社会とは、人間とは


 孔子曰く 前552年~前479年 (貝塚茂樹 著他) 


孔子像

孔子は、今から約2500年前の 中国春秋時代の思想家、後に儒教の祖として尊敬され

言行録「論語」がある。

 

「われ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知

る、六十にして耳順い、七十にして心の欲しるところに従って矩をこえず。」

 この説話を特徴づけているのは、孔子が現世に対して抱いた深刻な絶望の意識である。

このような絶望の意識は、先ず人生と社会に対する激しい煩悶から引き起こされたもので

あろう。
 

孔子の理想

「人にして仁あらずんば、禮をいかにせん。人にして仁あらずんば、楽をいかにせん」 

 禮も楽も、それを行う人が「仁」でなかったならば、何にもならない。禮も楽も最高の

理想である「仁」の一つの現れであり、「仁」を実現する一つの手段である。「仁」は孔

子の目指した最高の道徳であり、もっとも根原的な原理である。

 富貴をも求めず、貧賤をも厭わず、君子は食事する間でも、どんな瞬間でも、かたとき

も仁を忘れないといっている。

 

「君子仁を去りていずくにか名を成さん」で、君子がこの世に生きている生活の目的はた

だこの仁を実現することにかかっているというのである。


孔子像

 孔子の政治観

孔子の政治観はいわゆる徳治主義の立場をとるものだと考えられている。徳治主義とは法

治主義の反対概念である。

「これを導くに政をもってし、これを齊(ととのう)るに刑をもってすれば、民免れて恥

なし。これを導くに徳をもってし、これを齊るに禮をもってすれば、恥ありてかつ格し」

政治によって人民を教化し、法律によって人民を強制しようとするのが法治主義であるの

にたいし、道徳によって人民を教化し、禮によって人民を自然に秩序ある生活を榮ますの

が徳治主義であると考えられた。

法治主義によって人民を縛っても、人民は平気で法の裏をくぐるから、いくら法律を作っ

ても追っかない。徳治主義で人民の道徳心に訴え、その自由にまかすと、かえって不法行

為がなくなるから、徳治主義の方が勝っていると考えたのである。




聖徳太子 と 十七条の憲法 


聖徳太子像

聖徳太子は、今から約1400年前の574~622年の生涯で、天皇中心の政治をめざし、遣随使

派遣・冠位十二階や十七条憲法を制定した。

この聖徳太子の時期は、まだ日本国でなく「倭の国(わのくに)」であった。672年に天武天皇が壬

申の乱経て権力を握り、天皇中心とする体制を構築し、689年に国号として「日本」となったとされ

ている。

聖徳太子は、飛鳥時代の用明天皇の皇子で、「聖徳太子」の死後に賜られた諡号(しごう)で、生前

は、母親が馬小屋の前で産気づき生まれたことから「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と呼ばれ、また

は「上宮太子」(じょうぐうたいし)とも呼ばれていた。

用明天皇の死後、その後継者をめぐって、蘇我氏と物部氏の宗教対立から、とうとう蘇我氏が物部

氏など廃仏派などの豪族達を滅ぼした。蘇我氏の血を引く厩戸皇子が20歳のとき、「推古天皇」の

皇太子となり摂政となる。

推古12年(604)年 国内平和のため、ついに聖徳太子が31歳のとき、憲法十七条を制定する。

以下、豪族たちに、国家の官人(役人)としての心構えを示した。この時、日本で初めて「憲法」とい

う言葉が使われた。これによって理想的な国家造りを行った。

              憲法17条の具体的内容(簡約)
 第 1条  和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬこと。人はみな協調・親睦の気  持ちをもって論議するなら、おのずと道理にかない、どんなことでも成就する。
 第 2条  あつく三宝(仏教)をうやまえ。仏教とは、仏・法理・僧侶であり信仰しなさい。
 人で悪い者はすくない。よく教えれば正道にしたがうものだ。
 第 3条  天皇の命令をうけたならば、かならず謹んでそれに従いなさい。
 謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくであろう。
 第 4条  政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。
 上の者が礼をもっていれば、庶民も礼を持ち国全体が自然に収まるものだ。
 第 5条  官吏たちは、饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に行いなさい。
 裕福な者は、賄賂を使い、乏しき者は使えない、このようなことは官吏の道にそ むくことである。
 
 第 6条  悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからの良いしきたりである。
 へつらいあざむく者は、国家をくつがえす、人民をほろぼす剣である。
 またこびへつらう者は、下の者の過失をいいつけ、下の者には上の者の過失を 誹謗する者だ。これらの人たちは、忠誠心がなく人民に対する仁徳もない。
 第 7条  人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権 限を乱用してはならない。よこしまな者がその任につけば災いや戦乱が充満す  る。事柄の大小に係わらず、適任の人を得ればかならず収まる。
 第 8条  官吏たちは、朝早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。公務はうかう かできないものだ。したがって、緊急の場合も間にあうよう心掛けなさい。
 第 9条  真心は人の道の根本である。事の良し悪しや成否は、すべて真心のあるなしに  かかっている。官吏たちに真心あれば、何事も達成できるであろう。
 第10条  心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、他の人が自分と異なったこと をしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだ と思うことがある。皆ともに凡人なのだ。相手が憤っていたら、むしろ自分に間違 いがあるのではないかと思いなさい。議論のすえ自分ではこれだと思っても、み んなの意見が少しでも理にかなっていれば、それに従い行動しなさい。
 第11条  官吏たちの功績・過失を良く見て、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。
 指導的な立場で政務に当たっている官吏たちは、賞罰を適正かつ明確に行うべ
 きである。
 第12条  国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。国に2人の君主はなく、国内 全ての人民にとって、天皇(王)だけが主人である。役所の官吏は任命されて政 務にあたっているもので、みな王の臣下である。
 第13条  いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知しなさい。
 病気などで職務にいない場合もあろう、しかし政務をとるときは、前々より熟知し て、前任者のことなど自分は知らないといって公務を停滞させてはならない。
 第14条  官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分より英知が優れている人が いれば喜ばず、才能が勝っていると思えば嫉妬する。聖人・賢者といわれる優  れた人材がなくては国はおさまらない。
 第15条  私心を捨てて公務にむかうのは、臣たる人の道である。およそ人に私心があると き、恨みの心がおきる。恨みがあれば、かならず不和が生じる。結果として公務 の妨げになり、制度や法律を破る人もでてくる。第1条で「上の者も下の者も協  調・親睦の気持ちを持って論議しなさい」といっているのは、こういう心情からで  ある。
 第16条  人民を使役するときは、その時期をよく考えてする、昔の人の教えである。
 春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきである。人民を使役してはなら ない。
 第17条  物事は1人で判断してはいけない。必ずみんなで論議して判断しなさい。ささいな 事は必ずしも論議しなくともよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断を誤  ることがあるかもしれない。その時みんなで検討すれば、道理にかなう結論が得 られよう。



人間社会とは (胡蝶の夢より・・司馬遼太郎)

人間は虎のように一頭で生きるのではなく、群居しなければ生きていけない動物なので

ある。群居するには互いに食いあっては種が絶滅するから食いあわないための道徳という

ものができた。しかし道徳だけでは、事足りない。

人間の精神は、傷つけられやすく出来ている。相手を無用に傷つけないために、礼儀正

しい言葉つかいやしぐさが発達した。人間にとって日常とは何か。仕事でも学問でもお役

目でもなく、「それぞれの条件のもとで快適に生きたい」ということが、基底になってい

る。人間が、人間にとってトゲになったり、ちょつとした所作のために不愉快な存在にな

ることはよくない。

したがって、この基底(快適に生きたい)の上に、日ごろのコミニテイの人とのお付き

合いや、仕事や学問などがあることを忘れてはならない。



 

勝海舟の人生観とは(氷川清話より原文のまま)

 世の中に不足というものや、不平というものが終始絶えぬのは、一概にわるくもないョ。

「定見深睡」という諺がある。これは西洋の翻訳語だが、人間は、とにかく今日の是は、

明日の非、明日の非は明日後の是という風に、一時も休まず進歩すべきものだ。

いやしくもこれで沢山という考えでも起こったらそれはいわゆる深睡で、進歩ということ

は、忽ち止まると戒めたのだ。

 実にこの通りで、世の中は、平穏無事ばかりではいけない。少しは不平とか、不足とか

騒ぐもののある方がよいョ。これも世間進歩の一助だ。一個人についても、その通りだョ。

 おれなども、終始いたずらに暮らすということは決してない。しかし世間の人のように

、内閣でも乗り取らおという風な野心はない。だがせっかく人間に生まれたからは、その

義務として、進むべきところまで進もうと思って、終始研究しているのサ。

 人はどんなものでも決して捨つべきものではない。いかに役に立たぬといっても、必ず

何か一得はあるものだ。おれはこれまで何十年間の経験によって、この事のいよいよ間違

いないのを悟った。



                

平成22年6月11日 讀賣新聞 編集手帳より

 正の10を、10個集めると100になる。負の10同士を掛けても100になる。

答えは同じでも、正を積み重ねた100には陰翳(陰影)がない。異端の技法をも大

胆に用いて〝負数の王〟と呼ばれた歌人、故・塚本邦雄の言葉である。◆悔いの種をまき

散らしながら、人生は生きていく。まれに正数を積み重ねたような、挫折を知らぬ人に接

したときに薄っぺらな印象を受けるのは、陰翳が欠けているからだろう。悔恨あっての、

負数あっての人生である◆

 川崎市で中学3年生の男子生徒(14)が自殺した。いじめられた友人を救えなかった

ことを悔やむ遺書があったという◆詳しいことはまだ分かってないが、友をいたわって自

身を責め苛(さいな)んだとすれば、気持ちの優しい、正義感の強い少年であっただろう

。生きてほしかった◆

「日本一短い手紙」の秀作集から引く。あのとき飛び降りようと思ったビルの屋上

今日は夕日を見に上がる(中央経済社刊)。

心の傷口から血の噴き出す経験をした人だけが、眺めることができる。負の陰翳を身に刻

んだ人の目にだけ映る。そういう美しい夕日が、きっとあるものを。

  


 

ミミズのたわごと(徳富蘆花ではない)

 蚯蚓(みみず)は、殆んどを暗い土の中にいて、雨がたくさん降れば呼吸困難になるの

か、這い出してくる。そして自然界の何処までも溢れる空や緑を見る。しかし、さらに熱

く輝く太陽を浴び水分を失い生涯を終えるものが多い。この死の現実を繰り返す蚯蚓社会

は、お互いの情報などによる共通の社会観念の共同体意識がないのか少ないためか、大雨

が降るたびに、この死の現実を何回も繰り返して何らの進化もない。

 経験豊富な人達の多様な人間社会(1人々々価値観の異なる)の理想的とも思える生き

方は、個人々々の個性に従って、日頃の多くの情報を取捨選択し、思いやりなどによる教

育的指導等は別扱いとして、寛容と忍耐を持って、道徳的・倫理的理想に向かって「心を

養い」強い共同体意識を持つことである。

但し、日常の殆んどは、木の葉や小枝の事柄などで、上記のような思考の巡らしで良い

とおもうが、しかし、当然のことながら木の幹の部分にあたる事柄で理不尽なことや、そ

の組織の基本理念が伴わない場合は、一瞬、日頃の人間関係を維持したい気持ちに陥りや

すいが、幹が腐敗すれば枝葉は枯れてしまうから、毅然として行動する勇気をもつことである。

                                 以上

 
      

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