本のアニメ制作システムというものや合体ロボットといった商品展開の都合からSFが不当に扱われていることに対する不満が論旨となっています. 氏の大がかりなガンダムSF否定論がアニメ関係誌に掲載されたのはこれが最後となりました. 2.具体的にどこがSFでないのか 高千穂氏は記事中で以下のようなコメントを残しています. 1981年1月に発行されたOUT2月号には、 「3話までは傑作、4話から違和感を感じ始めました.5話からはスタッフのSFマインドのなさがありありと見えてきて」 1980年7月に発行されたロマンアルバム PRISM欄(業界関係者向けアンケート)では、 「1〜3話は20点(百点満点で)「再会母よ」が50点.(その他の話は零点)」 ここから伺えるのは、4話で多少おかしい部分があり、5話で(SFでないことが)決定的となったといったことです. 5話「大気圏突入」に関してはWB・ガンダム大気圏突入&WBの低速飛行というSF設定の松崎氏が激怒するような出来事があるのである意味納得なのですが、第4話に関してはどのあたりがまずいのかは不明です. 強いて上げるならシャア達潜入工作隊のノーマールスーツに酸素ボンベらしきものが何も描かれていなかったことでしょうか. 科学考証などするまでもないおかしいシーンは以後も多数出てくるのですが、高千穂氏が言いたかったのはこんな枝末節のことではなかったのです. 3.SFであるということ ・科学的な常識 サイエンス・フィクションという略語が示すように、SFは科学的な整合性を求めます. 高千穂氏がSFになっていない実例として上げているのが「宇宙からのメッセージ」という映画です. この映画では宇宙で星がまたたいたり、平泳ぎで宇宙遊泳をしたりと、科学考証が全くなされていない場面が数多く出てきます. 高千穂氏が問題にしているのは、宇宙で星がまたたく演出が悪いというよりも、制作者が「それを知らなかった」事実でしょう. もし、なんらかの設定(例えば「この宇宙は別次元で空気が満ちている」みたいな)があれば、それはそれでSFになるのかも(その理論が破綻していなければですが)しれません. ようするに制作者がその時点での科学的な常識をよく知らず(調べもせず)、言い訳の設定もなしに、SFと銘打った作品を作ることが許せないという訳です. 例えばSF研究家の志水一夫氏は「宇宙大帝ゴッドシグマ」(1980年)のオープニングに対してこのようなコメントをしています. 「木星にも輪が発見されたのを取り入れたまでは良かった。 ところが、この輪が木星表面にクッキリ影を落としている。 木星の輪は土星の場合と異なり、黄道面からの傾きが極めて小さいので輪の影はほとんど出来ず、それが木星の輪の発見が遅れた一つ目の原因であったことを忘れているのである。 しかも木星に落としている衛星の形と輪の影とから推定される光源の位置がズレている上に、それらの位置から見て当然あるはずの木星自身の影(夜の部分)がない。 これが短い1カットぐらいならまだしも、毎週タイトルの冒頭で見せていただいた強心臓には恐れいる他ない」………アニメック21号より ここまで考えるのがSFでは「常識」ということでしょうか. ホワイトベースを何の考えもなく大気圏降下させたり、重力下で低速飛行させてしまうのはSFとは言えない訳です. ミノフスキークラフトやらなんやらの後付け設定が作られたのは、これらの場面が放映されてしまった後でした.富野氏はドラマを優先させるため科学考証をこの時点で破棄したと思われてもしょうがないでしょう. なぜここまでSFサイドの人が厳しい考証(非SFサイドから見て)を設けるかは別項で述べたいと思います. ・SFマインド 高千穂氏は「ザンボット3」を「惜しいところでSFになりそこねた」と評しました. 科学考証以上にSFサイドの人間が重用視するのがSFマインドです. 高千穂氏が発足させた「スタジオぬえ」のスタッフである宮武一貴氏はアニメック21号で「価値の相対化」「視点の流動化」がSFの主力兵器であると述べています. つまり悪い宇宙人や、悪い敵方が出てきた時点でそれはSFではありえないということです. 富野氏の作品については、ニュータイプという絶対的な希望や、イデという絶対的な存在(神)を出してしまったところがSFマインドとは相容れない考え方であると宮武氏は断定します. 「創作の中に相対化できない貴重な物の存在を、クライマックスで描写しようとする富野氏の思考は、SF人間の思考とは根本的に異なります.」 ………アニメック21号より 様々な可能性を否定して絶対的な結末を導き出すという物語はSFでは成立しないということですね. 上記のように富野氏はSF的であることよりも人間ドラマを描くことを優先します.演出家としては当たり前のことですし、SFに縛られて話の展開がもたつくのは困る部分もあるでしょう. 制作当初、富野氏が「『2001年宇宙の旅』に匹敵するSFを作る」と語った話はよく知られていますが、結局は話づくりをメインにしてしまいます. 富野氏もSFを逸脱していたことはよく認識しており自伝「だから僕は…」で自らのSFマインドのなさを嘆く一節があります. (そこには「自分にSFマインドがあれば高千穂遙などという若造に…」といったくだりもあります) しかし、高千穂氏はこのような理屈のためだけに論争を巻き起こした訳ではありません.どんな論争でもそうですが、人間である以上そこには理論だけでない感情的なもつれが必ず存在します. ガンダムに対する高千穂氏の理屈ヌキの嫌悪感の原因を次項では述べていきます. 4.高千穂遙氏とガンダム 最近は知らない方も多いかも知れませんが、高千穂遙氏は当初、ガンダムの制作スタッフサイドにいた方です. 正確に言えば氏が社長であったSFスタジオ『スタジオぬえ』はガンダムに設定及びメカデザインで参加する予定だったのです. (初期の企画書などを見るとメカデザインは大河原氏とスタジオぬえの併記になっています) スタジオぬえについては別項で詳しく述べますが、この頃のサンライズ作品(ザンボットとか)の設定やアイデア作りにはぬえが大きな役割を果たしていました. ・ガンダムの発端 ザンボット、ダイターンと二作続けて順調な玩具セールスを続けたサンライズには、 「ここいらでもっと自由に作品性に主眼をおいたものを作ろう」 という気運が広がっていました. 二作連続の成功で、スポンサーも自由にやらせてくれるだろうとの目論見があったようです. 当初は「十五少年漂流記」をモチーフにした宇宙戦争ものとして話が進められました. ペガサスという宇宙空母を中心とした「戦時下の少年少女の逃避行」といったストーリーが考えられていたようです.ロボットは登場せず主人公達が乗り込むのはマッハアタッカーもどきの戦闘機でした. このあたりからも、従来のような巨大ロボット物にはしたくないというサンライズの意気込みが伝わって来ます. タイトルは「フリーダム・ファィター」. (余談ですが、この企画は6年後の銀河漂流バイファムの雛形になりました) ・しかし… 1978年の8月頃、スポンサーであるクローバーの役員を交えての企画会議が行われました. ここで「フリーダム・ファィター」の企画が提出されたのですが、クローバー側は企画部長(当時)の山浦氏にこう言いました. 「山浦さん、うちはこんな木馬みたいなオモチャ作っても商売にならないんだよ、ロボットを出してください」 スポンサーの意向はスタジオにとっては神の声(天声ともいう)と同じです.早速、スポンサー側の指導に答えねばなりません. とは言え、今までのような巨大ロボを出すのでは何とも面白くありません.もっと作品に即したメカが望まれたのです. 山浦氏はアイデアを集めるべく色々な所へ相談を持ちかけました.その相談先には無論、高千穂氏も含まれていたのです. 高千穂氏によればこの時、山浦氏から以下のような電話がかかってきたそうです. 「君の言うことが最近よく解ったから、今度真面目にSFになり得る作品を作ってみようと思うんで、何を読んだらいいか教えてくれ」 これに応える形で高千穂氏が貸したのがハインラインの「宇宙の戦士」でした. これを読んだ山浦氏は驚喜しました.そして高千穂氏に早速電話します. 「これはいいよ、この機動歩兵の着ているパワードスーツ。これをロボット物に応用する」 当然、高千穂氏は大激怒. 山浦氏にしてみれば、何かいままでとちょっと違う巨大ロボのアイデアのみを探していただけなのですが、高千穂氏にとって 「SFの勉強がしたいから」 などというウソまでついて(高千穂氏にはそう思えたらしい)利用しようとした山浦氏の挙は許せるものではありません. 数々の修羅場をくぐり、自転車操業のアニメ制作会社を切り盛りしてきた山浦氏にとってみれば、口八丁は当然なのですが…. この後、高千穂氏は暫くの間、山浦氏からの連絡があっても一切協力しませんでした. 高千穂氏が貸した「宇宙の戦士」を返却しなかったり、ぬえに在籍していた松崎氏が貸した画集を無くしたりといったサンライズの所行も影響したのか、高千穂氏とサンライズの間には深い溝が出来てしまいました. (*高千穂氏によると当時のサンライズが貸した物を返さないのは有名な話だったらしいです) つづく |