一 夜 城

一夜城本丸跡から小田原城を望む小田原城から直線約3Km平成10年4月7日撮影

(この写真では小田原城は分かりぬくいが、枯れた枝の少し左側である)

 国指定史跡石垣山一夜城 

 一夜城とは、この城を秀吉が一夜にして築いたようにみせかけたという伝承からだと言われている。石垣山は、標高260m位のところにあり、眼下に小田原城(市街)や相模湾、晴れた日には遠くに三浦半島が見える。

 当時の城の建築物は全くないが、周囲の荒れた石垣や狭い旧道の崩れた石段・本丸、井戸等の跡が当時の面影を偲ばせる。現在は本丸等の跡に芝・松の植木などで整備されている。

 かって秀吉や家康らが約100日間(4月〜7月初旬頃)であったが、丁度この時季にこの場所から、眼下の敵軍小田原城の動きや自軍の水陸軍等を眺め、あれこれと戦略を立てたことであろう。 また、秀吉は淀君や千利休など呼び寄せたとある。

 平成10年4月7日撮影 ☆一夜城に続く雨上がりの濡れた旧道が印象的であった。(国道より徒歩約50分)狭い急な坂道は湧き水がちょろちょろと流れ、振り返ると、転んだらそのままザボーンと海に落ち込むと思われるほど相模湾が接近していた。この坂道の両側は自然そのままの石で積まれ、その石の間からたんぽぽの花が可憐に咲いていた。南に面した温暖な気候に恵まれたこの地区には、段々になったみかん畑が多く、ところどころに大きな夏みかんが、たわわに実っていた。

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晩秋の一夜城☆★☆平成10年11月17日撮影

昔を偲ばせる南曲輪(くるわ)隅石垣・・・関白道路中復より小田原城天守閣を望む

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平成10年11月17日撮影

一夜城より北側約1qの急傾斜杉林中にある角材を接合したと思われる加工された石

長さおよそ3m幅約1.2m厚さ約0.6以上・・重さ約4〜5はある。

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箱根鉄道「入生田」より一夜城の案内看板に従い、急な杉林がどこまでも続く山道を登っていくと、所々に黄葉した山芋の蔓が、晩秋であることをことさら認識させてくれた。その山道8合目位の所で、この付近によくある青みがある磨かれたような加工された大きな石が、40度以上もある急傾斜地の杉林の中に埋もれた形で目に入った。一夜城当時のものかなと一瞬思ったが、まだ一夜城はおよそ1qも先である。すれば一夜城に関連した何かがここにあったのかとも考えられる。この急な斜面で重さ4〜5トンもあるこの石はそう簡単には移動することは出来ない。何のために加工しここにあるのか、異常な南風の強い晩秋のこの日に限りないロマンを覚えた。