2001年 アメリカで同時多発テロ2001年9月11日、アメリカ合衆国で4機の旅客機がハイジャックされ、そのうち2機はニューヨークの世界貿易センタービル(ツインタワー)の2つの棟に、もう1機はワシントンの国防総省へ激突し、1機はピッツバーグの南東で墜落した。 事件から1年後の2002年9月11日における公式発表の犠牲者数は、3044人(犯人グループ19人を含む)となっている。その内訳は、ニューヨークの貿易センタービルで2811人、ペンタゴンで189人、ペンシルバニアで44人である。 ![]() 日本時間で9月11日21時45分(現地時間で9月11日8時45分)、ニューヨークのマンハッタン島南部にある「世界貿易センタービル」2棟のうちの1棟(北棟)に、ボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便が激突し、ビルは黒煙を上げて炎上した。この航空機には92人が乗っていた。 同日22時3分、「世界貿易センタービル」のもう1棟(南棟)に、ボストン発ロサンゼルス行きのユナイテッド航空175便が激突して爆発、炎上した。この航空機には65人が乗っていた。 同日22時43分、ワシントンにあるアメリカ国防総省にも、ワシントンのダレス発ロサンゼルス行きのアメリカン航空77便が突入して炎上した。この航空機には64人が乗っていた。 また、ピッツバーグ南東で23時10分、ニューヨーク近郊のニューアーク発サンフランシスコ行きユナイテッド航空93便が墜落した。この航空機には45人が乗っていた その後、同日22時50分ころ炎上していた「世界貿易センタービル」の1棟が崩壊し、同日23時30分ころもう1棟も崩壊した。近隣のビル3棟も「世界貿易センタービル」の爆発、炎上の影響を受けて崩壊した。 国防総省での死者・行方不明者は190人、負傷者は2,000人を超えた。10月30日現在で、ニューヨークの行方不明者は、5219人、確認された死者は314人(うち身元確認は255人)。 アメリカ政府はこの事件の首謀者は、ウサマ・ビンラディン氏であるとみて、ウサマ・ビンラディン氏を庇護しているアフガニスタンのタリバーン政権に対して 身柄の引き渡しを要求したが、タリバーン政権はこれに応ぜず、アメリカ政府は、テロを絶対に許さないとして、国際社会の支持を取り付け、2001年10月7日、アメリカ・イギリス軍がアフガニスタンへの空爆を開始した。11月13日、反タリバーン勢力である北部同盟が首都カブールを制圧し、12月7日には、タリバーン政権は完全に崩壊した。 2001年12月22日、国連の仲介でアフガニスタン国内外の四派が合意した暫定行政機構(内閣)が発足した。アフガニスタン最大の民族であるパシュトゥン人の有力者ハミド・カルザイ氏が同機構議長(首相)に就任、暫定政権を率いることとなった。 2002年6月に、カルザイ暫定政権議長を大統領とする移行政権が成立した。 【LINK】 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【参考ページ】 ![]() 参考文献 共同通信のホームページ「KYODO NEWS」 朝日新聞のホームページ「asahi.com」 読売新聞のホームページ「YOMIURI ON LINE」 毎日新聞のホームページ「Mainichi INTERACTIVE」 その他ニュース報道 ![]() ![]() 更新 2013/1/3 |